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Wed, 10 December 2025

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第26回 グローバライゼーションと消費者主権

今回は、グローバライゼーションの帰趨を決めるのは、結局は企業、資本ではなくて消費者だということを具体例を挙げながら書きたい。

大相撲の多国籍化

まず、日本帰省時の印象から始める。大相撲の土俵入りを久しぶりにテレビで見ると、力士の多国籍化、外国人の多さに驚く。年がばれるが、昔はハワイの高見山、曙、武蔵丸位だった。現在では、横綱の朝青龍は別にしても、大関琴欧州(ブルガリア)始め、幕内力士のうち3分の1弱が外国人となった。7人がモンゴル、ロシア2人、ブルガリア、グルジア、韓国がそれぞれ1人である。さらに調べてみると、幕下には23歳以下の外国人力士は19人おり、同年齢の日本人力士の数とほぼ同じである。この数字はいずれ番付上位の力士のほとんどが外国人で占められてしまう可能性を示している。相撲協会は危機感をおぼえ、各部屋の外国人力士の数をこれまでの2人から、さらに1人へと制限した。力士は部屋の移籍を認められておらず、1人が引退したからといってすぐに関取の補充ができるわけではないので、非常にゼノフォビックな方策である。

しかし、結局相撲の将来を決めるのは、相撲協会ではなく観客である。しかも相撲ですら観客はもはや日本人とは限らない。国技館は、NHKの衛星放送による日本語と英語の実況中継を流している。ロンドンでもケーブル・テレビで相撲を見られる。この前乗ったブラックキャブの運転手はMLBと大相撲の大ファンで、雅山の技をどう思うか、大関になると思うかとしつこく聞かれた。国技館の伝統的な弁当とお土産の相撲茶屋の一つが改装されて、ハンバーガー、ホットドッグ、ポテトチップス、ビールなどを売るファーストフードのチェーン店に衣替えしたらしい。

製品輸入から労働力そのものの輸入へ

貿易が盛んになると、各国は得意な(自国で安く生産できる)製品を作り輸出し、その代金で不得意な製品を輸入する。こうした比較優位によって各国が豊かになるというのがグローバライゼーションである。日本人の賃金は高いので、労働力をより使う製品(労働集約財という)、逆に言えば大規模な設備を必要としない製品を安い国から輸入している。衣類や簡単な家電製品、家具などである。これも政府が強制したものではなく、日本の消費者の選択の結果である。

日本のグローバライゼーションは次の段階に入ってきたと感じた。景気回復、不良債権問題の一段落により銀行はじめ各企業はIT投資を活発化させている。システム・エンジニア(SE)は超不足状態である。このためシステム各社は中国やインドにアウトソースすることはもちろん、最近ではインド人やフィリピン人を日本に招いている。東京の江戸川区にインド人コミュニテイが出来ているという新聞記事を目にする。そういえば、東京駅でインド人を多く見かけた。2年前にはなかったことである。飛騨高山では中国人観光客が大きな収入源と聞いた。日本のスキー場では韓国人旅行客の誘致が盛んだ。JR各社も駅の看板を日英中韓の4カ国語表示としている。要は、製品の輸入からサービスを提供し、消費する人の移住、移動が日常レベルに浸透してきている。もちろんロンドンのコスモポリタンには及びもつかないが、こうした動きも、人口減少国、ある程度豊かになった国の消費者の選択の結果という。

これからの消費者

日本人は国産の愛用者で、1億3000万もの規模を持つことが羨ましいと人口が半分の韓国のサムソンの担当者は言っていた。確かに国産好きの人は多いが、若い人ほど外国製品に抵抗は少ない。現にサムソンのテレビはもはや安かろう悪かろうとは言えない。そのうち中国のハイアール製家電もそうなるだろう。レノボ(中国のパソコン・メーカー)のパソコンを使う人もいる。製品のみならず、日本のすし、柔道、ゲームなど価値のあるものは世界の消費者に選択されて世界化している。決め手は消費者自身の選択である。突き詰めると最後まで障壁として残りそうなのは日本語とそうした言語を発達させてきた日本という米作農村的なメンタリテイだけで、それは、日本の消費者に対する日本企業のアドバンテージになるように思う。これを経済やシステム開発の世界では「日本語障壁」と言っている。

逆にいえば、日本以外の消費者に製品やサービスを売る場合のハンディである。ITでも英語圏で作られたパッケージの日本仕様への変換が、追加コストになる。英国で日本の携帯やカードが使えず、また日本でその逆も使えないことを想起されたい。

それでも消費者の選択の力は政府などよりはるかに強力である。小学校から英語を教えて日本人が英語に慣れるか、英語を日本語に変換するソフト開発が充実するか。やはり後者の方が早いと思う。

(5月13日脱稿)

 

第25回 イラン問題

イランのウラン濃縮問題の構図

世界政治における今年最大の問題は、イランのウラン濃縮強化問題である。この問題の底流には、原油高によるエネルギー問題の政治化がある一方、米国と険悪なイランでの欧州、日本の商売独占に対する米国の厳しい目線が伏線にあることを忘れてはなるまい。

ウラン濃縮
天然ウランの中には、核分裂をするウラン-235が約0.7%程度しか含まれていない。これを軽水型原子力発電所で使用するにはウラン-235の割合を2~4%に高める必要があり、この過程をウラン濃縮という。

