ロンドンのヘソともいうべきソーホー地区に位置するチャイナタウン。
中華料理を食べたり格安のテレホン・カードを購入したりと、
この場所を頻繁に訪れる在英日本人も多いのではないだろうか。
今回の特集では、同じアジアからの移民として
ちょっと気になる同地区に関する情報を収集。
彼ら中国人移民が力強く生き抜いてきたその歴史を追いながら、
チャイナタウンにまつわる秘密を探ってみよう。(本誌編集部: 長野雅俊)
チャイナタウンを巡る6つの謎
● 英国のチャイナタウンはいつ頃どうやって出来たの?● チャイナタウンに人は住んでいるの?
● なぜロンドンのチャイナタウンってソーホーにあるの?
● チャイナタウンでの事業は中国人しか出来ないの?
● ロンドン以外にもチャイナタウンはあるの?
● 中国人は英国に何人いるの?
英国のチャイナタウンはいつ頃どうやって出来たの?
ー閉鎖社会が直面した差別ー

船員としてロンドン東部の波止場で
働く中国人移民たち
移民としての中国人の存在が、初めて英国で公式に記録されたのは18世紀後半。この頃から次第に大英帝国の植民地主義の象徴であり、当時のアジア貿易を独占していた東インド会社の船員としてカリブ諸国やインドからの移民が渡英するようになった。この移民の波に本格的に中国移民が加わったのは、アヘン戦争(1842~60年)が終了してから。麻酔作用を持つ薬物アヘンの密輸入をめぐったこの戦争に勝利した英国が中国を開港したことで広東省、上海からの中国人が船員として英国に渡って来るようになった。
国籍を問わず、当時の船員という職業は次の航海まで仕事がなく、ゆえにお金がなかった。東インド会社を通じて英国に流れ着いた移民は、海辺に一気に押し寄せた他国からの移民と共に、次の出航まで劣悪な環境に閉じ込められる生活に耐えなければならなかった。カリブ諸国では比較的キリスト教が浸透していたことなどもあって、同地域からの移民が英国人と交流する姿がしばしば見られたが、中国人にとっては英国文化との共通項が全く見つからない。言葉も文化も英国人とは全く違う中国人にとって、頼れるのは同胞のみ。その結果、中国人移民の間で後に「チャイナタウン」と呼ばれるコミュニティが自ずと構成されるようになった。
英国文化とは別の次元で生きる移民コミュニティを作ることで英国社会からは隔離され、このため同胞間での連帯意識は日増しに強固になるという循環を経て、チャイナタウンはひとつの確固とした存在として発展していくことになる。
チャイナタウンに人は住んでいるの?
ロンドンのソーホー地区に立つチャイナタウンには、人はほとんど住んでいない。これはもともと商業地区として始まった歴史と、ロンドン中心に位置するため現在では高騰した土地の値段を鑑みれば自然の成り行きとも言える。
なぜロンドンのチャイナタウンってソーホーにあるの?
ー戦後の英国で中華料理が流行した意外な理由ー

