今後のエネルギー問題の重要性
ビジネスでも、政治でも、無論個人の暮らしでも、ある程度先を読むことが重要である。今は大きな問題でなくても、また到底無理と思われても、10年単位では世の中は移ろうからである。筆者が今最も注目する分野として、食糧とエネルギーがある。これらを日本は自給できない。人口がこのままなら、貿易しなければ生きていけない。米国も欧州も基本的には域内で自給できる。原油価格の上昇に伴う英国でのガス代金の値上がり、エネルギー省が発表した今冬の停電対応、とエネルギー問題はすでに身辺まで影響を及ぼしてきている。
ブレア首相が先月、原発設置再開を方向づける講演を行なった。風力や太陽光発電などをバックアップする一方、原子力発電に消極的な態度を取った2003年の方針から、大きな転換である。
理由として挙げられているのは、
②北海油田生産がピークアウトし、原油の純輸入国となった英国が、ロシアと北アフリカに依存し続けることの安全保障上のリスク(原発に必要なウランは英連邦のカナダとオーストラリアから買える一方、ロシアは19世紀以来ずっと英国の仮想敵である)、
③地球温暖化に対して二酸化炭素排出抑制の必要性、の3点である。
中国が北アフリカや中東での新規の油井採掘権を通常の2~3割増で落札するなど、国家ぐるみで国内で不足するエネルギーの確保に躍起になっていることはよく知られている。中国は、日本向けを主眼としていたサハリン沖のガス田開発にも着目している。ロシアとの蜜月関係を利用して、中国向けパイプライン敷設に向けて巻き返しを図る一方、尖閣諸島近海でのガス田確保にも熱心である。中国、インドにおける需要は今後増えることはあっても減りそうもなく、このままいけば、20年程度で世界は深刻なエネルギー不足になる恐れがあるという。インフレ懸念を通り越し、安全保障問題に繋がるであろう。第二次大戦の原因の一つには、日本が米英の石油禁輸に対抗して、生命線を確保する必要があったという面がある。このためどのようにエネルギーを確保するかは、戦後60年を経て、再び国家戦略の問題となってきた。英国とリビアのカダフィ大佐との和解もそういう文脈で理解すべきであろう。
代替エネルギーの可能性
もともとエネルギー問題は、対策を立ててその果実を得るには長い期間を要するにもかかわらず、ブレア首相はたった2年で方針転換した。原発は長く残り、その廃棄には非常にコストがかかる。特に生成するプルトニウムの毒性を再処理では完全には消し切らないまま、埋めなければならないという問題がある。仮に稼動中に事故が起これば、チェルノブイリと同じ問題に発展する。風力発電や太陽光発電を真剣に再検討する時期ではないか。もちろんブレア演説でも、こうした代替エネルギーのみでは不十分なので、原発も併用するとしているのであって、代替エネルギーを止めると言っているわけではない。
現在、シテイではこうした会社への投資セミナー、説明会が時折みられる。米国でも同様と聞いている。この背景には、エネルギーの電力への変換過程での効率性が上がってきたこと、原油などの既存エネルギー価格の上昇がある。しかし、こうした価格メカニズムのみによる代替エネルギー開発には限界がある。現に80、90年代の原油価格低迷により、こうした代替エネルギー開発は下火になってしまっていた。最近、日本で世界での鉱区入札に耐えうる規模を確保するために、帝国石油と石油公団系の国際石油開発が政府の肝入りで経営統合することが発表された。中国やインドの資源囲い込みに対抗するためにはこうしたことも必要であろう。しかし、長い目でみた戦略も同時に進んでいるのだろうか。ソーラー関係の技術を企業や国民に普及することをもっと考えるべきときではないか。石油会社は、過去の原油暴落の再来を恐れて、石油精製や油井開発に十分な投資をしていないし、今後も大規模な投資は現状では計画されていない。原油価格の現状は彼らにとって都合が良いということであろう。今月、ブラウン蔵相は、石油会社の棚ぼたの増収に対して税金をかけることを予算方針演説で表明した。石油精製や油井開発のための虎の子を奪う以上、税収は相当部分、代替エネルギー関係の開発利用促進に利用されるのではないか。純輸入国に転じたとはいえ、原油の自国消費の90%を国内生産でまかなう英国。それに対して、エネルギー効率が高いとはいえ、自給率が1%にも満たない日本でこそ、代替エネルギーについて長い目で見た議論が安全保障の見地からも極めて重要と考えるが、どうであろうか。
(2005年12月12日脱稿)



在留届は提出しましたか?

