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Fri, 03 April 2026

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0.002% の善意―シリア難民アラン君の死を
あなたはどう受け止めますか

銀行員のサビーンさんはシリア第2の都市アレッポで医者の夫と平穏に暮らしていた。中東の民主化運動「アラブの春」を発端に内戦が始まり、2人の幼子とともに地下室に身を隠した。食料と水を運んでくれた夫が殺害された。サビーンさんは子供を連れてトルコに逃れた。しかし難民キャンプの状況は凄まじく、子供たちは怯え、寒さと空腹に苦しんだ。英国に連れて行ってやるという仲介者にすがった。家族3人はすし詰めのボートで地中海を渡り、トラックの荷台に隠れた。悲しみと恐怖、極度の疲労の末にたどり着いたのはマンチェスターの病院の近くだった。サビーンさんは泣き崩れた。子供たちは泣くこともできなかった。(難民支援団体「レフュジー・アクション」のホームページより)

 

シリア内戦が始まった2011年から難民・避難民の数が激増している。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によると、今年8月末時点で、シリアから408万9000人が国外に逃れるとともに、760万人が国内で避難生活を送っている。日本でも400人以上のシリア人が暮らしており、60人以上が難民申請をしている。だが認定されたのはわずか3人だ。

そんな中、トルコの海岸に遺体となって打ち上げられたクルド人シリア難民アラン・クルディ君(3歳)の衝撃的な写真が世界中に配信された。日本ではアラン君の遺体にモザイクをかけて、その反響を伝えた。「アイラン」と報じたメディアが多かったが、BBC放送によれば、「アイラン」はトルコ語読みで、クルド語では「アラン」というそうだ。

シリア難民の中でもシリア国籍を持たないクルド人の立場はさらに弱い。アラン君一家は親類を頼ってカナダに渡ろうとしたが、国籍がないためトルコからの出国ビザが下りなかった。「家族に未来を与えたい」と父親が家族を連れて、ギリシャへの密航を計画。3回失敗し、4回目にボートが転覆して父親だけが生き残った。

新聞やテレビで戦地の残酷な死が映しだされることはない。しかし眠るようなアラン君の静かな死は、イスラム系移民や難民を厄介者扱いしてきた欧州を激しく揺さぶった。ドイツやオーストリアはハンガリーで足止めされていた難民の受け入れを決断、欧州連合(EU)も難民受け入れ割当制の検討をし始めた。

手のひらを返したのは英国のキャメロン首相だ。アラン君の遺体がトルコの海岸に打ち上げられた2日には「難民を受け入れることがこの問題への答えではない」と頑なな姿勢を守っていた。が、写真が公開された24時間後には「あの写真を見たなら、1 人の父親として心を動かされない者はいないだろう。あんなに幼い子供がトルコの砂浜に打ち上げられた光景を見て、深く突き動かされた」と神妙な表情で語った。さらにシリア難民を「数千人」受け入れ、シリアやトルコ、ヨルダン、レバノンの難民キャンプに1億ポンド追加支援すると表明した。その直後、シリア難民の受け入れ枠は今後5年間で「2万人」と正式発表された。

 

キャメロン首相は移民の純増数を年間10 万人未満に抑えると公約している。ところが実際には33万人に達した。移民の増加に対して英国独立党(UKIP)が「NHS(国民医療制度)病院の待ち時間が長くなる」と偏見を撒き散らしている。アラン君の死で難民の受け入れ拡大を求める良心的な署名が42万人を超える一方で、EUから離脱した方が良いという強硬な意見も聞こえてくる。

今年ドイツにやって来る難民の数は昨年の4倍の80万人。これに対しEUが全体で受け入れる枠はシリア、イラクなどの難民計16万人。シリア難民の9割以上はトルコ、レバノン、ヨルダン、イラク、エジプトといった周辺国にとどまっている。しかも難民キャンプに入れるのはごくわずかなのだ。

世界には1300万人の難民がいる。英国で暮らす難民は12万6000人と推定され、英国の人口に対する割合は0.19%(英国赤十字より)。日本は昨年12月時点で2560人、全人口に対する割合は0.002% (UNHCRより)。キャメロン首相は「シリアのアサド大統領も過激派組織『イスラム国』も許してはならない。場合によっては激しい軍事力が求められる」と本格的なシリア空爆の可能性に言及した。日本は果たしてどんな立場を表明するのだろう。

 

白紙撤回された新国立競技場計画
ザハ・ハディド氏の反論

総工費が1300億円から2520億円にまで高騰し、安倍晋三首相の判断で白紙撤回された新国立競技場の建設計画。デザインを手掛けたイラク系英国人の女性建築家ザハ・ハディド氏(64)の事務所がこのほど、「ゼロからの計画見直しはリスクが大きすぎる」と訴えるビデオ・メッセージを公開した。

ハディド氏は23分余のビデオの中で「重要なのはオリンピックの先を大きく見据えた仕事で、長くレガシー(遺産)として使われるということです」と語る。設計段階で既に24カ月、今後45カ月かけて建設する国家プロジェクトをゼロに差し戻し、11カ月でデザイン・設計、35カ月で建設という突貫作業で進めるのはバカげているという。

筆者の目から見ると、ハディド氏のデザインはスケールが大きく、流れるような美しさがある。ビデオの説明を聞いて、2020年東京五輪・パラリンピックのメーン・スタジアムにふさわしい斬新なアイデアに改めて目を見開かされた。アーチ橋を形どったキール・アーチ、花びらのような造形。ハディド案で日本は五輪招致に成功したにもかかわらず、組織委員会会長の森喜朗元首相は「僕は元々、あのスタジアムは嫌だった。生ガキみたいだ」とこき下ろした。ハディド氏に対するとんでもない侮辱だ。