ロンドン東部の地名にはかつての
チャイナタウンの名残りが
19世紀の植民地時代に東インド会社の船員として英国に渡った中国人移民たちは、当初は海への出入り口となるロンドン東部テムズ河沿いのライムハウス地区にチャイナタウンを形成していた。しかしやがて海運業が凋落を見せたため、20世紀になると現地に住む中国人移民たちはクリーニング店を競って開業するようになった。資本が少なくても始められ、かつ日常的に需要があるこのビジネスに当時の中国人移民たちは飛びつき、1931年には中国人によるクリーニング店が英国に800店以上存在していたという。しかし自動洗濯機が発明されてクリーニング事業も衰退を見せるようになり、第二次世界大戦でロンドン東部が破壊的な打撃を受けると、ロンドン東部のチャイナタウンはほぼ壊滅する。
所が変わって1950年代の香港では、戦後タイやビルマから安価な米が輸入されるようになり、地元の農家が大打撃を受けた。このため仕事を求めた香港出身の中国人移民が英国に一気に流入。折しも英国では、大戦中に任務として中国を訪れた英兵士が帰還したことで国内における中華料理に対する興味が高まっていた。この頃の英国は急激な経済成長を遂げていたこともあり、この機会に目をつけた香港系の中国人移民たちは1960年代に一斉に中華料理のレストランや仕出し業の経営を始めた。彼らの多くは、当時はまだ売春宿が散在しており、土地の値段も極めて低かったソーホー地区に進出し、新たなチャイナタウンを形成するようになった。これが現在まで続いているロンドンのいわゆる「チャイナタウン」の原型であり、今では中国人だけでなく各国からの旅行客までもが集まる観光名所となるまでになった。
ライムハウス地区に出来た1955年当時のチャイナタウン(写真左)、ソーホー地区にある現在のチャイナタウン(同右)
今現在、英国に中国人は何人いるの?
英国に住む中国人は全部で推定25万人。そのうち8万人がロンドンに住んでいると言われている。その多くが香港から渡英しており、その他にカリブ諸国、台湾、マレーシア、シンガポールや中国本土出身の者も多くいる。一口に中国人といっても、世界各地から集まっているので正確な実態をつかむことはほぼ不可能であるという。
ロンドン以外にもチャイナタウンはあるの?
ーチャイナタウンの未来ー
英国のチャイナタウンは、何もロンドンのソーホー地区だけに存在するわけではない。リバプールやマンチェスター、バーミンガム、カーディフなどにおける海辺の地域ではそれぞれのチャイナタウンの歴史が刻まれてきた。例えば英国北部のリバプールでは、19世紀後半から船員としてやって来た大量の中国人移民が海辺に定住するようになったと伝えられている。また同じく北部のマンチェスターでは、1970年代には衰退した問屋業が密集する地域に、当時の中国人が一斉に移住。彼らが開店したレストランは繁盛し、チャイナタウンの形成へとつながっていったという。
さらに2004年にはロンドンにおいてケン・リビングストン市長がロンドン東部テム ズ・ゲートウェイに第2のチャイナタウンを建設する計画を発表し、現在その具体案につ いて検討されている。これは近年の中国本土における急激な経済成長に期待し、中国関連 のビジネスを引き込むことでロンドンの経済を活性化する狙いがあると見られている。どこにおいても中国人が集まれば中国人のためのビジネスが発生し、そこにチャイナタウンが自然発生的に出来るのだ。
チャイナタウンでの事業は中国人しか始められないの?
ソーホー地区のチャイナタウンでは、日本食レストランや英国人オーナーが経営するレストランも店舗を構えており、基本的には国籍を問わず誰でも事業を起こすことが出来る。しかし一方で、中国人以外の人間が事業を立ち上げる際は冷遇を受ける傾向があるとの報告も寄せられている。
「差別の対象となったチャイナタウン」
トム・ウェーラムさん
コミュニティ・海事史担当責任者
当時の中国移民の特徴として、彼ら特有の自助精神が挙げられます。中国人同士、お互い助け合うと いう精神が強かった。つまり彼らは英国社会に全く溶け込まずに生活していました。このため英国社会 の間では中国人は閉鎖的であり、謎の移民集団であるといった偏見が持たれるようになりました。
このような偏見が固定化すると、やがて中国人に関する都市伝説のようなものが生まれます。彼らと しては単なる習慣の一部に過ぎなかったアヘンを吸うという行為が悪魔の仕業のように伝えられました。また当時の中国移民のほとんどが男性であり、その中には英国人女性と結婚するケースもあったようなのですが、これが英国人男性の間に嫉妬を生み、チャイナタウンで英国人の女の子が誘拐されたなどという噂が広がる原因となったようです。
さらに当時の英国人の子供たちの間では、肝試しとしてお金を賭けて、チャイナタウンを走り抜けられるかどうか、という遊びまで流行っていたと聞きます。はっきりと言えば、これらの行為は中国人に対する差別であったと言い切っていいでしょう。
19世紀英国人作家が見た中国人

「アヘンの巣窟」でギャンブルを行う 中国人移民を描いた絵画。当時の英国人が中国人に対して抱いていた典型的イメージが表わされている。
中国人に対する偏見に関しては、歴史に名を残す英国人作家も抗うことが出来なかったようだ。特にアヘンを吸う習慣は堕落の象徴として受け止められており、アーサー・コナン・ドイル(1859-1930)によるシャーロック・ホームズ・シリーズのひとつ「唇のねじれた男」やオスカー・ワイルド(1854-1900)作「ドリアン・グレイの肖像」にはアヘンの巣窟(Opium Den)に関する描写が効果的に使われている。また「中国人は謎めいている」といったイメージも強固に持っていたようで、 チャールズ・ディケンズ(1812-1870)の最後の小説となった「エドウィン・ドルードの謎」には「巧妙で狡猾な中国人」という記述が見つけられ、またサックス・ローマー(1883―1959)は「怪人フー・マンチュー博士」という中国服に中国帽を被った、東洋人による世界征服を計画する人物を創作している。
| 1782年 | 中国人移民の船員が英国に上陸したと初めて公式に記録される |
| 1851年 | 国勢調査において78人の在英中国人が確認される |
| 1877年 | 英国に初めて中国大使館が開館する |
| 1902年 | ロンドン東部ポプラーに中国人経営によるクリーニング店が開業され、この頃から「チャイナタウン」という言葉が使用され始める |
| 1909年 | 英国で初めての中華レストランが開店する |
| 1937年 | 英国で初めての中国人学校がロンドン東部に開校する |
| 1961年 | ソーホー地区に初めての中国人市民センターが開かれる |
| 1983年 | チャイナタウンの中心にあるジェラルド・ストリートが舗装される |
| 2004年 | ケン・リビングストン市長がロンドン東部のテムズ・ゲートウェイに第2のチャイナタウン建設計画を発表 |
ロンドンのちょっと有名な中国人にインタビュー
在英中国人にとっての心のよりどころに
チャイニーズ・コミュニティ・センター館長
クリスティーン・ヤウさん

