ニュースダイジェストの制作業務
Tue, 17 March 2026

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ロンドンの一等地を握る英国貴族4つの名家

チェルシーもメイフェアも、ぜーんぶ彼らの所有地! ロンドンの一等地を握る
英国貴族4つの名家

メイフェア、チェルシー、マリルボーン、オックスフォード・ストリート……。全て名士や有名人たちが住む豪邸や、一流ホテルまたは高級ブランド店、さらには大型デパートなどが並ぶロンドンの一等地だ。街中を歩けば思わずため息が出るほどの建築物が並ぶが、実はこれらの土地の大部分は、たった4つの貴族階級に属する名家によって所有されているということを皆様はご存知だろうか。外国人や外国資本が大量に流入し、国際色の豊かさが強調されるロンドンにあって、その一番輝かしい部分を牛耳っているのは、古くから代々伝わる由緒正しい一握りの貴族たち。在英邦人がなかなか気付かない、階級社会の影響がいまだ色濃く残っていると言われる英国の一面に迫る。(文:長野 雅俊)

ロンドンの地主

ニュースダイジェストの代行執筆・取材

Mayfair & Belgravia 20代の若き公爵が見守る
メイフェア、ベルグラビア地区

高級紳士服の仕立屋が並んだサヴィル・ロウ、アンティーク・ショップを内包するロイヤル・アーケード、さらには王立芸術院「ロイヤル・アカデミー・オブ・アーツ」などが存在するメイフェア、ベルグラビア地区。ロンドン屈指の高級住宅街と呼ばれるこの区域の開発は、340年以上も前からグロブナー家と呼ばれる富裕貴族が担っている。

超高級ホテルのクラリッジズ超高級ホテルのクラリッジズ

この土地の代々の所有者

グロブナー家(1677年~)

ヒュー・ルーパス・グロブナー

1677年、当時グロブナー家の長男だったサー・トマス・グロブナーが、ロンドンに数百エーカーの土地を所有していた荘園領主の娘メアリ・ディヴィスと結婚し、多くの資産を得る。この資産を利用して18世紀前半にグロブナー・スクエアを中心とした街づくりが開始され、現在のメイフェア地区が出来上がった。またグロブナー家は19世紀、ヒュー・ルーパス・グロブナーのときにウエストミンスター公爵の爵位を授与され、代々同家の長男に受け継がれている。(右写真:19世紀後半を生きた初代 ウエストミンスター公爵、ヒュー・ルーパス・グロブナー)

現在の所有者

ヒュー・リチャード・ルイ・グロブナー
Hugh Richard Louis Grosvenor

ウエストミンスター公爵

爵位: ウエストミンスター公爵
7th Duke of Westminster
経営する会社: Grosvenor Group www.grosvenor.com
資産: 推定101億ポンド(約1兆3500億円)
所有している土地の面積: メイフェア地区に100エーカー(約12万坪)、ベルグラビア地区に200エーカー(約24万坪)ほか

米国、オーストラリア、日本など世界各国でビジネスを展開していた第6代公爵の死去に伴い、2016年に総資産を相続し若くして世界有数の大富豪になった第7代ウェストミンスター公爵ヒュー・グロブナー氏。30歳未満の世界長者番付でトップの地位は今も維持している。その若さから、会社は家族経営のスタイルに変更。いまだ独身のため、各国の上流階級の令嬢から狙われている。

メイフェア(写真左)高級店がひしめくオールド・ボンド・ストリートのアーケード
(同右)紳士服の仕立屋が密集したサヴィル・ロウ

ニュースダイジェストの代行執筆・取材

Chelsea & Knightsbridge ハンズ・スローン卿の遺産を受け継ぐ
チェルシー、ナイツブリッジ地区

センスの良いセレクト・ショップが集まる高級住宅地チェルシー。そこから北へ数十分ほど歩くとシャネル、アルマーニなどの一流ブランド、さらには高級デパートのハロッズが立ち並ぶナイツブリッジに到着する。これらの街では、大英博物館の創設に貢献したハンズ・スローン卿の遺産を受け継いだカドガン家が権勢を振るっている。

高級デパートの代名詞、ハロッズ高級デパートの代名詞、ハロッズ

この土地の代々の所有者

カドガン家(1753年~)

ウィリアム・カドガン伯爵

大英博物館の創設に大きく貢献した収集家で自然科学者のハンズ・スローン卿が1753年に死去した際に、それまでスローン家が所有していたチェルシー区域の広大な土地を娘2人が相続。そのうちの1人であるエリザベスがカドガン家に嫁ぎ、エリザベスの死後にカドガン家へと受け継がれた。もう1人の娘であったサラの相続分も、やがてカドガン家が吸収。19世紀前半にはチェルシー地区の人口が急激な伸びを見せて、現在に至っている。
(右写真:17~18世紀を生きたカドガン家の名士、ウィリアム・カドガン伯爵)

現在の所有者

チャールズ・カドガン
Charles Cadogan

爵位: カドガン伯爵 8th Earl Cadogan
経営する会社: Cadogan Estate Ltd www.cadogan.co.uk
資産: 推定68億ポンド(約9122億円)
所有している土地の面積: チェルシー地区に93エーカー(約10万坪)ほか

グッチ、シャネルといった高級ブランドからトム・フォードなどの比較的新しいブランドまで、一流のブランド店を呼び込んでチェルシー、ナイツブリッジ地区を高級住宅街へと変貌させたカドガン・グループ。一方で携帯電話の端末販売店や、ファストフードのチェーン店などの進出には厳しく制限をかけてほかの繁華街とは一線を画した街づくりを進めている。またカドガンの名前を冠したホテル、ホールの運営も行っている。

カドガン・ホールカドガン家が保有するカドガン・ホテル(写真左)とカドガン・ホール(同右)

Marylebone & Harley Street 女性たちが受け継いできた街
マリルボーン、ハーレー・ストリート周辺

世界的知名度を誇るマドンナやポール・マッカートニーといった有名人が邸宅を持つことで知られるマリルボーン地区。そして高額だが腕利きのプライベート・ドクターが集まるために、この地に診療所を構えることが医師として一流の証と見なされるまでになったハーレー・ストリート。貴族同士の結婚を通じて、さまざまな名家が所有してきたのがこれらの土地だ。

ウィグモア・ホールコンサート・ホールとして有名 なウィグモア・ホールが立つウィグモア・ストリート周辺の土地も、ハワード・ドゥ・ウォールデン家の所有となっている

この土地の代々の所有者

ハワード・ドゥ・ウォールデン家(1879年~)

トーマス・ハワード

18世紀初頭まで莫大な資産を持つホールズ家が所有していた地域だが、その後はハーレー家、そしてポートランド家へと、名家の娘や姉妹への遺産相続を通じて所有者は移り変わっていった。1879年に5代目ポートランド公爵が死去した際にも、妹が6代目ハワード・ドゥ・ウォールデン男爵の未亡人になっていたことから、土地は同家の管轄下に。またこの頃から、ハーレー家の名前が残るハーレー・ストリートに病院施設が集中するようになった。(右写真:トーマス・ハワード、初代 ハワード・ドゥ・ウォール デン男爵(1561-1621))

現在の所有者

メアリー・ヘーゼル・ツェルニーン
Mary Hazel Czernin

爵位: ハワード・ドゥ・ウォールデン女男爵 10th Baroness Howard de Walden
経営する会社: The Howard de Walden Estate www.marylebonevillage.com
資産: 推定46億ポンド(約6170億円)
所有している土地の面積: マリルボーン・ハイ・ストリート周辺に92エーカー(約10万坪)ほか

9代目ハワード・ドゥ・ウォールデン男爵の死後、激しい遺産争いの末に娘メアリー・ヘーゼル・ツェルニーン氏が2004年に遺産を相続した。本人がカトリック教信者のため、ハーレー・ストリートにおいては中絶を施行する病院の設立を阻んだり、さらには整形医療などを行う医療施設に対して厳しく制限をかけていると伝えられている。またマリルボーン・ハイ・ストリートには現在ファッショナブルな店が集まっている。

マリルボーン・ハイ・ストリートおしゃれな店舗が並びつつ、ビレッジ感も残すマリルボーン・ハイ・ストリート

ハーレー・ストリート一流の医師たちが集まるハーレー・ストリート

Oxford Street 欧州最大のショッピング街
オックスフォード・ストリート周辺

セルフリッジ、ジョン・ルイス、ハウス・オブ・フレイザーといった巨大デパートが乱立するオックスフォード・ストリート。休日には買い物客でごったがえすため、まともに歩くのさえ困難になるほど、ロンドンで最もにぎわいのあるショッピング街だ。またクリスマス期間中には華麗なイルミネーションを照らすなど、常に注目を集めるショッピングのメッカとなっている。

オックスフォード・ストリートロンドンで一番のにぎわいを見せるオックスフォード・ストリート

この土地の代々の所有者

ポートマン家(1532年~)

Edward Berkeley Portman

英国国教会の創設者として有名なヘンリー8世王制下の裁判所首席裁判官だったサー・ウィリアム・ポートマンが、1554年に270エーカー(約32万坪)にも及ぶ広大な敷地を購入。当時は主に農地として活用されていたが、18世紀中ごろから開発が進み、中流階級の邸宅や、労働者のためのアパートなどの建設が始まった。1900年代後半からはオックスフォード・ストリートやベーカー・ストリート界隈の開発に力を入れるようになった。
(右写真:初代ポートマン子爵となったエドワード・バークリー・ポートマン)

現在の所有者

クリストファー・エドワード・バークリー・ポートマン
Christopher Edward Berkeley Portman

爵位: ポートマン子爵 10th Viscount Portman
経営する会社: Portman Estate www.portmanestate.co.uk
資産: 推定20億ポンド(約2846億円)
所有している土地の面積: オックスフォード・ストリート周辺に110エーカー(約13万2000坪)ほか

オックスフォード・サーカス区域を中心に多数の不動産物件を扱うポートマン・エステイトは、現オーナー、第10代ポートマン子爵が1999年に事業を受け継いでから事業形態を刷新。それまでの借し出していた物件などを一気に買い戻した後に、8000万ポンド(約107億円)に及ぶ費用を注ぎ込んだ改築工事を実施するなど、大規模な再開発を行った。このため、同地区の家賃は毎年上昇を見せているという。

セルフリッジズオックスフォード・ストリートにある大型デパート、セルフリッジズ

 

意外な手洗いの話 - 新型コロナウイルス感染対策の基本、手洗いの歴史

新型コロナウイルス感染対策の基本 意外な手洗いの話

日常ですっかり習慣化されている手洗いだが、ウイルスから身体を守るのに有効な手段だと認識されたのは案外最近のことらしい。新型コロナウイルス感染防止に一役買っている手洗いにまつわる小ネタを集めてみた。

手洗いの話

衛生的な手洗いの歴史は比較的新しい

手を洗う行為自体は、古代から複数の宗教の中に存在してきた。ユダヤ教では食事の前や帰宅後に、イスラム教では礼拝の前に手を洗う。神社を参拝する前に手水舎(てみずや・ちょうずや)で手を洗う作法と同じで、そのどれもが身を清めるための儀式にとどまり、衛生的手洗いとはかけ離れたものだった。「手に付着した何かが感染症を引き起こす」という仮説が生まれたのは実は1840年代に入ってから。残念ながら当時はまだ細菌学が確立される前であり、提唱者であるハンガリー人医師、センメルヴェイス・イグナーツ・フュレプ(1818~1865年)の先進的な考え方はなかなか理解されなかった。

センメルヴェイス・イグナーツセンメルヴェイス・イグナーツ・フュレプ博士。最後は精神病院で亡くなった

センメルヴェイス・イグナーツの早過ぎた発見

1846年、オーストリア帝国のウィーン総合病院・第一産科で働いていたセンメルヴェイスは、産後に発熱が続く産褥熱による産婦の死亡率の高さが、同院の第二産科に比べ著しく高い原因を知りたかった。恐ろしいことに、この時代はミアズマと呼ばれる気体が病気を蔓延させると信じられていたため、死体解剖を行った医師が手を洗うことなくお産に立ち会うことはごく当たり前に行われていた。

