「とんぼのめがね」などで知られる有名作曲家の平井康三郎とヴァイオリニストの母の間に生まれ、ピアニストと結婚。そして妻との間に生まれた2人の息子は指揮者とピアニストになったー。家族が一人残らず音楽家という平井家にあって、オーケストラのコンサート・マスターのごとく一家を束ねる存在、それが日本を代表するチェリスト、平井丈一朗(たけいちろう)である。6月8日、欧州ツアーの一環としてロンドンのウィグモア・ホールで公演を行なう丈一朗と、共演者としてともに各国を巡る次男のピアニスト、元喜に、数々の音楽家たちを育んだ平井家の音の世界について聞いた。(本誌編集部: 村上 祥子、長野 雅俊)

平井丈一朗
巨匠カザルスの高弟であり、かつその後継者として日本が世界に誇るチェリスト。
作曲家平井康三郎の長男として東京に生まれ、桐朋学園では チェロを斎藤秀雄氏に師事。
第23回音楽コンクール第1位特賞、第1回文化放送音楽賞特賞、第1回カザルス
国際コンクール特別賞、ソ連作曲家同盟特別賞など数々の内外コンクールで受賞。 www.takeichiro-hirai.com
音と戯れる幼き日々
いつから音楽を始めたのかは、はっきりしない。家の中がいつも音楽で溢れていて、生まれたときから音楽が空気のように、丈一朗を包んでいたからだ。父は有名作曲家の平井康三郎で母はヴァイオリニスト。当時、両親はともに東京音楽学校(現東京藝術大学)で教鞭をとっていた。でも、俗に言う英才教育は、受けたことがない。ただ音楽が好きで、小学校へ行く前からいたずらでピアノを弾いたり、作曲をしていた丈一朗に、父、康三郎が「それじゃあ、教えてやろうか」と本腰を入れたのが、音楽の道に入ることになったきっかけといえばきっかけだった。
とはいえ、多忙な父のこと、仕事の合間に教え、時には丈一朗が練習している部屋の隣からアドバイスの言葉を投げ掛けるという、実に変則的な「教育」だった。しかし小学校卒業時には、専門の作曲家が勉強すべきことはすべて学んでいた。オーケストラや室内楽曲、童謡など、100曲以上を作曲。ラジオやコンサートで自作のピアノ曲を演奏するなどの活動を行い、「少年ピアニスト作曲家」と呼ばれたのもこの頃のことである。
現在の本職であるチェロを始めたのは、中学校へ入学する前後のことだった。理由は、更なる作曲の勉強のため。オーケストラや室内楽の中心を占めるのは弦楽器だ。だから作曲するためには、ピアノだけでは足りない。弦楽器を演奏家として理解する必要がある。こうした考えが、丈一朗を弦楽器の道へと進ませた。そして当時夢中でよく聴いていた20世紀最高のチェリスト、パブロ・カザルスの影響からチェロを選択。それからわずか4年後の高校2年時には日本音楽コンクールで第1位特賞を受賞し、プロの音楽家としてのスタートを切ることになった。演奏活動で多忙を極めるうちに、本来の目的であるはずの作曲に時間を割くことが難しくなったという皮肉な結果を生みはしたものの、このチェリストとしてのスタートが、父康三郎に続くもう一人の師匠との出会いを導くことになる。
「完全なる音楽家」の誕生
丈一朗は19歳のときに、以前から憧れていたカザルスの元に弟子入りをする。スペイン、カタルーニャ地方に生まれ、時のフランコ独裁政権に抵抗し、プエルトリコで亡命生活を送っていたカザルスは、そのとき、80歳。丈一朗は当時たった一人の弟子として、カザルス夫妻とともに3人で世界中を周った。丈一朗はカザルスとの暮らしのなかで、演奏家としての技術のみならず、音楽家としてのあり方を学ぶようになる。世界最高のチェリストにして、作曲家、指揮者、そしてピアニスト。音楽活動が分業化されてしまった現代にあって、カザルスは一人の人間が演奏家であり作曲家でもあった、バッハやベートーヴェン、モーツァルトの時代を今に蘇らせる稀有な存在だった。
当たり前のように音の世界の中で生まれ育った丈一朗にとって、カザルスの持つ空気は既視感を覚えさせるものだった。チェロもピアノも作曲も指揮もする、そんな丈一朗を、やがてカザルスが「完全な音楽家」と呼んだのも、当然の帰結と言えるのかもしれない。
丈一朗がカザルスから得たものは、音楽に留まらなかった。高名な音楽家であるだけでなく、平和活動家としても知られたカザルスとの蜜月は、丈一朗の人間性形成の上でも、大きな影響を及ぼした。生涯を通じて反ファシズムの立場を貫き、元は独立国であった故郷、カタルーニャ地方を愛し続けたカザルスは、平和活動を行う上で丈一朗にこう説いた。世界を平和にするには、ただ単に大きな視点から平和を唱えてもだ めだ。まずは家族、親子の関係が大切。そこからすべてが始まり、国を愛し誇りに思う気持ちが、やがて世界平和につながるのだ、と。こうしたカザルスの教えを通し、丈一朗は音楽の持つ力に気付かされる。音楽は、人々に勇気や癒し、幸福をもたらすことができる。国境も言語も宗教も超越したもの、それが音楽だ。だからこそ、世界平和を実現することができるのだ。この思いがその後、丈一朗の音楽人生を支える哲学となった。そしてその哲学は、カザルスの言うところの世界平和の第一歩である家族、丈一朗の2人の息子へと受け継がれていく。
