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Wed, 10 December 2025

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第16回 寒い冬とガス代金に思う

今後のエネルギー問題の重要性

ビジネスでも、政治でも、無論個人の暮らしでも、ある程度先を読むことが重要である。今は大きな問題でなくても、また到底無理と思われても、10年単位では世の中は移ろうからである。筆者が今最も注目する分野として、食糧とエネルギーがある。これらを日本は自給できない。人口がこのままなら、貿易しなければ生きていけない。米国も欧州も基本的には域内で自給できる。原油価格の上昇に伴う英国でのガス代金の値上がり、エネルギー省が発表した今冬の停電対応、とエネルギー問題はすでに身辺まで影響を及ぼしてきている。

ブレア首相が先月、原発設置再開を方向づける講演を行なった。風力や太陽光発電などをバックアップする一方、原子力発電に消極的な態度を取った2003年の方針から、大きな転換である。

理由として挙げられているのは、

①中国、インドなどの需要増大を背景とする原油価格の高止まり、
②北海油田生産がピークアウトし、原油の純輸入国となった英国が、ロシアと北アフリカに依存し続けることの安全保障上のリスク(原発に必要なウランは英連邦のカナダとオーストラリアから買える一方、ロシアは19世紀以来ずっと英国の仮想敵である)、
③地球温暖化に対して二酸化炭素排出抑制の必要性、の3点である。

中国が北アフリカや中東での新規の油井採掘権を通常の2~3割増で落札するなど、国家ぐるみで国内で不足するエネルギーの確保に躍起になっていることはよく知られている。中国は、日本向けを主眼としていたサハリン沖のガス田開発にも着目している。ロシアとの蜜月関係を利用して、中国向けパイプライン敷設に向けて巻き返しを図る一方、尖閣諸島近海でのガス田確保にも熱心である。中国、インドにおける需要は今後増えることはあっても減りそうもなく、このままいけば、20年程度で世界は深刻なエネルギー不足になる恐れがあるという。インフレ懸念を通り越し、安全保障問題に繋がるであろう。第二次大戦の原因の一つには、日本が米英の石油禁輸に対抗して、生命線を確保する必要があったという面がある。このためどのようにエネルギーを確保するかは、戦後60年を経て、再び国家戦略の問題となってきた。英国とリビアのカダフィ大佐との和解もそういう文脈で理解すべきであろう。

代替エネルギーの可能性

もともとエネルギー問題は、対策を立ててその果実を得るには長い期間を要するにもかかわらず、ブレア首相はたった2年で方針転換した。原発は長く残り、その廃棄には非常にコストがかかる。特に生成するプルトニウムの毒性を再処理では完全には消し切らないまま、埋めなければならないという問題がある。仮に稼動中に事故が起これば、チェルノブイリと同じ問題に発展する。風力発電や太陽光発電を真剣に再検討する時期ではないか。もちろんブレア演説でも、こうした代替エネルギーのみでは不十分なので、原発も併用するとしているのであって、代替エネルギーを止めると言っているわけではない。

現在、シテイではこうした会社への投資セミナー、説明会が時折みられる。米国でも同様と聞いている。この背景には、エネルギーの電力への変換過程での効率性が上がってきたこと、原油などの既存エネルギー価格の上昇がある。しかし、こうした価格メカニズムのみによる代替エネルギー開発には限界がある。現に80、90年代の原油価格低迷により、こうした代替エネルギー開発は下火になってしまっていた。最近、日本で世界での鉱区入札に耐えうる規模を確保するために、帝国石油と石油公団系の国際石油開発が政府の肝入りで経営統合することが発表された。中国やインドの資源囲い込みに対抗するためにはこうしたことも必要であろう。しかし、長い目でみた戦略も同時に進んでいるのだろうか。ソーラー関係の技術を企業や国民に普及することをもっと考えるべきときではないか。石油会社は、過去の原油暴落の再来を恐れて、石油精製や油井開発に十分な投資をしていないし、今後も大規模な投資は現状では計画されていない。原油価格の現状は彼らにとって都合が良いということであろう。今月、ブラウン蔵相は、石油会社の棚ぼたの増収に対して税金をかけることを予算方針演説で表明した。石油精製や油井開発のための虎の子を奪う以上、税収は相当部分、代替エネルギー関係の開発利用促進に利用されるのではないか。純輸入国に転じたとはいえ、原油の自国消費の90%を国内生産でまかなう英国。それに対して、エネルギー効率が高いとはいえ、自給率が1%にも満たない日本でこそ、代替エネルギーについて長い目で見た議論が安全保障の見地からも極めて重要と考えるが、どうであろうか。

(2005年12月12日脱稿)

 

第15回 中産階級─日英比較の一視点

日本の中産階級

1年ぶりに日本に1週間ほど出張した。英国と異なると思った点を書いてみる。

1)東京都心は、ガラス張りの高層ビルが多く建ち、どこもピカピカである。ロンドンではあまりみないオフィス、レストラン、ホテルが一体となった雑居高層ビルにあるレストランの食事はロンドンより格段においしく、1ポンド=200円で考えると安い。スーパーマーケットの野菜の品揃えは、非常に多種で細かい。

2)東京の電車の中にいる女性は皆同じ化粧で同じ顔にみえる。夜遅く電車でコンビニのおにぎりをほおばり、ゲームボーイに熱心な小学生も気になった。街は、日本人ばかりでロンドンのようにいろいろな人種に普通に会うことはない。

3)地下鉄やJRは、ノーザン・ラインのように遅れることはまずないが、非常に混んでいる。人にぶつかることが多く、何か皆電車の中では不機嫌そうだし、寝ている人も多い。安心しきっているのか、テロに対する緊張感はない。

4)ビジネス・ホテルの客には中国人と韓国人も3分の1くらいいた。成田も関空もJRも日英のみならず中韓国語表示である。NHKが放映している「宮廷料理人チャングムの誓い」のためか韓国宮廷料理ブームのようだ。

こうした日英の差には、実は共通項があるように思う。通奏低音は、彼我の中産階級の差である。日本では、バブル崩壊で生活が苦しくなった層が増えているとはいえ中産階級が国民の大多数であるのに対し、英国では人口の20%程度である。

戦前、日本は脱亜入欧を掲げ、英国もその手本の一つであった。大学出のサラリーマンという中産階級が増加したが、それでも全体の人口の数%に留まっていた。しかし、戦後の農地解放以来、高度成長ともあいまって大学進学率が40%を超え、中産階級が勃興した。東京にはそうした人口が多い。こうした中産階級消費者の商品やレストランに対する消費者からのニーズが高く、求められる水準も高いので、市場原理に基づく激烈な競争になる。スーパー、家電、レストラン、旅行などで厳しくかつきめ細かい要求がなされる。中産階級の中での教育競争、受験戦争も厳しいものになる。弥生時代からの米作文化、江戸時代の鎖国以来の村の中での日本人だけの競争、横並び意識が全国レベルで共有されることになった。企業内競争も同じ延長線上にある。