(写真上)中国式チェスを楽しむセンター利用者たち
(同下)チャイナタウンの一角に立つコミュニティ・センターの看板
私が働くこのコミュニティ・センターには、1日に平均150人もの在英中国人が訪れます。その中には英語を全く話さず、中国本土の地方出身の方などは、中国語でもコミュニケーションを取るのが難しいというケースさえあります。これらの多くが高齢者です。
彼らが渡英した頃は、とりあえず英国に来て、中華レストランを始めるということが出来ました。でも今は経済環境が全く違う。定年を迎えた人もいる。在英日本人の場合、駐在員という形で渡英していつかは日本に帰る人が多いような印象を持っていますが、在英中国人は一度来てしまうと後の一生をそのまま英国で過ごすというパターンが多い。だから長期的に彼らの生活をサポートする必要があるのです。コミュニティ・センターでは英語の授業や法律相談、給付金の代行申請といったサービスをすべて無料で提供しています。
実は今、ロンドンのチャイナタウンは変化を求められています。観光客を対象とした飲食店が増えたために、大量の生ゴミが排出されたり、路面が崩れたりといった問題が出てきたのです。これらの対策について検討するのも私たちの仕事であり、現在チャイナタウンのあちこちで舗装工事が進行しているのはこのためです。私自身、香港から20年前に渡英しレストランの経営者に落ち着いた移民の1人です。この決断については今でも後悔していますが(笑)。若者から大人まで、すべての中国人にとっての窓口になれるよう努めています。
Chinese Community Centre
2nd Floor 28/29 Gerrard Street
London W1D 6JP
Tel: 020 7439 3822
www.ccc.org.uk
早い、うまい、安いがウリ!
Wong Kei Restaurant 共同オーナー
リチャード・ドゥウォンさん

元々、Wong Keiとは中国語で「とっても混雑している場所」という意味です。客層は、国籍で分けると英国人、中国人がそれぞれ約25%。韓国人と日本人が15~20%ぐらいで、残りがそれ以外の国籍となるでしょうか。日本人のお客様は酢豚とかスクランブル・エッグ・ポークとかがお好きみたいで、よく注文されていますね。
当店ではとにかく価格を低く抑えるというのがモットーです。これを実現するためには、薄利多売、つまり回転率を早めるためにサービスの早さが求められます。お客が席を立たないうちに食器を片付けることもあるため「サービスが悪い」と憤るお客さんも少なからずいらっしゃいます。でもわかって欲しいのは、サービスの早さというのは私たちなりの誠意なんです。
ロンドンの物価の高さを嘆く学生は多い。そういう人たちにとっては、かしこまったサービスより、低価格とすぐに出てくる食事というのが何よりもありがたいのです。当店のメニューは、お客様がスーパーで食材を購入して自炊するよりも安い。だから食堂代わりに毎日通う方も多くいらっしゃいます。
今は亡き香港出身の初代オーナーが、この場所に当レストランを開業して約30年。チャイナタウンで最も古い店舗のひとつです。最近では、その昔英国に留学していた人の子供が親から「Wong Keiに通って食費を節約しろ」なんて言われて、また当店に通い出すなんていうありがたい現象も出てきています。とっても嬉しくなってしまいますね。
Wong Kei Restaurant
41-43 Wardour Street, London W1D 6PY
Tel: 020 7437 3071
チャイニーズ・エルビスとはこれいかに
Gracelands Palaceオーナー
ポール・エルビス・チャンさん

