夏時間が始まり、今週末にはイースター休暇を迎え、いよいよ欧州の旅行シーズンが幕を開けた。これからの季節、地の利を生かして、欧州の観光地をたくさんめぐりたいと思うところだろう。本特集で注目するのは、隣国フランス。絵画、ブランド品、グルメといった華やかな魅力に目が向きがちな同国にひっそりと存在する、神秘スポットを紹介致します。
Text by Alicia-Michiko HYUGA
www.artmichiko.com
シャルトル大聖堂
Cathédrale de Chartres

シャルトルでは毎年春から初秋にかけて町全体を覆う
イルミネーションが企画されている
©XRScenographie - François Delauney
パリから南西80キロの位置にある町シャルトルには、キリストが生まれた時に聖母マリアがまとっていた聖衣の切れ端が聖遺物として大切に保管されている。876年、フランス王シャルル2世・ル・ショーヴ(Charles II le Chauves)よりその聖遺物を贈呈されてから、シャルトルには巡礼者が訪れるようになった。11、12世紀に高位聖職者の集まる大司教区となったシャルトルにおける教会参事会員と高官の数は、パリよりも多かった。12世紀の王フィリップ2世の妻イザベル・ド・エノー(Isabelle de Hainaut)は、シャルトル大聖堂で、後にルイ8世(Louis VIII)となる子供の誕生の天啓を受けたという。また聖母マリアが現れて、数滴のミルクを口元に垂らし病気が治った奇跡などの逸話もある。シャルトル大聖堂は、何度も火事に見舞われ再建が繰り返されているが、中世に作られた回廊は当時のまま残っている。それは身廊の床に敷石を敷いて描かれた全長261.50メートルの迷路で、巡礼者は祈りながら中央のエルサレムの情景へ向けて迷路を歩いたそうだ。またシャルトル大聖堂では、172枚のステンドグラスも見ものである。
シャルトル観光局
Pl de la Cathédrale BP 50289 - 28000 Chartres
www.chartres-tourisme.com
TEL : 0033(0) 2 37 18 26 26
アクセス:パリ、モンパルナス駅からシャルトル駅まで約1時間
モン・サン=ミッシェル大修道院
Abbaye du Mont Saint-Michel

ノルマンディー地方とブルターニュ地方に接するサン・マロ湾は、
潮の干満の差が最も激しいところとして知られている
©Office de tourisme du Mont Saint-Michel
www.ot-montsaintmichel.com
フランス北西サン・マロ湾に浮かぶ陸続きの小島モン・サン=ミッシェルにある大修道院には、聖ミカエルの触れた岩のかけらとマントの切れ端が聖遺物箱に納められている。聖ミカエルこと大天使ミカエルは神に仕える最高の天使で、最後の審判の日に天秤を持ち使者の善悪を判じた。アドリア海に張り出したガルガン山に初めて姿を現し奇跡を起こしたことで、イタリアでは4世紀よりあがめられている。聖ミカエル2回目の出現は、708年、ノルマンディー地方のアヴランシュの司教の夢の中。いつしかモン・サン=ミッシェル(当時のモン・トンベ)は崇拝されるようになり、修道院の建築が始まった。聖ミカエルの奇跡は教会完成後も続く。ある年の11月17日、聖ミカエルを祝うため教会へ向かう大勢の巡礼者の中に、出産間近の女性がいた。突風が吹き、巡礼者たちは岸へ非難したものの、動けなかった女性は波にさらわれてしまう。その瞬間に男児を出産、ここで波が2人を岸辺まで運び、一命を取り留めた。モン・サン=ミッシェルはフランス革命後に廃墟と化し刑務所にもなったが、1874年にフランスの歴史的建造物に指定されてから再び聖なる地として人々に親しまれている。1979年にはユネスコ世界遺産に登録された。天と地の間に浮かぶ神秘の山モン・サン=ミッシェルで、大天使ミカエルは信者を見守っている。
モン・サン=ミッシェル観光局
BP 4 50170 Le Mont Saint-Michel
www.ot-montsaintmichel.com
TEL : 0033(0) 2 33 60 14 30
アクセス:パリ、モンパルナス駅からレンヌ駅まで2時間 +バス
ロザリオ・ノートル=ダム大聖堂
聖母マリア教会
マサビエル洞窟
Basilique Notre-Dame du Rosaire
Basilique de l’Immaculée-Conception
Grotte de Massabielle