泰然とした長男、活火山のような次男
丈一朗には、2人の息子がいる。長男の秀明と、次男の元喜。秀明は次世代のホープと目される指揮者であり、元喜はロンドンを拠点に活躍するピアニストだ。この2人の息子に対して、丈一朗は自身の幼少期と同じような音の世界を与える。丈一朗のみならず、ピアニストの妻、美那子、そして祖父母も機会があれば指導する、そんな「家の中の音楽教室」が平井家の日常となった。
音に囲まれる日々のなか、息子たちは自然と自らの方向を選んでいく。父からチェロを、祖父からピアノと作曲を学んだ秀明は指揮、そして祖父にピアノと作曲、祖母からヴァイオリンを学んだ元喜はピアノ。結局2人とも、丈一朗と同じチェロを選択することはなかったが、それは丈一朗にとっては取るに足らないことだった。
秀明は幼い頃、かんしゃく持ちでたびたび暴れたが、その一方で全体を冷静に見渡すことのできる子供だった。そんな冷静と情熱を併せ持った子供は、後にオーケストラですべての楽器を見渡し、まとめる役割を持つ指揮者を選んだ。まるで活火山のような激しい情熱の持ち主だった元喜は、ピアノを選択した。さまざまな楽器を深く学んできた元喜のピアノは、誰にも出せないような音を出す。それはときにヴァイオリンやチェロのような音色を奏で、他の楽器と共演した際には独特な調和を生み出す。2人とも互いの性格に合った道を選んだなと、丈一朗は思う。
丈一朗は、息子たちにプロの音楽家になれと言ったことはなかった。演奏家はすべての責任を一人で背負う。演奏のその日に、体調も精神も、最高のコンディションにもっていかなければならない。音楽の素晴らしさを知る一方で、プロの音楽家であることの厳しさを誰よりも実感していたからこそ、音楽は勉強すべきだが、必ずしも音楽家にはならなくてもいいと言ってきた。
そうした丈一朗の言葉を受けた2人は、音楽を愛しながらも普通高校に通い、秀明は米国ロチェスター大学で政治学を、元喜は慶応義塾大学で美術史学を学ぶことになる。父の教育通り、音楽という一つの世界に留まることなく、外の世界に目を向けた2人はしかし、最終的に音楽の世界へ戻ってきた。
秀明はロチェスター大学に通いながら、丈一朗の知らないうちに同大学併設の名門イーストマン音楽院で、指揮をダブル・メジャーとして学んでいた。そして元喜は大学卒業後に、ロンドンの王立音楽院大学院のピアノ科へ。音楽大学を経ることなく大学院へ進むのは、他にあまり類を見ない。将来について相談してきた元喜に対し、その覚悟を問い質した丈一朗は、どうしてもやりたい、という元喜の言葉を聞いて、それならばやれと背中を押した。
最大の理解者にして体現者
そして丈一朗、秀明、元喜のそれぞれが音楽家として活躍する今がある。
どんな世界であれ、親子が同じ分野で活動する場合には、注目を集めると同時に「親ばか」「親の七光り」といったそしりや中傷もついてまわることが多い。しかし平井家では、これまでに幾度となく親子、兄弟共演を繰り返してきた。それは彼らが血の繋がった家族である、という理由からだけではない。
もちろん皆、一人一人違う個性を持っている。しかし、同じ音の世界で生きてきた3人の底流に流れるものは同一なのだ。本物の音楽、これ以上ないという次元にまで音楽を追求することを目指す3人は、皆同じ方向を向いている。だから一緒にできる。
元喜は誰よりもチェロのことを、そして丈一朗のことを理解してくれる。もちろん、練習の最中には互いにうるさいことも色々言うが、根本のところで理解し合っているという確信がある。
親子だからといって、必ずしも分かり合えるわけではない。親子の断絶が取り沙汰されるようになって久しい現代、こういう関係で繋がり合えることは、世界的にも珍しいことだろう。親子で年代が違うから、年齢的にいつまで一緒に共演できるかは分からない。でも、できる限り一緒に音楽を奏でていきたいと願っている。
父、康三郎のつくり上げた音の世界に生き、カザルスの教えを経て形成された丈一朗の「完全なる音楽」。その最大なる理解者にして体現者である息子たちとともに、これからも丈一朗は、技術を越えた音楽の心を、世界の人たちに訴え続けていく。