ある日センメルヴェイスの同僚が産褥熱で死亡した患者の遺体の検体解剖を行った際に指を傷つけてしまい、その後産婦と似たような症状を発し死亡してしまう。これを見て「死体の粒子が産婦を汚染しているのでないか」と仮説を立てたセンメルヴェイスは、解剖台の臭い消しに塩素消毒が使われていることにヒントを得て、次亜塩素酸カルシウムで手の消毒を実行。結果死亡率が大幅に下がったものの、中・上流階級出身の医師集団にとって「自分の手が汚い=貧困層のようだ」という事実は受け入れがたく、センメルヴェイスは医学界から追放されてしまう。

奇しくもセンメルヴェイスが亡くなる19世紀半ばごろは、ルイ・パスツール、ロベルト・コッホ、英外科医のジョセフ・リフターなど欧州各地で学者・医師が見えない敵に対し独自のアプローチを行っていた時期でもあった。医療業界にはびこる常識が科学的根拠によって打ち砕かれたのは1890年代に入ってからで、手洗いは医療現場から一般市民へと広がっていく。

産褥熱の死亡率の推移センメルヴェイスの著作をもとに作成した、第一産科における産褥熱の死亡率の推移。センメルヴェイスが塩素消毒法を導入した1847年5月半ば(赤線)から明らかに低下している

新型コロナウイルスには手洗いが有効

先人が生きていた時代と異なり、現在はマスクや手指用のアルコール消毒など、対策グッズが世に多く出回っているものの、新型コロナウイルスに対する感染予防には手洗いの方が有効のようだ。

咳やくしゃみをするときに手で口を抑えたり、電車やバスなどの手すりを掴んだりすることで、手は自然と病原体の温床へと化していく。「ガーディアン」紙(電子版)によると、人間は2~5分に1回、手で顔に触れているそうで、汚い手で無意識に目、鼻孔、口などに触れてしまうとさらに感染リスクが高まる。大切なのはとにかく手からウイルスを洗い流すこと。新型コロナウイルスの表面は脂質二重層になっており、せっけんはその脂肪層を融解させることができるので手洗いにかなりの効果が期待できるという。アルコール消毒も有効だが、こちらはウイルスを「死滅」させるものであり、手洗いとはその役割が異なる。

自分だけの手洗いソングが作れるウェブサイトが登場

現在政府は20秒間の手洗いを推奨している。これは「ハッピー・バースデー」の曲を2回歌う時間と同じくらいなのだが、もし自分の好きな曲でできたらより積極的に手を洗えるのではないだろうか。新型コロナが流行し出してすぐ、英中部ノーザンプトン在住のウィリアム・ギブソンくんは手洗いソングの歌詞カードが簡単に作れるウェブサイト「ウォッシュ・ユア・リリックス」を開発。ウェブサイトにて曲名とアーティスト名を入力するだけでNHS(国民医療制度)が推奨する13ステップの手洗い図解シートに自動的に歌詞が振り分けられ、オリジナルの歌詞カードが作れるという楽しいシステムだ。お子さんや身近に高齢者の方がいたら、ぜひ家族のために作ってみてはいかがだろうか。

Wash Your Lyrics歌詞カード。1番人気のある曲は英バンド、クイーンの「ボヘミアン・ラプソディ」だそう
https://washyourlyrics.com

 

英国で公開!「ヴァイオレット・エヴァーガーデン 外伝 -永遠と自動手記人形-」石川由依さんインタビュー

英国で
公開決定

劇場版アニメ
ヴァイオレット・エヴァーガーデン 外伝
-永遠と自動手記人形-
声優 石川 由依さん インタビュー

数多くのヒット作を世に送り出してきたアニメ制作会社「京都アニメーション」が手掛ける「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」は、現在Netflixで全世界に配信されている話題のアニメ・シリーズだ。仲間との会話を通し成長していく主人公と、心揺さぶるストーリー展開は「切なくも美しい」と形容され、英国でも若い女性を中心に人気を集めている。そんな本作の劇場版アニメ「ヴァイオレット・エヴァーガーデン 外伝 -永遠と自動手記人形-」がついに英国でも公開が決定。これに先駆け、主役のヴァイオレット・エヴァーガーデン役を務める声優の石川由依さんに、本作の魅力や作品に対する思いについて伺ってみた。
(取材・文: ニュースダイジェスト編集部)

石川 由依 Yui Ishikawa 石川 由依
Yui Ishikawa
1989年生まれ、兵庫県出身。6歳で劇団ひまわりに入団し、以来舞台を中心に活躍している。声優業ではテレビ・アニメ「進撃の巨人」のミカサ・アッカーマン役や「アイカツ!」の新条ひなき役、映画「聲の形」佐原みよこ役など、クールなキャラから明るいキャラまでマルチにこなす。

ヴァイオレット・エヴァーガーデン石川さん演じるヴァイオレット・エヴァーガーデン(左)と、
「外伝」編の主役である、良家の子女のイザベラ・ヨーク(右)

英国ではNETFLIXでテレビ・アニメ・シリーズが公開されており、すでに大勢のファンがいます。「ヴァイオレット・エヴァーガーデン 外伝 -永遠と自動手記人形-」が英国で劇場公開されることについて、率直なお気持ちをお聞かせください。

私は英国に行ったことがないので、現地の方々がどのくらいアニメに親しんでいるのかよく分からないのですが、こうして外伝が上映されるということが、きっと「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」がたくさんの方に愛されている証拠だと思っているので、すごくうれしいです!ぜひ、より多くの方々に見ていただきたいなと思っています。

アニメ・シリーズに続く「外伝」では、ヴァイオレットの心の成長をどのように声に反映されたのでしょうか。役を演じる上で意識したことを教えてください。

外伝の中で3年ほどの年月が流れるのですが、それと同じようにヴァイオレットも成長し、年齢を重ねています。テレビ・アニメのときに比べても、ちょっとだけ笑顔が増えていたり、温かみも増しています。また、自分が紡ぎ出す言葉も、いろいろ考えた上で言葉にしているという小さな変化を表現できたらいいなと思って演じていました。映像になっていない部分でも、ヴァイオレットは生き続けて成長してるんだな、ということを感じていただけたらうれしいです。

大変繊細な表情、目の動きなどが印象的でした。そのような動きに合わせて声を吹き込む、というのはやはり難しいのでしょうか。

いや、絵からいただくヒントというのが本当にたくさんありまして。京アニさんのアニメーションは本当に丁寧で分かりやすいので、難しいというよりもむしろ助けてもらった場面がたくさんありました。でも、こういうお話を京アニさんにすると、逆に私の声から新たなインスピレーションを受けて、絵を描き直します、と言っていただくこともあるんです。プラスの意味での相互作用と言いますか、何かお互いに良い影響を与えて、結果的に素晴らしい作品になっていたらいいなと思っています。

これまで数々の主人公を演じてこられた石川さんにとって、ヴァイレットとはどんな人物ですか。

これまで結構クールな役柄が多かったのですが、この「クール」にもさまざまな種類があるんですね。本当は感情があるけどそれを表に出しちゃいけないと言われて出さない、あるいは悲しい出来事があって感情がうまく出せなくなってしまった、などいろいろなんですけど、ヴァイオレットに関しては感情がもともと全くない、感情を知らない状態からのスタートだったので、私にとって挑戦しがいのある役柄でした。とにかく感情のないゼロの状態にもっていくのが難しい部分でしたね。

ヴァイオレット・エヴァーガーデン 外伝 -永遠と自動手記人形-

演じていて印象深かったシーンはありますか。

アニメ版の9話で、たくさんの人に出会って多くのものを受けとってきたヴァイオレットが「悲しい」という感情に初めて出合ってしまいくじけそうになる、という痛ましいシーンがあるのですが、これまで受け取ったこと全てが自分の力、大きな糧になってることに気付きます。前向きに「私も生きていこう」という意識に変わっていく、という流れがすごく好きですね。

最後にこれから見る英国の方々にメッセージをお願いいたします。

この作品はスタッフの皆さんと私が深い思いを詰め込んで大切に作った作品ですので、制作側のこだわりや気持ちが皆さまに届くといいなと思っています。全て瞬きしないで観てと言いたいくらい、まぁちょっとそれは無理なんですけれど(笑)、いろいろなもの感じて受け取って帰っていただけたらうれしいと思いますので、ぜひ楽しんでください!

ヴァイオレット・エヴァーガーデン 外伝 あらすじ

ある「大切なもの」を守るために、自分の未来を引き換えに父親と契約を交わした大貴族・ヨーク家の子女、イザベラは、良家の子女だけが学ぶ女学校での生活に嫌気がさしていた。そんな将来を悲観するイザベラのもとに、ヴァイオレット・エヴァーガーデンが教育係としてやってくる。

ヴァイオレット・エヴァーガーデンとは

幼少の頃から武器として訓練されてきた少女、ヴァイオレット・エヴァーガーデン(声: 石川由依さん)は、数年にわたる大陸戦争で共に戦ったギルベルト少佐に言われた「愛してる」という言葉の意味を知りたかった。戦後、第二の人生を歩き始めたヴァイオレットは、「自動手記人形」と呼ばれる代筆業を通し、人間の心を少しずつ学んでいく。

ヴァイオレット・エヴァーガーデン 外伝
-永遠と自動手記人形-
Violet Evergarden: Eternity and the Auto Memory Doll

英国全土にて公開予定(先行してNetflixで4月2日から公開)
原作: 「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」
暁 佳奈(KAエスマ文庫/京都アニメーション)
監督: 藤田春香 
声の出演: 石川由依、寿美菜子、悠木碧、子安武人 ほか
Netflix: https://www.netflix.com/gb/title/80182123

 

ナイチンゲールの衛生学 - フローレンス・ナイチンゲール生誕200年

フローレンス・ナイチンゲール生誕200年 ナイチンゲールの衛生学

クリミア戦争で負傷兵たちを献身的に介護し、公衆衛生や看護教育の分野で大きな改革を起こしたフローレンス・ナイチンゲールが生まれて今年で200年。ここでは、ナイチンゲールによるさまざまな医療改革の中から衛生の分野に焦点を当て、ヴィクトリア時代の劣悪な衛生環境や公衆衛生の概念がナイチンゲールによっていかに向上したかをご紹介する。(文:英国ニュースダイジェスト編集部)

1906年、ベッド上のナイチンゲール1906年、ベッド上のナイチンゲール(86歳)。
クリミアでプラリア熱という病にかかったナイチンゲールは、
38歳ごろからずっとベッドの上で寝ながら仕事をした

フローレンス・ナイチンゲールとは

フローレンス・ナイチンゲーフローレンス・ナイチンゲール(Florence Nightingale、1820年5月12日~1910年8月13日)は、ヴィクトリア時代の英国で看護婦としてばかりではなく優秀な教育学者としても活躍し、近代看護教育の母と呼ばれる。裕福な家庭に生まれながらクリミア戦争に看護師として従軍し、負傷兵たちを献身的かつ進歩的な方法で介護するほか、統計に基づく医療衛生改革でも大きな評価を受けた。戦時中に作られたナイチンゲール基金でロンドンの聖トーマス病院内にナイチンゲール看護学校を作り、英国ではそれをモデルに現在に近い看護師養成体制が整った。ナイチンゲールの誕生日は国際看護師の日とされている。

ヴィクトリア時代の衛生状況

ナイチンゲールの生きたヴィクトリア時代の英国は、産業革命で近代化する一方で生活環境が悪化。人々の階級格差も大きく広がり、弱者は街でも戦場でも劣悪な状況に甘んじ苦しんでいた。

都市はスラム化していた

19世紀の英国は産業革命により都市に急激に労働者が流入したものの、街にはそれを受け入れる環境もシステムも整っておらず、低賃金で働く労働者たちの生活水準は劣悪を極め、非人間的なレベルだった。しかも当時はそうした下層労働者や貧民層に対する支援は「国庫の無駄遣い」と政府から切り捨てられ、貧しいのは自身の努力が足りないのが原因と考えられていたため、事態はいっこうに改善されることはなかった。

ケンジントンのスラム街ロンドン西部ケンジントンのスラム街。借りられる家があればまだましで、
貧しい人々は数時間から滞在できるドス・ハウスと呼ばれる汚い宿で体を休めては働いた