ロンドンに住んでいると、日本にいるときよりはるかにアフリカは身近だ。アフリカ出身の人が周りにもいるし、街でもそれらしき人を見かける。アフリカの報道も新聞、テレビでよく目にする。アフリカの地図をご覧いただきたい。スーダンで部族間内戦に伴う飢えと暴力にさらされる人々、ニジェールで飢える人々。原油高騰の恩恵を受けた産油地であり、パイプライン通過地域でもあるオクリカの王宮のグロテスクなまでのきらびやかさ、同じく産油国ナイジェリアで原油収入の配分を巡った部族間対立。サハラ砂漠以南では、人口の8%、妊婦の30%近くが陽性というほど広まったAIDS感染。一方でロンドンの冬でも半袖でいられる家で食べるアイスクリーム、大量に出るプラスチックゴミ(英国では分別回収によるリサイクルもない)、自家用ジェットで週末イタリアに出かけるヘッジファンドのマネジャーたち、すし屋の一貫3、4ポンドの握り。でもロンドンのアフリカ人は陽気な人が多く、英語が日本人より絶対うまい。このアンバランスをどう受け止めるのか、このまま続くのか、これが今回の問題である。第1回目は現状把握、次回からは対応策について考えたい。本題に入る前に、もう少しアフリカの現状について輪郭を見ておきたい。上の囲みを見て感じるのは、アフリカが世界経済の環の最弱点であり、それゆえに問題が集約されているということ、これからの非常に大きな発展可能性とそれが地球という星に与える影響の大きさである。
災害にあわれた方たちには冷たい言い方であるが、ハリケーン「カトリーナ」は、良くも悪くも米国の現在を見せてくれたと思う。そして米国の現在のあり方は、世界の人々の生活に大きな関係を持っている。軍事力もさることながら、金融市場から見ると結局、米国経済、ドルの動きで大半の事象が説明できることが多い。今回は、金融面からみると世界中で一蓮托生となる国が増えているということを書きたい。ここ2〜3年、金融、為替市場での最大のテーマは、ドル暴落のリスクである。暴落というのは、例えば、数日のうちに50%以上の下落があることで、1ドル60円、1ドル1ユーロ以下まで下がることになる。そうなるとどうなるか。通貨の中でもドルは特別である。実際の貿易取引の支払いはほとんどドルでなされており、唯一世界中で通用する基軸通貨である。このため、各国の投資家、銀行は大量のドルを持っているが、暴落により大きな損失を被ることになる。そうすると倒産を避けるために株式など他の資産を売ることになり、世界の株式市場が暴落する。すると株を持っている投資家もまた他の資産を売ることになる。売る資産がない企業や人は倒産するしかない。米国経済の破綻は、そこに製品を輸出している日本や中国の企業に大きな損をもたらす。そして何より怖いのは、相対的に買われる金とユーロに対し基軸通貨ドルの値段がわからなくなることで、それによりモノの値段がわからなくなり貿易量自体が急激に縮小する恐れがあることである。ブロック経済化が横行し、世界同時不況をもたらし、死人も出る。1930年のウォール街での株価暴落が、ドイツや日本での不況を呼び、ファシズムを生んだ。これが第二次大戦に至った道である。今回は、ドルの将来について2つの説を紹介したい。




日本の被爆、敗戦の経験は、被植民地国、人種差別された側、テロ被害者などの痛みに通じる面がある。もっと日本は理念を語ってほしいとの期待を僕に話したのは、ユダヤ人、パレスチナ人、クウェート人、インドネシア人、台湾人、南アフリカ人の友人たちである。多分日本製品の優秀性と日本人の律儀さのみからの判断であろうし、世辞も入っていよう。しかし、平和と交易を主軸とする勤勉経済大国日本に、ある種西洋でもない、中華思想でもないユニークネスを感じている人がいるということは、大事にすべきである。