ルルドには、年間600万人の巡礼者が訪れ、
近年はローマ教皇ベネディクト16世も訪れた
上)©François Mori/AP/PA Photos
下)©Bob Edme/AP/PA Photos
ミディー・ピレネー地方南、ピレネー山脈のふもとにある静かな町ルルドでは、聖マリー=ベルナールが崇拝されている。ベルナデット・スビルー(Bernadette Soubirous)は、1844年に幸せな家庭の長女として生まれた。ぜん息に苦しむ幼少期を過ごしたベルナデットは、ロザリオ(数珠状の祈りの用具)を肌身離さず持っていた。13歳になった彼女は、「マサビエルの洞窟」と呼ばれる場所の前で聖母マリアに出会い、お告げ通りに同行者を連れて何度も洞窟へ通い、聖なる泉を湧(わ)かせた。そして、その泉は次々に奇跡を起こす。しかし、聖母マリアに18回も会ったというベルナデットは警察より尋問を受け、4年にわたる調査が行われた。結果は無罪。その後教会建築が始まり、1886年にはマサビエルの洞窟の真上に内陣をもつ聖母マリア教会が、4年後にはロザリオ・ノートル=ダム教会が完成した。さらに20世紀に入ってから、年々増える巡礼者を収容出来るように、約0.5平方キロの敷地内にいくつもの教会と礼拝堂が建築されている。1933年、ベルナデットは聖マリー=ベルナールとして聖列に加えられた。ここ最近では、国際医師委員会の厳密な審査で、67番目の奇跡が2005年に承認された。1952年にルルドを巡礼したあるイタリア人女性は、聖の泉の水に浸かって心臓発作が治ったそうだ。こうして今でも、世界から多くの人が救いを求めてルルドを訪れている。
ルルド観光局
Pl Peyramale BP 17 - 65101 Lourdes cedex
www.lourdes-france.com
TEL : 0033(0)5 62 42 77 40
アクセス : パリ、モンパルナス駅からルルド駅までTGVで約6時間
聖フォワ教会
Eglise de Sainte-Foy

高さ85センチの王座に座る金張りの聖フォワの聖遺物。
9世紀に作られたものに、宝石やガラスビーズが加えられた
上下ともに ©OT de Conques
ミディー・ピレネー地方北東アベロン県に流れるウーシュ川とドゥルドゥー川によってできた曲がりくねった渓谷に、コンクの町は栄えた。サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路のひとつで、多くの巡礼者が聖フォワを崇拝しにコンクを訪れる。290年、フォワはコンクの隣町アジャンの裕福な家庭に生まれ、異教徒であった両親に内緒で、聖コプレ(Saint Coprais)によって洗礼を受けた。303年、キリスト教徒が迫害に遭い、改宗を拒んだフォワは首を落とされた。聖フォワ教会は、その場所に建てられ、聖フォワの遺体も埋葬された。9世紀半ばになって、 コンクのベネディクト会修道院は危機を迎える。そのた め、2人の修道者が聖フォワの聖遺物を目当てにアジャンの聖フォワ教会まで出向き、10年間信仰を修めた後、墓を壊し聖フォワの聖遺物をコンクに持ち帰った。 以来コンクでは奇跡が次々に起きたといわれている。11世紀、コンクを訪れた際に自ら奇跡を体験したアンジェ司教ベルナール(Bernard d'Angers)は、シャルト ル司教フルベール(l'Evêque Fulbert)に自らの体験を示した手紙を託し、その内容はやがて本となった。 11世紀半ばには、コンクに聖フォワ教会が建てられ、巡礼者が多く訪れるようになった。フランス革命時に住民によって保護された教会の財宝、ヨーロッパで5本の指に入る中世の金銀細工品のコレクションや、抽象画ピエール・スラージュ(Pierre Soulages)が1997年に修復したステンドグラスが美しい。
コンク観光局
Le Bourg 12320 Conques
www.conques.fr
TEL : 0033(0)5 65 72 85 00
アクセス:パリ、モンパルナス駅からTGVで7時間。空路は、パリ、オルリー空港からロデス空港まで約1時間+コンクまでバスで1時間
聖テレーズ大聖堂
Basilique Sainte-Thérèse

