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Tue, 01 September 2026

UCL創立200周年 英国高等教育の歴史大学は誰のために生まれたのか

英国の高等教育は、オックスフォードやケンブリッジに代表される中世の大学から、19世紀の新しい大学、そして20世紀以降の大学の大衆化へと、大きく姿を変えてきた。この特集では、ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)の創立200周年を機に、英国の大学がどのように門戸を広げ、社会の中でどんな役割を担ってきたのかをたどる。そして現在、大学に進学することには、どんな意味があるのだろうか。 (文:英国ニュースダイジェスト編集部)

参考: www.cambridge.org、https://about.ucl.ac.uk/ucl-timeline、www.ox.ac.uk/about/the-university/historyほか

そもそも大学の起源とは?

今でこそ大学は、義務教育や中等教育を経たその先にある学びの場として捉えられているが、最初期の大学はどのような存在だったのだろうか。西欧では11~12世紀、中世の都市化と学問の発展を背景に、現在の大学につながる教育・研究の共同体が形成されていった。

大学が成立する以前から、教会や修道院、司教座聖堂には聖職者を育成するための学校が存在していた。一方、11世紀以降、ローマ法の復興や医学・哲学などの学問の発展、都市の成長によって、高度な知識を学ぶ場への需要が高まった。こうした複数の流れを背景に、教師や学生が自ら共同体を形成し、特定の学問を専門的に学ぶ「大学」が生まれていった。

その代表が、法学で知られたボローニャと、神学・哲学などの中心地となったパリである。ボローニャ大学は、創立年を1088年とするのが慣例となっており、現在も西欧最古の大学とされる。ただし、明確な創立年が記録されているわけではなく、学生たちの自発的な組織から徐々に形成されたと考えられている。オックスフォード大学でも、1096年にはすでに教育が行われていたことが確認されている。

なお、イスラム圏にはそれより早くから高度な学問を行う教育機関が存在した。エジプトのアズハルは970~972年に建設・開設され、975年ごろには本格的な教育が始まったとされる。ただし、これを欧州の大学と同じ意味で「世界最古の大学」と位置づけるかについては、大学の定義によって見解が分かれる。

大学の学生像

中世の大学はラテン語で「ウニベルシタス」(universitas)と呼ばれた。これはもともと「全体」「共同体」「組合」などを意味する言葉で、現在の英語Universityやドイツ語Universitätの語源となっている。大学とは、最初から現在のような独立した校舎や組織を備えた教育機関だったのではなく、教師と学生が集まってつくる一種の共同体・組合だった。

12~13世紀の欧州では、都市化が進むとともに、教会や国家の運営に必要な高度な知識を持つ聖職者や法律家への需要も高まった。大学では、自由七科(リベラル・アーツ)、つまり、文法、修辞学、論理学、算術、幾何学、音楽、天文学を基礎に、法学、医学、神学などが学ばれた。パリでは神学、ボローニャでは法学が特に発達するなど、大学ごとに特色も生まれていった。

当時の学生の多くは聖職者身分と深い関係を持っていた。特にパリ大学では、教授・学生の多くが聖職者であり、学問を修めることは聖職者としてのキャリアや、法学・医学などの専門職への道にもつながっていた。また、中世の大学に集まったのは、必ずしも貴族の子弟ばかりではなかった。むしろ、都市の市民層や比較的裕福な農村出身者など、学問を通じて聖職者や法律家、医師などの専門職を目指す人々も多かった。身分社会のなかで、学問は出自とは別に、知識や資格によって社会的地位を得る一つの手段でもあったのだ。

転機は16世紀

英国の大学の性格が大きく変わっていくのは、16世紀以降である。宗教改革を経て、オックスフォード大学とケンブリッジ大学は英国国教会と深く結びつき、聖職者や国家の人材を育成する役割を強めていった。同時に、貴族やジェントリ層の子弟が両大学で学ぶようになり、大学は次第に上流・中上流層の教育機関としての性格を定着させていった。