世界経済はグローバル化している。原材料は世界中から買い集められ、製品、サービスは世界レベルで競争している。ただそれを享受できている層は世界的には一部である。日本の中産階級1億人はこれを享受している。英国では1200万人ほどではないか。最近の円安はこうした日本人の海外投資の勃興が主因である。お上が握っていた金融や教育などの規制分野がどんどん自由化され、日本の中流がレストラン選好のように金融でも目覚めつつあるようにみえる。

英国の中産階級

一方で、日本の中産階級があこがれるのは人口の20%程度しかいない英国の中上流の人々の生活である。ここでの価値は、自分の考えを持ち、自分のライフスタイルで生きるということではないか。もちろん他人にそれを押し付けることはない。英国社会の安定は、ある面で労働者階級が無理な上昇を望まないことにある(インド系の上昇志向の影響は別に論じたい)。労働者のみをみればサービスや食事への要求もそれほど厳しいものではないと思われる。

ただ、日本の消費生活の豊かさは必ずしも精神の豊かさを意味しない。農村的な集団主義とお上への過度の信頼は、個人主義、自分の頭で考えた主張を持つといった精神的な成熟を妨げている。この点、英国の中産階級には、個の成熟があるのではないか。日本人の個人的な成熟、個の確立は社会のエリート層だけの問題ではない、一種の世界史的な実験として国民のほぼ全体の成熟が問題になる。こうしたことが可能なのか、小泉改革で中流の解体が進むのか、まだよくわからない。自分の意見を持たなければ、下手をすれば集団的な未成熟が、ヒットラー登場につながる。

ここ20年ほどの間に中国とインドで中産階級が勃興してきたとき、日本のこれからの10年の経験が、彼らに対峙しうるだけのものになるかかどうかが重要だ。中印での中産階級勃興は、インフレ、食糧危機により世界経済を非常に不安定にすることになろうが、その時こそ日本の成熟が試されるときだ、と帰りの機中で考えた。

(2005年11月27日脱稿)

 

第14回 英国での定年無効法に思う

年齢差別禁止法

来年10月から英国では、企業が年齢により労働者を差別することが禁止される予定である(概要は表を参照)。定年の定めは原則無効となるし、就職に際して年齢制限を設けることも原則禁止される。では、40歳以上にだけ認めている定期健康診断の補助は?30歳未満にのみ認めている夜学の補助は?などなど、来年にはこれまで年齢という一種のシグナルにより区別をつけてきた制度を企業が残せるのかどうかが、世論を賑わすことだろう。

中でも定年無効は大きなインパクトを企業に与える。英国は、これまで独仏に比べて労働者の退職を求めやすいと言われてきた。しかしそれは仕事自体の廃止による退職(リダンダンシー)が認められやすいということであって、加齢による能力低下を立証することは容易ではない。よほど忘れ物が多くなるとか、ミスが多くなるとか、そういう具体的な証拠が必要になるだろうが、人間は誕生日を境に急に変わるものではない。

来年から施行される予定の年齢差別禁止法のポイント
● 企業が年齢を理由に労働者を差別することを禁止
● 65歳以下の定年の定めは原則無効
● 企業が、65歳以上の労働者に退職を求める場合には、労使の慎重な協議を要する(新たな手続きを創設)

新法の背景

なるほど、元気で頭のいい老人もいるし、そうでない人もいるので年齢による差別禁止はそれだけみれば極めて合理的な制度といえる。有能かどうかで判断すべきということに正面切っては反対する理由はない。しかしこの新法は、EUで定めた年齢差別禁止法のコピーであり、その背景にある欧州全体の経済問題まで考えないと評価はできない。英国も含め1970年代の欧州では、若年の失業率が20%近かった。経済の急回復が望めないときに若者を就職させるには、高齢者に早く辞めてもらうしかない。そのために定年を60歳と定める企業が多いし、政府は年金支給年齢を65歳、60歳と下げ、早期支給制度が整えられていった。

年金には課税上の優遇があるが、60歳を超えた人がそれ以外の収入を得る場合そういった措置がないこともあり、60歳以上の就業者数は80年代以降激減した(グラフ)。ところが90年代に入り寿命が延びる一方、女性の労働比率が拡大するにつれ、出生率が激減、年金財政は各国で破綻の危機を迎えている。そこで欧州委員会や各国政府が考えたのは、年金の不足部分を補うには政治的に増税は難しく、給付水準も上げられないので、年金支給年齢を上げるべく、高齢者にも働いてもらうことである。

EU法では英国より一足早く1995年に高齢者の雇用促進が決議された。

欧州における60〜64歳の労働力化率

政府の場当たり的な対応

結局、政府のしていることは、高齢者を辞めさせるために年金を拡大し、年金が破綻すれば高齢者を働かせるということである。人口の動態は、大体あらかじめ予想できるはずである。こう考えてくると定年無効法を手放しでは評価できない。これは政府の見通しの甘さのツケであり、場当たり的な対応である。この伝でいけば、高齢者が仕事を辞めず、若年者の就職が困難になれば、また来た道に戻るであろう。そうであれば最初から企業と労働者の相対交渉に任せればよいことであった。民主主義の大きな問題は、政治家が近視眼的なその場しのぎの政策をとることであり、定年無効法はその典型的なツケだ。迷惑を被るのは予想外の対応を余儀なくされる国民や企業である。それを批判できるのは国民であり、そのための判断材料を提供するのは社会の木鐸たるマスコミであるはずだ。事実の背景を国民に考えさせる報道でなければ、国民の時間の浪費を招くだけであろう。

(2005年11月7日脱稿)

 

第13回 アフリカの飢えと貧困(2)

世界経済の環の最も弱い部分

90年代以降のモノとサービス、マネーの世界的な循環の拡大は、アフリカをもその大きな環の中に巻き込んでいる。中国、インドの台頭は資源価格(特に原油)を高騰させ、その収入を巡る部族対立をアフリカに引き起こしたし、食糧価格の高騰は、豊作の場所にも飢えをもたらしている。さらに食糧不足の大きな原因としてサハラ砂漠以南の大きな気候変動があり、これは熱帯雨林の伐採の影響が大きいといわれている。 昨年のノーベル平和賞に、77年以来ケニアで植林運動を行なってきたワンガリ・マータイさんが選ばれたことは記憶に新しい。こうしてみると、アフリカに世界経済の病理が集約されている。世界的な経済圏の統合が進めば、その環の最も弱いところに病理が先鋭的に現れる。米国の弱い環はニューオーリンズの黒人(カトリーナ)だったし、英国では移民(テロ)、中国ではエネルギー不足から無理な労働を強いられる炭鉱労働者(頻繁な大規模事故)、そして世界では、アフリカの慢性的な貧困と飢えである。

サミットG8での対応

スコットランドの牧師の息子ブラウン蔵相は、アフリカ問題に強い関心を持っているといわれている。 今夏のG7で英国は、

  • IMF、世界銀行など国際機関保有の最貧国向け債権の先進国による肩代わりと減免(いわば借金棒引き)
  • 先進国による将来の援助継続約束を担保に、新たに作る基金が債券を発行し、その代わり金を最貧国に貸出(いわば援助の前倒し)
  • 最貧国の輸出拡大のためWTO新ラウンド(世界の貿易ルールを決める)で先進国の国内農業補助金削減など2015年までに10兆円近い支援を実施、などを提案。

