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Tue, 17 March 2026

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サー・テレンス・コンラン

ライフスタイルをデザインする男の哲学とは?
サー・テレンス・コンラン

「ライフスタイルをデザインする」。これがいまや世界を代表するデザイナーとして名を轟かす、サー・テレンス・コンランの人生スタイルだ。家具・キッチン用品・インテリアのデザイン、建築にレストラン事業……。ともすれば節操がないとも思われがちな彼の広義な活動の根底にはしかし、常にこのスタイルを支える独自のデザイン哲学が生きている。今回は、テレンス・コンランの各分野における活躍を、その底流にある哲学を通して追ってみたい。

(本誌編集部: 村上祥子)

デザインに必要なのは「常識」!?
サー・テレンス・コンランの哲学

サー・テレンス・コンラン。日本でも人気のインテリア・ショップ、「The Conran Shop」の創業者にして、モダン・ブリティッシュ料理の流れを生み出した先駆者の一人。彼は数年前、日本のとあるメディアに、こう語ったという。「デザインとは98%が常識、2%が審美的な要素」。唯一無二の芸術作品をつくり出す、そんなアート性とは対極の位置にいるデザイナー、それがコンランだ。デザイン、建築、レストラン事業など、さまざまな分野に進出し、鮮やかなイメージ戦略で話題を呼ぶ事業家としての彼と、頑ななまでにベーシックを守り続けるデザイナーとしての彼。そのすべてを支えるのは、「ライフスタイルのデザイン」というスタイルであり、「常識」を大切にする心である。衣食住という、日常生活すべての質の向上を目指す彼にとって、あらゆる分野に進出する心は、デザインとはあらゆる分野に介在すべき存在だと信じているから故であり、ベーシックを貫くその心とは、日常生活を快適に過ごす上で何より必要なのは、装飾的な美しさよりも、時代を超えて万民に受け入れられるシンプルさであると考えたからではないだろうか。

コンランは1964年、インテリア・ショップ「Habitat」をオープンさせた時にこう言った。「(Habitatは)新しい外見、新しいアイデアで常に変わり続けるためにデザインされた。しかしすべての核となるのは、クラシックなキッチン用品と家具なのだ」。そして、現在。「コンラン・スタイル」とも呼ばれる彼のコンセプトは、「モダン・クラシックと、世界中から着想を得た、新しく、興味深いプロダクトの融合」である。「常識」に、ほんの少しプラスされた個性がつくり出す、最大公約数の上質デザイン。これこそ、コンランを50年もの長きにわたり、英国デザイン界の第一人者足らしめる秘訣なのだろう。

サー・テレンス・コンランの歩み

1931年 イングランド南東部、サリー州イーシャーに生まれる
1952年 「Conran & Company」設立。家具製作や照明デザインなどを手掛ける
1956年 「Conran Design Group」設立。事業規模を拡大
1964年 インテリア・ショップ「Habitat」をオープン。数年のうちに5店舗まで拡張(1990年に売却)
1973年 セレクト・ショップ「The Conran Shop」をオープン
1983年 デザイン産業における啓蒙活動を目的とした「The Conran Foundation」を設立
1990年 The Conran Foundationが「Design Museum」をオープン
1990年 「Mothercare」「BhS」(現Bhs)、Habitatなどを束ねる「Storehouse」グループの会長職を辞任
2000年 ロンドン東部に「Great Eastern Hotel」を開業

現在のコンラン・グループ www.conran.com

Conran Holdings
コンラン・グループの親会社。Conran Limited、Conran & Partners、The Conran Shop、D & D Londonから成る
The Conran Shop
コンラン・デザインの商品と、世界中からセレクトした家具や家庭用 品を扱うショップ。1973年、ロンドン西部フラム・ロードにオープン。その後87年に現在のミシュラン・ハウスに移転する。現在ではロンドン、パリ、ニューヨーク、東京、福岡、名古屋に店舗を持つ 
Conran & Partners
建築や、インテリア/グラフィック/プロダクト・デザインを手掛ける
Conran Limited
家具や本、家庭用品などのコンラン・コレクションのライセンス関係を扱う
D & D London
世界5カ国に点在するコンラン系レストランをまとめる

2008年5月14日時点

コンランと日本の密接な関係

六本木ヒルズ(クラブ)六本木ヒルズ(クラブ)
六本木ヒルズ(レジデンス)
六本木ヒルズ(レジデンス)
The Conran Shop名古屋店
The Conran Shop名古屋店
The Conran Shopと言えば、日本でも誰もが知っている人気ショップ。近年では銀座や六本木にレストランをオープンするなど、日本におけるコンラン人気はとどまるところを知らない。そんなコンランと日本の関係が、ショップやレストラン以外にもあることは、あまり知られていないのではないだろうか。

六本木ヒルズ。2003年に開業したこの複合施設の一部の建築・デザインを、「Conran & Partners」が請け負った。担当したのは住居部分や会員制クラブ。くつろぎが何よりも大切とされる空間のデザインだ。

そして昨年、ロンドンのオックスフォード・ストリートに旗艦店をオープンさせ、注目を集めた「UNIQLO」。本ブランドの2001年英国進出第一号となったショップ数店のデザインを手掛けたのも、実はコンランだったのだ。壁一面にクロム・ワイヤーを張り巡らせ、商品を自在にディスプレイできるようにするなど、余分なデザインを排除した中にも独自の工夫が光る内装は、コンランのデザイン哲学とともに、「シンプル」「高品質」「低価格」というUNIQLOのブランド・イメージをも体現し ていると言えよう。

食の総合空間を演出
Restaurant レストラン

クアグリーノス

Qの文字をモチーフにした階段を下りると、目の前に広がるシックな大空間。新鮮な魚介類をふんだんに 使った料理とともにインテリアも人気の「Quaglino’s」

デザイン・ミュージアム

The Conran Foundationにより設 立されたデザイン・ミュージアム内部には、やはりコンランの手による「Blueprint Café」が併設。見た目も美しいモダン・ブリティッシュ料理を楽しめる(©visitlondonimages/ britainonview)

「高くてまずい」。そんな英国料理の概念を覆したのがモダン・ブリティッシュ料理だ。伝統的な英国料理のレシピに、フレンチや地中海など、世界各国の料理のエッセンスを取り入れ、新鮮な旬の食材を使うという斬新なアイデア。この概念を広く英国に浸透させた先駆者の一人が、テレンス・コンランである。そしてもう一点、レストラン業界における彼の足跡を見て感じるのが、味の追求だけでなく、食を楽しむ人々が心地良く時を過ごせるための、総合空間の演出の上手さ。デザイナーとしての本領が、ここでも発揮されている。

コンランが料理に魅せられたのは1953年、初めてパリを訪れた時のこと。そこで彼は、優れた料理や日常生活品が、いわゆる「普通の人たち」の手に届く存在であることに感動する。そしてもう一つ、彼の心を掴んだのが、ディスプレイの素晴らしさだった。パリで食事とデザインの融合という、その後のレストラン哲学のベースとなる概念を身に付けたコンランは、帰国後、ロンドン中心部に 「Soup Kitchen」というスープ専門店をオープン、話題を呼んだ。

その後、順調にデザイン業界で成功を収めていったコンランは、1990年代に入り、再びレストランに力を入れる。レストランやバー、食料品店など、食品関連のショップを融合させた「ガストロドローム」の概念を提唱。1991年には食の総合空間、「Le Pont de la Tour」を、自身が再開発を手掛けたロンドン東部の元倉庫群、バトラーズ・ワーフにオープンさせる。

この時期、コンランは「Mezzo」や「Quaglino’s」など、ロンドン中に次々とレストランを開店。レストランになる建物と地域色を考慮し、それぞれの店舗のカラーを変えるなど、デザイナーらしさを生かしつつ、現在ではパリ、東京、ニューヨークなど世界各地に事業を拡大している。

歴史的な街、ロンドンに映えるデザイン
Architecture & Interior Design 建築 / インテリア・デザイン

ミシュラン・ハウス

ロンドン西部にあるミシュラン・ハウス。1911年に建てられた歴史的建造物の一角には、現代的なガラス張りの「The Conran Shop」が。2階にはコンラン系レストランのランドマーク的存在である 「Bibendum」もある

Great Eastern Hotel

100年以上もの歴史を持つ、古い駅ホテルを改装した「Great Eastern Hotel」。建物内部を彩るのは、外観からは想像もつかないシンプルモダンな内装

無駄を省いたシャープでモダンなデザインに、色と素材の質を追求したインテリア。人々の生活のベースとなる建築/インテリア・デザイン分野では、コンランのデザイン哲学における「ベーシック」な部分が特に強調されている。そんな「ベーシック」な部分が、逆に独特の趣を醸し出しているのが、昔ながらの建築物が大切に維持されているロンドンにおけるコンラン作品の数々だ。

歴史的建造物の保存に熱心なロンドン。この地では、建築家にとっては枷とも言える、さまざまな景観基準が設けられている。しかしコンランは古い街並みや建築物を生かし、その上で迎合することなく独自のモダン・クラシック様式を取り入れることで、新しい空間を創造。それは新旧の融合、というよりはむしろ、新旧のそれぞれが主張し、その対比が一つの世界をつくり出しているかのようだ。

日の光の当たらない倉庫群だった、ロンドン東部のテムズ河沿いにある地域、シャッド・テムズ。その一角に位置するバトラーズ・ワーフに、コンランは前述の「Le Pont de la Tour」や「Butler's Wharf Chop House」など、数々のレストランを入れた。古いレンガ造りの建物の内部には、河に向かって開放された、広々とした現代的なレストラン。独特の空間が、この古びた地域を明るく、刺激的なエリアへと変貌させた。

そのほか、彼が改装を手掛けたロンドン東部、リバプール・ストリート駅に隣接するデザイナーズ・ホテル「Great Eastern Hotel」(2007年よりThe Hyatt Groupが所有。現ANdAZホテル)は、100年以上もの歴史を持つビクトリア朝時代の建物の外観と一部の内装をそのままに、ミニマリズムが貫かれたシンプルなプロダクトを配置するという、コンラン・デザインの真骨頂とも言える建築物となっている。

生活空間へのこだわりをディテールに
Product Design プロダクト・デザイン

YOTEL とフルーツスタンド

左写真)カラフルな色彩と、シンプルながらユニークなフォルムがかわいらしいフルーツ・スタンド(17.50ポンド)
右写真)狭さを感じさせない、すっきりとした内装のYOTEL

日産とコンランのコラボ

日産とコンランのコラボレーション「+CONRAN」。「MARCH+CONRAN」では、細部のデザインがキュートな、上質な革張りのソファが話題を呼んだ(©NMGB)

The Conran Shopで販売される、機能性とデザイン性が同居した家具やキッチン用品、シンプルながら、色彩やディテールに遊び心のあるギフト用品はもちろんのこと、クライアントから委託されたプロジェクトの数々にも、コンラン哲学は生きている。

Conran & Partnersは2003~6年にかけて、日本を代表する自動車メーカー、日産と「+CONRAN」プロジェクトを企画。日産の人気車、キューブ、マーチ、ラフェスタ各種のインテリア・デザインをコンラン側が担当し、期間限定車を販売した。外観とソファのコントラストを際立たせた色味、重厚な質感を感じさせる本皮ソファなど、コンランならではの生活空間へのこだわりが生かされたデザインが大人気となった。

そしてもう一つ、興味深いのが「YO! Company」との密接な関係。ロンドン中に店舗を持つ回転寿司チェーン「YO! Sushi」、そして2007年、日本のカプセル・ホテルから着想を得た格安ホテルをオープンさせ注目された「YOTEL」、高級感漂うコンランのイメージとは少し異なるようにも思えるが、彼はこのどちらのプロダクト・デザインにも関わっている。

日本の伝統的な寿司、という概念からは外れた、無国籍な雰囲気の漂うYO! Sushiの店内。その中で一際目立つ、色とりどりな食器とカバー、これこそがコンランのデザインによるもの。何でも色だけでなく、料理の温度を保てるよう、工夫されているのだとか。そしてスペースの小さい格安ホテルながら、飛行機のビジネス・クラスをイメージしたというYOTELのコンセプトを実現させたプロダクト・デザインでは、小さな空間の活用法に関する本も出版しているコンランならではのセンスが光っている。

デザイナーならではのビジネス戦略とは
Business ビジネス

NEXTとHabitat

左写真)ロンドン中、至るところにある「NEXT」ショップ。このブランドを立ち上げたのもコンランだ
右写真)「Habitat」ではいまもなお、「シンプル」「機能的」「手頃価格」という、コンランのコンセプトが生きている

デザイナーとしてだけでなく、一流の実業家としても成功しているコンラン。ここでは、彼のビジネスに焦点を当ててみよう。

ロンドンのみならず、世界に点在するインテリア・ショップ「Habitat」。1964年、ロンドンのフラム・ロードに1号店を立ち上げたコンランは、スタッフのユニフォーム・デザインをマリー・クワントに、ヘア・カットをヴィダル・サスーンに依頼するというトータルのブランドづくりで成功を収める。

コンランにとって80年代は、買収・合併による小売事業拡大の時代となった。81年にはコンランが会長を務めていた紳士服メーカー、「J Hepworth & Son」が婦人服チェーンの「Kendall & Sons」を買収、総合服飾メーカーの「NEXT」をつくり上げる。82年には子供用品大手、「Mothercare」を買収、続く86年には「British Homes Stores」デパートを吸収し、そのすべてを束ねた「Storehouse」グループを立ち上げ、会長職に就いた(90年、辞任)。

コンランはこの拡張ラッシュの最中、Mothercareのパッケージ・デザインやタイポグラフィを刷新、まずはイメージ先行の改革を行った後に、赤ちゃんが親の方を向くよう工夫されたベビーカーをつくるなど、プロダクト・デザイン部分の改善に着手するという、デザイナーならではのビジネス戦略を編み出した。

歩みを止めることなく快進撃を続けるコンラン・グループ。そんな彼らが今月15日、グループ内の再編成プランを発表した。プロダクト・グラフィックス・ブランディング部門を統括する「Studio Conran」を設立。The Conran Shopやレストラン、カフェなどが集まった総合施設をロンドン東部のショーディッチに建設予定だという。50年間にわたり、デザイン業界を賑わし続けたコンラン。これからの彼の歩みにも、目が離せない。

 

欧州進出のノウハウ UNIQLO & MUJI 対談

欧州進出のノウハウ UNIQLO & MUJI 対談

近年になって欧州、米国、そしてアジア大陸にまで進出を果たした日本の大手服飾ブランド、UNIQLOとMUJI(無印良品)。そうした世界戦略のなかでもエルメス、シャネル、 そしてルイ・ヴィトンなどの一流ブランドを生み出してきたパリでの事業は、特別な意味を持っているという。そこで同地で良きライバルとして共に活動するUNIQLOフランスのマネージング・ディレクター、ポール・マイルズさんと、MUJIフランスの社長、大槻雅人さんの対談を実施。花の都パリならではの苦労話や、ロンドンとのトレンド戦略の違いなどについて聞いた。

(聞き手:本誌編集部 柳澤創)


MUJIの大槻雅人さん(左)とユニクロのポール・マイルズさん(右)

UNIQLOもMUJIもロンドンに欧州最初の店舗を開きましたが、ロンドン市場に対してはどのような印象を持っていますか。

大槻:ロンドン子ってトレンドに敏感なんですよ。ちょっと店舗が古くなるともう来なくなる。だから、常に商品も回転させないといけません。あと、値段の違いはそれほど影響しないのと、人が入っていない店には入りませんね。

マイルズ:価格はそんなに響かないものですか?

