気になる政治経済現象
世界経済や政治の行方という観点から進行中の、気になる出来事を下の表1に挙げてみる。
これらの出来事は、一見しただけではそれぞれ関係なさそうでもあるし、結局は歴史の審判を待つほかない。しかし自分なりになぜこうした事象が生じているのか、原因を考えてみるといくつか思いあたる(表2)。
世界秩序は、その骨格となる思想と、それを実現する強大な政治・経済力によって構築される。第二次大戦後の秩序、例えばブレトンウッズ体制は、英国の経済学者ケインズの構想と米国の力により実現できた。共産主義崩壊後の秩序は、資本主義の貫徹というレーガン、サッチャーの思想(そもそも思想といえるかどうかの議論もあるが)による英米の秩序である。こうして生まれた貧富の差が拡大し抑圧が極限化した状態は、それ以前にもなかったわけではない。昔はもっと極端であったとも言える。今昔の相違は、現在では軍事技術の「民生化」により、また交通手段やコミュニケーションのネットワーク拡大により、貧しい者でも容易に社会システムを攻撃できるという点である。貧しい者の抵抗はテロという形になり(自爆という点まで行くには、宗教的な触媒によるジャンプが必要と思うが)、社会に対して大きなコストになる(諸兄姉も、忘れ物一つで毎日地下鉄が30分も止まるこのごろにはいい加減うんざりしているのではないだろうか)。ロボットやバイオが民生化されればテロはもっと容易になるであろう。こうした状態に多くの人が何か行き詰まりを感じているのではないか。

米国のリーダーシップ不在と今後の展開
これまでのところ、超大国米国のリーダーシップは、軍事力という形でしか発揮されていない。経済や秩序構築の思想ではブッシュ政権は見るべきものがない。例えば、人民元切り上げ後の通貨システムについてケインズのような構想を米国が発表しているわけではないし、G7でもリーダーシップをとった節はない。ブッシュ氏は、テロの因果が米国側にもあることに思いを致さない。では、ブッシュ氏の次に期待できるのか?(クリントン氏は結構世界ビジョンについて語っていたが)。
多分、もう米国だけに期待することはできない時代がそこに来ていると思う。一方で、ブレア氏はG8で環境問題やアフリカを取り上げるなど非凡なセンスを持っていると思うが、英国も一国で世界秩序を作る力はない。コモンウエルスは隠然たる力を持つし、EUも大きな力を持つが単独で力を持ってはいない。
前回も述べたがパクスアメリカーナの終わりが始まっている。インターネットほか、民生化された高度のコミュニケーション手段、商売、取引の手段が一段と拡大すれば個人個人のネットワークがますます重みを増す。国家や企業の存在や役割は、もちろんなくならないが、役割は相対的には小さくなる。いま一度、18世紀以来の国民国家を基軸とした世界秩序を考え直す時ではないか。一国家ではなくて、国家同士の取り決めや国際機関、それによって立つ国際世論が世界秩序を作る重要な源泉になる時代が来ている。その時、世論はマスコミのみによって形成されるのではなく、自分の頭で考えた個人とそのネットワークにより形成されねばならない。100年単位の話ではあるが、これができなければ、ホッブスのいう「万人の万人に対する競争状態」が生じてしまい、それは国家の名の下の全体主義の再現につながりかねない。
そう考えると、米国が、英国が、中国が、という議論が生産的でなくなることも増えてこよう。そういうときに英国人の歴史、国際感覚、常識のセンスには学ぶべきものが多い。英国は、米国やフランスが批判するようにテロリストやイスラム過激派の言説に甘い国だと思う。しかし、自由な言説こそ世論形成の肝であり、そうした世論が一国の民主主義的な過程を通じて(世界政府がない以上、ここに国家の役割が残る)、国家の役割を限定する一方、世界世論を形成してゆく。その意味で、ロンドンテロ後のブッシュ氏とブレア氏の演説は好対照をなす。ブッシュ氏は、民主主義は日独ファシズムと共産主義を破り、秩序を乱すテロも必ず息の根を止めるとする。一方ブレア氏は、テロは認めないが、人種の坩堝ロンドンを例に民主主義においてイスラムも含む多様性とその力を強調している。米国流の星条旗と大統領に象徴される民主主義「国家」に忠誠を誓う民主主義にしっくり来ないものを感じ始めているのは僕だけであろうか。
中東、イラク、アフガニスタン全部もともと英国帝国主義のまいた種であり、ちょっとずるいと思うのだが、英国人における民主主義の歴史的深さ、法の支配などの定着やイスラム社会自身にも解決を求める実務的な巧さは、ますます今後世界で光を増すと思う。もちろん、平均的な資質の高さ、勤勉さは日本人が世界に誇れる資質であるが、英国の国家やマスコミ、そして何より英国人に学ぶべき点は、まだまだ多い。
(2007年7月18日脱稿)



在留届は提出しましたか?