 

国際コンペでデザインを公募した12年7月の時点で、総工費は約1300億円を予定していた。東京五輪決定後の13年に試算は3000億円に膨れ上がったため、規模を約2割小さくし、1625億円に抑えた。ところが人件費や建設資材の高騰で再び見積もりは2520億円に膨れ上がってしまった。

確保されている財源は国費392億円とスポーツ振興基金125億円、スポーツ振興くじの売り上げから109億円の計626億円。2520億円をどのように調達するか全くメドが立っていないのに日本スポーツ振興センター(JSC)の有識者会議が建設にゴー・サインを出したことから納税者の怒りが一気に燃え上がった。最初は「ハディド案を撤回すれば、五輪を招致した国際公約を破ることになる」との慎重意見が強かったが、安全保障関連法案の審議で内閣支持率が急落する中、安倍首相が「白紙撤回」した。合理的な議論抜きに突然行われた、国民感情を鎮めるための政治ショーだった。

五輪の開会式・閉会式、陸上競技、19年のラグビー・ワールド・カップ(W杯)、将来のサッカーW杯招致。さらにコンサート会場として使用するため開閉式遮音装置付の屋根、会議や展示会などのイベント機能、スポーツ博物館などを備えた新国立競技場の総工費が高くなるのは当然と言えば当然と言えた。シドニー五輪のメーン・スタジアムは683億円、リオ548億円、北京511億円、アテネ367億円と比べると、2520億円というのは目が飛び出るような高さだ。

 

これだけマルチ機能を備えたスタジアムのデザインを世界最高峰の建築家ハディド氏に依頼したのが間違いなのか。それとも公的債務の対国内総生産(GDP)比が240%を超える日本が五輪を招致したのがそもそもの誤りなのか。安倍首相の経済政策アベノミクスの異次元緩和による円安が輸入コストを押し上げ、東日本大震災の復興と五輪の建設事業が重なって人件費や建設資材の高騰を招いたことが原因なのか。自民党は新国立競技場を建設しない選択肢を含む見直し案まで提言した。

ハディド事務所は「デザインは総工費の決定要因ではない」と従来通りの見解を繰り返す。観客席の削減案や競争原理が強く働く入札方式を取り入れない限り、総工費の大幅な削減は無理だという。ロンドン五輪のメーン・スタジアムは総工費1380億円だったが、プレミア・リーグのサッカー場として使用するための改修費を合わせると計2180億円に膨れ上がる。妥協に妥協を重ねた結果、非常に使いにくく、収益性の低いスタジアムになるそうだ。

政府は結局、総工費の上限を1550億円、観客席を6万8000席にする新たな整備計画を発表した。未来感溢れたハディド案と違って、地味でシンプルなデザインになるのは避けられまい。安倍首相、森元首相、文科省、JSC、ゼネコン含め、一番真摯に考えているのは「新国立は五輪後も経済的に持続可能でなければならない。デザインを無駄にしないで」と訴えるハディド事務所のように思えてならないのだが……。

 

労働党党首選、コービン氏が「当選確実」に

選抜制の英国伝統の進学校グラマー・スクールに11歳の息子を進学させるかどうかで、夫婦は対立していた。妻は言った。「子供の教育は私の絶対的な優先事項です。息子はグラマー・スクールに行かせるべきです。それ以外の選択肢はありません」。ひげ面の夫は政治的信念を曲げようとはしなかった。「教育は皆が平等に受けるべきものだ。11歳で選別するのは間違っている。息子は地元の総合制中等学校コンプリヘンシブ・スクールで学ばせる」。

2人に歩み寄る余地はなかった。子供の教育をめぐる対立はよくあることだが、この夫婦の場合、夫は労働党の下院議員、しかも筋金入りの左派だった。労働党のブレア元首相、ハーマン元社会保障相も口先では選抜制のないコンプリヘンシブ・スクールを支持しながら、誰もが行けるわけではない国庫補助学校やグラマー・スクールに自分の子供を進学させたことが論争を呼んでいた。

「子供の教育をあなたの政治キャリアの犠牲にはできないわ」。妻は夫婦関係の継続より、息子のグラマー・スクール進学を選んだ。夫婦は1999年に離婚した。

この男こそ、9月の最大野党・労働党の党首選で「当選確実」になってきたダークホース、左派のジェレミー・コービン氏(66)である。労働組合を始め、元ロンドン市長のリビングストン氏、初の黒人女性下院議員アボット氏ら左派の支持を集める。先の総選挙でスコットランド民族党(SNP)旋風に巻き込まれ、スコットランド労働党は壊滅、予想を上回る大敗を喫した労働党は支持率回復のため、コービンという「劇薬」を飲もうとしている。

 

18年続いた保守党政権を打ち破るため、労働党のブレア、ブラウン両元首相は党綱領から産業の国有化を訴える部分を削除して市場主義に転換する「第三の道」を選んだ。労働党は保守党と中道票を奪い合うようになり、両党の政策の違いを区別するのは次第に難しくなってきた。保守党のキャメロン首相の懐刀、オズボーン財務相は「働く人の党」をスローガンに労働党のお株を奪う一方で、財政再建に邁進(まいしん)する。これに対して労働党は財政再建に反対しているかと言えば、その程度を和らげているだけだ。

