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第20回 T.S.エリオット
T.S.エリオット

アメリカに生まれ、40歳を前にイギリスに帰化した詩人のT.S.エリオット。20世紀のモダニズムを代表する詩人も、感性としてはアメリカよりイギリスの方がしっくりきたらしい。今回のこの言葉にも、そんなエリオットの英国流儀が生きているように思う。

確かに、日常的な次元から見ても、男はずぼらというか、要するに忘れやすく、女は執拗なまでに昔の記憶を追っている。結婚記念日を憶えていたかどうか、妻が夫を難詰して、年ごとに夫婦喧嘩の種となる家庭もあることだろう。結婚記念日以外にも、初めて互いにを打ち明けた日、キスをした日、結ばれた日と、やたらとその種の「記念日」を記憶し、 思い出にすがるように生きている女(ひと)までいる。大切な日をいとも簡単に忘れてしまう夫に、 歯ぎしりするような苦い感情を抱く。甘い思い出は褪(さ)めずとも、現実の伴侶との間には、昔日の親密さはもはやない。忘れるかどうかは別として、蜜月時代の絆はとうに過去形と化している。

また、政治家ややり手の経営者などを見ていると、なるほど男とは過去など振り返らず、常に新たなチャンスを狙うことを宿命づけられているのかと思える時がある。後ろを向かず、前のみを見て進むような生き方を、己の人生哲学として誇らしげに語る男もいるが、社会的にも、男のそうした猪突猛進的な性癖を許容し、後押しする土壌がある気がしてな らない。

逆に、女性の方は、過去の出来事や縁を後生大事に生きることが暗黙の美徳とされている。例えば、不幸にして配偶者に死に別れた場合、男ならば新たな妻を娶ることは当たり前とされるが、女ならば亡き夫の菩提を弔い孤閨(こけい)を守って生きることを周囲から期待され強要されかねない。エリオットの言葉も、こうした社会性をもう少し汲み取るならば、「男は忘れ得るが、女は思い出に浸らされる」と訳し直した方がよい場合もあるだろう。 さて、私も男の端くれだが、健忘症的部分はあるにせよ、忘却を性(さが) として生きているとは、どうしても思えない。むしろ、生きている限り忘れ得ぬ人生の場面や光景をいくつも抱えている。愛惜も懐旧も、郷愁もある。未練はなくとも、悔恨はある。過去をきれいに払って生きるなど、私の辞書にはない。

人として真に忘れ得ない事柄は、男も女も忘却の河に流すことはできない。たとえば戦争で子を亡くした親は、愛する我が子を忘れ得るだろうか。「move on」とよく言われるが、男女差に関係なく、簡単には「move on」できない心を、私はより人間的に感じてならないのだが、どうであろう。


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