ニュースダイジェストの制作業務
Wed, 10 December 2025

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第46回 ウラジオストックの市民運動とSecond Life

ウラジオストックでの市民運動

昨年、極東ロシアのウラジオストックで3000人規模の市民運動が起こった。モスクワが実施しようとする右ハンドル車禁止法に対する反対運動であった。ロシアでは他のヨーロッパと同じく左ハンドルが原則だが、ウラル山脈以東では事情が異なる。ウラジオストックを走る自動車の95%以上が中古日本車で、乗用車からトラック、タクシー、公共交通機関であるバスのほかパトカーですら右ハンドル車であることもある。ウラジオストックから800キロ北にある街ハバロフスクでも80%以上、バイカル湖の湖畔にあるイルクーツクでも50%を超えている。プーチン大統領は、割安な中古車の輸入を減らし、新車の販売を増やし、国産メーカーを育てたいという意向のようだ。しかし反対運動は、ウラル山脈以西にも広がっている。現在ロシアでは日本の中古車を輸入し、それを運転しているドライバーが極めて多いためであろう。右ハンドル車禁止の法制化は難しいと思われる。

市民、消費者、ネットの力

ロシアで市民運動とは意外な感じがするが、共産主義崩壊から経済危機を経て、資源価格高騰で躍進するロシア市民の経済的な安定と自信を感じさせる。「FT」紙によれば市民運動のリーダーは、注目すべき2つのことを述べている。第一にロシア市民も優秀な日本製品を使う権利がありそれは制限されるべきでないこと、第二に市民間の連絡と情報交換にメール、ネットが使われたことだ。もちろん日本のメーカーが何らかの役割を果たしたことはあるまい。やはり優秀な製品(多分サービスも)は、国や民族を超えて受け入れられるのだ。

WEBやメールの威力はここまで及んでいる。メールによって海外の友人やビジネス・パートナーとの交流や共同作業は非常にスムーズになった。ブログで不特定多数への情報発信を行うのは極めて容易だ。MIXIなどで友人や知り合いを作ることも極めて簡単になった。人間がコミュニケーションするのは、いうまでもないが肉体を介してである。言葉を相手に届けるには、まず、文字、映像、音、仕草などを肉体を使って作り、それを届ける。届け方は、実際に会うか、または面と向かわないが道具で意思疎通する。いずれにせよ人間のコミュニケーションのあり方を限定するのは、人間の肉体的な条件である。交通機関の発達は実際に会うことを容易にし、無線、電話、そしてインターネット、テレビ会議は会わないまでも意思疎通を容易にした。

Second Lifeの可能性

しかし、不特定多数に向かって強力な主張をするにはネット、メール、ブログでは不十分である。政治的主張はデモなど実際に人が集まること自体が、ニュースとなり力を持つ。インターネットを使った大量の迷惑メール発信もゲリラ的な意味を持つが、16時間(24時間から寝る時間の8時間を除いたもの)という時間的有限の下で、人の関心を呼ぶには十分でない。デモはロシア市民、消費者の政治的成熟とネットによるコミュニケーションの容易化の両方があって可能となったものであろう。

こうした事態は、国家が経済原理に反して無理な規制をすることの無意味さと国家に対して期待されるものを再確認する必要性を感じさせる。EU憲法、EUの意義も、日本にとってのアジア共同体の意味も、こうした事態と無関係には考えられない。

しかし現実はさらに進んでいる。米国では、Linden Lab社が運営するバーチャル世界である「Second Life(セカンド・ライフ)」の利用者が350万人もいる。アバター*を利用して、はたまた独自通貨などを使用して、文字通り、パソコンの中で第二の人生を過ごすことができる。現実世界で家と食事さえあれば、肉体的欲求以外はバーチャルに実現できていく可能性がある。政治的なデモをその中で組織することも可能性としては無理ではあるまい。そこで国家ができれば、クーデターなどもパソコンの中で起こりうるだろう。セカンド・ライフの中でのデモが現実世界に影響を及すことができるなら、現実世界でデモをする必要はなくなる。近い将来そうなるのかどうか、それを防ぐためには現実世界自体が進歩するしかない。現実世界で簡単に会えて、話せる世界。それにはドラえもんの「どこでもドア」が必要になるが、果たして可能だろうか。現実的には、リニア・モーターカーの世界ネットワークと思うがこれなら可能ではなかろうか。

そういえば40年前は家に電話がなかったし、20年前はパソコンがなかった。10年前はEメールがなかった。これから10年でどうなるだろうか。

*バーチャル世界の中で、自分の分身となるキャラクターのこと

(2007年2月10日脱稿)

 

第45回 英国不動産市場の活況は続くのか

日本はバブルとその崩壊という経済変動のために、変革を余儀なくされている。戦後の総決算という見方もあるが、本格的な検証はこれからだ。バブルはその最中は気付かず、終わってみて初めてわかるものである。英国も米国も歴史上何回もバブルとその崩壊を経験してきているが、歴史は繰り返している。しかもその再来時には装いを変えてくるので、「バブルが来る」と皆の意見が一致することはまずない。今回はこうした限界をご理解いただきつつ、足許の英国不動産市場をめぐる状況を検証し、2000年以来バブルではないかといわれ続けながらも崩れていない市場の行方を予想する。

