ハイスからダンジェネスまでの乗車時間は約1時間。緑の草原、麦畑、牧羊地、そして住宅地と、車窓の景色は目まぐるしく変わり飽きることはない。風景だけではなく、出発地点付近では「撮り鉄」たちが待ち構えているほか、RH&DRに向かって手を振る人が驚くほど多い。「Welcome back RH&DR」という手書きのポスターを掲げる人もおり、地域の住人たちがRH&DRを誇りに思い、新型コロナウイルス予防のため数カ月運休していたRH&DRの再開を心から喜んでいる様子が伝わってきた。
Dungenessへの行き方
London St Pancras International駅からナショナル・レールでFolkeston Central駅まで約1時間、Folkeston Central駅からバス(Golden16 Bus Stop A)でHythe Light Railway Station まで約35分。目の前のHythe RH&DR駅からDungeness駅までRH&DRで約1時間。
デレク・ジャーマン(Derek Jarman、1942~94年)は、1970年代半ばから20年間にわたり活躍した映画監督。舞台デザイナー、作家、園芸家など多くの顔を持ち、ここ数年特にその作品や思想が再び脚光を浴びている。現在、ロンドンのガーデン・ミュージアムでは「Derek Jarman: My garden’s boundaries are the horizon」と題し、晩年プロスペクト・コテージに暮らしたジャーマンにスポットを当てたエキシビションが開催中だ。
英国で通行権(Rights of way)と呼ばれる歩道がある。これはロンドン中心地以外*のイングランドとウェールズに見られるフットパスのうち、法律により保証されている、誰もが自由に出入りできる散歩道のこと。たとえ私有地であろうとも、道は国民のものという英国人の考えが反映されている。この通行権、法律上は以下のように四つに大別されている。
2024年にウェスト・スミスフィールドへの移転が決定しているロンドン博物館(Museum of London)は、世界最大級の市立博物館として約600万点の収蔵品を誇ります。常設の展示品はその0.5パーセントに満たないのですが、時系列的に展示室が区切られていますのでふらりと散歩するだけでロンドンの歴史を時代ごとに体感できます。
ネイサン・ベイリー編の「An Universal Etymological English Dictionary,1721」を基礎にしながらも、足りない言葉を丁寧に補い、全く独自の視点から自分で用例を集め、8年をかけて独力で完成させた。こうして1755年に生まれたのが「英語辞典」(A Dictionary of the English Language)である。
Sir, when a man is tired of London, he is tired of life; for there is in London all that life can afford. ロンドンに飽きた者は人生に飽きた者だ。 ロンドンには人生が与え得るもの全てがあるから。
Patriotism is the last refuge of a scoundrel. 愛国主義は不埒なやつらの最後の隠れ家だ。
信頼なくして友情はない、誠実さなくして信頼はない。
あらゆる出来事の最も良い面に目を向ける習慣は、 年間1000ポンドの所得よりも価値がある。
音楽は背徳を伴わない唯一の官能的な愉しみである。
思慮分別は人生を安全にはするが、往々にして幸せにはしない。
結婚は多くの苦悩を生むが、独身は何の喜びも生まない。
There is no kind of idleness by which we are so easily seduce as that which dignifies itself by the appearance of business.多忙という威厳をまとった怠惰に、 人は何よりもたやすく惹きつけられる。
怠け者だったら、友達を作れ。友達がなければ、怠けるな。
過ぎ行く時を捉えよ。時々刻々を善用せよ。 人生は短き春にして人は花なり。
Tea’s proper use is to amuse the idle, and relax the studious.紅茶の正当な効用は、怠け者には暇つぶしになり、 勤勉な者をリラックスさせる。
腐敗した社会には、多くの法律がある。
A fishing pole has a hook at one end and a fool at the other.釣り竿は一方に釣り針を、もう一方の端に馬鹿者をつけた棒である。
恋は愚か者の知恵であり、賢人の愚行である。
政府は我々を幸せにすることはできないが、 惨めな状態にすることはできる。
Hell is paved with good intentions.地獄への道は善意が敷き詰められている。
短い人生は時間の浪費によって一層短くなる。
If a man does not make new acquaintances as he advances through life, he will soon find himself left alone. A man, sir, should keep his friendship in a constant repair. 人生において新しい知人を作らずにいると、 やがて独りぼっちになるだろう。 人はね、君、友情を常に修復し続けなければならないのだよ。
サミュエル・ジョンソンを有名にした人物 ジェームズ・ボズウェル James Boswell(1740〜1795年)