大槻:ある程度は価格も関係します。そういった意味では、トップショップはメチャクチャ上手ですね。

マイルズ:オックスフォード・ストリートのトップショップには、どの国の、どの業界の、どんな人でも行きますね。

大槻:プレゼンがうまいんです。あのうまさがトップショップをオックスフォード・ストリートに存続させているんです。価格も幅が広いので特別安いわけではありませんが、ちゃんと分けていますよ「見せどころ」と「売りどころ」を。

マイルズ:行くと何か「お得感」のようなものを感じます。

大槻:フランスで企画モノといえば、H&Mがうまいですね。

マイルズ:例えばラガーフェルドやカヴァリなどの限定デザイン。特にカヴァリの時はお客さんが並びましたね。米国では、数分で売り切れてしまったそうです。「え~数分で売り切れるんだ、うらやましい」って思いましたよ。

大槻:米国ではアバクロ(Abercrombie&Fitch)も人気がありますね。今やギャップ(GAP)を抜く勢いのブランドで、今度フランスにも進出するみたいですよ。

マイルズ:アバクロの商品はもともと狩猟関連のアウトドア中心で、エディバウアーに似てました。それが、今や方針をガラッと変えて、セクシャル路線の完全なリブランディングです。PRの仕方も独特です。男性モデルは上半身裸でムキムキ。女性は美人をそろえてますし、店内のプレゼンも面白いですよ。真っ暗なんです。

大槻:そうそう、スポットライトがポッと当たっているだけ。あまりにも暗いから、手に取っても品質の良さとかはよく分からないんだけど、でも、あのカッコ良さでついつい買っちゃうんだよね。

ユニクロ
ユニクロのフランス進出1号店、パリ西部ラデフォンス店
UNIQLO France

日本、欧州それぞれの地域の特徴とはどのようなものでしょうか。

大槻:サービスに関して言えば、やはり世界一は日本です。「いらっしゃいませ」から始まって、すべてのサービスがそろっている。一番ダメなのがフランス。でも、逆にいえばチャンスですよ。カスタマー・サービスを良くすれば、お客さんはすぐに喜んでくれますから。

マイルズ:全く同感です。

大槻:フランスの店舗は設立してからもう10年になるので、ある程度慣れてきましたが、最初の頃は社員教育でも「なんだこの国は?!」みたいな感じがありましたね。

マイルズ:僕も、フランスで初めて店員を見たときはびっくりしました。「これは違うだろ」って。日本では、商品が無くなる前に在庫を出して陳列させる、商品は気が付いたらすぐに畳み直すのが当たり前。けれど、それがこの国には全くない。決してフランスの店員が劣っているわけではないんです。「気付き」なんですよ。日本では、当たり前に行われているようなサービスに気が付いてくれれば、フランスのスタッフも伸びると思います。

大槻:MUJIも最初は大変でした。僕は商品を畳ませるところから教えたのですが、「タタメ!」って言っても畳まないんですよ。「俺はこの会社の社長だぞ」と言っても「私はあなたと面識がない」って。今でこそ笑い話ですが、最初は相当苦労しました。今、僕が社員教育で必ず行うのは、商品知識を教えることです。普段の会話は雑談が多いのですが、新商品などを入荷すると、まず商品知識をしっかり覚えてもらう。日本のサービスを無理に教えるのではなく、商品を覚えてくれると自然と社員たちもしっかりと成長してくれるんですよ。

マイルズ:まさにその通り!フランス人は興味のあることは一生懸命にやってくれます。ですから、教える時に興味を持ってくれるように教えようと努力しています。フランス人も、好きなことをやるときは残業するんですよ。

MUJI
パリのシャンゼリゼ通り近く、テルン大通りにあるMUJIテルン店
Muji France / Hajime YANAGISAWA

どのようなところに日本人と欧米人の違いを一番感じますか。

マイルズ:日本と米国の都会ではトレンドに興味を持っている人が多い。例えば、日本人がニューヨークに旅行したときに「アバクロ~」って買い求める人がたくさんいます。でも、フランスは特殊です。彼らは自分の消費バスケットを認識しているんです。靴にこれだけお金を掛けられる、カバンにはこれだけという具合に、いろんなブランドを持っています。しかも、この考え方は若い人だけでなくすべての層に当てはまります。

大槻:ロンドンも似たような面がありますね、パーツ、パーツで買うというか。でも米国で一番特徴的なのがメディアとのコミュニケーションのうまさ。店舗での演出、メディアでのPR、我々が考えつかないようなことをやってきますから。テレビを見てても「ウワァ~やられた」という感じ。消費意欲を刺激するうまさは断然米国です。

マイルズ:けれど日本進出を考えている企業があるなら、PRのうまさだけではだめです。瞬間風速はすごいかもしれませんが、日本だとそれだけではやっていけない。やはり日本では「信頼感」が一番。顧客サービスでどれだけ信用を得られるかということに尽きますね。

大槻さん大槻:僕が面白いなと思うブランドはZARAです。あそこは宣伝を一切しないんです。彼らが何に集中しているかというと「商品の回転」。10日に1回は、店の内容が全く変わりますから。お客さんにしてみれば「あ、いいな」と思っても次に来たときにはその商品は無いんです。するとどうなるかというと「う~ん、買っちゃえ」てな具合になるんですよ。僕なんか、普段あまり物を買う方ではないのですが、ZARAでは次に来たときには無いのが分かってるから買っちゃうんです。でも、家に帰って冷静に見てみたら「う~ん、イマイチ」なんてこともあるんですけどね。あの、価格戦略と商品の回転率、「もう無くなる」という恐怖感。うまい戦略です。

マイルズ:確かにZARAさんの「売り切れ御免」も戦略としてすごいと思いますが、弊社などは、お客さんがいらした時に商品がもう無いという状態は逆に恥ずかしい。常にお客さんのニーズに応えていくというのが弊社の考え方ですから。そういうことを考えると、やっぱりカルチャーの違いを感じますね。

大槻:MUJIはまさにZARAの対極ですから、ベーシックな部分をいかに維持していくかです。良質な商品とサービスを提供してお客さんの信頼を得て、固定客を少しずつ増やしていく。非常に日本的な考えなので、気の長い地道な作業ですが、それが実を結ぶと強みになっていくのです。MUJIフランスは、現在11万人以上の顧客リストを持っています。これはどういうことかというと、売り上げが落ちないんです。

マイルズさんマイルズ:他にフランスでびっくりしたのは、日本で一般的にオープン後、新規のお客さんに割引クーポン券などを配ってもリターン率は1~2%程でとても低いのですが、フランスでは、そのブランドに対しての信頼と理解があればリターン率がすごいんです。

大槻:確かに欧州ではこのリターン率が高い。特にフランスとイタリアですね。ドイツはというと、けっこう特殊で「へらぶな釣り」に似てます。ずうっと待ってから、ようやく釣り上げる感じです。その代わり一度釣ったらもう大丈夫という、ひとつの必勝パターンみたいなものがあるんですけどね。だから、ZARAのようなトレンドを追いかけて回転率の速い店舗はドイツでは今ひとつうまくいきません。逆にH&Mは売れているんです。もともと北欧系のブランドですから大きいサイズの商品がたくさんあるので、国民の体格が大きなドイツでもヒットしたのです。

マイルズ:今回UNIQLOがフランスに進出してからの課題のひとつに「サイジング」がありました。フランス国内だけでも北と南で体型が違うのに、観光地パリにはドイツやスペイン、北欧、東欧といろんな所から人が集まるじゃないですか。

大槻:以前一度だけ、うちの店舗全体でお客さんの比率調査を行いました。一番観光客が多かったのはパリ中心部マレ店です。リストを見てびっくり、ほぼ世界中の国籍がありましたね。そのリストでどの国の人がどのサイズのものを購入したかを見てみると、フランス国外から来た人の方が大き目のサイズを買うことが多かった。これは我々の勝手な解釈ですが、フランスに遊びに来られるだけの余裕がある人なので、それなりの財力がある。つまりあまりスリムな人がいないのかなという結論です。サイズとしてM(日本のL)以上。逆にフランス人はS(日本のM)サイズが圧倒的に多いです。

マイルズ:特にパンツだと違いがあからさまに出ますね。股下の長さ、ウェスト、ヒップの大きさなど。弊社では、アジア型と欧米型の2種類の他、少し価格の高い商品ではさらに細かくサイズを設定しますが、「どのように生産コストを抑えつつ良質の商品を提供できるのか」という部分が難しいところです。

大槻:今から13年前、ロンドンに最初のMUJIを立ち上げた時、我々はジョイント・ベンチャーでしたので商品はすべて日本からの輸入でスタートしました。でも、お客さんがフィッティング・ルームから出てくると、シャツは胸元が窮屈そうでしかも丈が短い、パンツはもうパツンパツン。日本サイズが欧州人に全く合っていないということを痛感しましたね。いったん日本からの輸入をストップし、東欧などを飛びまわりながら日本から持ってきたパターンを基にサイズ直しの日々が続きました。そして1997年、商品の30%分だけ欧州サイズのものを作って販売したところ、あっという間に売れたんです。その時の教訓から現在MUJIで販売しているものは、すべて欧州で制作した欧州サイズのものです。現在は次のステップとして、日本のデザイナーに欧州サイズのものをデザインしてもらい、日本、欧州共通のMUJIブランドの販売を考えています。

マイルズ:アパレル業界で、最終的に皆一体どこに持っていきたいのかと考えると「世界規格」なんですよね。そこに到達すれば、まさに金山を見つけたみたいな感じです。UNIQLOも日本のデザイン・スタジオをニューヨークに移して、デザインを変えてみたり試行錯誤しています。 ZARA、H&Mなどは、回転が速いので対応も速い。アパレル業界の2強です。

大槻:あの2社は、もう既に「世界規格」に近い部分まで来ていますね。この先の彼らの視野はおそらく、現在の客層の上下の層をターゲットに入れることです。その他にも生活雑貨の販売を始めたりと、戦略や動きは異常に速いですよ。ですから、今後我々は世界規格、世界標準という部分に速く到達して彼らの動きについて行かなければ負けてしまいます。宅配便並のスピードで製造してるんですよ。いかに相手が巨大になって力をつけてきたかというのが分かります。

Uniqlo   MUJI
Zara
オックスフォード・ストリート界隈にある(左上から時計回り)
ユニクロ、MUJI、そしてZARAの店舗

流行や限定品が好きな日本の客層に、逆輸入のような形でフランスや英国のMUJIやUNIQLOの商品を販売することは考えられますか。

マイルズ:実はUNIQLOでは既にそういった動きは始まっています。欧米のデザイナーとのタイアップで特別なラインを販売しているんです。しかし、日本では都会と地方では人気商品も違いますし、そこをどのように調整していくかというのが難しい。

大槻:都会と地方の違いという点では、フランスも一緒です。ZARAはパリだけでなく、パリ郊外から地方までたくさんの店舗を持っていますが、地方のZARAはパリの店舗とは商品の種類が違うんですよ。トレンドを追うパリとは違って、商品の回転はそれほどさせないんです。

フランスでの宣伝戦略についてお聞かせください。

大槻:欧州店舗設立後あらゆる媒体に宣伝を打ちましたが、すべてだめでした。他のブランドは、どうやってブランディングを行っているのかというのが僕の最初の疑問でした。答えは「店舗」です。どこに店舗を出すかが、ブランディングの要なんです。ここの住人がどこで、どのような消費行動を取っているのかを調べる。そして良い場所を見つけたら、そこに店舗を開店させるということです。

マイルズ:ブランドの知名度が無いと、100人が広告を見ても、5人しかその広告に気付かない。そのうち来店してくださるお客様は1~2人ぐらい。非常に打率が低いのです。ブランディングができていない間に、宣伝をいくら打っても効果は全く期待できません。

