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英国、と聞いて世界中の誰もが真っ先に思い浮かべる風景、それはテムズ河のほとりに 佇むビッグ・ベンの雄姿なのではないだろうか。威風堂々とそびえ立つこの世界一有名 な時計塔、実は日の目を見るまでには涙ぐましいまでの紆余曲折を経てきたのだ。今回 はこのビッグ・ベン建設にまつわる苦労話をご紹介。英国在住者ならば誰でも参加可能 な時計塔ツアーの体験談も合わせてどうぞ。(本誌編集部: 村上祥子)
始まりは大火から

今や世界で最も有名な時計塔として名を馳せるビッグ・ベン。その誕生のきっかけとなったのは、1834年10月16日にウェストミンスタ ー宮殿(現在の国会議事堂)を襲った大火だった。この火事で建物のほとんどが焼失。その結果、同じ場所にゴシック様式の新しい建物を 建設することになったのである。

公開コンペにより97のデザイン案が審査された結果、見事栄冠を勝ち取ったのは、チャールズ・バリー。彼がビッグ・ベン生みの親とな ったのだ。

バリーのデザインで特に異彩を放っていたのが時計塔だった。関係者らはその斬新な提案に感動し、「ウェストミンスターの偉大な時計」 と呼んでその誕生を待ち望んだ。とはいえ当時すでに建築家として名を馳せていたバリーも、時計や鐘に関してはずぶの素人。そこでバリーが呼んできたのが友人であり、女王の時計職人だったベンジャミン・ルイス・ブリアミーだった。かくして長年に及ぶ時計塔建設の幕が開いたのである。



ビッグ・ベン受難の歴史―時計編

コンペの期間は何と7年!


コンペの審査員を務めた、ジョージ・エイリー卿時計塔建設は始めから前途多難だった。英国で最も重要な時計となる「ウェ ストミンスターの偉大な時計」のデザインに、さまざまな時計学者らからの横槍が入ったのである。そこで1846年、委員会は限定コンペの開催を決定。審査員で英国王立グリニッジ天文台長でもあったジョージ・エイリー卿は、①1 時間ごとに鳴らされる鐘の第1打の誤差は1秒以内、②時計の動き具合を1日に 2回、確認のためにグリニッジ天文台に打電する、などといった条件、計15項 目を提示したため、審査は難航。何と7年にわたって論議が繰り広げられた。 最終的に時計のデザインを任されることになったのは、エイリー卿の共同審 査員を務めた、弁護士でアマチュア時計デザイナーのエドマンド・ベケット・ デニソン。彼のデザインを基に、有名時計学者のE・J・デントが実際の建設を 請け負うことになった。契約が結ばれたのは1852年、2月25日のことである。

え、時計が大き過ぎて入らない!?

グリニッジ天文台これでようやく工事がスタート、と思いきや、またしても大きな問題が彼らに降りか かった。何と時計塔のスペースが、デニソンのデザインした時計を置くには小さすぎた のである。塔の建設を担当したバリーに非難が寄せられたが、当のバリーはデニソンに 対し、デザインする前に寸法を確認していなかったデニソンのミスだと反論。結局100ポ ンド(当時)をかけて時計を作り直すことになった。 1854年には、無事時計の製造が完了。しかしこの時計を塔に設置することはできなか った。何故なら今度は塔の建設工事が遅れていたからである。かくして塔の工事が終了 するまでの5年間、時計はデントの工場で保管されることになったのだった。

ケガの功名-正確なのは遅延のおかげ!?

そんなこんなでなかなか落ち着くことのできない時計だったが、それがプラスに働く ことも。たっぷりある待機時間に、多くの改良を重ねることができたのだ。 なかでも偉大な発明とされるのが、「Double Three-Legged Gravity Escapement」と 呼ばれる脱進機*。この脱進機のおかげで、風や雪などの外部からの圧力が時計針にかか る影響を、振り子にまで及ばないようにすることが可能になった。ちなみにこの仕組み は現在でも、多くの時計で利用されている。
*脱進機: 振り子の特性を生かして、歯車を一定速度で回転させる仕組み


