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Wed, 10 December 2025

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第66回 中国の次のステージと日本

中国の変化① 海外投資

中国の経済発展と、これに伴う政治的な発言力増大はもう目新しいものではない。しかし、中国が確実に次のステップに移ったと感じさせる出来事が最近相次いでいる。

第一は、中国資本による海外企業の買収攻勢だ。11月中旬に中国国営4大銀行のうちの3つ、すなわち中国銀行、中国工商銀行、中国建設銀行がスタンダード・チャータード銀行株(金融界では通称、スタチャン)の取得を企図して、シンガポールの外貨準備運用機関であるタマセックと協議を始めたと報じられた。今年7月にも政府系の中国国家開発銀行がバークレイズ銀行株式の3.1%を取得、10月には中国工商銀行が南アフリカのスタチャン株の20%を取得している。2005年8月にロイヤル・バンク・オブ・スコットランド(RBS)の方が、中国銀行株の10%を取得しており、2年で英中の買う側と買われる側は逆転したことになる。

これらの買収攻勢は、歴史的な意義がある。スタチャンは中国内に最大の店舗網を持つ銀行であり、同時にアフリカ、中東にも広く展開している。これらの動きは中国の露骨なアフリカ・中東戦略の一翼に見えるが、それ以上に西欧の対中植民経済政策の終わりを象徴的に意味しているのだ。

スタチャンは1969年、南アフリカのスタンダード銀とインド・オーストラリア・中国チャータード銀との合併で出来た。スタンダード銀行は1862年、スコットランド人ジョン・パターソンらにより設立され、1950年代半ばにはアフリカ全土に約600の拠点を持った。チャータード銀は1853年、ビクトリア女王からの特許状により設立、最初の支店をカルカッタ、ボンベイに開設し、1862年以降は香港で紙幣発行銀行となる。1880年には横浜に出張所を開設。1960年以降イースタン銀行を合併、中東へも支店網を拡大したことからみても、英国の植民政策と不即不離の銀行である。その銀行を中国が買うという時代に入った。

世界に占める生産シェア

中国の変化② 日本との産業競争

これまでの中国には日本の下請け的なイメージがあったが、今や2国間相互の輸出入の50%近くは電子部品となり、製品の組み立ては完全に中国の仕事となった。図1を見てもらいたい。今やパソコン、携帯電話などいずれも日本企業の現地法人も含め中国で作られている。中国が世界の工場なのだ。

日本は高度な部品だけを製造、その組立ては中国という水平的な棲み分けが成熟してきた。これまで中国が担っていた軽工業はベトナムやカンボジアが担いつつある。その後は当然、日中が技術競争することになる。ただ図2に見られるように、技術投資先として注目されているのは中国である。10年後日本の技術立国は危うくなる。そうなるとサッチャー政権が出る前の英国と同じだ。アジアでの水平分業はもはや幻想、日本が技術でトップにいる時代は長くはあるまい。

今後有力な技術投資地域

なぜ中国が有力なのかといえば、理系学生の多さと勤勉さという。日本は耳が痛い。はっきり国の構えを考え直す必要が出てくるだろう。それでなくても、①の海外投資で中国の技術力獲得スピードは一段とアップ確実なのだ。

中国の変化③ 賃金上昇

中国の賃金は、2006年には物価上昇を引いて年平均13.5%上昇、同じ時期の国内総生産(GDP)の年平均増加率の10.3%を3.2ポイント上回っている。これはコストプッシュ・インフレが近い将来確実に起こることを意味している。そして図1で示した製品独占率を考えると賃金上昇は必ず生産品価格に上乗せされる。世界的なインフレはいずれ必至だ。だから金が上がっている。日本にとっては、ドル安が気になる。

だが実際に世界的インフレが来た場合でも、日本で地方構造改革が終わっていなければ金利は上げにくいだろう。急がなければ地方のみならず日本の産業自体が中国に打ち負かされる。その前に中国企業が日本企業の買収に来ることは必至である。

その時日本はどうするのか。現在日本では出生率の低下が話題となっているが、人口が減った方が経済が縮小しても分配が同じ、生活レベルが同じなのでラッキーとも言える。さらにもう一つ。中国の政治が安定しない場合のリスクだ。そのカタストロフについては言うまでもあるまい。いずれにせよ日本政治の体たらくに付き合っている暇はない。

(07年11月24日脱稿)

 

第65回 英米モデルの動揺と、大君の都の人材成熟如何

大君の都、日本

幕末の日本に3年間滞在した英国の初代駐日公使オールコックの日本滞在記である「大君の都」に、「英国では近代教育のために子供から奪われつつある1つの美点を、日本の子供たちは持っていると私は言いたい。すなわち日本の子供たちは、自然の子であり、大人ぶることがない」というくだりがある。これと同じ気持ちをモロッコに旅した時に持った。

同国中央部マラケシュ郊外では、子供たちはみな裸足なのだが、特に年嵩の子供らの目の輝きがロンドンや東京とまったく違っていた。聞くと海外に行くなどとんでもない、大人でも渡航制限があるほか、航空機代金が高くてとても国外には出られないということであった。単純な比較は難しいが、日本の明治維新の頃の記述に似ていると感じた。明治維新が1867年だから、それから140年である。それから日本の教育は世界で受け入れられるような人材を教育してきたのか。その人材が試される時は、以下に述べるように近いように思う。