16世紀の大学の様子を描いた銅版画16世紀の大学の様子を描いた銅版画

広がっていく大学

中世の聖職者や専門職を目指す人々から、貴族やジェントリ、そして女性や幅広い階層へ。英国の大学は、誰に開かれるべきかを巡って、時代とともにその役割や門戸を変えてきた。伝統的な大学に加え、19世紀以降、新たな理念を掲げる大学も次々と登場する。

中世~19世紀前半

中世以来、イングランドではオックスフォードとケンブリッジが長く大学教育の中心を占めてきた。その長い歴史のなかで、両大学は次第に国家を担うエリートの教育機関としての地位を確立していった。

University of OxfordUniversity of Oxford オックスフォード大学

オックスフォード大学

■ 創立: 1096年
■ 学生数: 2万6000人
■ カレッジ数: 43
■ 卒業生の英国首相: 31人
■ ノーベル賞受賞者: 76人
www.ox.ac.uk

英語圏で最も古い大学。明確な創立年はないが、1096年にはすでにオックスフォードで教育が行われていたことが確認されている。12世紀後半、欧州各地で大学が発展するなかで成長を続け、1167年には、ヘンリー2世が英学生のパリ大学への留学を禁じたことで、さらに発展したとされる。13世紀には現在のカレッジにつながる教育共同体が形成され、これを中心に学生の生活や教育を支える独特の制度が発達した。カレッジは寄付された土地や財産を基盤とする独立した組織として発展し、現在のオックスフォードを特徴づける制度となっている。

16世紀以降は貴族やジェントリの子弟も多く学ぶようになり、英国の政治・行政・宗教を担う人材を育てる教育機関としての性格を強めていった。英国の首相をはじめ、多くの政治家、官僚、聖職者、学者を輩出している。

現在は43のカレッジを擁し、長い歴史と伝統を持ちながら、世界有数の研究大学として国際的な教育・研究を担っている。

University of CambridgeUniversity of Cambridge ケンブリッジ大学

ケンブリッジ大学

■ 創立: 1209年
■ 学生数: 2万4927人
■ カレッジ数: 31
■ 卒業生の英国首相: 15人
■ ノーベル賞受賞者: 126人
www.cam.ac.uk

英語圏で2番目に古い大学。1209年、オックスフォード大学を離れた学者たちがケンブリッジに集まったことが大学の起源とされる。13世紀には最初のカレッジであるピーターハウスが設立され、その後、カレッジを中心とした教育・生活の仕組みが発展した。現在も31のカレッジと学部・学科からなる独特の組織を維持している。

16世紀以降は、オックスフォードと同様に貴族やジェントリの子弟が多く学ぶエリート教育機関として発展した。一方で、17世紀のニュートンをはじめ、ダーウィン、マクスウェルら、科学史に名を残す研究者を数多く輩出。20世紀にはDNAの二重らせん構造の解明など、自然科学・医学の分野でも世界的な研究拠点となった。英国の首相や政治家、文学者、科学者など、各界に多くの人材を送り出している。

現在は世界有数の研究大学の一つで、2万4000人を超える学生が学ぶ。大学とカレッジがそれぞれの役割を担いながら教育・研究を行う伝統は、800年以上を経た現在にも受け継がれている。

カレッジと学部はどう違う?

オックスフォード大学を例にとると、学生は専攻する学部・学科とは別に、ユニバーシティ・カレッジ、クライスト・チャーチ・カレッジなど、43あるカレッジのいずれかに所属する。カレッジはもともと中世の学生寮として発達したもので、現在は学生の居住や生活を支えるほか、少人数制の個別指導(チュートリアル)も担う。異なる分野を学ぶ学生が同じカレッジで生活するのも特徴だ。カレッジは学生自身が希望して出願することができるが、大学側が割り当てる場合もある。

ちなみにケンブリッジ大学のカレッジでは、トリニティー・カレッジ、キングズ・カレッジ、クライスト・カレッジなどが有名。カレッジごとに歴史や雰囲気、規模なども異なる。

パブリック・スクールって何?