日本では当たり前のように存在している2000~3000平方メートル級の大型店舗を、将来フランスでも開店することができると思いますか。

大槻:もちろん可能ですし、是非将来は大型店舗をオープンしたいと思っています。けれど、大きな問題が1つあります。どういった商品を売っていくかということです。電化製品ひとつを取ってみても、日本とフランスでは規格も安全基準も全く違うんですよ。ですから、一つひとつ許可を取っていかなければなりません。また、仮に商品基準が承諾されたとしても、それらの商品にニーズがあるかはまた別問題です。単に日本から商品を持ってくるだけでは、大型店舗を構えてもただの器になってしまうのです。そのためには、日本からのバックアップが必要不可欠です。商品開発も欧州のニーズに合ったものが必要ですし、何よりもマンパワーですね。とても、僕ひとりではできません。

マイルズ:あとフランスで大型店舗を出すときに一番難しいのが営業許可です。この許可が非常に難しく時間も掛かる問題なのです。例えば大きな店舗をオープンさせれば目立つしインパクトもあります。でも市や区によっては「インパクトのあるものはダメ」と言われる。これは、「街の景観に合わないから」という理由のときもありますし、既存の小さな商店を守るということで大型店舗進出が無理な場合もあります。パリでの身近な例ですと、H&Mのシャンゼリゼ進出です。フランス国はH&Mのシャンゼリゼ進出を許可したのに、パリ市の回答は「ノン」。シャンゼリゼはパリの顔でもあるので、シャンゼリゼ通り組合の力は強いんですよ。この場合、大変なのは店舗を構える場所は既に確保しているのに、オープン許可が下りないので家賃だけ毎月発生している。出費だけがかさんでしまうのです。

大槻:でもシャンゼリゼに関して言えば、あの場所はひとつのマーケティング・ツールですよ。儲けよりも、ネームバリューが大事な場所ですから。一番良い広告は「シャンゼリゼ店」ということになります。どんなに広告を打つよりも、あそこにポコッと店舗を押し込むだけで、誰でもそのブランドを知っているというような錯覚が生まれますからね。ZARAはその良い例です。初めてのパリ出店が、シャンゼリゼだったんです。もちろん、ZARA自身にも出店には大きな障害もあったと思うのですが、世界進出で力を付けてきたブランドだけあって、弁護士や相談役などそうそうたるメンバーをそろえていますから違いますよ。

ユーロが高騰した結果、商品の価格を調整する必要に迫られることはありませんでしたか。

マイルズ:価格設定は、その国の市場に合わせた設定なのでユーロが高いから商品が売れないということにはなりませんね。確かに日本から来たお客様は、円換算すると高く感じてしまうかもしれませんが、ターゲットはあくまでローカル・マーケットなので障害にはなっていません。欧州ローカル市場の他社の価格設定よりもお手頃感があることが設定基準になっています。ですから、パリジェンヌから見れば弊社の価格帯は標準的、もしくは他社よりもお手頃といったところだと思います。

大槻:フランスの消費税は19.6%ですし、関税も日本よりも高い。人件費も高い。日本と同じ商品でも、日本人から見れば高いとなってしまうのはしょうがないことです。

マイルズ:分かりやすい例で言うと、ワイン付きのディナーを食べて50ユーロぐらい。これはフランスで標準的な値段です。でもこれを円換算にすると「8000円!こんな料理が」となります。ユーロが高いので円換算にすると高く感じますけど、もし1ユーロ=100円換算で計算すれば納得価格ですよね。だから、フランスでは円換算しないで現地の価格帯で判断するのが一番です。

大槻:給料もそうですよ。現在のレートで換算すると高いように思われがちですが、こちらの人に自分の給料金額を言うと「それしかもらっていないのですか?」と疑われます。

マイルズ:セールの時に、日本からお客さんが来たので案内したのですが「なんか日本とあんまり値段が変わらない」とガッカリされましたね。もちろん、セール終了間際の格安の時期に来れば、割安感を感じてもらえたかもしれません。時期によっては、日本の方が安かったりしますからね。

フランスで事業を成功させることに、特別な意味合いを感じていますか。

マイルズ:アパレルやファッション業界では、パリでの成功は重要です。日本市場にも米国市場にも影響しますし、欧州内でもモスクワや東欧、中東など、グローバルな意味で見ればパリでの成功は非常に重要です。

大槻:フランスでの成功の意味合いは、やはりZARAの成功が物語っています。92年にパリ・シャンゼリゼ通りに海外初の直営1号店(ポルトガルを除く)を出店してからは、連日大行列ができるほどの成功を収めました。それを機に一気呵成に海外出店し、そのユニークな商品戦略と出店スピードは世界を席捲、それから15年後に世界一のアパレル企業となっていきました。かつてはH&Mと同じような位置付けだったことを鑑みると、フランス、殊にパリでの成功の意味合いが理解して頂けるのではないで しょうか。

 

「英国の女たち」シリーズ 第3回 UK音楽業界の女たち

容姿、実力、キャラ、すべてが濃い!UK音楽業界の女たち

英国が世界に発信する音楽といえば、すぐに思い浮かぶのがインディーズ系のロック・バンド。でも最近それに負けじとチャートに色を添え、記録破りのヒットを飛ばしているのが女性ソロ・アーティストたちだ。アイドル・グループの一員じゃないと売れなかった時代は終わり、ようやく日の目を見ている英国の歌姫たち。英国を語る上では外せない、そして今年大注目のアーティストたちをご紹介しよう。

(本誌編集部: 國近絵美)

不幸が最高のスパイス人生も「ジャズ」な姐御肌
エイミー・ワインハウス   Amy Winehouse

1983年9月14日生まれ ロンドン出身

本名:Amy Jade Winehouse
ジャンル:ソウル、ジャズ、R&B
担当:作詞・作曲も手掛ける
Amy Winehouse

血だらけのバレエ・シューズ、剃刀の切り傷だらけの腕、マスカラが流れ落ちた頬。自傷行為にドラッグ中毒、そして投獄中の夫。もしエイミー・ワインハウスに歌がなかったら、彼女は一体どうやって生きていたのだろう。そしてもし彼女がいなかったら、英国のタブロイド紙は毎日どうやって紙面を埋めるのだろう──そんな心配をしてしまうほど、あらゆる種類の不幸を煮詰めたような濃く重い問題を抱え、そしてそのほとんどが現在進行形で大々的に報じられている彼女。それでもエイミーのCDが売れ、世界各国で賞を受賞し続ける理由は、まさに「才能」という一言につきるだろう。

03年にアルバム「Franc」でデビューし英国だけで67万枚のセールスを記録、ブリット・アワードやマーキュリー・プライズの候補入りを果たす。そして06年に発表したセカンド・アルバム「Back to Black」ではグラミー賞5冠を始めとする、ありとあらゆる賞を総なめに。先日発表された英国の30歳以下の音楽業界長者番付では資産2000万ポンド(約44億円)で堂々の10位に輝いた。トレード・マークであり「ハチの巣」と呼ばれる後頭部もっこりヘア・スタイルは知名度と共に人気を集め、あのシャネルのデザイナー、カール・ラガーフェルドをも魅了し「彼女こそミューズだ」といわしめるほど。最近ではギャラが1億円を超えるライブの依頼も続いているようで、まさに英国が世界に誇る「歌姫」に成長した。

とはいえ、エイミーには凡人離れした不幸がよく似合う。名字をもじった「Wino(安酒飲みのアル中)」という愛称そのままに、酒もドラッグも倒れるまでとことん楽しみ、去年11月から収監中の夫とは「21世紀のシドとナンシー」 ともいうべく激しい愛憎劇を繰り広げる。頬っぺたに根性焼きを入れようと、オーバードーズで入院しようと、ライブをどたキャンしようと天下御免。でも、「天城越え」をカバーさせたら天下一品、そして極妻が誰よりも似合うに違いないエイミー姐さんの激しさ、これからは音楽活動一 本に絞って欲しいところだ。


UK音楽業界を進化させた悪ガキ娘
リリー・アレン   Lily Allen

1985年5月2日生まれ ロンドン出身

本名:Lilly Rose Beatrice Allen
ジャンル:ポップ
担当:作詞・作曲、ギター
Lily Allen

ひらひらのドレスにスニーカーという出で立ちで颯爽とUK音楽業界に登場したリリー・アレン。オンラインのコミュニティ・サイト「MySpace」でデモ音源を公開しデビュー前からファン獲得に成功した、その後に続く「ネット出世型アーティスト」の先駆けだ。小鳥さんのような可憐な声とは裏腹に、日常生活を毒舌たっぷり、コックニー訛りもろ出しで唄うその姿はまさに「近所のネエちゃん」。男勝りで飾り気のないイメージと、アイドル系セレブとの口喧嘩やサイズ・ゼロ批判も手伝って、一躍全国に浸透した。

個人的な好き嫌いはともかく、リリーの英音楽業界への一番の貢献は「べったり濃厚、どこまでも追いかけます失恋女」系、あるいは「私って超セクシーでしょ」アイドル・グループ系といった、それまでメジャー受けしていた女性アーティストの枠をぶち壊したことだ。バンドが主流の英音楽界に、ポスト・リリーとして口達者な女性歌手が多く登場したのもまさに彼女が切り開いた道のおかげ。音楽もキャラも好き嫌いがはっきり別れるのはこの際ご愛嬌といったところだ。

コメディー俳優のキース・アレンを父に持ち、映画プロデューサーの母親に、弟も最近注目株の俳優という芸能一家出身のリリー。とはいえ、酒やドラッグの使用が見つかって13校もの学校を転々とし15歳でドロップアウトしたお転婆娘でもある。その同じ年には、母親に友人宅に泊まると嘘をついてイビサ島でドラッグを売って生活したり、恋人との別れを苦に自殺未遂を図り、監視つきの施設に4週間入院したりしたという、エイミー・ワインハウスもびっくりのエピソードも隠し持つ。今年初めに当時恋人であったエド・シモンズ(ケミカル・ブラザーズ)との子どもを流産してから元気が無いとはいえ、現在2枚目のアルバムを製作中。BBCにトーク・ショー「Lily Allen and Friends」を持ち、演技の世界にもかなり興味を示しているといわれる彼女、しばらくはリリー節でお茶の間を賑わしてくれることだろう。


削って磨いて商品化  人生もダイヤモンドの原石
ダフィ   Duffy

1984年6月23日生まれ ウェールズ出身

本名:Aimee Anne Duffy
ジャンル:ソウル、ポップ
担当:作詞・作曲
Duffy

モータウン風な60’sサウンド、スモーキーな声に拳を利かせた独特の歌い方、小柄ながらプリプリしたセクシーさ ──古いアルバムから取り出したような、洗練されつつも肌なじみの良い「ヴィンテージ」な雰囲気をかもし出すダフィ。そしてそれらのイメージと、ウェールズの村出身という「田舎者=素朴」なギャップが彼女の売りだ。

人口約2500人という村で10歳の頃までウェールズ語を母国語として育ったダフィは、歌手を夢見ていたものの全く手ごたえがなく、夢を諦めかけていた。だが手当たり次第に送ったデモ・テープが名インディーズ・レーベル「ラフ・トレード」の創立者に気に入られ、ロンドンに移動。元「スウェード」のバーナード・バトラーをプロデューサーに迎え、デビューするや否や大ヒット、英国ではすでにレオナ・ルイスのチャート記録を更新する勢いだ……。

こう聞くとまるで英国版シンデレラ・ストーリーだが、 ダフィの事務所が打ち出すイメージは、マドンナも所属する広報事務所という「プロ中のプロ」によって、盆栽のようにきれいに剪定されている。例えば13歳の頃に母親が再婚した際、元妻が3000ポンドで義父の暗殺者を雇っていたとか、19歳の時にオーディション番組「Wawffactor」(ウェールズ版「Xファクター」)に出場して準優勝していたとかいう話は、全く聞こえてこないのだ。そのうちダフィのソウルフルな歌声と共に、レーベル契約からデビューまでの謎の準備期間4年間の話も、聞こえてくるかも……?


ただ抱きしめて欲しい 毛布のような歌声
アデル   Adele

1988年5月5日生まれ ロンドン出身

本名:Adele Laurie Blue Adkins
ジャンル:ソウル、ジャズ
担当:作詞・作曲、ギター
Adele

「男に不自由しない限り痩せようと思わない。で、不自由してないから痩せない」。そう豪語する、日本では滅多にお目にかかれないタイプの、しかしとっても英国人らしい歌手、アデル。先月恋人がバーバリーのモデルに乗り換えた時も「絶対に痩せない」と言い切った彼女は、現在、英国音楽業界が最も注目している新人の1人だ。

「第2のエイミー・ワインハウス」として売り出されたアデルの魅力は、なんといっても圧倒的な包容力を持ち「トラフィック・ストッパー(思わず立ち止まってしまう声)」と称される声音。「お母ちゃん」と呼びかけたくなるオバタリアン・キャラも、歌い出すと一転、19歳(5月5日で20歳)とはとても思えない、酸いも甘いも知りつくした憂い漂う歌姫に激変する。シングル・デビューする前に老舗音楽番組「レイター・ウィズ・ジュールズ・ホランド」でTVデビュー、そしてアルバム発表もしていないうちから08年度のブリット・アワードで、批評家たちが最も有力な新人に贈る「Critics Choice」賞を受賞するなど、異例のラブコールを受けているのも頷ける。

一方で、タバコと下ネタとゴシップ雑誌が大好きというアデル。業界には珍しく、スパイス・ガールズやガールズ・アラウドといったバリバリのガールズ・ポップも大好きと認める正直者でもある。「将来はポップ歌手に曲を書いて、印税で暮らしていきたい」というから、意外な場所で彼女の名前を目にする日も近いかもしれない。


英国初の 「いい子」歌姫誕生
レオナ・ルイス   Leona Lewis

1985年4月3日生まれ ロンドン出身

本名:Leona Louise Lewis
ジャンル:ポップ、R&B
担当:作詞・作曲
Leona Lewis

オーディション番組「Xファクター」に出場し、審査員から「スターとしての素質がない」など厳しい意見を言われながらも見事勝者となったレオナ。「英国版『ASAYAN』出身ということは、英国版『モーニング娘。』ってこと?」という疑問は全くの杞憂で、「第2のマライア・キャリー」 と称される、歌唱力が売りの正統派ディーバなのだ。