「保守党の政策と大して変わらなかったのが総選挙の敗因だ。労働党は党員を増やし、強い社会運動を引き起こさなければならない。結局、労働党に求められているのは不平等と貧困を英国からなくすという絶対的な情熱なのだ」とコービン氏は静かに訴える。ブレア元首相のようなテレビ受けする派手さはかけらもない。しかし、その支持は燎原(りょうげん)の火のごとく広がっている。最初は立候補に必要な35人の党下院議員の推薦も集められない泡沫(ほうまつ)候補。それが世論調査会社YouGovの世論調査で本命アンディー・バーナム影の保健相を抜いて、53%の支持を集める。「コービン氏が労働党の党首になれば、次の総選挙は勝ったも同然」と、舞台裏で保守党支持者がコービン人気を盛り上げ、3ポンドを払って労働党の隠れ支持者になっているという謀略説まで流れる。

SNPのスタージョン党首が原潜による核ミサイル・システムの廃止、医療・教育制度の充実を掲げるのと同様に、コービン氏も核抑止システムの廃絶、反緊縮、富裕層への課税強化を唱える。しかし、コービン氏はかつてサッチャー首相(当時)を狙った爆破テロの直後にIRA(アイルランド共和軍)の前科者を議会に招待して批判された。レバノンのイスラム教シーア派武装組織ヒズボラやパレスチナ自治区ガザを実効支配するイスラム原理主義組織ハマスにも一定の理解を示す。ブレア首相が誕生した1997年以降、500回も労働党の方針に反して議会で投票している、いわくつきの反骨者だ。

 

党首選の投票方法は、4人の候補者に順位をつける「代替投票制」で、得票率が過半数に満たない場合は最下位の候補者が脱落し、第2希望の票を残りの候補者に振り分けて、誰かが50%を超えるまで続けていく。投票権者を登録する最終日、実に16万人の駆け込み登録があり、計61万人が労働党の明日を決める。ブレア元首相は「我が党は目をつぶり、下に尖った岩がある絶壁に手をかけながら歩いている」と警鐘を打ち鳴らすが、もはや誰にもコービン氏を止められそうにない。

 

 

「Without Fear and Favour(恐れず、こびず)」―
日経のFT買収

有料コンテンツを武器にしたデジタル戦略の成功例として注目を集める英経済紙「フィナンシャル・タイムズ(FT)」紙が売却されると聞いて驚いたが、買収するのが日経新聞と知って驚愕してしまった。しかも買収金額の1600億円を現金で支払うという。日経はこの1年で3万部以上落としたとはいえ、部数は273万部。電子版の購読者は約43万人。経常利益(連結)190億円超の優良企業でさえ、グローバル化とデジタル化に対応しなければ生き残ることができないということだ。日経のFT買収劇は一見ギャンブルのように見えて、したたかな戦略と計算に基づいている。

従軍慰安婦問題と福島第1原発事故をめぐる報道で前社長が辞任に追い込まれた朝日新聞と、ここぞとばかりに朝日をたたきまくった読売新聞、産経新聞が泥仕合を繰り広げる中で、日経だけが未来に向け、冷静に大胆な手を打ったと言えるだろう。昨年、FTグループの営業利益は2400万ポンド(約45億9000万円)。買収金額はその35倍に達したことから、「気前が良すぎる買収」と揶揄する論評も見られた。しかし、日経の狙いはFTの営業利益拡大より、FTの記事や人材を活用して日経自身のコンテンツと英語での発信力を強化するとともに、FTのデジタル戦略をそっくりそのまま日本国内で実践することにある。

メディア・ビジネスに精通する全国紙勤務の友人はこう解説する。「日経の専売店は読売や朝日に比べると限られています。7割が電子版購読者というFTモデルを日経は見よう見まねで取り入れてきました。買収してしまえば完全にモデルをコピーできます。紙の新聞を配達するより電子版の方がはるかにコストはかかりません。他の全国紙は日経に読者を大量に持っていかれる恐れがあります」。

 

サーモン・ピンクの独特な紙面、ハイクオリティーな論評、スクープで世界中の読者から支持されるFTは、マーチン・ウルフ氏やギデオン・ラクマン氏、フィリップ・スティーブンス氏ら筆致が冴え渡るコラムニストを擁している。「表現の自由」を貫くためには友人を裏切ることも辞さない英国のジャーナリストから見れば、記者クラブに所属し、上司や当局の顔色をうかがいながら記事を書くと思われている日本の記者は、腹の底から信頼できない。精密機器大手オリンパスが「飛ばし」と呼ばれる手口で巨額損失を粉飾していた事件は、日経ではなく、元日経記者が編集長を務める情報誌「ザ・ファクタ」がスクープした。

今回の買収について、麻生副総理が「日経の経済記事が英訳されてきちんとした形でFTに載ることは日本にとって良いことだ」と話し、甘利経済財政・再生相も「日本の経済メディアが世界的な経済メディアのFTを傘下に収めて、国際社会に日本の経済事情が正確に発信できるのは喜ばしいこと」と評価した。しかし、FTと同じくピアソンの傘下にあり、売りに出された英誌「エコノミスト」は「甘利発言は落ち着かないFTの編集局を刺激しそうだ」と早くも牽制(けんせい)している。