イランは濃縮の意図は核の平和利用であって、核兵器を製造することではないと言っているが米国はこれを信じていない。イランはロシア、サウジアラビアに次ぐ産油国である。エネルギーの観点のみからは、原子力発電所が必要とは思えないという訳である。エネルギーの観点以外には核兵器への展開しかない。イランが核兵器を欲するのは、自国をイラク、北朝鮮と並んで「ならず者国家」と名指しした米国との緊張関係が1つの理由である。しかし何と言っても、イスラエルと地理的に近いという事実がより重要であろう。イスラエルは核兵器を有していないと言っているが、技術的には保有可能であるし、その言も真実かどうか定かでない。ペルシャ国家、イスラム教シーア派の存立を脅かす存在はユダヤである。仮にイランが核兵器を持つと、世界の安全保障の枠組みは大きく揺さぶられる。まず、核兵器をこれ以上拡散させないという核不拡散の枠組みが崩れる。これは欧米にとって大きな脅威になる。イスラエルが明示的に核保有を宣言する可能性が高まるほか、北朝鮮の核保有を抑止する理由もなくなってくる。また世界の紛争地域(チェチェン、ナイジェリア、台湾など)でも核保有が現実問題となる可能性もある。米国や国連と核拡散抑止を担うその下部機関、IAEAが躍起になってイランの査察と制裁を検討しているのはこのためである。

底流にある経済関係

中国、インドといった大国の経済活動の活発化に伴いエネルギーの確保、原油価格が経済問題のみならず政治問題化している。イランと隣国イラクのシーア派は連帯し、イスラムの盟主サウジアラビアへの対抗意識を強く持っている。またオサマ・ビン・ラディンの最終目標は、サウジアラビアのサウド王家の転覆との見方が有力である。これはイラクの状況、中国のサウジ接近などの問題とも密接な関係を持っている。さらにこのエネルギー価格上昇で、政治的発言力を強めているのがロシアである。昨年来の欧州での天然ガス供給を巡る強面の姿勢が、極東ではサハリン沖ガス田での日本への牽制、中国寄りの姿勢、そして中東ではイランへの濃縮ウランの提供申し出などの攻勢に表れている。
さらにイランでは米国企業は商売が出来ず、欧州、日本の独壇場になっている。ロンドンの日系企業からの訪問者も多くあるほか、大型プロジェクトも検討されていると聞く。米国はこの点を快く思ってはいない。欧州はイラクと異なり、イラン問題では英米独の外相がイランとの交渉、調整役を引き受けるなど積極的な姿勢を見せている。イランの核の射程距離に欧州が入るといった現実問題もあろうが、英仏のイランにおける権益は大きいことを見逃せまい。

1930年代との類似性

こうした状況は、非常に既視感(デジャヴ)がある。
1930年代の地政学的な地図の再現である。こうしたことは米ソ対立が終わり、浪費されていた共産主義社会の内向きの管理エネルギーが経済活動に使われ始めたことの帰結と
も言える。第二次世界大戦と共産主義が真に終わり、その前の状況が再度表れて来たということである。
さらに言えば、1930年代に突きつけられた問題は、先進的な欧米近代国家間の植民地を巡る争いであったが、今回は米国、欧州(神聖ローマ)、ロシア、中華、ペルシャ帝国などが近代国家の枠組みを超えてしのぎ合う局面という感じがする。イラクとは異なり、イラン、ペルシャ人は極めて政治的な人々である。最高指導者ハメネイ師は、原理主義者アフマディネジャード大統領と現実主義者ラフサンジャニ氏とのバランスを取っていくであろう。今後、文字通り外交交渉が見物になる。力技で勝った米国は別に、この100年間でもっとも巧妙に立ち回ったのは、調査民族であることを前提にプラグマテイックであった大英帝国である。
ブレアかブラウンか、いずれにせよ次の試金石になるのではないか。

(4月29日脱稿)

 

第24回 ドピルパン氏の栄光と挫折

CPE撤回の背景

4月10日、シラク仏大統領は「初期雇用契約」(CPE)制度の撤回を発表した。CPE主唱者で、後継大統領の有力候補であったドピルパン首相の威信は大きく傷ついた。

CPE(Contrat Premiere Embauche)制度
26歳以下の若者を2年以内の雇用なら通常よりも容易に解雇出来るという制度。フランスで深刻な社会問題となっている若年者の高失業率(20%以上)を下げることを目的としていた。2006年3月に法案が成立。英国の試用期間(probation、通常半年)に相当する。法案成立直後から、学生や若者を軽視しているとかえって反発を招き、仏国内の大学での抗議活動が激化、若者が暴徒化し警官隊と衝突した。各企業などでもこのCPE法廃止を求め、3月28日には国内のほとんどの交通機関がマヒするほどの影響を与えたゼネストとなった。

フランスはほぼ100%の国民が結婚前にパートナーと同棲を始める国で、フランスの友人に言わせれば、住んでみないと一生一緒に住めるかどうかわからないじゃないのということであった。しかし就職に関してはお試しは好まれなかった。想像するに、26歳以下だけを対象にしたことが要因ではないか。英国のprobationは何歳でも適用される。
英国で今秋から施行される年齢差別禁止法に従えば、CPE自体無効になろう。なぜフランスでは若年労働者のみを対象にしたのか。それは若年、特に移民や低学歴の20代から30代までの失業率が非常に高いからである。去年はそれがパリ近郊での暴動の原因になった。この高さの原因は、一旦雇用されると簡単にクビを切れない手厚い既就職者保護の法律があるため、年長者が仕事を辞めないからである。
若者の怒りは、根本原因である手厚い雇用保護を正さずに、若年労働者のみを差別する扱いで済まそうとした姿勢に対するものであったとすれば正鵠を射ている。逆に若者のみの差別への感情的な反発や、フランスの雇用制度を自由化するだけの展望のない抗議行動であったとすれば、それは対案のない議論に過ぎないと思う。