06年に発表したデビュー・シングルが30分で5万人にダウンロードされ世界記録を樹立して以来、英国、米国のみならず全世界で様々な記録を打ち立てている、「英国の星」となったレオナ。これまで米国からの輸入に頼っていたR&Bやポップのジャンルで、米国チャートを駆け上ってぎゃふんと言わせてほしいところだ。ただ問題は、家族受けの良い「いい子ちゃん」イメージがこれから吉と出るか凶と出るか。9歳の頃から仲が良い彼氏と同棲中というのも、今の英国音楽業界では逆にちょっと浮きすぎな気も……。


リリーも絶賛のミニ・アレン
ケイト・ナッシュ   Kate Nash

1987年7月6日生まれ ロンドン出身

本名:Kate Marie Nash
ジャンル:ポップ、ロック
担当:作詞・作曲、ギター、キーボード、ベース
Kate Nash

13歳のころから作曲を始め「歌う物語作家」と呼ばれるケイトは、落語家のような機転やトンチの利いた歌詞が人気。類稀なる人間観察力と、それを歌詞に置き換えキャッチーな曲をつける才能は、まさに「第2のリリー・アレン」の謳い文句がぴったりだ。

でも実はケイトが夢見ていたキャリアは女優で、高校は演劇学科だったという。卒業後に演劇学校のオーディションに行き失敗し、失意を紛らわそうと映画を観に行ったら階段から転がり落ちて足を骨折。3週間寝たきり状態になった時に両親からエレキ・ギターをプレゼントされ、足を動かせるようになるとライブを決行した。MySpaceで発表した音源をリリー・アレンが褒めちぎったことから爆発的に人気が出て、あれよあれよという間にレーベルと契約へ。才能さえあれば「棚からぼた餅」もこんなに上手くいくものか……とため息ものだ。


逆輸入ヒットで吼える孤高の獅子
エステル   Estelle

1980年1月18日生まれ ロンドン出身

本名:Fanta Estelle Swaray
ジャンル:ヒップホップ、R&B、ラップ、ソウル
担当:作詞・作曲、プロデューサー
Estelle

04年にデビューしながらもひっそりと消え去り、今年3月にシングル「アメリカン・ボーイ」のヒットで堂々のカムバックを果たしたエステル。自身のレコード・レーベル「Stellar Ents」を持ち、20代とはとても思えない貫禄に溢れる彼女は、現代のUK音楽業界に1人立ち向かう獅子のような存在だ。「黒人女性アーティストよりも白人女性アーティストが優先されている」とか、「英国人ヒップホップ・アーティストの市場がない」とか至極まともなことを言うかと思えば、大きく的外れするのが玉にきずでもある。

アデルとダフィを名指しで「彼女たちは『黒人音楽』を歌っているっていうけど、彼女たちの音楽なんて私には何の意味もない」と罵倒。ダフィに「才能と願望さえあれば、肌の色なんて関係ない」とまっとうな反論をされている。英国に見切りをつけて米国に移動し、今回逆輸入という形でようやくヒットしたのだから、鼻息荒くなる気も分かるけれど。

ディーバたちの関係図

「世界は狭い」というけれど、UK音楽業界は本当に狭い!というわけで、今回紹介した歌姫たちの人間関係やつながりを覗いてみよう。

関係図


ブリット・スクールとは

「The BRIT School for Performing Arts & Technology」、通称「ブリット・スクール」。BRITとは「The British Record Industry Trust」の略で、所在地はロンドン南部のクロイドン。助成金を得ているが政府からは独立した機関で、パフォーマンス・アートとメディアの教育のみに焦点を絞った英国唯一の無料学校である。

英国のグラミー賞と称される「ブリット・アワード」は、学校の資金集めとして開催されていることで有名だ。ヒット・チャートを同卒業生が独占してしまいそうな、今最も勢いのある英国の「タレント養成学校」で、インディーズ系バンド「フィーリング」やグラミー賞候補入りも果たしたイモジェン・ヒープも同校の卒業生。


なぜ「第2の○○」が多いのか

ドイツ生まれのふわふわの天使、北極グマのクヌートが世界中で熱狂的な人気を集めると、その後別の北極グマが生まれる度に「新生クヌート」として大々的に紹介される今日この頃。そう、これこそが音楽業界でも顕著に見られる「便乗してしまえ現象」なのである。

例えば、エイミー・ワインハウスが爆発的に人気となると、彼女のファンたちは「同じジャンルの音楽をもっと聴きたい」という欲求を持つようになる。するとレコード会社はここぞとばかりに同類の新人を売り出しにかかり、彼女たちが好もうと好まざろうと、同じジャンルのアーティストだと分かり易いよう「第2のエイミー」と呼び大々的に宣伝するのだ。


MySpaceヒット・チャート

アーティストたちの生の声を聞くことはもちろん、今やセールスにも影響を及ぼす業界の「広告ツール」となったMySpace。今回登場したアーティストたちのヒット数で、ファンの注目度を見てみよう

1位 リリー・アレン
1570万ヒット
2位 レオナ・ルイス
1381万ヒット
3位 エイミー・ワインハウス
1250万ヒット
4位 ケイト・ナッシュ
888万ヒット
5位 アデル
295万ヒット
6位 ダフィ
225万ヒット
7位 エステル
171万ヒット

*数字は全て4月29日現在。万単位以下は省略

 

「英国の女たち」シリーズ 第2回 政界の女たち

裏で表で、英国政治を左右する政界の女たち

女は三歩下がって夫を立てる……、そんなイメージの強い日本の政治家の妻たち。しかし、ここ英国は彼女たちの存在こそが、どんな優れた政策よりも世にアピールすることがある。「英国の女たち」シリーズ第2回となる今回は、時にその美貌で、時にその聡明さで、政界の一翼を担う個性的な「政治家の妻たち」をピックアップ。自らが表舞台に立つ女性政治家たちも合わせてご紹介します。

(本誌編集部: 村上祥子)

政治家の妻たち

「カーラ・ブルーニ、ファッション外交で英国を魅了」……。今年3月、サルコジ仏大統領が英国を訪問した際、世間の注目を集めたのはブラウン首相でもサルコジ大統領でも、はたまた外交政策でもなく、有名ブランドに身を固めたカーラ・ブルーニ新仏大統領夫人の華麗な姿だった。いまや妻によって夫の政治家生命が左右される時代になったのかもしれない!?


逆境を経て強さを増す「待ちの女」
サラ・ブラウン   Sarah Brown

1963年生まれ バッキンガムシャー出身

ゴードン・ブラウン夫: ゴードン・ブラウン (英国首相)
Sarah Brown

よく見るとなかなか整った顔なのに、旦那さま同様、イマイチ「地味」なイメージが抜けきれないサラ・ブラウンさん。しかし、サラさんの「政治家の妻」としての強みは、外見以外のところにある。

結婚と同時に経営していたPR会社を辞め、夫のサポートに専念。チャリティー活動に熱心なところといい、おしとやかなイメージが強いサラさんだが、ブリストル大学在籍中には、「ザ・トレンディーズ」という「過激派」集団の中心人物として活躍。パーティーでは自身の体を金色に塗りたくったというから、そのおとなしい外見の内には燃えたぎる情熱が隠されているに違いない。

結婚に至るまでの道程は一筋縄ではいかなかった。30歳を過ぎてから仕事を介してブラウン首相と知り合い、お付き合いをすることになったサラさん。しかし何事にも慎重なブラウン首相は、付き合いは極秘、結婚を決意するまでにも数年を要したという。

結婚した後も苦難の道は続く。念願かなって生まれた女児、ジェニファー・ジェーンちゃんは生後わずか10日で早世。2003年には長男のジョン君、06年には次男のジェームズ・フレイザー君が誕生するが、次男は遺伝性疾患の嚢胞性線維症(のうほうせいせんいしょう)であることが判明。サラさんは喜びと悲しみを行ったり来たりの人生を送ることになる。

しかし、ここでめげないのがサラさんの強いところ。耐えの人生で培った根性で、夫が首相の座に付くまでの10年間を静かに乗り切り、いまや首相夫人の座に収まった。

外見の美しさだけでは、飽きられるのも早いもの。数年後、誰より強く、したたかに政界を生き抜いているのは、ひょっとしたらサラさんのような女性なのかもしれない。


好感度の秘訣は「バランス」
サマンサ・キャメロン   Samantha Cameron

1971年生まれ ノース・リンカーンシャー出身

デービッド・キャメロン夫:デービッド・キャメロン(保守党党首)
Samantha Cameron

エレガントながらカジュアルさを忘れないファッションに身を包み、高級文具店スマイソン、ボンド・ストリート店のクリエイティブ・ディレクターでありながら良妻賢母の雰囲気を程よく漂わせている、バランス感覚に優れたサマンサさん。2007年10月に行われた保守党の年次党大会では、夫の姿をつぶらな瞳で見つめる、少女マンガの主人公のような姿がメディアに注目された。

夫同様、良いところ出のお嬢さまで、父は大地主のレジナルド・シェフィールド卿。英北東部のリンカーンシャーに位置する約120万平方メートルもの広大な屋敷で育った。キャメロン氏と出会ったのは、10代のとき。キャメロン氏の妹が親友なのがきっかけだったとか。良家同士が脈々とつながっていく典型的パターンである。

その一方で、ブリストル・ポリテクニック在学中にはヒップ・ホップ・シンガーのTrickyとビリヤードに興じ、足首にはイルカの刺青を施すというワイルドな一面も。夜な夜なナイトクラブに通いまくっている割りには清潔なイメージのあるウィリアム王子のガールフレンド、ケイト・ミドルトンさんに通じるものがあると言えなくもないかも。

以前、「私はデイヴ(デービッド)に『何をどう言え』とは言わないわ。ただ彼のためにここにいたい、それだけなの」などと殊勝なことを言ったことがあるが、ある意味、夫のやることに積極的に口を出していたブレア元首相夫人、シェリーさんに対する強烈な嫌味ととれないこともない。あまり敵には回したくないタイプだ。

ちなみに彼女の曾曾曾曾曾曾曾曾祖母はスチュアート朝時代の英国国王、チャールズ2世を魅了した寵姫、ネル・グウィンとも言われている。やっぱり手強そう……。


第2のシェリー夫人なるか!?
ミリアム・ゴンザレス・デュランテス
Miriam Gonzalez Durantez

生年月日不明(39歳)スペイン出身

 ニック・クレッグ夫: ニック・クレッグ (自由民主党党首)
ミリアム・ゴンザレス<br /> ・デュランテス

昨年12月、40歳という史上最年少で政党党首となったニック・クレッグ自由民主党党首。キャメロン保守党党首とヒュー・グラントを足して2で割ったような爽やかな風貌のクレッグ氏の妻、ミリアム・ゴンザレス・デュランテスさんは、これまた漆黒の髪にエキゾチックな雰囲気が魅力的なスペイン出身の国際弁護士だ。

外務省で中東和平問題の専門家として活躍、現在は多国籍法律事務所ディーエルエー・パイパーで国際貿易部門の責任者として活躍している才媛。第一子をもうけた際には、長めの育児休暇を取ったクレッグ氏よりも早く職場に復帰したとかしないとか。弁護士という職業、夫婦別姓で通す姿勢、どことなくトニー・ブレア元首相の妻、シェリーさんを彷彿とさせるバイタリティ溢れる女性だ。

一流のキャリアウーマンにして2人の子持ち、しかも美人。すべてを兼ね備えているように思えるミリアムさん。唯一の心配事は、クレッグ氏が3月、「GQ」誌のインタビューに語った「これまでに寝たことのある女性の数は、たったの30人」発言か。浮気をしたことはあるかと聞かれ、「もちろん、そうでないことを願っているよ」とヌケヌケと答えたクレッグ氏。どんな才媛でも、夫の浮気ばかりはどうにもならない!?