イートンカレッジ

英国のパブリック・スクールは、名称から想像する公立学校ではなく、歴史ある私立の中等教育学校を指す。イートン校、ハロー校、ウィンチェスター校などが代表例で、もともとは寄宿制を中心に、男子の教育を担ってきた。

18~19世紀には、こうした学校からオックスフォード、ケンブリッジ(以下Oxbridge)へ進学し、卒業後に政治、行政、法律、聖職などの世界へ進むというエリート層の教育ルートが形成された。パブリック・スクールとOxbridgeがひと続きの教育システムとして機能したことは、両大学の社会的地位をさらに高める要因となった。こうしてOxbridgeは、英国の政治・社会を担う人材を送り出す機関としても地位を築いていった。

19世紀半ば~20世紀初め

19世紀、英国の大学は大きな転換期を迎えた。UCLをはじめ、従来の大学とは異なる理念を掲げた高等教育機関が登場し、大学は限られたエリートのための場から、より幅広い人々に開かれた教育の場へと変わっていった。

University College London (UCL) ユニバーシティー・カレッジ・ロンドン

ユニバーシティー・カレッジ・ロンドン

■ 創立: 1826年
■ 学生数: 約5万1000人
■ 学部・学科: 11学部
■ ノーベル賞受賞者: 33人
www.ucl.ac.uk

1826年創立。Oxbridgeが長く英国の高等教育を担っていた時代に、従来の大学とは異なる理念を掲げて誕生した。創立時は「London University」と称し、宗教による入学制限を設けず、より幅広い人々に高等教育を提供することを目指した。背景には、急速に成長するロンドンの中産階級の若者に、近代的な教育を提供しようという考えがあった。

1828年に最初の学生を迎えると、ユダヤ教徒、カトリック、非国教徒など、宗教上の理由からオックスフォードやケンブリッジで学ぶことが難しかった学生も受け入れた。また、法学、医学、化学、数学、工学、外国語など、社会の変化に対応した実用的・専門的な科目を重視した。医学教育では、34年にノース・ロンドン病院(後のユニバーシティ・カレッジ病院)を設立し、大学での医学教育と臨床を結びつけた。46年には同病院で英国初のエーテル麻酔による手術も行われている。法律家、医師、科学者、技術者など、近代社会を支える専門人材を育てる新しい大学の姿を示した。

女性の教育にも早くから道を開き、1832年には女性が授業を受けた記録が残る。78年には女性を正式に受け入れ、学位取得も認めた。こうしてUCLは、宗教や性別によって大学教育から排除されてきた人々にも門戸を広げ、英国の高等教育のあり方を変えていった。

なぜ女性は学位を取れなかった?

19世紀後半、オックスフォードやケンブリッジでは、女性のためのカレッジが設立され、女性も講義を受けたり試験を受けたりできるようになった。しかし、試験に合格しても正式な学位は与えられなかった。学位は単なる修了証ではなく、大学内での権限や政治的影響力にも関わる、大学の正式な構成員として認められることを意味していたためだ。

当時の大学は男性中心の制度であり、女性が同じ資格を得ることへの抵抗も根強かった。オックスフォードでは1920年、ケンブリッジでは48年になって、ようやく女性にも学位が授与されるようになった。女性に「学ぶ機会」を与えることと、「大学の一員」として認めることには、大きな隔たりがあったのである。

ロンドン大学の現在

17の高等教育機関からなる連合体で、世界190カ国以上から約4万人の学生が学ぶ。1836年の設立当初から、高等教育へのアクセスを広げることを理念の一つとしてきた。20世紀には通信による教育にも力を入れ、場所にとらわれず学べる高等教育の先駆者となった。現在も、構成校による対面教育に加え、世界各地の学生にオンライン・通信教育を提供している。構成校は以下の通り。

Birkbeck / Brunel University London / City St George's / Courtauld Institute of Art / Goldsmiths / King's College London / London Business School / LSE / London School of Hygiene & Tropical Medicine / Queen Mary University of London / Royal Academy of Music / Royal Central School of Speech and Drama / Royal Holloway / SOAS / UCL / University of London Institute in Paris / Royal Veterinary College

