知っているようで知らない
ロンドンに息づく
信仰と食のかたち

宗教と食のつながりは、世界の文化を映す確かな手がかり。多民族都市ロンドンには、信仰に沿った食文化が息づき、街の食卓にも独自の彩りを添えている。この特集では、東方正教会、ヒンドゥー教、イスラム教、ユダヤ教、の四つを取り上げ、食を通して見えてくる価値観や暮らしのリズムを探る。ロンドンの宗教人口比率も交えながら、この街の多様な食の風景を紹介しよう。
(文: 英国ニュースダイジェスト編集部)
参考: www.bbc.co.uk https://pro.nandemosake.com www.ons.gov.uk www.bda.uk.comほか
宗教と食の関係には、戒律、食材の選択、調理法、儀式食など、いくつかの普遍的な共通点がある。いずれも身体を整え、共同体をつなぎ、より良い生を送るための知恵として古くから受け継がれてきたものだ。
英国、とくに大都市ロンドンでは、こうした信仰に沿った食習慣が「特別な文化」としてではなく、日々の暮らしのなかに自然に溶け込んでいる。宗教的背景とは関係なく、ベジタリアンやビーガンの人々、あるいは単にその味が好きで宗教的背景を持つ惣菜を買い求める人も多く、宗教食は生活圏のなかで多様なかたちで受け入れられている。
友人や同僚の食習慣を知ることは、互いの背景を理解する小さなきっかけになり、日常の景色をより豊かにしてくれる。料理をきっかけに会話を交わせば、遠くの地域や宗教が驚くほど近く感じられる瞬間がある。ロンドン、そして英国には、そうした多様性と出会いがあふれている。この環境を生かし、食を通じて世界とつながる視点を広げていきたい。
ロンドン住民の宗教
2023年公表の国勢調査では、無宗教や宗教の無記名が34.1パーセントに達している。この傾向は、信仰をより個人的なものとして扱う都市の空気を映しているのかもしれない。こうした背景が、多様な宗教の食文化が日常に溶け込みやすい土壌になっている、という見方もある。

東方正教会
断食期間中は豆類・野菜

東方正教会は、主にギリシャ、ロシア、ウクライナ、バルカン諸国、中東の一部に信徒が多いキリスト教の一派。古くから続く礼拝と伝統を重んじ、「節制」「祈り」「断食期間」が信仰生活に深く結びついている点が特徴だ。食の規律も、心身を整え、神との関係を深めるための重要な実践とされている。
食に対する意識
東方正教会では、普段の食事では厳格な禁忌は少なく、断食期間以外は自由に食べることが認められている。ただし、年間を通じて多くの断食期間が設けられている。断食といっても完全な絶食ではなく、特定の食品を控える「節制の食事」を指す。目的は、欲望を抑え、祈りと慈愛に心を向けることだという。断食の厳格さは、信者や地域によって異なる場合があるものの、代表的な断食には、毎週水曜日と金曜日、イースター前とクリスマス前の約40日間に及ぶ長期のもの、8月の生神女就寝祭前の2週間の断食などがあり、信徒はそれぞれの時期に食の規律を守るとされている
禁じられている食材(断食期間中)
- 肉類
- 乳製品(動物性ミルク、チーズ、バターなど
- 卵
- 魚(ただし特定の日に許可される場合がある)
- オリーブ・オイル(一部の日に解禁される)
- アルコール
ギリシャ正教会の断食では、動物性食品は避けるのが基本だが、野菜や豆類、パン、オリーブ・オイルなどは広く食され、イカやエビといった一部の魚介類も「背骨がない」ことから許されている。小さな子どもや高齢者は断食の対象外とされる。一方でロシア正教会ではオリーブ・オイルも禁止されているなど、正教会の中でも違いがある。
断食中のメニュー
ここではロンドンで最も教徒の人口が多いといわれるギリシャ正教会のメニューを紹介する。
ファソラーダ(Fasolada)
白インゲン豆やトマト、唐辛子を使ったスープ

