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Wed, 10 December 2025

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第36回 アテンション・エコノミーとフリーペーパー

アテンション・エコノミー

アテンション・エコノミー(プリーズではない)という言葉がよくマスコミに出るようになった。8年前にUCLAバークレー校のゴールドハーバー氏の論文が最初である。 インターネット上では、アテンション(関心)をいかに引くかが商売の決め手になり、そうした関心を引くことがビジネスで重要になってきているということである。

インターネット上では情報は限りなく「無料」なので、著作権によってお金を稼ぐビジネス・モデルは立てにくいことになる。要するに、本や新聞など紙に記録された情報は運送コストがかかるほか、そうした媒体に記録させることにもコストがかかるため、これを著作権で保護しやすかったというわけである。これに対して、インターネットの世界では情報のコピーや転送のコストはほとんど無料になり、人間が持つ有限な時間の中で、どれくらい関心を集めるかがビジネスになるようになった。

具体的には、ウェブサイトやブログにどれだけアクセスがあるかが広告宣伝に重要な要素となり、一旦アクセスが定着するとそこでの広告収入で十分食べていける。ヤフーやグーグルのサービスは無料だが、広告料は高いというわけである(もちろん、その広告料は商品の値段に加算され、消費者が払っているのではあるが)。既存の新聞やテレビがなくなるわけではなくその重要性も低下はしていないが、利用者に選択肢が増え、その分経済的な意義は小さくなったと言える。

フリーペーパーへの影響

こうした影響は、紙の世界にもフィードバックする。最近ロンドンでは、マードック氏が無料の夕刊紙を発刊した。朝刊の「メトロ」や「シティAM」は、既刊誌の領域を取っている。マドリッドにはフリーペーパーが5誌、ニューヨークにも2誌あるそうだ。従来はローカル・コミュニテイを対象としていたものが、より広域で発刊されるようになった。(もちろんロンドン日本人社会のフリーペーパーも例外ではない)。既存の有料新聞は、どこで付加価値をつけるか。高度な評論、情報量の多さなどで売るほかないが、そうした内容では部数は限定されたものになる。

これらの事象は、個人の情報伝達の場が増えた、コミュニケーションが広がった、読者も選択の幅が増えたことを意味するが、同時に負の側面も持つ。

時間の有限性における個人と企業

問題の鍵は、個人にとっての時間の有限性にある。人間は寝なければいけないため、活動時間は毎日16時間しかない。しかし流れ続ける情報を16時間で消化し、さらに考えることはまず無理である。安いチケットを検索することはできてもすべて検索はできないし、当然航空会社のほうも刻一刻と価格を変えている。個人で十分な調査や情報消化を行うことは、かなり困難な状態となっている。

このため、各時点で最適な選択に基づく買い物ができているとは限らない。この結果、個人は1つのウェブサイトやブログに行きつけると(飲み屋でもそうだが)、容易に他のウェブサイトに行くことは少ない。これをウェブサイトやフリーペーパーからみると一端、個人の関心を引けば以後その独占が可能になるということである。だからこそ、フリーペーパーは無料だし、ブログもビジネスになる。

一方で、企業は資本にものをいわせて時間を買うことができる。企業は、個人ならばあきらめざるを得なかった調査を徹底的に行うことでコスト節約やビジネス展開が可能となった。消費者相手の企業の独占、寡占化、世界的な合併(金融機関の合併が好例ではないか)で関心の独占化を狙っている。一方、法人を主な客とする企業の間では、大きいことは良いことだとは限らず、中規模以下での競争激化がその帰結となる。前々回のこの欄に、製品サイクルが2年から半年に短縮したという在英日本企業の幹部が述べた実感を紹介した。大企業では管理コストが大きくなり過ぎ、そうした世の変化の早さについていくことが難しくなってきている。ここ3年ほどのロンドン市場におけるM&Aの殷賑(いんしん) もこうしたことの影響がある。

こうした個人と企業とのデジタル・デバイドは一段と拡大しつつある。もちろん個人のPC環境は技術進歩が著しいが、企業の大規模投資には及ぶべくもない。ただ、ITの世界はおもしろい。インターネットには個人が反撃する可能性も大いに残っている。それはネット社会におけるボランティアやNPOの役割の大きさである。ITが好きな人々(言い換えれば、おたく的な人々)の運営でインターネットなどのルールは決められている。こうした結びつきを支えているのがウェブサイトの技術そのものである。地理的障壁を越えて友人ができる、世論が形成される、こういう信頼関係の網の目は、価格を指標になされるモノやサービスの売買とは異なる原理で構築され、物事を動かしていく。法人間の信頼関係というのは、実は法人に勤める人同士の関係である。ボランティアなど、それが好きな人々の自発的行動の意義は、極めて深い。

(2006年9月13日脱稿)

 

第35回 テロ対策と民営空港

ヒースロー空港の混乱

8月10日のテロ未遂事件以来、ヒースロー空港もようやく落ち着きを見せてきたようにうかがえる。この間、空港を運営する民間会社BAA(86年にサッチャー政権の下で従来の公団を民営化したもの)は、オペレーションを担当しない職員まで協力して手荷物の厳格な検査などを行ったが、利用者は非常に長い待ち時間と出発遅延、航空会社は出発便のキャンセルや遅延により年間7億ポンド(約1400億円)とも言われる大きな損害を被った。経済的にみれば、テロ未遂犯により引き起こされた社会的損失を利用者と航空会社がかぶった形である。