師匠、カザルスとともに過ごした日々

敬愛する恩師との共演

平井元喜
ピアニスト。東京生まれ。
桐朋高校、慶應義塾大学を経て、1999年、英王立音楽院大学院ピアノ科卒。
「サー・ジャック・ライオンズ音楽賞」受賞。
これまで世界各地を演奏旅行、BBC・NHKなどに出演。CD録音も多数。
2009年4月、スメタナ・ホール(プラハ)でピアノ協奏曲を演奏し絶賛された。
映画やチェルシー・フラワー・ショウ2008で音楽を担当するなど作曲家としても活躍中。
www.motoki-hirai.com
食卓でのアンサンブル
父の恩師カザルスが死去した年となる1973年、元喜は平井家の次男として東京に生まれた。
父、丈一朗の幼少期がそうであったように、物心がついた時にはもう、元喜はいくつもの楽器を手にしていた。丈一朗との違いは、家庭内の指導者の数が倍増したことだ。祖父にピアノと作曲、祖母にヴァイオリン。さらに兄の秀明は父からチェロを教わる。夕食中に酔った祖父が陽気に歌い出せば自然とピアノやヴァイオリンの伴奏が付き、チェロやヴィオラも加わりピアノ・トリオ、クワルテット、クインテットなど即興演奏が始まるのが日常茶飯事であった。
音楽家ばかりが揃った3世代が同居する家は、至高の芸術空間でもあった。そこには、世界的な音楽家をはじめ、当時メディアの寵児となっていた寺山修司などの詩人、作家、俳優、歌手といった幅広い分野の芸術家が出入りしていた。家に閉じ篭もって個々の楽器における技術習得にのみ時間をかけることを音楽活動と見なす考え方とは、無縁の世界である。そもそも音楽というのは、感動や感情を表現し、そのメッセージを人の心へ直に訴えかける強い力を持ったものだ。だとすれば、他人の気持ちが分かる人間になるため外の世界での豊かな経験が必要であるし、広い文化的教養を身に付けて自己研鑚を積まなければならない。祖父や父、そしてカザルスが構築したそうした深遠な音楽観を、元喜は家庭での生活を通じて受け継いでいく。
外は永遠に広く、中は無限に深く
家族から音楽を強要されたことは、一度もない。「子供は外で泥んこになって遊んでこい!」とさえ言われていた。高校まではサッカー部に所属。突き指への懸念からピアニストにとってはタブーとされるバレーボール部に所属したときや、地元の社会人チームに交じりバスケットボールに興じていたときも、両親からは特に何も言われなかった。
中学生の頃から音楽の仕事を頼まれることも多かった一方、高等教育では慶應義塾大学哲学科へと進み、美学美術史学を専攻する。まだ自分のやりたいことが定まっていないからとりあえず普通大学を受験した、というのも進学理由の一つではあったが、そもそも一流の音楽家たちが家庭内に揃った元喜にとって、わざわざ音大へ通って音楽教育を受ける必要がなかった。それよりも映画、写真、絵画、文学、舞台芸術、といった芸術に触れている方が好奇心旺盛な元喜には楽しかった。だから家族から「鉄砲玉」と言われるくらい家を空けてとことん外で遊んだし、逆に数カ月間、家に篭もって本を貪り読んだりもした。外の世界が永遠に広く見えて、自分の内面は無限に深くなり得ると感じた。
その自由な時間は、いわば第3世代の音楽家として生まれ育った元喜だったからこそ、許された贅沢だったのかもしれない。プロの音楽家になる厳しさを骨の随まで知り尽くしている平井家の大人たちは、同じ苦労を子供たちにはさせたくないと願っていたし、また同時に広い世界を知ることの重要性を説く懐の深さを持っていたからだ。