ビッグ・ベン受難の歴史―鐘編

ロンドンまでの長い長い旅

時計塔の鐘が最初に鋳造されたのは、1856年8月6日のこと。イングラ ンド北部ストックトン・オン・ティーズのワーナーズ鋳造所でつくられたこの鐘の重さは約16トン、当時では国内最大の鋳造物だった。この鐘が無事塔に収まるまでには、また別の長い苦労話がある。 まず大変だったのがロンドンまでの長旅だ。北東部のウェスト・ハートルプールまで列車で運び、その後ロンドンまでは船で運搬。船に運び込ま れた時には甲板に激しい損傷を与え、船旅の途中では嵐に巻き込まれてあ わや海の藻屑となって消えるところだったという。 ロンドンに着いてからは特別仕立ての16頭立て馬車でウェストミンスタ ー・ブリッジを渡り、ようやく目的地である時計塔に到着した。

鐘にひびが!

その後は宮殿の北側にある庭、ニュー・パレス・ヤードの台に吊るされ、テストを受ける日々。鐘に「ビッグ・ベン」の愛称が付いたのはこの頃である。そんなビッグ・ベンに1857年
10月、悲劇が起こった。テスト中の鐘の表面に1.2メートルほどのひびが入ってしまったのである。その原因に関しては、さまざまな意見が飛び交ったが、製作者のワーナーズは、設計者のデニソンにより鐘の舌(ハンマー)の重さが当初の355キロから660キロに増やされたからだと弁明した。原因は何であれ、こうしてひび割れたビック・ベンは一旦壊され、 再鋳造されることになった。ワーナーズがあまりに高額の費用を請求したため、今度はロンドンにあるホワイト・チャペル鋳造所が製造を 担当することに。1858年4月10日のことであった。
沈黙するビッグ・ベン

ウェストミンスター・ブリッジから望む時計塔しかし、鐘と時計を襲う災難は、まだまだ続く。 第一に、時計が動かない。これは鋳鉄製の分針が重すぎたた めで、銅製に変えることによって解決した。第二の問題は、 1859年、ビッグ・ベンがついに動き始めたのと同時に発生し た。鐘の音がうるさすぎると議員たちから苦情が寄せられたの である。そして極めつけがひび。新しい鐘にも前回同様、ひび が入ってしまったのだ。 ひびのせいでビッグ・ベンはその後4年間、沈黙を余儀なく され、その間はビッグ・ベンの周りに設置されている4つの鐘 がその役目を果たしていた。解決法が見付かったのは1863年。 ひびの入っていない面に舌が当たるように鐘を1/4回転させ、 ひびがこれ以上広がらないように、小さい四角形の穴を開けた のである。そして舌の重さも330キロから200キロへと減らさ れた。こうしてビッグ・ベンは再びその役目を取り戻し、今日 ある「世界一の時計塔」としての役割を果たすようになったの である。

苦労はいまだ続く……
時計塔がその動きを止める時


長い長い困難の歴史を経て1859年5月31日に動き出した時計塔。第二次大戦中にはドイツ空軍による数々の爆撃にも負けず、ひたすら時を刻み続けてきた。しかし、戦争にも耐えたこの時計は、これまで思わぬ出来事により何度かその動きを止めたことがある。


1. 年に2回の恒例行事
これはハプニングではなく、年に2回訪れ る、英国の夏時間の始まりと終わりの調 整作業。この際には部品の補修工事など も合わせて行われる。

2. 「ビッグ・ベンを止めた男」
1922年、塗装業者たちが時計塔の内部の 塗装作業を行っていた。ある朝、時計面 の裏側の部屋で作業をしていた作業監督 が、はしごを時計の針を回転させる軸に 立てかけたまま、外へ出てしまう。しば らくしてその作業監督が地上から時計を 見上げてびっくり! なんと正確なことでは 他に類を見ないはずのビッグ・ベンの時 計が止まっているではないか。原因を作 り出した当の作業監督、G・F・ウィード 氏は、「もちろん、私は非難されたよ。で もどうやって分かるっていうんだい? 私 は時計職人じゃないんだよ」と弁明。翌 日の新聞には、「ビッグ・ベンを止めた男」 として大々的に取り上げられたとか。