しかし、違った形での損失分担がありえたのではないかということが新聞で問題になっている。2001年9月11日のニューヨークや2005年7月7日ロンドンで起きた同時爆破テロ以来、BAがスタッフをもっと増強していれば検査は短時間で終了できたのではないか。そうした増強コストをBAAが被らなかった分が利用者と航空会社に押し付けられているのではないかというのが、BA(英国航空)などの意見である。その先には、BAAが独占企業だからこうしたことが可能なのであって、空港運営会社は複数で競争させるべき、免許の期限を設けるべきとの考え方がある。こうした意見に対しては、そもそもテロ未遂のような事件は予測不可能であり、そうした事態に備えて普段は不必要な人員を雇うことは民間会社には不可能だという反論がなされている。

論点は1)BAAの職員増強は不十分だったのか2)テロ未遂の再発は予測できなかったのか3)職員増強のコストを民間会社BAAが負うべきものか、である。

BAAのスタッフ増強

BAAは昨年収益を減らした。利用者数はテロもあってあまり伸びなかった一方で、免税店職員などの増加により人件費が拡大したことが響いている。BAAはウェブサイトで9月11日のテロ発生以来職員を1500人増加して警備体制を強化したと述べているが、職員の増加は警備要員ばかりではないし、また昨年のテロを受けて職員を急増させたようにも見えない。

BAAでは、そもそもヒースロー空港が利用者の急増に比べ手狭であることを認めている。「第5ターミナルが完成するまでは不自由をおかけする」としているが、手荷物検査ブースの増強や臨時職員増員の工夫の余地がないとは思えない。

テロ未遂の再発予測

いうまでもないが、今回の事件は昨年の7月7日のロンドン同時爆破テロ同様に英国生まれの英国人による事件であり、問題の根っこは英国社会そのものにある。このため、もう一度起こる可能性も十分ある。警戒を怠れないため、厳重な検査をやめるわけにはいくまい。にもかかわらずBAAは増員を打ち出してはいない。そうであれば混雑は続く。負担は航空会社と利用者に転嫁させられる。

スタッフ増強コストの負担者

民間会社BAAに、警備増強負担をそもそも求めることができるのか。すなわち、予想外の事態や災害に備えるのは政府の責任、税金で支出すべき事項ではないかという原点に立ち返ることになる。これはサッチャー政権やそれを継承したブレア路線の是非を問うことにもなる。鉄道会社の民営化は、鉄道運行とレール保有、メンテナンス会社を分離したことで大きな事故が起こり、失敗したと言われている。レール会社は、運行安全よりも費用節減で収益を上げようとしたため保守点検がおろそかになり、脱線事故が起こったとされている。

空港運用のような自然に独占にならざるを得ない業種を民間企業に任せると、滅多に起こらないような事態への対処は十分に行われないリスクがある。ではどうすればよいか。政府および民間の共同経営という案が出されている。英国得意のPPP*も一案だ。要は、政府の役割を民のすべての試みが失敗したときに限定し、そうした事態を先を読んで予測して備えることが求められている。ブレア政権の問題は、こうした先読みの不十分性と、テロの根っこにある社会格差に求められるのではないか。サッチャー・ブレア路線により、結局トータルで社会コストが節減できたのかどうか。市場原理導入先進国英国でも、その検証はまだ十分でない。

PPP*・・・・・・Public and Private Partnershipの略で、半官半民(官が出資し、民が運営するなど)でプロジェクトを遂行する経営形態のこと

(2006年8月31日脱稿)

 

第34回 長持ちするということ(Build to last)

長持ちする理由

金融市場では、極めて短期でしかものを見ない、または長期で見ているつもりでも数秒で決断を迫られることが多い。20代の若手を見ていても、ブログ、テレビのほか、コンピューター、情報ベンダーの影響からか、極めて少ない情報の中で、手取り早い判断をしがちである。FTによればトムソンという米国の情報提供会社は、米国の経済指標発表後、予想比どうであったか、どう評価すべきかなどのコメントをコンピューターが数秒で書いて提供するそうである。そのうち相当数のディーラーもコンピューターに置き換えられてしまうのではないか。

金融業のみならず、サービス業や製造業の人と話していると、新製品や新サービスの賞味期間が従来の2~3年から1年未満へ、どんどんサイクルが短くなっていると言う人が多い。インターネットなどを通じてアットいう間に広がり、ブームが来てすぐに飽きられてしまうのだそうだ。次々に新製品やサービスを考えないと世の中の変化についていけない。

最近、この「世の中の短期化」が非常に気になる。経済学では、長期、中期、短期を分類して学問体系を立てているが、それでも長期の判断は難しいとされ、現実の市場や政策の世界では長期的な判断をしにくくなっている。物事を考えるのには時間軸が重要である。1つのことを短期的に行えば、それに資源を割り当てるわけだから、長期で見ると他のことができなくなる恐れがある。すなわち何でも上手くいくという方策はなく、時間軸上のトレードオフがあるということに改めて思いをいたす必要がある。

どんなモノでも長持ちするものには、それなりの理由がある。長い間、人々の支持を受け、その需要を満たすには、事前の十分な調査と需要に見合う技術的な裏付けが必要になる。例えば、営業中の人身事故が開業以来なく、1964年以来、40年以上安全運転を続ける日本の新幹線。「プロジェクトX」を見るまでもなく、戦前の弾丸列車計画から始まる周到な調査と技術の賜物とされる。昨年6月には、英国戦略鉄道庁とHSBC Rail UKがロンドン~ケント間におけるCTRL(Channel Tunnel Rail Link)の国内専用車両に関して新幹線技術の導入を発表したほか、台湾、中国への技術輸出も決まっている。