騒動を低賃金諸国から見ると

グローバライゼーションにより企業は世界レベルで競争し、雇用はどんどん東欧、中国、インドの低賃金労働を探す方向でシフトしている(工場移転、アウトソースなど)。
そうした中、国内の既就職者のみを保護することは、意味がないどころか若年失業者の増大をもたらしている。その典型例は仏独である。
しかし結局ドピルパンもフランスの学生も労働組合も、今ある高賃金を維持しつつ、失業者をその高賃金労働者が払う税金で支えている経済の構造を変えようとしているわけではない。東欧、中国、インド人から見れば、コップの中の嵐にしか見えないだろう。争議の暇があるならもっと働いたらどうだという声が聞こえてきそうだ。そう言うとフランス人は怒るかもしれないが、結局同国の経済がそれでもすぐに停滞しないのは、領域に豊かな大地を有していること、英国ほどではないが、マグレブ諸国など若者が就職するにはフランスに来るしかないという旧植民地を有しており、フランス語が非関税障壁*として機能しているためである。つまり地理的な優位性と歴史の遺産が財産である。

ドピルパンの栄光と挫折

それにしてもグローバリゼーションは、優秀な外交官であったドピルパン氏を皮肉な運命に立たせたと思う。
グローバライゼーションは大国アメリカと世界言語の英語を持つ英国に大きな利益をもたらしている。ドゴール主義に立つ同氏は、その負の側面であった英米主導のイラク戦争に国連で強く反対し、世界の喝采を浴びた。これが出世の糸口である。しかし同氏は、政治外交姿勢で大統領候補であったとしても、経済面では仏企業の構造改革に先鞭をつけることはできなかったように思われる。敵失を受けてライバルのサルコジ内相の株が上昇、さらにはサルコジ氏も結局は与党内の同じ穴のむじなと見ると国民は目を向ける先を変えた。昨年の移民2、3世の暴動や今回の件で、さしたる対案を出さなかった社会党のロワイヤル元環境相が漁夫の利を得て大統領候補として急浮上している。しかし同じ社会民主勢力のブラウン蔵相の政策を見ても、社民勢力が資本の世界運動に対案を出せているとは思えない。ベネズエラ、ボリビア、チリなどの資源国ではナショナリズムかつポピュリストの大統領が出現し、外国企業の保有する国内資源を国有化し、利益を国民の手に取り返すことを訴えて当選している。フランスでの暴動の例を見るまでもなく、議会制民主主義の土台は脆く、また成熟には程遠い。結局人間は、飯が食えないと議論もできないということか。こうしたニヒリズムこそ全体主義のつけいる余地であったことを警告する論調が増えていることに当面は安堵するが、どうであろうか。

*関税以外の方法で外国製品受け入れを制限する手段のこと。外国企業に対して不利に作用する社会全体の仕組みを指す場合がある。

(4月16日脱稿)

 

第23回 グローバライゼーションの代価

英国への恩恵

ここ2回ほど、グローバライゼーションの長所、短所を考えてみた。今一度お付き合い願いたい。ブラウン蔵相は、最近の演説で再三にわたりグローバライゼーションは英国の利益、と述べている。BBCがオリンピックよりも長い時間を割いて放送していた先日の英連邦スポーツ大会を見ても、英国の世界中に対する影響力の広がりと強さを実感する。

シティにおけるインベストメント・バンカーやメイフェアのヘッジファンド経営者の高給などロンドンの金融関係の繁栄。ひいてはその周辺にある弁護士や会計士、はてはビルのメンテナンス、受付などに広がる雇用。そしてその雇用がもたらす購買力とそれに見合う物価高やポンド高も、いずれもグローバライゼーションが英国にもたらす恩恵と言える。

格差拡大の真因

しかし、庶民の暮らしは少しずつ負担が増えてきている。先月の予算で蔵相が示した国民負担率を見ても(下図表参照)、労働党政権下で負担率は上昇し、今後も高止まりする予定である。現に各種公共料金の値上がりや、信託を利用すれば事実上無税だった相続税の徴収強化などが予算に盛られる一方、公務員の終身年金の継続が批判され、さらには地方自治体の予算は大きくカットされた。何となく好景気の終わりの始まりを感じ始めている人々が多いように感じる。

一歩引いて大きく世界的な流れを考えてみると、こうした動きはどのように位置付けられるであろうか。そもそも出発点は共産主義の崩壊とIT技術の発展だった。東欧や中国で低賃金労働力が大量に生まれ、インド人の数学能力とITリテラシー、英語力を活かすビジネス・チャンスが拡大した。先進国の企業は自国に投資するよりも、途上国に投資するかアウトソースに目を向けた。これはもっと安い給料で働く人が大量に出現したことを意味し、先進国の労働者の失業の増加と賃金の低下を生む。こうして企業はコスト節減に成功したものの、より安い労働力の発見により従業員には還元されない構造が続いている。中国の農村部、ひいてはアフリカから低賃金労働力が生み出される限りこの構造は続くであろう。簡単に言えば、グローバライゼーションは、発展途上国で働く人々からの先進国で働く人に対する「本当に給料に見合う仕事をしていますか?」という深刻な問いかけと言える。

この結果、先進国では企業のある都市部、英国ではロンドンの一部で手に職のある人は栄え、地方や単純労働者は賃金が上昇せずいわば没落することになった。英国政府はこの間財政支出を増やし地方を補助してきたが、ロンドンの急成長により格差は拡大するばかりである。こうしてみると英国の財政の緩やかな悪化、地方の景気悪化、失業率上昇、ドロップアウトした移民やそれを扇動する人によるテロ、一方で英米企業での50歳台でのリタイアとフィランソロピー隆盛、ロンドンのバブリーなレストランなどもこの文脈の上にある。一方で、企業の自国投資不足は過度の金融緩和を生み、不動産バブル、金融市場でヘッジファンドやプライベイト・エクイティ・ファンドを生み出した。