動揺必至のアングロサクソン・モデル

昨年来、マーケットの変調が起きている。サブプライム・ローン問題に端を発したクレジット(信用)市場での民間企業債務と国債との信用力格差拡大を映じた利回り較差拡大による民間企業債務取引の規模縮小、金利観が市場参加者毎に区になることにより金利が安定しないことを反映した債券市場の乱高下、そして商品市場(原油、金、小麦、排出権取引など)への資金の大量流入による価格高騰が続いている。しかし、より根本的な問題はアングロサクソン的な世界観が揺さぶられているということだ。米国のヘッジファンドLTCMの破綻でデリバティブ理論の実践面での不完全性が判明、会計粉飾が発覚した米国大手エンロンの一件で業績が悪ければ企業のディスクロージャーは当てにならないことが発覚し、そして今回のサブプライム・ローン問題で格付のいい加減さが判明した。さらに米国で大手金融機関が価格下落したクレジット・デリバティブズを買い取るファンドを作るや寡占金融機関の弊害、さらにノーザン・ロックの取付けによりイングランド銀行から銀行監督権限を金融サービス機構(FSA)に移したこと自体の問題も露見した。

これによりソ連崩壊後の市場万能型アングロサクソン・モデルへの大きな疑問符がつき始めた。日本のメガバンクが大手3行に集約化され寡占体制になったことも、グループ内にあらゆる金融会社を取り込みリスク遮断がしにくくなったという意味では米国と同じであり、米銀批判同様にこの文脈で再度その姿勢を問われるだろう。結局、ソ連崩壊後、アングロサクソンの市場万能モデルの批判勢力がなくなった。批判のない権威は堕落するということではないか。米国のイノベーションとは何だったのか、市場万能主義に対する批判勢力がなくなり、自己検証しなくなったことが問題になっている。

日本の行方

動揺するアングロサクソン・モデルの対案を日本は出せるのだろうか。EUは出そうとしてくるだろう。しかし、フランスやドイツに出来るか、なんとも言えまい。アジアでそれが出来る国は日本しかないと自負してきたが、福田―小沢の大連立という政治手法とその後の小沢氏の民主党党首退陣を巡っての混乱に、予想されたこととは言え、安全保障と経済政策の軸のない政党政治とは何なのかと改めて思う。議会における公の議論による政治ではなく、根回し、待合によるボス政治が未だにあったのだ。議論の場で言葉を磨いてこなかったことが政治の貧困、議論の貧困、ひいては国語教育の貧困につながっている。その意味で、小泉前総理もスローガンは述べたが、細部にわたる論理的な説明は十分ではなかった。BBCで放映される英国の国会中継と、日本のそれとを聞き比べてみれば違いが分かると思う。

やはり幕末に日本に駐在した英国の外交官アーネスト・サトウは、「宴席に雇われた本職の芸人(芸者さんのことであろう)の奏する楽器や唄で陽気になり、2、3時間談笑した後、もう充分に酩酊したところで客は主人にお辞儀をして、飯を所望する。これでお話はよく了解したという合図だ」と「一外交官の見た明治維新」に書いている。金融や行政の近くにいて思うが、安倍さん辞任後の福田さん選任、小沢さんと福田さんの会談、小沢さんのけじめと留任と、公的部門は何も変わっていない。食品や建築、耐火の偽装を見れば、企業ですらそういう面がないとはいえない。対顧客説明はもちろんのこと取締役会や株主総会でまともな議論を聞いたことが少ない。裁判所の口頭弁論でさえそうだ。こんなのでどうやって裁判員制度が機能しようか。

さらにこの日本の現状のみならず、将来にも不安が残る。それは自分ら40代と会社の若い人や子供の世代を考えてみて、やはり何か違う感じがするからだ。何か堪え性というか、ちょっと無理して頑張るところが著しく失われた感じがしているし、事態を何とかしようという感じが非常にもの足りない。かといって泰然として大局観を持っているわけでもない。身の回りのことには結構よく気が付くのだが、大きな世界や日本の流れに鈍感じゃないのか、と思うことが多々あり、筆者は強い危機感を持つ。

(07年11月4日脱稿)

 

第64回 外貨準備資産運用の巧拙

アジアのエリートたち

ロンドンでの大きな楽しみは、世界中の優秀者と出会えることである。金融の世界でも、英国人よりもフランス人、ドイツ人、イタリア人、東欧の人、ロシア人、レバノン人、クウェート人、そして何より中国人、インド人、韓国人はじめアジア人の優秀者に出会うことが多い(米国人は少ないが)。特に銀行、証券会社、保険会社、ヘッジファンドなどはもとより、アジア各国から送り込まれた中央銀行や外貨準備運用機関のトップ、チーフには超優秀者たちがいる。さらに言えば、マレーシア、タイ、台湾、シンガポール、香港から来た優秀な頭脳の持ち主は、なぜか女性が多いように思う。こういった人たちは国に帰ればトップ・エリートになると予想されるが、資産運用に賭ける真剣味が日本人はもとより、欧州人とは大いに異なっている。

アジアの金融危機以来、外貨準備を金融商品や、場合によってはコモディティにも投資して運用し好成績を上げることは国、ひいては国民にとっての大きな利益になると認識されている。国を挙げて能力のある学生を欧米に留学させ、外貨の運用やロンドンでの情報収集に当たらせて、その成果を国民に還元させれば元は取れるということであろう。アジアでは、特に長期資産を運用する政府系の運用会社にいるトップたちの視野が非常に広くて、ヘッジファンドも顔負けにエマージング市場の債券、プライベート・エクイティや不動産投資まで手掛けている。世界や市場の先を読もうということでゴルフやパーティーなど社交も派手である。ちょっとやりすぎではないかと思うこともあるが、彼らは国民のためと割り切っているようだ。

英国の外貨準備運用

外貨準備に限らず、資産運用の要諦はリスクとリターンである。ハイリスクを取ればハイリターンだし、リスクが低ければ利回りも低い。そのいずれを取るかは運用目的次第である。家計のような小さな資産の場合、あまり大きなリスクを取ると損した場合に余裕がないので、預金のように金利は低いが確実なものが選ばれる。金持ちになると余裕があるので、株式や不動産などで運用できる。外貨準備のようなものは国民のお金なので、ローリスク・ローリターンが普通だが、アジアの国々が狙っているのは、ミドルリスク・ハイリターンのように思う。それが出来るには、金融市場に深く接して市場の先を読むことができるプロでないと難しい。最先端を行けば、大きなリターンが期待できる。