丘の中腹に建てられた聖テレーズ大聖堂(上写真)。
カルメル会修道院の納骨堂には、聖テレーズの聖遺物がある(同下)
上下ともに ©J.P. Pattier
ノルマンディー地方ドーヴィルから、28キロ内陸へ入った所にある町リジュー。盲目だったエディット・ピアフ(Edith Piaf)は、6歳になる前にこの町にある聖テレーズの墓を巡拝して目が見えるようになり、生涯にわたって聖テレーズを熱烈に崇拝した。聖テレーズことテレーズ・マルタン(Thhérèse Martin)は、1873年にノルマンディーのアランソンで生まれ、4歳で母を亡くして以来リジューに暮らした。父に連れられ地元の教会へ通っているうちに、彼女は天職の啓示を受けたといわれている。10歳の時に聖母マリアの微笑みを見て持病が治ってから、フランスや英国を始めとする欧州各地に展開していたカルメル会の修道女になり、神への祈りと慈善事業に献身した。結核を患い、これを原因として24歳の若さで他界した後、テレーズが書き留めた自伝「魂の話」は、60カ国語に翻訳され、世界で読まれている。1927年、聖テレーズは聖列に加えられ、当時のローマ法王(Pape Pie XI)の要望によって、1929年に聖テレーズ大聖堂が建築された。4500平方メートル、ドームの高さ93メートルの、20世紀を代表する大きな教会のひとつである。教会の壁と地下礼拝堂はモザイクで覆われ、聖テレーズのメッセージを映し出している。
リジュー観光局
11, rue d'Alençon BP 26020 - 14106 Lisieux cedex
TEL : 0033(0)2 31 48 18 10
www.lisieux-tourisme.com
アクセス : パリ、サン・ラザール駅からリジュー駅まで電車で1時間40分
ロカマドール・ノートル=ダム礼拝堂
Notre-Dame de Rocamadour

68センチの木製彫刻である黒い聖母マリア像を保護するため、
13世紀には教会の下に城が築かれた
©La Maison du Tourisme de Rocamadour, Padirac, Gramat
ミディー・ピレネー地方、北アルズー渓谷の断崖絶壁、自然公園を見下ろすように作られた町ロカマドールでは、黒い聖母マリア像が崇拝されている。10世紀以前に、ロカマドールに住みついた隠修士が、聖母マリア像を信仰したことから始まった。ロカマドールの地名は、聖母教会から聖アマドゥー(Saint Amadou)の遺体が発見されたことに由来する。7つの教会と礼拝堂の建築が進み、1172年、黒いマリア像の起こした126の奇跡をまとめた本が出版されてからは、ロカマドールを多くの巡礼者が訪れるようになる。船乗りを保護する黒いマリアは、しだいにスペイン・ポルトガル・カナダでも信仰されるようになる。またマリア像は、芸術家にもインスピレーションを与えている。ビクトル・ユーゴー(Victor Hugo)はロカマドールで得た感動を書き残し、フランシス・プーランク(Francis Poulenc)は何度もロカマドールを訪れ黒いマリアに捧げる曲を作った。現在ロカマドール には年間約100万人が足を運ぶ。巡礼者は階段を1段 ごとにひざまずき祈りながら216段の階段を上り、ノートル=ダム礼拝堂の黒いマリア像を崇め、黒いマリアの描かれたアーモンド形のメダルを持ち帰る。聖母マリアがなぜ黒いかについては、いまだに謎である。
ロカマドール観光局
L'Hospitalet 46500 Rocamadour
www.rocamadour.com
TEL : 0033(0)5 65 33 22 00
アクセス : パリ、オステリッツ駅からロカマドール・パディラック駅まで電車で5時間半
聖マリー=マドレーヌ大聖堂
Basilique Sainte-Marie-Madeleine