「格差拡大」による財政赤字の拡大、そして何より社会の不安定の拡大、これがグローバリゼーションの当面のマイナス面である。日本では、財政赤字のため一段と状況は深刻と考えられる。

グローバライゼーションの持続性

こうしたグローバライゼーションとそれに伴うコスト拡大はいつまで続くのか? 一旦始まった低賃金労働力を探す資本の運動は簡単には止まらないし、止められないと思う。

かつて米国ではアメリカン・ドリームがあり、底辺からでもトップに上る余地が大きくあったと聞く。英国社会ではどうだろうか? 結局言えそうなことは、庶民は自らの価値を高めることしかなさそうである。競争相手は、世界中の人々になっていくと思う。それ自身は悪いことではない。国は、そうした努力を怠らない人々を援助すること、すなわち教育に力を入れることになろう。ブラウン蔵相の新予算は、大きな目玉はないと批評する向きもあるが、生徒1人あたりの教育費を1.6倍にするとしている。時間がかかる問題だが、急げば回れということで、正鵠を射ていると思う。

ただし、強運ブレア首相の後で、確実に英国の経済状況はピークを過ぎつつあるように思われ、ブラウン氏は難しい経済運営をすることになるであろう。ブラウン氏による憲法や国家など英国らしからぬ社会団結の強調は、そうした状況の裏返しと見るがどうだろうか。

(4月3日脱稿)

 

第22回 Save our small shops

生活の質の向上とは

前回、他国による自国企業の買収に反対するフランスやイタリアなどの動きを取り上げた。この際グローバリゼーションを表裏なく主張できるのは、自給自足の大国である米国を除き、自国に先客万来でカネを落とさせ(ウィンブルドン方式)、また安定した外交力を持つ英国しかないことを説明したうえで、そうした英国人の生活の質は良いのかという問題提起をした。

生活の質は、主観的な要素が入るので質の高低を一つの基準で図ることは難しい。ただ消費者の立場から見ると、自分の好みに応じた商品やサービスを早く、安く、いつでも手に入れられるという選択肢(オプション)の拡大があれば利便性が向上するということは言えるであろう。

Save our small shops

先日の「イブニング・スタンダード」紙は、Save our small shopsというキャンペーンを張った。要するに、街の古き良き商店が例えばテスコなどに取って代わられ、便利だけれども風情のある凝った商品を買うことができなくなる状況が加速しており、小さな商店を守る運動をすべきだということである。

具体的には、政府がテスコなどの大資本による独占的な活動を制約し、小さな商店を保護すべきだということのようである。確かに夜中まで開いているテスコは世界中から安いものを大規模にしてさらに安く調達する一方、そうした調達になじまない、少量生産のチーズやちょっと凝った食糧などを置くことはない。
日常の買い物ではテスコは6時に閉まる肉屋、魚屋、八百屋よりも圧倒的に便利である一方、特定部位の肉や日本人なら好きな生魚などは買えないし、野菜の量買いも一般的でない。
肉屋、魚屋、八百屋は、テスコで買えるものをテスコほど安く、長い営業時間では供給できないため、テスコに売上を持っていかれる。結局、テスコとの競合品の多い店は、小さい資本ゆえにテスコ並みの商品をテスコと同様の値段で出せないから閉店となる。そういう店はテスコとの競合品に限っては、より非効率なのだから淘汰されて当然といえる。

一方で、よく街をみるとテスコでは買えない非常に良い肉や新鮮な野菜を売る店、ワイン店などテスコでは買えないもの、すなわち競合品の少ない店は生き残っている。とすると、日常の買い物では消費者は安く、長い時間買えるし、また特に良い肉や新鮮な野菜も別に買えるとすると生活の質は向上したと言える。

消費者の好みの画一化が問題

しかし、問題はその先にある。テスコでは買えないものを売っていた店もつぶれることがある。テスコでは買えない特定部位の肉や生魚の販売だけでは商売が成り立たないケースもあり得るということである。その場合には、最大公約数以外の嗜好品については選択の幅が減ったことになり、生活の質は低下する。テスコに慣れた消費者が自分の生活パターンを変えてしまい、精肉や生魚を買わず新鮮な野菜で料理することをやめてしまう。これはテスコの品揃えが消費者の好みを規定してしまう現象である。
こうした消費者の好みの画一化こそ真の問題ではないか。

この結果、好みを持つ消費者は、遠くの肉屋や魚屋まで出向くコストを負うことになり(在英邦人が刺身を買いに遠出するのと同じ)、これが不満のもとになる。ただ、こうした問題に対して政府が規制したり、小さな補助金を出したりして干渉するのはパターナリズムである。
同じことは、古典芸能など芸術の保護と技芸の保護、街並みなどにもいえ、これらについては一定の保護をすべきという社会のコンセンサスができつつあるように思うが、魚屋、肉屋、八百屋にはそこまでの理解がなく、結局、社会や個人の選択の問題になる。もちろんこうした店舗自身も文化だと考えれば、保護することになろう。しかし、より直接的な解決は消費者主権である。消費者が多様な好みを持てば、動画などのインターネットによる販売も商売として成り立つ(日本の生産者からの直送を見よ)。

どうすれば消費者が自分の好みをきっちり持てるか? スローフード運動に見られるように豊かな国の難問と言えるが、うまいものを食いたいという人間の欲求があれば問題はそう深刻ではないと思う一方、学校給食の貧困を見るにつけ、末恐ろしいとも思う。

ジェイミー・オリバーの慧眼こそ政府の課題であろう。

(2006年3月20日脱稿)

 

第21回 エコノミック・ナショナリズム(経済国粋主義)?