ロンドンに生まれた新しい大学の仕組み

UCLに続いて1829年には、英国国教会の伝統を背景にキングス・カレッジ・ロンドン(King's College London)が設立された。宗教的背景は異なるものの、両校はいずれも19世紀のロンドンで生まれた新しい高等教育機関だった。36年には、UCLとキングス・カレッジ・ロンドンを中心にロンドン大学(University of London 下記コラム参照)が設立された。ただし、現在の一般的な大学とは異なり、当初は独自のキャンパスで一貫した教育を行う大学というより、試験を実施し、学位を授与する機関としての性格が強かった。その後、ほかの高等教育機関も加わり、複数の教育機関からなる連合型の大学へと発展していった。

キングス・カレッジ・ロンドン

各地に広がる新しい大学

19世紀後半になると、UCLに見られたような従来の大学とは異なる高等教育の動きは、ロンドン以外にも広がっていった。産業化が進む地方都市では、地域の市民や産業界からの支援を受け、科学や工学など、社会や産業を支える人材を育てる高等教育機関が設立されるようになった。1851年に設立された、マンチェスター大学の前身となるオーエンズ・カレッジをはじめ、バーミンガム、リーズ、リヴァプール、シェフィールド、ブリストルなどにも大学へと発展していく高等教育機関が誕生した。

こうした動きは「市民大学運動」(Civic University Movement)と呼ばれ、大学を都市の発展や市民生活と結びつける理念を持っていた。これらの「大学カレッジ」は当初、独立した大学ではなく、ロンドン大学の試験によって学位を取得したり、複数の大学からなる連合大学に所属したりしていたが、20世紀初頭にかけて次々と独立した大学へと発展していく。これが後に「赤レンガ大学」(Red Brick Universities)と呼ばれる大学群である。

Oxbridgeとは異なる背景から生まれたこれらの大学は、地域社会や産業界との結びつきを持ちながら発展した。

大学進学の拡大

1960年代以降、英国では大学へ進学する人が急速に増え、高等教育は一部のエリートのためのものから、より多くの人が進学するものへと変わっていった。大学の数や学生数が増え、1990年代にはポリテクニックも大学へ移行。高等教育は大衆化の時代を迎える。

20世紀半ば〜

1. 大学に行く世代の登場

第2次世界大戦が終わると、英国社会は大きな転換期を迎えた。戦後生まれのベビーブーマー世代が成長し、1950~60年代には若者の人口が増加。戦時中に抑えられていた教育や生活水準の向上への期待も高まった。1945年に発足した労働党政権は、NHSの創設など福祉国家の整備を進め、教育もまた、社会的な機会を広げる重要な手段と考えられるようになった。

1944年教育法による中等教育の再編も進み、義務教育を終えた後も学ぶ若者が増えていった。一方、戦後復興から産業の高度化へと進むなか、科学者、技術者、教師、医師など、高度な知識や専門技能を持つ人材への需要も急速に高まった。大学は、一部の階層の子弟が進む場所から、社会全体に必要な人材を育てる場所へと、その役割を変え始めていたのである。

しかし、1960年代初めの高等教育はまだ少数者のものだった。1962年にフルタイムの高等教育へ進んだ若者は同世代の8.5パーセント、大学だけに限れば4パーセントにすぎなかった。大学へ進むかどうかは、家庭の社会的・経済的背景にも大きく左右されていた。

この時代、英国社会そのものも大きく変化していた。戦後生まれの若者が社会の中心へと成長し、音楽やファッションなどの新しい若者文化が広がる一方、ベトナム戦争や核兵器、社会階級などをめぐる議論も活発になった。大学生の数が増えるにつれ、学生たちもこうした社会の変化を担う存在となり、英国各地の大学で抗議活動や大学占拠などが起こった。大学は若者が社会のあり方を考え、既存の価値観に異議を唱える場所にもなっていった。