気軽な理由と重い事実
青年期の元喜にとってはまだ、音楽家として生きていくことは、数ある将来像の一つに過ぎなかった。無論、音楽を何よりも愛してはいたが。
大学生のときには、映像と音楽に携わる仕事がしたくてメディア業界を中心に就職活動を行い、大手放送局から内定まで取り付けている。ただちょうどその頃、海外コンサート・ツアーの仕事を打診された。詳細を聞くと、就職を希望していたとある企業の最終面接日と日程が重なっている。このとき元喜は「旅もできるし、未知の世界を写真に撮れる」という安易な理由でこの面接を断り、コンサートの仕事を引き受けるという選択をした。動機こそ不純なものだったけれども、ともかく他のオファーを蹴って、音楽の仕事を選び取ったという確固たる事実は残った。後年、この決断が結果的に人生の転機となってしまったことに気付く。
恐らく、このとき元喜は音楽家になったのだ。
その後ロンドンへと渡り、王立音楽院大学院で生まれて初めて家族以外の人物から指導を受ける。同院を卒業後はピアニストとして頻繁に内外でコンサートに出演するほか、レコーディングやCDのリリース、日英両国での音楽番組への出演に加えて、作曲家としては広島を題材にした平和ドキュメンタリー映画の音楽を担当したり、絵本・朗読・映像とのコラボレーションを行ったりするなど、文化事業にも積極的に関わってきた。
父とは、プロとしての共演を始めてから20年近くになる。一緒に演奏する度に、毎回父のチェロの音色が新鮮に鳴り響くことに驚く。元喜にとって、父との共演を通じて学ぶことの大きさは計り知れない。音楽を通して心と耳でコミュニケーションがとれる2人のリハーサルに言葉はほとんど必要ないが、一般の個人レッスンや音楽学校では決して学べない「奥義」のようなものを常に発見し、吸収してきた。
元喜はかつて、家族一同が音楽家という特殊な家庭環境には何かが欠落しているように感じることがあった。それは、例えば父親とキャッチボールをした経験がないといった些細な事柄ではあったが、そうしたことの積み重ねが、幼少期から青年期へかけての元喜に外の世界への憧れを人一倍強く持たせた。
現在の元喜に迷いはない。今では自分の育った音楽的家庭環境を素直に受け入れ、音楽に純粋に打ち込める幸福に心から感謝している。「音楽を通して人を幸せにする」という使命を胸に、精進を重ねる毎日だ。

祖父、康三郎とピアノに興じる秀明(写真右)と元喜(同中央)

平井家の音楽家たち。
左から丈一朗、秀明、康三郎、美那子、元喜
| 日時 | 2009年6月8日(月)19:30 |
| 会場 | Wigmore Hall 36 Wigmore Street, London W1U 2BP |
| 最寄駅 | 地下鉄Bond Street / Oxford Circus駅 |
| チケット | £22、£18、£14、£10 |
| Box Office | 020 7935 2141 |
| www.wigmore-hall.org.uk | |
| 曲目 | ベートーヴェン「チェロソナタ第5番ニ長調作品102‐2」、シューマン「幻想小曲集作品73」、バッハ「アリオーソ」、カザルス「鳥の歌(カタロニア民謡)」、平井丈一朗「無伴奏チェロ幻想曲“北斎”」、平井康三郎「平城山( ならやま )」ほか |