日経首脳がFTの編集方針に口を出そうとしていると微塵(みじん)でも疑われたら、一気に世界中の読者と、127年の伝統に裏打ちされた国際的な影響を失うことになる。日経の喜多恒雄会長は記者会見で「FTの社是である『Without Fear and Without Favour』は『恐れず、こびず』を意味します。(略)日経の社是である『中正公平』とまさに共通します」と強調した。FTは社説で「我々は日経が編集権の独立を約束してくれたことを歓迎する」と応えた。

 

インターネット小売り大手アマゾンの創業者ジェフ・ベゾス氏が個人資産で米紙「ワシントン・ポスト」を買収し、米経済紙「ウォール・ストリート・ジャーナル」も米ニューズ・コーポレーション傘下に加えられた。ピアソンの最高経営責任者(CEO)だったジャーナリスト出身のマージョリー・スカルディーノ氏は2003年当時、「自分の目の黒いうちはFTを売却させない」と語っていたが、グローバル化とデジタル化の波は大きなうねりとなって世界規模でメディアの再編を推し進めている。

健全経営があって初めて健全な報道が成り立つ。時代が変わっても、絶対に変わってはならない精神がある。それは「恐れず、こびず」に事実を伝えるということだ。

 

 

ロンドン同時爆破テロから10年-
無秩序に拡散するテロのリスク

2005年7月7日午前8時49分、ロンドンの地下鉄が3件連続の自爆テロに見舞われた。約1時間後、今度は2階建てバスが爆発した。死者52人、負傷者784人。自爆したイスラム系移民の若者4人も死亡した。阿鼻叫喚(あびきょうかん)の同時多発テロ「7・7」からちょうど10年が経つ。7日、52柱の記念碑が立つハイド・パークでキャメロン首相とジョンソン・ロンドン市長が献花を行い、犠牲者の冥福を改めて祈った。キャメロン首相は「英国は決してテロに屈しない」とテロ対策を強化する方針を表明した。

セント・ポール大聖堂では4つの現場名が記された大きなロウソクが燭台(しょくだい)の上に置かれ、午前11時半から1分間の黙祷が捧げられた。地下鉄では構内放送が止められ、バスは最寄りの停留所に停車した。10年前、14歳だったエマ・クレイグさんはオールドゲイト駅に向かう列車内で爆破テロに巻き込まれた。職業体験学習に参加する途中だった。「テロはロンドンを破壊することはできなかった。しかし、私たちの一部を破壊した」とエマさんは涙を拭いながら、振り返った。

01年の米中枢同時テロ。ブッシュ米大統領とブレア英首相が主導したアフガニスタンとイラクの2つの戦争。そして中東の民主化運動「アラブの春」で中東・北アフリカは一気に不安定化した。シリア内戦に乗じて過激派組織「イスラム国」が台頭し、テロのネットワークを世界中に拡散させている。世界は10年前に比べて安全になったかと聞かれれば、答えは明らかに「ノー」だ。

英国内では防諜と治安を担当するMI5(英情報局保安部)の人員が4000人に倍増されるなど、確かにテロ対策は進んだ。ロンドン警視庁のテロ対策班や英政府通信本部(GCHQ)との連携が強化され、MI5は2000~3000人を監視下に置くが、人員不足は否めない。MI5のパーカー長官は「2005年にロンドンで起きた恐ろしい出来事は、私たちの組織が日々未然防止に取り組んでいる現実を思い起こさせてくれる」と口元を引き締めた。

しかし、チュニジア北東部スースのホテルで6月26日、外国人観光客ら38人が殺害された。このうち30人が英国人で、「7・7 」以来、最悪というテロ被害を出した。銃乱射テロの実行犯、サイフディン・レズギ容疑者(23)は射殺された。レズキ容疑者はブレイクダンス愛好家で、自宅から離れた貧困地区のモスク(イスラム教の礼拝所)で過激思想に染まったと報じられている。自分のフェイスブックに「イスラム国」への共感をほのめかし、「イスラム国」もすぐに犯行声明を出した。

 

「イスラム国」には約100カ国2万人の外国人戦士が参加し、このうち英国組は700人とみられている。しかし半数の350人が斬首など「イスラム国」の残虐性に幻滅したり、トラウマを抱え込んだりして既に英国に帰国。カウンセリングを受けている若者もいる。テロは10年前に比べ、国境を超えた広がりを見せている。インターネットを通じて過激思想や暴力への誘いが恐ろしい勢いで無秩序に散らばっていく。

保守党単独政権を樹立したキャメロン政権はテロ対策として、過激派組織が公の場でヘイト・スピーチを行うのを禁止、スノーデン事件で批判を浴びたもののGCHQの市民監視プログラムを強化する法案を議会に提出した。小・中学校に過激思想が入り込まないよう警戒を強めている。しかし、「7・7」の再発を確実に防げるとは断言できないのが現実だ。英国内に潜むテロリスト予備軍のスイッチがいつ、どこで入るのか、もはや誰にも予測できない。GCHQの「ビッグ・ブラザー(市民監視プログラム)」でも捕捉不可能だ。

 

シリアやイラクで「イスラム国」の拠点を爆破して過激派を1人殺害すれば、「イスラム国」への参加者が10倍以上の勢いで増える。米国家安全保障局(NSA)やGCHQはテロの脅威に備えるため、人員や予算を拡大して市民監視プログラムを強化するという悪循環に陥っている。「イスラム国」はその矛盾につけ込み、ソーシャル・メディアでイスラム教徒の「恐怖」と「屈辱感」をあおり立てる。中東・北アフリカの国境は崩れ始めている。「イスラム国」は独自の行政区分を一方的に宣言した。20世紀に築かれた世界秩序は確実に崩壊に向かい始めている。