制度、政治での「長持ち」

このことは、モノのみならず、制度や政治でも同じである。英国のインド統治は「東インド会社」が設立された1600年から1947年8月の独立に至るまで3世紀半にわたった。この間英国は、常に専門の高等教育を受けた優秀な人材を現地に派遣し続けた。このことが、仏独蘭といった国々に比べて高水準な安定統治を可能にした最大の理由となり、植民地から撤退後の英印関係にも深く影響している。イスラム原理主義者との関係を考えるうえでの英パキスタン関係、インド経済の台頭後の英印関係、いずれにも3世紀半の歴史が効いており、米国には真似のできない独自性を英国は持っている。日本もそのこと自体の当否は問題としても、明治30年代からの台湾統治においては、英国の例に倣い日本の習俗を台湾の人々に強制することは好ましくないとした。台湾総督府の文民統治官・後藤新平は、台湾の習俗のみならず、中国古典の「周礼」まで遡り、中国行政法を徹底的に調査研究し、実際の統治に利用したのだ。

日本の植民活動と敗戦による植民地開放が台湾同様に行われた朝鮮、中国本土とを比べると、明らかに地域毎に日本や日本人への感情的なしこりが全く異なっている。これは思うに、統治のあり方とその前提となる調査活動の差も何がしかの影響があるのではないか。

靖国問題についての疑問

日本の新聞やテレビで取り上げる靖国問題、小泉総理の非常に短いコメント、いずれも太平洋戦争の前後のことしか取り上げていない。ましてインターネットやブログでは感情論がそのまま出ているだけである。この問題で問われているのは、短い視点で見ても先の大戦の終結。中期的にみれば、日中、日米の国家関係、長い目で見れば、近代国家そのものの意義なのである。

一方、英国の保守党のマニフェスト叩き台の名を「Build to last」という。具体案がないとマスコミからは批判されているが、ブレア政権の中期的な戦略のひずみが、外交、内政で噴出している今、持続性を問題にする着眼点は鋭いと思うがどうか。

(2006年8月21日脱稿)

 

第33回 安倍氏の下で戦えるか

安倍氏の課題

日本の小泉首相の後を継ぐ総理として、安倍氏が有力である。4月に靖国神社に参拝したことが報道されるなど、彼の動静に注目が集まっている。彼が掲げる政策では、構造改革における敗者復活、教育改革が中核になると言われている。それらの重要性は言うまでもないが、足許に火がついている問題への具体的な解決も求められるであろう。具体的には、外交では中韓との外交関係の建て直し、経済では構造改革と消費税、財政再建問題である。

安全保障問題では

こうした問題に対し、日本人の民意はどうなのか。下表をご覧いただきたい。

表

「戦争が起きたら国のために戦うか」との質問に対して、北朝鮮では「戦わない」との回答は許されないから、「戦う」と答える率は100%であろう。注目すべきは、日本の「わからない」「無回答」の多さである。憲法9条が戦争を放棄し、軍隊を持たないということを決めている以上、戦争が起きるという事態を想定できないということなのであろうか。日本はこのレベルの議論をこれから行う国であるということを認識する必要があるし、それはそれで世界に例を見ないユニークさがある。どう戦うかではなく、そもそも国を守るために戦う必要があるのか、という問題である。自衛隊への信頼度も、他国の軍隊への信頼度に比べ極めて低い。なじみがないということである。

日本史を見ると、平和が長く続いた後または国内に問題がない状況で外国からの攻撃など負の接触があると、日本人は集団的にゼノポビック(外人嫌い)な対応を狂信的に取ることがある。天下統一後の秀吉の朝鮮出兵、ペリー来航後の攘夷論、満州事変後の国際連盟脱退から太平洋戦争にかけて、などが例として挙げられる。そうした時に現実的な対応が取れる指導者がいないと、大きな痛手を被ることになる、というのが歴史の教訓である。

北朝鮮からのミサイル発射が日本を揺さぶることを意図してか、そうでないかは分からぬが、こういった動きは今後も続くであろう。そうした時に「わからない」と回答した層は大きくスイングして、対外強硬論にすぐに結びつきうる。安倍さんは、現実的な対応を国民にオプション提示できるのか。短期、中期、長期に分けた説明はこれまで聞かれていないし、本人に明確なビジョンがあるのかどうか。それなくして国民意識が変わるはずもなく、憲法改正などナンセンスである。最近色あせてきたが、ブレア首相の登場時のような花がないのではないか。安倍チルドレンが年初来ブレア首相の側近を使った大統領的な政権運営手法を学びにロンドン入りしたという。果たして中身あっての手法ということを学んだであろうか。

経済問題では

一方、経済面はどうか。下表を見ると、国民は競争社会 を望みつつも、福祉の維持については、賛成か反対かではなく、もうやむを得ないと考えているようである。この点、安部さんは消費税増税については、選挙前のせいなのだろうが慎重である。名目成長率が伸びれば、増税幅を圧縮できるとしている。