1は実現へと向かっているが、後の2つは難航している。もともと借金を返せる経済状態ではないのだから借金棒引きのみでは問題は解決しない。

慢性的な貧困と飢えをどうするかが根本問題であり、これにはきめ細かなひとつひとつの施策が必要になる。G8のような大雑把な会議にはあまり向かないテーマではないか。

ヒントはアジアに

経済が成長すれば、貧困の問題は自動的になくなる。もちろん先進国でも地球温暖化が持続的な経済成長を難しくするといわれているように、環境問題も同時に配慮が必要である。経済成長も環境問題も、借金の棒引きや相手を選ばない食糧援助では解決にならない。結局はヒトがきっちり働くことが富を生み出すのである。そうであれば雇用=仕事の場を作ることが原点であるべきである。

アジアでは、インドや中国の貧困は克服されつつある。そしてそのモデルはわが国日本であった。江戸時代からの識字率の高さを前提として、明治政府は官営工場を各地に設立し、雇用のモデルを作った。中国の躍進も最初は国営企業からである。

公的雇用が導入部分を果たすことで、現金収入を国民に与え、市場メカニズムを通じて民間企業を育て、公的部門は徐々に役割を縮小する。働いて所得を得て、それで生活に必要なものを買う、そしてその代金は他の人の所得になる。この先進国ならあたりまえの循環こそ経済発展の鍵である。

なぜなら、そこには金を使うことによる国民の選択があるからであり、外国や政府のお仕着せや強制の余地が小さくなるからである。

これから進むべき道

最大の問題は、援助が公的な雇用を生むように使われていくためにどうすればよいかである。また往々にして非効率となる政府が、いかに効率的な経営を行なえるようにするかが問題である。援助国による監視もよいが、それでは自立が望めない。最貧国における民主主義が必要なゆえんである。民主主義のないところでは、最貧国の最底辺の人は、飢饉のときには死ぬ以外に道がなくなる。民主主義は、国民の積極的な参加があってこそ機能する。

そうだとすると援助は、雇用に加え、医療や公衆衛生はいうまでもなく、長い目で見て教育にも使われる必要がある。その上で社会の木鐸としての健全なマスコミが必要である。民衆の声なき声を吸い上げるのはマスコミであり、それが政府の独善を防ぎ、民主主義が狭隘きょうあいなナショナリズムに陥るのを防ぐ。ジンバブエでは、独裁者ムガベが依然国民の絶大なる人気を誇っている。情報公開が必要なゆえんである。

こう考えてくると、大きな公的部門、画一的な教育、競争のないマスコミ、政治家任せで自ら問題提起することの少ない国民と言う点で日本はまだまだ発展途上であるし、公的教育への支出を大きく削減したサッチャー改革への評価もまだ早いと考えるのは僕だけであろうか。世界経済の環のもっとも弱いアフリカは、先進国の病理の鏡でもある。その双対性を忘れてはなるまい。

(2005年11月3日脱稿)

 

第12回 アフリカの飢えと貧困(1)

ロンドンから見つめるアフリカ

アフリカ地図ロンドンに住んでいると、日本にいるときよりはるかにアフリカは身近だ。アフリカ出身の人が周りにもいるし、街でもそれらしき人を見かける。アフリカの報道も新聞、テレビでよく目にする。アフリカの地図をご覧いただきたい。スーダンで部族間内戦に伴う飢えと暴力にさらされる人々、ニジェールで飢える人々。原油高騰の恩恵を受けた産油地であり、パイプライン通過地域でもあるオクリカの王宮のグロテスクなまでのきらびやかさ、同じく産油国ナイジェリアで原油収入の配分を巡った部族間対立。サハラ砂漠以南では、人口の8%、妊婦の30%近くが陽性というほど広まったAIDS感染。一方でロンドンの冬でも半袖でいられる家で食べるアイスクリーム、大量に出るプラスチックゴミ(英国では分別回収によるリサイクルもない)、自家用ジェットで週末イタリアに出かけるヘッジファンドのマネジャーたち、すし屋の一貫3、4ポンドの握り。でもロンドンのアフリカ人は陽気な人が多く、英語が日本人より絶対うまい。このアンバランスをどう受け止めるのか、このまま続くのか、これが今回の問題である。第1回目は現状把握、次回からは対応策について考えたい。本題に入る前に、もう少しアフリカの現状について輪郭を見ておきたい。上の囲みを見て感じるのは、アフリカが世界経済の環の最弱点であり、それゆえに問題が集約されているということ、これからの非常に大きな発展可能性とそれが地球という星に与える影響の大きさである。

経済面での遅れの理由

次にアフリカが、どうして全体として今日のように欧米、アジアに経済面で遅れをとったのか簡単に見ておきたい。約1万年前の農業の始まり以前は、アフリカは世界の先進地域であった。アフリカのホモサピエンスは、欧州のネアンデルタール人やアジアのホモエレクトスを圧倒して人類の主流を占めていた。しかし、野生動物の家畜化と野生植物の栽培化は、人間の定住と集中、富の集積を可能とし、これが権力と専門職を産み技術発展の原動力となった。四大文明発生地でのことである。そして家畜、栽培植物そして技術はすぐにユーラシア大陸とさらに北米大陸へと、気候の類似する東西の地域へと伝播していった。ところがアフリカでは、もともと気候の関係で家畜化するような動物や野生植物が少なかったうえに、南北に長い大陸が、ユーラシアからの技術の伝播にブレーキをかけた。当然だが、南北の違いは日照時間、気候、季節の違いを意味し、動植物の適合性に大きな負担を求める。そこから先は、欧米、アジアでの権力のぶつかり合い、すなわち戦争でさらに発展した技術により、アフリカは侵略され植民地となっていった。技術移転はある程度は行なわれたが、植物はそう簡単には適合できず、農業の生産性は低いままであるし、そうであれば資本蓄積もなされず、自前の技術もできない。

発展の相対的な遅れ

そうすると自国民への教育でもますます差は開く。狩猟生活による自給自足のうちは物々交換でよいが、植民地化し欧州の文明を知ってしまうと、衣服、テレビなどを買いたいのは人間としてある意味でやむをえない。そうすると金がいる。金を得るためには、国際通貨であるドルが必要である。ドルを得るためには、何かを売る必要がある。原油など資源が豊富な国は、それを掘るのが手っ取り早い。資源のない国は、細々と農業を行い、それを近隣諸国に売るか、観光で旅行者に金を落とさせる。そうしたことさえ無理な国は、人間を輸出して、出稼ぎをして食べていくことになる(語学力を生かしてアフリカから旧宗主国へと渡る移民者は多い)。資源国では、資源を握る特定層の力が強くなる。また資源のない国でも、他に産業がないことから非常に政府の力が強くなる。ジンバブエのムガベ大統領がよい例だが、いずれにせよ独裁色の強い政治体制となりがちであり、教育水準の低さと相まって民主主義国は少ない。これが悪循環となり、富裕層から徴収する税金により政府が行なうべき医療や教育(性教育やコンドーム配布も含め)が十分でなく、伝染病やAIDSの蔓延が止まらない。一方で、欧米の商人や最近は中国までもが、政府に武器を売り、その武器がさらに暴力装置としての政府の力を強めている。こうした不安定な政情、低い教育、医療水準の国には、企業が工場進出することはないし、地元の人が起業しようと思っても、先進国の銀行は絶対に金を貸さない。私企業にとっては、あまりにリスクが高過ぎるからである。そうすると貸すことができるのは先進国政府ということになり、援助やODAが多くなされている。国連認定の世界の最貧国50カ国のうちアフリカには34カ国がある。それでも経済が改善しないので、過去の分を帳消しにして援助を増やそうというのが、今年7月のグレンイーグルスサミットでブレアとブラウンがすすめた案であった。