住宅市場の場合

英国では、住宅を購入する際にはまず金融機関などから借入を行い、買った不動産を担保に供する。日本と異なるのは、その後担保不動産の価格が上がると、その分で生まれた担保余裕額(<担保時価マイナス借入金>の一定割合)を見合いに、追加で借入を行うことができることだ。図は、そうした追加借入額と個人の収入との割合の前年比を時系列でグラフにしたもの。1980年代前半にサッチャー改革の成果が出始め、80年代後半には経済が劇的に回復したことから不動産価格が急騰、収入の伸びを8%ほど上回る借入の伸びがあった。しかし景気がピークを過ぎた80年代の終わりからポンドが不安定になり、ポンド防衛のためにイングランド銀行は高金利を続けた。金利が上がり借入が難しくなった結果、不動産価格は急落し英国は欧州各国間の為替相場安定制度(ERM)から92年に離脱。その後経済が安定し、2000年頃から不動産価格が再び急騰、04年をピークに再度借入が収入対比10%近い伸びとなった。05年にはイングランド銀行の金融引締めにより伸びが一段落したが、昨年には再び伸び始めている。

新規の住宅販売が限られている英国では、住宅は買手側の事情、中でも金利に大きな影響を受ける。イングランド銀行が不動産価格を気にするのもこうした事情がある。金融を引き締めると、借入の多い人は金利負担が重くなり不動産を売って金利を返そうとするので、不動産価格が下がり、担保割れになり、借金が返せず破産するからだ。実際05年の引締めの結果、図に見られるように個人破産が急増した。

しかしながら不動産価格が維持されたり、借り手が個人ゆえに貸倒れが集中して起こらないとすれば、金融機関の経営には差し迫った心配はないことになる。そこで住宅市場の下落リスクは、不動産価格に大きな影響を与えるイングランド銀行の金利引上げは加速するのかどうか、ビルディング・ソサエティなど中小金融機関の不動産担保融資のリスク管理が甘くなり、不良債権が増えていく兆候がないかどうか、という点を当面気にしておけばよい。

英国の金利水準は、4.5%と90年頃のピークの15.5%からみればまだまだ低い。グローバリゼーションによる世界的なインフレ抑制傾向があと1年は持つと思われるので、金利の急上昇は地政学リスク以外からは考えにくい。とすれば唯一のリスクは、金融機関が再び貸し急いでいないかということだけだろう。

商業用不動産の場合

住宅価格と商業不動産価格では、急激な下落時における経済への影響ルートが異なる。商業用不動産では金額が大きく、借り手が不動産業者や保険会社などに集中することが多い。大きな価格下落は貸し手の金融機関を直撃する可能性が大きいので、金融危機を招きやすい。しかし図を見ると、商業用不動産の価格は金利引上げの影響をあまり受けずに上昇していることがわかる。

誰が買っているのか。中東や北欧、ロシアのオイルマネー、最悪期を脱した日本の金融機関、金持ちの投資ファンドなどである。しかし、注意すべきは、商業用不動産価格の上昇下落の振幅の大きさだ。金利感応度も高い。「山高ければ谷深し」。粗っぽい動きをするオイルマネーは、多少の損は覚悟のリスクマネーである。商業用不動産の需要は、ロンドンの金融が発展を続ける以上ある程度は伸びるが、投資、投機資金が入っていることから、金融引締めを契機に今年後半から来年にかけては反転リスクがあるのではないか。オイルマネーが原油安を受けてひき始めた時はババ抜きゲームの開始である。日本の投資家がババをつかまないようにと願う。

(2007年1月31日脱稿)

 

第44回 マイクロクレジットの仕組みと含意

マイクロクレジット

モンゴルの政府系金融機関からロンドンに派遣されているEさんという女性がいる。彼女の最近の関心時は、マイクロクレジットだ。バングラデシュで70年代からマイクロクレジットを事業(グラミン銀行)として行い、発展させたムハマド・ユヌス氏が、昨年ノーベル平和賞を受賞したことは記憶に新しい。なじみのない方もおられると思うので、マイクロクレジットを紹介しつつ、それが先進国に住む人間にも、国内の格差問題や国際的な援助の視点からみると無関係ではないということを述べたい。

マイクロクレジットとは、十分な資金のない起業家、または貧困状態にあり、銀行などからの融資を受けられない人々、特に最貧国における女性などを対象とする非常に小額の融資(3ポンドくらいから)である。これらの人々は担保となるものや安定的な雇用、証明できるような信用情報(収入や資産についての情報のこと)を持たず、普通の銀行からの借り入れを利用するための最低条件にさえ達しない。しかし小さな事業を営んだり、職業訓練を受けたり、家族や自分の健康を維持するための費用などが自立のためには必要だ。こうしたニーズに応える金融があると、借り手の自立や小事業の発展につながり、ひいては社会全体の成長に資するというのがその趣旨である。Eさんは、モンゴルでは経済力のない女性に対してお金を貸してくれる銀行などないので、国のためにこうした制度を導入したいというわけである。

絶対貧困とクレジット成立の関係

アフリカのサブサハラ諸国を始めとする絶対的な貧困国に対して、先進国は人道の見地からの援助を行ったり債務の減免を行ったりしているが、いずれも対症療法である。長い目でみればインフラ(道路や水道などハード・インフラに加えて、職業訓練とか教育とかモラルや人権意識の構築などのソフト・インフラも含まれる)を整えることが、「急がば回れ」という意味で近道だ。そのインフラ整備の資金をこれまで担うとされたのが世界銀行なのだが、世界銀行の融資は、従来ハードに比重がある。一方、民間銀行はお金を返せるかどうかが不明で、あまりに貸し倒れリスクが大きいと金利をいくら高くしても融資できない。他にもっと良い融資先があれば、そうした最貧国に回す余裕はない。こうして貧困国では、ソフトなインフラ整備が決定的に遅れる。その分野でグラミン銀行は、信用のない借り手に、銀行であれば要求するような高金利ではなく、そこそこの高金利でお金を貸して、収益を上げる手法で成功した。