こうした最先端は実際に市場で、特にロンドンのような国際市場で取引に携わらないと分からないものだ。英国の外貨準備運用は少し変わっている。アジアの国々は日本も含めて資産運用はしているが、借金はしていない。英国は財務省の代理人としてイングランド銀行(BOE)が、資産負債を両建て* で外貨の運用を活発に行っている。このためBOEも活発な市場参加者として先読みの知恵を持っている。BOEのユニークなところは、資産運用で得られる知見や情報を、別の仕事である金融政策や市場参加者間で共有される知恵、知識(マーケット・インテリジェンス)を吸収するために活用していることだ。外貨準備自体は日本や中国の4分の1しかないが、アジア諸国や英国はむしろ金融市場の一プレイヤーとして、ミドルリスク・ハイリターンを実現している。決してメイン・プレイヤーであるインベストメント・バンクのお客さん(プレイヤーではなく、素人)ではないのだ。

日本国の運用

これに比べて、日本の運用はローリスク・ローリターンでほとんど運用とは言えない。日米軍事同盟の裏返しとして米国債が9割以上であろう。ゆえに、為替リスクをもろにかぶっており分散が出来ていない。ドル安になれば、国民の資産は簡単に吹っ飛んでしまう。日本のドル売却はドル暴落につながり日本の損にもなる仕組みになっているので、一蓮托生の日米関係と見ることもできるが、もう少し運用センスというものを持たないとアジアの各国民に比べ我が国民は大いに損をすることになる。今の円が安い状況、裏返せば極端に低い金利も、輸出企業を守り、国民を犠牲にしてドル資産を日本が買い財政赤字を抱える米国をファイナンスしている状況である。円高金利高ならもっと日本人は豊かになれる。

日銀は自らも外貨準備を持ち、その金額は日本全体の外貨準備の3%ほど(残りは日本政府)であるが、日銀は資産の全運用通貨(ドル、ユーロ、ポンド、円)のうちドルの比率は65%と公表した。一方、外貨資産のほとんどを持つ政府の通貨別内訳はどうか。マレーシアのように金先物に投資すべきとまでは行かないが、運用センスを磨く訓練はすべきではないか。ここまでドルを持つのはよほど米国を信頼しているか、自国通貨、円に自信がなくいずれドルを売って円を買い戻す必要があると考えているのか。そこまでの深謀遠慮の前に、日本の当局は市場センスを磨くべく、ロンドンをもっと利用した方が良いのではないか。

* 借金(=負債)してお金(=資産)を運用すること。借金をせず手持ち資金だけで運用する場合に比べより多額の資産運用が可能になるが、借金を返済する必要があるため失敗すれば倒産リスクもある。

(2007年10月27日脱稿)

 

第63回 ノーザン・ロックの取り付け騒ぎ

ノーザン・ロックの取り付け

今では下火になったが、ノーザン・ロック(英国5位の資金量を誇る住宅金融会社)の店舗の前に人々が並ぶ光景は記憶に新しい。ノーザン・ロックを利用していた知人によると、同行はその半額は元本を保証し10%の金利、もう半分は債券などのリスク商品に投資し、元本は保証しないというユニークな預金を売っていた。10%金利がつくとすると、税金を除けば約10年で倍になる。ということは最悪でも10年間で元本が返ってくるという計算になるし、英国の景気と金融市場の活況を前提とすれば、10%以上の利回りは確実と人々は予想したのであろう。

しかし、元本保証されない場合の損得の平均はゼロと考えると、預金全体の収益の期待値は5%ほどになる。そのうえ確実に5%とは言えない以上、ハイリスク・ハイリターン商品ということになるので、所得の低い人が手を出すべき金融商品とは言えない。たとえ銀行がつぶれても預金者の自業自得とも言えそうだが、ノーザン・ロックの場合はその上に大手金融機関などから大口かつ高金利で市場借入れ*1を大量に行い(専門用語で「市場調達比率が高い」という)、リスクの高い金融商品に運用していた。この点が十分に情報公開されていなかったので、一概に預金者の責任とばかりも言いにくいのだ。

当局の対応とその理由

そこでイングランド銀行(BOE)は無制限に融資を行うという形で救済に出た(BOEからの融資残高は、日銀が山一證券に貸し付けた金額より大きい可能性がある)。第一の理由としては、情報公開不足の責任を感じたのだろう。ただ、この件はBOEではなく、むしろ銀行監督を行っている英国金融庁(FSA)が取り組むべき事柄だ。市場調達比率は毎日変わるのでリアルタイムで監督する必要があり、その分責任も大きい。当時まだ蔵相だったゴードン・ブラウンは銀行監督権限をBOEからFSAへと移管することを決定したが、そのシステムの落とし穴とも言える問題であろう。市場になじみが深い中央銀行=BOEに銀行監督権限を残すべきではなかったかという論調が、ブラウン首相の政治的な運命にも今後は影響すると予測する。

第二の理由としては、取り付けを放っておけば連想ゲームにより、どんどん預金が抜けて健全な銀行もつぶれてしまうからだ。信用不安は一旦発生すれば、落ち着くまでの間は本当に経営が悪いのかどうかはあまり関係がない。人々がどう思うかだけで銀行の行方は決まる。銀行の商品は信用なのだ。信用を取り戻すためには、経営に問題がないと信頼される第三者が宣言するか、第三者が預金保証をするほかない。そこでイングランド銀行や財務省は、預金を全額保証するといって無制限無担保でノーザン・ロックに対して融資を始めた。ところがBOEのキング総裁は取り付け前日まで、米国のサブプライム問題が飛び火しても優良担保でしか融資しないと言っていたので、前言撤回したとして議会で集中砲火を浴びた。