そんな都市部を避けて中流階級の人々が郊外に引越して行く一方で、労働者たちはより狭い面積により多くの人間を収容できるように建てられた通風も採光もない粗末で狭い建物に、多人数で押し合うようにして暮らした。そのため、あらゆる感染症が広まったほか、下水道も発達していないことから道には汚水が流れ出し、ペストやコレラといった伝染病も蔓延。この時代の中流階級男性の平均寿命が45歳なのに対し、労働者階級のそれはその約半分だった。1840年の国勢調査によると、英北西部マンチェスターの労働者とその家族の平均寿命が17歳という驚くべき記録も残っているという。

19世紀にロンドンには4度のコレラ大流行が起こり、1853~54年には1万人以上もの犠牲者を出した。工場排水や下水がテムズ川に流れ込み井戸水が汚染されたのが原因だが、テムズ川は当時ひどい悪臭を放っていたため、腐敗物の不快な臭いを吸い込むことでコレラに感染すると考える人々もいた。

この時代、コレラは空気感染すると思われていたこの時代、コレラは空気感染すると思われていた

コベントガーデンのセブン・ダイアルズかつてロンドン中心部コベントガーデンのセブン・ダイアルズは悪名高いスラム街。
雨が降れば地下の家には容赦なく汚水が押し寄せた

クリミア戦争の死者の多くは実戦からではなかった

そんな時代に起きたクリミア戦争(1854~1856年)は、黒海に面するクリミア半島を舞台に、英国、フランス、サルディーニャ(イタリア)がオスマン帝国の連合軍として参加した対ロシア戦。その一進一退を繰り返す持久戦は、敵と戦う以外にも兵士たちに多くの負担と犠牲を強いるものだった。将校たちは比較的快適な生活を送っていたものの、一般の兵士は極寒の時期にも満足な供給物はなく、地面の上で眠るなど悲惨な日々だったという。また、英国軍はイスタンブールのセリミエや近郊のスクタリに基地を置き、陸軍の野戦病院も設立されていたが、膨大な数の負傷兵や病人に対処する能力を持っておらず、前線で傷ついた兵士たちは十分な手当もされず放置された。その結果、その多くが戦いそのものではなく、感染症や伝染病、飢餓で死亡するという状況だった。

スクタリの病室1856年、フローレンス・ナイチンゲールによって整備された後の、
快適な環境になったスクタリの病室。太陽光が差し込む

その様子は新聞社の特派員たちによって本国にも伝えられた。特に「タイムズ」紙の従軍記者ウィリアム・ハワード・ラッセルが、前線の負傷兵たちの極めて悲惨な状況を鮮明に描いた記事に、本国の市民たちはショックを受け、当時大きな反響を巻き起こした。ドイツの看護師養成施設で研修後、ロンドンの慈善施設で管理者としてすでに活動を始めていたフローレンス・ナイチンゲールも心を動かされた一人で、この新聞記事がきっかけで、自ら従軍看護師として現地に赴くことを決意した。

ロシア軍のセヴァストポリ要塞を攻める連合軍ロシア軍のセヴァストポリ要塞を攻める連合軍。セヴァストポリは小高い台地にあり、
土塁と塹壕で固められていたため、連合軍は苦戦し大量の犠牲者を出した

ナイチンゲールが取り組んだこととは

上流階級出身でロンドンのメイフェア地区に住む身ながら、親の反対を振り切り貧民施設などを訪れ、何とか社会のためになれないかと考えていたナイチンゲール。クリミア行きで隠された能力が開花した。

当時の「看護婦」のイメージを一新

1854年にナイチンゲールが24名の修道女と14名の病院看護経験者とともにイスタンブールのスクタリ野戦病院に乗り込んだとき、英軍は諸手を挙げて歓迎したわけではなかった。当時の英国で看護師は専門知識の必要がない職業と考えられており、人の嫌がる不潔な仕事につくしかなかった意地悪でがさつな年配の女性というのがそのころ定着していた看護師のイメージだったという。軍としてもそのような集団に来てもらう理由もなく、医務官が指示を出し、雑役兵が看護をするという、これまでの規律を崩そうとしなかった。

そこでナイチンゲールはどの部署の管轄でもなかったトイレ掃除に目をつけ、それを皮切りに病院の内部に入り込んでいく。負傷兵の食事の世話や不潔なシーツの洗濯など、医療行為以前の基本問題に取り組むことで、着任当時42%だった負傷兵の死亡率が、3カ月後には5%にまで低下した。ナイチンゲールはこうしてスクタリ病院のスタッフ総責任者に昇進。看護婦のイメージを根底から覆しただけではなく、重要なのはまず衛生であることを上層部に気づかせた。

ナイチンゲール写真左)クリミア戦争勃発直後、34歳のナイチンゲール
写真右)ナイチンゲールがスクタリの野戦病院に持って行った薬箱

病院の看護システム改善に一生を費やす

1856年の終戦とともに帰国したナイチンゲールは、戦地で成し遂げた偉業を認められ、国民的英雄として迎えられた。クリミア戦争の悲劇を繰り返したくないという思いから、ナイチンゲールはその後も統計学を駆使し、兵士の死因ごとに死者の数をひと目で分かるように工夫した「コウモリの翼」と呼ばれるグラフを作り報告書をまとめたほか、戦時中に始められた「ナイチンゲール基金」に集まっていた多くの寄付金を使って1860年に看護学校をロンドンの聖トーマス病院内に設立。また、「看護覚え書き」をはじめとした看護の仕事に関わる多くの執筆も行った。ナース・コール、病室に設置された水とお湯の出る蛇口、ナース・ステーションを中心とする現代の病院でも使われている病棟のシステムを開発したのもナイチンゲールで、90歳で死去するまでその一生を医療衛生学に費やし、公衆衛生の発展に尽力した。

ナイチンゲールの編み出した円グラフその形から「コウモリの翼」と呼ばれる、ナイチンゲールの編み出した円グラフ。
クリミア戦争における死者数を視覚で訴えるために作られた

ナイチンゲール誕生200周年記念エキシビション
Nightingale in 200 Objects, People & Places

ナイチンゲール誕生200周年記念エキシビション

1860年に建てられたナイチンゲール看護学校の跡地に作られたミュージアムでは、5月12日のナイチンゲールの誕生日を記念したエキシビションが開催中。あいにく現在は新型コロナウイルスの感染拡大で休館中だが、展示の様子をオンラインで公開中だ。ナイチンゲール自身や同時代の人たちの声を聞くことができるほか、クリミア戦争に持参された薬箱や、見回り時に使われたランプ、ナイチンゲールが飼っていたペットのふくろう「アテナ」のはく製、体調を崩したナイチンゲールが過ごしていたベッドなども見ることができる。

Florence Nightingale Museum
St Thomas’ Hospital
2 Lambeth Palace Road London SE1 7EW
Tel: 020 7188 4400 
www.florence-nightingale.co.uk/200exhibits

ナイチンゲール誕生200周年記念エキシビションペットのふくろう「アテナ」。クリミアに発つ日に死んでしまい、
ナイチンゲールはショックで出発を2日遅らせたという

参考:フローレンス・ナイチンゲール博物館、www.nationalarchives.gov.uk、「19世紀イギリスの日常生活」クリステン・ヒューズ著ほか

 

ドラマ「ピーキー・ブラインダーズ」はなぜ世間を熱狂させるのか

ギャングたちの命を懸けた人生ゲームに釘付け! ドラマ「ピーキー・ブラインダーズ」はなぜ世間を熱狂させるのか

最近、英国では街中でバックを短く刈り込んだヘア・スタイルにハンチング帽というファッションの男性をよく見かける。そのスタイルの火付け役となったのが、1920年代の英中部バーミンガムを舞台にしたBBCの犯罪ドラマ「ピーキー・ブラインダーズ」だ。一度見たら止まらなくなるストーリー展開や独特の世界観、スタイリッシュな映像と音楽、豪華キャストの競演などで高い評価を集める本ドラマは、視聴者が人気作品を選出する「ナショナル・テレビジョン・アワード」で、2020年1月に最優秀ドラマ賞を受賞するなど、単なる「格好良いギャング集団の立身出世物語」を超え、一つの社会現象となって英国を席巻している。なぜこのドラマが注目されるのか。その人気の秘密をさまざまな観点から検証してみた。(文:名取 由恵)

ギャング団の長、トーマス・シェルビーギャング団の長、トーマス・シェルビー

ピーキー・ブラインダーズとは
THE STORY OF PEAKY BLINDERS

第一次世界大戦後のバーミンガムでギャング集団「ピーキー・ブラインダーズ」を率いるトーマス・シェルビー(キリアン・マーフィー)の活躍を描く。シェルビー家の次男、トーマスはカリスマ性にあふれた一家をまとめる実質のリーダー。頭脳明晰、冷静で非情だが、家族思いな一面もある。長男アーサー(ポール・アンダーソン)は大戦による戦争後遺症を抱えており、三男ジョン(ジョー・コール)は妻を亡くして4人の子持ち、妹のエイダ(ソフィー・ランドル)は共産主義活動家と交際中など、家族をまとめるトーマスの悩みは尽きない。シリーズ1は、武器工場から銃が盗まれた事件をめぐり、捜査のために派遣されたキャンベル警部(サム・ニール)、潜入捜査官としてスパイ活動をするグレース(アナベル・ウォーリス)との駆け引きを中心に展開される。シリーズ5まで放映されており、シリーズ6は撮影間近。

ドラマ「ピーキー・ブラインダーズ」の背景

「ピーキー・ブラインダーズ」は、第一次世界大戦出征で人生が一変したギャングのトーマス・シェルビーが、ライバルを倒しながら立身出世していくBBCのテレビ・ドラマである。物語の始まりは大戦直後の1919年。第一次世界大戦といえば、総力戦により多大な犠牲者を出した戦争で、英軍の戦死者だけでも88万人*を超えた。その影響で、欧州の帝国が崩壊、ソビエト連邦が生まれ、世界は大きな混乱状態にあった。戦後、財政が困窮していた英国は少しずつ回復に向かうものの、それも束の間、1929年に世界恐慌が起こり、世界は全体主義の不穏な空気に包まれていく。「ピーキー・ブランダーズ」は、近代史に大きな爪痕を残したこの2つの大戦に挟まれた変化の時代に焦点をあてている。*英国立公文書館「ナショナル・アーカイブズ」調べ

戦争直後の鬱々とした雰囲気戦争直後の鬱々とした雰囲気も、本ドラマの重要なバックグラウンドとなる

「ピーキー・ブラインダーズ」は実話だった? 実在の犯罪集団がモデル

1870年代ごろのバーミンガムの都市部にはスラムが広がり、極貧の生活を余儀なくされる子どもたちが次第に自分のテリトリーをかけて争うようになっていた。1890年代、同地にあるスモール・ヒースでは、通行人を標的にスリや盗みを働く少年たちが現れる。この少年たちが徐々に組織化され、窃盗、恐喝、暴行などの犯罪を行い、「ピーキー・ブラインダーズ」と名乗るようになったという。メンバーは労働者階級や下層階級の若者たちが中心で12、13歳の子どもも混じっていた。ピーキーたちは地元のライバル・ギャングと抗争しながら、20年あまり町を支配していたが、やがてビリー・キンバー率いるバーミンガム・ボーイズとの争いに負けて衰退。しかしその後も、ピーキー・ブラインダーズの名前は、バーミンガムのストリート・ギャングを指す言葉として残ったという。

実在の犯罪集団「ピーキー・ブラインダーズ」リアル・ピーキー・ブラインダーズのハリー・フォウルズ、アーネスト・ベイルズ、
スティーヴン・マクニクル、トマス・ギルバート

1914年のボーデスリー・グリーンスモール・ヒースから少し東に位置する1914年のボーデスリー・グリーンの様子。
ドラマの設定は実際のピーキー・ブラインダーズが活躍した時代とおよそ20年のずれがある

名前にはどんな意味がある?