表

名目成長率は、インフレ率と実質的な成長率、すなわち国民が産む付加価値の真の伸び(価格ではなく、生産量の伸び)の合計である。名目成長率を伸ばすためにインフレを起こすというのでは、単なる政府による借金の踏み倒しである。そこで実質成長率の伸ばし方が問題になるが、教育改革で育った人材が国の成長に貢献するのは30年後でしかない。短期的に規制緩和や税制の政策的活用などで、消費をどう伸ばすか、高齢化社会の中での労働力不足に対し、どのように労働力を増やすのか、労働を多く使う財の輸入拡大が大きな課題となるはずだが、ここについてほとんど言及がない。竹中氏を使わないとして、誰が経済ブレインになるのであろうか。市場での注目点はそこにある。

(2006年8月9日脱稿)

 

第32回 北朝鮮経済の復興如何

>東西ドイツと南北朝鮮

前回、北朝鮮問題について、目先重要なことは、A.ミサイル迎撃体制の即時整備、B.北朝鮮解放(崩壊)時における難民への対応およびその後の統一朝鮮国家への経済支援プラン立案、であると書いた。Aは、歴史がハプニングから展開するという教訓への対応であり、Bは、歴史的な必然への対応である。今回はBの前提としての、統一朝鮮国家の経 済状態を予想してみたい。

よく比較されるのが、東西ドイツと南北朝鮮の経済状態 である。一部1990年頃の古いデータしかないが、下の表を見ていただきたい。

表

この表が示す数字データと、さらに昨今各メディアで報じられている東西ドイツと南北朝鮮の比較論をまとめると、次のようなことが言える。

① 北朝鮮の人口は、東ドイツに比べて相対的に多いが、人的資源として十分ではなく追加教育が必要。
② 朝鮮の1人あたりの所得格差は、ドイツよりも大きく、さらに広がる傾向にある。
③ 1人あたりの収入格差はさらに大きく、朝鮮では、国家や企業の吸い上げが相対的に多い(税金が高いか、労働分 配率が低いか)。
④ 北朝鮮では、吸い上げられた税は多く軍事力に使われている。
⑤ 北朝鮮では、農業人口が相対的に多く、東西ドイツがいずれも工業国であったことと異なる。

要するに北朝鮮は大きな農業国で、その上生産性が低く、皆貧しく、軍事力だけ大きいということである。これは東ドイツが、西ドイツ同様の工業国で人的資源のレベルがそこそこ揃っており、人口がさほど多くなかった状況とは大いに異なっている。

南北朝鮮の統一後の経済問題――失業と難民

そのドイツですら、統一後15年経っても未だに東ドイツ地域の経済復興は十分とはいえない。この間、ドイツ政府は古い東側の住宅、道路、通信、環境などのインフラ整備 (全体費用の約3分の2)、失業保険など社会福祉の引き上げ (全体費用の約3分の1)で、130兆円近い所得移転を東ドイツ地域に行った。しかし、ドイツ企業はベルリンの壁崩壊後、東ドイツよりもより賃金の安い東欧諸国やロシアへ進出した。また厚い社会保障、失業保険はモラル・ハザー ドを起こし、東ドイツ地域の失業率は依然高く、西側の2倍とも言われている。まして北朝鮮のインフラの古さ、不十分さ、人的資源の教育水準の低さは、東ドイツへの投資よ りも、はるかに大きい負担を韓国に負わせることになろう。 ドイツ復興が15年で不十分とすれば、朝鮮復興はより長い時間がかかることは必定である。南北併せて170万人もの規模を持つ軍隊は不要であろう。これをやめるだけで100 万人単位の失業者が出る。急速に仕事がなくなると彼ら失業者たちはやがて難民になる。韓国による北朝鮮への企業進出が必要となる所以である。

北朝鮮にある資源

昨今の企業は、安い賃金労働者を求めて中国、東欧、インドへと進出することが多くなっている。しかし、北朝鮮の労働力に期待するのは時間がかかる。

左) 韓国の盧武鉉大統領
右)北朝鮮の金正日総書記

もっとも幸い北朝鮮には鉄鉱、石炭が豊富である。主な産業は、農業と重工業、手付かずの自然を利用した観光ということになるであろう。これらの資源を利用した経済政 策は既に金正日が取り組んでいる改革でもある。性急な北朝鮮の解放は、38度線を越える大量難民など混乱を招くだけで得策ではない。徐々に投資を行うことが妙策ではないか。当然、南北問題を生んだ原因を作った日本への期待 は大きいし、日本にとってもチャンスと前回述べたが、ここ数年で日本の対北朝鮮貿易量は大きく減少し、中国、韓国に大きく水を開けられている。拉致問題に早く決着をつけ、経済交流の下地ができないと、日本は解放後、援助を求められるだけで、それを受け取るのは中韓の企業のみになりかねない。

(2006年7月26日脱稿)

 

第31回 北朝鮮ミサイル発射

ミサイルで考えておくべきこと

ミサイルで考えておくべきこと北朝鮮が7発のミサイルを発射した。その事自体が今後さまざまな余波を引き起こすであろうが、目先の国連決議とか拉致問題とかいった様々な出来事を越えて、一市民がどのように考えておくべきであろうか。一つは戦争など社会的な混乱はあっという間にやってくるということである。今一つは、アジアの安全保障問題の根っこは大東亜戦争、先の大戦にあり、経済専一、防衛や国際政治は米国頼みとしてきた戦後日本、日本人はこの問題に正面から取り組み、自らの構想で解決を図らなければ真の安全保障は手に入らないということである。すなわち、混乱抑止のための準備を早急に行なうこと、同時に中米、朝鮮半島との関係の理想型についてイメージを持つことが重要ではないか。