ネット・バンキング時代の問題

しかし、事態はそれでもすぐには収まらず、預金は引き出され続けた。この点は、日本が不良債権問題時の金融機関破綻で痛いほど勉強したことである。すなわち、政府や中央銀行がいくら全額保証といっても人々は安心しない。一般の人は厄介な銀行に預金を置いておきたくはないのだ。ものぐさな英国人でもこの点は一緒だった。

政府や中央銀行が問題銀行の処理方策(合併とか国有化とか)と併せて、預金保証と無制限流動性供給*2を提示して国民はそれでようやくギリギリ安心するのだ。処理方策のない口先の保証と融資は、誰が損を負担するのか明確でないため信用されない。その間にも預金はどんどん抜けて結局ノーザン・ロックは間違いなく債務超過になったと思う。国民負担は大きく、間違いなくブラウン政権の命取りになるだろう。ブラウン氏にとり皮肉というか、自業自得というべきか。

おもしろい問題はまだある。預金は今や窓口よりも、ATM(キャッシュ・マシーン)から抜ける。幸い英国のキャッシュ・マシーンは、現金がなくなったら打ち止めだ。これがある程度預金抜けスピードを遅らせたろう。しかし、インターネットでの預金引き出し、振替はどうか。正確な統計はないが、これで随分抜けたと思う。ノーザン・ロックだからそこまでの被害は出ずに済んだが、HSBCなど4大銀行なら世界中から預金は抜かれたであろう。多国籍銀行の場合、処理方策も多国籍になる。too big to rescueこそ、世界の金融システム安定の難題なのだ。

*1 金融市場で他の銀行から大口の借入をすること。
*2 上限を定めず貸出をすること

(2007年10月8日脱稿)

 

第62回 英仏の余裕とその持続性について

最先端の投資はどこに行くのか

昨今の世間を騒がすサブプライム問題において、遅ればせながら中央銀行のみならず、大統領や金融担当大臣など政治家までがファンドの規制をするといったことを述べている。9月6日に掲載した第60回で述べたように、サブプライム問題が米中の実体経済まで影響が出れば為替調整という政治問題になるのだから、遅ればせでも意味がないとは言うまい。しかし最先端の投資家はとうにサブプライムの投資から次に焦点を移している。

シティはいわば世界の生き馬の目を抜く市場だ。こうした混乱が起こるたびにいつも思うが、混乱が起きて当局などが来る時には先駆投資者は既に最先端の投資を思いつき、次の狩場で次の獲物を狙っている。しかもそのサイクルは年々早まっている。当局が学習したのか、先駆になれなかった二流インベストメント・バンカーが当局に入っているためか、またはIT技術の進歩により知識の普及が早まったからなのか。ただ、悲しいことに日本の金融機関は先駆投資者にはなっていない。このためババをつかむリスクが十分にあるのだ。もちろん一番不幸なのは、そうした金融機関に低金利で預金している日本の消費者なのだが。

英仏が主役を担うアフリカ投資

米国サブプライム市場の次に注目されているのが、サハラ砂漠以南のアフリカ諸国への投資である。ヘッジファンドやプライベート・エクイティ*のアフリカ投資は着実に増えている。2007年のアフリカの資本市場規模は、80億ドルと2002年の8倍、2005年の2倍など年々倍々ゲームになっている。

その主役は言うまでもなく英仏だ。次いで中国。中国はアフリカ諸国に眠る資源を狙って、アジア・アフリカ諸国以来の馴染みから政治攻勢とチャイナタウン作りなど人口攻勢をかけている。南アフリカでは中国人30万人、日本人300人とその人口規模の大きさは比較にならない。

しかしなんといっても植民地時代からの遺産が英仏にとっては大きい。結局アフリカの資源や低賃金労働を利用した企業活動、そして一部金持ち層を狙った消費財販売のための企業投資は、英仏人を中心にロンドン市場を通して行われることが多いのだ。そうした先駆的投資は、確実に大きな利益をもたらすであろう。

植民地の遺産が英仏の大きな余裕となっていることは、投資という限定された問題を取ってもはっきりと分かる。こうした余裕があるからこそ、ユーロスターはウォータールーからセントパンクラス駅へターミナルを変えることでロンドン-パリ間を30分以上も短縮できるのではないか。日本なら予めそうしたことも十分考慮の上、最初から作り直しがないように線路を引くのが普通だが、やり直せばいいじゃないかという余裕があるのが英仏だと思う。その余裕は、莫大な遺産の蓄積から来ているのではないか。

「経済学の父」と呼ばれる英国生まれの経済学者アダム・スミスが「道徳感情論」で指摘しているように、自由市場の前提には市場参加者の倫理や道徳がある。衣食足りて礼節を知るというか、この点で日中は英仏に対し、後進国として追いつくためにはまだまだ時間を要するのではないかと思ったりする。今後は中国語もさることながら、金融で働くならフランス語もやはり重要度を増すと予想する。

英仏の余裕の持続性

ベネズエラのチャベス大統領しかしながら、英仏の余裕の持続性については問題もある。まずは地球環境の問題で、これを無視してアフリカ開発はできないであろう。さらにベネズエラのチャベス大統領を見るまでもなく、やがてアフリカ人のナショナリズムが勃興するであろうということだ。この点、ロシアのプーチン大統領が今週インドネシアを訪問した一件は非常に興味深い。 東ティモールの混乱を原因として英米がインドネシアへの武器禁輸を施行した間隙に、ロシアが資源確保と武器売込みに出たのだ。同様のことがアフリカであれば、米国や中国も政治でアフリカに噛んでくることになる。