名前の由来については、「ハンチング帽の先端(peak)にカミソリの刃を縫い付け、それで相手の目を攻撃していた」「相手の額を切り、流血で目を見えなくさせた」など諸説ある。歴史学者でバーミンガム大学名誉教授のカール・チン氏は、英国に安全カミソリが入ってきたのは1900年代初頭のことで、少年たちには手の届かない高価すぎる品だったはずだとし、「当時バーミンガムでは、ツバのある帽子はピーキーと呼ばれていた」と説明。また、ウォルヴァーハンプトン大学のローラ・ウゴリーニ教授は、「ブラインダーは『しゃれた格好をした人』を意味するバーミンガムのスラングである」としている。

2020年とのシンクロニシティ

今から約100年前の話であるにもかかわらず、不思議と現代社会に酷似する点も多い。本作の生みの親である脚本家スティーヴン・ナイトは、英国で働くナイジェリアからの不法移民の人生を描いた映画「堕天使のパスポート」でアカデミー賞脚本賞にノミネートされた社会派だが、ナイトは本ドラマの構想について、「(設定された時代は)ファシズム、国粋主義、人種差別主義が台頭し、世界中で自分たちにとっての敵を排除する動きがあった」「英国の現代社会と似通う部分もかなりある」と昨年7月のプレミア上映会で語っている。作中で垣間見える深い洞察、また現代社会への警鐘を鳴らす本作に、欧州連合から離脱したものの、移民問題、貧富の格差などで人々が分断され、国粋主義の動きすら感じられる2020年の英国の現状と重ね合わせている視聴者も少なくない。

また、昨年国家統計局が行った「赤ちゃんの名前人気ランキング」では、トーマスの兄の「アーサー」が1920年代以降初めてトップ10に、妹の「エイダ」もトップ100位に初めてランクイン。専門家もドラマが赤ちゃんの名付けに影響を与えた可能性を指摘するなど、ドラマ人気の余波が英国人の暮らしにも広がりつつるあることが伺われる。

キリアン・マーフィー主人公のトーマス・シェルビーを演じるキリアン・マーフィーはアイルランド出身の俳優。
同役で2つの演技賞に輝いた

これまでのギャング映画になかった人物描写

米作品「ゴッドファーザー」「ザ・ソプラノズ 哀愁のマフィア」など、ギャングやマフィアを描いた人気作品はこれまでにもいくつも存在する。堅気な人間には無縁の世界だが、私たちは裏社会で生きる男たちの姿にロマンを見出すのかもしれない。本作も同様だ。トーマス・シェルビーは大戦後の不安定な時代を利用し、共産主義者、労働組合、アイルランド共和軍(IRA)、ファシスト党など、次々に現れる組織と対決、さまざまな戦略を使い、権力も地位もない状態から国会議員へと昇りつめる。その一方で、冷静沈着で非情なトーマスにも迷いや悩みがあり、「自分は何のために生きるか」と自問し葛藤する。視聴者はその姿に次第に共感していく。

また、本作が際立っているのはパワフルな女性たちの描写だ。これまでのギャング映画と異なり、労働組合のゼネストに参加し男と対等に渡り合うシェルビー家の女たち、周囲から怖がられているトーマスを一喝できる叔母、敵のギャング団を目の前にしても一切ひるまないトーマスの妹など、女性たちのしたたかな姿を描いたところが、今の社会情勢に図らずもマッチしている。

Peaky Blinders女性の権利がまだ制限されていたこの時代、女性たちの暗躍は物語の鍵となる

1920年代の労働者風ファッション

1920年代の英労働者階級の男くさいファッションが英国男子の間でトレンドに。ヴィンテージ・ファッションを好む若者たちにも、このスタイルがはまり、ドラマ人気の一端を担う。一方で、中高年にも取り入れやすいスタイルとあって、コスプレ感覚で楽しむ男性も増えているようだ。ここではピーキーたちになりきるための必須アイテムを紹介しよう。(図・解説:英国ニュースダイジェスト編集部)

ピーキーブラインダーズのファッション

ハンチング帽 サイドとバックを短く刈り込んだヘア・スタイルにハンチング帽(ベイカー・ボーイ・ハット、フラット・キャップとも呼ばれる)がトレード・マーク。生地はツイードで色はグレー、ネイビー、ダーク・グリーンなどが人気。

ウェストコート 第二次世界大戦まで背広は常に三つ揃えで着用されていたので、ウェストコートはこの時代の必需品。もしもディテールにこだわるならば、ボタンの数が6個でV ゾーンが浅めのもの、ポケットは4つ。

懐中時計 懐中時計はこの時代の実用的な必須おしゃれアイテム。スーツからのぞく懐中時計の鎖はアルバート・チェーン、ブラス・フォブなどが使われ、ウェストコートのボタン・ホールに通してからポケットへ。

ミリタリー・コート オーバーサイズのミリタリー・コートで、襟にヴェルヴェットかコーデュロイの襟が付くのがピーキー・ブラインダーズ風。主役のトーマスのコートは第一次世界大戦時に軍から支給されたスタイルがモデルだそう。

オックスフォード・ブーツ スーツにミリタリー・スタイルのブーツを加えることでピーキー・スタイルが完成。足首までのブーツで靴の先は丸くてがっしりしており、できれば色は黒で。あえて磨かずにラフなエリアを闊歩してきたように見せる。


セレブにも人気
David Beckham

ファッション・リーダーのデービッド・ベッカムもこのスタイルを積極的に取り入れている。英デパートのジョン・ルイスではハンチングの売り上げが急上昇した。

ファッションを楽しむイベントも

ピーキー・ブラインダーズをテーマにしたライブやそのファッションを楽しむイベントも英国各地で行われ、昨年はバーミンガムでレジティメート・ピーキー・ブラインダーズ・フェスティバルが開催された。

ドラマの世界をもっと知るために

過去のシリーズを観る

2013年にシリーズ1がスタートし、現在まで5シリーズ(全30話)が放映済み。現時点でストリーミング配信「Netflix」で視聴できるほか、DVD/Blu-ray、BBC iPlayerにて不定期に公開中(現在はシリーズ5のみ公開)。

バーミンガムの「聖地」を訪問する

ドラマ人気により、バーミンガムの観光客数は2018年に4280万人を突破し、シリーズ1が放映された2013年からの5年間で26パーセントも増加した。休暇を使って映画やドラマのロケ地を巡るこの動きは英国で「スクリーン・ツーリズム」(日本でいう聖地巡礼にあたる)と呼ばれ、近年活発になっている観光の在り方の一つだ。同地は再開発されてヒップなエリアに移り変わった市内中心部ディグベスをはじめ、ピーキーゆかりのスポットが点在するファン垂涎の聖地となったが、お勧めはバーミンガム郊外ダドリーにあるブラック・カントリー・リビング・ミュージアム。18世紀から1960年代までの町の歴史を再現した体験型の野外博物館で、ドラマの一部シーンはこの場所で撮影されている。毎年行われるピーキー・ブラインダーズ・ナイツも大盛況で、次回は今年9月に開催。

ブラック・カントリー・リビング・ミュージアム26エーカーの広大な敷地を持つブラック・カントリー・リビング・ミュージアム

Black Country Living Museum
Tipton Road, Dudley, West Midlands DY1 4SQ
Tel: 0121 557 9643 
入場料:£19.95
オープン:水~日 10:00-16:00 (3月30日以降は毎日10:00-17:00)
最寄駅:ナショナル・レールTipton駅 
https://www.bclm.co.uk

公式ブック「By Order of the Peaky Blinders」を読む

オフィシャル・ブック「By Order of the Peaky Blinders(バイ・オーダー・オブ・ザ・ピーキー・ブラインダーズ)」ではメイキングの秘話をあますことなく紹介している。

By Order of the Peaky BlindersBy Order of the Peaky Blinders
編著:Steven Knight, with Matt Allen
発行元:Michael O'Mara Books 

 

オーブリー・ビアズリーとはいったい誰だったのか - 世紀末の英国を妖しく彩ったイラストレーター

世紀末の英国を妖しく彩ったイラストレーター オーブリー・ビアズリーとはいったい誰だったのか

オーブリー・ビアズリー Aubrey Beardsley 21歳のオーブリー・ビアズリー

ロンドンの美術館テート・ブリテンで4日から大規模な回顧展が始まったばかりのオーブリー・ヴィンセント・ビアズリー(Aubrey Vincent Beardsley 1872〜1898年)は、ヴィクトリア朝後期の英国に彗星のように現れた夭折の天才画家。活動期間は10年にも満たないものの、ビアズリーの挿絵によるオスカー・ワイルドの戯曲「サロメ」が1894年に出版されるやいなや、美術界はその大胆で独創的な構図を持ったモノクロのイラストレーションに魅了され、ビアズリー旋風が巻き起こった。日本の浮世絵やラファエル前派の影響を受けたとも言われるが、人を惹きつけずにはいられない妖艶な魅力に満ちたビアズリーの芸術はいったいどのようにして生まれたのか。ここではビアズリーが影響を受けたアーティストたちのエピソードを織り込みながら、一貫して完成度の高い作品を描き続けたビアズリーの、短い人生を振り返ってみよう。

(文: 英国ニュースダイジェスト編集部) 参考:Victorianweb.org など

ケイト・グリーナウェイの挿絵を模写

オーブリー・ビアズリーは1872年8月21日、英南部ブライトンに2人姉弟の長男として生まれた。ビアズリーの父親が、金細工師だった祖父と不動産業者の曽祖父から受け継いだ遺産を女性関係で失ったため、一家の暮らしは軍医の娘であった母親が住み込みの家庭教師(ガヴァネス)として働くことで支えられていた。母親の世話を受けることができないビアズリーは、6歳で近隣の寄宿学校に入学する。しかし後にビアズリーの命を奪うことになる結核を発症する。

当時の欧州は、印刷技術の発達から本の挿絵の黄金時代を迎えており、英国では絵本や児童書の分野が大きく開花。ランドルフ・コールデコットやケイト・グリーナウェイ、ウォルター・クレインといった才能あるイラストレーターたちが次々に現れ、人気を博していた。そんな時代にあって病弱で屋内にいることの多いビアズリーは、英国の伝承童話「マザーグース」の挿絵で知られるケイト・グリーナウェイのイラストを好んで模写していたという。その才能はこの頃すでにほう芽が見られ、一家を援助していた裕福な友人から3枚のイラストの注文を受けたビアズリーは、グリーナウェイの模写を制作。11歳にして30ポンド(現在の金額にして約3580ポンド、日本円で約50万円)を稼いでいた。

アール・ヌーボーのスタイルで描かれた「シンデレラ」 ガラスの靴を履き花の咲く公園に立つ、アール・ヌーボーのスタイルで描かれた「シンデレラ」。
ケイト・グリーナウェイの影響が見られる

エドワード・バーン=ジョーンズがその才能に太鼓判

18歳になったビアズリーはロンドンで事務員として働き始めるも、結核の悪化によりすぐに休職。しばらくは自宅で療養しながら絵を描き読書をする生活が続く。1891年、当時流行していたラファエル前派の絵画に傾倒したビアズリーは、同派の中心的な存在であるエドワード・バーン=ジョーンズが、毎週末に自宅を開放し客を招いていることを知る。早速、自作のポートフォリオを持って姉のメイベルといきなり大画家の家を訪れるが、その日はある大事なゲストがお茶に呼ばれていたため、2人はバーン=ジョーンズの友人で工芸家のウィリアム・モリスに玄関先で追い払われてしまう。

だが、がっかりした姉弟が帰りかけると、バーン=ジョーンズが顔を出し、「こんな暑い日にわざわざやって来てくれたのに、作品も見ずに追い返すことなどできない」と2人を招き入れる。そしてビアズリーのポートフォリオを丁寧に見たバーン=ジョーンズはその才能を絶賛。ぜひプロの画家になるべきと断言したうえで、美術学校への進学を勧めた。こうしてビアズリーはロンドンのウェストミンスター・スクール・オブ・アートの夜間クラスに入学。これが生涯で唯一の正式な絵画の勉強となった。ちなみにこの時バーン=ジョーンズ宅を訪れていた「大事なゲスト」はオスカー・ワイルド夫妻だったという。

トマス・マロリーの小説「アーサー王の死」の挿絵 トマス・マロリーの小説「アーサー王の死」の挿絵。
出版社はバーン=ジョーンズのような作風でイラストが描ける画家を求めており、
最終的にビアズリーに依頼した