ホッジは撫でられるとゴロゴロと喉を鳴らす愛らしい猫だったようで、ジョンソンはホッジが死の間際に苦しんでいたとき、痛みを和らげるためにセイヨウカノコソウという薬草を買いに行った、というエピソードも残されている。主人を精神的に支えた猫は、「a very fine cat indeed」という言葉ともに今も旧宅のそばで座り続けている。
ただし、特にメーカーズ・マークとデート・レターに関しては、その種類が相当数に上るため、興味のある方にはオンライン・ショッピングのアマゾンなどで5ポンド程度で購入できる、ホールマークの種類を図解したポケット・サイズの本がお勧め(Antique Marks by Anna Selby : Collins Gemシリーズなど)。小さめサイズなら、マーケットでの宝探しの際にも重宝する。また各地のアセイ・オフィスでも鑑定を受け付けているので、相談してみてもいいだろう。
5月8日、第二次世界大戦で英国を含む連合国がドイツを降伏させた戦勝記念日、通称VEデー(Victory in Europe Day)は2025年で80周年を迎える。同大戦で敗戦国となった日本と異なり、当日のロンドンは祝福のムードに包まれていたが、一方で身内を亡くした人々も多く、手放しで喜べる国民ばかりではなかったという。複雑な思いが絡み合うその日に、当時の人々は何をしていたのか調べてみた。(文: 英国ニュースダイジェスト編集部)
VEデー当日、チャーチルは15時からBBCラジオ放送と、保健省(The Ministry of Health)の建物があったホワイトホールに集まる群衆に向かって2回スピーチを行っている。ラジオ放送では、冒頭でナチス・ドイツ軍の無条件降伏の事実を伝え、この勝利が本戦争における一時的な喜びであり、日本がまだ降伏しておらず、英国はまだまだ戦い続ける、という強い意志を持って結んでいる。一方、大勢の聴衆を前にしたスピーチでは、国民への熱い労いの言葉を中心に、英国全体で戦っていることを強調。国民を鼓舞する劇的な言葉を多用し、ドラマティックな印象を残した。
VEデー当日のスピーチ(抜粋)
God bless you all. This is your victory! It is the victory of the cause of freedom in every land. In all our long history we have never seen a greater day than this. Everyone, man or woman, has done their best. Everyone has tried. Neither the long years, nor the dangers, nor the fierce attacks of the enemy, have in any way weakened the independent resolve of the British nation. God bless you all ...and later ...
My dear friends, this is your hour. This is not victory of a party or of any class. It's a victory of the great British nation as a whole. We were the first, in this ancient island, to draw the sword against tyranny. — Whitehall, Londonにて
第二次世界大戦中に、勝利のサインとして「V」の文字が頻繁に使われている。このVサインはもともと1941年、BBCのラジオ・ベルギーの局長であったベルギーのヴィクトル・ド・ラブレー元法務大臣がフランス語で勝利を意味する「victorie」、オランダ語で勝利や自由を意味する「vrijheid」でVサインを広めようと発言したのがきっかけ。この発言以降、ベルギー、オランダ、フランス北部でこれらのサインが街中に現れたことを受けて、BBCは「V for Victory」と題したキャンペーンを始めた。チャーチルもこのハンド・サインをメディアへ向けて積極的に使用していく。あるときは葉巻を指に挟みながら、手の甲を相手に向けたいわゆる「裏ピース」を多用していたが、これが特定の階級にとって侮辱を意味することだと知らなかったチャーチルは、指摘を受けて以降、手のひらを外側へ向けるようになったと言われている。
祝日となった8日、チャーチル首相は当時配給制度を担当していた食品省(The Ministry of Food)に、ロンドンで十分にビールの供給があるかどうか確認をとり、当時の商務庁(The Board of Trade)は、人々が配給切符なしで赤、白、青の旗布を購入できるよう制度を調えた。また、VEデー・マグカップなど、急ピッチで製作された記念品が出回ったほか、簡易ながら通りにテーブルを出して祝うストリート・パーティーを楽しんだ市民も多く、1942年から45年3月まで製造が禁止されていた入手経路不明のアイスクリームなど、子どもたちが待ち望んでいた食べ物も並んだ。スプーンを持参していなかったため、食べたい欲求を抑えて泣きながら家まで持ち帰った子どももいたようで、微笑ましくも心が痛むエピソードも数多く残されている。
王室メンバーも国民と共に勝利を祝うため、バッキンガム宮殿のバルコニーから歓声をあげる国民の前に姿を現した。同宮殿から東へ延びるザ・マル、トラファルガー広場まで群衆で埋め尽くされ、ジョージ6世とエリザベス王妃、エリザベス王女、マーガレット王女が宮殿のバルコニーから人々に手を振った。ジョージ6世とエリザベス王妃は、合計8回も群衆の前に現れ、途中からチャーチル首相も王室メンバーと共にバルコニーに登場した。その夜、当時19歳のエリザベス王女と妹のマーガレット王女は宮殿を抜け出し、歓喜に湧く国民の中に混じり、喜びを密かに分かちあっていたという。エリザベス女王は後にこの夜の出来事を振り返り、「国民の皆さんと一緒になって、『We want the King(王様が欲しい)!』と一緒に叫びました。あの夜は人生の中で最も思い出深い一夜の一つです」と語っている。