混乱抑止の準備

英国の新聞は、金正日を戯画化して扱うものや国連決議の行方などを追う記事が多いが、扱いもさほど大きくないし、また戦争の危険にも言及するものは少ない。「アジアの最大の危険国は北朝鮮ではなくパキスタン」との調子である。また米国にとっての脅威は、米国領土に到達するテポドン2のなど核弾頭搭載可能な大陸間弾道ミサイルで、今回のミサイルは実験失敗と目される。しかし、日本は既に150基ほど配備されているといわれるノドンなどのミサイルの射程範囲で、しかも通常兵器のみが使用されたとしても相当な被害が想定される。

北朝鮮のミサイル発射に対し声明を読み上げる安倍官房長官[共同]一方で日本自身のミサイル迎撃体制は、2011年度末までに整備が完了する計画である。防衛庁は7月6日、「米国と協力してミサイル防衛(MD)システムの配備計画を前倒しする方針を固め、レーダーなど弾道ミサイルを探知・追尾する監視態勢に比べて手薄な迎撃ミサイルに重点を置いて導入を急ぐ」と述べた。読者は、何と悠長な、と思われないだろうか。泥縄とも言える。北朝鮮の仮想敵は第一には日本で、その日本は実験を目の当たりにしながら迎撃を自分ではできないのである。自国防衛を米国頼みとしてきた結果がこれである。言うまでもないが、米国は自分の安全保障が第一で日本はその次である。日本は、国連や6か国協議など国際的な枠組みを利用しつつも、自力防衛、北朝鮮から自国民を守る体制作りを急ぐ必要がある。現在の事態は、金正日の一存で日本人の命が左右される状態と認識すべきであるが、誰も金氏の心の内を知ることはできない。確かでないことはリスクである。こうした切迫感が英米マスコミにないのは当然だが、日本政府や日本のマスコミにないのは不思議だ。最悪の事態に備えるのがリスク管理である。日本人は、戦争、徴兵という事態に現在では対応できないと思う。そういう視点で補正予算や来年度予算が組まれるのかどうか。今そこにある危機に対してもっと集中的に資源投下して対応すべきだ。

また個人はどうするか。ロンドン居住者も日本からの送金が来ないケースを想定しておくべきではないか。なお、このことは、日本経済の他の最大のリスクである地震対策にも言えるのだが。

アジアの安全保障のイメージ

アジアの安全保障には多くの不安要素が存在する。まずは中国との関係である。中国は政治大国、経済大国でありながら、世界をリードするという成熟した自覚が十分でない。経済面では少子化による経済成長鈍化と腐敗による信頼の欠如が課題だ。大国の自覚が生まれるまでに、まだまだ時間がかかるであろう。そして北朝鮮の次に来る問題は台湾である。ここが米中対決の本丸で、北朝鮮は前哨戦に過ぎない。

台湾問題で米中が対決する前に、戦争をしないという点を軸にすればEU(EC)のような枠組みができるであろうか。アジア共同体構想の研究や、ASEAN+3(日中韓)の枠組みを超えた東アジア共同体の会議などいろいろな動きがある。EUの出発点は、経済、鉄鋼石炭、原子力共同体であった。今のアジアなら通貨、関税、知的財産権、エネルギーではないか。日本はいずれの面でもイニシアチブを取れるのであろう。ただ、それを担う人材の確保が問題である。遠回りのようだが、共同体の根っこは、ヒト、モノ、サービス、カネの相互交流である。ちょっと突飛かもしれないが、対馬海底トンネルによる東京発ソウル、平壌経由北京行きリニア・モーターカー、4都市を回るeasyjetのようなエアバスの開設、みたいな夢を持つことこそ大事かもしれない。その上で米国との関係を民主主義と平和という価値観を軸に対等なものへと移行してはどうか。

こうしたゴール以前に考えておくべき現実的な問題は、北朝鮮解放(崩壊)時における難民への対応とその後の統一朝鮮国家への経済支援である。日本はできるだけ具体的な援助を惜しむべきでない。それこそ、アジアで先の大戦を終わらせ、日本の戦後の対中、対朝鮮半島に対する心理的な負い目を一掃するチャンスと考えるべきである。その援助額は、こうした戦後問題を解決するには安いものではないか。これを乗り越えてこそ、アジア共同体への道が開けるし、逆にそれなくしては難しい。日本政府は、難民と統一国家への対応策について既にプランを持っていると予想するが、それをさらに具体的に詰めるべき時であろう。いずれにせよ、日本は国家として、戦後最大の試練を迎えていると認識すべきだ。ピンチこそ最大のチャンスである。

(2006年7月8日脱稿)

 

第30回 ヘゲモニーを握るのは誰か

これからの国家観

■2週間ほど前の「NYタイムズ」紙に、注目すべき記事が掲載された。米国政府がアルカイダなどによるテロ抑止を図る目的で、主要な銀行の取引記録の提出を求め、これをチェックしていると報じたのだ。米国政府はこれを認めるどころか居直って、テロと戦いをしている最中、これをすっぱ抜くとは何事かと逆に「NYタイムズ」を非難している。
昨年はイラク戦争を前にして、アルカイダ関係容疑者の電話の盗聴を行なっていたことも明らかになった。そして容疑者は、裁判なく刑事手続きを経ずにグアンタナモ・ベイ刑務所に長期間拘留されている。個人情報保護で汲々としている一方、国家のためであれば大企業は簡単に情報を政府に漏らすということである。