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標高98メートル 、ロンドン市街を一望できるこの丘は、ヒースでも指折りの眺望ポイント。ロンドン・アイやガーキンなどのランドマークもくっきり見えて見晴らし最高。1642~49年のイングランド内戦の際に議会軍に占拠されたことからこの名が付いた。「凧揚げの丘」とも呼ばれており、この季節は毎日のように多くの凧揚げファンが集っている。遥か彼方の摩天楼を望むのもいいし、大空に舞い上がる凧をぼんやり眺めるのもまた一興だ。
周囲の平原とは一線を画し、ひんやりとした神秘的な雰囲気を醸し出している松の木に覆われた小塚。真相ははっきりしていないものの、1世紀頃、東ブリタニア(現在の英国)のノーフォーク地方を治めていたケルト人イケニ族の女王で、60~61年頃、ローマ帝国侵略軍に対し反乱を起こしたブーディカがここに眠っているという言い伝えがある。
ヒース名物と言っても過言ではない3つの「泳げる池」。その歴史はなんと1860年代まで遡るというから驚きだ。Cの塚から東の方向に行くと男性用の池と女性用の池がある。一方、西の方向にあるのは男女兼用の池。定期的に水質検査が行われているとはいえ、正真正銘の天然の池ゆえに、横でカルガモや小さい魚が泳いでいたりする。水深もかなりあるので、泳ぎにあまり自信がない人は浮き輪持参でどうぞ。更衣室が併設されているうえ、スタッフも待機しているので心強い。
男性用の池を越えて北に向かう裏通りは、通称「詩人の小道」。英国が誇る早世のロマン派天才詩人ジョン・キーツが、1819年5月、ここでナイチンゲールの鳴き声を聞き感銘を受け、当時、友人と住んでいたハムステッドの自宅の庭で長編の詩「ナイチンゲールに寄せる歌」を書き上げたと言われている。
1640年に建造されたカントリー・ハウスで、1764年に新古典様式に改築。1927年に、最後の家主となったエドワード・セシル・ギネス(初代アイヴァー伯)が国に遺贈し、一般公開されるようになった。現在は周 囲を取り囲む庭とともにイングリッシュ・ヘリテージに指定されており、コンサートなどイベントが開催される日を除き、夜間の立ち入りは禁止されている。館内には美術収集家でもあったアイヴァー伯による絵画コレクションが収められており、レンブラント、ターナー、レイノルズ、ゲインズバラなどの作品のほか、英国内で公開されているフェルメールの5作品のうちの1つ「ギターを弾く女」も所蔵されている。
ケンウッド・ハウスの南西に広がるWest Meadowの散歩道で森林浴を楽しむのもおすすめ。Spaniards Roadに出たら、最寄りのバス停から210番のバスに乗り、ゴルダーズ・ヒル・パークへ向かおう。健脚の人は徒歩でどうぞ。
ヒースの中では最もきれいに整備されているエリアのひとつで、テニス・コートやカフェ、子どもの遊び場なども備わっているため家族連れに人気。カルガモが泳ぐ池をしつらえたフラワー・ガーデンには四季折々の花が咲き誇り、人々の目を楽しませている。6、7月の毎週日曜日には、バンド・スタンドでライブを開催。奥にはミニ動物園まであり、ファロージカ、ロバをはじめ、アルパカ、ラマなどを柵越しに見ることができる。
ゴルダーズ・ヒル・パークの東側のゲートから出て道なりに進んでいくと、ヒル・ガーデンの入口に到着。ここはまさに秘密の花園とでも言うべき閑静な庭だ。人影も少なく、のんびり昼寝したり、芝生の上で一人ゆっくり読書したりするのにうってつけ。また、ガーデンに隣接する、多種多様の花々で彩られた ジョージアン様式のツル棚、パーゴラも実に美しい。日没以降はゲートが閉まるので注意しよう。
標高130メートルと、自然の地点としてはロンドンで最も高い場所。1588年、スペインの無敵艦隊襲来の警報を鳴らす高台だったことを記念して、イングランドの旗が立っている。車の通りが比較的多い道路に面している上に敷地も広くないので、これまで通ってきた広大な草原や深い森を思うとあっけなく感じられるかもしれないが、木陰から遠くにロンドン市街を一望できて爽快だ。








変わった形の物体、ジャックス(通常ワンセット10~12個、写真参照)を地面にばらまき、プレイヤーは付属のゴムボールを宙に投げる。ボールが地面に落ちてくる前にジャックスを1つ取る。成功したら再びボールを投げ、今度は2つ取る。回を追うごとに、取るジャックスの数を1つずつ増やしていき、最後は全部一気にすくい取る。
ジャンケンなどで順番を決め、1番の人が専用の棒(両端に色を塗った竹串などでも代用可)を全部手に持って、棒がランダムに山積するよう、軽く地面に落とす。プレイヤーは、他の棒に触れないように1本だけ抜き取る。少しでも触れたら次の人の番。棒の色によって得点が異なり、最終的に高得点をマークした人が勝ち。