聖マリー=マドレーヌ教会は19世紀に修復された(上写真)。
内陣にある12本の柱は、最後の晩餐をキリストと過ごした
12人の使徒を象徴する(同下)
上下ともに ©Office de tourisme Vézelay
ブルゴーニュ地方モンバン山地の北側、ブドウ畑を見晴らす丘の上に作られた町ヴェズレー。第三次十字軍遠征の出発点ともなったこの聖なる地には、多くの巡礼者が聖マリー=マドレーヌを崇拝に訪れる。マリー=マドレーヌは1世紀、エルサレムの裕福な家庭に生まれた。売春婦だった彼女はキリストに出会い悔い改めて、その敬虔な態度により多くのキリスト教徒に認められた。キリストが磔刑に処された後、彼女は聖人や信者たちと船でエルサレムを脱出し、マルセイユへたどり着いた。そこで、キリストの教えを伝え住人を次々に改宗させ、不妊の女性に子供を授ける奇跡をも起こした。晩年は、プロヴァンスの聖ボームの洞窟に引きこもり、神へ祈りをささげながら生涯を閉じた。882年、バディロン修道士は子宝に恵まれなかったブルゴーニュ公ジラール・ド・ルシヨン(Girard de Roussillon)の要望で、聖マリー=マドレーヌの聖遺物をヴェズレーに運んだとされる。以来ヴェズレーには度重なる奇跡が起こり、絶え間なく巡礼者が訪れた。聖マリー=マドレーヌ大聖堂は太陽の年周期を考慮して861年に建てられ、日の光を絶やさない光の教会といわれている。1979年にユネスコ世界遺産に登録された。
ヴェズレー観光局
Rue Saint-Etienne 89450 Vézelay
www.vezelaytourisme.com
TEL : 0033(0) 3 86 33 23 69
アクセス : パリ、リヨン駅からモンバール駅までTGVで1時間+バス40分
(7、8月は送迎バス運行)
フランスの
サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路

フランスの神秘スポットを調べようとすると、頻繁に「フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」という言葉を目にする。これは、イスラエル、バチカン市国と並ぶキリスト教徒の聖地とされているスペイン北西部に位置する街サンティアゴ・デ・コンポステラへ続く、長い、長い道のこと。地名の「サンティアゴ」はイエス・キリストの12使徒のひとりであり、スペインの守護聖人であるヤコブを、そして「コンポステラ」は「星の広場」を意味するという。主に、首都パリから始まる「トゥールの道」、聖マリー=マドレーヌ大聖堂が建つヴェズレーを起点とする「サン・レオナールの道」、サント=フォワ教会がそびえ立つコンクを通る「ル・ピュイの道」、「バラ色の都市」と呼ばれるトゥールーズを通過する「サン・ジルの道」。これら4つの巡礼路から、さらに枝分かれするように、いくつもの細い道が続く。そして、それらの道の一部区間または途中にある教会などが、神秘スポットとなっていることが多いのだ。1000年以上も昔から利用され、今でも10万人以上の巡礼者たちが通り過ぎていくというこの巡礼路は、スペイン領内にあるものが1993年に、フランス領内のものが1998年に、それぞれ世界遺産に登録された。



