アテンション・エコノミー
アテンション・エコノミー(プリーズではない)という言葉がよくマスコミに出るようになった。8年前にUCLAバークレー校のゴールドハーバー氏の論文が最初である。
インターネット上では、アテンション(関心)をいかに引くかが商売の決め手になり、そうした関心を引くことがビジネスで重要になってきているということである。
インターネット上では情報は限りなく「無料」なので、著作権によってお金を稼ぐビジネス・モデルは立てにくいことになる。要するに、本や新聞など紙に記録された情報は運送コストがかかるほか、そうした媒体に記録させることにもコストがかかるため、これを著作権で保護しやすかったというわけである。これに対して、インターネットの世界では情報のコピーや転送のコストはほとんど無料になり、人間が持つ有限な時間の中で、どれくらい関心を集めるかがビジネスになるようになった。
具体的には、ウェブサイトやブログにどれだけアクセスがあるかが広告宣伝に重要な要素となり、一旦アクセスが定着するとそこでの広告収入で十分食べていける。ヤフーやグーグルのサービスは無料だが、広告料は高いというわけである(もちろん、その広告料は商品の値段に加算され、消費者が払っているのではあるが)。既存の新聞やテレビがなくなるわけではなくその重要性も低下はしていないが、利用者に選択肢が増え、その分経済的な意義は小さくなったと言える。
フリーペーパーへの影響
こうした影響は、紙の世界にもフィードバックする。最近ロンドンでは、マードック氏が無料の夕刊紙を発刊した。朝刊の「メトロ」や「シティAM」は、既刊誌の領域を取っている。マドリッドにはフリーペーパーが5誌、ニューヨークにも2誌あるそうだ。従来はローカル・コミュニテイを対象としていたものが、より広域で発刊されるようになった。(もちろんロンドン日本人社会のフリーペーパーも例外ではない)。既存の有料新聞は、どこで付加価値をつけるか。高度な評論、情報量の多さなどで売るほかないが、そうした内容では部数は限定されたものになる。
これらの事象は、個人の情報伝達の場が増えた、コミュニケーションが広がった、読者も選択の幅が増えたことを意味するが、同時に負の側面も持つ。
時間の有限性における個人と企業
問題の鍵は、個人にとっての時間の有限性にある。人間は寝なければいけないため、活動時間は毎日16時間しかない。しかし流れ続ける情報を16時間で消化し、さらに考えることはまず無理である。安いチケットを検索することはできてもすべて検索はできないし、当然航空会社のほうも刻一刻と価格を変えている。個人で十分な調査や情報消化を行うことは、かなり困難な状態となっている。
このため、各時点で最適な選択に基づく買い物ができているとは限らない。この結果、個人は1つのウェブサイトやブログに行きつけると(飲み屋でもそうだが)、容易に他のウェブサイトに行くことは少ない。これをウェブサイトやフリーペーパーからみると一端、個人の関心を引けば以後その独占が可能になるということである。だからこそ、フリーペーパーは無料だし、ブログもビジネスになる。
一方で、企業は資本にものをいわせて時間を買うことができる。企業は、個人ならばあきらめざるを得なかった調査を徹底的に行うことでコスト節約やビジネス展開が可能となった。消費者相手の企業の独占、寡占化、世界的な合併(金融機関の合併が好例ではないか)で関心の独占化を狙っている。一方、法人を主な客とする企業の間では、大きいことは良いことだとは限らず、中規模以下での競争激化がその帰結となる。前々回のこの欄に、製品サイクルが2年から半年に短縮したという在英日本企業の幹部が述べた実感を紹介した。大企業では管理コストが大きくなり過ぎ、そうした世の変化の早さについていくことが難しくなってきている。ここ3年ほどのロンドン市場におけるM&Aの殷賑(いんしん) もこうしたことの影響がある。
こうした個人と企業とのデジタル・デバイドは一段と拡大しつつある。もちろん個人のPC環境は技術進歩が著しいが、企業の大規模投資には及ぶべくもない。ただ、ITの世界はおもしろい。インターネットには個人が反撃する可能性も大いに残っている。それはネット社会におけるボランティアやNPOの役割の大きさである。ITが好きな人々(言い換えれば、おたく的な人々)の運営でインターネットなどのルールは決められている。こうした結びつきを支えているのがウェブサイトの技術そのものである。地理的障壁を越えて友人ができる、世論が形成される、こういう信頼関係の網の目は、価格を指標になされるモノやサービスの売買とは異なる原理で構築され、物事を動かしていく。法人間の信頼関係というのは、実は法人に勤める人同士の関係である。ボランティアなど、それが好きな人々の自発的行動の意義は、極めて深い。
(2006年9月13日脱稿)



在留届は提出しましたか?