エコノミック・ナショナリズム

最近の経済関係の新聞や雑誌で、「Economic Nationalism」英国の強みという言葉をよく目にする。要するに自分の国の大企業が他国の企業やファンドなどに買収されるのを、国家が反対して邪魔をするという現象が見られることを指している。いずれも大国が、自国企業が買われることに対して憂慮や懸念を表明し、許認可業種であればこれを拒否し、そうでない業種であれば自国内の他企業と合併させるなどして効率化させ、株価を上げ外国企業に買われないような斡旋を行っている。80年代の欧米の企業買収ブーム(日本のホリエモン騒動は20年遅れである)では、企業自身が買収されるのを嫌って防衛策を考えたが、今は国家や労働組合が買収に反対している。

一方で、こうした保護主義的な動きに対して、自由主義を掲げる英国のブラウン蔵相や単一市場を掲げるEU委員会は当然のように、適当ではないという意見表明を出している。また、WTO(世界貿易機構)などグローバリゼーションと自由主義を旗印とする国際機関も憂慮を表明している。経済のグローバリゼーションとそれに対する国家(英国を除く)の抵抗が、構図として見てとれる。

保護主義の理由

愛国主義といった感情の問題を別として、自国企業が他国の資本に買われると、どういう害があるのだろうか。よく言われるのは「国益」というものだが、買われる国の消費者にとっては、安くて質のよい品物やサービスを供給してくれるなら別に企業の資本家がどこにいるかは関係がない。買われる国の政府も、きちんと経営されれば、税収が増えその国の雇用も増えるのでむしろ好ましいとさえ言える。上の表を見ると、買われる企業の特色は業種としてはエネルギー、金融のような国民生活に大きな影響のある業種とその国を代表するような看板企業の場合が多い。中小企業やある特定の製品を作っているような会社については問題になっていない。
どうやら「国益」は、国民生活への影響度にありそうだ。ロシアからウクライナへのガス供給停止に見られるように、エネルギーを他国企業に握られては、安全保障にかかわるというわけである。また金融機関も他国資本では、他国経済の悪化時に経営が傾き、貸出を引き上げられてしまうというリスクを抱えることを嫌うのだろう。しかし、限りある商品でなければ、金さえあれば他国から買える。それがグローバリゼーションである。そうすると保護主義者が心配しているのは、買える金が稼げないという点で自国の産業競争力を心配しているのか、他国の嫌がらせで売ってもらえないリスクを心配しているのかどちらかしかない。手に入らないと、人間の生存にかかわってくるのがエネルギーと食糧である。自国に外貨を獲得するための主な産業がなく、外交も不安定なら国産愛用しかない。エネルギーに次いで食糧価格の値上がりが気になるところである(グラフ)。

英国の強み

英国では金融を除けば多くの企業の株主はもはや英国人ではない。電力会社もフランスの企業がある。英国は自国企業が他国資本に買われることに抵抗は少ないし、むしろ好ましい利点と考えている(いわゆるウィンブルドン方式)。
英国政府はどうしても民間ではできないインフラ整備と、世界中から資本を呼び込むための民間と帯同した営業活動のエージェントの役割を担っている。世界中で混乱が起きても、あちこちの国や地域に保険がかかっているので(米国との同盟、EUメンバー、英連邦、インドなどとの特別な関係を見よ)、どこかからエネルギーや食糧は買えるという自信がある。これが市場主義、自由主義を正面から主張できる強さを支えている。「グローバリゼーションは英国の強みを生かせること」とブラウン蔵相は先週演説した。もともと超大国として自国で何でも完結できる米国を別にして、表裏なくグローバリゼーションの利益を主張できる国は英国しかない。しかし問題はさらにその先にある。どの国も英国の真似はできまい。しかし、そもそも英国で暮らすことは幸せなのかどうか。人生観の問題とも言えるが、生活の質のレベルでの検討なしには生産的な議論はできまい。当然、次の疑問は、日本はどうなのかということであろう。

(2006年3月8日脱稿)

 

第20回 トルコ行進曲(エマージング諸国の力?)

トルコ中央銀行の為替介入

先週のロンドン外国為替市場で話題を賑わしたのは、トルコ中央銀行のドル買・トルコリラ売介入の噂だった。トルコリラの相場は昨年1月のデノミ(何とゼロを6つ取った、新1トルコリラ=旧100万トルコリラ)以前からじわじわと対ドルで大きく上昇していた。しかし、このトルコリラ高はこれまでの主たる産業であった繊維産業に打撃を与え、中国との競争力を失い壊滅の危機に瀕していた。そこでトルコ中銀に対してトルコ高を何とかせよ、と政治圧力がかかり、介入したのではないかと言われている。

しかし、下のグラフにあるように逆にリラ高は一段と進み、まったく効果がないどころか、逆効果となった。金利の安い円で資金を調達し、リラに投資していたヘッジファンドは大もうけ、逆にトルコ中銀ひいてはトルコ国民は大損となった。シティのヘッジファンドにとって介入は飛んで火にいる夏の虫である。何でだろう?