2025年5月8日は「VE DAY」80周年記念 Keep Calm and Carry On 第二次世界大戦、使われなかったプロパガンダ・ポスター
「Keep Calm and Carry On」と印刷された真っ赤なポスターやマグカップ、ティー・タオルなどをロンドンのお土産物屋の店先で見かけたことがある方は多いだろう。「落ち着いて、日常生活を続けよう」というこのスローガンは、新型コロナウイルスの時代を生きる今の私たちにこそしっくりあてはまるようだが、元は英国政府が第二次世界大戦開戦を目前に制作した、国民向けのプロパガンダ・ポスターから取られている。ここではポスターがたどった数奇な運命を紹介する。(文: 英国ニュースダイジェスト編集部)
シンプルで強い印象を与える、今ではおなじみのデザイン
ドイツ軍の本土上陸に備えて
1939年春、もはやドイツとの戦争は不可避と考えた英政府は、情報省(Ministry of Information)に国民の士気を維持するプロパガンダ・ポスターの制作を命じた。当時は、開戦となればドイツ軍が数時間以内に英国内の都市を爆撃すると考えられていたため、政府は国民が空襲の恐怖で戦意を喪失することを危惧したのだった。情報省は、「Keep Calm and Carry On」(落ち着いて、日常生活を続けよ)「Freedom Is In Peril. Defend It With All Your Might」(自由は危機に瀕している。全力で防衛せよ)「Your Courage, Your Cheerfulness, Your Resolution Will Bring Us Victory」(あなたの勇気、元気、決意が勝利をもたらす)という3部作を制作。混乱した町中にあってもはっきりとメッセージが識別できなくてはいけないため、スローガン、フォント、配色など、どれもシンプルで強い印象を与えるようデザインされ、上部にはこれが国王と国家からのメッセージであることを示す王冠のイラストが配された。
Keep Calm and Carry Onの他、同時期に作られたシリーズの2枚
上から目線があだとなり廃棄処分に
ポスターの印刷が開始されたのは1939年8月23日。9月1日にドイツ軍がポーランドに侵攻し、同3日、英国がドイツに宣戦布告するなか、まず「Freedom Is In Peril. Defend It With All Your Might」と「Your Courage, Your Cheerfulness, Your Resolution Will Bring Us Victory」の2つのポスターが街頭に貼り出された。ところが、当初すぐに大空襲が始まるという予想ははずれ、1940年5月のドイツ軍のフランス侵攻まで、英独は戦争状態にあったにもかかわらず陸上戦が全く行われない状態が続いた。国民やメディアはこれを「まやかしの戦争」(Phoney War)と呼びはじめ、それに伴い大きな政府予算を投じたポスターに対しても、スローガンが「上から目線」であるという批判が起きた。
ロンドンの帝国戦争博物館のアート・キュレーター、クレア・ブレナード氏によると、当時巻き起こった批判は、「ポスターのスローガンは人に考えを促し、自ら行動に移すように仕向けるべきで、命令されるようなものであってはならない」というものだった。また、「防衛せよ」という受身の姿勢や、勇気や元気といった抽象的な言葉が並ぶのは、第一次世界大戦時の政治家がよく演説に用いた手法で、当時の人々にはそれが控えめで古臭いと感じられたのではないかと語る。こうして先の2枚の評判が甚だしく悪かったことから、3つのポスターの中で1番多く印刷され、出番待ちをしていた250万枚あまりの「Keep Calm and Carry On」は日の目を浴びることすらなく、1940年4月に廃棄され再生紙の原料となった。
Grow Your Own Food 自分の食糧は自分で育てようという、非常に直接的なメッセージ
ほんの偶然から21世紀によみがえる
イングランドの最北、スコットランドとの境にあるノーサンバーランド、アニック(Ainwick)の町。そこにヴィクトリア時代の駅舎をそのまま利用した古本屋がある。バーター・ブックス(Barter Books)と呼ばれるその店は、1991年に英国人と米国人カップルによって始められた。第二次世界大戦から半世紀以上を経て、21世紀に「Keep Calm and Carry On」がよみがえったのは、このバーター・ブックスのおかげといえる。
ヴィクトリア時代の駅舎をそのまま利用した古本屋、バーター・ブックス
2001年のあるとき、古書の入った大箱をオークションで購入した店主のマンリー氏は、多くの本の底にホコリをかぶった古ぼけた1枚のポスターを発見する。それが、かつて全て破棄されたはずの「Keep Calm and Carry On」のオリジナル・ポスターだっだ。同氏はいたく感激し、額に入れて店内に飾ることにした。するとそのポスターに多くの客たちが反応を示すことに気が付き、試しにポスターをカラー・コピーして販売してみると……。
これが現在の「Keep Calm and Carry On」ブームの始まりである。1939年のデザインはすでに著作権の保護期間も終了しており、誰もが自由に手を加えることができるとあって、これをもじったあらゆるデザインが登場。かつて「上から目線」と言われたそのスローガンも、今では、何事にも動じず淡々とやり過ごす「英国人らしさ」の象徴にすらなっているといえるだろう。