ドルマデス(Dolmades)
挽き肉や米などの具材をブドウの葉で包んで蒸し煮にしたもの

カラマリ(Calamari)
イカのフライラデラ(Ladera)
オリーブ・オイルで煮込んだ野菜料理ラガナ(Lagana)
表面に白ゴマが付いた平たいパン
ヒンドゥー教(Hindu)
純粋なベジタリアン

ヒンドゥー教は、世界で最も古い宗教の一つと考えられており、起源はおよそ4000年以上前にさかのぼる。現在、信徒数は世界で約10億人とされ、その多くは南アジアに集中しているが、世界各地にコミュニティーがある。英国では人口の約1.5%がヒンドゥー教徒であると回答しており、国内で3番目に大きい宗教集団となっている。
食に対する意識
ヒンドゥー教では、あらゆる生命を傷つけない非暴力、アヒンサー(ahimsa)という考えが非常に重要視されている。そのため、多くのヒンドゥー教徒は肉食を避け、菜食中心の生活を送っているとされる。また、サットヴァ(純質)、ラジャス(激質)タマス(鈍質)と呼ばれる性質によって食物の性格を分類し、心身を清浄に導くとされるサットヴァの食を重視する傾向がある。
禁じられている食材
地域やコミュニティーによる差異はあるものの、一般的に以下の食品が避けられる。
- 牛肉(牛は神聖視されているため禁食)
- 魚を含む多くの肉類(一般的にヒンドゥー教徒は完全菜食)
- 卵
- アルコール
- 玉ねぎ・にんにくなど刺激が強い食材(ラジャスやタマスを増すとされる)
特に牛は母性や大地の象徴として神聖視されているため、牛肉を口にすることは固く禁じられている。また、魚や肉・卵を避ける人も多く、牛を傷つけない乳製品はむしろ好まれる傾向がある。食品やスパイスはヒンドゥー教に関係なく普及し、英国のスーパーでも買いやすい。
ロンドン在住のD.Pさんに聞いた ヒンドゥー教徒の食習慣
ヒンドゥーの神話や教えでは、曜日ごと、さらには季節ごとに異なる穀物や豆類を食べる必要があるとされています。私たちは、何千年も前に作られた聖典から受け継いだこの習慣を、今でも熱心に守っています。買い物は、伝統的なインドの食材リストに基づくので、基本的に慣れた商品しか買いません。新しい商品を手に取る際には、ゼラチンやレンネット(動物由来酵素)が含まれていないか必ず確認します。職場の食事では、たいていベジタリアンのサンドイッチを選びます。宗教的には、ヒンドゥー教徒は「純粋な菜食主義者」です。卵も食べません。簡単に言うと、ヒンドゥーの信仰では「自ら生命を持つもの」を食べることを避ける傾向があります。
多くのヒンドゥー教徒が肉を食べないのは、純粋さや伝統のためだけではなく、心を穏やかに保ち、集中力や思いやりを育むとされるサットヴァな食べ物を重視しているためです。そのため、玉ねぎやニンニクのようにラジャスとされる食品は、特定の日には避けられることがあります。
イスラム教(ハラールHalal)
豚肉とアルコールを避ける
イスラム教は世界各地に信徒がいるが、とくにアジア、北アフリカ、中東に多いとされる。唯一神アッラーへの服従を説く一神教で、7世紀初頭に預言者ムハンマドが受けた啓示をまとめたコーランと、その言行録であるハーディス(Hadith)に基づいて信仰生活が営まれている。
食に対する意識
イスラム法シャリーア(Sharia)には、食事のマナーや食べてよい・悪い食品に関する規定が多く定められている。許されているものをハラール、禁じられているものをハラーム(Haram)と呼び、日々の食事はこの区分に沿って選ばれる。また、ラマダンの期間には日の出から日没まで飲食を断つ断食が行われる。水を含む一切の飲食を控えることで、節制と信仰心を深める時間とされている。
禁じられている食材
- 豚肉(ポーク・エキスやゼラチン、ラードなどのブタ由来の調味料や添加物も)
- イスラム法にのっとり屠殺されていない食肉
- アルコール
豚以外の肉は、アッラーの名を唱え、決められた方法で屠殺されたハラール・ミートであることが条件となる。また飲酒だけではなく、料理へのアルコール混入も禁止。さらに、地域や個人によって差はあるものの、うなぎ、イカ、タコ、貝類、発酵食品などに抵抗感を示す教徒もいる。なお、肉や加工肉はハラール認証が重要であるものの、中東食品は宗教に関係なく普及し、英国のスーパーでも買いやすい。

