映画「ハムネット」で新たな注目
文豪の子どもたち英アカデミー賞受賞で話題沸騰
歴史上の人物に「もし」会えるとしたら、誰にしますか?筆者が真っ先に挙げたいのは英国のみならず、世界的な劇作家として知られるシェイクスピア(Shakespeare)(1564~1616年)です。「ロミオとジュリエット」「ハムレット」「マクベス」などのシェイクスピアが生み出した数々の戯曲名を聞いたことがないという方は……英国にはいませんよね。
シェイクスピアには3人の子どもがいましたが、長男のハムネットは11歳で亡くなっています。その名を冠した映画「ハムネット」が2月22日、英アカデミー賞(BAFTA)で複数の賞を受賞しました。英作家マギー・オファーレルによる小説「ハムネット」が原案です。この映画は今月中旬に開催される米アカデミー賞授賞式でも躍進するのではといわれています。今回のコラムは、映画にちなみ、シェイクスピアの人生と子どもたちの物語に注目してみました。
シェイクスピアは英中部ストラトフォード・アポン・エイボンで生まれました。時はエリザベス1世の治世です。父は皮革手袋商人で町長、市会議員にもなった地元の名士。母は裕福な農園経営者の娘でした。シェイクスピアは8人の子どもの中で3番目です。自宅近くのエドワード6世学校で学び、1582年11月、18歳で8歳年上のアン・ハサウェイと結婚します。半年後の翌年5月、長女スザンナが誕生しました。約2年後の85年、双子のハムネットとジュディスが生まれますが、11年後の96年夏、ハムネットは死因不明で亡くなってしまいます。シェイクスピアが32歳、アンが40歳のときです。これ以降、2人に子どもは生まれていません。このときの深い喪失感が後の作品「ハムレット」の創作に大きな影を落としたのではともいわれています。
シェイクスピアがロンドンの演劇界で名前を知られるようになったのは、1590年代前半です。イングランドで最初の職業作家の一人、ロバート・グリーンはシェイクスピアを「成り上がり者のカラス」(Upstart Crow)と呼んだそうです。グリーンはケンブリッジ大学卒でしたので、大学に行っていないシェイクスピアを見下した言い方でした。ライバル視されたことが分かります。
90年代半ばまでにシェイクスピアは俳優、劇作家として活躍するばかりか、劇団「宮内大臣一座」の共同所有者にまでなりました。1603年にエリザベス女王が亡くなり、跡を継いだのはスコットランド出身のジェームズ1世です。シェイクスピアの劇団は今度は「国王一座」として認定を受け、テムズ川南岸のサザークにある本拠地グローブ座のほかに宮廷や各地の集会所、大学などで興行にいそしみました。シェイクスピア一家を題材とするBBCのヒューマン・コメディー「Upstart Crow」では、シェイクスピアが仕事場のロンドンと家族がいるストラトフォードを行き来する様子が描かれていますが、実際もそうだったようです。
シェイクスピアは経済的にも成功も収め、ロンドンやストラトフォードに土地や邸宅を購入するように。1613年ごろ、故郷に戻り引退生活に入ります。単独での最後の執筆作品は「テンペスト」だったといわれています。16年、52歳で亡くなるまでの3年間をストラトフォードで過ごしました。すでに経済的に成功していたので、もう執筆しなくていいと思ったのかどうか、その理由は不明です。妻のアンは7年後の23年に死去しました。
子どもたちはその後どうなったのかですが、長女スザンナは医師と結婚し、一人娘エリザベスを産んでいます。エリザベスは2度結婚しましたが、子どもを作らないままに。次女ジュディスはワイン醸造業者と結婚後、3人の子どもを産みましたが、3人とも子どもを残さないまま世を去りました。シェイクスピアの直系家族は長女の娘エリザベスが亡くなった1670年に途絶えてしまいましたが、その作品は不滅のようです。
Shakespeare(シェイクスピア)
ファースト・ネームはウィリアム。国民も王室も演劇に熱中したエリザベス朝、スチュアート朝時代に活躍した俳優、劇作家、詩人。深い人間観察と言葉遊びの秀逸さで英国を代表する劇作家の一人に。シェイクスピア自身の情報は少なく、前頭部が大きくはげ上がり、側頭部の髪が肩まで垂れた肖像画は最初の戯曲集の挿絵によるもの。



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小林恭子 Ginko Kobayashi
在英ジャーナリスト。読売新聞の英字日刊紙「デイリー・ヨミウリ(現ジャパン・ニュース)」の記者・編集者を経て、2002年に来英。英国を始めとした欧州のメディア事情、政治、経済、社会現象を複数の媒体に寄稿。著書に