米国の民主主義は、そこまでひどくはないと信じる。大統領選挙での支持率は、ブッシュ51%、ケリー48%と政権に対する批判票が相当出た。現時点で、米国に全体主義のリスクがある、政権の批判ができない状態にあるというのは言い過ぎである。過去米国が似たような状況に陥ったのは、1950年代のマッカーシズムの時代のみである。米国に対する信頼は、その民主主義の健全性に依拠している面が大きい。
ブッシュ政権は、9/11を奇貨として、米国を攻撃する可能性がある国や組織に対する予防戦争を、国連や国際世論と関係なく、自ら正当化している点で、これまでの政権と性格を大いに異にしている。イラクでは、フセインは大量破壊兵器の存在を否定していたし、また実際事後にもそうした兵器が発見されなかったにもかかわらず、米国は先制攻撃を行なった。そうであれば、大量破壊兵器である核兵器を持っている、または平和利用にせよ核を開発していると公言してはばからない北朝鮮に対する先制攻撃は、予防戦争の論理的帰結である。これに対する反論は2つある。ひとつは、たとえ米国でも、本当に核兵器を持っている国は危なくて攻撃できないというもの。しかし、そうだとすると、開発前の段階での粉砕が逆に重要になる。その意味で北朝鮮の核実験間近という報道が本当なら現状には危機感を持たざるを得ない。今ひとつの反論は、中国の政治経済力が、米国の北朝鮮への介入を抑止する力になるのではないかという意見(米国も中国とことを構えたくはない)。しかし将来はともかく現段階では、中国はまだ国力で米国にかなわないし、民族が異なることから、最後は北朝鮮を捨石にするのではないか。
ユーロ紙幣の裏側にはヨーロッパの地図が印刷されている。国境はもちろん、EUの境界も画されていない自然の地形図だ(ロシアの西端とトルコ、北アフリカが含まれているのは意味深だが)。今回は、人間が作った国境や国というものを、戦争でなく話合いで取払おうとしているEUの試みの難しさと将来について考えてみたい。
第二は、経済政策について、アングロサクソン流の市場主義と大陸の社会民主主義の対立軸がある中で、ブリュッセルの政策はいずれの立場からも満足されていない。大農業国フランスでは、ミッテランの例をあげるまでもなく社会主義的な政策への支持が根強くある。これにアンチアメリカのセンチメントが重なって、自由主義的な政策への反発がある。しかし、前回述べたように社会民主主義の側も国家がどこまで関与すべきなのか、どこまでが民間の自主性に任せるべきかについて明確な議論がなされているとは言いがたい。NOというだけなら簡単だが、どうするのかについて議論が深まる必要がある。この点、5月26日に行われたブレア首相による「リスクと国家」と題する過剰な公的規制撲滅への訴えには凄みがあったが、議論はこれからである。
長期をみると、ジグサグする過程は当然予想されるが、僕は、時計が後戻りしてユーロがなくなり、EUが解体することは決してないと思う。EUの原点は、2度と欧州内で大戦を起こさないことにあった。戦後60年間この点は達成されている。また共通通貨ユーロは便利で、金融市場でも取引量が大きく拡大、基軸通貨ドルをいずれ脅かすであろう。また、何よりも、ヨーロッパの人々はEU加盟国間を頻繁に行き来し、自らの制度の差を論じ、学び、調整を重ねている。このプロセスこそ、EUの本質である。そこで得られる信頼感と一体感は、決して後戻りしない。時間(300年単位ではないか)の中で国の垣根は取り払われていくであろう。先月英国政府は50年国債を発行した。ロンドンの金融マーケットは世の中の先を見通す目利きの世界一の賭場だが、せいぜい50年までで、300年先の議論はいまだ聞いたことがない。長い投資家は直近のユーロ安に慌てる必要はない。EUの母体となったEC(ヨーロッパ共同体)発足以来たった40年弱、今回は「stop
to think」しただけではないか。