それでもやっていけるのは、通常は資本家や預金者が担う出資者の9割が、借り手でもあるという事実に基づく。事業を営む借り手自身はそこそこの利回りしか要求しない。これは出資者自らが資金を借りており、自分自身やそれと似た境遇にある社会的弱者を信頼できないということはないため、それほどの高利回りを要求しないからである。現に貸し倒れ率は極めて低い。そうした銀行であれば、預金金利も低利に抑えうる筋合いにある。いわば銀行が見放した市場で、担保や実績がなくても顔の見える信頼関係によって収益を上げているということだ。

先進国への含意

こうした仕組みは極めて経済合理的なもので、返済の必要がない補助金や援助に比べると、使途が明確で、その達成を出資者=借り手がコミットしている点でモラルハザード(借金の踏み倒し)の可能性が極めて低いという利点がある。銀行(特に日本)は、土地担保や不動産融資など審査能力が弱くても債権保全できる分野にばかり融資しているが、審査による信用創造という銀行業の原点からすると問題が多い。逆に優良な借り手がいない、過当競争という不満も、自らの市場開拓力の非力さの裏返しとしか思えない。

マイクロクレジットは、先進国内における企業の少ない地方での金融機関(特に信用金庫、信用組合など)の生き残り方、ワーキングプア、障害者などに対する自立のための融資、支援のあり方が現状で良いのか考えさせられる。また国際的には、貧困国への援助、借款のあり方、世界銀行の組織、機能論などに大きな問題提起をしている。抽象的にいえば、資本主義、市場原理というものが、先進国内、しかも労働者クラス以上でのみ妥当し、そこに届かない人々は絶対貧困になるという格差固定の仕組みとなっているとすれば、それは資本の怠慢、公的部門への甘えがあるということではないか。マイクロクレジットは、グローバリゼーションがそうした表層的なものであれば、それは決して長続きはしないということを肝に銘じさせるものである。

(2007年1月16日脱稿)

 

第43回 2つのVISTA──2007年の年頭に当たって

世界経済のトレンド

あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

年頭に当たって、経済面からみて今年はどういう展開(=VISTA)が予想出来るだろうか。ここ数年は、予想以上にグローバリゼーションが進み、ヒト、モノ、カネの世界循環が加速した。その基底にはIT技術、中でもインターネットとパソコン、携帯電話、ブラックベリー(通信機能を内臓した携帯情報端末)などの普及によるビジネスマン、学生、一般市民同士のコミュニケーション拡大がある。

その拡大テンポに追いつかなかったのが物流であり、資源の供給である。このため船賃や原油を始めとする原材料価格は高止まっている。ヒトの移動をサポートする航空輸送も、空港への投資不足、飛行機など輸送機器のイノベーション不足からニーズに追いついてない。ヒースローの混雑はいうに及ばず、航空会社の不景気は、格安フライトを除き産業自体に大きなイノベーションが何十年もないからである。

一方、追いつき引っ張っているのは金融で、BRICS(ブラジル、ロシア、インド、中国)などエマージング諸国における低賃金の労働供給の増加に伴うインフレ期待の落着きを背景に金利が低下、カネは投資先を求めて世界中で巡回した。

こうした動きは、既成秩序の崩壊を加速させている。取引所や破産制度などコストのかかる手続の迂回を意味するM&Aの国際的隆盛とこれに対抗する取引所自体の合従連衡、さらに労働規制を迂回する国際的なアウトソーシング、移民や労働集約財の貿易量拡大、などがその例である。達観すれば、これらの制度の後ろ盾であった国家自身がこの展開についていけていない。金融の世界でも国際的な金融危機への対応策は、問題意識のみあっても具体案は不十分だ。

グローバリゼーションは、大きな反動やリスクがあるとされながらも予想を裏切るスピードで加速し続けている。環境問題などボーダレスな解決を要する問題がクローズアップされてきていることもこうした動きと密接に関連がある。基本線は今年もこの延長線上にあると考えるのが適当ではないか。今年は、この展望を2つのVISTAが一段と発展させそうだ。

2つのVISTA

先述したように、ここ数年で台頭したエマージング諸国はBRICSだったが、投資家の今の注目はVISTA(ベトナム、インドネシア、南アフリカ、トルコ、アルゼンチン)である。BRICSもそうだったが、VISTA諸国に共通するのは、若年人口の増加国ということである。2050年にはこれらの国の人口が6億人を超えるという。英国、欧州企業のアウトソース先として南アフリカはもはや普通である。アジアの2国は日本との関係が深い。これらの国がインフレ抑制と消費市場拡大のリトマス試験紙になろう。

いま一つは、WINDOWSの次のOSであるVISTAの発売である。WINDOWS2000やXPと比べた特徴は、コミュニケーションをより容易にするためのネットワークとの連携強化、得た情報の処理を容易にするためのファイル検索や書類整理機能の強化、3Dや音声認識への対応、セキュリテイの強化だそうだ。画期的とはいい難いが、いずれもネットワーク拡大の中での病理現象への対処強化の意味を持つ。いずれもこれまでの延長線上で、世界の経済的な相互依存性と個人、市民の関係性強化に資する。

落とし穴はないか

関係性=ネットワークの弱点は、バックアップがない場合には、一旦発生した小さな蹉跌が連鎖して世界的な危機になりうるということである。VISTA諸国、中国やインドで中産階級の消費が十分拡大するまでの間に米国における消費の勢いが弱まると、中国や日本の設備投資が過剰となり、企業に融資している金融機関の不良債権問題の再発、金融市場の不安定化が容易に予想される。インターネットも群集心理を生みやすいという面がある。一通りでない価値観、専門用語で言えば「分散」、平たく言えば多様性こそが、リスクの軽減に役立つと思われる。