閣僚にして政治家の妻
イベット・クーパー   Yvette Cooper

1969年生まれ スコットランド出身

エド・ボールズ 夫: エド・ボールズ(児童・学校・家庭相)
役職: 財務相主席担当官
Yvette Cooper

美人とは言えないかもしれないが、真ん丸の顔に愛嬌のある笑顔がキュートなイベット・クーパー。しかしその外見にだまされてはいけない。彼女こそ女性初の財務省主席担当官にして、ブラウン首相の右腕であるエド・ボールズ児童・学校・家庭相の妻という、「政治家の妻」兼「女性政治家」、いわばバリバリの「政界の女」なのである。

名門オックスフォード大学でPPE(哲学・政治学、経済学)を学んだイベットさん。学位取得後は、ケネディ奨学金を得て米ハーバード大学へ。最終的にはロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)で経済学の修士号(MSc)を取得したという、まさに「一つくらい分けてくれ」と言いたくなるようなご立派な学歴の持ち主である。

「ウェストミンスターのゴールデン・カップル」とも言われるボールズ・クーパー夫妻。結婚は1998年、現在は1男2女のお母さんでもある。出身大学、専攻、留学先が一緒、ともにジャーナリスト出身(イベットさんは「インディペンデント」紙、エド氏は「フィナンシャル・タイムズ」紙)、そして選挙区はウェスト・ヨークシャー州内のお隣同士。ソックリな経歴に加えて、これまた夫婦揃っていつでも楽しそうなえびす顔。似たもの同士のエリート・カップル、このままどこまでも仲良く政界を突っ走っていってもらいたいものである。


オトボケ加減が憎めないエリート妻
シェリー・ブレア   Cherie Blair

1954年生まれ グレート・マンチェスター出身
(仕事時には旧姓シェリー・ブースを使用)

トニー・ブレア夫: トニー・ブレア(元英国首相)
Cherie Blair

勅撰弁護士にして、政治にも積極的に口を出す、トニー・ブレア元首相夫人のシェリーさん。普通ならちょっと敬遠したくなるタイプだが、どうも憎めないのは、その天然ぶりゆえであろう。

シェリーさんのオトボケ列伝は、1997年、労働党が総選挙で勝利を収めた翌日から始まる。自宅に送られた花束を受け取りに、ボサボサ髪にパジャマ姿でご登場。張っていた報道陣を喜ばせた。その数年後には、ロンドン地下鉄で移動時にチケット不所持で御用。トドメは2006年9月、ブレア首相の進退問題が話題になっていた最中に、次期首相候補ブラウン財務相(当時)が行った首相称賛のスピーチを聞いて一言、「嘘つき」……。

長年、首相夫人の座にいたにもかかわらず、褪せることのなかったこの天真爛漫さ。「女は愛嬌」を体現している女性だ。


古き良き英国人女性の強さをここに見る
クレメンタイン・チャーチル
Clementine Churchill

1885~1977年 ロンドン出身

ウィンストン・チャーチル夫: ウィンストン・チャーチル(元英国首相)
Credit: IWM
Clementine Churchill

強烈な個性と圧倒的な指導力で、戦時中の英国を率いた名首相、ウィンストン・チャーチル。そんな夫を影で支え続けた妻、クレメンタインさんには、古き良き英国人女性のしなやかな強さがあった。

伯爵家ゆかりのお嬢様と、名門宰相のカップル。順調満帆の人生のようにも思えるが、毒舌家で躁うつ病の気があったチャーチル、そんな夫とともにあった彼女の日々は、時に波乱に満ちたものであったろう。しかし彼女の人生が幸せなものであったことは、結婚30周年目にチャーチルが語った言葉から覗える。いわく、妻には2つの欠点がある。「プロポーズをすぐに了承した軽率さ」と「30年間、こんな私に黙ってついてきた愚かさ」だ、と。ひねくれものの英国人らしい、妻への感謝と愛情に満ちた言葉から、彼がいかにクレメンタインの変わらぬ献身に救われていたかがよく分かる。


「鉄の女」を支えた糟糠の夫
デニス・サッチャー   Denis Thatcher

1915~2003年 ロンドン出身

マーガレット・サッチャー妻: マーガレット・サッチャー (元英国首相)
Denis Thatcher

どんな妻よりも妻らしく、英国初の女性首相を温かく包み込んだ「ファースト・ジェントルマン」。

ジン・トニックをこよなく愛し、メディアの前では妻を「ボス」と呼ぶ。サッチャー家では誰がズボンを履くのかと聞かれた時には「僕さ。そして僕が洗って僕がアイロンをかける」と答えた、英国的ユーモアに溢れた人柄は人々に愛され、サッチャー元首相のイメージアップにもつながった。

デニスさんが亡くなったとき、元首相はこう言ったという。「首相とは孤独なもの。でもデニスがいれば、私は決して一人ではなかった。なんという男性、なんという夫、なんという友だったのでしょう」。表舞台にはほとんど出ることのなかったデニスさん。しかし元首相にとって彼は、光に寄り添う影として、かけがえのない存在だったのだろう。

女性政治家編

「9対8」。この比率が何を示しているか、お分かりだろうか。実はこの数字、つい先日発表された、スペイン内閣における女男比の割合なのである。このほか、フィンランドが12対8、ノルウェーが10対8と、欧州における女性政治家の躍進には目覚ましいものがある。ここでは過去・現在・未来における英国政治の舞台で活躍する、女性政治家たちの姿を追ってみよう。


仕事にも恋愛にも全力投球の女闘士
クレア・ショート   Clare Short

1946年生まれ バーミンガム出身

役職: 下院議員。元国際開発相
Clare Short

英国のイラク戦争参戦に徹底反対、政府が国連で盗聴している事実を暴露して話題になった「情熱の女闘士」。真一文字に結ばれた唇からも、その意志の強さがうかがえる。

なにしろこの人の信念の貫き方は半端じゃない。17歳のときに未婚の母となり、翌年に結婚するもすぐに離婚。生まれた子どもは養子に出した。1983年に労働党員として下院議員に当選以来、初代国際開発相に任命されるなど出世街道をひた走ったが、その間も2度、影の内閣時代に党の方針に反対して職を辞している。

2003年には、政府が国連決議を経ずにイラク戦争に参戦したことに対し、閣僚を辞任すると息巻くも、このときにはなぜか態度を保留。しかし、いつまでも煮え切らないブレア首相(当時)に業を煮やし、結局は内閣を去る。

そして極めつけがこれ。04年2月、クレアさんはBBCのラジオ番組内で、英国のスパイがコフィ・アナン国連事務総長(当時)の会話を盗聴していると暴露した。「売国奴」などと批判する声が各方面から聞かれたが、当の彼女はどこ吹く風。どこまでも肝の据わった女性である。

そんな女闘士も06年には次期選挙への不出馬を表明。これで静かな余生を……と思ったら大間違い。何と元同僚、故モー・モーラム議員の夫、ジョン・ノートン氏との交際が発覚したのだ。某雑誌のインタビューで「恋に落ちた」事実を認め、「人生って美しい」とその喜びを語ったクレアさん。生涯現役、仕事にも恋にも全力投球。これぞ情熱の女闘士の生きる姿なのだ。


悪女か、それとも英雄か……
マーガレット・サッチャー   Margaret Thatcher

1925年生まれ リンカーンシャー出身

役職: 元英国首相
Margaret Thatcher

「鉄の女」「牛乳泥棒」「英国で最も不人気な女性」……。サッチャーほど、英国政治史においてその評価が分かれる人物もいない。一つ確かなことは、82歳を過ぎた今もなお、凛とした美しさを保つこの英国初の女性首相が、人並み外れた決断力と統率力で戦後英国をまとめあげたピカイチの「政界の女」であるということだろう。

1959年にフィンチリー区の下院議員に選出され、政界入り。そして79年総選挙で保守党を勝利に導き、女性初の英国首相の座に就く。後に「サッチャリズム」と呼ばれる新自由主義を掲げ、国有企業の民営化や、大規模な教育改革を断行。教育分野では、高等教育の大衆化に尽力し、自らの出身校、オックスフォード大学の特権意識をも打ち砕き、同校が歴代首相に贈る名誉博士号も、彼女にだけは授与されなかった。

そんな女傑サッチャーも、やはり人の子、完璧な人間ではなかった。国を厳しく育て上げた彼女も、自らの子どもには甘かったのだ。溺愛していた双子の長男マークが20代の頃、カーレースに出場中にサハラ砂漠で行方不明になった際には初めてメディアの前で涙し、2億円もの費用を投じて多国籍捜索部隊を結成、居場所を突き止めた。また彼が2004年、赤道ギニアのクーデター支援の容疑で南アフリカで逮捕された際には、約3400万円をさくっと支払って保釈手続き。翌年には同地の裁判所と司法取引をして執行猶予つきの判決をもぎとった。

英国政治史に燦然と輝く女性首相の親バカな一面。意外な人間らしさにホッとする一方で、どこまでも鉄の女であり続けて欲しいと思うのは、勝手な願いだろうか……。


土壇場で逆転ホームラン
ハリエット・ハーマン   Harriet Harman

1950年生まれ ロンドン出身

役職: 下院院内総務、女性・平等担当相
王璽尚書、労働党幹事長、労働党副党首
Harriet Harman

日本の大企業のサラリーマン並に肩書きがズラズラ長いハリエット・ハーマン。2007年6月、労働党副党首選で予想外の勝利を収めたはいいが、同年11月、同選がらみで不動産開発業者から他人名義で5000ポンドの献金を受け取ったことが発覚。また今年4月初旬には、ガッチガチの防弾チョッキを着て地元ペッカム地区を視察している姿を各紙が報道。「ウチの近辺はそんなに危険な場所なのかい」と地元民からの嘲笑を受け、一時はすわ、政治家生命の危機かと思われた。しかしここで彼女は起死回生の一打を放つ。

下院のクエスチョン・タイムでウィリアム・ハーグ保守党議員に「(視察に防弾チョッキなら)閣僚会議に行くときは道化師の格好をするのかな」と皮肉られた際に、以前、同議員が自身の名前を刺繍した野球帽を被っていたネタを引っ張り出し、「服装を相談するとしたら、野球帽を被った男にだけは勘弁だわ」と切り返し、一気に形勢逆転を成し遂げた。

生真面目なハーマンが、土壇場にきて芽生えさせた鋭いユーモアのセンス。これなら皮肉王国、英国の政界で、まだまだ生き残れるかもしれない。


最年少女性議員誕生なるか!?
エミリー・ベン   Emily Benn

1989年生まれ ロンドン出身

役職: 未定
Emily Benn

まだ「女性政治家」ではないが、将来有望な「女性政治家」の卵を一人。彼女の名はエミリー・ベン。そう、昨年秋に総選挙が囁かれていたときに17歳で労働党の下院選立候補者に選ばれ、世間の注目を集めた女子高生である。

エミリーは1989年、元下院議員トニー・ベンの長男、スティーブンの長女として生まれた。ちなみに叔父はヒラリー・ベン環境・食糧・農村問題相。過去4代にわたって政治家を輩出してきた、名門ベン家、期待のホープなのだ。

エミリーいわく、政治の世界に初めて足を踏み入れたのは2歳のとき。祖父の選挙運動に加わったのが最初だったとか。その後、14歳で労働党員に。昨年秋には結局、総選挙は行われなかったが、現在も2010年6月までに予定されている総選挙への参加の意志はマンマン。この選挙で当選を果たせば、最年少記録(21歳170日)を更新することになる。

ちなみに最近、オックスフォード大学への入学が決まった。専攻は歴史と政治。祖父や叔父の背中を幼い頃から見つめ続けてきた彼女の純粋な瞳は、どこまでもまっすぐ、女性政治家である将来の自分の姿を追っている。

 

「英国の女たち」シリーズ 第1回 バラエティ司会の女たち

英国人女性は仕切りが命 バラエティ司会の女たち

日本で放映されるテレビのバラエティ番組では、大物男性タレントが司会を務め、女子アナや若い女性タレントが進行を補佐するというのがいわば基本的な構図となっている。ところがどっこい、ここ英国では男性の力を借りずとも、女性1人で見事な仕切りを見せる司会者がゴロゴロいる。ということで、英国の各界で活躍する女性たちを特集する新企画「英国の女たち」シリーズ第1回のテーマでは、バラエ ティ司会者たちに焦点を当ててみました。

(本誌編集部: 長野雅俊)


内面は脆い冷血動物
アン・ロビンソン   Ann Robinson

63歳、リバプール出身
太縁の眼鏡、首回りの皺 、そして甲高い声。
まさに魔女として適役である

「The Weakest Link」BBC1 月~金 17:15‐18:00
Ann Robinson


BBCの人気クイズ番組「The Weakest Link」の司会者。無表情な顔と声で、クイズの回答者を次々と罵倒していくスタイルを確立して支持を集めた。言葉の暴力で弱い者を痛めつけていく様は、まさに冷血動物そのもの。ただイジメの対象となる回答者の中には、そんな彼女の言葉責めを恍惚の表情で受け入れている者もいる。サゾとマゾが快楽を貪り合う様子を、全国のお茶の間に余すことなく伝えるBBCの懐の深さには頭が下がる。

元々はタブロイド紙の記者として才能を発揮。ダイアナ妃(当時)が摂食障害に陥っていることを暴いた敏腕記者だったという。だが王室の圧力に遭い担当を外され、やがてテレビに活動の場を移すようになった。

バツイチで、2度目の結婚も既に破綻している。アルコール中毒に陥った時期も長くあったようで、割と内面は脆いのかも。そういえば、回答者を苛めているときも声が裏返りそうになっていることがある。アン、無理しなくていいんだぞ。


深刻な顔を作らせたら英国No.1
ケイト・ソーントン   Kate Thornton

35歳、グロスターシャー出身
2006年に「National Television Award」を
受賞したときにはさすがにニッコリ

「X Factor」 ITV 2008年8月頃に新シリーズが開始予定
Kate Thornton


つい最近までオーディション番組「X Factor(ITV)」の司会をやっていたのに、突然クビになった人。英国人の中には、2007年に行われたダイアナ元妃追悼コンサートでのテレビ放送の司会者として覚えている人も多い。

彼女の十八番は、不幸の種を撒き散らしそうなほどの深刻顔。「X Factor」では出場者の落選が告げられる段階になると、目いっぱい眉間に皺を寄せて唾を飲み込みながら判定の瞬間を待っていた。あまりに思い詰めた顔をするので、体のどこかが悪いのではないかと見ていて心配になったほどだ。

22歳でポップ音楽雑誌の編集長に就任した経歴を持つケイト。「X Factor」の司会をクビになり、随分と落ち込んでいるらしいとの噂がタブロイド紙から流れたが、私生活ではクラブ・ミュージックの大御所「Underworld」のメンバーとついに婚約を果たした。5月には出産を控え、今は休業中。どうか幸せになっておくれ。


聖火を奪われそうになりました
コニー・ハック   Konnie Huq

32歳、ロンドン出身
化粧も薄め、等身大の美しさで
子供たちに人気のコニー・ハック

「Blue Peter」 BBC1 月~金16:35‐17:00
Konnie Huq


今年1月まで約10年にわたってBBCの子供番組「Blue Peter」の司会を務め、その前はFIVEの子供番組である「Milkshake」にも出演していた典型的な「お姉さん」キャラ。だがバングラデシュ出身の両親を持ち、ケンブリッジ大学で経済学の学位を取得した彼女は、英国移民が鏡とする「成り上がり」でもある。容姿が美しいために何度も男性誌のヌード写真撮影の依頼があったようだが、なんぼ積まれても頑なに拒んだという。子供番組の司会を長年務めるには、それなりの純潔を維持することが求められるってことなんだろう。