エマージング諸国台頭と政治家の経済オンチ

この欄で再三書いているように世紀末以来、世界的にカネ余りが続いている。そのカネが、少しでも良い運用利回りを求めて、ハイリスク・ハイリターンの成長国通貨やその国(こうした国をエマージング諸国という)への投資に大量に流れ込んでいる。割り切ってイメージで言えば、4年前が中国、EUの周辺諸国(ギリシャなど)、東欧諸国、3年前がブラジル、メキシコ、2年前がインド、ロシアそしてトルコ、去年がベトナム、ブルガリア、北アフリカなどである。ちなみに今年から資源も絡め、アフリカ諸国への物色が本格的に始まるのではないかという人もいる。

トルコは、日本の家電や自動車メーカーの工場が進出していることからわかるように、機械関係の製造業の台頭が著しい。加えて観光資源も豊富で、好調を維持している。しかし何といっても国際通貨基金(IMF)のミッションが入ったほか、欧州連合(EU)加盟を申請したことが大きい。

すなわち、IMFとEUという2つの国際的な基準で財政と金融政策を規律する姿勢を見せていることが市場での信認につながっており、5年前の経済、通貨危機からの立ち直りが著しい。これによって物価上昇率は、3年前の年20%近くから8%となり急激な落ち着きを見せている。こうした結果のトルコリラ高であり、経済的に説明できないものではなかったのである。
にもかかわらず、トルコの政治家はトルコ中銀に物価の安定のみならず、為替面で自国通貨安を維持することを求めた。あぶはち取らずになって当然というのが市場の考え方である。

トルコのEU加盟とエマージング諸国の力?

トルコはEU加盟を目指しているが、西欧諸国の中には、イスラム教徒の多いトルコは絶対EUに入れないとの論調も目立つ。しかし経済的に見ると、トルコの人口は8000万人とドイツ並みに多く、市場が大きいこと、かつ若い層の人口が多く、老齢国の多い欧州諸国と労働面で補完関係にあることからEUがトルコを必要にすることはあっても、逆にこの調子で製造業と観光が発達すれば、トルコは必ずしもEUを必要としなくなるのではないかとも思える。
さらに言えば、トルコの地理的な位置は西欧にとり極めて重要である。中近東で最大のキリスト教徒を要するトルコがイスラムサイドに入ることは、オスマン帝国の例を顧みるまでもなく西欧に脅威となる。イスラムに西欧が対峙するには、トルコを自陣に引き寄せることがEUサイドにとって必要になってくるであろう。

そもそもカネ余りゆえに、トルコを「エマージング諸国」(新興諸国)などとシティでは呼んでいるが、元々オスマントルコが西欧を圧倒し、ロシアを圧迫していた歴史から見ると適切な呼び名ではないかもしれない。モーツァルト生誕250年にしてトルコ行進曲が鳴り響いている。

先進諸国にとっても、これから伸び行く諸国にとっても、真の問題は他国の消長ではなく、IT技術の進展により企業、金融機関、個人が国境を越えて取引、交流していく中で、経済オンチの政策を行なう政治家を身中に抱え、長い目で見た経済の長所短所を考え抜かず、その場限りの政策を行なうことで国を滅ぼすことであると肝に銘じたい。

(2006年2月20日脱稿)

 

第19回 預言者風刺に思う

騒ぎの拡大と金融市場

イスラム教預言者の風刺漫画が昨年9月デンマークの新聞に掲載され、それを今年1月ノルウェーの雑誌が転載した。
これがイスラム教徒の間で問題視され、各地でデンマークやノルウェー大使館に対するデモや暴動が起きている。

(表1)風刺漫画をめぐるこれまでの動き
2005年9月 デンマークの新聞が預言者ムハンマドの風刺漫画を掲載
2006年1月10日 ノルウェーのキリスト教雑誌が転載
2006年1月29日 リビアがデンマーク大使館の閉鎖を発表
2006年2月1日 フランスなど欧州(英国を除く)の新聞が転載
2006年2月2日 アナン国連事務総長が報道とイスラム教徒に自制を求める
2006年2月4日 シリアのデンマーク大使館が襲撃される

これに対して金融市場はどのように反応したのか。
デンマーク・クローネ相場は、暴動が始まり、騒ぎが大きくなる2月より前の1月20日から急落している。

(表2)デンマーク・クローネの対ドル現物為替レート(左目盛%)

注意すべきは先物相場の動きで、現物相場に先駆けて1月上中旬から大きく下がり始めている(先物3カ月レートが拡大しているということは、先物が相対的に安く、将来のクローネ安が予想されているということ)。ということは、騒ぎを見越して通貨を先に売った者がシティにはいるということであり、そのディーラーは下落により大もうけしたと予想される。もちろん為替相場は今回の要因だけで動くものではない。ただ現実の暴動と金融市場での通貨や当事国の債券の売買は一見何の関係もないようだが、ここまで相場が事実を先読みしているとなると、マッチ・ポンプのリスクがあるかもしれないと思うのは考え過ぎだろうか。両者を結び付けているものは、ITによる個人同士の直接のつながりではないか。

ブログ、インターネットという接点

表1をみると暴動はこの1カ月で大きな盛り上がりを見せた。新聞報道が後追いとすると、短期間での抗議行動の拡大には、ブログやネットのサイトでの会話が大きな力を持ったのではないか。去年の中国での反日デモや暴動、フランスのパリ郊外などでの移民2、3世の暴動も同じ構図だ。経済的に恵まれなかったり、どうしようもない貧富の差があったり、強い憎しみがあったりすると、ある事件とそれをセンセーショナルに取上げるブログとメールによって、国を越えて連帯が広がり、直接行動につながっていくパターンが出来つつある。これは、プロが時には自爆もいとわず、社会システムを破壊することで強い憎しみを実現するテロとは異なる、いわば扇動型の大衆動員による反社会行為だ。
ただ、インターネットの世界はヒトラーという求心力がある世界とは異なる。ブロガーは軽い気持ちでしか書いていないことも多い。しかし、求心力のなさは自由な金融市場の得意とするところだ。最先端のディーラーはブログをよく見ているし、書込みさえしている。
クローネの大きなポジションを持つディーラーが、1月初め位からブログに匿名でイスラムを扇動する書込みを行い、同時にクローネを先物で売っていたとしたら? 個別企業の株で同じことをすると相場操縦や風説の流布(根も葉もない噂をわざと流して、株価に都合のよいように影響を与えること)で犯罪になるが、社会や国家に関わる場合には、立証は非常に難しい。そういうことが実際にあったかどうかはわからない。しかし、そういうことが可能な社会に我々は生きており、そういうことを考える人が金融の世界にいないわけではないと知ることは今後の対応を考える上で重要だ。