危機の局面か地政学的な軍事紛争の中で、再度国家の出番が少しは来るような予感がする。その際に米国のネオコン的な方法論はもはや通用しない。市民、国民のネットワークに乗ったうえで、軍事のみならず、外交、経済、エネルギー、環境などで世界に貢献するという日本および日本人のあり方に希望をもっているが、安倍政権がその方向にあるのかどうか、夏の参議院選挙の注目点ではないか。

(2007年1月4日脱稿)

 

第42回 ポールソンという男──米中経済戦略会議開催の意義

通貨外交の肝

最近米国のポールソン財務長官の活躍が目立つ。ブッシュ政権の軍事外交はアフガニスタンにおけるNATO軍の停滞、イラクの内戦状態、北朝鮮はやりたい放題と良いところがない。内政も民主党に議会勢力では追いつかれた。

しかし通貨外交を担うポールソン氏は、ゴールドマン・サックス社の元会長だけあって金融と市場が何に注目しているかを知っている。今の通貨外交のツボは、国際的な貿易収支不均衡(米国の赤字と産油国および中国の黒字)、原油高、ユーロ高ドル安である。こうした問題の根っこは実は一つで、米国人の旺盛な消費とそれに見合った中国などの生産増加、経済発展である。米国の産業界は、国内の住宅バブルを謳歌しつつも、中国の通貨、人民元がドルにペッグしていることに伴い安い中国製品の米国が雪崩をうったように米国へ輸入されているとして、1985年にプラザ合意で日本に円高是正を求めた時のように米中直接対話による元の切上げを求めている。

米中経済戦略会議

こうした状況下、ゴールドマン時代から中国との関係を構築していたポールソン氏のお膳立てで、半年ごとに米中経済戦略会議が開催されることになった。本稿が掲載されている時は既に終了しているが、第1回は北京において12月15、16日に開かれる。

米側出席者にFRBのバーナンキ議長、中国側は呉儀副首相、財務省と中央銀行である人民銀行総裁などである。胡主席や温首相との首脳会談もあるそうだ。米国側は、人民元改革の加速を促すことで貿易不均衡の是正を図るとともに、金融市場の整備、知的財産権の保護強化も訴える意向だといわれている。

このように元ドル相場といった短期的な問題だけでなく、中長期の課題も総合的に話し合うという点がミソであろう。ポールソン氏は「人民元の上昇は良いことだ。中国にとっても、我々にとっても、さらには世界全体にとっても」と語り、一層の人民元相場の切り上げが必要との見方を示したと報道されているが、国内向けのポーズとしか考えられない。為替レートの人為的な調整とその結果引き起こされる通貨切上げ国における景気対策としての金融緩和や財政規律の緩みが、結局はバブルなどによる経済全体の変動を大きくし関係国、ひいては世界経済にとっても良い結果にならないことは、85年のプラザ合意以降の日本の経済政策の失敗で明らかである。その轍を中国が踏むとは思えないし、米国にとっても結局得策といえるかどうか。

このため為替レート調整について、プラザ合意のような劇的な調整が発表されるとは考えにくい。劇的な調整は、中国内の輸出産業にとって大きな打撃となり、過熱気味の中国経済を一気に冷やしてしまうであろう。そうなれば中国共産党は政治基盤がもはやもたないところまで来ている。加えて少々の人民元高では米国の赤字は大幅には減らない。原油高がすでに所与となっているため、原油輸入に伴う米国の赤字は恒常的に発生するからである。

今後の世界経済の枠組み決定の場

そうすると、短期的な為替相場調整という点ではなく、米中間の経済関係の首脳による初のハイレベルな定期会合の場であるということにこの会議の意義がある。世界の為替相場の水準問題など経済政策の調整は、80年代は日米2国で、その後欧州連合も加えた3極で決まってきた。しかし現在起こっている問題の根っこは米国人の消費の多さとそれに見合う中国における生産増加だとすると、2超大国で話し合うのが合理的である。結局経済力の大きな地域同士の話し合いとならざるを得ない。今後は、影響力の大きい2大国の話し合いで、さまざまなデファクト・スタンダードが決められていくであろう。2超大国の首脳が年に2回も会えば、その場が世界のトーンを決めていく場になることは確実である。その経済規模からみてこれにEUが加わる可能性がある。日本は、単独では難しいかもしれない。そうなると一流クラブからの転落が必至となる。その場合、外交力への影響は必至であろう。

もちろん国による通貨調整が経済政策として適当でないとすれば、米中で何を話し合うかは問題になりうる。米国人の消費態度や財政支出、中国の生産過熱などは、貿易不均衡解消には必要ながら言い過ぎると内政干渉になるのでマイルドな要望にとどまるほかない。結局、この会議は政治色を非常に帯びたものになろう。

小国日本としてはG3やG7といった国際会議がなんのために必要なのかについて筋論を主張しつつ、経済政策の国際協調にどういう態度で臨むのか考える時期に来たといえる。FT紙にまったく名前の出ない日本の財務大臣に、その構想力があるかどうかが今後の世界経済の枠組み決定の場問われるべきであろう。

(2006年12月13日脱稿)

 

第41回 ブラウン氏は次の首相として適当か

ブラウン氏評価のポイント

他に人がいないから多分次期首相になると思うが、決着がつく前のこの時期に、改めてゴードン・ブラウン財相を積極的に評価するのかどうか考えておいてもよい。何回か彼の演説を聞いたが(1回はかぶりつきで)、時を経るごとに自信を増しており、声も大きく、メリハリも利いてきた。内容は英国国内のことよりも、むしろ欧州全体やアフリカ問題などグローバルな視点とこの点での英国の強みを強調することが多く、世界のリーダーとしての自負心を感じる。しかし、3年前に聞いたブレア首相の演説には大分及ばないように思う。なぜであろうか。