中国の影響

ここで注意すべき問題は、アフリカ諸国の経済状態が好転しないどころか悪化し、生死にかかわる人が出てきているのはなぜかということである。それにはここ数年程度の大きな世界経済の変化、特に中国の経済発展が関わっている。中国の工業的な経済発展は、原油など鉱物資源と穀物相場を高騰させた。鉱物資源の高騰は、アフリカの特定国の特定部族や特定の人に大きな富をもたらした。これが政情不安になり、金をめぐって内戦が起きる原因となっている。また、よく報道されるニジェールの飢えは、比較的豊作でも起こっている。これまであまり飢饉のなかったところである。しかし穀物相場の高騰は、アフリカ周辺諸国での買い急ぎを生み、ニジェールの農民は、自ら食べる分の一部まで国外輸出した。このため国内での穀物価格が急騰、大半の低所得層は穀物が買えなくなった。先進国なら輸入して安売りする人が必ずいて、価格メカニズムが働くのだが、所得の低い国では金がないため輸入ができない。中国の影響は、世界経済の環のもっとも弱いところを直撃した。次回からは、対応策の現状と希望について書きたい。

数字で見るアフリカ
■ 人口9億人、25歳以下71%、難民(国内外)3000万人弱、1歳までの死亡率10%、平均余命46歳(サハラ砂漠以南)、最大の死亡原因AIDS
■ 経済規模GDPは2004年で世界の2%(欧州は35%、米国は29%、日本は11%、中国は4%)、農業就業者66%、毎日1ドル以下の収入の人が50%超、携帯電話の普及は5200万台・鉱物資源、森林資源、観光資源が豊富
■ 民主主義国/国家数: 19/53、欧州各国の植民地でなかった国:3カ国(エチオピア、リベリア、南アフリカ*)
*英国人が入植、アパルトヘイトで支配
■ 識字率60%(ブルキナファソでは13%)
Sources: National Geography9月号

(2005年10月19日脱稿)

 

第11回 ドル暴落リスク - 為替レートの決まり方

ドルが暴落すれば

貿易収支災害にあわれた方たちには冷たい言い方であるが、ハリケーン「カトリーナ」は、良くも悪くも米国の現在を見せてくれたと思う。そして米国の現在のあり方は、世界の人々の生活に大きな関係を持っている。軍事力もさることながら、金融市場から見ると結局、米国経済、ドルの動きで大半の事象が説明できることが多い。今回は、金融面からみると世界中で一蓮托生となる国が増えているということを書きたい。ここ2〜3年、金融、為替市場での最大のテーマは、ドル暴落のリスクである。暴落というのは、例えば、数日のうちに50%以上の下落があることで、1ドル60円、1ドル1ユーロ以下まで下がることになる。そうなるとどうなるか。通貨の中でもドルは特別である。実際の貿易取引の支払いはほとんどドルでなされており、唯一世界中で通用する基軸通貨である。このため、各国の投資家、銀行は大量のドルを持っているが、暴落により大きな損失を被ることになる。そうすると倒産を避けるために株式など他の資産を売ることになり、世界の株式市場が暴落する。すると株を持っている投資家もまた他の資産を売ることになる。売る資産がない企業や人は倒産するしかない。米国経済の破綻は、そこに製品を輸出している日本や中国の企業に大きな損をもたらす。そして何より怖いのは、相対的に買われる金とユーロに対し基軸通貨ドルの値段がわからなくなることで、それによりモノの値段がわからなくなり貿易量自体が急激に縮小する恐れがあることである。ブロック経済化が横行し、世界同時不況をもたらし、死人も出る。1930年のウォール街での株価暴落が、ドイツや日本での不況を呼び、ファシズムを生んだ。これが第二次大戦に至った道である。今回は、ドルの将来について2つの説を紹介したい。

ドル暴落説

ドルが暴落するリスクがあるという考え方の根拠は、米国の貿易赤字がもはや継続不可能なレベルに達しているという考え方である。米国の貿易赤字の大きさは、現在約7000億ドル(80兆円弱)で、GDP対比では建国当初以降最大となっている(グラフ)。その頃新興国米国は国債をロンドン市場で売るのに四苦八苦していた(日露戦争の際の日本も同じ)。赤字自体は強制されたものではなく米国民の消費選択や政権選択の結果であり、善し悪しの問題はない。問題は、これが続くかどうかということである。赤字を出すということは受け取りより支払いが多いということであり、短期的には借金が必要になる。その約2割を日本が、15%をアジア諸国が、中国や産油国が4割を貸付けている。米国はそれ以上に借金をし、中国や途上国に投資をしている。金貸しは、稼ぎよりも借金が多い人には、普通は金は貸さない。さすがにこのあたりで何とかしないと、というのが、ここ3年ほどのドルのジリ安である。暴落説は、今後米国の住宅バブルが破裂するなどなんらかのきっかけにより、米国の消費者が借金できなくなり、さらにそれが米国の税収減につながり、財政赤字が増すことを懸念する。そう予想すると大量のドル売りが出る。期待と予想で動く為替相場がこれに拍車をかける。これが米国の中央銀行であるFRBの最大の心配事と言われている。

ソフトランディング説

これは米国経済社会の底力、また金融市場のショック吸収機能や政策当局の臨機の舵取りに期待する説である。一般的に取引量が多い商品の価格は、多様多数の参加者がいるため急激には変動しにくい。米国については悲観的な見方もあれば楽観的な見方もある。これらの見方の平均をとってドル相場は山谷あれど、なだらかにドル安傾向になると考える。巨大なドル債券市場の存在、外国によるファイナンス、米国の競争力の強さ、ひいては民主主義の健全性、軍事力の図抜けた強さなどを根拠に、市場は貿易赤字がゆっくり縮小するのを待つ余裕があるとの立場である。なだらかな長期金利の上昇や各国経済の対米輸出依存を低下させる努力がなされればこうした可能性もある。ただし、昨今の金融市場をみているとひとつのニュースで相場が大きく一方向に振れるなど、金融市場が問題を増幅するように機能しうることを忘れてはなるまい。