ロンドン・シティという場所

世界的なカネ余りの下、金融機関、投資家は投資先に飢えている。価格の動くものは何でも投資対象になるし、動かないものは動かしてしまえというところまで来ているような気がする。
「ル・モンド」など仏各紙や独伊の新聞や雑誌は、表現の自由を守ると主張し風刺漫画を転載したが、シティを擁する英国の新聞は転載していない。
「EVILにはならない」を謳い文句とする米国のGOOGLEは中国版における検閲を容認したし、BBCも中国向け教育番組で同様の容認をしたとの報道がある。

英米、特に英国のプラグマティズム、バランス感覚というか、ご都合主義は、堂に入っていると思えるがどうだろうか。

(2006年2月6日脱稿)

 

第18回 ロシアの熊

ビジネス界でホットなロシア

17日にモスクワの最低気温はマイナス30度を記録したそうだが、一昨年来ロシアは、シティではホットな話題の中心にいる。

話題となる理由の第1は、ビジネスにおける存在感の高まり。ロシアの大富豪で英国の名門サッカー・クラブ、チェルシーのオーナーになったアブラモビッチの例を出すまでもなく、2002年以来高騰してきたエネルギーの売却代金は、大きな富をロシアにもたらした。こうした富は一部の富裕なロシア人を生み、金持ちの大消費ブームとなっている。日本車や電化製品が売れており、対応して在英日本企業も工場、事務所、支店開設などを目指して、ロシア詣でが一種のブームとなってきた。これまでのロシア・ビジネスのイメージは、官憲は袖の下を要求し、それがばれないように現金決済を求めるというものであった。ビジネスが長期に続く要諦である透明性、公平性に欠けていた。現に日本製品の決済代金は隣国フィンランドの保税倉庫に一旦持ち込まれ、ロシア国境で品物と引き換えに現金を払うということが多かったと聞く。さすがにロシアもそうした評判が続くのは好ましくないと考えたらしく、最近では銀行を通じた代金決済を認めるようになってきたようである。さらにプーチン大統領は、ロシア企業の経営の透明性を高め、資本主義的なセンスを見につけさせるために、米国の企業経営者を政府系企業のトップに招こうとしているとの報道が連日なされている。

経済面での今ひとつの存在感は、エネルギー売却代金が外貨準備として蓄積され、その運用が金融市場に大きなインパクトを持ってきつつあることである。現在最大の外貨を持つ国は日本であるが、中国がその3分の2、ロシアがその3分の1弱の外貨を持ちつつある。仮に、彼らのポートフォリオ*がドルから離れ始めたことがはっきりすれば、国際通貨としてのドルのヘゲモニーに大きな影響を与えるであろう。

資源国としての強気の政治姿勢

存在感を高めている第2の理由は、強気の政治外交戦略。

例を挙げると、

A)今年初めのウクライナに対するガス供給停止。かつての最大の友邦に対して、これまでの安いガス供給を止め、市場価格での売却をのまねばパイプラインを閉めるとの一方的な
通告を行い、実際パイプラインを閉めた

B)イランの核利用再開が核拡散の観点から世界政治で大きな問題となる中で、イランの原子力発電施設に対する濃縮ウラン提供などの商業面からの支援を行い、査察強化や制裁一方の欧米と異なるアプローチをとっている

C)日本と共同開発で進めてきたシベリア天然ガスの中国への供給可能性に言及したと、いずれも高騰するエネルギー、すなわち原油、天然ガスとその価格高騰の反射効果である原子力問題における資源国として有利な立場を通じた、強気の政治外交戦略が目立ってきた。ロシアの「熊」が、ソ連崩壊後の冬眠から覚めてのっ
そりと出てきた感じである。

そして第3の理由は、軍事力における復調傾向である。むろん最大の軍事大国米国には及ばないが、2002年の軍事費はGDP比4%とG8や中国を含めた大国の中では格段に大きく、経済成長を背景に装備の充実が図られていると言われている。

そしてこれから

資源価格が大きく低下するとは考えにくい状況下、ロシアの存在感の高まりは今後も続くと予想される。ロシア語のできる人は、もてはじめている。
しかし落とし穴はないであろうか。日本人のみならず英国人にとっても、ロシアは熊のイメージがある。何となく垢抜けていなくて、ご愛嬌という面もあり、反応も鈍いが、腕力はあるし、何を考えているのかわかりにくい。as sulky as a bearという感じである。政治的な不安定さ、官僚主義、腐敗と犯罪というイメージはいまだ払拭されていない。ロシアは米国主導のグローバルな秩序の安定を与件として、資源国や消費国を超える産業を育成できるのか、それができる人材を国際的に招けるのか、ロシア人自身が育つのか、第二世界からの脱却に長い戦略を描いていることであろう。
しかし、事は簡単ではない。地下から掘り出した資源を売って得たあぶく銭は身につかない。最悪シナリオは、民主主義や透明性がなく、こわもて強権官僚と資本主義の暗部を兼ね備えた世界の脅威である。笑顔でもプーチンの目は笑っていない。
ところで極東の安全保障は、第二次大戦前と同様、日中朝(南北)米ロの5カ国が大きな利害関係を持つ。日本にとっては、もちろん対米関係を対中国とどのようにバランスをとりながら維持・再構築していくのかが最重要ながら、ロシアとどういう関係を結べば、対中、対米に有利になるのかを忘れてはなるまい。ロシアは南下を牽制すべき対象であると同時に、帝国である米国と中国に対する牽制カードでもある。
ロシアの第二世界から第一世界への脱却に日本はどういう手を差し伸べるべきかを考えることが、北方領土返還の近道であろう。