持って生まれた花というのはどうしようもないのでこの点は置いておくとして、国内政治で語るべき夢がないことが最大の問題であろう。ブレア首相の敷いた第3の道の先にあるものが特に見えない英国民に対し首相候補は夢を語る必要があるが、聞こえてくるのは外交やグローバルな話ばかりである。超大国の米国やせいぜい中国以外の国の政治家にとって、国際政治は政治家の業績や力量を計る材料としては普通二次的なものである。国民は国内政治の結果によって主に政治家を選ぶ。国際政治は、国内の目をそらしたり、国内をある方向に誘導したりする時に効果的に使える道具立てとしての意味を持っていると考えた方がよい(もちろん筆者は英連邦やEUを通じた英国の隠然たる外交力を評価しないものではないし、こうした視点も英国を見る上では極めて重要と思うが、本稿では国内政治に着目する)。「戦い取らない政権は短命」という政治の鉄則から見て、ブラウン財相の業績を振り返りつつ、国内的に何を目指しているのか、戦っているのかを問うてみたい。

ブラウン財相の国内業績

ブラウン財相就任以来の目立つ国内的業績は2つあると言われている。1つはマクロ経済政策の枠組みを一新したことと、もう1つはその枠組みをだましだまししながら徐々にNHS、教育などサッチャー政権時代に徹底的に切り詰められた社会福祉分野への投資を増やしてきたことである。

1997年の財相就任直後の金融政策で行ったイングランド銀行への移管、財政ルール作り(1つの景気サイクル内では、投資的財政支出に見合う分以外の借金をネットでは行わないというゴールデン・ルール)は、経済学の背景を持った施策として市場でも高く評価されている。もっとも、こうした政策による好景気はブラウン氏の単独の功績とは言えない。むしろサッチャー政権下での財政規律の回復、構造改革、これに伴うポンドの安定こそがマクロ経済政策の枠組み変更の大前提であって、ブレア、ブラウンの業績とは言いにくい。むしろニュー・レイバーの功績は、企業の国有化をうたっていた労働党綱領旧第4条を削除したことであろう。しかし、これは後向きの政策を排除しただけで、付加価値はほとんどない。前政権が用意した緊縮財政と構造改革の余得で、社会福祉分野への投資を増やすのは誰でも出来ることであり、それが効率よくなされていないとすれば、むしろやり方がまずいと批判される必要がある(キャメロン保守党党首は具体論でもっとここを突くべきだ)。後世の経済史家は、サッチャー氏は評価しても現在までのブレア、ブラウン氏の経済政策は、運用者としてはともかく、改革者としては評価されない可能性が高い。

どういう夢を語るか

英国で感じる最大の問題は、公的部門を含む独占または寡占組織、すなわちそれを担う中産階級や労働者のサービスの質の悪さ、非効率さである。実はいくらマクロ経済政策の枠組みがしっかりしていても、NHSや教育の理想や構想が立派でも、それを担う人材の意識や行動が変わらなければ、国民の利便は上しない。こうした組織は、独占や寡占(ここには、鉄道など国内における独占のみならず、国際弁護士など国際的に寡占を生む「英語が世界の共通語」という障壁などが広く含まれる)の上にあぐらをかいているのである。インドへのアウトソースや移民流入に危機意識があるのは、労働者の怠惰の裏返しとも言える。階級社会という面はあろうが、インド系も含めた勃興する中産階級をどのように市場原理に巻き込みつつ、弱者への保障をも重視する「第3の道」を実あるものにしていくかの方法論こそ、ブラウン氏が語るべきテーマではないか。PPP(政府と民間の共同事業)や市場化テスト(民間と公的部門とのコスト比較で事業の担い手を決める)など民営化手法をいくら工夫しても、結局その現場の担い手の多面的な気働きをどう引き出すのかが鍵だ。集団で付加価値を上げる点で優れているトヨタに学ぶべき点が多いと思うがどうだろうか(逆に日本企業トップは構想力のなさが問題であり、この点は英国のリーダーに学ぶべき点が多い)。12月6日発表のプレバジェット・レポートの評価も、こうした内容を含んでいるかどうかで評価するのがよいと思う

(2006年11月28日脱稿)

 

第40回 先進国の国内政治の行き詰まり(米国中間選挙から)

米国中間選挙の結果

米国中間選挙において、民主党が12年ぶりに下院の過半数を取り返した。しかし圧勝とは決していえない。長過ぎる共和党政権疲れが選挙争点の主役で、米国のイラクでのもたつきや共和党議員の相次ぐ不祥事がブッシュ批判票となったものの、米国経済の好調の下ではその批判も民主党の地滑り的な勝利にはつながらなかった。両党の勢力は、むしろ拮抗したと見ておくべきではないか。

ここ2年ほど、こうした拮抗する選挙結果が多く見られる。ドイツの大連立(メルケル首相)然り、イタリアの左派連立(プロディ首相)然り。予想するに来年行われるフランス大統領選挙でも、サルコジ内相とロワイヤル女史との一騎打ちでは、かなりの接戦となるだろう。現状が続けば、英国でも労働党のブラウン次期首相候補とキャメロン保守党党首の人気も拮抗するのではないか。

こうした拮抗が続くのは、イラン、イラク、北朝鮮、中東、アフリカ各国など紛争や火種がある国際政治に比べて、国内政治では与野党の主張に大きな差がないためと考える。ラムズフェルド国防長官が更迭されたが、これは国際政治の関係だ。