3. そのほかのハプニング
1949年
ムクドリの群れが時計の分針に止まり、4分30秒の間、時計が止まる。
1962年
大雪の影響で、新年の鐘が10分遅く鳴る。
1976年
時計装置が金属疲労により故障。再び時計が動くまでには3週間を要した。
2005年
5月28日22時7分に分針が突如止まる。やがてゆっくりと動き出したが、22時20分に再び動かなくなり、約90分間静止していた。異常の原因は不明だったが、この日は気温が31.8度に達しており、気温上昇のため、という見解がなされた。

そのほか2000年9月には、地下鉄ジュビリー線の 拡張工事による振動を遮断するため、時計塔の地下 に何百トンものグラウト材(地盤の強度を高めるも の)が運び込まれるなど、世界一の時計塔は正確な 時間を刻むため、地味で堅実な努力を続けているの である。

時計塔ツアー体験
▲今回担当してくれたツアー・ガイド: マークさん(左)とスーさん(右)

子供の頃、ピーターパンの映画でピーターと子供たちがビッグ・ベンの周りを飛び回るのを見て、う らやましいなと感じたことはないだろうか。実はこの時計塔、我々でも登ることができるのだ。残念 ながら観光客が入ることは禁じられているが、英国在住者ならば無料で見学できるツアーがある。飛 ぶことはできなくても、目の前にビッグ・ベンの鐘を見るチャンス、これを逃す手はない!

時計塔ツアーに参加するには…まずは自分が住んでいる地区の国会議員(MP)を探す。ちなみにMPは国会議事堂のホームページ(www.parliament.uk)内で検索することが可能。ツアーに参加したい旨、Eメールか電話で連絡する。聞かれる内容は名前、住所、電話番号、生年月日と生まれた場所など。あとはMPの方でツアーの日時をアレンジしてくれる。

ビック・ベン0
集合場所は、大通りを隔てて国会議事堂と向か い合う議員会館(Portcullis House)。まずは 入り口で念入りにボディ・チェックを受ける。 建物内を巡回する警備員の手には大きな銃。見 学時にはすべての写真撮影を固く禁止すると告 げられる。やがて2人のツアー・ガイドが到着。 メイン・ガイドのスーさんとアシスタントのマ ークさんに連れられ、建物内を横切って時計塔 まで向かう。

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いよいよ登頂開始。「体力に自信のない人は言って くださいね」と冗談交じりに話すスーさん。それ もそのはず、塔にはエレベーターなどの昇降機が ないので、階段を登らなければならないのだ。ち なみに階段数は鐘楼までが334段。狭く殺風景な 塔の中央に鎮座する螺旋階段をひたすら、ひたす ら上っていく。

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参加者がみな疲れきって無口になった頃、ようやくとある小部屋に到着。室 内には、絵画や建設工事の際に使われた工具などが陳列されている。スーさ んの説明によれば、実はこの部屋、昔は独房として使われていたというから 驚き! 何でも国会の両院で野次を飛ばすなどしてディベートを妨害した議員が 収容されたのだとか。公式には残りの国会開催期間中、ずっと拘束できるこ とになってはいたが、実際には1日以上閉じ込められた人はいなかったらしい。

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プリズン・ルームの説明が終わると、また階段。もくも くと上り続ける。そして到着したのがクロック・ルーム だ。ここには時計装置が設置されている。4.7メートル× 1.4メートル、重さ約5トンとい うこの仕掛けは、とてもあの巨 大な時計を動かしているとは思 えないほどの大きさ。剥き出し に置かれていて、埃や塵などで 歯車が詰まってしまわないのか、 こちらが心配になるほどあっさ りとした管理にさすがは英国、 と何となく納得。

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そしていよいよビッグ・ベン、すなわち鐘とのご対面。外気 に面した鐘楼には、4つの鐘に囲まれたビッグ・ベンが。 「間近で聞くとすさまじい音だから」ということで一人 一人前もって渡された耳栓を装備、爆音に備える。待つ ことしばし。ついにビッグ・ベンが鳴り出した。とにか く大きな硬質な音で、美しいかどうかなんて考える余裕 もない。耳も慣れてきたようなので、最後くらい実際 に聞いてみようかと思い、耳栓を外した途端にすさま じい音が……。最後まで耳栓は外さない方が良さそう だ。鐘の音を堪能した後は、ビッグ・ベンに今もなお 残るひびと四角い穴を確認。ひびが入ったま ま100年以上もの間働き続けているのだから たいしたものだ。