彼女がさらなる注目を浴びたのが、ロンドンで行われた北京オリンピックの聖火リレー。乱入者に聖火を奪われそうになった、そうあの人である。オリンピックの理想を高らかに語り、中国の人権問題についても懸念を示すなど社会派な面もチラホラ。子供とも大人とも語り合える、なかなか奥深い人間のようだ。


夫婦司会でやっています
ジュディ・フィニガン   Judy Finnigan

59歳、マンチェスター生まれ
ジュディの方が8歳年上。典型的な姉さん女房である

「Richard & Judy」 Channel4 6月14日から月~金 17:00‐18:00
Judy Finnigan


夫婦司会で有名なリチャード&ジュディの妻の方。独自のスタイルを前面に出しながらテンポよく仕切っていくのが英国のバラエティ番組司会の主流になっている中、旦那でもある男性司会者のリチャードを立てながら、間合いを計って進めていくところが彼女のセールスポイントとなろう。

2001年までITVで放映された「This Morning」で、爽やかな朝の顔として定着。同番組の終了後も、放映時間と放送局を変更して「Richard & Judy(Channel4)」を開始した。同番組の中で彼らがお勧めの本を紹介する「Book Club」は、国民的な人気コー ナーとなっている。

「This Morning」から合わせたら既に20年も夫婦司会で売ってきたこの2人も、2008年の夏でとりあえず番組を打ち切るのだそう。そう聞くと、この普通のおばさんの声と顔が何とも愛しくなってくるのだから、不思議だ。


その笑顔の奥にあるものは?
ホリー・ウィラビー   Holly Willoughby

27歳、ブライトン出身
ITV系で不定期に放送されているバラエティ番組
「Feel the Fear」。男女対抗形式で過酷な課題に
挑戦するという番組内容は、まさに打ってつけ

「Dancing on Ice」 ITV 2009年1月頃に新シリーズが開始予定
Holly Willoughby


天真爛漫な笑顔と無防備とも言えるほどの人なつっこさで、老若男女から愛されるホリー。自立心旺盛で男勝りな女性が跋扈(ばっこ)するここ英国で、ここまで安心感を与えてくれる女性は貴重な存在だ。

彼女が現在の地位を確立したのは、2004年にITV系でスタートした土曜朝の子供番組「The Ministry of Mayhem」への出演あたりから。司会なのに自ら罰ゲームで頭からペンキを被ったり、泥まみれになったりして、共演する子供たち以上に無邪気にはしゃぐ様は清く美しかった。

街角で出会った素人の恋人探しを敢行する番組「Streetmate(ITV)」では、完璧なまでに優しいお世話役を務めた。その姿は親友のためなら自分の恋もあきらめる、そんなお人好しの女子学生さえ彷彿とさせたほど。

若い頃は「貧乳ウィラビー」と呼ばれて馬鹿にされ続けてきたという。ところが今年3月に最新シリーズが終了した、芸能人たちがフィギュア・スケートの演技を競い合う番組 「Dancing on Ice」では、胸のパックリ開いた衣装を着て登場し、「家族で見る番組としては刺激が強過ぎる」との苦情が発生。昔一緒に泥んこ遊びしていた幼馴染みが、久しぶりに会ったら急に大人びた女性に変貌していてびっくりした、そんなイメージだろうか。

実生活では、「The Ministry of Mayhem」の番組プロデューサーと昨年結婚している。こういうタイプって、意外と抜け目がない。


人生相談、仕切ります
トリーシャ・ゴダード   Trisha Goddard

50歳、ロンドン出身
彼女の仕切りによって、英国人家庭の道徳観が
形成されているといっても過言ではない

「Trisha Goddard」 Five 月~金 10:30‐11:30
Trisha Goddard


自身の名前がそのまま番組名となった人生相談企画「Trisha Goddard(Five)」は、彼女の仕切りなくしては成り立たない。平日の朝っぱらから不倫、家庭内暴力、借金地獄と、世の中で思いつく限りの不幸を一般人がさらけ出していくこの番組。非常識な生活に感覚が麻痺し切っているゲストに対してギョロっと目をむいて詰問し、会場とお茶の間の「あんたらおかしいんじゃないの」という雰囲気作りをしていく手腕は見事だ。彼女に同調して溜め息をつく英国人を、これまで何度見たことか。

トリーシャの尋問に加えてDNA検査なりウソ発見器なりが気安く登場してくるので、警察の取り調べと比べても遜色ない。時たま泣き出す出演者に対して彼女が温かい言葉をかけているが、これなぞベテラン刑事が出す温かなカツどんを思わせる。

ロンドン東部ハックニー生まれのタンザニア育ち、若かりし頃はスチュワーデスとして働いていたというトリーシャ。司会業に転じた後に始めた、現在の番組の前身である「Trisha(ITV)」が大ヒットするも、契約をめぐって経営陣とトラブルが生じたためにこの番組から身を引いた。そして心理カウンセラーなどの共演者を何人か引き連れて、別局で「Trisha Goddard」を開始したのだ。ほぼ同じ番組形式で、しかも番組名をなぜかフルネームに格上げしている。

結婚は過去に3度経験。最初の夫は実は同性愛者だったことが後に判明し、2人目の夫には産後直後に浮気され離婚した。いや、あんたの人生もすごい。


古傷抱えたスナックのママ
デビーナ・マコール   Davina McCall

40歳、ロンドン出身
3月中旬に放映されたBBCのチャリティ番組 「Sport Relief」
でも、ラジオ司会者のクリス・モイルス(写真左)への
熱烈な応援などで番組を盛り上げた

「Big Brother」 Channel 4 2008年夏頃に新シリーズが開始予定
Davina McCall


世界中の教育関係者から「低俗番組」との烙印を押される実験ドキュメンタリー 「Big Brother(Channel4)」の司会者。ただでさえ批判が絶えないこの番組にして、この人あり。サービス精神が旺盛なのだが、どうも頑張ろうとする気持ちが裏目に出てしまうことが多いようだ。

例えば番組観覧者からの暴言を煽ったとして、放送監視機関の調査対象になったことがある。水着が似合う出演者をインタビューする際に、なぜか自身も水着になっておばさんの肢体を見せつけた結果、視聴者から「醜い」と苦情が殺到した事件もあった。水着姿を披露してこの種の苦情を受ける女性司会者って、広い世界を見渡してもそんなに多くいないだろう。つまりは司会者としての行動をいつも逸脱しているのだ。日本で中年の女子アナが同じことをしたら、袋叩きにされるに違いない。

それでもめげずに己の司会業を貫き通す強い意志は、波乱万丈の人生によって培われてきた。若き頃は歌手を目指すもすぐに挫折し、パリの有名なキャバレーである「ムーラン・ルージュ」のオーディションに落ちたことも。ロンドンのクラブでホステスとして働き出したら、薬物中毒に陥り人生の階段を大転落。実は元彼の、英国が誇るギタリストであるエリック・クラプトンが彼女を懸命に支え、やがては現在手掛けるテレビ司会業に落ち着いたという。

「あなたは生き方が不器用なんだ」ってお客に言われていた、スナックのママを思い出す。


スケバン司会者
ファーン・コットン   Fearne Cotton

26歳、ロンドン出身
ライブの仕切りでも、座りながらの対談でも、
なんでもこなす万能型の司会者だ

「Fearne and Reggie’s Request Show」BBC Radio1
毎週土曜日 16:00‐19:00
Fearne Cotton


威圧感さえ覚えるカミソリのような鋭い目。どんな大物に対しても決して媚びない堂々とした態度。きっと、彼女にはスケバン刑事のような長いスカートとヨーヨーがよく似合う。

BBCで2005年まで放映されていた人気音楽番組「Top of the Pops」や、ラジオ番組「Fearne and Reggie’s Request Show(BBC Radio1)」での司会を始めとして、音楽系の番組への出演が印象強い。それはきっと、バンドマンたちを仕切るのが上手いからだろう。派手な衣装と突飛なメイクで着飾った複数の男たちに取り囲まれても、彼女は絶対に萎縮しない。それどころか、必ずしもおしゃべりが上手くない彼らロッカーたちと波長を合わせながらも、肝心なところはスパスパっと仕切っていく光景はあっぱれの一言。こういう風に男付き合いができる女性って、どんな場所でも重宝されるんだな。現在、テレビ番組のレギュラーは持っていないようだが、すぐに大役を任されることであろう。だって使い勝手がいいんだもの。

実生活においては、やっぱりロックないしポップ系の男性ミュージシャンとの交際歴が豊富。そういえば、ロックの祭典「ライブ8」のときには、オンエア中にロビー・ウィリアムズにも口説かれていた。ちなみに現在の彼氏は米国人のスケートボーダーだという。どうやらストリート系にも強いようだ。彼女の体全体に11個あるといわれるタトゥーが今、疼(うず)いている。

 

ブライトン・フェスティバルおすすめガイド

ブライトン・フェスティバルおすすめガイド

近ごろ何だか物足りなくて……と日常生活に漠然とした不満を抱いているあなた、最近ちょっぴり泣きたい気分……とカタルシスを求めているあなた、声がかれるぐらい爆笑したい……と笑いに貪欲なあなた。そんな皆さまの欲求不満を力技で解消してくれること間違いなしの「人生のクスリ」が、このブライトン・フェスティバルに凝縮されている。来るか来ないか分からない英国の夏を乗り切るのに必要なのは、ずばり、これだ!

(本誌編集部: 國近絵美)

パフォーマンス
探偵気分で後をつければ、男女のホンネが見えてくる

HAPPY TOGETHER

Happy Together開放的な土地柄から、乱痴気パーティーのメッカと称されるブライトン。その雰囲気と特徴を活かしたこの劇は、独身最後の自由を謳歌しようと街を徘徊する男女のグループを追ったものだ。しかも、観客が文字通り登場人物たちを「追う」という驚きの参加型パフォーマンスとなっている。

何が起こるか分からないスリルと緊張感のなか、別行動する男女の跡をそっとつけながらの鑑賞は、まさに禁断ののぞき見気分。しかも物語が進むにつれ、パフォーマーたちが街角から現れ加わっていくというから、気を抜く暇もない。ジェットコースター並みのドキドキ感を味わいたい人に。

日時 5月15日(木)~17日(土) 19:30
料金 £18 (14歳以上)
スタート map1JUBILEE SQUARE Jubilee Street, BN1 1GE

ファミリー・シアター
柔らかい光に包まれて、いざ幻想の世界へ

BRILLIANT

Brilliant視覚に訴えるものは、心にも訴える──ビジュアルを重視した舞台デザインに定評のあるシアター・カンパニー「Fevered Sleep」による、「光」に焦点を当てた3、4歳向けの劇。この作品は、いうなればこれまでの作品群の「いいとこ取り」だ。生演奏の音楽に合わせて、美しい照明やちびっ子たちの想像をかきたてる舞台装置や演出が惜しみなく披露される。さあ、柔らかくって温かい、光で作られた空間に飛びこんでみよう。

日時 5月11日(日) 13:30、15:30
料金 £4 (3、4歳向け)
場所 map2University of Brighton,
58-67 Grand Parade, BN2 0JY

シアター
時代や世代と共に移りゆく親子の姿とは

SO CLOSE TO HOME

SO CLOSE TO HOME1軒のレストランを舞台に、父親、息子、孫という親子3代にわたる男たちの物語を描いたダーク・コメディー。そしてこの物語が演じられるのは元ピザ屋という、なんともストーリーにぴったりの空間だ。自分のルーツは何なのか。自分は今、住んでいる場所に馴染んでいるのか。なぜ皆そんなに不安そうに生きているのか。なぜ、皆はじっとしていられずに移動し続けるのか……。笑いの裏に潜む、現代社会に生きる男たちの生の声と疑問に耳を傾けよう。

主人公のロバートは、苦労のすえ商売を営みレストランを立ち上げたシェフだ。移民として来英し成功したものの、うまく環境に順応することができないため一匹狼の彼は、ひたすらキッチンにこもっている。しかし最近、仕事のパートナーがロバートに冷たく、息子はなんとか店の後継ぎから逃れようと反抗してくる。そんな時、25年間一度も会っていない父親が、レストランをふらりと訪ねて来た……。他人のような親子3人は、果たして理解し合えるのか?

日時 5月13日(火)~25日(日) 19日は休
時間はウェブサイトを参照
料金 £15(12歳以上)
場所 mapNO.10 CIRCUS PARADE
New England Road, BN1 4GW

ダンス
体が音と光に変わる瞬間を見届けよう

GLOW

GLOWデジタル映像が織り成すバーチャル世界で、官能的に、グロテスクに、非現実的な突然変異を繰り返す1人の人間。ダンスとインスタレーションが見事に溶け合ったこの作品は、ダンス・カンパニー「Chunky Monkey」と、ビデオ・トラッキング・システムの開発者とのコラボレーションによって実現した。体の動きを光や模様に変えるシステムの手にかかれば、ダンサーは瞬く間に異生物に変身。幻覚を見ているような錯覚さえ起こすこの視覚効果に備わった、現実世界からの束縛を解く力を体験しよう。

フロア全体をスクリーンとして使用するため、ダンスは全て寝転がった状態で行われる。観客は幾何学的な映像美を上から眺める仕掛けだ。出演するダンサーは1人のみで、彼女の動きが音楽と照明、そしてデジタル・アニメーションを生み出す引き金となる。やがてすべての要素が溶け合って1つの有機体となる、万華鏡のようなビジュアルを堪能しよう。

日時 5月23日(金)~25日(日)時間はウェブサイトを参照
料金 £14
場所 mapFABRICA 40 Duke Street BN1 1AG

クラシック
重厚な音が奏でる「人間性」というテーマ

PHILHARMONIA ORCHESTRA

アンドリュー・デイビスアンドリュー・デイビス(写真)による指揮のもと、フィルハーモニア管弦楽団が死、誕生、愛、そして救いという普遍のテーマを音に託し、人間であるがゆえの疑問を考察する。演目はエレクトロ・アコースティックな作品を多く発表する前衛的な作曲家、ジョナサン・ハーヴィーの「Tranquil Abiding」と、死者へ向けた哀歌と復活をテーマにしたマーラーの交響曲第2番 「Resurrection Symphony」。

マーラーの交響曲では、第4楽章と第5楽章で声楽が導入され、第4楽章ではマーラー自身が1892年に完成させた歌曲集「子どもの不思議な角笛」の歌詞を採用、第5章ではフリードリヒ・クロプシュトックによる歌詞「復活」が歌われる。「ブライトン・フェスティバル合唱団」から約200人にも及ぶ大合唱隊も参加し、壮大なスケールの人生劇を奏でる。スーザン・グリットンがソプラノを務める。

日時 5月25日(日) 19:30
料金 £10~30
場所 mapCONCERT HALL, BRIGHTON DOME
Church Street, BN1 1UE

ミュージック
パイプオルガンでビバ・レイブ再来?!