パン柄トートバック販売中


英国の代表料理と言えば、もちろんフィッシュ・アンド・チップス(F&C)。





















うことなんじゃないかな。2005年にロンドン地下鉄でテロ*7が発生したときも、バスカーたちの顔色から「テロに負けてなるものか」という気持ちが伝わってきましたよ。
あとロンドンの冬って、本当に寒いですよね。そうした寒い日に、外気が入り込んでくるような場所で演奏していると、お金がよく入るんです。僕はこれを「同情票」と呼んでいるんですけど(笑)。こういうときにチップがたくさん入ったり、「頑張ってね!」なんて声かけられると、人生捨てたもんじゃないなと思いますね。この前なんてサウス・ケンジントン駅横の長いトンネルで演奏してたんですけど、とにかく寒くて寒くて震えてました。そうしたら、そこを通りかかったダウン症の子供たちが寄ってきて、皆でニコニコしながら僕の体をさすってくれたんですよ。「頑張れ、頑張れ!」って言いながら。もう、「この優しさは一体何だろう」ってぼんやりと疑問に思うことしかできなかった。あと、ホームレスの人から1ポンドをもらったときも、どういうことなのか、頭の中が整理できなかったですね。
誰かを、または何かを待っている気はしますね。期待や希望がなかったら、何もできないでしょう。
それで先月、重度の鬱状態のとき、何もかもが怖くてギターが弾けなくなってしまったんですよ。指の神経までおかしくなってしまいました。決まってたコンサートや講演を全部キャンセルして多大な迷惑もかけてしまいました。今はだいぶ良くなりましたが、結局、最終的にバスキングが救いになったんです。バスキングを通して通行人に安らぎを与えるつもりでやってきたのに、今度は自分がバスキングで通行人に癒してもらう立場になっちゃっていました。やっぱり、そういうときは人と触れ合うのが一番いいんでしょうね。そうだ、もし今、鬱の人、または何かに悩んでどうしようもない人がいたら、僕がバスキングしてる所に来てみませんか? スケジュールがウェブサイトに載っていますから、気軽に来て声をかけてください。僕は専門家ではないので治療やカウンセリングみたいなことはできませんが、同じような痛みを経験している者として、良い話し相手にはなれると思いますよ。これから本帰国までの間は、そういった活動もバスキングを通じてやっていきたいと思っています。






スコットランドの首都、エディンバラから西へ14キロ。フォース湾と呼ばれる入り江に、「鋼の恐竜」とも形容される巨大なフォース鉄道橋が架かっている。19世紀末に大英帝国の技術を結集して建設されたこの鉄道橋は、ユネスコの世界遺産の候補にも挙げられており、英国の1ポンド硬貨、そしてスコットランド銀行が2007年から発行している20ポンド紙幣にもその威容が描かれている。
カンチレバー構造は、片持梁の原理を応用している。片持梁は両岸に支えとなる刎木(はねぎ)を埋め込んだり、大石で押さえたりして固定し、突き出した先端を支えとしてこの上に梁を渡すというものである。単純桁では渡せない渓谷でも、両岸から片持梁を突出させ、真中に別の桁を載せると、橋脚がなくても両岸を結ぶ橋桁を渡すことができる。
日本近代工学の祖
工部大学校の初代教頭
電気工学の先駆者
日本の灯台の建設者
日本物理学の父
博学多才な技術者 