 

 

ジハーディストの花嫁

中東・北アフリカから地中海を渡って欧州を目指すボートピープルは今年に入って既に10万人を突破した。昨年は約21万8000人がボートで地中海を渡ったが、航海途中で少なくとも3500人が死亡している。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)のグローバル・トレンズ・レポート(年間統計報告書)によると、昨年1年間で紛争や迫害を逃れ、家を追われた人の数は計5950万人。急増したのはシリア内戦が始まった2011年以降だ。国別の人口に当てはめてみると、イタリアの6100万人に次いで世界24番目に相当する規模の人数の大移動が起きている。

米中枢同時テロに続くアフガニスタン戦争、イラク戦争。世界金融危機、中東の民主化運動「アラブの春」、チュニジアとエジプトの独裁体制崩壊、リビアとシリア、イエメンの内戦。グーグルアースで宇宙からリアルタイムで地球を俯瞰(ふかん)できたら、「無秩序」から「秩序」へ、「混乱と殺戮(さつりく)」から「安定と平穏」へと変化を求める人々の列、難民をぎっしり乗せた船、野営する集団が確認できるだろう。しかし、それとは逆の流れ、「安定と平穏」を捨て「混乱と殺戮」に身を投じる若者たちの動きをウォッチするのは難しい。自由と民主主義、豊かさを捨て、欧米諸国からイスラム系移民の若者がシリアやイラクに向かっている。英シンクタンク「戦略対話研究所」によると、その数約4000人。そのうち「ジハーディスト(聖戦主義者)の花嫁」と呼ばれる女性は550人だ。

 

メラニー・スミスさんとエリン・サルトマンさんは同研究所のパソコンでフェイスブックやツイッター、インスタグラム、タンブラー、Ask.fmのイスラム系女子のアカウントを追跡している。イスラム系女子の過激化を調査するためだ。残酷な映像を目にすることが多く、研究員の中には心的外傷後ストレス障害(PTSD)を患ったメンバーもいる。サルトマンさん自身、殺害予告の脅しを受けたことがある。2月、ロンドンで暮らす15歳と16歳の少女3人がトルコ・イスタンブールに向かう旅客機に搭乗し、シリアに向かった。5月には、イングランド北部ブラッドフォードに住む3人の姉妹と9人の子供たちがイスラム教の巡礼のためサウジアラビアのメディナに向かった後、連絡を絶った。いずれも過激派組織「イスラム国」に参加したとみられる。

「イスラム国」はソーシャルメディアを通じてイスラム系女子をリクルートしている。心理学やIT(情報技術)の専門家が、不満を漏らすイスラム系女子を見つけて、巧みに近づいてくる。思春期の少女に対してはアイデンティティーを揺さぶり、またイケメン・ジハーディストから甘いメッセージを送り、成人女性には「イスラム国」では暮らし向きが良くなるとささやきかける。

「イスラム国」がイスラム系女子に目をつけたのは、リクルートに成功すればプロパガンダ効果が極めて大きいからだ。女子力を使えば同世代の女子や男子を吸い寄せることができる。国境に近いトルコの街を視察した英キングス・カレッジ・ロンドン過激化・政治暴力研究国際センター(ICSR)のネウマン所長によると、シリア反政府武装組織の「イスラム国」「ヌスラ戦線(アルカイダ系)」「シリア自由軍」の戦闘服を販売するショップがあり、断トツで一番人気なのは「イスラム国」だ。彼らは熾烈なリクルート合戦を展開している。何より結婚させて出産させれば次世代のジハーディストを再生産できる。だが、男子と同じようにジハーディストを志願する女子も少なくない。

 

スミスさんとサルトマンさんの研究では、ジハーディストの花嫁の年齢、居住地、宗教的背景をプロファイリングするのは不可能だという。ただ、男子と同じで、西洋文化の中で暮らすイスラム系移民のアイデンティティーに疑問を持ち、孤独感に苛まれている。イスラム社会は暴力的に迫害されているという感情を持っている。国際社会が迫害に対応していないことに対する怒り、悲しみ、フラストレーションを募らせているという共通項がある。

米国の研究によるとツイッターにおける「イスラム国」関連のサポーター4万6000アカウントのうち、4分の3はアラビア語での投稿だ。英語など西洋の言語に比べ、アラビア語でのツイートに関する分析はそれほど進んでいない。闇は深い。

 

腐敗の帝国「FIFA」を突き崩した英国の記者魂

米・スイス司法当局の捜査が入った国際サッカー連盟(FIFA)の汚職事件。加盟209カ国・地域のうちアジア、アフリカ、中米・カリブ海を中心に133カ国・地域の支持を集め、5選を果たしたブラッター会長が選挙からわずか4日後に辞任を表明した。1998年のワールド・カップ(W杯)フランス大会、2010年南アフリカ大会の招致をめぐって賄賂(わいろ)が飛び交い、18年ロシア大会、22年カタール大会の捜査も進められている。

南ア大会の賄賂1000万ドル(約12億円)がFIFA口座を経由して送金されていたことも明るみになり、「悪いことをしていないのに、どうして辞める必要があるんだ」と息巻いていたブラッター会長が失脚。次の会長選が早ければ12月に行われる見通しになり、ロシア大会とカタール大会の開催に疑問符がついている。がぜん元気になってきたのが、18年W杯招致で最低の2票しか集められず落選したイングランドだ。両大会の再投票が行われることになれば、イングランドほどふさわしい場所はないと真っ先に名乗りでるのは確実だ。