ロンドンで3つの中華レストランを経営しています。レストランにいらしてくれたお客様のために、エルビス・プレスリーの格好をして彼のヒット・ナンバーを歌うのが私の仕事です。
私がエルビスに目覚めたのは12歳ぐらいの時でしょうか。彼の歌は全て覚えています。彼は特別な存在なのです。歌詞のひとつひとつに特別な意味が込められている。エルビスを尊敬していて、とにかく好きで好きでたまらない。
実は私の出身地である香港でもレストランを経営して、エルビス・ショーをやっていました。でも香港のお客さんの間では、全くといっていいほど受けなかった。誰も僕が歌うエルビスに興味を示さなかったのです。この現実に失望して渡英を決意し、15年前にロンドンでもう一度挑戦することにしました。そうしたらエルビス・ショーが受ける。 英国のお客相手にエルビスやると、皆手を叩いて喜んでくれるんですよね。一緒に唄ってくれる人も多くいる。それだけでロンドンに来たかいがあったようなものです。
僕はソーホー地区のチャイナタウンにお店を持っているわけではないので、中華関連のビジネスに関してはコネがない。ずっと1人でやって来ました。
誕生日とか記念日とか、是非うちのレストランにお友達を連れて来てください。あなただけのためにエルビスの歌を捧げます。
Gracelands Palace
3, Cumberland Walk, Tunbridge Wells. Kent, TN1 1UJ
881-883, Old Kent Road, London SE15 1NL
331, The Broadway, Bexleyheath, Kent, DA6 8DT



パン柄トートバック販売中

1955年生まれ。長崎県出身。東京大学在学時に劇団「夢の遊眠社」を結成。92年、劇団解散後に文化庁芸術家在外研修員として1年間のロンドン留学を果たす。翌年93年に帰国後は、企画・製作会社「NODA・MAP」を設立。以降、プロデュース公演形式で数々の作品を発表し続けている。


THE BEE
舞台は70年代の日本。平凡なサラリーマン、イドは自分の留守中、こともあろうか脱獄犯に妻子を人質に取られてしまう。途端に騒ぎ立てるマスコミや警察。彼らの高圧的な態度、欺瞞に満ちたその本質に触れたイドは、次第に常軌を逸していく……。




スタッグ・ナイトとは、結婚を間近に控えた男性が、友人たちと開く独身最後のパーティーのこと。一方のヘン・ナイトは女性のみのパーティーを指す。四六時中コッコとやかましいニワトリの名を取っていることからもわかる通り、時には警察沙汰になるほどの大騒ぎとなる。このパーティーの費用を出すのは友人たち。結婚後も変わらぬ友情と、男性の場合は今後奥さんに財布の紐を握られてしまう新郎への労わりを示しているんだそう。


婚約と婚約指輪の起源は中世英国にまでさかのぼる。先程も説明した通り、中世英国の一般家庭において、独身女性は大切な働き手だった。その貴重な人材を失ってしまう家族に対して、新郎は対価を支払わなければならなかった。その対価を支払う期間が「engagement」だったのである。当時、金の指輪は通貨として使われていたため、金の指輪が対価として新婦側の両親に送られたという。これが婚約指輪の始まりと言われている。
日本では常に悩みの種となるご祝儀。そんな風習のない英国では、その代わりに新郎新婦が欲しいものを自分たちでリスト・アップし、招待客にはその中から選んでプレゼントしてもらうという習慣がある。それが「ウェディング・リスト」。英国には専門店も数多くあり、お祝いを贈る人は指定されているお店へ出向き、リスト・アップされているものの中から自分の予算に合ったものを選ぶことができる。このウェディング・リスト、予算によってピンキリで、上流階級の人たちはハロッズやセルフリッジ、お金に余裕のない場合にはなんとテスコのトイレット・ペーパー1年分、なんていうのまであるらしい。
日本では天井まで届きそうな巨大なウェディング・ケーキを見かけることもあるけれど、ここ英国のケーキは極めてシンプル。基本は3段重ね。一番下は結婚式に出席した人が食べる用、真ん中は出席できなかった人に贈る用、そして一番上は最初の子供の洗礼式まで取っておく。子供が生まれるまでという長期計画だから、日持ちするようにスパイスたっぷりのフルーツ・ケーキを使うのが英国流。日本人にはちょっと甘すぎるくらいだけど、英国人はみんなこのケーキが大好きなんだそう。
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1. 教会での結婚式
戸籍制度のない英国では、重婚を避けるために、まずは自分が独身であるという証明を役所に提出する必要がある。その上で誰も異論がなければ婚姻許可証を受け取ることができるのだ。その後挙式するのが結婚に至るまでの基本パターン。もともとローマ・カトリックを信仰していた英国が、英国国教会という独自の宗派を立ち上げたのは、時の国王ヘンリー8世が王妃と離婚するため。こんな背景を持つお国柄だけあって、他のキリスト教国と比べると、日常生活におけるキリスト教の浸透度はそれほど高くはない。また多民族国家である英国では、インド風の結婚式や、新郎と新婦の手を固く縛り付ける、ハンドファスティングというケルト起源の結婚式もある。最近は海外挙式を行う人も増えるなど、結婚式の多様化が進んでいるが、その一方で、やはり結婚式は教会でと考える人も多い。挙式と入籍が別々の日本とは異なり、挙式の瞬間が入籍となる英国では、結婚式はやはり神聖なもの。神の前で愛する人と誓いを交わしたいと思うのももっともかもしれない。