似たようなことはフランスでも起こっている。シラク大統領とドピルパン首相が、次期大統領の有力候補でライバルのサルコジ内務相を追い落とすため、クリアストリームという銀行間の資金決済を担う会社のデータにアクセスしたとの報道がある。クリアストリームは、先般NY証券取引所と提携したユーロネクストの子会社である。そして昨年ロンドン証券取引所を買収しようとした会社でもある。

金融、決済を握るもの

ポイントは、これら機密情報を、資金の決済などを行なう銀行やその銀行間決済を担う決済専門会社が持つことにある。インターネット時代、取引やメールのやり取りを行えば証跡(ログ)が残る。それにアクセスできる者は他人の秘密を握ることになる。こうした社会のインフラを握ることこそヘゲモニーの源泉である。国際銀行間の資金決済は、もともと欧州の銀行が中心となって作ったSWIFT(Society for Worldwide Interbank Financial Telecommunication)というメッセージ交換を行なう通信会社がほぼ全部を担っている。そして欧州域内では、国内、域内のほぼすべての資金決済、特にユーロを使った取引はSWIFTにより行なわれている。米国内は独自仕様を持っているので、決済インフラのヘゲモニーを誰が握るかについて、勝負が決していないのはアジアである。さらにSWIFTは、銀行間のみならず、銀行間取引に付随する情報となる個人や団体企業の情報まで自らのネットワークに乗せようとしている。米国は、SWIFT情報がのどから手が出るほど欲しいが、直接アクセスできないので米国の銀行にアクセスしたというわけである。フランスなど大陸諸国であれば、直接調査ができたということではないか。

NY証券取引所が、欧州でロンドン証券取引所の株式決済を除く証券決済を握るユーロネクストと提携すると、米国当局はNY証券取引所への監督権限を通じて、ユーロネクストの証券決済情報や、ひいてはその裏側にあるSWIFT情報へも触手を伸ばしかねない。欧州の銀行が米国当局の手が及ばないようにロビー活動を行なっているのも、うべなるかなである。

個人の対抗手段

国家のこうしたむき出しのヘゲモニー争いをどう見るべきか。一つは欧州と米国の争いが激しさを増す中で、双方アジアへのアプローチ、進出が今後焦点になるということである。中国政府が、同国に進出するGoogleにも検閲を認めさせた一件は評判が極めて悪い。それ自体は、確かに人権問題だと思う。しかし中国政府は、さらにBaiduという会社にGoogleに対抗するため中国語での独自検索システムをサポートするようてこ入れするほか、ドメイン名も漢字仕様を試みると報道されている。翻って日本はどうか。必ずしもよく存じ上げないが、日本政府は、そういう問題意識すら希薄ではないか。

第二には、そうした国家のなりふりかまわぬ生存競争が持つ危険性(まかり間違えば、権力者による検閲の復活)に対してあまりにも弱い企業に比べて、個人はどう対応すべきなのか。これが、ネット世代の課題である。インターネットというボランテイアでできた緩やかな結合、前回述べた小組織、これらは国境に左右されない。いざという時には人権侵害の国家に協力する企業に対しては、不買という武器がある。国家に対しては、投票によるNOか、当該国の国債売却、通貨売却が有力な手段である。金融取引は、信用の取引である。それを悪用するものは、結局は信頼を失い、長期的には得にならないと知ることは重要である。

(2006年7月1日脱稿)

 

第29回 グローバライゼーション、小組織、国家

今回は、グローバライゼーション(無国籍化)と身軽な小組織がトレンドにあるという話をしたい。

これからの国家観

■ 90年代はサッチャー、レーガン政権の自由化政策の下で、企業の寡占化が進んだ。デ・ファクト・スタンダード*1が取れる上位1、2社が独占、寡占利潤を取って、3位以下は生き残れないと言われてきた。金融で言えば、インベストメント・バンク(投資銀行)のゴールドマンサックス、JPモルガン、UBS、ドイツ銀行などへの取引量の集中、英国でも4大銀行への地方銀行の収斂、薬品業界ではGSK、グラクソ始め世界的な大企業への合併、集中などが続いた。他の産業でも同様の事象が見られる。その結果、これらの大企業は多国籍企業となり、言い換えれば国家との関係を薄め無国籍化している。

こうした動きに対して、国家の中で最も敏感に反応したのは税務と独占禁止当局である。どの国で税金を払うのかは、どの国で所得や収益を立てるかに密接に関係する。それを恣意的に行われたのでは、国家は税を取りはぐれるというわけである。この欄で繰り返し述べているように、こうしたグローバライゼーションは世界の消費者のより良く、安いものをという選好の結果であるとすれば、消費税という形以外では資源配分にゆがみのない適切な国家間の税配分は難しい。生産場所を基準とする課税では、工場のない国での販売拡大に対して課税出来なくなり、企業活動の実態に合った課税とは言えない。一方、マイクロソフトに対する司法当局の訴訟は米欧で未決着である。金融当局の国際協力は情報交換までで、実質的な監督体制構築には程遠い。国家のグローバリゼーションへの対応はこれからである。

小組織の活発化

多国籍企業化、無国籍化の傾向は新世紀入り後も続いているが、一方でそうした企業から小組織の分離も進んでいる。金融で言えば、投資銀行の内部規則の多さや上司の多さに嫌気が差した2、3人が辞めてヘッジファンドやプライベート・エクイティ・ファンド(未上場中小企業へ投資または融資して、これを上場することで利益を得ようとする投資ファンド)を立ち上げる例が2000年以降増大した。