 

選考時の10年12月、ウィリアム王子、元イングランド代表主将のベッカム氏とともにチューリヒでロビー活動を行ったキャメロン首相が吠えた。今月7、8の両日、ドイツ南部エルマウで開かれた先進7カ国(G7)首脳会議でFIFAの腐敗一掃を求めた。「FIFAに関して言えば、『スポーツ・ビジネスはそんなもんさ』という見方をする人がたくさんいるが、腐敗に目をつぶるべきではない。もっと精力的にこうした問題と闘うべきだ」。世界銀行の試算では世界中で毎年1兆ドルの賄賂が飛び交い、ビジネス・コストを10%押し上げる。FIFAに限らず、「ミスター・テン・パーセント」はあちこちで跋扈(ばっこ)している。

温厚なウィリアム王子もFA(イングランド・サッカー協会)杯決勝で、FIFAの汚職体質を厳しく非難した。「摘発されたFIFA は、ソルトレークシティ冬季五輪招致をめぐる買収疑惑をきっかけに改革を進めた国際オリンピック委員会(IOC)と同じ大事なときを迎えている」。FAはダイク会長以下、協会を挙げてFIFAに改革を求める方針だ。

腐敗の元をたどればサッカーの二大勢力、南米と欧州の権力闘争がある。ブラッター会長の師、アベランジェ第7代会長はブラジル出身。サッカーの商業化を進めるとともに、アジア、アフリカのサッカーを振興して支持基盤を広げ、欧州を封じ込めた。しかし、「サッカー後進国の支援」という錦の御旗の下、半ば公然とカネがやり取りされるようになった。こうしたシステムを熟知するブラッター会長は「腐敗の帝国」の管理人として打ってつけだったのだ。

 

英国や欧州サッカー連盟(UEFA)のFIFA批判には怨念がこもっている。18年、22年W杯招致の投票が行われる2カ月前、「サンデー・タイムズ」紙の記者が米国のロビイストを装ったおとり取材を敢行。投票権を持つ理事2人が米国への投票の見返りとしてそれぞれ80万ドルと230万ドルを要求。職務停止と罰金処分を受けた2人は結局、投票できなかった。同紙は「イングランドの招致活動を妨害した。愛国的でない」と英国内でも批判を浴びたが、記者は屈しなかった。調査報道を続けるうちに、信じられないタレ込み(内部告発)があった。カタール大会を実現させた影の功労者、モハメド・ビン・ハマム理事の資金の流れを示す銀行口座、電子メールが提供されたのだ。

チームを組む記者2人は3カ月間、一室にこもってコンピューターのモニターをにらみ続ける。連絡も絶ったため、周囲が安否を気遣ったほどだ。資料があまりに膨大なので2人はデジタル・フォレンジックの専門家を雇い、送信者・受信者・日時などのメタデータやキーワードをつなげていくシステムを作り、人脈と資金の流れを浮き彫りにしていく。電子メールの内容から、動いた資金の趣旨をつかむことができた。

14年ブラジル大会の開幕直前、同紙は渾身のスクープを放つ。「W杯カタール大会の招致活動で総額500万ドル超の買収工作」。11ページぶち抜きだった。カタール招致委員会は疑惑を否定し、同紙は「アラブへの人種差別」と批判された。しかし、不屈の調査報道は腐敗の帝国を決壊させる引き金になった。

 

キャメロン首相が恐れる2人のレディー

「我が上院議員と下院議員の皆さん。政府は我が国すべての国民の利益のために法律を制定します」。英国の国家元首である89歳のエリザベス女王が「大英帝国王冠」を被り、先の総選挙で選ばれたキャメロン首相率いる保守党単独政権の施政方針演説を読み上げた。長さは8分余り。女王の玉座は上院にある。下院が君主から独立していることを現している。バッキンガム宮殿から国会議事堂まで馬車で向かう女王の姿は、連合王国を支えてきた立憲君主制の威厳と歴史を今に伝えている。何度見ても新鮮な気持ちになる。

政府が用意する女王演説には今回、保守党が総選挙で掲げたマニフェスト(政権公約)の内容が盛り込まれている。所得税、日本の消費税に当たる付加価値税(VAT)、社会保険料を2020年まで据え置く法案、低中所得者向け賃貸住宅を入居者が購入できる法案、3~4歳児を対象にした育児支援法案など、社会保障にぶら下がる人より「働く人」に配慮する保守党の姿勢が強く打ち出されている。人権や市民の自由にこだわる自由民主党との連立時代には封印されてきたイスラム系移民の過激化、テロ組織、犯罪組織に対する監視プログラム強化も盛り込まれた。

 

女王演説の中で「ワン・ネーション(一つの国家)」という言葉が使われた。もともと19世紀の保守党政治家ディズレーリが資本家と労働者の対立を克服するため唱えた概念だ。今、スコットランドが分離・独立するか、英国が欧州連合(EU)から離脱するかという歴史的な岐路に立たされている。5年後、連合王国がどんな形になっているのか断言できる人はいないだろう。総選挙でスコットランドの定数59のうち56議席を占めた地域政党・スコットランド民族党(SNP)に配慮して、同地域における課税と社会保障の自主権など大幅な自治権拡大と、2017年末までに「英国はEU加盟国として留まるべきか」と尋ねる国民投票を実施することも演説でうたわれた。