正解と対策


「カトリーナ」は米国の光と影を
浮き彫りにした

実体経済の変動が暴落を起こすのか、米国は底力があるのか?金融市場が吸収してクッションになるのか、クッションになりきれず増幅器になるのか? いずれもどちらが正しいのかは、先のことだからわからない。この点、東京での地震の可能性の議論と似ている。いつか必ず起こるが、いつかはわからない。そうだとすると正解は、いつか起こるかもしれないので備えをするということである。こうした見方によれば、米国人はもっと借金をせずに貯蓄をすべきだということになるし、ブッシュ大統領はイラクなどで財政赤字をこれ以上拡大すべきでなく、増税を行い財政を緊縮すべきだということになる。また、米国の中央銀行であるFRBは、危機時に金利を下げられるように今のうちに金利をできるだけ上げておくべきだという主張になる。現にFRBは金利を着実に上げている。ただし、ソフトランディング説の根拠は金融市場の懐の深さであり、それはこれまでの 金融緩和に支えられてきた面があることから、金利、特に長期金利の上昇は、将来の金利引下げ余地というショックに対する緩衝材を作る効果があるものの、金融市場での流動性を絞り、市場の懐を浅くすることにもなる両刃の剣である。一方、ブッシュ大統領はハリケーン「カトリーナ」 による災害復旧に多額の財政支出を余儀なくされるであろう。国民の批判の目をそらすためにばら撒き支出をするリスクもある。最悪「カトリーナ」は米国の光と影を浮き彫りにした は国民の目をそらすための北朝鮮やイランへの介入による財政赤字拡大リスクが現実になることである。これらの最悪シナリオを上書きできるだけの米国民の働き、ITの次のバイオなどでの躍進が続けば問題は生じない。「カトリーナ」のダメージが露見させた貧富の差という米国の弱さと復旧における団結、アメリカンスピリッツの強さ、どちらが本物か。パクスアメリカーナの終わりは始まっていると僕は感じている。政治経済金融の絡み合う非常におもしろい問題であるが、世界の大部分の人口にとっては他人事ではない。確かなことは、この問題が、経済の底流にうねっており、いずれ個々人の人生を翻弄するに違いないということである。

(2005年10月3日)

 

第10回 人民元バスケット制移行の意味 為替レートの決まり方(2)

人民元バスケット制

中国は7月21日、人民元のバスケット制移行を表明した。要は対ドルで、固定相場を維持するペッグ制を廃止し、人民元と貿易相手国通貨との為替レートの平均値を求め、そこから急激な変動をしないように管理していくということである。ポイントは、これまでと異なり経済実勢(ファンダメンタルズ)に見合った緩やかな変動を認め、1ドル=8・27~8人民元に固定させないということ、そして対ドル一辺倒を改めることの二点である。今回はこの意味を考える。

これまでのペッグ制

どんな国でも、経済発展を果たすにはヒト(優秀な労働力)と先立つカネ(資本)が必要である。地下資源のある国は別として、アフリカの多くの国には、これらの要素が両方とも欠けているのはご存知の通りである。

中国では毛沢東の文化大革命時に、優秀な労働者を農村に強制移住させ、海外からの資本流入も規制していたため、ヒトもカネもない状態に陥った。結果、農業の生産性すら上がらず、経済は沈滞した。そこで毛沢東の没後、77年に権力を掌握した 小平は、改革開放政策をとり、外資を導入し大学教育や海外留学を拡充する。同時に廉価な労働力を武器に単純な軽工業製品を生産、世界に輸出し始めた。80年代、90年代に日本のスーパーで買う衣料品のほとんどが中国製だったのは、まだ記憶に新しいだろう。中国は、そこで貯めた資本を元に、日本からの工場進出や技術移転という助けを借りながら、より高度な工業製品を80年代後半から作り、世界市場へと乗り出した。90年代後半からラジカセなど、また2000年頃からは、テレビにも「Made in China」の文字を見ることが多くなった。貿易立国の中途では、為替レートのひんぱんな変動(ボラタイル)は、手取額の予想がつかず、企業にとって特に大きなリスクになる。個々の企業規模がまだ未成熟で小さいため、少しの為替変動で、倒産の危機を迎えることもあるのだ。また輸出が伸び、経済成長が続くなかで為替レートを固定すると、経済力と比較してレートが自国通貨安に傾き、対外競争力が増すため、さらなる成長が期待できる。たとえば、輸出国からドルを受け取ると、人民元が多くもらえる仕組みである。このため、中国や、またかつての日本が1ドル=360円としていたように、途上国は世界の支払通貨である対ドルの固定相場制をとることが多い。

通貨バスケット制への移行

底なしの廉価な労働力を背景にした安い中国製品は世界に輸出され、その代金でより高度な製品を作る、中国人は豊かになる。その財布と安い労働力を当てに世界中から工場建設や不動産購入などで資本が中国に流れ込む。江沢民による99年のWTO加盟表明とそれによる外資流入の累増がこの循環に拍車をかけた。中国内に溢れるドルは、固定相場で人民元に換金される。放っておけばたちまち人民元が不足し人民元高、金利高となる。固定相場を維持するために中央銀行である中国人民銀行は人民元を大量に市場に供給し、人為的に金利を低く抑えた。この結果、銀行には不良債権の山が築き上げられる一方、共産党の意向通りに不採算の国営企業は延命した。

しかし、人為的低金利、つまり低い固定レートは、中国自身の需要増大により原油、鉄鉱石、セメントといった輸入原料価格の高騰と不足をもたらし、中国内でのインフレ、不動産価格高騰が深刻な問題になっていった。経済成長による所得格差拡大、バブルによる資産格差拡大、インフレによる農民所得の目減りは、共産党の基盤を揺るがしかねないところまで来た。中国共産党の今の最大の課題は農民、農業、農村の三農問題である。沿岸部との貧富の差拡大、幹部の不正横行を不満に中国内部の農村では暴動がひんぱんに起きているとBBCも放送していた。

そこで為替を切上げ、物価抑制策に出たのが今回の措置である。一気に変動相場制にいくと、増幅する投機資金により急激な人民元高になり景気を冷やし過ぎるリスクと、為替のボラタイルな動きが予想可能性を低め社会のコストになるリスクがあるので、為替介入の余地を残すとともに資本移動を完全には自由化せず、漸進主義とした。また日韓、EUとの貿易決済における円、ウォン、ユーロ決済の増加からバスケット制を取った。

今後予想される展開

①人民元は、日本の例を見てもわかるように、中国経済の成長と歩調を合わせるようにじりじり元高になる。今回程度の切上げでは中国国内のインフレ、不動産高騰は十分沈静化せず、中国政府と人民銀行はさらなる切上げを余儀なくされる。10年間寝かせることができる資産があるなら元買いである。しかし、オリンピック前後に中国経済は必ず踊り場を迎える。その時に多少損が出ても持ちこたえられる余裕資産がなければ元買いはリスクが大きい。そうした経済危機のときに、すでに共産主義を捨てた中国共産党がどこまで市場や自由主義経済を守れるか。共産党の本性を発揮すれば、投資はすべて国有化を強制されても文句は言えない。そうすれば投資はゼロになる(もちろんその時は、中国への追加投資もゼロになるので、チキンゲームだが)。そういう政治リスクが中国の危うさの一つである。欧米の大企業は、中国法に詳しい弁護士を大量に採用しつつ、中国共産党幹部にも挨拶を怠らず、硬軟両用で、即日の投資引上げが可能な体制を整えている。いつか「1日で逃げられる」と豪語していたインベストメントバンカーの言葉が印象的であった。