2. 能力があれば高等教育へ

こうした時代の変化を背景に、1963年に政府が「ロビンズ報告」(Robbins Report)を発表した。報告書は、高等教育は能力と適性を持ち、学ぶことを希望するすべての人に開かれるべきだという考え方を示した。

これは、単なる大学の定員増が目的ではなかった。戦後の英国で広がっていた、教育によってより多くの人に社会的な機会を開こうとする考えとも重なり、高等教育をより幅広い層に開いていく大きな転換となった。その後、大学の新設や定員の拡大が進み、大学へ進む若者は増えていった。大学卒業は、従来の上流・中上流層だけでなく、より幅広い家庭の出身者にとっても、専門職に就いたり、社会的な地位を高めたりするための道となっていった。

1960年代には、高等教育の拡大に合わせて、新しい大学も各地に設立された。1961年創立のサセックス大学を皮切りに、ヨーク大学、イースト・アングリア大学、ウォリック大学、ランカスター大学、ケント大学などが相次いで開学。いずれも中世以来の伝統を持つ大学とは異なり、現代的な教育・研究を掲げて設立された「新大学」(New Universities)である。こうした大学の多くは、主要な大都市や伝統的な学都ではなく、大学を持たなかった地域にも設けられた。多くの新大学には現代建築を取り入れたキャンパス型の設計が採用され、学際的な教育や新しい研究分野にも力を入れた。大学が戦後社会の新しい需要に応じてつくられるものになったことを象徴している。

3. 広がる「もう一つの進学ルート」

ただし、それでも増え続ける進学希望者を大学だけで受け入れることは難しかった。そこで重要な役割を担ったのが、工学、商業、デザイン、教育など、職業や産業との結びつきが強い教育を行っていたポリテクニックである。1960年代後半から各地に整備されたポリテクニックは、伝統的でアカデミックな大学とは異なる高等教育のルートとして、若者だけでなく、働きながら学ぶ人にも学習の機会を提供した。大学に進むことだけが「高等教育」ではないという選択肢が生まれたことも、戦後の教育の裾野を広げるうえで重要だった。

こうして大学やポリテクニックで学ぶことは、少しずつ特別なものではなくなっていった。学生の出身階層も広がり、大学は、親と同じ職業や社会的地位を受け継ぐためだけでなく、自身で専門や職業を選び、社会的な上昇を目指す場所でもあった。

4. 大学の役割も変わる

大学に求められるものも変化した。従来のアカデミックな大学が学問を追究し、国家や社会のエリートを育てることを主な役割としてきたのに対し、戦後の大学には、経済を支える人材の育成や、より多くの人に教育の機会を与えることが期待されるようになった。

一方、1980年代のサッチャー政権下では、公共部門に効率性や競争を重視する考え方が広がり、高等教育もその影響を受けた。大学は教育・研究の成果や資金の使い方、運営の効率性をこれまで以上に問われるようになり、政府の関与も強まった。長く大学の伝統として重視されてきた自治との関係も、次第に変化していく。

そして1992年、ポリテクニックなどが大学として認められたことで、高等教育はさらに大きく拡大する。戦後のベビーブーマー世代から始まった社会の変化は、やがて「大学とは、一部の伝統的なエリートが進む場所」という従来のイメージそのものを変えていったのである。

大学の卒業式

ポリテクニックから大学へ

1992年の継続・高等教育法(Further and Higher Education Act)によって、ポリテクニックは大学として独立し、自ら学位を授与できるようになった。その多くが19世紀以前にルーツを持つ学校・カレッジを統合してできたもので、実務・職業教育を中心とした教育機関だった。

代表的なポリテクニックの例

1992年以前の名称 1992年以降
Leeds Polytechnic Leeds Metropolitan University
→ 現 Leeds Beckett University
Manchester Polytechnic Manchester Metropolitan University
Sheffield Polytechnic Sheffield Hallam University
Thames Polytechnic University of Greenwich
Polytechnic of Central London University of Westminster

大学は「みんなのもの」になったのか現代の大学について知る9つのこと

かつては一部の階層に限られていた英国の大学教育は、戦後の拡大を経て、いまや多くの若者が進学するものとなった。大学の数も学生数も大きく増え、海外からも多くの学生が集まる。一方で、授業料、大学間の序列、家庭の経済状況による進学格差など、大学が広く開かれたからこそ生まれた新たな課題もある。現在の英国の大学はどのような姿になっているのか。九つのキーワードから見てみよう。

1進学率

—— 大学へ進む人はどれくらいいる?