クリブデン - Cliveden
◆Hiromi Cherryさんウェディング・プロデュース会社
ハートウェル・ハウス - Hartwell House
ハイクレア・カッスル - Highclere Castle











コンサベーション・エリア



パーム・ハウスを手掛けた建築家バートンによる設計のテンペラート・ハウス。1859年に着工、途中政府による資金援助が滞るなどトラブルに見舞われ、完成までに実に30年もの月日を費やした。パーム・ハウスの2倍の面積(4800平方メートル!)を誇り、温帯植物を中心に展示している。







毎年7月の1週間だけ、ハンプトン・コート宮殿の敷地内を舞台に開催される「ハンプトン・コート・パレス・フラワー・ショー」。世界各国から参加申し込みが殺到し、700以上の出品者が自慢の花や植物を展示する。新人ガーデン・デザイナーによる展示を見たり、新種の苗を実際に買ったりするのも楽しみのひとつ。
毎年人気の部門
英国ならではの花といえば
花や植物を見るだけでなく、その背景にある英国のガーデニングの歴史に興味がある方には、「ガーデン・ミュージアム」がおすすめ。博物館自体はランベス・ブリッジ橋を南に渡ってすぐのところに建つ、セント・メアリー・アット・ランベス教会内にあり、そのいきさつがユニークだ。
英国人の庭は不思議がいっぱい
ガーデン・ノーム人形は元はドイツで発祥し、19世紀後半に英国に輸入されたもので、原型は粘土などで作られ彩色を施し、とんがり帽に白いあごひげをたくわえたおじいさんの形をしていた。しかし1960年代になると、プラスチック製で絵の具の塗りも粗雑な、質の悪いものが出回るように。それが原因でガーデン・ノーム人形は下品で趣味が悪いというイメージが付いてしまった。つい10年程前までは英国中の庭に500万体ものノーム達が見られたが、今となっては380万体に減少。売上げもブームの頃と比べて3分の1の年間300万ポンドに落ち込んでいる。現在ではデザインがハイテクであったりセクシーであったりとバラエティーに富んでいるが、よほどリバイバル・ブームでも起きない限り、売上げの減少傾向はさらに続くとのこと。 
ご存知英国の第73代首相。まだ若々しさを十分に残していた41歳の時に労働党党首に任命され、その3年後に政権を奪取。以来、9年間にわたって首相として君臨している。彼の特徴として、「神がかった」という表現が似合うほどのパフォーマンスの上手さが挙げられる。日本の政治家ではめったにお目にかかれない、凛々りりしくスマートないでたち。上品な言葉遣いと流暢な話し方に加えて、敵陣さえ笑いに誘う抜群のユーモアのセンス。そして何よりも、政策を訴える際に眩いばかりにキラキラと輝く両目。思わずうっとりして彼が何を言っても信じてしまいそうになる。
近年の英国経済の安定は、ブラウンの功績による部分が大きい。国債の発行を制限する緊縮財政で財政管理し、公定歩合を設定する権限を中央銀行に与えて市場の信頼を勝ち得た。さらにはアフリカ諸国への援助金捻出に奔走するなど、政治的貢献も果たしているのに、妖怪ぬりかべみたいなダミ声を出すものだから陰湿なイメージがまとわりついてヒーローになり切れない。
メディアからは「ブルドッグみたい」と形容される政界のお騒がせ男、ジョン・プレスコット。学生時代は落第したこともあり、政治家になる前は船乗りだったという異色の経歴を持つ。議員デビュー当時から破天荒な言動で物議を醸していたが、高齢になってもそのはみ出しぶりは衰えず、今でも国会の壇上に上れば文法一切無視の不明瞭な演説を行って、周りからの嘲笑の的となっている。ブレア首相が話している間も平気で居眠りこき、抗議目的で卵を投げつけた市民をグーで殴りつけて逆襲したこともある。こんな人が副首相なんていう肩書きを持てる英国の政治の世界って本当にすごい。そんな荒らくれ者のイメージばかりが強調されるが、実は分裂しがちな労働党を上手にまとめる親分として厚い信頼が寄せられているプレスコット。人災を起こすほど荒れたり、時には温かく党員を包み込んだり、ともかくとっても器の大きな海の男なのだ。
今、最も注目を浴びる女性政治家。イタリアのベルルスコーニ元首相の汚職事件に夫が関係していたとの報道で、一斉に脚光を浴びた。政治家としての立場も危うくなり「苦渋の選択」の末に、彼女は結局その夫と別れることを選んでひとまず解決。ああ、女にとって夫の存在ってそんなものか、と英国中の既婚男性に深い溜息をつかせた一件であった。メディアも汚職問題にかこつけて報道していたが、実際のところこの夫婦の愛憎劇の方に興味津々だったのだ。本業では2012年に開催されるオリンピックの開催地としてロンドンが選ばれたことで、オリンピック大臣にも任命されている。しかし競技場建設の深刻な遅れなどの問題が再三にわたって指摘されており、開催日が近付くにつれて今後猛烈に叩かれること間違いなし。その時に夫が再び現れて彼女を支える、なんて話も興味がある。