ウィリアム・モリスに嫌がられる 

世紀末の英国には退廃的な文化ばかりが流行っていたわけではなかった。産業革命の結果、大量生産による安価で粗悪な商品があふれたヴィクトリア朝の文化を批判して、「アーツ&クラフト運動」を推進したウィリアム・モリスのような人物もおり、耽美主義のビアズリーとの共通点は少なかった。1892年にビアズリーがJ.M.デント出版社に依頼され、トマス・マロリー作の小説「アーサー王の死」の挿絵を描いた時、モリスは、「ケルムスコット・プレス*のひょう窃だ」と文句を言っている。それに対しビアズリーは「モリスの作品はただ旧弊な代物を模倣したに過ぎないが、自分の作品は新鮮で独創性にあふれている」と返した。

ビアズリーのスタイルは、画面から陰影や奥行きなどを排除し、画面の一定領域を何も描かずに白く残すか黒く塗りつぶすなどして、単純化された線を効果的に配することで成立している。ビアズリー以前の挿絵は銅版や木版で制作されていたことを考えると、印刷技術の向上でシャープな線の複製が可能になった事実を効果的に活用したと言える。また、ビアズリーが普段から描くモチーフが一様に退廃的であったり、弱い男性と魔性の女性の対比であったりと、保守的で偽善的な道徳観を持つヴィクトリア朝の中産階級を否定するものだったことも、真面目なモリスを苛立たせたと考えられている。

*ウィリアム・モリスが始めた印刷工房。名称はオックスフォード近郊の別荘の名にちなみ、中世の写本装飾やルネサンスの書物から影響を受けている

「ザ・レディ・ウィズ・ザ・ローズ・ヴェルソ」「ザ・レディ・ウィズ・ザ・ローズ・ヴェルソ」

「ヴォルポーネ」劇作家ベン・ジョンソンの戯曲「ヴォルポーネ」のために描かれた挿絵。
エロティックなイメージを多く描いたビアズリーは、ウィリアム・モリスに嫌われていた

オスカー・ワイルドとのコラボレーション

劇作家ワイルドとビアズリーの関係は、当初から穏やかなものではなかった。 1893年4月、発表されたばかりのワイルドのフランス語版戯曲「サロメ」に触発され、ビアズリーは美術誌「ステューディオ」の表紙に、「サロメ」の一場面「ヨカナーンよ、私はおまえの唇に接吻した」を自主的に描く。ワイルドは、ビアズリーがいかによく自分の芸術を理解しているかを知り感動し、英語版のための挿絵を依頼。ただし当時、浮世絵に影響を受けた米画家J.M.ホィッスラーの構図を研究中だったビアズリーが依頼された16作品を描き上げてみると、ワイルドは、「ビザンティン風の舞台を想定していたのに、これではあまりにも日本的」と評した他、グロテスクな性描写を含む4つの挿絵の描き直しを命じた。

その報復として、ビアズリーは新しい挿絵の中にワイルドの姿を風刺的に忍び込ませている。それは、フランス語で「サロメ」を書いているワイルドの側に、基礎フランス語の教科書が置いてあるというような他愛のないものだったが、ワイルドはビアズリーに対する怒りを募らせ、「オーブリー・ビアズリーを発掘したのは自分である」などと宣言する。ただし、あまりにパワフルなビアズリーの挿絵の魔力に、自作の意図が誤って伝わってしまうのではないかと恐れていたのはワイルドの方だった。その挿絵は戯曲の内容と完全に呼応するわけではなく、新約聖書が題材にもかかわらず設定はファッショナブルな現代という画期的なものであったのだ。こうしてヴィクトリア朝の保守的なイメ―ジを覆すモダンな挿絵により、ビアズリーは一躍美術界の時の人となった。

オスカー・ワイルドの戯曲「サロメ」の挿絵「クライマックス」オスカー・ワイルドの戯曲「サロメ」の挿絵「クライマックス」

「ピーコック・スカート」オスカー・ワイルドの戯曲「サロメ」の挿絵「ピーコック・スカート」

「黒いケープ」オスカー・ワイルドの戯曲「サロメ」の挿絵「黒いケープ」。
浮世絵をヒントにしたと思われる構図や着物の柄のようなパターンが散りばめられ、
ワイルドには「日本的すぎる」と評された

ワイルドの巻き添えを食った「イエロー・ブック」

イエロー・ブックは、1894年に英国で創刊された挿絵入りの季刊文芸誌で、19世紀末のデカダンな文化を紹介する雑誌として、美術担当の編集主任をビアズリーが担当した。寄稿者にはH.G.ウェルズ、ヘンリー・ジェイムズ、W.B.イェイツ、アナトール・フランスなど欧米第一線の作家たちが名前を連ねる他、才能あふれる過激な若手作家やアーティストの発表の場としても位置付けられた。保守的な新聞雑誌は同誌を酷評するが、おかげでこれまで美術界でのみ知られていたビアズリーの名が、一躍一般大衆の間に広まった。

ところが、1895年4月にオスカー・ワイルドが同性愛の罪で逮捕される。ワイルドはこの雑誌に関わっていなかったにもかかわらず、「サロメ」の挿絵以来、ワイルドと同一視されていたオーブリーは、英国の世論から強烈なバッシングを受け、同誌からの追放処分を受ける。ビアズリーは以降、好色な小説の挿絵を描いて暮らすはめになり、翌96年にはパリに居を構えるも喀血。健康状態の悪化により次第に借金がかさんでいった。97年にビアズリーは刑期を終えたワイルドとフランスで再会するが、自著の装丁を頼まれ拒絶する。ワイルドの醜聞のせいで自分の人生が狂ったと考えていたのだ。同年末に南仏のマントンに転地するが時はすでに遅く、98年3月16日、同地にて結核で死去。25歳という若さだった。

The Yellow Book「イエロー・ブック」第1号の表紙。
ビアズリーがワイルドの巻き添えで追放されてから精彩を欠くようになったものの、
同誌は1897年4月まで13冊が刊行された

 

流暢な日本語で発信!人気ユーチューバー MissHanakeことハナさんに聞いてみた

流暢な日本語で発信! 人気YouTuberMissHanakeこと
ハナさんに聞いてみた

13歳から日本語を学び、昨年オックスフォード大学の日本学(Japanese Studies)を卒業したばかりの英国人、ハナ・ケントリッジさん。英国ニュースダイジェストの読者でもあるハナさんは、流暢な日本語を話すYouTuber(ユーチューバー)として人気が高いが、そのスペック以上に、自分の胸の内を包み隠さず話すピュアな姿に心惹かれるファンも多い。日本への旅行・留学に続き、今度はワーキング・ホリデーの制度を使って新たなチャレンジに踏み出したハナさんに、人生初の仕事や今後日本でやってみたいことについて伺ってみた。
(取材・文: ニュースダイジェスト編集部)

西 加奈子

Hannah Kentridge 英北部ダラム出身。落ち着いた優しい声とナチュラルな日本語で語る自身のYouTubeチャンネル「MissHanake」の登録者数は9.61万人を超える。テレビ番組の企画で来日した時の様子を撮影した「やっと、日本に行くという夢が叶いました ☁ FINALLY TRAVELLING TO JAPAN」は193万回以上再生された。2019年12月より日本在住。
https://www.youtube.com/user/misshanake

現在は長野県の野沢温泉スキー場で働いていらっしゃるそうですね。実際に日本で働いてみていかがでしょうか。

楽しい!先日大学を卒業したばかりなので、これが人生で初めての仕事になります。私が働いているインフォメーションはキッズ・パークのすぐ隣にあり、迷子の対応もしています。仕事自体は疲れますが、大学で習った敬語を実際に使う機会にあふれているのでとてもうれしいです。ただ、正しい敬語を使わなくてはならないのが少し大変ですね。

今回は何回目の日本滞在になりますか。

日本に来るのは4回目で、住むのは2回目です。以前は大学生として神戸の寮に住んでいました。その時は洋室で、部屋の中に自分専用のキッチンやお風呂があり、英国にいた時とほとんど変わらない生活をしていました。今のスキー場の寮は、部屋が和室で共同お風呂、また日本のメニューを出す食堂があったりと、前回より日本っぽい生活をしていると思います。

休みの日はどんなことをしていますか。

今は山にいるので、スキー三昧です。英国ではスキーができません。私にとって旅行の時しかできないアクティビティーなので、こうして普通に滑るのが楽しいです。あとは温泉でしょうか。YouTubeの方は忙しくて編集する時間があまりないのと、寮に住んでるのでそこで撮影するのがなんだか恥ずかしくて、いろいろと難しくなりました。せっかく新しいカメラGoProを買ったのでスキー動画が撮りたいんですけど、時間だけが問題ですね。

そんなに忙しいのですか!?

今は1カ月に6日間休みで、朝8時から夕方の4時45分まで働いています。不満は特にないのですが、休みそのものがかなり少なくて、ちょっと疲れ気味ですね。一方で、忙しい仕事が初めての仕事というのはとても良いことだと思っていて。今後「週末ってこんなにうれしいことなんだ!」って感じになると思いますしね(笑)。

3月の終わりまでいらっしゃるそうですが、その先のご予定は?

以前住んでいた神戸にまた行きたくて、できればそこで次の仕事を見つけたいです。その後、今年の秋から大学院で勉強することを考えています。英国と米国の大学院へ願書を提出しましたが、まだ結果が出ていないので、この先どこにいるかはまだ分からないです。

いい結果が届くといいですね。大学院では何を突き詰めていくのでしょうか。

オックスフォード大学で勉強している時、日本の言語学に初めて興味を持ちました。社会言語学、例えばさまざまなタイプの人の話し方などを分析して、このタイプの人はなんでこのように話すのか、みたいなことをこの先も研究したいと思っています。ちなみに大学でオネエ言葉についての卒論を書きました。ネット上で使われているオネエ言葉を、普段使われている言葉と比べるもので、日本のオネエYouTuberの2(セカンド)すとりーとさんにインタビューもしました。

過去の動画で「日本語はASMR*1 だ」とおっしゃっていましたが、実際日本に住んでみてその感覚に変化はありましたか。

どのような言語でも美しい、美しくない言い方はあります。日本に来てから本当に多くの日本語を聞いていますが、今も変わらず「かきくけこ」「たちつてと」など、英語に比べて柔らかい音はきれいだと思いますね。

*1 タッピング音や咀嚼音など、聞くことで快感を覚え、リラックスできる音で、人それぞれ異なる。近年YouTubeでこれらの動画をアップすることが流行している

うれしいお言葉をありがとうございます。では最後に、この日本滞在中にやってみたいことについてお聞かせください。

今の仕事が始まる前、2週間ほど東京に滞在し、知り合いのYouTuberさん2人と一緒に動画を作りましたが、もっと他のYoutuberとコラボしてみたいです。あとは国内旅行の様子を撮りたいのですが、いつ旅行できるのかなぁ……。神戸以外では宮崎にもう一度行ってみたいです。2016年にテレビ番組「外国人ユーチューバーがキター!~Tokyoだけではない驚きニッポン~」の撮影のために滞在したのですが、温かい人たちが多くて、宮崎は東京以外で初めて行った思い出の場所です。それから今の日本人ルームメイトが新潟県のある場所の桜がきれいだと教えてくれたので、それを楽しんでから野沢温泉を後にしたいと思っています。

 

ロンドンから気軽に行けるイングランド南東部の小さな町巡り

ロンドンから気軽に行けるイングランド南東部の小さな町巡り

ロンドン南東に広がる通称「英国の庭」ケント州、そして趣のある海辺の風景が魅力のサセックス州。そこではロンドンとは異なる、一味違った魅力を持った素朴で小さな町に出合うことができる。今回は、派手さはなくともほっと一息つけるような、イングランド南東部の小さな町をご紹介。遠足気分で日帰りするのも、休日を利用してのんびりと一泊旅行を楽しむのもいい。家族や友人と共に、春の小旅行はいかが?(文: 黒澤里吏)
鉄道情報: National Rail Enquiries www.nationalrail.co.uk

イングランド地図

❶ 王侯貴族ゆかりのスパ・リゾートRoyal Tunbridge Wells
ロイヤル・タンブリッジ・ウェルズ

中世の面影をそのまま残すパンティリーズ中世の面影をそのまま残すパンティリーズ
乾燥釜を備えた建物「Oast House」と呼ばれる、ホップなどの乾燥釜を備えた建物も点在する
カリービーアット・スプリング1606年に発見された鉱泉、カリービーアット・スプリング