与野党の主張に差がない理由

国内政治の主な仕事は、治安維持などの夜警国家的な部分を除けば、経済の状態を与件として、短期的、長期的に国内における所得の再分配を仕組むことである。取る方の税金、与える方の年金・補助金、公共工事、教育などいずれも、資本主義、自由主義社会に生きる人々にとっての目先の痛みを和らげつつ、長期的に国の成長を継続させるためにより効率的に資源を配分する機能を担っている。

この点について、与野党の主張の差が小さかったり、各国民に理解できない程度の差しかないのは、世界経済が好調なため、各国がその恩恵を受けており、国内で目先の所得分配を考える切迫感がないためである。こうした目先の問題に目が行き難い社会では、政策は構造改革といった中長期の問題に目が行くことになる。しかしながら、英国のサッチャー改革然り、米国のレーガン改革然り、日本の小泉内閣然り、よほど経済が行き詰っていなければ、構造改革は不人気政策なので国民に受け入れられにくい。これを成し遂げる政治家は、もちろん個人の資質も重要ながら、経済がよほど行き詰った時期に遭うという運が必要になる。経済好調の下では、より分配を拡大すべきという社会民主主義的な立場と、より競争を促進し自由に任せるべきという自由主義的な立場との差が現実にはさほど明確には出せないからだ。

国内政治の活路とは

しかし目先の切迫感がない、というのは本当だろうか。経済がグローバル化すると、一国の不況、特に米国や中国のそれは世界中に伝播する。不安定度は増したと考えるべきであろう。金融市場でも米国の中央銀行(FRB)の影響度は世界的になっている。

この観点からは、自由主義であろうが社会民主主義であろうが、政府の国内政治でもっとも重要なことは危機管理であり、社会的な混乱を抑止するためのセーフティー・ネットである。経済や市場で混乱が起きた時の回復策の点検、整備を行うことが、政治的にもっと訴えられてよいと思う。この点ハリケーン・カトリーナはブッシュ政権の国内政治での大きな減点項目となった。

次に、より大きな影響があるのは労働市場の国際化である。欧州内では東欧からの若年労働者が西欧へ流出している。また中国、インド、ロシアなど世界市場に供給される労働者の数が増えたので、ブルーカラーの賃金はこれらの国の基準に鞘さや寄せされる。この世界的な賃金の上昇鈍化が世界的なデフレをもたらし、先進国内でのホワイトカ与野党の主張に差がない理由ラーとブルーカラーとの賃金格差は拡大してきた。そしてこうしたうねりは景気の拡大と中国などの労働者の収入増加に伴う消費拡大により、インフレ方向へと舵を切りつつある。格差が拡大した後のインフレは低所得層を直撃する。政府は国内政策として、インフレに備えた財政余力の創出や金利政策の立案、労働者の再教育によるグローバル化による国内失業者のスムーズな職業転換などきめ細かい労働政策、そして移民問題に明確な方針を出すことが重要な争点となる。

ブレア政権誕生時の政治的思想は、サッチャー流自由主義でもなく、それまでの社会主義でもない、第3の道であった。しかし、それもグローバリズムの下で再定義が必要である。スローガンとしていえば、「短期的な危機管理と、長期的な社会的共通資本(教育、労働など)の整備を仕事とする比較的小さな政府」ということになろうか。これらの点を避けて通ることのない政治を行うことこそが、英仏の次期リーダーとなるべき資格と考える。

(2006年11月11日脱稿)

 

第39回 穀物価格高騰とインフレ懸念

テスコでは、パンの価格がじわじわ値上がってきたようだ。一斤2~30Pほどの値上がりだが、累積すると大きな費用になる。今年初までは、原油などエネルギー価格の値上がりに伴う農業機械の燃料値上り分を消費者に転嫁する必要があるという説明だったが、オーストラリアにおける小麦や大豆その他穀物の不作が報じられた春先頃から、どうも様子が異なってきている。小麦先物価格は9、10月と異常高騰した。小麦や大豆の価格は、いうまでもないが基本的には実際の需要(実需)と供給で決まる。加えて本欄の読者には既になじみと思うが、金融要因でも価格は上下する。いずれの要因からみても来年にかけて荒い値動きが続きそうである。今回はその背景を考えてみる。

3つの実需要因

供給面では、世界の大部分の主要小麦生産国においての異常気象の影響による小麦の世界的供給不足があるが、これは例年のような振れの範囲内なのか、地球温暖化などに伴う構造的な問題なのかを検討する必要がある。米国農産省によると、今年度の米国の小麦収穫高は過去4年中最低の5000万トン未満となると予測している。さらに今年生じた干ばつにより、小麦価格は過去10年間で最高額を記録する見込みであるという。世界最大の穀物輸出大国である米国の小麦輸出高は今年約270万トン削減され、約2450万トンになる予定だ。

より大きな問題は、不作による世界在庫の減少が一向に回復しないことであり、その主因は中国やインドからの輸入増加である。中国やインドにおける所得増加に伴う消費生活の変化が影響し始めたとみる向きが多い。一般に1人当たりのGDPが伸びるにつれて牛肉の消費量が伸びる傾向があると言われているが、中国においても牛肉の消費量が1人当たりの実質GDPと比例的に高まっている。1999年から2004年にかけて、世界に占める中国の大豆消費量は14%から 20%に上昇した。所得増加に伴うパン食の増加、牛肉嗜好による家畜飼料用の穀物輸入の急増、いずれも人口の多い大国だけに その影響は地球規模になる。

さらには、原油価格の高騰も間接的には影響がある。穀物からのエタノール燃料生産の増加が典型だ。燃料生産業者は、トウモロコシなどからエタノールを精製する。すると玉突きで、家畜用の飼料としてトウモロコシの代替に小麦が使用される傾向にあり、ますます小麦の需要は増える。EUでは2010年までに自動車が使うエネルギーの5.75%をバイオ燃料とする目標を立てており、フランスでは農民保護政策の視点も加え、独自に7%、英国では3.5%を目標としている。日本でも東京都がバス燃料の数%をバイオ燃料に置き換える予定である。