②さらなる切上げは、世界的な為替相場制度のあり方に問題を投げかけるだろう。世界経済が相互依存性と同期性を高めている中で、中国やインドなど新興国の劇的勃興と米国経済の緩やかな相対的役割低下が進行している。これに伴い、先進国間での変動相場制と途上国の対米ドル固定相場制(ペッグ)という70年代以来の世界通貨の枠組みに大きな変化が今後生まれうる。そこでの最大の問題は米国の財政、貿易赤字とドル暴落リスクである。次回はこれを取り上げよう。

③米国の圧力に屈した政府日銀による80年代のプラザ合意による円高誘導は、バブルの発生と崩壊を生んだことから、今では失敗と評価されることが多い。一方、現在の中国が米国からの圧力と表面的には関係なく、自らの判断で為替を切上げ、世界経済に強い存在感を示したのは一種の象徴的事件であった。今後も、2008年北京オリンピック、10年上海万博とイベントが続き、OECD加盟、G7参加、サミットG8加盟は時間の問題である。中国の政治力も当然増すので、東アジア地域での政治、軍事的緊張が高まる。日本は安全保障政策について国の形を作ることが死活問題となってきた。

(2007年9月12日脱稿)

 

第9回 民主党のマニフェストを読んで──総選挙に寄せて

日本の総選挙が9月11日に行なわれるので、政権を狙う民主党マニフェストを読んだ感想を軸に、総選挙について思うところを書きたい。

民主党マニフェストの内容

8つの約束(下表)は、「政策各論」の中から目立つ内容を抜粋し、国民にPRすることを狙ったもので新聞などではこれがよく取り上げられる。

mr.city

「政策各論」まで読んで自分なりに整理すると、民主党マニフェストのポイントは、安全保障面では日米関係を主軸とした全方位、国連中心外交。経済面では構造改革の推進と政府の無駄遣いの抑制による増税なき財政再建と推察される。

しかし、小泉自民党との大きな違い、軸の違いが見えない。もちろん、イラクからの撤退、郵政改革も貯金預入上限を1000万から500万円に下げるなど、各論レベルでは違いがある。しかし、今日本にもっとも問われるべき安全保障問題と社会的な不平等の許容度の二点についてほとんど差がない。もっと正確に言えば、各論をよく読めば対立軸がおぼろげながら浮き彫りになっているのにそれを全面に打ち出せていない。

民主党マニフェストの独自色は、強いていえば政府の無駄遣いの洗い出しである。しかし、どこが無駄か具体的な指摘が少ない。そもそも無駄かどうかは先決できるものではなく、何をやりたいかに照らして判断するものである。政策面で自民党と各論的な差しかない以上、無駄の削減には限界がある。また、そもそも誰が見ても無駄遣いという支出があるとすれば、これは世界の一流国とは到底言えず、政策論争以前の極めて低次元な問題ということになる。

安全保障問題

この欄で繰り返し述べているように、日本は今、真に第二次大戦を終わらせるチャンスにある。台湾、北朝鮮問題は焦眉の急である。問題の肝は、日米、日中関係にある。もっと言えば、日米安全保障条約を維持するのかどうかである。「政策各論」では、アジア地域で2度と戦争を起こさないための東アジア共同体作りを目指す、日米同盟をアジア太平洋の公共財として維持進化させる、中韓とも関係改善する、国連安保理常任理事国入りを目指す、イラクから年内に撤退する、とある。いずれも各論的にはもっともである。しかし全部は両立しない。国際社会に良いとこ取りが受け入れられるであろうか。日米同盟を維持して、米国を除いた東アジア共同体ができるであろうか疑問がわく。

社会的な不平等の許容度──経済政策、政府の役割

右肩上りを前提とした日本の社会制度(特に公的な制度)を低成長、人口減少社会に見合うように直すこと、すなわち構造改革を行うことは、日本経済の活力維持のためには不可欠である。誰が見てもそう思うなら、構造改革自体は選挙の論点ではない。問題は構造改革の過程で市場原理の導入が多くなると、貧しい人が受けるサービスの質が低下する。このことが教育などで起これば、さらに貧富の差が拡大するのを放置するのか、どこまで、どういう形で是正するのか、いわば社会的な不平等の許容度とその是正における政府の役割如何が論点である。

こうした観点から民主党マニフェストを評価するのに、欧州の社会民主勢力の目指している第三の道をざっと見ておくと、70年代までの英国や北欧諸国においては強い労働組合による効率的な経済への阻害、国有化企業の非効率経営、高福祉による財政破綻などの現象があった。この改善を掲げ70年代後半からより小さな政府を標榜するサッチャリズムが台頭、加えて80年代から90年代にかけての共産主義の崩壊に伴い、旧来の社会民主政党は大きな路線修正を迫られた。路線再構築後の第三の道の最大公約数は、①計画経済を放棄し(国家が経済に介入・管理することをやめる)、政府の第1の役割はリスク管理、特に危機管理とする②市場経済の行き過ぎによる不平等拡大に対する是正(所得再分配を直接行なうのではなく、機会の平等を教育、職業訓練面などで確保する)③市民社会との連帯を強化(ボランティア、NPOサポート、企業の社会的責任の強調——特に地球環境面などで)、であろう。こうした動きが、サッチャリズムやネオコンのみならず、緑の党など単独論点のみに賭ける小政党に対するアンチテーゼとして90年代後半以降に拡大した。ブレア首相はその申し子と言え、英国総選挙の労働党マニフェスト前文でも、「政府の義務は、すべての人に機会と安全を与えること」とはっきり書いてある。

政府のリスク、危機管理という観点からは、「政策各論」にある、危機管理庁(テロ、災害対応)新設、がん医療情報センターの設置などは評価できる。しかし不平等拡大に対する是正として、障害者福祉政策の改革、小児科勤務医の大幅増加など個別論点は挙げられているが、是正をどういう理念で行なうのか、どういう方法で機会の平等を確保するのか、について理念が語られていない。機会の平等で足りるのか、結果の平等のために所得再分配を行なうのか、例えば、結果の不平等は甘受しつつも、各個人が機会の平等を得うるように、教機会や職業訓練機会へのアクセスを補助するのか、現在のIT技術などでそうした不平等をカバーできないのか(僻地での郵便サービス、医療サービスなど)といった論点について理念と具体性に欠ける。

さらに、細かい詰めのなさもある。例えば、3年間で10兆円歳出を削減するというが、その分景気は悪くなり、税収が落込むと8年での財政黒字は画餅に帰す。郵便貯金預入限度の減額で起こりうる、貯金部門で働く郵政職員の解雇について正面から論じていない。

岡田民主党党首が「日本は中間層の厚みが失われ、二極化が進んでいる」と党首討論で述べているので、惜しいところまできていると思うし、各論の着眼点も悪くないものの、理念が明確でないという点で中途半端である。党内での議論と大局を描く人材の不足を感じさせる。