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14時計面の裏側は、人ひとりがようや く歩けるくらいの細いスペースにな っている。白っぽいガラスをつなぎ 合わせている時計の裏面の向こう側 には、うっすらと透けて見える針。 自分が今、時計塔のまさに中心部に いるのだという実感が湧いてくる。 逆側の壁には裸電球が。夜になると 幻想的に光り輝く時計は、何と裸電 球が照らしていたのだ。1つの時計 面に対し、使われる電球は27個。 「この55ワットの電球は低エネルギ ーでエコ・フレンドリーなのよ」と いうスーさんの生活感溢れる言葉に は感動すればいいのやら、がっかり すればいいのやら……。

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狭くて長い螺旋階段を今度はもくもくと下りる。次第に目が回 ってきて、みんな心なしか言葉少な。ぐるぐるぐる……。そし てようやく地上に到着。これで時計塔ツアーは終了だ。

スーさんのビッグ・ベン秘話1
最後に拘束されたのは?
1880年、無神論者の議員、チャールズ・ブラッドローが聖書宣誓を拒否し、このプリズン・ルームに一晩拘束されたのが最後。ところでこのプリズン・ルーム、プリズンとは呼ばれていても、実際は家具などがすべて揃った快適な部屋だったらしい。それじゃ拘束する意味なんてないのでは!?

スーさんのビッグ・ベン秘話2
微調整はペンス硬貨で!
正確さにおいては折り紙付きのこ の時計。その正確さを守っている のは何とペンス硬貨なのだ。時計 の振り子の重しをよく見てみると、 その上には、数枚のペンス硬貨が 置かれている。2週間に1度行われ るチェックで、時計の針の進みが 速ければコインを取り、遅いよう なら追加する。1枚追加すること によって24時間に つき0.4秒、進 みが速くなるの だとか。

スーさんのビッグ・ベン秘話3
小さなパネルは取り外し自由
小さな白ガラスをはめ合わせている時計面。 実は1カ所だけ、裏側から簡単に取り外せる ようなつくりになっている部分がある。こ れは大雪が降るなどして時計の針に異常が 発生した時にヒョイヒョイ、と手直しでき るようにするためなんだとか。

スーさんのビッグ・ベン秘話4
旗の大きさはテニス・コート!
時計塔のてっぺんに明かりが灯る時、それは下院で会 議が行われていることを意味する。国会議事堂では、 会議が行われているのか否か、一目で分かるある方法 を使っている。議事堂内で、時計塔と対を成しそびえ るビクトリア・タワーの頂上に、旗が掲げてあれば会 議中、なければ会 議はしていない、 という仕組みにな っているのだ。地 上からこの旗を見 上げると小さめに 見えるが、その大 きさは何とテニ ス・コートほどに もなるというから すごい。

スーさんのビッグ・ベン秘話5
ビクトリア女王に幸あれ!
各時計面の下側には、なにやら文章が刻まれてい る。発案者は時計塔の共同設計者、オーガスタ ス・W・N・ピュージン。ラテン語で、「Domine Salvam fac Reginam nostrum Victoriam primam 」と彫ってあるの だが、意味としては 「O Lord, save our Queen Victoria the First」となる。何でも ピュージンはビクトリ ア女王の信奉者で、国 会議事堂のさまざまな ところにこの文章を入 れているというから恐 れ入る。

数字で見るビッグ・ベン
時計塔
高さ: 96メートル
ランタン(頂塔)までの階段数: 393段(見学者は鐘楼まで登ることが可能。鐘楼までは334段)

時計
時計面数: 4つ
直径: 7メートル
時計面に使われている
ガラス数:一面につき312個
時計針: 短針-2.7メートル、重さ300キロ
長針-4.2メートル、重さ100キロ


時計装置
重さ: 5トン

振り子
長さ: 4メートル
重さ: 300キロ
打数: 2秒毎

鐘(ビッグ・ベン)
直径: 2.7メートル
高さ: 2.2メートル
重さ: 13.5トン
舌の重さ: 200キロ

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