英仏は旧宗主国のためナショナリズムの標的になりやすい。去年フランスで発生したマグレバンの暴動を想起されたい。この出来事は、フーコーが監獄の誕生で述べていたことであり、アフリカという異界がなくなってしまうと、異界は先進国の内部にでき、それがロンドンでの同時多発テロとなってアルカイダの温床となる。結局、植民地時代の遺産というものが英仏人にとって如何に大きなものか再度思い知ることになるであろう。

ただ、英国の懐は深い。アフリカ諸国のエリートの子弟は英国で学ぶ例が多く、ANNUAL DAY(学校の年度末の終業式)などで隣にナイジェリアの大臣がいたりしたこともあった。こうしたことも英国の余裕なのだろう。

*未上場株に投資し、企業の経営権を握って上場により株式価格を上げ年率20%近くで儲けるファンドのこと。ここ5年ほど隆盛している。

(07年9月9日脱稿)

 

第61回 安倍総理の辞任

予期された辞任

12日の日本時間午後2時に安倍総理が辞任表明した。予想よりちょっと早く、またやや手前味噌なのだが、「やはりなあ」という感想を持った。第37回(2006年10月12日発行)で以下のように書いた。


時間軸の長い構想力を示しながら、かつ民主主義の過程で支持を受けることは難しい。しかし、それをやらなければ政治の価値はないのだ。なぜなら、それ以外のことは市場が解決していくからである。ハイリスク・ハイリターンという。リスクを取らなければ、高い結果も期待できない。(略)禅譲を受けた政権は長続きしない。逆に戦い取った政権は長続きする。サッチャー、ブレアしかり、中曽根、小泉しかり。安倍首相の構想力は安全保障に傾斜している。しかし今や安全保障はブレア首相に見るまでもなく、軍事力や経済力のみでは世界的な支持は受けられないことは明らかである。環境保全、京都議定書、憲法9条、食糧問題、日本の固有性と現実政治との折り合いをつけていく構想力があるのだろうか。

日英構造改革の違い

安倍首相考え方は今もそれほど変わっていない。確かに年金問題など不運な環境はあったが、より深刻な問題は、安倍首相が第一には小泉改革の評価において、第二には日本人の民度という2つの点で読み違えしていたことにあるのではないか。

小泉改革は、戦後の右肩上がりの成長を前提とした社会主義的な制度を改め、そのコスト構造を明らかにして、国民に制度存続の賛否判断を求めていくという意味で是非とも必要なものであったと思う。しかしながら、日本人には中程度の金持ち=中流が多く、差し当たり生活に困っていないので、結局郵政民営化といったシンボル的な改革しか(それだけでも大きな変化だが)できなかった。この点において、経済が行き詰まり、失業率が10%を超え、日本から緊急融資を受けるほどの経済のどん底状態から這い上がった英国のサッチャー改革との大きな違いがある。

安倍首相が犯した読み違い

ただその程度の改革でも企業が非正規雇用を増やし、国は公共投資を減らしたので、地方経済に痛みが集中した。この状況を日の当たりにした安倍首相に、迷いが生じた。つまり安倍政権は構造改革は継続すると言明する一方、実際には何も手を打たず、小泉路線の不徹底を批判する構造改革派と、行き過ぎを批判する「抵抗勢力」のどちらにも良い顔をしようとした。小泉改革の本旨と国民の支持を読み違えたのだ。このため小泉元首相に比べて経済政策については後退の印象を国民が持つに至り、地方の声が反映されやすい参議院選挙で負けると安倍政権は急に地方重視と言い出して、政治にとって致命的な朝令暮改の印象が残った。

第二に、中程度の日本人の民度、特に安全保障問題への認識についての洞察の欠如である。この欄で繰り返し述べているよう に、いずれ安全保障問題は日本に取り死活問題になる。言うまでもなく焦点は北朝鮮と台湾だ。ところが、中流に属する日本人は生活に困ってもいないし、安全保障の脅威を切実には感じていない。こうした日本人に世界で何が起こっているのか、世界の論調はどうなのかについて、グローバリゼーションや米国や中国との関係を通じて高い意識を国民に持たせることが政治家に求められている。しかし安倍首相は、憲法とか国民投票とかいきなり結論だけを述べて強行採決をした。政治的発想の貧困さ、構想力の欠如の例と言える。

国民が自ら考えるということ

このように安倍首相の辞任劇には、いくつもの伏線があった。もとより民主党の政策も、構造改革反対バラマキ復活で経済政策になっていない。安全保障問題について小沢さんはフタをしている。

以前述べたように、経済政策と安全保障の2点から政治の再編成が必至である。また今回取り上げた民度の成熟に至っては国民1人1人が自ら考えることがクリティカルであり、これこそ夏目漱石が「私の個人主義」で繰り返し指摘していた問題にほかならない。これなくして、海外から尊敬される国には決してなれないと改めて強く思う。

(07年9月12日脱稿)

 

第60回 サブプライム問題再論

サブプライム問題とは

この問題は今年5月初旬に掲載した第51回で論じた。ポイントは以下の通り。

 

(1)サブプライム・ローンとは、収入や担保が十分ではないが、購入予定の不動産価格の値上がりを見越して、米国で住宅ローン専門金融機関などが貸し込んだローンのこと。
(2)米銀は80年代後半からのラテン・アメリカ諸国や国内住宅ローンでの貸出焦げ付きに懲り、ローンを実施後に貸出を直ちにペーパー会社に譲渡し、その会社の株や社債を住宅ローン専門会社や投資家に買わせるようになった。これにより手数料を稼ぐ一方、貸倒れリスクを買手に移転し、自らはリスクを負わないビジネス・モデル(オフバランス=証券化による倒産隔離)を確立。
(3)サブプライム・ローンはリスクが高く焦げ付きやすい。住宅バブルがはじけると、倒産隔離が法的に確認され買手の投資家や年金が損失を被るのか、それとも法的に無効になり銀行が損を被り、公的資金=税金でカバーするのか。米国の司法、政治が問題を突きつけられることは必至。