総選挙での敗北を受け、最大野党・労働党のミリバンド前党首が辞任したため、今年秋まで英議会は事実上、野党不在の状態が続く。しかし、キャメロン首相は楽観できない。予想外の単独過半数(331議席)を得たとはいえ、過半数の326議席をわずか5議席上回るだけ。保守党のメージャー首相が政権を維持した1992年総選挙の10議席より心もとない。メージャー首相は5カ月後に「暗黒の水曜日」と呼ばれるポンド危機に直撃され、欧州の通貨統合を目指すマーストリヒト条約反対派の大量造反に苦しめられる。

 

キャメロン首相の前に立ちはだかるのは国内ではSNPのスタージョン党首、国外ではEUを牽引するドイツのメルケル首相。はっきり言ってミリバンド前労働党党首とは役者が違い過ぎる。スタージョン党首の政治的原点は鉄の女・サッチャー。1980年代、炭鉱閉鎖、労働組合と国有産業の解体でスコットランドには失業者があふれた。その傷は今も生々しく疼く。新自由主義経済がもたらす社会的な不正義を解消するにはスコットランド独立しかない。16歳のとき、そう決めてスタージョン党首はSNPに入党した。保守党は不倶戴天の敵だ。

東ドイツ出身のメルケル首相の原点はベルリンの壁とプラハの春。7歳だったメルケル首相は壁が東西を分断した日、父親の日曜礼拝で信者全員が泣く姿を心に焼き付けた。その7年後、両親とチェコスロバキアを訪れた際、プラハの春が無残に押しつぶされる様子をラジオで聞いた。東ドイツに戻ってその話を教室でしたとき、教師の顔が凍りついた。メルケル首相にとって自由ほど尊いものはない。中でもベルリンの壁を崩壊させる引き金となった「移動の自由」は絶対に譲れない一線である。

16年秋に前倒しされるかもしれないEUに関する国民投票で英国の有権者がEU離脱を選んだら、スコットランドは間違いなく分離・独立する。キャメロン首相は女王演説を受けて、オランダ、フランス、ポーランド、ドイツ行脚に出掛け、EUとの再交渉に臨む英国の立場を説明。本音の移民制限をおくびにでも出せばメルケル首相は即座にハネ付けるだろう。欧州との交渉で少しでも腰を見せれば保守党右派が不満を増幅させ る恐れがある。筋書きなきドラマが始まった。

 
ビジネスセミナー

「木村正人のロンドンでつぶやいたろう ライブ」第4回講演が開催
「情報最前線! インテリジェンスと危機管理――
ビジネス・パーソンが今身につけておきたい
知的護身術」

5月15日、ロンドンの金融街シティにある国際保険ブローカーWillisのオフィスにてWillis、Lloyds Banking Group、Reynolds Porter Chamberlain LLP主催のビジネス・セミナーが開催された。全4回シリーズの最終回となった今回のテーマは、「情報最前線! インテリジェンスと危機管理――ビジネス・パーソンが今身につけておきたい知的護身術」。国家や企業の危機管理のあり方を問うこのセミナーには、日本人ビジネス・パーソンを中心とする100名以上が参加した。

メイン・パーソナリティーを務める在英ジャーナリストの木村氏が冒頭の挨拶を行った後、壇上に上がったのが、一人目の特別ゲストとなるオリーブ・グループの柴田なぎさ氏。世界各国にセキュリティー・ソリューションを提供する民間警備会社である同社でプログラム・マネージャーを務める同氏は、この日のために本社があるドバイから来英。柴田氏自身が防弾チョッキを着用した姿や、事前トレーニングを行う様子を写した写真を見せつつ、危険地域へ出張する際の措置などについて語った。

またイスラム過激派組織として知られる「イスラム国」が、日本をも標的に含めると通告する声明を発表していることに注目。今後は日本企業も本格的な危機管理対策が必要となるとの見方を示した。続いて、これまでにオリーブ・グループが手掛けた事例を紹介。発砲事件を受けて一時中止を余儀なくされた合同プロジェクトの再開に向けての対策や、脅迫電話を受けた在ドバイ日本企業からの問い合わせへの対応など具体例について語った。

柴田氏によると、日本企業とアラブ諸国の企業では、危機管理意識の持ち方が大きく異なる。このため、中東諸国に事業進出を行う場合、現地企業または関係者と日本企業の間で認識のズレが生まれ、危機管理における協力体制を築くのが難しい場合があるという。また現地の人々と良好な関係を築くために社会貢献を目的としたプロジェクトを実施することなども、トラブルを回避するための手段となり得ると述べた。

インテリジェンスと危機管理
来場者からの質問に応じる在エディンバラ日本国総領事館総領事の北岡氏(写真左)、
在英ジャーナリストの木村氏(同中央)、オリーブ・グループの柴田氏

次に登壇したのが、在エディンバラ日本国総領事館総領事で、インテリジェンスの専門家でもある北岡元氏。北岡氏は、インテリジェンスを「判断・行動のために必要な知識」と定義し、さらには「利益を実現する知識」でもあることから、利益や損失が何であるかを見極める必要があると訴えた。北岡氏は具体例として、一枚の写真を提示。写真を評価・解析する目的が、殺人事件の捜査なのか、または写真コンテストの審査であるかによって、見るべき箇所や見方がいかに異なるかという点について論じた。