過熱を帯びる金融要因

今一つの大きな要因は金融市場における、特に今年夏場以降の穀物投資熱の高まりの影響を無視できない。金融市場は、各国中央銀行が金融引き締めを強めつつあるといっても、まだまだ金余り現象の中にいる。このため、高利を求めてマネーはヘッジ・ファンド、プライベイト・エクイティ・ファンドなどを通じて、瞬時に世界中を回っている。ここ2、3年は原油、エネルギーが最先端であったが、いまや焦点は穀物にある。

まず値上がりを見越して、実需はないものの投資や先物売却をする投資家やファンドがいる。このため金融市場の思惑も短期的な価格変動に大きな影響を与える。投機などによる価格の振幅は実需の変化がみられ、需要や供給の先行き見通しが立てにくい時ほど、思惑で激しくなる。さらに穀物ファンドといって穀物相場指標の変化を投資対象として、個人などが毎月一定額を積み立てる商品をこぞって大手証券会社は売っている。短期的な売買のみならず、長期定期な投資を行うための新たな資金が流入することで、価格の下支えをしていると考えられる。現在ドイツ銀行グループは投資資金の22.5%を小麦・トウモロコシの取引に配 分しているとの報道もある。

金融要因は、実需要因が続かないといずれは剥落してくる。しかし金融市場からみていると1年くらいはブームが続きそうであり、この間にインフレ心理に火がつくリスクは注意しておく必要があるのではないか。

21世紀は、穀物争奪の世紀であるといわれている。さらに長期の要因をみれば、穀物生産に不可欠な化学肥料の原料であるリン鉱石が枯渇し始めており、米国は輸出を止めている。さらに地球温暖化により中~低緯度の大陸での乾燥化が予想されるため、供給は減少の可能性がある。こうした思惑が広がれば短期的には振幅の拡大を伴いつつ、じわじわ価格は強含 つよふくんでいくと考えられる。その先の問題は、インフレ心理の拡 大と食料安全保障である。第三世界問題の解決は、新たな問題を引き起こすという例であり、その鍵が人間の食欲など良い生活をしたいという欲求であるとすれば、因果は巡るとの印象を持つ。

(2006年10月31日脱稿)

 

第38回 不条理の影 - 北朝鮮核実験について

経済にとって最大の問題

世界経済にとって目先、最大の懸念は、政治、安全保障問題だ。日本経済にとっては特にそうである。経済が物理問題と違うのは、理屈通りに行かないこと。偶然の歴史、特に政治や社会により左右される点である。人間社会、資本主義社会は不条理に満ちている。友人から突如連絡がなくなる。努力していても他社に負けて倒産し路頭に迷う。歴史の偶然で事故が起こり、大勢の人が巻き込まれる。後講釈はいくらでもできるが、当事者にとっては不条理なことはある。

北朝鮮核実験については「実験は成功だったのか」とか、「2回目をやるのか」とか、「6者協議はどうなるか」とか、「中国の特使が米ロを訪問する」とか、「瀬戸際外交」だとか、「実際に核を使えば体制の崩壊につながるので、使用されることは考えにくい。単なる脅迫の道具だ」という新聞記事が、欧米はもちろん、日本のマスコミにも多い。

しかし、日本や日本人にとってこの問題の焦点は別のところにある。一番大事なことは、まともとは思われない総書記の気分や、しっかりしているとは到底思えない核やミサイルの技術、管理者のうっかりミスにより、大勢の日本人の命が危機にさらされることが現実問題になったということだ。

北朝鮮にとっては、一発撃ったら自分もやられるというチキン・ゲームである。しかし、その最初の一撃を受けるのは、確実に日本なのである。日本人にとっては、隣に住む狂人が刃物をもったようなもので、その1発目に当たることは、不条理そのものだろう。日本列島に住む人は、いずれもその1発目に当たる可能性が出てきた。そういう状況下では、日本人としてはその後の米軍の反撃、戦後復興、そして事前の外交努力さえも二次的な問題としか思えない。

忍び寄る不条理の影

この点、英国はこの問題では安全圏であるし、米国もそうである。欧米のマスコミが理屈や筋を言うことは当然で、イラン問題では日本のマスコミも筋目を言っている。しかし、イランの戦略核はイスラエルを射程とし、場合により欧州を射程にする。だからこそイラン問題では、欧米のマスコミの論調は感情的ともいえる側面があるし、英仏独の外相が米国任せとせず自らイランと直接交渉する。北朝鮮核実験では、日本はまったく他国とは異なる立場におり、不条理と直面している唯一の国だということをもっと明確に認識すべきだ。この点、日本のスポーツ新聞には真実が書かれている。

こうした隣人をもったことによる不条理の影は、日本人の社会行動に大きな影響を与えると予想する。国外移住、核シェルターを考え始める人はいるであろう。スイスにおける全戸シェルターは日本にこそ必要である。もちろん北朝鮮は、核兵器を使わずとも通常兵器で十分な攻撃を日本に対してできる。しかし放射能汚染は、広島、長崎の例をみるまでもなく、半世紀以上経っても簡単には影響がなくならない。日本列島に人が住み続けられるのかという問題に日本人は直面している。