小野琢正(おの・たくまさ) プロフィール






英国でお花見といえば、やはり薔薇……というのは、あまりにも王道すぎ。日もぐっと長くなり、日に日に初夏らしさが増してくる今でこそ楽しめる花があります。それは、まるで妖精が出てきそうな神秘的な英国の森を、一面ブルーの絨毯で覆ってくれる「ブルーベル(ホタルブクロ)」。ここでは4月の終わりから5月いっぱいまで楽しめる、ナショナル・トラストお勧めのブルーベルの群生地をご紹介します。
































Anish Kapoor, Blood Stick, 2008, Resin and Pigment 140x1020x134 cm Courtesy the artist and Barbara Gladstone Galler y ©Dave Morgan
Anish Kapoor, C-Cur ve, 2007, Stainless steel 2.2 x 7.7 x 3m Installation: Louvre, Paris, 2007 Courtesy Louvre ©Philippe Chancel Paris
Anish Kapoor, Sky Mirror, 2006, Stainless Steel Organised by Public Art Fund: Installed Rockefeller Centre New York 19 Sep to 27 Oct 2006, Courtesy Public Art Fund ©Seong Kwon Photography
フェスティバルの初日を飾るのは、英国の小学校70校と地域コミュニティーがそれぞれ1年間かけて計画したという、キッズが主役のパレード。今年で開催19年目を迎え、毎年1万人を超える観衆を集めるこの一大イベントでは、4000人もの子どもや保護者が参加し、思い思いの創造性を反映させた衣装や振り付けでブライトンの街を行進する。今年のテーマは「大地・空気・火・水」で、自然の偉大な力を思い起こさせる衣装やパフォーマンスがお目見えする予定だ。陽気なサンバに乗せてシドニー・ストリートを出発し、最後は海岸沿いのマデイラ・ドライブで盛大なフィナーレを迎えるというから、こうご期待!
車の往来が激しい幹線道路沿い、あるいは土ぼこりが舞う田舎のわき道。そこで女たちは、快楽を求める獲物を狙って、危険な商売を行う……。
世界中の子どもはもちろん、大人までをも魅了してやまない童話「不思議の国のアリス」。英国人作家のルイス・キャロルが1865年に出版したこの物語が、エドワード時代に建てられた由緒正しき貴族の邸宅「プレストン・マナー」の広大な庭園で演じられる。白ウサギの穴に落っこちて、人間の言葉を話す動物や、人間のようなトランプの札が住む、ファンタジーの世界へ迷い込んだアリス。そこはなにもかもがあべこべで、胸躍る冒険が待ち受けていた……。個性豊かなキャラクターたちの後に続いて庭のあちこちをさまよえば、キッズたちもいつの間にかアリスと一緒に不思議の国に足を踏み入れているはず。3歳以上向け。
世界的に活躍するジャズ・クインテット2組を楽しむことができる、ぜいたくな一夜。まずは英国人ベース・プレイヤーのデイブ・ホランド(写真)率いる5人組が、「地球上で最も刺激的」と称されるその腕前を披露する。お次は、英国を代表するサックス奏者であるアンディー・シェパードが率いるクインテット。常に新しい感覚を探し求める「進化型」5人組の音色に酔いしれよう。
現在、英国で最も売れている振付師として、ダンス界からの期待を一身に受けるホフェッシュ・シェクターが率いるダンス・カンパニーによる、新作「The Art of Not Looking Back」の世界プレミア。この作品の見所は、シェクターを一躍売れっ子にした、男性ダンサー7人を起用した「Uprising」の対極とも言える、女性ダンサー7人による構成になっていること。同カンパニーの女性ダンサーたちにインスパイアされ、「彼女たちのために製作した」とシェクターが断言するこの作品は、踊り手を知り尽くしているからこそ実現できた、身体能力の限界に挑むような過酷で難解な振り付けになっているという。また、14日の公演の前には、鑑賞チケット保持者のみ無料で参加できるトーク・イベントも行われる。
フィルハーモニア管弦楽団による、オーストリア人作曲家、グスタフ・マーラーが手掛けた「交響曲第6番」の公演。人間が世界や運命という動かしがたい障害と闘い、最終的に打ち倒される̶̶そんな悲劇を奏でる第6番は、交響曲の大家として知られるマーラーの作品の中でも最も完成度が高いものとされている。同管弦楽団の首席指揮者・音楽監督であるエサ=ペッカ・サロネン(写真)が指揮を務める。
テレビやインターネット、ラジオに新聞……いつの間にか現代人は、24時間絶え間なく流れる情報の波に身をさらして生きるようになった。「うまく呑み込める」ようにと、短く鋭く切り揃えられたそれらは、誰かのフィルターを通して解釈され、編集され、通訳され、「ニュース」という名を付けられる。だが、そんな情報の塊は果たして「真実」と呼んでも良いのだろうか……?現代社会に溢れる、加工された真実と現実の意味を問う舞台。
英国最大級の音楽祭である「グラインドボーン音楽祭」の主催者としても有名なグライドホーン・エデュケーションが、モーツァルトが手掛けたオペラ「魔笛」をキッズ向けに大胆にアレンジ。子どもたちにもっとオペラの楽しさを知ってもらおうと、これまでにも様々な公演を行ってきた同団体が、今回は善と悪に分かれていて比較的分かりやすい「魔笛」の物語を、さらにヒーロー仕立てにしてエンタメ色の強い演出にしたという。真実を求めて悪と戦うヒーローたちを助けるのは、魔法のフルートとピアノ、それに何よりも観客たちの力。さあ、いざお姫さま救 出の旅へ!6~11歳向け。
フェスのフィナーレを飾るのは、街全体が1つのカーニバル会場と化す「ビッグ・スプラッシュ」。英国全土からストリート・パフォーマーやパペット人形師たちが集まって、最高のエンターテインメントを提供する。そして日が暮れてからのお楽しみは、最新技術を駆使した独創的な演出に定評がある花火師集団「アルケミー・ファイアワークス」による、毎年恒例の花火大会。有終の美を見届けて、フェスに別れを告げよう。