続いて北岡氏は、ともに1970年代に発生したパレスチナ解放人民戦線によるPFLP旅客機同時ハイジャック事件や日本赤軍関係者たちによるテルアビブ空港乱射事件などの事例を紹介した。予測することが不可能と見なされたこれらの事例を受けて、危機管理の分野においては「彼を知る」から「自分を知る」という方法論に転換しつつあると説明。敵対国や競合社を徹底的に研究するよりも、自国や自社の強みや弱みを把握し、様々な状況に備えるという方式が危機管理の分野における最前線となっていると述べた。

セミナーの終盤に行われた質疑応答では、会場から質問が殺到。中東地域における金融センターであるドバイを標的としたテロの可能性の有無や、日本が国益に対してどのような意識を持っているのかといった質問が寄せられた。続いて行われたレセプションでは、柴田氏と北岡氏の前に来場者が列を成すほどの盛況ぶりだった。

全4回にわたり行われた本セミナー・シリーズは今回で終了。スコットランド独立問題、マクロ経済・金融市場、英国のインフラ再整備事業そして危機管理といった広範なテーマについて各専門家たちが解説する本シリーズは、好評のうちに幕を閉じた。

 

総選挙、保守党の単独過半数をデータから読み解く

英国の総選挙は事前の世論調査とは大きく異なる結果が出た。筆者は①経済と財政の運営が評価されて保守党が勝利し、自由民主党と連立を模索、②スコットランドでは地域政党・スコットランド民族党(SNP)が圧勝、③欧州連合(EU)離脱を唱える英国独立党(UKIP)はファラージ党首が落選して失速、するとみていたが、労働党が議席を減らして保守党が単独過半数を制するとは夢にも思わなかった。

データ全盛の時代。しかし、予測は見事に外れた。それでも、選挙結果の分析には役に立つ。「フィナンシャル・タイムズ」紙とオックスフォード大学の准教授らでつくる研究グループ「Elections Etc」、友人の英国政治研究家、菊川智文氏のニュースレターを参考に総選挙を総括してみた。

 

選挙後、様々なナラティブ(物語)が語られた。「メディア規制を唱えた労働党のミリバンド党首(選挙後に辞任)への報道が厳しすぎた」「SNPのスコットランド・ナショナリズムに対するイングランド・ナショナリズムの反動が起きた」「労働党には、やはり市場重視のニュー・レーバーが必要だ」などなど。こうした文脈はしかし、労働党の負け惜しみの範疇(はんちゅう)を出ない。

今回の総選挙には4つの戦場があった。第1に、スコットランド。SNPは労働党から40議席、自由民主党から10議席を奪って定数59のうち56議席を占める快進撃を見せた。アレクサンダー「影の外相」はグラスゴー大学で政治学を学ぶSNPの女子大生マイリ・ブラックさん(20)に敗れ、スコットランド労働党のマーフィー党首も落選。労働党が今後、スコットランドで体制を立て直すのは至難の業だろう。スコットランドは地元密着型の政治を求めている。

第2に、草刈り場と化した自由民主党。49議席を失って8議席となったが、このうち27議席が保守党に、12議席が労働党に流れた。自由権と経済的自由主義、個人主義、進歩主義、環境などを掲げる「モザイク政党」は5年間の連立への欲求不満から完全に空中分解した。

第3に、UKIP。解散前の2議席のうち1議席を保守党に奪われた。注目のファラージ党首は落選。保守党は今後もUKIPへの脱党者が続くのを警戒して、UKIPが当選しそうな選挙区でローラー作戦を展開した。サウス・サネット選挙区では、ファラージ党首が戸別訪問した翌日に保守党の候補者が同じ地区を戸別訪問するという徹底ぶりだった。小選挙区のため当選者こそ1人しか出なかったが、得票率は前回より9.5ポイントも増えて12.6%。388万人超がEUや移民への不満票をUKIPに投じた。

UKIPへの票の流れが第4の戦場、保守党と労働党の直接対決にも大きな影響を与えた。保守党からみて入れ替わった議席は9勝10敗。労働党はもっと保守党の議席を奪えると踏んでいたはずだ。イングランドでの得票率で労働党は3.6ポイント、保守党は1.4ポイント伸ばしている。しかし議席増は労働党15、保守党21。なぜか。UKIPの得票率の伸びが7ポイント未満だった選挙区では労働党は保守党から6議席を奪ったが、14ポイント以上の選挙区では労働党は保守党から1議席も奪うことができなかった。UKIPの票が大きく伸びたところでは労働党の伸びは保守党を逆転するまでに至らなかったわけだ。

 

UKIPが保守党に単独過半数を与えた影の主役だった。それは保守党とUKIPの得票率の合計が60%近くに達していることからも明らかだ。右派分裂ではなく、左派が分裂した選挙だったのだ。古き良き時代を懐かしむ白人高齢者の富裕層より、EU域内からの移民に仕事を奪われていると感じている単純労働者や低所得者層の方が圧倒的に多い。保守党は低中所得層をターゲットにした住宅政策を打ち出し、選挙後の初閣議でも「働く人の政党」をアピールしてみせた。

しかし、18年ぶりとなる保守党の単独政権誕生は、勝者総取りシステムの単純小選挙区という19世紀の古びたプリズムを通して21世紀の民意が歪められた結果と言えなくもない。くすぶり続けるスコットランドの分離・独立問題、2017年末までに行われるEU残留・離脱を問う国民投票と、英国の形を足元から揺さぶる難問がキャメロン政権を待ち受ける。欧州から目を離せない状況が当分、続きそうだ。

 
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