| ビザンティン建築 |
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紀元前27年に誕生し、地中海を取り囲むように巨大化したローマ帝国。やがて東西に分裂し、西ローマ帝国は西暦476年に滅亡する。一方、コンスタンティノープルを首都とする東ローマ帝国は、西暦1453年まで、1000年にもわたり存続した。この東ローマ帝国を中心に発達した建築様式が、「ビザンティン建築」だ。 数奇な歴史を持つ大聖堂 ![]() スレイマン寺院内部にある 美しいペンデンティブ・ ドーム
異文化の融合と対立 一方、ジブラルタル海峡を境とするイベリア半島のスペインでは、逆にイスラム文化が滅ぼされ、キリスト文化による制圧が行われた。西暦756年、アフリカからジブラルタル海峡を渡ったイスラム教徒は南スペインを制圧し、コルドバに首都を置き、後のウマイヤ王朝を樹立した。キリスト教徒によるレコンキスタ(国土回復運動)によって、スペインから一掃される1492年までの約750年間、そこはメッカやカイロなど、他のイスラム都市を凌ぐほどの文化が繁栄した都だった。 このコルドバの大モスク(メスキータ)は、二重に架けられたアーチの連続の美しさで知られる。イスラム寺院の特徴は、メッカに向かう絶対的な空間軸や、アラベスク模様などの幾何学パターンの連続が創り出す無限性などに見られる。信者が床に跪き神に祈りを捧げるスペースを確保するため、床は水平に拡がるように設計されている。それに対し、キリスト教会では天に住まう神に祈るため、垂直軸を強調した空間形式となっている。メスキータの内部には、この相反する水平・垂直の建築空間が同居している。キリスト教の聖堂が連続するアーチ群の真ん中を占拠し、イスラム寺院の中に、忽然とその形式を挿入した感は否めない。 さて、話が異文化の融合と対立にそれたが、ビザンティン建築のその他の代表作には、ベネチアのサン=マルコ広場にそびえるギリシャ十字平面の上に5つのドームを冠するサン=マルコ教会や、モスクワの赤の広場に立つ、玉ネギ型ドームの聖ワシリー大聖堂が挙げられる。ロンドンでは、ビクトリア駅近郊に建つウェストミンスター大聖堂に、ビザンティンとロマネスクという2つの様式の折衷案を見ることができる。このように、異文化が交わる地域では、建築様式においても融合や制圧という現象が起こり、次世代のスタイルに多大な影響を与えている。
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藍谷鋼一郎 九州大学大学院特任准教授、建築家。1968年徳島県生まれ。九州大学卒、バージニア工科大学大学院修了。ボストンのTDG, Skidmore, Owings & Merrill, LLP(SOM)のサンフランシスコ事務所及びロンドン事務所で勤務後、13年ぶりに日本に帰国。写真撮影を趣味とし、世界中の街や建築物を記録し、新聞・雑誌に寄稿している。 |




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