1997年に当選してからスピード出世を果たし、2004年暮れに教育相に任命され女性としては最年少で入閣を果たした。しかしその後まもなくして国内の学校に性犯罪の前科を持つ者が職員として多数採用されていた事実が発覚し、事態は急展開。憧れの内閣デビューを飾った途端に性犯罪者の対応に追われた。ここぞとばかりに野党やメディアは政府の管理責任を激しく追及。田舎臭さが漂うもっこりした髪に、バリトン並みの低い声を持つがゆえ不器用に映る彼女をここぞとばかりに叩きに出た。しかし彼女は毅然とした態度で記者会見に臨み、国民の理解を得ることに成功する。市民に卵を投げつけられても、ブレア首相が推進する教育改革で大忙しの毎日でも文句言わずにひたすら働く彼女。どんなにしごかれても明日へ向かって生きていく、そんな前向きな新入生を思い起こさせる。
インテリじみた話し方が少し気になる男。内相時代に犯罪者に対する厳重な取り締まりを掲げ、それまでの犯罪に甘い労働党、というイメージをうっちゃった。細身の体ながらも強気で威張っているストローだが、何せ明晰な頭脳を持つがゆえに市民の間ではすこぶる評判が良いという。イラク情勢やイランの核開発問題など、英国を悩ます中東問題が議題に上ると、ガサガサと昆虫みたいにしゃしゃり出てきては、記者会見上で顔の表情ひとつ崩さず対応する。それだけに、どうしても冷徹なイメージが付きまといやすいことも確かである。
剛毅な印象を与える北部独特の訛りと睨みを利かせた顔はやくざである。かつては共産党員だったこともあるほど豊富な経験を持つ彼には、保健相という意外な職歴がある。同ポストに任命された瞬間「保健相なんてやってられるか」と叫んだという逸話が残っており、きな臭い今のポストの方が似合うことは十分自覚しているのだろう。戦闘的なイメージばかりが際立つが、実は経済史の分野での博士号を持っている知性派。知識と風格、そしてファイティング・スピリットの3拍子揃った僧兵のような彼に集まる信頼は厚い。
雅で人畜無害なオバサマに見えて、実はかなりやり手の政界大ベテラン。かつてブレアそしてプレスコットと共に労働党党首の座を争ったこともあり、割と権力志向の強いタイプなのかもしれない。また大学時代には鉱石から金属を取り出して精製する過程を調べる冶金学者としての資格も取得しているという、根っからの地学オタクでもある。エネルギー源不足に悩む英国で再燃している原子力発電利用について論じる際に度々メディアに登場し、是非を問わない玉虫色の発言に終始してはお茶を濁している。
とっておきのいじめられキャラ。155センチの低身長に顔の面積の約3分の1を占める大きなメガネ。何を話しても必死で言い訳しているように聞こえる口調。挙げ句の果てに「無任所」なんて曖昧で中途半端な肩書きを持つ彼、もう一つのポストである労働党委員長なんて、他に誰もいないから無理やりやらされているという構図がはっきりと見て取れる。が、15歳でストライキを指揮したという実績を持つ彼を侮ってはいけない。決して人々の信頼を裏切らない彼がいるからこそ、現内閣を支援するという議員も多数いるのだ。
かつて家庭生活を優先したいがために議員デビューを遅らせたことがあるという、オヤジたちが泣いて喜びそうなエピソードを持つヒューイット。さらに保健相とくれば柔和なイメージばかりが膨らむが、実は札付きの剛腕フェミニストでもある。男性の部下をクビにして無能な女性を雇い、男女差別法に触れると訴えられて敗訴したこともあるくらいだ。また国家破壊活動に従事しているとの疑いで国内の諜報機関MI5に追跡されたこともある。現政権では吹けばほこりが飛び散る国家医療制度(NHS)について弾劾追及される毎日を過ごしている。
仙人のような白い口ひげが特徴の舌鋒家。テロ問題で揺れる英国の治安対策では、その強気な姿勢が功を奏している。というのも、2005年の同時多発テロ発生以降、IDカード導入や反テロ法成立など国家の管理強化に危機感を強めるリベラル知識人が数多くいる中、彼らを「害毒」呼ばわりして蹴散らしているからだ。かと思えば、国外追放の対象である外国人犯罪者が内務省の不手際で大量に釈放されていたことが判明し、各方面から糾弾されると結構しどろもどろだった彼。所詮は空威張りしていただけなのかもしれない。