筆者は日本人の感情的な反応や、ましてやパニックを促したりしているわけでは断じてない。今そこにある危機に、冷静かつ迅速に対応する必要があるということである。外交努力、制裁など結構だが、問題の解決にはほど遠い。船舶の臨検や海上封鎖は、キューバ危機を見るまでもなく、歴史のアクシデントを誘発しかねないリスクを有する。第30回にも書いたように、どうして日本政府は、ミサイル防衛を全速で整えようとしないのか。マッハのスピードで飛び出すミサイルをGPSで位置指定し、電波の反射時差で速度を計測し、迎撃弾到着時の位置を予想することは、1つの人工衛星では容易ではない。しかし、イージス鑑のような面による複数電波による位置指定方式であれば、ある程度の精度が可能といわれている。国家はこういう時のためにあるのだ。税金の使いどころでもあるのではないか。

国家の出番と国家への警戒

ただし、国家というものは両刃の剣でもある。最大多数の最大幸福を考えると国家は、必ずしも国民全員を守るとは限らない。米国政府は真珠湾攻撃を事前に知っていたと言われている。それでもあえて米国民を鼓舞するために、日本に攻撃させたというのが通説になりつつある。国家は戦争になるとそれくらいのことは平気でする。一国民としては、不条理の影の下で、政府にミサイル防衛の即刻実施を求めつつ、シェルターや移住など自衛手段を考えることが一つの方向ではないか。欧州各国は、宗教戦争以来2回の大戦で国土が破壊され、英国を除いて存亡の危機に立った経験を持つ国が多い。日本は大和朝廷の統一以来、国家存亡の危機に初めて立ったといえるのではないか。

(2006年10月13日脱稿)

 

第37回 政治家の構想力 - 短命?ブラウン&安倍

市場の限界

経済・金融活動と政治におけるものの決め方は、前者は市場で分権的に決め、後者は民主主義のふるいにかけた後は集権的に決めるという点でそれぞれ異なっている。ソ連崩壊、サッチャー、レーガン以降、市場にできるだけ任せて、どうしても民間ではできないことを政府が行うべきだという考えが政治経済思想として力を持ってきた。金融市場の時間軸は、50年国債を売買しても、投資期間が1カ月なら1カ月に過ぎない。ここでは50年国債の価格変動に影響を与える今後50年間の金利のここ1カ月の動きを予想するのだが、50年後の経済はわからないので、10年後位の経済の姿、物価の姿はどうなるかを予想し、それを前提に中央銀行など政策当局がどう動くのかをみている。要すれば、予想は1カ月先だが、視野は10年程度というわけである。それでも10年後を超えて20年、30年後を予想することは土台難しい。50年後はいわんやである。そこまで情報がない。

政治家の構想力

EU-ETSの4半期別取引量と取引金額一方、政治家は官僚組織を使って、あらゆる情報を得ることができる。金融市場には、人々の思いが集約されるので思わぬ種がある。そこでの50年単位での問題は、地球温暖化である。1863年に英国の物理学者ジョン・チンダルが指摘したCO2の温室効果問題が、中国やインドのエネルギー消費の増大により一段と深刻さを増している。温暖化による氷山の溶解や陸地からの水分蒸発増加は雨を増やし、海水の塩分を薄める。これにより塩分が多く、かつ重い海水が従来のように大西洋に沈みこまず、英国や北ヨーロッパに緯度以上の暖かさをもたらしているメキシコ湾流の欧州大陸への巡回が、30%程度細りつつある可能性がある。これが続けば、英国の気候はカナダの寒地のようになると言われている。植物生態は急速に変化できないので、こうした経済変化による気候変動は、50年単位では農作物に大きな影響を与える。

原油や鉄鉱石など素材原料価格が落ち着きつつある今、金融市場の投機、投資対象は穀物である。今や中国は大豆貿易量の半数近くを輸入する大輸入国である。米国の穀物商社カーギル社や欧州各社はこれを取り扱っている。温暖化問題は、今や環境問題という側面だけではない。食糧問題、そして世界の安全保障問題という二重三重の深みを持ってきている。ブレア首相、ゴア米国元副大統領の環境問題へのコミットメント、中国の沈黙、そしてロンドン市場でのCO2排出権取引、いずれもこういう文脈で何を狙ったものか、読まれるべきである。

政治家のリスクとリターン

そういう意味では、政治も金融ビジネスも時間軸は違うが、構想力が重要な点では変わらない。時間軸の長い構想力を示しながら、かつ民主主義の過程で支持を受けることは難しい。しかし、それをやらなければ政治の価値はないのだ。なぜなら、それ以外のことは市場が解決していくからである。

金融の世界では、ハイリスク・ハイリターンという。リスクを取らなければ、高い結果も期待できない。政治もそうである、歴史的にみても、戦って政権を勝ち取ったのではなく、禅譲を受けた政権は長続きしない。逆に戦い取った政権は長続きする。サッチャー、ブレアしかり、中曽根、小泉しかり。

ブラウン蔵相の構想力でブレア首相を超えるものがあるのか。地方分権? アフリカ救済? 財政規律ルール? やはり社会民主主義の新しいあり方でなくてはなるまい。経済学界のいう財政金融ルールや官民共同事業はすでにブレア政権で実現してきている。公共部門が社会的に果たすべき役割は、もともと難問で、ケインズのようなブレーンでもいなければ新しいパラダイムを開くことは容易でない。一方、安倍首相の構想力は安全保障に傾斜している。しかし今や安全保障は、ブレア首相に見るまでもなく、軍事力や経済力のみでは世界的な支持は受けられないことは明らかである。環境保全、京都議定書、憲法9条、食糧問題、日本の固有性と現実政治との折り合いをつけていく構想力があるのだろうか。日本の過疎問題なども食糧問題と結び付ける構想力こそ重要だ。北海道の重要性はそこにある。構想力も十分でなく、かつ戦い取ったのではない政権は、短命に終わる。

(2006年10月1日脱稿)

 
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