19世紀のスコットランドは、教育制度において、イングランドをはるかに凌駕していた。イングランドにオックスフォードとケンブリッジの2大学しかない時代、スコットランドには既に1413年創立のセント・アンドリューズを始め、グラスゴー、アバディーン、エディンバラの4大学があった。1860年代において、高等教育を受ける人口がイングランドでは1300人に1人のところ、スコットランドでは140人に1人と、10倍近かった。特に1451年創立の名門グラスゴー大学は、学生の5人に1人が労働者階級出身で、貧しい農家の息子が大学教授になるなど、社会的流動性の低いイングランドでは考えられないような立身出世があった。またスコットランドでは実学教育が重んじられていたために、経済学者のアダム・スミスや技術者のジェームズ・ワットを輩出したグラスゴー大学は、まさに産業革命の原動力となっていたのである。
スコットランドと日本のつながりの深さを示すエピソードがもう一つある。福沢諭吉の三男・福沢三八は1900年に慶應義塾大学を中退し、グラスゴー大学に留学した。その福沢三八が入学試験で、語学科目として独・仏語ではなく、日本語の受験を希望。すると、大学評議会はアンダーソン・カレッジ理事のヘンリー・ダイアーに意見を求め、日本語を入試選択科目として認めたのである。試験官を依頼された在ロンドン日本総領事は留学中だった夏目漱石を推薦、漱石はグラスゴー大学「教授」として試験委員を務めた。漱石には4ギニーが支払われている。
最初の逃亡人民兵
インヴァリーデン通り(Invalidenstr.)の橋のたもとに、1961年8月24日、川を越えて西側に逃げようとした際に射殺された、当時24歳のギュンター・リトフィンの記念碑が立っている。近くにはギュンター・リトフィン記念館(Gedenkstätte Günter Litfin)もある。彼が壁の最初の犠牲者だが、正確な犠牲者の数はいまだに分かっていない。
同年11月9日、旅行自由化に関する歴史的な記者会見がモーレン通り(Mohrenstr.)の38番地で行われた。会見に臨んだ東ドイツ社会主義統一党のギュンター・シャボウスキーは、「その政令はいつから有効か」という外国人記者の質問に対して、うっかり「今すぐ」と答えた。この会見が行われた部屋は現存しないが、「旅行自由化の公布」という名のインスタレーションが法務省の建物内にあり、道路側からのぞけるようになっている。
テレビで記者会見を見ていた人々は半信半疑のまま検問所付近に集まりだし、状況を知らされていない警備兵との間に食い違いが生まれた。やがて「門を開けろ!」の大合唱が起こり、同日23時半頃、ボルンホルマー検問所を皮切りに、ベルリンのほかの検問所もついに開放されたのである。
オーバーバウム橋から東駅まで続く全長1300 メートルの壁に、21カ国118人のアーティストが絵を描いた世界最長のオープン・ギャラリー。昨年すべての絵が描き直され、美しくよみがえった。
シュレジア灌木の監視塔
昨年8月にオープンしたばかりのブランデンブルク門駅は、分断の象徴ともいえる場所。構内に壁の展示があり、「マウアー・ガイド」(P15参照)もここで借りられる。地下へ降りるエレベーターの壁には、壁にまつわる政治家の発言がちりばめられていて、この場所が持つ意味の重さを実感できるはずだ。
かつて外国人専用の検問所だったチェックポイント・チャーリーに面した壁博物館は、1963年設立と古い歴史を持つ。数々の写真や資料のほか、西側への脱出に使われた車や気球、ボートなどの展示物が充実している。検問所の敷地には壁に関する野外展示もあり、ここを観るだけでも十分多くのことを学べる。
昨年5月にオープンした新しい公園。戦前は鉄道のターミナル、戦後は壁の緩衝地帯だった細長いスペースに作られている。当時の壁が残り、注意して歩くと昔の線路が埋め込まれていることも分かる。奥に進むと遊び場が見えてくる。ベルリンらしい不思議な雰囲気の公園だ。
アパートの中は東側、前の通りは西側というこのベルナウアー通りで当時、何が起きたのか。コンパクトな展示スペースながら、その内容は充実している。建物の向かいには当時の壁が再現され、屋上からその様子を見渡すことができる。壁が実際どういう構造になっていたのか、よく分かるだろう。
フリードリヒ通り駅
白い十字架
ヴァルデマー通り
東ドイツの国産車「トラバント」を運転できるツアー。色とりどりのトラビの中から好きな車を選び、簡単な手ほどきを受けてからいざ出発。旧東ベルリンをメインにしたコースと東西の両方を巡る、それぞれ約1時間のコースから選べる。
"All free men, wherever they may live, are citizens of Berlin, and, therefore, as a free man, I take pride in the words, Ich bin ein Berliner‘! "
"Gefahren lauern auf diejenigen, die nicht auf das Leben reagieren.“
Apple社が開発したスマートフォン(携帯電話と携帯情報端末が一つになった機器)。キーパッドではなく、画面に触れることで操作を行うことができるマルチタッチスクリーン方式を採用、その洗練されたデザインが人気を博している。電話はもちろんのこと、メールやインターネット、テキスト・メッセージなどの機能に加え、様々なアプリケーションを追加することで、自分の好みに合わせてカスタマイズすることができる。













































初めの一歩が肝心

渡英直後、現在の家への入居時に、物件や備品の状態を記録した「インベントリー・リスト」を受けとったはず。このリストに基づいて、家の状態を回復できているかどうかを確認するのがインベントリー・チェックだ。引越し予定日が決まったら、大家 / 不動産会社とインベントリー・チェックの日時を決める。清掃業者への依頼もこのときに行うことになる。
帰国日を決めるのはその後
正確な見積りをもらうために
いよいよ本格的に始動