その後夏にかけて、米国でファンドの損失が表面化、野村証券が損失を公表したほか、フランスのBNPパリバが傘下にあるファンドの資産凍結を発表。8月入り後の市場の動揺に対してECB(欧州中銀)やFRB(米国連邦準備制度)が市場に資金を供給して動揺を抑え、現在は小康状態となっていることはご存知の通りである。

これからの展開

今回は、このサブプライム問題を今後予想される展開から最終的な着地点までの見通しという観点から再論する。結論を先に言えば、この問題を巡っては「誰が損を被るのか」で今後必ず政治を含めたゴタゴタ、悲喜劇が発生するだろう。第1幕は中央銀行が主役だ。損失処理は民間が被れば倒産問題になるし、政府が被るなら財政問題でいずれも厄介な調整が必要になる。このため、まずは流動性の問題と捉えて市場は問題の先送りを狙う。8月22日付の「ファイナンシャル・タイムズ」紙(FT)の1面には、米国上院のドッド銀行委員長とポールソン財務長官がバーナンキFRB議長と並んで会見する写真が載っている。明らかに政治による中央銀行へのプレッシャーだし、それを載せるFTにも作為が感じられる(どの国でも経済紙は政治に弱い)。世界の中央銀行が協調すれば場の安定は回復するが、真に損失のある場合、先送りは長続きしない。

また今をときめくバークレイズ証券のダイアモンドCEOは24日のFTで、秋頃には固定利回り商品とリスクある商品への投資がバランスする形で市場は回復すると強気の姿勢を示している。もちろんバークレイズこそがリスクある商品での節税を仕組み、その仲介手数料とファイナンスで急成長し、オランダのABNアムロまで買収しようという張本人なのだから、希望的観測としても当然だろう。

来年にかけて第2幕が来る。今回新たに表面化したのは、オフバランス=証券化が何層にもなされていることだ。日本の不良債権処理が良い例なのだが、あまりに経済的損失額が大きいとオフバランス=証券化の法的な枠組み自体が否定されるリスクがある。矢面に立つのは証券化の法的枠組みを作った弁護士、会計士だし、それを売り込んだ投資銀行だ。FTにおいてダイアモンド氏は「問題はサブプライムであって証券化の枠組みじゃない」と予防線を張っている。これに先立ち、非効率なドイツの州立銀行がサブプライム投資で被った損失を、州政府、政府、民間銀行でカバーしようという奉加帳が回っている。米国内では政治的解決があり得るが、国際的な損失分担は法的ルールでやるしかないからだ。この事実を受け入れて、結局ドイツは日本のような公的負担による解決を取るという。しかし、米国人投資家ならそう簡単には諦めないのではないか。

為替調整が来るのか

そして問題は第3幕で、ここをどう読むかが難しい。実はいくらサブプライムの損失が大きくても、損失分担をする政治過程が大変でも大した問題ではない。サブプライム問題が米国人の消費を冷やし、中国景気に影響を与え、米国債が売れなくなって米国が財政赤字を減らす時こそが一大事なのだ。なぜならば米国の金利は急低下し、ドル安になるからである。ユーロ高、円高、人民元高、ドル安。この時に貯蓄国である日中が米国債を買うことを止めればドルは暴落する。学界やエコノミストは世界的なSaving Glut(貯蓄超過)論が問題の本質だと言っている。これを避けるための為替調整は、いわばプラザ合意の再現というのが欧米当局の明確な目論見だ。この過程で日中の景気悪化は必至なのだが、そのシナリオを上回る対案があるのか。日中金融当局の正念場が来る。

(07年8月26日脱稿)

 

第59回 これからの市場の変貌

サザビーズの変化

サザビーズのオークションに行かれたことがあるだろうか。ニュー・ボンド・ストリートにあって、誰でも入れて、オークションを見学できるし、参加もできる。出品カタログも売っている。2年前にワイン商に連れられて訪問した際には、100ポンド程度のワインもオークションにかかっていた。

ただ今では以前と比べオークションの開催数は減り、取引金額は高めになってきているという。8月13日付の「ファイナンシャル・タイムズ」紙によれば、サザビーズは主力の入札対象商品を絵画やアンティ-クに絞るほか、単価が5000ポンド(約110万円)以上のものに集中するように舵を切っており、これ以外の安い商品をあまり扱わないようにしているそうだ。手間を減らすことで、従業員やセリ人を減らし、コスト削減を図りつつ、大きなロットで収入を維持しようということだろう。かつては売上高で圧倒していたライバル、クリスティーズはフランス人オーナーの下で米国に進出。不動産も含めて扱う商品は多様、かつ価格層も多彩となっていることから、サザビーズでは逆に資源集中による収益性の安定を図ろうとしていると解される。

オークション業界においては、eBAYを始めとするネット・オークションが最初脅威と考えられていた。ただ最近では素人が出品し、素人が買う世界と、プロを雇った貴族や金持ちが出品し、プロを雇った金持ちが買う世界とは自ずと住み分けられるということで、危機感は薄らいでいるように伺える。しかし、いつまでも安閑としていられるであろうか。ネット・オークションの弱点は、商品の価値の真正性とセキュリティであろう。しかしこれらは買い手が「ネット・オークションでの真正性やセキュリティはその程度」と覚悟するなら割り切れない話ではない。また利用者が増えるのに合わせてセキュリティ面ではIT技術、法制が日進月歩で進歩しつつあり、若い世代は抵抗感を持たなくなりつつある。