8月10日のテロ未遂事件以来、ヒースロー空港もようやく落ち着きを見せてきたようにうかがえる。この間、空港を運営する民間会社BAA(86年にサッチャー政権の下で従来の公団を民営化したもの)は、オペレーションを担当しない職員まで協力して手荷物の厳格な検査などを行ったが、利用者は非常に長い待ち時間と出発遅延、航空会社は出発便のキャンセルや遅延により年間7億ポンド(約1400億円)とも言われる大きな損害を被った。経済的にみれば、テロ未遂犯により引き起こされた社会的損失を利用者と航空会社がかぶった形である。
BAAは昨年収益を減らした。利用者数はテロもあってあまり伸びなかった一方で、免税店職員などの増加により人件費が拡大したことが響いている。BAAはウェブサイトで9月11日のテロ発生以来職員を1500人増加して警備体制を強化したと述べているが、職員の増加は警備要員ばかりではないし、また昨年のテロを受けて職員を急増させたようにも見えない。
金融市場では、極めて短期でしかものを見ない、または長期で見ているつもりでも数秒で決断を迫られることが多い。20代の若手を見ていても、ブログ、テレビのほか、コンピューター、情報ベンダーの影響からか、極めて少ない情報の中で、手取り早い判断をしがちである。FTによればトムソンという米国の情報提供会社は、米国の経済指標発表後、予想比どうであったか、どう評価すべきかなどのコメントをコンピューターが数秒で書いて提供するそうである。そのうち相当数のディーラーもコンピューターに置き換えられてしまうのではないか。



北朝鮮が7発のミサイルを発射した。その事自体が今後さまざまな余波を引き起こすであろうが、目先の国連決議とか拉致問題とかいった様々な出来事を越えて、一市民がどのように考えておくべきであろうか。一つは戦争など社会的な混乱はあっという間にやってくるということである。今一つは、アジアの安全保障問題の根っこは大東亜戦争、先の大戦にあり、経済専一、防衛や国際政治は米国頼みとしてきた戦後日本、日本人はこの問題に正面から取り組み、自らの構想で解決を図らなければ真の安全保障は手に入らないということである。すなわち、混乱抑止のための準備を早急に行なうこと、同時に中米、朝鮮半島との関係の理想型についてイメージを持つことが重要ではないか。
一方で日本自身のミサイル迎撃体制は、2011年度末までに整備が完了する計画である。防衛庁は7月6日、「米国と協力してミサイル防衛(MD)システムの配備計画を前倒しする方針を固め、レーダーなど弾道ミサイルを探知・追尾する監視態勢に比べて手薄な迎撃ミサイルに重点を置いて導入を急ぐ」と述べた。読者は、何と悠長な、と思われないだろうか。泥縄とも言える。北朝鮮の仮想敵は第一には日本で、その日本は実験を目の当たりにしながら迎撃を自分ではできないのである。自国防衛を米国頼みとしてきた結果がこれである。言うまでもないが、米国は自分の安全保障が第一で日本はその次である。日本は、国連や6か国協議など国際的な枠組みを利用しつつも、自力防衛、北朝鮮から自国民を守る体制作りを急ぐ必要がある。現在の事態は、金正日の一存で日本人の命が左右される状態と認識すべきであるが、誰も金氏の心の内を知ることはできない。確かでないことはリスクである。こうした切迫感が英米マスコミにないのは当然だが、日本政府や日本のマスコミにないのは不思議だ。最悪の事態に備えるのがリスク管理である。日本人は、戦争、徴兵という事態に現在では対応できないと思う。そういう視点で補正予算や来年度予算が組まれるのかどうか。今そこにある危機に対してもっと集中的に資源投下して対応すべきだ。
2週間ほど前の「NYタイムズ」紙に、注目すべき記事が掲載された。米国政府がアルカイダなどによるテロ抑止を図る目的で、主要な銀行の取引記録の提出を求め、これをチェックしていると報じたのだ。米国政府はこれを認めるどころか居直って、テロと戦いをしている最中、これをすっぱ抜くとは何事かと逆に「NYタイムズ」を非難している。
90年代はサッチャー、レーガン政権の自由化政策の下で、企業の寡占化が進んだ。デ・ファクト・スタンダード
サッカーのW杯やオリンピックの初開催国は、その時に勃興しつつある国であることがある。東京、北京五輪。次回の南アフリカW杯のときには、サハラ砂漠以南のアフリカ経済の約4割を占める南アフリカの存在感は、一段と増していると考えられる。そうすると課題は政治的な安定である。
ここに至る過去20年ほどの経済史を振り返ってみる。