ロンドン地下鉄駅などで配布している無料紙。1999年の創刊後、都市に住む若い人たちの間で人気を博し、今では12都市で170万部の部数を誇るようになった。地下鉄利用客が電車の中で楽しめるようにと、20分で全ページを読み通せるぐらいの平易な文章で記事が書くのがモットー。英国での出来事を浅く広く押さえるには最適の媒体。
書籍や雑誌の保存なら世界一を誇る大英図書館の一部であり、新聞に特化した資料館がここ。英国内にある新聞資料はとにかく何でも揃えてあって、調査活動には最適。館内には研究室のような暗い部屋で、マイクロフィルムに保存された過去の新聞を見つめる人たちがいっぱいいる。日曜日を除く日の10~17時開館。
金融街シティと劇場が立ち並ぶエンターテイメントの聖地コベント・ガーデンの間にある道。近年までこの通りに多くの大手新聞社がオフィスを構えていた。近くには「Printer's Devil」などという看板を持ったパブがあり、当時は飲んだくれ、かつ気骨のある新聞記者たちの溜まり場になっていたという。
プレゼントとしての新聞を扱うユニークな機関。異なる年代におけるそれぞれの日付を持った新聞をもれなく保存しているので、例えば友達の誕生日に発行された新聞をここで購入してプレゼントすることができる。自分が生まれた日に英国ではどんな出来事があったのか、誰が死んだのかなど、興味をそそられるはず。
スコットランド
スコットランド出身の有名人と言えばずばりこの人、ユアン・マクレガー。いまや英国を代表する人気俳優ユアンはスコットランド出身であることに誇りを持ち、映画のプレミアに民族衣装のキルト(お馴染みのタータンチェックのスカートである!)を着てくるほど。言葉の節々にスコットランド訛りも健在だ。一方、元祖スコットランド出身俳優と言えばショーン・コネリー。彼の場合はどんな役を演じていてもアイルランド訛りが残ってしまうということで、映画専門誌「エンパイア」の「訛りの下手な俳優」アンケートでは、栄えある1位に輝いている。
北西部
北西部にはリバプールが含まれている。こう言えば誰もが思い出すのがリバプール出身のビートルズだろう。意識的に訛りを取ろうと努力していたポール・マッカートニーに対し、ジョージ・ハリソンはかなり長い間リバプール訛りが抜けなかったようだ。ボーカルを取った時でも訛りは全開だったというから、北西部訛りを勉強したいならジョージの歌を聞いてみては?
北東部
英国内で爆発的人気となった映画「リトル・ダンサー」。この映画の主人公、ビリーを演じたのは、役柄同様北東部ビリンガム出身のジェイミー・ベル。現在は俳優の仕事で米国に滞在することも多く、かなり米語のアクセントも会話に混じるようになった。一方、先日オリビエ賞を受賞し、目下ウエスト・エンドで人気ナンバー・ワンとなっているミュージカル版では、現在も北東部訛りがしっかりと受け継がれている。映画の監督も務めた演出家のスティーブン・ダルドリーいわく、ビリーを演じる上で「完璧な北東部訛りは必須」。いかに訛りが北部の生活を描く上で大切な要素なのかがうかがえる。
北中部
上流階級臭をぷんぷん漂わせているサッチャー元首相。実は彼女、北中部リンカンシャーの労働者階級の出身だった。学生時代に徹底的に発音の特訓を受け、見事RPを話すようになったのだが、議会でも激昂するとつい本来の北部訛りが出てしまい、冷笑されていたとか。
ウェールズ
ご存知BBC1の大人気コメディ「リトル・ブリテン」。その中の人気エピソードに、自分が町で唯一のゲイであることを誇りに思い、他のゲイをどうしても認めようとしないダフィドという人気キャラがいる。このダフィドが住んでいるのがウエールズの「フランデュイ・ブリッフィ」(Llanddewi Brefi)という町なのだ(ちなみにこのllの発音はウエールズ語でも最も難しいらしい)。ウエールズ出身の有名人で、世界的に有名なのは、アンソニー・ホプキンスやキャサリン・ゼタ・ジョーンズ。両者に共通しているのは、さまざまな訛りを使い分けて英国のみならず米国でも活躍していること。自分たちの訛りに誇りを持っているはずのウエールズ人が、華麗に訛りを使い分けるというのも面白い話だ。