合従連衡とネット株式市場

ところで、各国の証券取引所においても変化が起きている。昨年来ロンドン証券取引所がNY証券取引所やドイツ証券取引所から提携、株式取得提案を受けたり、東京証券取引所がロンドン証券取引所と業務提携を発表したり、世界的なM&Aの動きが顕著なのだ。このほか証券取引所や金融取引所の手数料が高いとの理由で、欧州の有力銀行が自前で取引市場を作り取引所を迂回して決済をしてしまおうという動きもある。従来は確実な取引や決済は取引所でしか行えなかったが、現在ではIT投資を十分行えば、取引所でなければオークションができないという事態はなくなりつつあるからだ。そこで既存の取引所は、規模の利益を求めて合従連衡を画策している。ロンドン証券取引所に人気が集まるのは、ロンドンという金融市場をバックにしているという利点のみならず、IT投資額が大きく、約定確認や決済システムとのリンクに優れているという背景がある。

オークションと株式取引所

一見するとオークションと株式取引所には直接何の関係もないようだが、IT技術の進歩で、プロとアマの区別があいまいになり、従来の住み分けがしにくくなってきた例という点では共通である。これまでは、確かに株式が企業の資本を分割したものであるだけに商品の同一性が高い一方、オークションは個別性が高く、鑑定力がものを言うケースが多かった。しかし、eBAYでもチケットのような同種の商品を大量に売ることは可能だし、特に高価な商品には鑑定や保険がつくこともあり、規制がある取引所との境界は次第にあいまいになってきている。ちなみにオークションでも株式取引でも一番儲かるのは、賭博と同じ胴元である。リスクなしに口銭を取るからである。

鍵はIT投資をする資本力である。個人にはこの点が難しいが、米国ではネット証券会社がこうした投資を個人から募り、ベンチャー・キャピタルに投資することもよく行われている。社会的にはセキュリティ面の確保が取引の安全、安定に不可欠となるが、この点は取引が大々的に行われれば、市場が悪質業者を淘汰するか、または政府が介入せざるを得なくなるものだ。電話、計算機、カメラが携帯になり、ラジオ、ワープロ、テレビ、ビデオがパソコンになり、そのパソコンも携帯に近付きつつある。いつ実現するかわからないが、ことごとく取引はWEBベースに集約できるし、そうなっていくであろうと予想する。原理は同じだからだ。その上でサザビーズの生き残る部分は伝統や文化を重んじる英国の岩盤部分になる。その大小がどれくらいか興味深い。そうしたことを読んだ上で、企業は投資行動、取引行動をするべきではないかと「ファイナンシャル・タイムズ」の記事を読んで考えた。

(07年8月15日脱稿)

 

第58回 ニュー・ケインジアンの試される時

物価上昇続く

英国の物価上昇率がじわじわ上がってきている。国家統計局(ONS)の発表によれば、消費者物価(CPI)は5月に2.5%、6月には2.4%上昇している(グラフ参照)。イングランド銀行(BOE)が目標とする0~2%の物価上昇率を上回っていることから、BOEによる金利の連続的引き上げは不可避だ。

物価の理論と対応

1108こうした現象をどう読み、どう対応するのか。今一度、「物価上昇率はどうして決まるのか」という基本的な問いから考えてみるのが有用だ。答えは需要と供給の一致点にあるというのは今も昔も変わらない。ただその答えを支える理論は進化した。ケインズが第二次世界大戦後の復興を訴え、あまりにも景気が悪く、物価が下がり続ける際には政府が需要を創出し、需要と供給のバランスを回復し、物価上昇を図ることが適当と主張してこの理論が主流となった。

しかし1970年代に政府の財政赤字が大きくなる一方でインフレが問題となると、財政支出を行い景気が良くなっても、人々が物価上昇を予想し物価が上り、名目で経済成長しても、物価上昇分を除いた実質成長は変わらないというマネタリズムの考え方が強くなり、これを背景にサッチャー、レーガン政権が緊縮財政とそれを前提にした民間活力の活用、すなわち規制緩和(構造改革)を行った。この間に物価と経済成長はトレードオフであるとの考え方が主流になり(フィリップス・カーブという)、現に先進国ではそうした事象が広く見られた。

そして今では、より現実的に企業や個人が将来を読んで行動しているという前提を基礎に理論を組み直すニュー・ケインジアンが学界の主流になっている。期待=将来予測が人々や企業の行動を決めており、その行動は 供給サイドや需要サイドのショックによって変化するというもので、不確実な世の中で予測の役割を重視している。ニュー・ケインジアンによれば、企業の製品供給は企業の予想する将来のコストと需要(どれだけ売れるか)を前提にどれくらい儲けを増やすか(マークアップという)で増減が決まるし、消費者側は将来どれくらい収入が増えるかを考え、それからその収入増が本当にまともなものか、言い換えれば働いた結果当然報いられるべき付加価値の上昇分に値するかを予想して、現在の買う量を決めることになる。要するに需給両側で将来を読んで今を決めるのだが、その将来予想が相関しており、経済の行方を決めるということだ。

現在の英国の状況とは

では、この経済理論が現在の英国にはどのように当てはまるのか。企業の将来予測は、中国やインドの需要増加のため原油価格の上昇が続くのでエネルギーや資源価格は上昇継続する一方、中国製家具の値上げにみられるように中国での人件費上昇から中国製品もこれ以上値段が下がることはないとの見方である。また2000年入り後の好景気から賃金も一段と上がっていくと予想し、さらに英国内での住宅関連の製品の需要が根強く、今のうちに値上げをして利益を確定させたいという気持ちのようだ。一方、消費者の方は賃金の上昇が金融関係から関連業界、裾野へ広がり、来年も4%くらいは上がるのではないかとの期待が定着している。