今後の日本の政治

民主党マニフェストのみを取り上げたのは、小泉マニフェストは、民主党のそれ以上に理念の一貫性も、細部の詰めも不十分だからである。あるのは、郵政民営化など小泉首相の信念についての非常に具体的な個別論点と大多数の「頑張ります」式の具体性のない努力目標群である。自民党は追う立場になく、民主党が争点を明確にできていないことから、戦略としてはこれでも良いのかもしれない。かえっていくつかの具体的な信念のみの方が国民の頭には残りやすいだろう。その意味で、自民党の勝ちではないか。信念の方が、中途半端な理屈よりもアピールする。

しかし、自民党が勝ったとして、小泉首相には個別論点への対応しかない。しかもそれは来年9月の自民党総裁任期までで、まして小泉首相以外の自民党には、語るに足りる理念や政策が全くない。仮に民主党が勝ったとしても、理念レベル、具体論レベルでの党内での議論不足は必ずやマニフェストの実行を妨げる。まして参議院では与党が過半数である。いずれにせよ日本の政治は動乱期に入ったと思う。これが今回の解散のポイントである。経済の行詰まり、極東のバランスオブパワーの変化に鑑みれば当然だが、経済政策(社会的不平等の許容度と政府の役割)、安全保障政策(日米安保条約の見直しの要否)軸での政党再編は不可欠である。現時点での理念や思想レベルでの議論の決定的な不足は、民主主義未成熟の証拠であるが、そうも言っておられない。極東の客観情勢はいつまでも待ってはくれない。

(2007年9月5日脱稿)

 

第8回 ポンドはなぜ高いと感じるか?為替レートの決まり方(1)

1ポンド=100円が実感?

8月15日のロンドン銀行間市場でのポンドの対円為替レート(両通貨の交換比率)は、198円50銭である(歴史的推移は表参照)。1ポンド=100円の方が実感に合うとよく言われる。それならどうして200円前後が8年も続いているのか。今回は、世界一の為替取引量があるロンドンで、為替レートの決まり方について考えてみる。

Mr.City

為替レートはどこで決まるのか

為替相場は、各通貨の交換比率(値段、レート)である。銀行間では、ドル、ユーロ、円の主要三通貨で毎日平均8000億ドル(90兆円、4500億ポンド)もの取引が行われ、毎秒刻々レートが変わる。いわば卸売価格である。一方、銀行や両替屋が個人や企業と売買するレートは、いわば小売価格で1日1回決められる。卸売にせよ小売にせよ、レートは需要と供給で決まるのだが、その需給は売買する銀行、企業、個人のニーズにより決まる。

すなわち、個人や企業は、使うため(個人なら旅行に行くため、企業ならモノやサービスを外国に売った代金を自国通貨に換えるために外国通貨を売り、また原材料購入費や外国人への給与支払のため外国通貨を買うなど)や、貯めるために街の両替屋や銀行で通貨を換える。両替屋は明日の両替に必要な分以外は銀行に預ける。こうして通貨は銀行に集中する。銀行は、企業や個人が取引に使いそうな通貨をあらかじめ買う(これを売って手数料を取る)ほか、将来価値が上がりそうな、またはすでに金利の高い通貨をあらかじめ買って運用する。注意が必要なのは、卸値は銀行だけで決められるわけではなく、背後にある個人や企業の需要もあることである。

銀行、個人、企業からの通貨ニーズは多様であり、どのニーズを重視するかによって為替レートの決まり方の説明は異なってくる。ニーズ毎に想定している期間が異なっていることから、期間毎に為替レートの決まり方を支配している要因を説明する。

為替レートの決まり方──支配的な要因

(1)1秒~1カ月(超短期)──予想銀行の為替
ディーラーの投資期間は、1日、いや1時間、極端な場合には1秒である。最近のディーラーはプレステ世代なので、速射砲のように端末を叩く。また機械取引も飛躍的に増大している。超短期の間に値上がりすると予想するか、否かが支配要因である。値上がり予想は買い、逆は売りである。この予想は、バックにある企業や個人の需要(経済のファンダメンタルズ)を基礎にしつつも、それに影響を与える政治・経済・文化的な出来事など一切合切が瞬時に考慮され、また他の人がどう思うかにも非常に影響される。黒でもみんなが白と思えば、そうなる自己実現的な世界なので、流れを読めるかという理屈を超えた世界である。ただし、短期間だけに、英国株の暴落や当局の合意による誘導(プラザ合意など)など、ディーラーの予想を極端に変える事件でもなければ、1ポンドが1日で300円や100円になることは考えにくい。また1つの要因を巡って、今日の予想と明日の予想が逆になることもありうる。予想という要素が持つ為替相場への影響は、超短期では非常に大きいが、持続性はなく、毎日の振れを説明できる。

(2)1~6カ月(短期)──他国との金利差(英国の金利高)
通貨を持つことは投資の意味を持っている。投資で重要なのは、値上がり予想と金利である。通貨への投資は、その発行国への投資という側面がある。一国の経済は半年未満では金利を除き、そう大きくは変化しない。そこで銀行、企業、個人は短期的に高い金利の通貨を持とうとする。日本の金利がゼロ、英国が4・5%と累積して差が開いてきたのでポンド高となった。日英金利差がポンド高の一因である。ただし、この説明も半年程度の動きを説明するに過ぎない。

3)6カ月~1年(中期)──景気、財政政策
1年経てば国の経済は変動する。英国で企業の投資増加や公共投資の拡大などで景気が良くなれば、通貨に対する需要が増える、このため金利が上がり、ポンド高となる。一方、景気刺激のためイングランド銀行が金利を下げると、ポンド安になる。ポンド高は日本のデフレ、英国の好景気を反映している面がある。

(4)1~10年程度(長期、超長期)──他国との物価格差、経済成長格差
長い期間でみれば、ビッグマックはどの国でも同じ値段であるべきだという考えがある。同じモノやサービスの値段を、円とポンドで表示した場合のその比率に収斂(しゅうれん)していくという考え方(専門用語で購買力平価という)で、ビッグマックが英国で2ポンド、日本で200円なら1ポンド=100円であるべきという考え方である。この考え方は、長期レートを考える基本となるものだが、2つ落とし穴がある。

1つは輸出入できないサービスの値段は、国ごとに異なるということである。英国は、金融商品と情報を人種のるつぼロンドンで取引する。帝国主義時代からその経済力、政治力を背景に長年仕向けてきた結果、他国の競合を許さず、それにより大きな所場代を稼いでいる。すなわちホテル、レストランも含めた、その周辺法人関係サービス(弁護士、会計士、アナリスト、IT、情報メディアなど)は、サービス料金が輸入できるモノよりも極めて高くなる。したがって英国内外で同じ値段に収斂する筋合いの貿易品に比べ、サービス料金も含めると英国内での生活実感は、非常な物価高になる。さらに、そうしたサービス関係は職種の給料が高いため、それらの人が買うモノは英国産、輸入品を問わず、特にロンドンでは値段が上がることになる。このため、輸入品だけで見た購買力平価よりも市場レートはポンド高になる。