英国サッカー界の貴公子、ご存知ベッカム。マンチェスター暮らしが長い彼だが、ロンドンの労働者階級出身のベッカムが話す英語はコックニーだ。独特の高音ボイスと相まって、実に味のある英語となっている。彼のインタビューを聞くと、確かに「three」が「free」、「another」が「anover」と聞こえる。米国映画「メリー・ポピンズ」では、コックニー を話す煙突掃除人バートの役を米国人のディック・バン・ダイクが演じた。演技自体は絶賛を浴びたのだが、訛りに関しては非難轟々。ショーン・コネリ-が1位だった「エンパイア」誌の「訛りの下手な俳優」アンケートでは、第2位に選ばれてしまった。
美しく正しい英語と認識されているだけに、テレビや映画で活躍する英国の有名人の多くがこの容認発音を使っている。昔ながらの美しい発音で言うならば、アカデミー賞女優のエマ・トンプソン。シェイクスピア作品にも数多く出演している彼女の発音は、まさに正統派クイーンズ・イングリッシュ。一方ポッシュな中にも現代的な雰囲気を漂わせているのはヒュー・グラント。もともと上流階級出身の彼はインタビューの際、皮肉たっぷりにスタッカートを聞かせて口撃してくるのでよく知られている。また米国人俳優が英国アクセントを話すことにあまり好意的でない英国人だが、「スライディング・ドア」のグイネス・パルトロー、「ブリジット・ジョーンズの日記」のレニー・ゼルヴィガーの発音は、なかなかというお墨付きをもらったようだ。
完全な河口域英語ではないが、言葉の端々にそのアクセントがみられたのが、故元ダイアナ妃。上流階級出身の彼女の英語は基本的にはRPだったのだが、「t」がなくなってしまう癖があったようで、エリザベス女王もそれにはお冠だったとか。また明晰な発音をすることで知られるブレア首相。彼はスコットランド出身だが、幼い頃から英才教育を受け、オックスフォード大学で学んだため標準的な英語を話す。通常なら完全なRP、と思いがちだが、一般市民の味方、労働党党首として会話のところどころに河口域英語を取り混ぜている。さすがは政治家、アクセントも選挙活動のうち!?









英国で最も偉大な作家の1人として、今も文学界に燦然と輝くシェークスピアの存在。シェークスピアがここまで英国人に愛される理由は何だろうか。劇作家としての彼を、演劇という側面から探ってみよう。


RSCは、シェークスピアの生誕地、ストラトフォード・アポン・エイボンにある3つの劇場、ロイヤル・シェークスピア、スワン、ジ・アザー・プレイスを拠点に活躍する、英国を代表する国立劇団。設立は1879年、その後1960年に現在のRSCが形成された。現在ではあくまでシェークスピアを中心にしながらも、その他の古典や現代作品も幅広く扱っている。
RSCより正式招待を受け、日本を代表する演出家、蜷川幸雄が本フェスティバルに参加することが決定! 上演作品は「タイタス・アンドロニカス」。シェークスピア全作品の中でも最も残酷と言われている戯曲だ。ローマ時代に帝位継承権を巡って争う人々の姿を描いたこの復讐劇は、これまであまり上演されていないが、人種差別や人の欲望、絶えることのない争いを赤裸々に描いたこのストーリーは現代社会にも通じるものがあると蜷川は語っている。日本人演出家と役者がつくり出すシェークスピア劇。本場ストラトフォードで観られるこの機会、是非お見逃しなく!
人気テレビ・シリーズ「スタートレック」の船長で日本でも人気のパトリック・スチュワート。実は彼、元々RSC出身。RSCで培われた惚れ惚れするような姿勢の美しさと、正統派の発声は、シェークスピアを演じる上での必須要素と言える。演じるのは「アントニーとクレオパトラ」と「テンペスト」。特にテンペストはシェークスピア晩年の作にして最後の戯曲と言われている傑作の1つ。この機会にチャレンジしてみては?
映画「恋に落ちたシェークスピア」でエリザベス女王を演じ、アカデミー賞助演女優賞を獲得した名優ジュディ・デンチ。実は彼女もここRSCの出身者の1人なのだ。今回彼女が演じるのは、何とミュージカル版「ウィンザーの陽気な女房たち」。軽妙に歌って踊る彼女が観られるのだろうか? 乞うご期待。
そしてもう1人のRSC出身の大物、ガンダルフことイアン・マッケランも今回「リア王」に出演することが決まっている。リア王と言えば、シェークスピアの四大悲劇の中でも特にスケールが壮大なことで知られる名作。かつての暴君が老い、裏切られ、絶望の淵に追いやられる様を、マッケランはどのように演じてくれるのだろうか。




飲茶名人 パトリックさん
飲茶の習慣の始まりは定かではありませんが、一説によるとシルクロードだと言われています。まず、長旅に疲れた旅人のための休憩所ができ、そこでお茶が振る舞われたようです。しばらくすると、その近辺に暮らす農夫たちもお茶を楽しむために休憩所に集うようになりました。賑やかになったその休憩所で、お茶だけでなく軽食も出し始めたのが飲茶の原点と伝えられています。
点心師 Po Ming Hoさん





