この期待に大きな問題がある。期待が期待を生む形で、物価に上昇圧力が高まっている。ではどうすればよいか。ニュー・ケインジアンによれば、企業、消費者両サイドの期待を減らすショックがあるのかどうか、なければ政策対応が必要になる。まず、金融市場でサブプライム*問題を理由にクラッシュがあれば需要は冷え込むであろう。テロや戦争もそうである。しかし、こうしたショック自体が予測不可能だし、人為的に制御することも無理なので、やはり常道は財政金融政策だ。ただブラウン氏の住宅供給政策は住宅価格を一服させる効果はあるが、財政拡大でインフレ促進になる恐れがある。

財政縮減余地が政権からみて小さいとなると、問題はBOEの金融政策になる。今の金融市場では、サブプライムでクレジット市場を中心に危機が迫りつつあるとの悲観論も多い。引き金として注目を浴びるのは、グローバライゼーションの下ではBOEのみならず、異常な低金利を続ける日銀の金利引き上げのペースである。

*通常より金利を高くした貸し倒れの危険性が高い不動産ローン。本欄第51回参照。

(07年7月29日脱稿)

 

第57回 政治家の貧相、オタク、税制、テロ

新世紀からの変化

今回は、経済活動の前提となる社会構造に世界的な変化が見られるように思うのでその話をしたい。前々回、日本は言うに及ばず、欧米でも政治家の顔が貧相なのはなぜだろうかと疑問を呈した。政治は権力であり、富の分配に関わるので豊かな社会では政治の役割は小さくなる。役割の小さい所に良い人材は集まらない。では人材はどこにいったのか。企業というのがこれまでの答えであった。しかし、企業のトップもどうも活き活きしているようには見えない。さすがにHSBCのボンド会長など世界的な企業のトップに投資家説明会の場などでお目にかかると違うなとは思たが、日本の企業トップには自信を感じないことが多い。トヨタ成功の原因といわれる、現場の掌握を会得している感じがないのだ。

では人材はどこにいったのか。米国では、最優秀な学生は起業するという。日英でもIT関係の起業家に会うと確かに意思が明確だと感じる。ITの世界では、好きな人がやりたいことを実現するための無償ソフトを公開し、それらをインターネットを通じて世界中の好き者たちが改良している。金儲けではなくボランティアなのだ。ウインドウズやUNIXなどの従来のオープン系の基本ソフトを凌駕する勢いのLINUXもそうして出来た製品である。最初のアイデアを出したフィンランドの大学院生トーバルドさんが、その動機を「楽しかったから」と言っているのが象徴的だ。

オタク輝く

日本では、こうした1つのことにマニアックに集中している人のことをオタクとやや揶揄するようなニュアンスで呼んでいる。しかし豊かな時代において、何でも表層的な理解でまとめるだけの政治家や企業トップの役割は明らかに縮小している。1カ所で他にない抜きん出た研究と知識を持った者が、つまり一種の好き者たちがボランティアに集まる世界が確実に力を持ってきている。

米国のベストセラーにウィキノミクスという本がある。ネット上で参加者が自由に作り上げる辞書で、今やブリタニカをしのぐ内容と言われているウィキペデイアのような、自由市民による任意参加のゆるやかな結合体が経済的に大きな意味を持つという内容である。エコノミストの間でも以前からNPOの活動がGNP統計などに反映されないことは問題視されてきたが、それでもそのNPOが経済活動の中心になるとは考えられて来なかった。しかし、おたくの仕事がつながり、それを無料供与することで消費者は利益を得る。お金を媒介にした取引のほかに、オタク同士の協力、いわば贈与や交換といった活動も経済的に意味があると哲学者が主張していたが、これが現実になり、しかも取引と同等以上の意味を持ち始めた。もちろん、おたくが起業することも考えられる。

起業促進税制とテロ抑止が鍵

こうした動きはもう止めどないものになるだろう。その点、ある起業家は、日本の税制では所得がいくら増えても税金が超累進的で、こうした起業を促進どころか抑制する作りになっていると嘆いていた。倒産法制もかなり良くなったが、その運用を見ると倒産者に復活はなかなか許されていないのが現実だ。いずれも制度が変化についていけてない例である。もちろん、市民間のボランティアにも欠点がある。安全を最終的に担保する国家という存在の欠落は不安定を意味する。インターネットの画面に暗号を組み込んで通信していると言われるアルカイダの手口を取り締まることは十分には出来ていない。しかし、ボランティアでウイルスバスターやスパム撃退ソフトを提供する人はいる。この点も、豊かな社会なら性善説的に考えて希望を持って良いかもしれない。

いずれにせよ、税制や規制などにおける国家間の制度競争と制度ショッピング*する多国籍企業の活動が展開されて久しいが、既に個人も国境を確実に越え始めている。そうだとすれば、税や規制の問題は他国との差異をもっと厳しく問われることになって来ると思う。年金など社会保障も同じである。

サラリーマンの没落

最後に個人の生き方の問題として、オタクの時代には、ジェネラリストは本当に一握りで十分ということになる。そのいずれでもない人は、結局消費者としての役割しかないことになるのではないか。ヨーロッパの中世を終わらせたルターの宗教改革は、グーテンベルクの活版印刷により大量のドイツ語訳の聖書が提供されたことが最大の勝因だという。ITとインターネットというコミュニケーション・ツールが近代国家、及び画一的な発想しかできない官僚的なサラリーマンの存在に変化を与えることはもう確実だ。

*より有利な制度の適用を求めて取引拠点をあえて国境を越えて移すこと。例えば税金の高い国から低い国へ本社を移すことなどを指す。

(07年7月10日脱稿)

 
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