もうひとつは、日本の輸出品である工業製品の質が年々良くなっており、図式的に言えば、日本は2倍性能が良い製品を同一価格で売れるようになっている。そうすると従来の製品の価格は半額になることから、そうした進歩がない英国の工業製品との購買力平価は半額の円安になる。これら2つが、特にポンドが高い要因となる。

為替レートの予想

こうした考え方は、どれか1つだけが正しいわけではなく、想定している期間内にどの要素が重視されるか、という問題である。その意味で、為替レートの将来予測をすることは際めて難しい。なぜなら、どれくらいの人がどの期間、いくら投資するのかは事前にはわからない、途中で気が変わるかもしれないなど不確定なことが多すぎる。これで「将来はわからない」ということがわかっていただけただろうか。

なお、為替相場制度の問題は、今後ますます重要性を増す。先進国間での変動相場制と途上国の対米ドル固定相場制(ペッグ)という70年代以来続いている現在の世界通貨の枠組みに今後大きな変化が生まれることもありうる。7月21日には中国が人民元の通貨バスケット制移行を表明した。なぜ、かつてのように1ドル=8・27~8人民元の固定相場ではいけないのか、次回は為替相場における応用問題を取り上げたい。

(2005年8月15日脱稿)

 

第7回 米国の光と影(4)

8月が来るたびに

小学校3年生のときの夏休み課題図書が、「8月が来るたびに」だった。広島と長崎の原爆投下を近郊に住んでいるという子供の目で描いた物語と記憶している。小学生のための本であり難しい主張があるわけではない。ただ、昭和20年8月6日と9日の事実が書かれている。今年は被爆、戦後60年ながら、僕は、最近日本において戦争は本当には終わっていないと強く感じる一方で、これを終わらせるときにこそ、日本はもっと良い国になるという気持ちが一段と強くなってきた。そして、その原点は、「8月が来るたびに」である。

戦争は終わっていない

戦争は終わっていないと感じる事象を下の表に挙げてみた。

いずれも、60年前の戦争に問題の起点がある。日本は、戦後、経済中心、安全保障は米国頼み、政治は拡大する経済のパイの分配だけを行うという国の形をとった。このため、これらの問題に対しては、その場その場での対応策はとられたものの、根本的な解決は先送りされてきた。安保闘争、三島由紀夫の割腹自殺(自衛隊問題)、沖縄返還、ベトナム戦争など解決の契機がなかったわけではないが、国民全体の問題とはならなかった。その後、将来を担う若い学生の関心は、生活のエンジョイに向かった(それ自身は悪いことではない)。思うにこれらの問題の根は一つ、「日本がどういう考えで世界と付き合うか」、である。その元に帰らなければ、各論的な解決では、問題は先送りされ将来世代の負担が増えるだけである。現在、日本が今年目指している国連安全保障理事会常任理事国入りは、中国などの反対で危ういと言われている。日本人自身がこの問題について、西洋や中国、インドとは異なる回答を持たないのでは、世界から支持されるとは思えない。日本が常任理事国になることで、他の国にどういうメリットがあるのかが見えないからである。国連への金銭的なコミットが一段と増えるというだけでは日本国民の支持すらおぼつかない。まして、表1の問題解決にもつながらない。

世界とどういう考えで付き合うか:理念

今こそ、この問題を考える機は熟してきたと思う。戦後の経済専一、政治、軍事は米国頼りでは、経済力がここまで大きくなるとやってはいけない。一方で、エネルギーと食糧を自給できない日本の経済繁栄の土台は、モノとサービスの貿易であり、他国との人の往来である。そのためには戦争やブロック経済は致命的となる。このため平和主義が出発点になる。

日本の平和主義には西洋や中国、インドにはない大きな特色がある。戦争放棄と軍隊の不保持、即ち憲法第9条である。僕は、いろいろ意見もあると思うが、戦後60年これを守り民主主義と経済発展を遂げた事実こそもっと語られて良いと思う。もちろん米国の核の傘の下にいたから守れたという面はある。自衛隊は軍隊そのものということもできる。しかし、自ら戦争を1度もしなかった、核武装もしなかった、国民を軍隊で鎮圧することもなかった。軍隊では究極の平和と繁栄は来ないことは、9・11やロンドンテロで明らかである。犯人が捕まってもロンドン在住者はまったく安心していない。元が断たれていないからである。

僕なりに整理すると、日本は、(A)軍隊なき平和……憲法9条、(B)非核三原則、(C)国連、国際機関による法の支配、(D)個人のネットワーク、市民社会と政府との共存、(E)これらを支える環境と技術への貢献、という理念を掲げることができると思う。

実務的な裏付け:法の支配、アジアの安全保障枠組み、日本人自身の語り

その上でより重要なことはこれを貫徹する地道な営為である。これが今の日本には決定的に欠けている。理念が固まっていない以上当然なのだが。現実の国際政治や経済は、駆け引きもあり、上記の理念だけではことは済まない。外交が必要な所以である。理念を現実化する手続、実務的な営為の第1は「法の支配」への貢献である。国内では、国会で議決しても特定人の人権を奪うことはできない。テロリストでも裁判なしに罰せられない。ところが、ブッシュ大統領は、テロリストに民主主義の法廷は利用させないとして、グアンタナモベイに外国人テロリスト容疑者を裁判を経ずに拘留している。こうしたことのない「法の支配」こそ平和主義を実務レベルで実行するために必要である。国連を始め国際機関への人的貢献がもっとあって良い。第2は、欧州で戦争を再度起こさぬことを理念としているEUに、アジアも習うための議論の開始である。この観点から来年2月マレーシアで開かれる予定の初の東アジアサミットは注目される。ここに米国とロシアも巻き込まないと真の対話は難しい。いずれにせよ安保条約についての議論は必須である。第3は、日本人一人一人の問題意識の深化である。家族でも、飲み屋でも、インターネットでも良い。日本人や外国人と語ることである。

日本の被爆、敗戦の経験は、被植民地国、人種差別された側、テロ被害者などの痛みに通じる面がある。もっと日本は理念を語ってほしいとの期待を僕に話したのは、ユダヤ人、パレスチナ人、クウェート人、インドネシア人、台湾人、南アフリカ人の友人たちである。多分日本製品の優秀性と日本人の律儀さのみからの判断であろうし、世辞も入っていよう。しかし、平和と交易を主軸とする勤勉経済大国日本に、ある種西洋でもない、中華思想でもないユニークネスを感じている人がいるということは、大事にすべきである。

今年の夏は、郵政公社民営化法案で日本の国内政治は混乱必至である、しかし、8月6日、9日そして15日と60年後の日々は、日本人にはより重く、軽々とは過ごせない日々である。100年前に夏目漱石が「私の個人主義」と題した講演で提唱した「自己本位」を日本人が確立する機が来ていると信じる。自己本位確立は生半かではないと覚悟しつつも、逆にそうでなければ、現在のアジアの構図は、日本自身にとって相当危ういものになってきている。

(2007年8月5日脱稿)

 
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