ロンドンの劇場前などでよく見かける、主に観光客を相手とする人力車。
ロンドン市内の観光名所を周遊する観光バス。この街に関する新たな発見があるかも。
ロンドン・アイなど、定番の観光スポットを訪れていない人は意外と多い
ロンドン在住者であれば、カンタベリーなどに日帰りで出掛けるのもいい








一生使える優れもの
「すりこぎを使っているときにふと思ったんだ。もっと手早く簡単にハーブやスパイスを砕いて混ぜ合わせる器具があってもいいんじゃないかって。以来、ドレッシングやマリネをつくるたびにその思いにとらわれるようになってね」。それから約4年近く、セレブ・シェフのジェイミー・オリバー自ら試行錯誤を重ねた末に完成したのがこの一品。使い方は至って簡単、スパイスやハーブ、ガーリック、ナッツなど好みの材料を入れてシャカシャカ振るだけ。セラミックのボールが中で跳ね回り、材料を細かく砕いてくれるのだ。オイルやクリームなどの液体を入れてドレッシングを簡単につくることもできる。
母国オランダおよび英国の美術系大学院RCAでプロダクト・デザインを学んだ後、ロンドンを拠点に活躍中の新鋭デザイナーによるプラスチック製ジャー・トップの5点セットは、NY現代美術館のコレクションにも登録されている秀逸アイデア・グッズ。使い切ったパスタ・ソースの瓶をリサイクルごみとして捨てるのももちろんエコだけど、瓶にこのジャー・トップを付ければオリーブ・オイルや砂糖入れとして再利用できるのだからスゴイ。ちなみに瓶詰め食品に使われている瓶の直径は、世界的にみても約75%が同じ大きさなのだとか。つまり、どこの国の瓶にも大抵フィットするというわけだ。
双子の兄弟、アントニー & リチャード・ジョセフが2002年に創業したキッチン用品 & テーブル・ウエアのブランド、Joseph Joseph。カラフルな色使いで料理が楽しくなりそうなキッチン用品は、どれも実用性を重視した革新的な設計だ。本体をラインに沿って折り曲げることで、切った食材を簡単に鍋に入れることができるまな板「Chop to Pot」をさらに進化させたこの「Rinse & Chop」は、野菜の下ごしらえに便利な、まな板と水切りを一体化させたデザイン。アウトラインにサーマル・プラスチック・ラバーが配されているので、水回りでも滑りにくい。お手頃価格で、ちょっとしたギフトにも最適な一品だ。
アール・ヌーボー調のレトロでスタイリッシュなパッケージが目を引くナチュラル・コスメ。なかでも一押しなのが、2009年に「ナチュラル・ヘルス・マガジン」のビューティー・アワーズに輝いた100%オーガニックのバーム。保湿効果抜群で、リップやフェイスはもちろん、全身に使える。また、オーガニック・エッセンシャル・オイルと植物成分を配合した、なめらかなテクスチャーのバス & ボディー・ケア製品は、華やかなバラの香りに包まれる「ランブリング・ローズ」と、リラックス系の「スウィート・ゼラニウム」の2種類を揃えている。
毎日の使用で効果は絶大!
マッサージ・セラピストでヒーラーのロバート・ティスランドが、1974年に始めたアロマ・オイル会社を下敷きに、85年に創業したナチュラル・スキンケア & ヘアケア・ブランド。吹き出物に悩まされている人は、ティーツリー・オイルやアロエなどを 配合した「Daily Oil Control Gel」を試してみて。オイル・バランスを整えるジェルで、殺菌効果の高いティーツリーが爽快感をもたらすとともに、肌を清潔に保ってくれる。美容系ウェブサイトbeautybible.comのビューティー・バイブル・アワードを獲得したハンドクリームも保湿効果が高くてお勧め。
Neal’s Yard Remediesの「Spritzer」