その後ヘッジファンドはどんどんつぶれる一方で同様のペースで作られており、法人格というか組織の消長は非常に軽くなった。こうしたことを可能にしたのは、IT技術の進歩である。SOHOと呼ばれる個人事業が可能になり、インターネットを使うことで必ずしも自前の店舗やオフィスを持つ必要はなくなった。広告も今やネット中心になりつつある。加えてMIXIなどに見られる利益を目的としない仲間作りもネットを通じて拡大している。昨今のNPOの活動領域拡大もIT進歩の影響が大きいのではないか。

さらに特筆すべきは、インターネットを通じての人間関係、協働関係にはボランテイアが馴染むということである。昔から存在するボランテイア組織である町内会や趣味の会が、ITの世界では地理的国境を横に超えて出来る。こうした事態は史上ないことである。そこに大きな可能性があるのではないか。

GOOGLEも大企業になる前がおもしろかった。その上で、スペインのカタルーニャ地方の自治権拡大に見られる国家のたがの緩みも、小組織化への一例と考えられないか。もともと組織には適切な管理スパンがある。あまりにも大きくなると管理コストが大きくなり過ぎ、組織体である意味が小さくなるのである。カタルーニャの歴史的な経緯はともかくも、ITなくして独立運動が広がりを見せたかどうか。

小組織と大組織の複線化

しかし物事はそう単線的でもない。技術は小集団にとって従来の大集団並みの活動を可能にする(インターネット上に仮想店舗を開く、インターネット上に広告を出す、金融市場取引や分析をパソコンで出来るようになるなど)一方で、大規模IT投資の出来る集団を装置産業*2とし寡占化を生む。金融機関のうち小さい企業は、大規模投資が出来ずデータベース・マーケティングなどは行えない。その良い例が証券取引所の決済寡占を目指した世界的な合従連衡*3である結局、ヘッジファンドもインベストメント・バンクに決済などは依存している(プライム・ブローカーという)。そうした中で、国家の悩みは深い。こうした時こそ、ホッブスやロックではないが国家とは何であったかを問い直す好機である。

インターネットを使っている人が世界に3割、多数にとってデジタル・デバイドは深刻な問題である。それでも3割は世界中と繋がっている。その数、約20億人弱。こうした事態を踏まえた国家論、近代国家を再定義する議論は英国でもまだ見当たらない。保守党キャメロン氏がブレア政権を打ち負かすためには、それくらいの気構えでなくてはなるまい。

*1・・・多くの人に認知されることによって、結果的に標準と見なされている規格のこと
*2・・・石油化学工業などに代表される、大型の設備や装置を必要とする産業
*3・・・その時々の利害に応じて、団結したり離散したりする政策。

(2006年6月25日脱稿)

 

第28回 次回W杯開催地・南アフリカからの視点

中国のプレゼンス拡大

香港発ヨハネスブルグ行きの航空機は中国人でいつも満席との報道がある。彼らは、ヨハネスブルグを基地にアフリカ各地へ出稼ぎに行くそうだ。今やボツワナのどの小さな街にも中国人衣料店があるという。それらの店の中には、中国本土の公務員による副業という形を取る者も多いと聞くから驚きである。資本主義の徹底は著しい。中華料理店はもちろん既にあり、中国電化製品店が立ち並ぶのも時間の問題であろう。人口4600万人の南アフリカに在住するアジア人は110万人。そのうち日本人は1000人ほど、中国人は30万人と言われている。残りはインド系である。

加えて、ここ3年ほどで中国はアフリカの資源、特に原油やレアメタルについての採掘権などの利権を、国際価格をはるかに上回る高価格で落札、資源囲い込み姿勢を強化している。首脳外交も積極化しており、昨年、胡錦濤主席がアフリカ各国を歴訪したことは記憶に新しい。中国は世界の工場になったと言われるが、ヒトも輸出している点が日本との大きな差である。

一方、南アフリカへの欧州諸国の対応としては、製造業の強いドイツがBMWなど自動車関係の工場を新設し生産量を増大させている。英国は金融と不動産である。バークレイズバンクが銀行を買収したほか、不動産関係の投資も飛躍的に増えている。また、インドほどではないが、英語が公用語であることから、テレフォンセンターなどのアウトソーシングも行なわれている。資源関係企業は、植民地時代からがっちり英米資本が押さえている。

南アフリカの経済

南アフリカ経済は、以上のような中国の勃興によるメタル、鉱物資源国としての恩恵や与党ANC(アフリカ国民会議)政権の10年に及ぶ政治的な安定を背景に、設備投資を中心に安定的な経済成長を続けている。設備投資が好調で、工業生産の伸びが著しく、社会のインフラ、特に電力の不足が深刻な問題になっているほどである。その結果、停電がしょっちゅう起こり、民生用のエネルギーを産業用に振り向けている。

金融市場はこの経済成長を見る前から動いており、南アフリカの通貨単位であるランドは対ドルで2004年までは一貫して上昇基調にあり、投機的な資金(特に日本の投資家による投資信託経由の資金)がかなり入った(下記グラフ参照)。


足許では、副大統領の汚職などスキャンダルによる政治的な不安定を材料に通貨が下落し、投機ブームは落ち着きつつあると評価できる。しかし、今後も一貫して下落が続くとは考えにくい。中国やインドなどの資源需要の増大はすぐには止みそうもないこと、またANC自体の安定性にも当面は疑問がないことを鑑みると、南アフリカ経済のリスクは、多少の為替の振れを伴うことはやむを得ないとしても、小さいと見ることが出来る。ただし、世界の金融市場全体、特にエマージング通貨の一服が質への逃避(金融市場の資金が安全資産に逃避すること)につながれば急落の恐れがないとは言い切れない。