MANIC ORGANIC

Manic Organic約70年前ブライトン・ドームでは、1936にも及ぶ手作りのパイプから成るパイプオルガンが目玉であった。そしてそれを再現しようと考えたのが、ベルリン出身のロバート・リポックだ。エレクトロニカの第一人者として活躍する彼は、なんと3000ものパイプを使用したオルガンに挑戦。さらに、 オーストラリアで前衛的な音楽を発信するトリオ「The Necks」も参加、リポックと共にオルガンで「まさか」の冒険に出る。

パイプオルガンが主役と聞いて、大抵の人はクラシックを思い浮かべるだろう。だが、そこで一筋縄ではいかないのが「パーティーなら何でもこい」ムード漂う快楽の街、ブライトン。伝統的な楽器を使って若者たちを躍らせたいと考えた彼らが演奏するのは、テクノの一種である「ハッピーハードコア」や「フリーフォーム」だ。ハープやチェロ奏者も加わるとあっては、聴きに行くしかないでしょう。

日時 5月15日(木) 20:00
料金 £10~15
場所 mapCONCERT HALL, BRIGHTON DOME
Church Street, BN1 1UE

オペラ
クラシック作品に「笑い」で挑戦状

MARRIAGE OF FIGARO

MARRIAGE OF FIGAROフランス人劇作家のカロン・ド・ボーマルシェによる風刺的な戯曲にモーツァルトが作曲したオペラ「フィガロの結婚」を、クラシカルな作品を大胆に改作することで有名な「アルモニコ・コンソート」が上演する。封建貴族に仕える家臣フィガロの結婚式をめぐる事件を描く、というのがオリジナルのストーリー。貴族を痛烈に批判したスキャンダラスな内容のため、当時は上演禁止になることも度々あったというこの物語が、今回は舞台が18世紀から1950年代に移されて展開するという。

英国を代表する喜劇役者・脚本家のキット・ヘスケス=ハーヴィーの手に掛かれば、定番オペラも渦巻く陰謀と先の読めない展開が散りばめられた、衝撃のコメディーへと変身してしまう。意表をついたヒネリやオチが満載なので、オペラ初心者でも楽しめるに違いない。

日時 5月14日(水)、15日(木)19:30
料金 £7.50~26
場所 mapTHEATRE ROYAL BRIGHTON
New Road, BN1 1SD

ファミリー・アウトドア
小さな主役たちに盛大な拍手を!

CHILDREN’S PARADE

Children's Paradeフェスティバルの初日を飾るのは、英国の小学校70校と地域コミュニティーたちがそれぞれ1年間かけて計画したという、キッズが主役のパレード。今年で開催18年目を迎えるこの行進では、毎年4000人もの子どもや保護者たちが参加し、思い思いのクリエイティビティーを発揮している。

今年のテーマはずばり、「ゲーム」。でも、石蹴りゲームや馬跳びを取り入れたパレードって、一体どんなもの……?皆どのチームよりも目立とうと腕を奮うから、奇想天外であっと驚くアイデア溢れるパレードになることは間違いない。陽気なサンバに乗せて凝った衣装で街を練り歩くキッズたちに、ぜひ温かい声援を!

日時 5月3日(土) 10:30スタート
料金 無料
場所 map出発地点: SYDNEY STREET
最終地点: MADEIRA DRIVE

アウトドア
バーチャル世界と現実の境界線を突っ走れ!

RIDER SPOKE

Rider Spoke英国のデジタルアート・グループ「ブラスト・セオリー」による、観客に現実とバーチャル世界で同時進行するゲームに参加してもらうという、一風変わったパフォーマンス。モバイル機能を使用したハイテクなワイヤレス・ゲームを、なんと自転車で町を走りながら体験できるという。自慢の愛チャリを持参するも良し、会場で借りるも良し、ゲーム機とヘッドセットを着用したら、それが物語の幕開けだ。

劇、告白、インスタレーションが1つになったこのゲームでは、参加者も立派な登場人物。1人でプレーすることも出来るが、グループで問題を解いたり別のプレーヤーたちの話を盗み聞きすることもできるなど、遊び方の可能性は無限大で、物語も1人1人の経験によって微妙に異なるというのも魅力的だ。

日時 5月8日(木)~11日(日)18:00~ 22:00
15分おきに出発 9日は20:00~ 2:00
料金 無料・要予約(16歳以上)
※チケットは電話のみ予約可。自転車を借りる旨を予約時に申し込むこと。
TEL 01273 709 709
集合場所 mapMYHOTEL, JUBILEE SQUARE

サブ・フェス・ガイド サブ・フェス・ガイド
3週間にわたるフェスティバルの他にも、さらに濃くてア ツいイベントが同時進行中。「でも、フェスティバルだけ で予算ぎりぎり……」なんて悲しいため息は心配ご無用。 ほとんどが無料か10ポンド以下というから、最先端の文 化をお腹いっぱい詰めこもう!

突撃!アーティストのお宅拝見
ARTIST OPEN HOUSE

アトリエやアーティストの自宅が多く集まる地域を14のエリアに分け、一度に何件もはしごしてアート鑑賞できるようにしたのが、この「アーティスト・オープン・ハウス」。アーティストたちと直接話をしたり交渉したりしながら作品を購入することはもちろん、その名の通り、彼らの自宅や庭を覗き見することもできるのが大きな魅力だ。エリアはすべてブライトン市内かその近郊に位置しており、会場となる家は約200件、参加するアーティストは1000人を超えるという。アートにどっぷり浸かることができるイベントだ。

5月3日(土)、4日(日)、10日(土)、11日(日)、17日(土)、
18日(日)、24日(木)、25日(金)
入場は全て無料 
場所・時間はウェブサイトを参照
www.aoh.org.uk

ピリリとスパイスの効いたイベントがずらり
Brighton Festival Fringe

ブライトン・フェスティバルよりも、小規模で個性の強いイベントが揃うフェスティバル・フリンジ。フェスティバルとの違いは、開催される約600ものイベント全てが「立候補」による参加だということ。主催者側の意気込みやファン獲得への熱気がムンムン伝わってくる、小規模だからこそ味わえる雰囲気に呑まれてしまおう。それにベニューが小さいということは、メジャー狙いではない前衛的なものが多いということ。メインストリームじゃ物足りない!という人にはぜひ参加してみてほしい。

5月3日(土)~26日(月)
イベント各種詳細はウェブサイトを参照
www.brightonfestivalfringe.org.uk

CARAVAN
ブライトン近郊を拠点に活躍するシアター・カンパニーやダンス・グループ20団が、自慢の新作を披露する
5月11日(日)~13日(火)
www.farnhammaltingscaravan.com

CHRALESTON FESTIVAL
ブライトン近郊の街、チャールトンで行われる文学・政治・芸術界などから著名人を招いたフェスティバル
5月16日(金)~25日(日)
www.charleston.org.uk

THE GREAT ESCAPE
これからビッグになること確実の、大型新人バンドを世界に発信する音楽フェスティバル
5月15日(木)~17日(土)
www.escapegreat.com

★チケット予約方法

オンライン
ウェブサイトwww.brightonfestival.orgから

電話
01273 709 709 (5月2日まで)月~土 10:00-18:00
(2日以降)月~土 10:00-19:00
予約時に使用したクレジット・カードかデビット・カードを当日持参すること

フェスティバル・ボックス・オフィス
29 New Road, Brighton, BN1 1UG
(5月2日まで)月~土 10:00-18:00
(2日以降)月~土 10:00-19:00

★ブライトンへの行き方

ロンドンからのアクセス
ビクトリア駅から1時間弱でブライトン駅に到着。1時間に約4本の電車がある。ロンドン・ブリッジ駅、キングス・クロス駅からも電車あり。4月30日から6月3日までは、最終電車が通常よりも遅い23:19まで運行。イースト・クロイドン、クラッパム・ジャンクションに停車し、終点のビクトリア駅には00:13に到着する。これで帰ってくれば地下鉄の最終便に乗ることができる、なんとも心強い味方だ。ブライトン駅から市内へは徒歩で約10分。

 

IDカード・データベース計画強行推進にもの申す!

IDカード・データベース計画強行推進にもの申す!

2003年に発表されて以来、急速に押し進められているIDカード・データベース導入計画。「プライバシーと自由の侵害だ」と非難されながらも政府が強力プッシュするこの計画に、まずは在英外国人がテスト・ケースとして採用されるというからには、なんら他人事ではない。そこで、約半年にわたってこの計画の反対運動ミーティングなどに潜入してきた筆者が、監視型社会へ突入しようとしている英国の、情報管理計画の実態を紹介する。

(写真・文 / Miki Yamanouchi)

IDカード・データベース計画とは?

個人の行動を把握することで社会を円滑に運営し、犯罪防止に繋げるという構想のもと、政府が具体化を進める個人情報のデータベース化、「National Identification Register(NIR)」。実現すれば、住所氏名のほか、瞳の虹彩や指紋、顔写真などの生体認証、さらには経済状態や病歴などの情報までもがコンピューターで保存・参照できるようになる。携帯の義務づけが検討されているIDカードにはマイクロチップが内蔵。NIRのデータへアクセスすることで身元確認がスムーズに行えるため、テロ対策として特に期待されている。一方で、不法労働者や移民といった外国人居住者の取り締まりも効率的に実施できるようになる。欧州経済領域(EEA)の非加盟国出身の学生ビザと結婚ビザ保持者は、今年11月からIDカードの登録・所持が義務づけられると先月発表されたばかり。そう、ずばり在英邦人も当てはまるのだ。


IDカードを巡るこれまでの流れ
2003年11月 内務省がIDカード導入計画を発表
2004年5月 IDカード反対市民団体、NO2IDが活動開始
2004年 逮捕者からのDNAサンプル採取がイング ランドとウェールズで可能に
2004年2月 生体認証付きIDカード法案が下院で224対64で可決
2005年12月 英国の全児童の個人情報データベース(後のContactPoint)設立開始を08年までに行うことを政府が発表
2006年3月 IDカード法案が上院で可決、アイデンティティ・カード法として成立
生体認証付きパスポートの発行開始
2006年12月 NIRを新システムで1本化せず、存在する3つのシステムに分けて保存することが決定
虹彩スキャンのカード搭載は見送りに
非EU国からの移住者の場合は虹彩スキャンも加え、08年からの登録開始が決定される
ヒースロー空港で虹彩スキャンと指紋チェックを採用したファストトラック・システムが試験的に導入される
2007年5月 患者の医療履歴を全国規模で保管するNHSデータベースが始動
2008年2月 ヒースロー空港ターミナル1の国内線利用者の指紋採取と顔写真撮影が開始される
2008年3月 スミス内相によるIDカード導入スケジュール修正版発表

これからのガイドライン
2008年11月 欧州経済領域(EEA)への非加盟国出身の在住者への学生ビザ、結婚ビザ保持者へのIDカード登録・所持義務づけへ
2008年末 ContactPoint(18歳以下の全児童データベース)が完全に始動
2009年 空港などで勤務する人々へのIDカード発行へ
2011年 滞在ビザ発給・延長の申請者へのIDカード発行
生体認証付きパスポートの新規・更新申請者の自動的なIDカード登録
2015年 全外国籍保持者の90%のID登録、カード発行完了へ
2017〜
2019年
全英国人のID登録、カード所持義務化が完了へ

IDカードの知ってびっくりファクター

fact1カードの背後に、巨大データベース

指紋正式にはNational Identity Management Systemと呼ばれる、通称「IDカード計画」。従来の身分証明書とは違い、個人情報を電子化しコンピューターに登録、政府が管理するシステムと連結させるというもの。NIRには住所氏名はもちろん、警察との接触歴など50カテゴリーもの個人データが保存され、常にアップデートされる。カードには指紋・顔写真などの生体認証が付けられ、身元確認とともに、NIRに保管されている個人データの照会が可能に。建物の出入りや交通機関の利用など、生活のあらゆる場面で対応スキャナーが導入され、エントリー記録がデータベースに保管されることも考えられる。NIRはさらに、内務省に許可された外部機関とのデータシェアが認められており、運転記録や診察記録といった他データへのアクセスも、当人の許可なしで行うことが可能になる。

fact2気になるコスト

虹彩最低限のコストとして、政府は5.8兆ポンド(約1300兆円)を算出。一方、ロンドン・スクール・オブ・エコノミックス(LSE)が出した見積もり額は、それを遥かに上回る28兆ポンド(約5300兆円)であった。これはカード解析ソフトに対応するコンピューター・システムを、政府の各部署に導入するコストを見据えた結果だ。結果的に加算される税金は、現在、国民一人当たり200ポンドと見積もられている。

  情報を「買う」コストは
  選挙人名簿の登録者
£17.50
  犯罪記録へのアクセス
£500
  携帯電話ユーザーの住所
£75
  銀行口座のデータ
£750

右の数字は探偵調査会社が警察に明かした、情報収集に対するクライアントへの請求金額。しかし、情報の提供・公開に値段がつくのは探偵の世界だけではない。膨れ上がるデータベースのコストを考慮し、政府関係者は個人情報の照合を銀行などに許可することで、5億4000万ポンドの年間運営費の埋め合わせを計画(「デイリー・ミラー」紙、2007年3月)。チェック料は1回あたり60pとされ、これで年間、7億7000万ポンドの「検証」代が稼げるという見込みだ。

fact3気が付けば全てがデータ管理に?