「京都議定書」からその名を取ったというエコ志向のデザイン・チーム、DIY Kyotoが提案するポータブル & ワイヤレスの消費電力測定器「Wattson」。付属のセンサー・クリップをメーター・ボックスのケーブルに装着すれば、室内のどこにでも簡単に設置できて、消費している電力とそのコストをデジタル表示で知らせてくれる。電力消費が少ないときはブルー、平均的なときはパープル、普段より使用量が多いときはレッドと、色別で表示されるのもポイント。年間に最大25%の電力を節約できるというから利用価値大だ。スマートなデザインで部屋のインテリアに馴染みやすいのもうれしい。
Dysonの「Air Multiplier」
英国生活の必需品といえば、やっぱり傘。どうせ持つならデザインにもこだわって、雨の日を楽しみたいもの。そこでお勧めなのが2008年に創設されたばかりの傘ブランド、London Undercoverである。 紳士用の「クラシック」は、柄からハンドルまで木造りの一体型になっており、クラフトマンシップを感じさせるつくり。一方、レディス用の「スリム・ウォーカー」はイングリッシュ・ブレックファーストやフィッシュ & チップスのプリントをキャンバスの内側に大胆にあしらうなど、英国らしい個性が際立つ。布地からフレームに至るまでリサイクル素材を使用するなど、環境への配慮も忘れていない。
ロンドンの交通事情にストレスを感じ、移動手段を自転車に変えようかと検討中のアナタ。どうせなら英国が世界に誇るAlex Moultonを手に入れてはいかがだろう。大英帝国勲章を受勲しているエンジニアで発明家のアレックス・モールトン氏が、数十年にわたる研究と改良の末に生み出した専用サスペンション搭載の自転車は、機能美を追求した究極のデザイン。特徴的な小径ホイールが接地抵抗や空気抵抗を軽減し、加速性能やハンドリングを向上、走行時の安定性も抜群だ。レーシング・バイクとして数多くの記録を打ち立てていることからも、その実力は明白といえよう。
公園散歩からガーデニングまで、英国生活には何かと欠かせない長靴。1856年創業の老舗、Hunterのウェリントン・ブーツは、今や日本でもファッション・アイテムとして若者に人気だが、長い歴史をもつその他の老舗長靴ブランドの類にもれず、もとは悪天候による過酷な環境下でも耐えうる頑丈なブーツをつくるという目的のもとに生まれた。それだけに耐久性、機能性に優れているのは言うまでもない。天然ゴムを使用したハンドメイドの長靴は、整形外科学に基づいたつくりで、28ものパーツから成り、この上ないフィット感と抜群の履き心地を実現。 カラー & デザイン・バリエーションも豊富だ。
室内からガーデンまわり、はたまたビーチや農場など、あらゆるシーンにおいてあらゆる用途に使える、まさにフレキシブルなカゴ型バケツ。凍結 & UV防止の丈夫で柔軟なラバー素材を使用しているから、どんな天候下でも安心。ビルダーや庭師、漁師を始めとする様々な職業の人々が、作業現場で愛用している。家庭内で洗濯物カゴとして、ペットのエサ入れとして、またワインラックやマガジンラックとして使うのもいいだろう。カラーは14種類、サイズは6種類とバリエーションも豊富で、いくつあっても重宝しそうだ。
石川 俊祐
英大学を卒業後、日本の大手電機メーカーでデザイナーとして約6年間勤務。同社を退社後、ロンドンの産業デザイン・コンサルタント会社PDDにシニア・デザイン・コンサルタントとして就職、現在に至る。食品パッケージのデザイン・ブランディングから家電、医療機器のデザインまで幅広く手掛ける。本業の傍ら、個人プロジェクトなども進める多忙な毎日を送る。
沖 恵美子
食器のデザインを主に行っている、ロンドン在住のプロダクト・デザイナー。英国の大学で学んだ後、各国で展示会を開催しながら、セルフ・プロデュースによりオンラインなどで作品を販売。現在は、デザインから各種コーディネートまで幅広く手掛けている。昨年5月にSuck UKから発売されたユニークなマグカップのシリーズのうち、
大英帝国勲章4等勲爵士 (OBE)
大英帝国勲章2等勲爵士 (DBE)
大英帝国勲章5等勲爵士 (MBE)
大英帝国勲章2等勲爵士 (DBE)
大英帝国勲章4等勲爵士 (OBE)
ナイト爵
ナイト爵
大英帝国勲章4等勲爵士 (OBE)





