1606年、ダドリー・ノース卿によって体に良いとされる鉱泉が発見されて以来、ロンドンをはじめ各地から噂を聞きつけた人々が次々と訪れ、やがて優雅なスパ・リゾートとして栄えるようになったロイヤル・タンブリッジ・ウェルズ。なかでも隆盛を極めたのが18〜19世紀のジョージ王朝期からヴィクトリア王朝期で、当時、夏は西のバース、冬はここロイヤル・タンブリッジ・ウェルズに慰安旅行に出掛けるという人も少なくなかった。

町中には、ハイド・パークやロンドン動物園の設計を手掛けた19世紀の著名な建築家、デシマス・バートンによるヴィラや家屋など、華やかなりし頃の建築物が残されており、その多くがショップやレストランとして再利用されている。なかでも最も目を引くのは、17世紀に造られた「パンティリーズ」と呼ばれる、柱の列によって作られたコロネード式の歩道だろう。

パンティリーズの北側にはカリービーアット・スプリングと呼ばれる鉱泉がある。400年前から変わることなく湧き続け、「飲む温泉」として知られるこの鉱泉水は、ミネラル・ソルトや鉄分、カルシウム、マグネシウムをたっぷり含んでおり、かつては二日酔いから不妊症、肥満まで、どんな病にも効くと言われてもてはやされた。ヴィクトリア女王は、1834年にこの地に滞在した際、この鉱泉水を毎日飲んでいたという。現在は毎年夏の間に限って飲むことができ、特別なコスチュームを身にまとったディッパーと呼ばれるスタッフが、伝統的な作法でサーブしてくれる。

時間があれば、この歴史的なスパ・タウンと、かつてここを訪れた著名な人々について詳しく学べるブルーバッジ・ガイドによるウォーキング・ツアーに参加してみるのも手だろう。

Information

ロンドンからタンブリッジ・ウェルズまでのアクセス
ナショナル・レール London Charing Cross駅から所要約1時間、Tunbridge Wells駅下車

● カリービーアット・スプリング Chalybeate Spring
イースターから9月末の木〜日 10:00-15:00

● ウォーキング・ツアー 
木・土 10:30〜 £5(チケットはパンティリーズにある観光案内所で購入)

詳細はツーリスト・インフォメーションを確認

❷ 中世の面影を色濃く残す、かつての港町Rye ライ

ライティリンガム川沿いには1932年建造の風車を利用したB&Bもある。
アンティークショップ町のいたるところでアンティークが売られている。お気に入りが見つかるかも
イプラ・タワーかつてはフランス軍の侵攻を防ぐための要塞であったイプラ・タワー
マーメイド・インマーメイド・インの中。深紅の絨毯が敷かれ、まるで中世にいるかのような錯覚を覚える

まるで童話の世界を切り取ったかのような愛らしさで、小さいながらも世界各国から観光客が絶えず訪れているライ。12世紀にドーバーやヘイスティングスなどと並んで海防の責任を負った特権港として栄えた町で、今もその時代の趣をそこかしこに漂わせている。というのも、当時は町が海に直接面していたが、徐々に海岸線が後退していったために港町としての機能を失い、この町はそこでそのまま時が止まってしまったのだと言っていいだろう。鉄道駅を降りて、徒歩数分で町の中心に到着。

町自体は非常に小さく、路地を隈なく歩いても15〜20分で一周できてしまうほどだ。丘の上のランドマークともなっている、英国最古の時計を備えたセント・メアリー教会を中心に、丸い石を敷き詰めた石畳の路地が続き、独特の味わいを出している。なかでも1156年創業の英国王室ゆかりの名宿で、今も多くの宿泊客を迎えている「マーメイド・イン」で有名なマーメイド・ストリートや、その通りと並行するウォッチベル・ストリートは、漆喰の壁に黒い木枠を配した「ハーフ・ティンバー」と呼ばれるチューダー様式の建物が並んでいて雰囲気たっぷり。

また教会の東隣には、1249年、フランスからの侵略を防ぐために造られたイプラ・タワー(ライ城)があり、異彩を放っている。また、ライはアンティークの町としてもよく知られており、可愛らしいショップがあちこちに点在する。運河沿いのストランド・キー(Strand Quay)にはいくつかの店が集まっているので、興味のある人はのぞいてみよう。

Information

ロンドンからライまでのアクセス
ナショナル・レールLondon St Pancras International駅から所要約1時間、Ashford Internationalで乗り換えてRye駅下車

● セント・メアリー教会 The Parish Church of St. Mary
Church Square, Rye, East Sussex TN31 7HF
Tel: 0179 722 2318

● イプラ・タワー(ライ城)Ypres Tower
3 East Street, Rye, East Sussex TN39 7JY
Tel: 0179 722 6728 月〜日 10:30-15:30(3月30日から10月30日は10:30-17:00) £4

● マーメイド・イン The Mermaid Inn
Mermaid Street, Rye, East Sussex TN31 7EY
Tel: 0179 722 3065
https://www.mermaidinn.com

❸ 穫れたての新鮮な牡蠣を思う存分味わい尽くすWhitstable ウィスタブル

ウィスタブル新鮮な魚介類を楽しむなら、ぜひ訪れたいフィッシュ・マーケット
ウィスタブル「ネイティブ」というヒラガキは冬期限定の楽しみ。ウィスタブル産の牡蠣を味わおう
ウィスタブル古風な漁船が置かれたビーチは、この町ならではの風景

カンタベリーの約8キロ北、「ケントの真珠」として知られるウィスタブルは、潮風が香る風光明媚な牡蠣の町。牡蠣漁の歴史はローマ時代にまで遡り、現在でも毎年7月に約1週間にわたって行われている「オイスター・フェスティバル」は、ノルマン王朝時代の感謝祭に端を発するとも言われている。期間中は町を挙げての盛大なお祭りとなり、各地からやってきた多くの人々で賑わう。

もちろん、おいしい牡蠣が味わえるのはフェスティバル期間に限ったことではない。海岸沿いの大通りを中心に、シーフード・レストランや昔ながらのオイスター・バーなどが軒を並べており、ロンドンよりずっとお手頃な値段で新鮮な旬の魚介を堪能できる。

ここで必ず足を運びたいのが、サウス・キーにあるフィッシュ・マーケット。1830〜1952年まで、ウィスタブル港からカンタベリーまでを結んでいた英国最古の乗客鉄道のひとつ、クラブ&ウィンクル・ラインの車庫を再利用した建物内に、穫れたての魚介類から加工品までがずらりと並べられていて、見ているだけでも楽しい。2階には、同鉄道の名を冠したマーケット直営の「クラブ&ウィンクル・レストラン」があり、湾岸風景を眺めながら、魚介をはじめ、地元産の食材をふんだんに使ったこだわりの一皿を味わうことができる。

食欲が満たされたら、ウィスタブル・ミュージアム&アート・ギャラリーや小さなギャラリーを巡るのもいい。趣のある小道にも個性的なショップやカフェ、パブなどがあるのでお見逃しなく。

Information

ロンドンからウィスタブルまでのアクセス
ナショナル・レール London Victoria駅またはLondon St. Pancras International駅から所要約1時間20分、Whistable駅下車

● ウィスタブル・フィッシュ・マーケット / クラブ&ウィンクル・レストラン
Whitstable Fish Market / Crab and Winkle Restaurant
South Quay, The Harbour, Whitstable, Kent CT5 1AB
https://crabandwinklerestaurant.co.uk

● ウィスタブル・ミュージアム&アート・ギャラリー
Whitstable Museum and Art Gallery
5A Oxford Street, Whitstable, Kent CT5 1DB Tel: 0122 727 6998 
木〜土 10:30-16:30 日〜水休(7・8月は日〜火)£3
https://www.whitstablemuseum.org

❹ 古きよき時代へしばしタイム・スリップSandwich サンドイッチ

サンドイッチ近年リノベーションを終えたベル・ホテル(写真左)は、リバー・ビューの客室が評判だ
サンドイッチ1579年建造の建物を再利用したサンドイッチ・ギルドホール
サンドイッチ英国ではあまり見かけない風車の内部が、民俗博物館になっている
サンドイッチハム サンドイッチの標識

ストゥー川に並行して建つ双塔型のバービカン(城郭の外塁)が中世へと手招きする町、サンドイッチ。その名前から食べ物のサンドイッチ、もしくはそれを発明したとされるサンドイッチ伯爵に関わりがあると思われがちだが、町の歴史はそれよりもずっと古く、特に接点はない。とはいえ偶然か必然か、近隣に「ハム」という名の村落もあり、交差点に「ハム サンドイッチ」と記された標識が立っていたりして、笑いを誘っている。

長い年月を経て海岸線が後退し、ストゥー川もその川幅を狭めてしまったとはいえ、ケントおよび英国を代表する特権港として栄えた中世の趣をそのまま残している貴重な町のひとつであることに変わりはない。のんびりと町歩きを楽しみながら、 中世の建物を再利用したサンドイッチ・ギルド・ホールや、中世以降の町の歴史がひと目で分かる併設のミュージアムなどの名所を訪れよう。

また、ストゥー川を行き来するリバー・バス(ボート)に揺られて、川の上から町を眺めるのもまた一興だろう。

Information

ロンドンからサンドイッチまでのアクセス
ナショナル・レール London St. Pancras International駅から 所要約1時間30分~2時間、Sandwich駅下車

● サンドイッチ・ギルドホール / サンドイッチ・ギルドホール・ミュージアム
Sandwich Guildhall / Sandwich Guildhall Museum
Cattle Market, Sandwich, Kent CT13 9AH
Tel: 0130 461 7197
水〜日 10:00-16:00 月・火休 無料(要予約)
www.sandwichguildhallmuseum.co.uk/visit-us

● リバー・バス(ボート) Sandwich River Bus
The Quay, Sandwich, Kent CT13 9EN(乗り場)
Tel: 079 5837 6183  料金は要問い合わせ 
このメールアドレスは、スパムロボットから保護されています。アドレスを確認するにはJavaScriptを有効にしてください
www.facebook.com/Sandwich-River-Bus-138007920039064

緑あふれるウィールド地方の名所に足を延ばして ウィールド The Weald

ロイヤル・タンブリッジ・ウェルズの南東に果てしなく広がる緑の大地、ウィールド地方(The Weald)には、小さな村落がいくつもあり、ここを縫うようにして観光名所が点在している。休日のお出掛け先として人気だ。

ウィールド地方交通情報(Traveline): https://www.traveline.info

※営業時間はウェブサイトを参照

Sissinghurst Castle Garden
シシングハースト・キャッスル・ガーデン

英国随一との呼び声も高い、ロマンティックなガーデンを備えたナショナル・トラスト所有の城。ホワイト・ガーデンが特に有名。

Cranbrook, Kent TN17 2AB
Tel: 0158 071 0700
料金: £10.40~15.95
https://www.nationaltrust.org.uk/sissinghurst-castle-garden

Scotney Castle
スコットニー・キャッスル

スコットニー・キャッスル廃墟となった古城、スコットニー城。丘の上には19世紀の居城もあり、現在、城内の一部を公開中

ナショナル・トラスト所有のヴィクトリア時代のカントリー・ハウスと、堀に囲まれた14世紀の城跡。ガーデンを含め、景観の美しさは随一だ。

amberhurst, Tunbridge Wells, Kent TN3 8JB
Tel: 0189 289 3820
料金: £14.90~16.40
https://www.nationaltrust.org.uk/scotney-castle

Bewl Water
ビュール・ウォーター

1970年代につくられた、英国最大の貯水池。各種ウォーター・スポーツからボート・トリップ、クルーズまで、さまざまなアクティビティーが楽しめる。

Bewlbridge Lane, Lamberhurst, Kent TN3 8JH
Tel: 0189 289 0000
料金: アクティビティーによって異なる
https://www.bewlwater.co.uk