(2006年1月19日脱稿)

*運用対象となる資産の組み合わせ

 

第17回 経済から見た2006年(予想と予想外)

今年の英国経済

英国の年末商戦は予想ほど盛り上がらなかったという結果が報道されていたが、実感として英国の景気が今後急速に陰るとは思いにくい。ロンドンと地方は違うということかもしれないが、クリスマス前のオックスフォード・ストリートは 人込みで歩けないくらいであった。シティのエコノミストや経済紙、政府、イングランド銀行など専門家の予想を見ても去年と大きな変化があると予想する人は少ない。

英国の経済成長は、これまで調子が良かった景気が後退するとの予想や住宅価格の上昇が一息つくとの予測から、消費者の購買意欲が伸び悩み、全体として鈍化するとの見方が多い。しかし鈍化といっても1.5から2%くらいで、これくらいなら景気が悪いとは言いにくい。英国経済の好調の基本的な原因である世界経済の好調、移民流入の拡大と中国などからの安い製品の輸入が続けば、大きな崩れは予想しにくい。
そうであればポンドの対円、ユーロ相場も大きく崩れることはないとみておくべきであろうと言われている(奥歯に物の挟まった言い方だが、最後まで読んでもらいたい)。

財政赤字が労働党政権下でじわじわ膨らんでおり、北海油田の生産量減少とあいまって、英国経済がゆるやかにピーク・アウトしつつあるということだけは確かそうであるが、急に悪くなるという感じではない。

世界経済では

より重要なことは、英国が典型であるように、世界経済と先進国のみならず、あらゆる国との連動性、連携性が非常に強まり、そのスピードが一段と加速しているのが2000年以来の世界経済の特色である。これまでは、そうした構造は世界的な経済の好調を支えてきた。中国やロシア、東欧からの低賃金労働の解放、インドでの識字率向上への地道な試みの開花などから、安い労働力が世界的にあふれた。この労働力により物価の上昇予測が非常にマイルドなものとなったため、ITバブル崩壊に対して下げられた金利が世界で反転することなく、カネが世界中で余っている。米国が世界中から安い商品を買い続ける限り、こうした循環は続きそうである。

米国について景気はピーク・アウトしたとの見方でエコノミストは一致している。そうであれば、米国の金利はもう少しで天井となる。それでも米国人の購買意欲が強いとすれば、世界の景気は悪くなりようがない。

God Knows.

では、まったく楽観的でいて良いのか。
ここが肝腎なところである。

上に述べたような去年と比較的大きく変わらない という予想は、普通に皆するところである。1929年の世界 的な金融恐慌の前年に発表された米国の中央銀行であるFRBの年次報告にも、上に述べたのとほぼ同じような非常に楽観的なことが書いてあり、気がかりなのは「住宅価格が少し下がったことだ」とある。大恐慌の前年は、後から考えれば滑稽なことだが非常に経済予測は落ち着いていた。だからというわけではないが超楽観論は禁物と思う。皆が安心したとき は安心しない方がいい。何せグローバライゼーションのスピ ードは一段と加速している。 去年、金融市場に有り余るカネは、極端な金融商品まで行き着いた(ブラジルの裁判所での損害賠償請求権を束にして買い取る例もあった)。
グローバル化で人間の考えることは地理的な際限がなくなった。共産主義だから相手にしないということがなくなった。通信手段の発達と航空規制の緩和が効いていることは言うまでもない。人の活動があれば借金や貸し借りが生じる。それを安く買い取って差額をもうけることができないか、自分のリスクを移転し、またはあえてリスクを取れないかと考えている人がシティには五万といる。母国語英語で商売できれば何ら障壁はない。こうした債権を買い取れる人は、損しても問題ない欧州の金持ちたちではあるが、英国人の年金運用会社も、日本人の年金運用会社も、こうした投資の前座に手を出し始めている。もちろんリスク管理をしながらなのだが、こうしたリスク管理の前提は、上に述べたような、常識的な人々の予想である。もっと詳しく言えば、過去10年くらいに一時期に起こった損失の3倍くらい大きな損失が実現しても破産しないような範囲で投資をやっている。しかし、過去10年は比較的平和な時期であった。その3倍より極端なことが、1%くらいの確率で起これば、破産者が山となる。1929年から約80年、一旦こうしたことが起これば、グローバル化は世界を同時に恐慌に陥れるであろう。昔、鄙*の1年は、江戸の1日と言った。今ならロンドンの1秒か。

お金のない人は、どう備えるべきか。自分にしっかり投資することが最もリターンの大きな方法と信じる。その上で、こういう大きな歴史のうねりの時こそ歴史をもう一度学び返し、そもそもの原則に立ち返り物事の原理から考え直す必要が出てきていると思う。通信技術と輸送手段の発展は、近代の人間関係、企業や市場と人との関係、国家関係を加速度的に作り変えている。

2006年だけを心配しても、予想は当たらないし、意味もないという結論になった。

(2006年1月4日脱稿)

*都から離れた土地のこと。

 
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