黒人中流階級の勃興に課題

サッカーのW杯やオリンピックの初開催国は、その時に勃興しつつある国であることがある。東京、北京五輪。次回の南アフリカW杯のときには、サハラ砂漠以南のアフリカ経済の約4割を占める南アフリカの存在感は、一段と増していると考えられる。そうすると課題は政治的な安定である。

ヨハネスブルグは世界一治安の悪い街と聞く。犯罪を減らすためには、失業を減らすほかない。貧富の差の拡大をとどめ、富を分配する方式をANCはどう考えるのか。人口の80%を占める黒人の収入は、90年に全国の35%に過ぎなかったが足許では50%まで上昇した。まだまだ貧富の差は小さくない。勃興する黒人中流階級が経済的ヘゲモニーを握れるのか。最大のリスクは、マンデラ氏の寿命である。政界を引退しても、和解の象徴である彼が生きている限りは問題ないが、底流の白人、黒人の貧富の格差問題が解消したわけではない。押さえが外れたときに南北問題は表面に現れる。ユーゴの例を見ても明らかであろう。一国内で南北問題が存する南アフリカこそ資本主義、民主主義、民族問題の世界指標といえるのではないか。

(6月13日脱稿)

 

第27回 ラテン・アメリカの分れ道

問題の所在

今、ラテン・アメリカは、国家とグローバライゼーションの関係を考える際の好材料を提供している。ここ20年ほどの改革と中国からの需要台頭などグローバライゼーションによりもたらされた経済好調の果実を、低所得層の不満に伴う社会的、政治的不安定の解消に向けて、どのように使うのかがポイントである。

社会主義者ケン・リビングストンが先月大歓迎したベネズエラのチャベ大統領に代表されるポピュリストが無駄遣いするのか、それとも社会インフラ、教育などの整備に使って社会的な安定を回復しつつ、一段の成長を目指すのかが問題である。

ラテン・アメリカ経済

ここに至る過去20年ほどの経済史を振り返ってみる。
ラテン・アメリカでは、80年代後半に累積債務問題を主因に通貨危機が発生し、外国資本が逃げ出した。IMFが介入し、シカゴ大学始め米国で学んだ自由主義的な経済学徒が主導して、規制緩和、民営化が進められ財政支出が大幅にカットされた。その過程では、米国以上に国民のインセンテイブを活用した年金を始めとする制度改革が行なわれ、自由主義のシカゴ学派の実験場とまで言われた。いずれにせよ、その過程でインフレが抑制され、経済がゆるやかに再建された。そこへ、中国の工業国としての台頭とそれに伴う資源需要の拡大が2000年前後から始まった。

これによってメキシコの軽工業製品、ブラジルの鉄鉱石、ベネズエラやボリビアの石油、チリの銅鉱石などへの需要が急増し、一挙に経済再建し、累積債務問題はアルゼンチンを除いて解決しつつある。グラフに見えるように経済全体が底上げされ、貧富の差も拡大したとは言えない。しかしながら、大多数の国民の所得レベルは以前よりも上がったとは言え、先進国と比べて相当低く、国民の間には、成長による余得の分配について大きな不満がある。

ベネズエラのチャベ、ボリビアのモラレス大統領は、過激なポピュリストとして知られ、外国企業が持っている資源関係の利権を国有化し、その配当を福祉に使いつつも、自らの息のかかった軍隊や会社により分配をしている。最大の問題は、第三者のチェックがかからなくなったことであり、一種の独裁状態になったことである。このままでは経済に対する大きな打撃となることが予想される。一方では、ブラジル、チリ、ウルグアイなどでは、穏健な社会民主主義の立場から、社会インフラのほか、特に教育に大きな財政支援を行なっている。長い目で見て、いずれが経済成長に寄与するかは明らかだろう。

カシキスモ

ラテンアメリカには、カシケというボス(合理的なリーダーというより、地縁、血縁を基盤に私兵などを有した地方軍閥的な存在)による収奪政治体制(カシキスモという)が伝統的にある。チャベ氏などの台頭は、近代国家以前のカシキスモという民族的な通奏低音が表に出てきたものと思われる。

グローバライゼーションに洗われた国家において深化した不平等感の帰結は、社会民主主義の深化ではなく、喝采政治とカシキスモの復活による資源や富の無駄遣いとなる可能性がある。民主主義や消費者主権の未成熟を指摘できると思うが、それ以前に人間や社会がグローバライゼーションについていけていないという感じを強く持つ。

先日の「ファイナンシャル・タイムズ」紙にグローバライゼーションが雇用を脅かしていると考えるフランス国民が増加しているとの記事が見られた。まして国民一人一人の生活水準が欧米に及ばないラテン・アメリカにおいて、恵まれない層は不満のはけ口を探さざるを得ない。近代国家がグローバライゼーションと民族の古層によって解体に向かうのか。世界的に問われている国家の存在意義が、ラテン・アメリカで先鋭的に問題になっている。そうはいってもラテンの熱い血は、ランバダ、サンバ、サッカーに燃えるように思うし、そうでないとあの濃いラテン文学も生まれまい。折しもW杯が来る。ロナウジーニョにシカゴ学派は一蹴されるのかもしれない。

(5月31日脱稿)

 
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