Bedgebury National Pinetum and Forest
ベッジベリー国立松栽培園

ベッジベリー国立松栽培園

木々が生い茂る広大な森林公園。ウォーキングからハイキング、乗馬など、年代を問わず各種アウトドア・アクティビティーを体験できる。

Lady Oak Lane, Goudhurst, TN17 2SJ
Tel: 0158 087 9820
料金: 無料
www.forestry.gov.uk/bedgebury

Merriments Gardens
メリメンツ・ガーデンズ

季節の花々に彩られた愛らしいガーデン。約1万6000㎡という広大な敷地に変化に富んだレイアウトを施しており、のんびりと散歩するにも最適。

Hawkhurst Road, Hurst Green, East Sussex TN19 7RA
Tel: 0158 086 0666
2021年は10月31日からオープン
https://www.merriments.co.uk

 

この後どうなる?英国のEU離脱

この後どうなる? 英国のEU離脱

英国は1月31日に欧州連合(EU)からの離脱を迎えた。とはいうものの、年内は「移行期間」として実質的にはEUに残留したままの状態で、完全な離脱へ向け準備を整える。2016年6月の国民投票から3年7カ月、今後も紆余曲折と混乱はまだまだ続きそうだ。ここでは、移行期間中に決めるべき事柄のポイントをはじめ、離脱に対する国内の反応をご紹介する。英国のEU離脱は、英国・欧州にとって凶と出るのか、それとも吉に転じるのか。今はまだ誰もその答えを知らないといえるだろう。 (英国ニュースダイジェスト編集部)

英メディアが報じたBREXIT

EU からの離脱を迎えた英国。当日、また翌日の英国各紙のトップにはさまざまな言葉が躍り、離脱派と残留派の入り乱れる国内の様子が伺える。

BREXIT – IT'S TIME
離脱の時間だ

The Times 時計の針は1月31日の後も、移行期間の終了する12月末に向けて進んでいる。
(「タイムズ」紙 2020年1月31日)

The day we said goodbye
私たちがさよならを告げた日

ガーディアン ある英国人にとっては独立記念日、またある英国人にとっては
家族と死に別れたような日。
(「ガーディアン」紙ウィークエンド版 2020年2月1日)

What next?
そして次はなに?

i 祝祭の後には何がやってくるのか。
(「i」紙 ウィークエンド版 2020年2月1日)

OUR TIME HAS COME
私たちの時代が来た

サン 30年にわたる抵抗を経て、偉大な英国の人々はとうとう離脱を成し遂げた。
(「サン」紙 2020年1月31日)

Britain finally cuts the EU ties
英国はついにEUとの関係を絶った

サン 英国は47年にわたる欧州の共同体のメンバーとしての活動を終えた。
第2次世界大戦後に進められた欧州連合の歴史で初めて加盟国が離脱した。
(「フィナンシャル・タイムズ」紙 ウィークエンド版 2020年2月1日)

移行期間の重要性

移行期間とは、英国がEUと今後の関係に関するさまざまな協定について協議し、移行期間の終了と同時に発行できるように手続きを進めるための期間だ。約11カ月の移行期間中に英国とEUが全ての交渉において同意し、協定の発行手続きを進めることはまず不可能と見られているが、ボリス・ジョンソン首相は移行期間の延長はしないと明言している。そのため、優先事項や重要事項から手をつけていき、「合意なき離脱」まがいの大混乱を回避する必要がある。数ある懸念の中でも特に重要と思われる3つの事項を挙げてみた。(参考: 時事通信、ニッセイ基礎研究所など)

EU離脱後の移行期間

 
2020年1月31日 離脱
2020年3月3日 EUとのFTAに関する交渉が開始
2020年6月30日 移行期間延長の同意期限
延長する場合はこの日までに英EU間での同意が必要。
延長期間は最高2年
2020年12月31日 移行期間終了
EUとの交渉は合意に至ったか
YES NO
2021年1月1日EUとの新しい関係が
スタート
2021年1月1日EUとの協定なしに
移行期間が終了

(参考:BBC)

移行期間中に協議される主な重要事項

1FTA(自由貿易協定)を始めとした新たな国際協定の交渉

英国はEUとのFTA交渉を3月3日から開始する予定。保守党内ではカナダや日本とEUが結んだFTAを参考に、さらに広範な内容を盛り込んだFTA案が有力視されている。ただ、カナダとEUの貿易協定は交渉だけで約7年かかったとも言われている。また、1月22日付の「デーリー・テレグラフ」紙は、「相互認証」制度*の導入について、EUが提案を留保する場合もあると報じるなど、英国がEUとの交渉で「カナダや日本(との合意内容)より悪い」条件を提示される可能性も伝えており、困難が予想される。英国はさらに、EUとの交渉と並行して日本や米国などとのFTA交渉にも臨む方針だ。
*貿易相手国向けの製品検査・認証を自国で実施する制度

2アイルランド国境に関する
枠組みの導入

英国がEUから離脱すると、北アイルランドとアイルランド間に税関や国境検査が復活し、かつての紛争の爪痕が色濃い地域を不安定化させる懸念があるとして、メイ前首相とEUは以前、双方の間に税関や国境検査を復活させない方針で一致した。バックストップという安全策もその一つだったが、ジョンソン首相は新離脱案を提出する際にこれを廃し、北アイルランドを「経済特区」に指定。英全体が離脱後も北アイルランドはEUの「関税同盟」に残留させることとした。これに伴い、英国の他の地域から北アイルランドに入る物品の流れをアイリッシュ海上で検査しなければならなくなるのでは、との疑問が残る。

3EU市民の権利保全と
新たな移民管理制度の準備

在英EU市民の権利保障については、英国とEUが昨年10月にまとめた国際条約「離脱協定案」で定めている。それによると、EU市民や、EUと「移動の自由」の取り決めを交わしているノルウェー、スイス、アイスランド、リヒテンシュタインの英在住市民は、2021年6月30日以降も英国に在住する場合、永住権の取得が必要。永住資格の申請期限は今年12月末だが、来年6月末までは猶予期間が設けられる。今後、英政府はEU市民の永住資格を証明する書類やカードの発行を実現化するほか、在英EU市民の権利保障の状況を監視する独立機関の設置なども予定されている。

各業界のプロに聞いた
EU離脱について思うこと

移行期間はあるものの、ついに欧州を離脱した英国。この国に暮らす人々は今、何を感じているのか。弊誌でおなじみのコラムニストの方々をはじめ、仕事の関係から欧州大陸とのつながりを重要視せざるを得ない方々に、社会、ビジネス、経済、歴史など、さまざまな視点から離脱について語っていただいた。

残留派は離脱を受け入れることを学ばなければ

英通信社勤務 リチャード・ホルトさん(英国人)

離脱に対する私の見方は否定的です。2016年の国民投票では残留に投票したので、英国が離脱を選んだことに落胆しています。国民は投票前に離脱派の政治家たちから多くの嘘を伝えられました。英国はこれから不況に陥ると思いますが、私の仕事への影響は不明です。欧州の多くの出版社と仕事をしていますが、どのようにして一緒に仕事を続けるのか、お互いに準備ができていない状態です。

英国の不在による欧州の弱体化は、ロシアのプーチンの破壊的で拡張主義的な政策を助けてしまう結果になるかもしれませんね。また、英国は単一組織としてこれからさまざまなプレッシャーを受けるでしょう。国内ではスコットランド独立やアイルランド統一を目指す人たちがいるので、それによるトラブルが発生する可能性もあります。移民削減については、単純にその流れを止めたり、減らしたりすると働き手がいなくなり、NHS(国民医療制度)をはじめとした経済とサービス部門に影響を及ぼすので、私は反対です。――しかしどちらにせよ、非常に多くの人々が離脱に投票したので、その事実を無視することはできません。残留派は不満があっても、今回の離脱を受け入れることを学ばなければいけないのだと思います。

大きな混乱は起きないのでは

会計事務所勤務 女性(日本人)

仕事柄、ブレグジット後はどうなるか? という話題が以前からよく日系クライアントやコンタクト先などで持ち上がります。英国や日本の両政府関係者と話す機会も幾度かありましたが、今のところ、まだ誰も具体的な対策は立てられないというのが現状のように感じます。

まずは英国政府やEU諸国の政策を把握し、それから関税や人事など、どの分野でどういった対応が必要となってくるかについて検討。そしてそれを実行に移すという形にしかならないのではないか――そういう話の展開になって終わることが大半でした。

結局のところ、英国側としてもEU側としても経済的に大きな打撃を受けることは本望ではないと思うので、大きな混乱や日々の生活の中での大きな影響が出ることにはならないのではないかと、個人的には比較的楽観視しています。

霧の都の出船、波高く、風強し

シティ公認ガイド 寅七さん(日本人)
シティを歩けば世界が見える」コラム担当

今回のEU離脱問題で16世紀に起きたヘンリー8世の宗教改革を思い出しました。ヘンリー8世は普遍的権威を持つカトリック教会から英国を離脱させ、国王と国教会の首長を兼ねながら英国を強国に変えました。その自国主義の熱望が現代にリフレインされているようです。

英国は法による支配や株式資本主義など世界的な模範をたくさん作り出しましたが、一方のEU(欧州連合)も28カ国が統合して人類普遍の価値の実現を目指す崇高な理念があります。その元をたどればカール大帝や神聖ローマ帝国へのオマージュに行き着きますが、自国第一主義の今の英国からすればどうでもよいことでしょう。英国は高邁な国の理念を世界に示し、志の低い国になって欲しくありません。

英国丸ジョンソン船長にボン・ボヤージュ。霧の都の出船、波高く、風強し。

グレアム・ロレンスさん日英関係を深めるための好機ととらえるしかない

異文化コンサルタント
グレアム・ロレンスさん(英国人)
異文化相互理解を深めるためのビジネス文化塾」コラム担当

EU圏、英国と日本の橋渡し役を務めている私にとっての最大の懸念は、やはり、貿易への影響ですね。国民投票結果が発表された当日、私はEU加盟国と密接な関係を持つ某日系企業で輸出入を担当していました。電話は通常鳴りっぱなしですが、不思議なことに、その日に限って欧州大陸から1本も電話が掛かってきませんでした。しーんとした、何だか妙な雰囲気でした。大陸の人々の驚きが現れているのではないでしょうか。

流通や通関の実地経験を持つ私は、関税など実務レベルの手続きがうまくいくかどうかが心配です。常日頃ビジネスに直接携わっていない政治家はそこまで把握していないでしょうから。「やってみないと分からない」試行錯誤的な部分は多い気がします。

在英日系企業にご迷惑を掛けることは大変申し訳ないのですが、離脱は決まったことですので、日英関係を深めるための好機ととらえるしかないと思います。大陸で働いている同僚が懸念していることは、税制度などが具体的にどう変わるかがはっきりしていないことや、英国の離脱によってEU全体が弱くなることです。一方、日系企業や有能な人材が大陸の方へ流れることはドイツやベネルクスにとって喜ばしいことと考えられており、私たち英国人には悔しいですね(苦笑)。英国と日本は昔からの仲間ですので、今後はその絆がさらに強くなることを期待しています。

離脱すれば、英国の海にいる魚は自分たちのものになるのかと

鮮魚店勤務 男性(英国人)

国民投票の時、魚の関係者はみんな離脱に投票したと思いますよ。離脱すれば、英国の海にいる魚は自分たちのものになるんだとね*。でもそう簡単ではなかった。こっちだって欧州各国から魚介類を輸入してるしね。離脱が決まってからはポンドが弱くなったから、仕入れる魚も高くなってしまった。

鮮魚や魚の加工品をスーパーマーケットで買っているんだったら、ああいうところはスウェーデンやアイスランドから輸入された魚を多く扱っているので、これから関税なんかのせいでもっと値段が上がるんじゃないですか。それにその他の輸出入の手続きもいろいろ面倒くさくなるはずだ。今は交渉がうまくいくことを願うしかない。

*現在、英国は自国海域内の漁業管理をEUに任せているため、欧州の国々も英国の海域内で操業が可能。英国を含む各国の漁獲量は規定により定められているが、EU諸国の水産業は英国の海域にかなり依存している。今後、英国海域内での操業と漁獲量に関する交渉が英EU間で行われる予定。