ロンドン在住のM.Mさんに聞いた イスラム教徒の食習慣
多くの人は、ハラール=単なる禁止事項のリストだと考えがちです。でも実際には、感謝、思いやりを大切にする食のあり方です。制限というより、日々の「体と心を養う行為」を高めるための指針、食事そのものが礼拝や感謝の行いになり得るという考え方でもあります。ロンドンは本当に多様なので、ハラールの選択肢を見つけること自体は比較的容易です。難しいのは、食材や調理方法が倫理的かつ健全であるかを確かめることです。また、多くの人がシーフードには特別な認証が必要だと誤解していますが、必要ありません。そして、ベジタリアン食であれば自動的にハラールだと思われがちですが、アルコール系のフレーバーなどが含まれる場合もあります。
ラマダン期間中は、シンプルかつ静かな心で向き合っています。夜明け前に栄養のある食事をとり、日中は無理のないペースで過ごし、日没後は職場でもデーツと水で断食を開けます。ラマダンは日常の瞬間に精神性をもたらしてくれるので、自然と負担ではなく力になっていきます。

ユダヤ教(コーシャKosher)
肉と乳製品は同時に取らない
ユダヤ教では、食に関わる規律が日常生活と密接に結びついている。これらの規律はカシュルート(Kashrut)と呼ばれ、モーゼ五書に書かれた律法やラビの解釈に基づいて受け継がれてきたものだ。規律を守った食品はコーシャといい、食の選択そのものが信仰と生活をつなぐ重要な実践になっている。
食に対する意識
コーシャを守るユダヤ教徒は、食材の種類だけでなく、屠殺方法、調理法、組み合わせにも気を配りながら日々の食事を選んでいる。とくに肉類と乳製品を一緒に食べないという規律は特徴的で、家庭やレストランによっては皿や調理器具を完全に分ける場合もある。ただし、どこまで厳格に遵守するかは個人やコミュニティーによって幅があり、現代のロンドンでも、厳格なコーシャ家庭から部分的に取り入れる人まで、実践の形はさまざまだ。
禁じられている食材
- 豚肉( ポーク・エキスやゼラチン、ラードなどのブタ由来の調味料や添加物も)
- 貝類・甲殻類などの魚介類(ヒレとウロコのないもの)
- ユダヤ教の戒律にのっとった屠殺方法で処理されていない肉
- 肉と乳製品を同時に摂ること(カトラリー、食器、調理器具も分ける)
- 血痕のある卵
肉類については、牛や羊をはじめとした、ひづめが割れている反すう動物だけが許され、鳥も特定の種類のみが認められている。いずれも、コーシャ専門の業者がユダヤ教の戒律に従い、動物に苦痛を与えずに屠畜し、血抜きなどの処理をしたものを利用。そうした商品にはコーシャ認証マークがついている。魚はヒレとウロコのある種類のみとされる。肉と乳製品は3~6時間あけて食せば問題はない。
コーシャ料理の食材
ユダヤ人には、大きく分けて東欧出身のアシュケナージと、南欧からスペイン、モロッコまでに広がる地域出身のセファルディムという二つのグループがあり、それぞれ食文化が違う。ここでは英国の一般スーパーマーケットのコーシャ売り場で入手可能な両グループの代表的食品を挙げる。
マッツァ(Matzah/Matzo)
クラッカー状の無発酵パン。過越の祭りに食べる

ゲフィルテ・フィッシュ(Gefilte Fish)
魚のすり身で、つみれのようなもの。瓶・缶で売られている

コーシャ・チキン(Kosher Chicken)
安息日のチキン・スープ用
フォルシュマーク(Forshmak)
刻みニシン。刻んだ固ゆで卵、タマネギ、リンゴを加え安息日の前菜に
コーシャ・ピクルス(Kosher Pickles)
キュウリを塩水、ニンニクやディルなどのハーブを合わせて発酵させたもので、酢は使われていない



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