かつては一部のエリートに限られていた大学進学は、戦後大きく広がった。政府統計によると、2025年、イングランドでは18歳の約3人に1人(32パーセント)が大学やカレッジなどの高等教育(Higher Education)へ進学した。さらに19歳までに見ると、約45パーセントが何らかの高等教育に参加している。

2授業料

—— 大学はいくらかかる?

1998年、ブレア労働党政権がそれまで学生本人の負担が原則なかった大学の授業料に、年間最大1000ポンドの授業料を導入した。その後、授業料の上限は次第に引き上げられ、イングランドの大学では現在、標準的な学部課程の授業料上限は年間1万ポンドに近い。授業料は大学の主要な収入源の一つとなっている。

3学生ローン

—— どうやって授業料を払う?

高額な授業料を支払うため、イングランドでは学生向けの公的ローン制度がある。在学中に全額を払う必要はなく、卒業後、所得が一定水準を超えると返済が始まる。ローンは所得連動型となっており、一定期間が過ぎて完済しなかった場合は残額が免除される仕組みだが、多くの卒業生にとって長期的な経済的負担となっている。

4大学の序列

—— 大学には「格」がある?

英国では大学間の序列が社会に深く根付いている。Oxbridgeなど歴史的に特別な地位を持つ大学を頂点に、研究力や入学難易度などによる評価も大学ごとに異なる。一方、大学にはそれぞれ得意分野や特色があり、同じ大学でも学部や学科によって強みは違う。大学選びでは、単純なランキングだけでは測れない違いも重要になる。

5留学生

—— なぜ英国には多い?

英国の大学には世界各地から学生が集まる。英語圏であることに加え、長い歴史を持つ大学や世界的な研究実績も魅力となっている。多様な文化や価値観が持ち込まれ、留学生は英国の大学を国際的な学びの場にする一方、留学生の授業料は国内学生より大幅に高く、大学財政とも深く結びついている。

6教育格差

—— 大学は本当に平等?

高等教育の門戸が大きく広がった一方、家庭の経済状況や親の学歴などによって、大学への進学率や進学先には依然として差がある。特に上位大学では、恵まれた社会的背景を持つ学生の割合が高いことが課題となっている。そのため、コンテクスト入試(Contextual Admissions)という仕組みが積極的に導入されている。

7キャリア

—— 大学は就職に有利?

大学は学問を学ぶ場であると同時に、職業への入口としての性格を強めている。専門職に就くために学位が必要な分野も多く、学生側にも、将来の就職や収入につながるかを考えて進学先を選ぶ傾向がある。一方、学位だけで安定したキャリアが保証されるわけではなく、大学の費用対効果も問われている。

8研究大学

—— 大学は何を研究している?

大学は学生を教育するだけでなく、新しい知識を生み出す研究機関でもある。英国には、医学、科学、工学、人文・社会科学など、莫大な研究予算や国際的なネットワークを持ち、幅広い分野で世界的な研究成果を上げる大学が数多く存在する。研究は大学の評価だけでなく、産業や社会の発展にも影響を与えている。

9大学の自治

—— どこまで守られている?

英国の大学は長く、政府や外部から一定の距離を保ちながら教育・研究を行う「大学の自治」を重視してきた。しかし1980年代以降、政府による資金配分や評価、質の管理などへの関与が強まり、大学の運営にも競争や効率性が求められるようになった。自治と公的な責任のバランスは、現在も議論が続いている。

 

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