小林恭子さん今後はみんなで心を一つにしてほしい

在英ジャーナリスト 小林恭子さん(日本人)
小林恭子の英国メディアを読み解く」コラム担当

とうとう、離脱が実現しましたが、離脱後は「離脱派」と「残留派」との対立・分断が消えることを願っています。2016年6月の国民投票以降、何としても離脱を実行するべきという離脱派と、再度の国民投票、そして残留の可能性があると想定する残留派とが互いを批判することに多大のエネルギーが使われてしまいました。議会も審議時間を無駄にしたように思えてなりません。今後は、離脱でEUからの移民が無制限に入って来られなくなるので、学校や病院が急激に混雑することもなくなるかもしれません。これから医療制度の充実、貧困の解決など、英国独自の政策を下院を通じて一歩一歩、じっくり取り組み解決することができるようになるのではないでしょうか。ロンドン五輪・パラリンピックを成功させたように、みんなで心を一つにして、英国を発展させることができるといいなと思います。

 

新海誠 氏インタビュー 映画「Weathering With You (天気の子)」イギリス公開記念

映画「天気の子」Weathering With You
イギリス公開記念
原作・脚本・監督
新海 誠 氏 インタビュー

Weathering With You

映画は大勢の観客との
コミュニケーション

今月17日、日本で社会現象となったアニメーション映画「君の名は。」に続き大ヒットとなった「天気の子」の英国公開が始まった。これに先立ち、プレミア上映会のため新海誠監督がロンドンを訪れたのは小雨が降る昨年12月。忙しいスケジュールの合間を縫って、本作品に対する思いや諸外国での反応などを語っていただいた。新海監督の作品はその美しい風景描写と切ない台詞回しからしばし「新海ワールド」と形容されるが、丁寧な語り口で言葉をつむぎ出す監督の姿から、作品の世界観に通ずる緻密さ、そして優しさが透けて見えた。(取材・文: ニュースダイジェスト編集部)

新海 誠 
Makoto Shinkai 新海 誠
Makoto Shinkai
1973年生まれ、長野県出身。大学卒業後ゲーム会社で働くかたわら、アニメーション制作を始める。2002年に短編作品「ほしのこえ」でデビュー以来、発表する作品はどれも国内外の映画賞を受賞。「君の名は。」(16年)はメガヒットとなり、宮崎駿監督の「千と千尋の神隠し」(01年)に次ぐ歴代2位の興行収入を記録した。

映画「天気の子」について

前作「君の名は。」から約3年。世界中のファンが新作を待ち望んでいたと思います。製作にあたりプレッシャーは感じませんでしたか。

「君の名は。」がヒットしたから次もヒットさせなければいけない、というようなプレッシャーは特になかったと思います。面白い映画を作りたいというシンプルな気持ちはありましたし、つまらない映画を作って観客をがっかりさせたら良くないな、という意味でのプレッシャーはありましたが、ただ「売れなければ」ということはあまり考えませんでした。それは配給会社やプロデューサーの仕事であって、監督としての自分の仕事は「まずは面白いと思える映画を作ることだ」と考えていました。

「君の名は。」と比べ、子供たちが置かれている生活環境や家庭事情が随分異なっていました。主人公など題材のリサーチはご自身で行っているのでしょうか。

「君の名は。」の時はキラキラした生活を描いていました。ただ、「天気の子」を作り始めた時に、前作と同じような生活を描いても若い観客はそこには憧れてくれないんじゃないか、という感覚はありました。前作を作り始めたのが2014年ぐらいだったのですが、あの頃は三葉の家のようなキラキラした家を描けば、あそこに行ってみたい、あの家に住んでみたいという共感を得られるのでないか、と考えていました。ところが「天気の子」を作り始めた2017年ぐらいにはそういう気持ちは自分の中から消え失せていて、むしろそういう生活を描いたら反感を持たれるのではないか、感情移入してもらえないのでは、と思い、本作は少し貧しい主人公に設定しました。リサーチというよりは、僕も同時代に生きているので、僕自身が感じる感覚というのは他の多くの人も共有していると思いますし、調べるというよりは自然に、身の回りから感じることですよね。もちろんスタッフの意見も聞きますが、時代的なものを読もうと思っても読み切れるものではないので、最終的には自分の感覚を頼りにするしかないですね。

劇中の英語字幕で「先輩」が翻訳されず「Senpai」とそのまま表記されていたのが新鮮でした。字幕の監修には携わったのでしょうか。

英語字幕版を観て字幕のタイミングなどについて話し合うような機会をいただきましたけれども、内容に関しては基本的にお任せしていました。例えば「晴れ女」を「Sunshine girl」と訳すのは結構苦肉の策なんだろうなと思いますし、それによって意味合いも変わってくるような気もしますが、一方で他にどうしようもないと言いますか。その点、「Senpai」という言葉はある種アニメ・リテラシーの高い、外国のアニメ・マニアにとってはすごく楽しい単語だと思いますね。マニアたちは学園モノに親しんでいるから、「先輩好きです」みたいなシチュエーションをたくさん見ているわけです(笑)。自分より年下の少年に対し主人公の帆高がこの単語を使うそのギャップの面白さに笑ってくれるのだと思いますが、それはアニメ・ファンへ舵を切った思い切った訳し方であり、また一つの正解なんだろうな、と思いながら見ていました。

海外のレビューサイトでは「ロマンティックなティーンの物語だ」というコメントが多かったのですが、日本と外国のファンの映画の捉え方、感じ方の違いを感じることはありますか。

国によって受け止め方の違いというものはありますけど、それよりも個人における違いの方がはるかに大きいと思うんですね。日本でも、この映画が好きだという人もいれば気に入らなかったという人もいる。それと同じように、一人ひとりの嗜好の違いの方が映画の印象に違いがあると思います。ただ、今回プレミア上映のために多くの国を訪れて印象に残ったのは、気候変動に関しての各国の受け止め方です。例えばこの映画を見て気候変動のことを連想する国としない国というのがはっきり分かれるような気がしています。日本は気候変動による災害があれほど頻発しているのにもかかわらず、メディアからもその話題はほとんど出なかった。ある種特殊な国だと思います。同じように気候変動を気にしていないという印象を受けた国はロシア、中国ですね。韓国も近かったかもしれませんが、その中間ぐらいかもしれません。ただ、英国が最大に気候変動のことしか聞かない国(笑)。インドや米カリフォルニアでも質問はされましたが、環境への意識の高さに関して、やっぱり英国は桁違いだなと感じました。

天気の子

新海監督と英国の思い出

2008年にロンドンに滞在されていたそうですが、その時のことについて教えてください。

中心部ホルボーンにある語学学校に行っていました。その前に国際交流基金から中東3カ国でアニメーションのワークショップをするという仕事をいただいておりまして。そこから一番近い英語圏というのが英国だったので、そのまま足を延ばしてしばらく英語の勉強をさせてもらおうかなと思い、滞在していました。当時35歳ぐらいだったのですが、大学生の留学生に混じって勉強して、今思えばバケーションのようなものでしたね。BFI(ブリティッシュ・フィルム・インスティチュート)でイベントもさせてもらったりして、2回目の学生時代が戻ってきたようでとても楽しい思い出です。印象深かったことはロンドンの街並みの美しさですかね。僕は海外に住むのがその時が初めてで、ここは日本に比べて彩度も明度もはるかに低い街だなと思いました。存在する街の色も限られているし、全体的に夜は暗い。生活空間における光の在り方が全く違うのだ、というのが当時の自分にとって興味深かったところです。それから建物の古さや街並みそのものですね。シティのようなビジネス街もありますけれども、基本的には大まかな街並みの構造はキープされ続けていて。建物の価値は基本的に下がらず、古ければ古いほど高い、という日本とは全く逆の考え方で、そこがすごく面白かったです。違う街に住んでいると人の行動様式、また価値観も変わるんだな、ということを実感できたのが、僕にとって貴重な経験でした。

食事はいかがでしたか。

ちょっとびっくりするくらいまずいお店がいくつかありましたね(笑)。今とは随分違うんでしょうけれども、何気なく入ったイタリアンが驚くほどまずい、という経験を何回かして、だんだん自炊するようになりました。

映画製作とこれから

2002年の自主制作「ほしのこえ」から始まり、現在は大きなチームで製作を進めておられますが、体制が変わったことでの面白い点、反対に難しい点などがあればお聞かせください。

人数が少ないときと多いときで、やりやすさ、やりにくさはどちらにもありますね。ただ製作スタイルが変わってきているのは自分自身の興味の対象も変わってきているから、というのがとても大きいです。「ほしのこえ」の頃はとにかく自分だけで何ができるのかを知りたかったので、全てを一人で作ってみました。そのうち自分より他の人の方が得意な部分というのも見えてくるわけですが、今僕が一番興味があるのは物語の構築そのものです。どのような物語を作ればどれぐらいの規模の観客とコミュニケーションできるのか、どれほどの規模の観客にリーチできるのかというところなんですね。今、日本で東宝と一緒に作品作りを行っていますが、ここがターゲットとしているような数十万人から数百万人、「天気の子」でいうと1000万人以上、それほどの大きなスケールの観客にどのような物語を届ければいいのだろう、と。ヴィジュアルのデベロップメント *1 などは数百人いるスタッフの力を借りるところがすごく大きいですが、僕が一番力を注ぎ、自分一人で考えている部分は「膨大な観客とのコミュニケーション」であり、そこで何ができるのか、自分の役割は一体何なのかを探求することが今一番楽しく感じられる部分です。興味の対象が変化してきているので、製作体制も必然的に変わってきているという気がします。

*1 ヴィジュアルの視覚デザインを確定する作業

Weathering With You

東宝の夏休み映画として公開されましたが、もし時期が違っていたら題材は変わっていたかもしれない、と?

7月に公開するつもりで今回の題材を選んだので、まずは日本で夏に見てもらう映画として作りました。映画、特に全国各地で公開される映画というのは時事的なお祭りに近いと思うのです。そのタイミングで観客に何が言えるのか、その時の観客が何を感じるのか、というのが大規模な映画を作る醍醐味だと今は思っています。映画に十分な力があれば、結果的にその映画が5年、もしくは10年先まで残るということもあるかもしれません。この作品がどれほどの風雪に耐えうる映画なのか、それは時が経ってみないと分からないことですね。今回、僕は最初から5年10年、あるいは50年残る映画というものは全く目指していませんでした。シンプルに同時代の表現としての夏休み映画を作りたいと。それがその先冬まで、春まで生き延びるのであればそれは幸せなことですが、そこは最初の目標の外側ではあります。

Weathering With You

欧州を舞台にする予定は……?

各都市、各地域でそう言ってもらえること自体が、もしかしたら僕たちチームのストロング・ポイントなのかな、と受け止めています。英国を描くかは分かりませんが、自分たちのいる場所を僕たちに描いて欲しいと願ってもらえる、そういう欲望を抱いてもらえる映画作りをこの先も行っていければ僕たちにとって名誉なことだと思いますし、そういうことを今後もやっていきたいです。

これから映画を見る読者にメッセージをお願いします。

英国で日本のアニメーション映画を観るという経験がどういうことなのか想像になりますが、日本で観ていては気付かない何かをきっと発見できると思います。僕は宮崎駿さんプロデュースの映画「耳をすませば」を映画館で最初に見た時はあまり何も感じなかったんですが、英国で一人暮らしをしている時にDVDで見たら泣いてしまったんですね。そういう日本で気付かなかった当たり前の部分を英国にいるからこそ感じ取れる、というのは多分僕の映画にもたくさんあるはずだと思います。ぜひ英国にいる間に観ていただいて、日本にいた時には気付かなかった日本の良さないしは良くない部分なりを映画の中から探していただけると、僕としてはものすごくうれしいです。

あらすじ

離島から抜け出した高校1年生の家出少年、森嶋帆高は、偶然の出会いから東京にあるオカルト雑誌のライターとして働くことになる。奇妙なほど連日雨が降り続いたその年の夏、帆高は一人の少女、天野陽菜と出会う。その子は、祈るだけで空を晴れにできる不思議な力を持っていた。

天気の子 Weathering With You
イギリス各地にて公開中

監督:新海誠
声の出演:醍醐虎汰朗、森七菜、本田翼、小栗旬 他
※英語吹き替え版もあり
https://weatheringwithyoufilm.co.uk

 
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