「30年くらい前に『春男の翔んだ空』っていう映画をつくったんですが、そのときには健常の子供が障害者の子供を嫌がって手を引っ込めたりしていましたけどね。でも今回は手をつないで、ほっぺたをくっつけ合って仲良く撮影をしてました。時代は変わったなあって思って、本当に嬉しかったです」

広島県に生まれ、6歳で被爆した漫画家、中沢啓治が、自らの体験を赤裸々に綴った同名漫画のアニメ映画化作品。1945年8月6日、広島県広島市に住む少年、中岡元は米国軍により投下された原爆により、父親や兄弟を失う。自らも原爆症の恐怖に苛まれ、身近な人々の死に苦しみながらも、元はたくましく戦後の混乱期を生き抜いていく。
母親探しの旅に出る少年と、ひょんなことから少年と行動をともにすることになった中年男性の道程を描いた北野武監督・脚本・主演のロード・ムービー。父親を亡くし、母親と離れて暮らす小学3年生の正男は、母親に一目会いたいと家を飛び出す。そんな正男を心配した近所のおばさんは、夫の菊次郎を同行させるのだが......。
納棺師という馴染みの薄い職業に目を向けた青木新門著「納棺夫日記」を基にした人間ドラマ。第81回アカデミー賞外国語映画賞を受賞し、国内外で注目された。プロの音楽家として活動していた男が、音楽の夢を諦めて帰郷。「旅のお手伝い」といううたい文句に惹かれて入社した会社で、死者を棺に納めるまでの準備を整える、納棺師という仕事に就く。











イエス・キリストの復活を祝う日で、キリスト教徒にとってはクリスマスよりも重要な行事とされる。毎年日付が変わる移動祝祭日で、春分後、初めて迎える満月の日から数えて最初の日曜日がイースターとなる。英国ではその直前の金曜日(グッド・フライデー)と直後の月曜日(イースター・マンデー)が祝日。ちなみにイースターの46日前の水曜日は「灰の水曜日」と呼ばれ、この日からイースター前日の「聖土曜日」までの日曜を除く期間を「レント(四旬節)」という。心を清め、悔い改める期間とされ、肉や卵、乳製品を摂取しないなどの食事制限をする習慣もある。
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