指紋英国の人口は約6000万人。この莫大な人数からデータを収集するのは並大抵ではない。まずは登録を促すシステムと、登録所の確保が必要だ。そこで、アイデンティティ・アンド・パスポート・サービスの管轄下、身元偽造を防止する目的で、パスポート申請の際に質問と指紋採取などを行う、通称「Interrogation Centre」の設置が開始された。イングランド東部に位置する街、ノーウィッチを皮切りに全国69カ所に設置予定で、運転免許証を取得する場合にも同じようなシステムを導入することが検討されている。

一方、病院では……迅速なサービスと医師の理解を助けるという目的で、NHSの個人の医療カルテはすでにデータベース化されている。こちらは本人の異議がない限り、診察を受けた人は特に確認もなく自動的に登録される。IDカードが実現すれば、リンクさせることで情報がシェアされる可能性もある。

一方、空港では……搭乗手続きの簡素化を図る目的で、06年からヒースロー空港にて試験運転された、「MiSense」。 指紋と瞳の虹彩(アイリス)をスキャン登録し、出入国ゲートで認証させるというものだ。16週間のトライアル期間では、3000人以上の旅行者が任意で参加した。今年2月からは、ヒースロー空港ターミナル1の国際線ラウンジ利用者と、国際線から国内線を利用する旅行者の指紋スキャンと顔写真撮影が義務化されている。この生体認証の記録は24時間で破棄されると発表されている。

世界のIDカード電子化の動き

ドイツ
PINナンバー搭載のIDカードあり。政府がIDカードに登録されている個人データをシェアすることは、法律で禁止されている

ベルギー
05年から欧州で初のeIDカード導入。09年には全国民の登録を目標にしている。データは中枢化されていない

スウェーデン
05年10月からeIDカード導入

スペイン
06年よりeIDカード(電子チップ搭載)の導入開始、携帯は義務

南アフリカ
IDナンバーとバーコードが記載されたIDカード。義務ではないが、多くの国民が常時携帯している銀行口座、犯罪歴、投票歴、運転免許証ナンバーなどにリンクすることができる

シンガポール
National Registration Identity Cardの登録義務あり。公的機関の手続きや建物の出入りに必要。他国と違い、所持者の人種も記載される

NO 個人情報が全て記録されるうえ、閲覧許可さえあれば誰でも見れるんだよ。内部の人間が収賄されて情報を流すということも考えられるし……。
YES でも、今みたいに比較的簡単に身元を偽って詐欺を働くなんていう手口が防止できるんじゃない?
NO 今の政府が信頼できるからといって、次の政府がそうだとは限らない。反対に、いくら社会情勢が変化しても、このシステムは継続するんだ。
YES わたしはこの政府を支持しているし、今までのやり方を見た限りでは、個人情報が勝手に利用されるなんて考えられない。
NO カードに対する過剰な信頼のせいで、逆に日常の警戒網が緩んだりしないかな。
YES 予想もつかない事件が多発しているこのご時世、このカードがテロ防止に役立つのなら、賛成だな。
NO 人間が作るんだから、人間がコピーすることは絶対に可能。逆に、この1枚さえあれば大掛かりな詐欺が働けるだけに、裏の世界でも腕まくりして偽造に取りかかるはず。
YES 現代のテクノロジーを集結して作ったハイテク・カードなら、コストは高そうだけど、その分偽造も不可能に近そう。

不安の残るデータ管理

ここ数年、公的機関の「うっかりミス」でデータの紛失事件が続出。情報がますますコンパクト化し、1枚のディスクやカードに膨大な量が凝縮されているからこそ、管理を一歩間違えれば、それだけ被害も拡大する。個人情報を他人に預けても良いのか──私たちのそんな不安を煽るように起きた近年の事例を挙げてみよう。

1億1000人分のカードが行方不明に

防衛庁は今年3月、紛失・盗難によって行方不明になった軍人のIDカードが、過去2年間で1億1000人分にも上ると、下院への答案書で明かした。今年1月には、バーミンガムで15万人の軍入隊志願者の個人データが入ったラップトップが盗まれるという事件が発生。盗難にあったラップトップは、海軍士官が一夜駐車していた車に放置されていたという。

内部スタッフによる情報漏洩

06年8月、アイデンティティ・アンド・パスポート・サービス(IPS)で、同機関のコンピューターに内部スタッフが侵入していたことが発覚。機密保護違反で解雇処分になったことを内務省担当者が認めた。同担当者は、外部からの侵入は一切なかったことを強調。IPSはIDカード・データベース計画を立ち上げている機関で、約400万人のパスポート保持者の情報が保存されている。内務省の発表では、データベースへの侵入は01年から毎年起きているという。コンピューター雑誌の技術担当者によると、昨今のハッカーのトレンドは、痕跡を消し、同じルートから再侵入する機会を残しておくことだそうで、だとすれば事件は氷山の一角だという可能性も強い。

チャイルド・ベネフィット(児童手当)給付者の
個人情報紛失

07年11月、Inland Revenue & Customs(歳入関税庁)が、約2500万にも上る給付者の個人データが入ったCDを紛失。チャイルド・ベネフィットとは、16歳以下の子供がいる家庭に無条件で給付される児童手当金で、そのディスクには名前や住所はもとより、生年月日、国民保険番号、銀行口座などが含まれていた。さらにそのなかには、裁判で証言した後、証人保護プログラムのもと、偽名で生活していた約200名の市民の変更前・変更後のデータも含まれていたという。

映画・TVにみるIDデータ管理の未来

ガタカガタカ(1997年)
イーサン・ホーク、ユマ・サーマン主演
Gattaca (Special Edition) [1997]

遺伝子工学が発展し、優性遺伝子を持つ人間が尊重される近未来社会において、劣性遺伝子を持って生まれた主人公。他人のIDで身元を偽り、エリート中のエリートしか受け入れない宇宙飛行士の施設に潜り込むが、やがて施設内の清掃で拾われた一本の頭髪がDNA解析され、本来の身元が分かってしまう……。IDカードはもちろん、DNAデータも厳しく管理され、そこから出されたデータに基づいて決められた人生を歩む人間たちの姿を描く。

The Last Enemyドラマ「The Last Enemy」
2008年2月17日~3月16日 BBC1放送
The Last Enemy - The Complete Mini-Series

IDカードで行動が監視され、制御される近未来の英国が舞台。謎の死を遂げた兄のため、真実を追う弟が国際的陰謀に巻き込まれていく。IDカード制度に反対し暴動を起こす市民や、ナノテクノロジーにより人間の細胞に「認識標」を埋め込み、人間を分類する技術が登場。「CCTVカメラやロイヤリティー・カードといったものは、すでに私たちがモニターされている証拠。SFというよりは、予想されうるストーリーとして構成した」とプロデューサーは語っている。

ガイ・ハーバート氏にインタビュー

Guy Herbertプロフィール
ガイ・ハーバート Guy Herbert
オックスフォード生まれ。25年にわたり出版業界に身を置き、現在はコンピューター・ゲーム、出版、映画関係のビジネス・コンサルティングをこなす。04年より、ボランティアとしてNO2ID書記官を務める。

NO2IDとは?
NO2IDIDカード・データベース反対派が2004年に設立した、無政党のキャンペーン団体。現在、4万人の支持者と100を超える団体からのサポートを受け、カード計画の撤回と、06年に成立したアイデンティティ・カード法の無効を訴えている。同団体のウェブサイト内にあるブログ「ID in the News」では、関連ニュースを毎日アップデート。NO2IDウェブサイト: www.no2id.net

現在、政府が進めているIDカード・データベース計画に対して、私たち在英邦人は懸念すべきでしょうか?

もちろんです。政府が提案しているIDカード・データベース計画は、個人情報を電子登録し、監視するためのシステムで、さらにIDカードの携帯を義務化しようとするものです。それによって、一個人全ての生活記録が継続して記録され、モニターされることになります。特に外国人コミュニティが警戒すべきことは、EUの法律で守られていない非EU国出身の外国人を、政府が最初のモルモットとして使おうとしているということです。これを政府は向こう3年間で実行しようとしています。

キャンペーンのバッジ、リーフレット、パンフレットなど
左)キャンペーンのバッジ、リーフレット、パンフレットなど
右)英国、海外を含め、120あまりのNO2IDの地区グループが活動している。
写真は、月に1回行われているカムデン地区の署名運動シーン

報告、さもなくば罰金

英国の日本人コミュニティには、ビジネスや勉学などの目的で来英し、まとまった期間滞在する人がかなりの数に上りますが……。

このIDカード登録のシステム実現により受ける影響は、人によって様々でしょう。なかでも一番影響を受けるのは、英国文化を経験する目的の人や、留学生かもしれません。このシステムに一度組み込まれると、滞在先や所属学校先を、たとえ短期間の変更でも逐一報告することが義務化されます。それを怠けるとかなりの額の罰金が発生しますし、カードの発行費用は自己負担。何よりも、プライバシーがなく、常に不審人物であるかのような扱いを受けるのは、誰にとっても望ましくない環境と言えます。

プライバシーの観点からもう少しお聞かせください。

今回の法案に含まれる「UK Border Effect」という規定には、記録された個人データは全てデータ・シェアの対象になるという要旨が含まれています。例えば、ある組織、もしくは役人・職人からの情報提供の要請があったとして、内務省が提供に適していると見なせば、個人の情報は簡単に右から左へと渡されます。そしてデータはその人間が英国を離れた後や死亡後も残され、将来の「参照用」に保管されることになっています。

IDカードは世界的なファッション

英国政府の考えるIDカード・データベースのような制度をすでにとっている国はありますか?

今のところ同レベルのものはありませんが、シンガポールが採用している制度が一番似ていると言えるかもしれませ ん。中東諸国でも類似した形を導入し始めているし、フィリピンもかなり導入に興味を示しています。どうやらこの計画は、世界中の政府間で流行しているようですね。米国では、運転免許システムと連動する、「Real ID」と呼ばれるデータベースの管理とシェアを可能にする制度が検討されていますが、およそ半ダースほどの州が猛反対していますので、実現は今のところないといえるでしょう。

今年11月から非EU国出身の外国人を対象として、IDカードの導入が開始されるとの発表がありましたが、どのように実行されるのでしょう。

ホームオフィスのボーダー&イミグレーションのページを見ると、導入は今年から始まり、対象となる外国人の90%が15年までに登録を完了させるとあります。最初にどの外国人グループが対象になるか、といった告知は今のところありませんが、小規模で政治的に発言力のないグループが対象になると睨んでいます。少数民族や難民という、平たく言えば大騒ぎをしない、またはできないグループです。あくまで予想ですが、例えば在英邦人コミュニティは最初のターゲットとされにくいでしょう。大手企業の会社員ほか、ビジネス界で有力な日本人が効果的な苦情を申し立てる場合がありますからね。

NO2IDの活動をされてきて、どのような手応えがありますか。

推測だけで動かず、事実の裏付けを必ず取りながら活動しています。信頼できる情報を提供し、また、人々の疑問や意見に真剣に耳を傾ける団体として認識されていますし、メディアからも非常に信頼されるようになりました。政府側から何も得られないときは、私たちに新しい情報を求めにくるようになったくらいです。

集会

まず、まわりに事実を伝える大切さ

わたしたち日本人が活動を支援するとすれば、どんな方法があるのでしょうか。

NO2IDは誰でも加入、または応援できます。しかし何よりも一番大切なことは、現在、周囲で起こりつつある事態を知人に伝えることです。多くの人がIDカードの実態を改めて知り、危機感を覚えています。私たちの団体はほとんどボランティアで構成されていますので、募金も受け付けていますし、キャンペーン・グッズを購入して身につけていただく、というのも立派なサポート方法です。

来たる4月8日に大きなイベントが催されるとのことですが、どういった内容ですか。

ロンドン市長立候補者を招き、IDカード・データベース計画を焦点として、管理型社会に対する彼らの姿勢を聞きます。TV、新聞等の報道関係者も多数訪れる予定ですし、一般の方にも公開されます。選挙権のある日本人の方は少ないかもしれませんが、ロンドンで行われる生きた議論ですので、理解を深めていただく良い機会になると思います。


IDデータベース計画に従わないことを誓い、
立会人のもとサインを入れる誓約証書

London Mayoral Hustings
ロンドン市長候補演説会

2008年4月8日(火)19:00
場所:Friends House 173 Euston Road, London NW1 2BJ
NO2ID Office Tel: 07700 5800 651
 

ナショナル・トラストで味わう、英国伝統のホームメイドお菓子

ナショナル・トラストで味わう、英国伝統のホームメイドお菓子

英国有数のガーデンで美味しいお茶……なんとも贅沢で至福のひととき。英国ナショナル・トラストには、そんなひとときを味わえる場所がたくさんあります。これまで本誌連載コラム「お遍路さんがゆく」でご紹介した50以上のナショナル・トラストのプロパティの中にも、一般にあまり知られていない素敵なガーデンがたくさんあり、その庭内にはお洒落なティー・ルームがあります。これからの季節、夢心地のガーデンで味わえる、ナショナル・トラストの美味しいスイーツをご紹介しましょう。

(文・小野まり、絵・小野琢正)
写真協力/National Trust Photo Library www.nationaltrust.org.uk
全ての絵のクレジット: ©Takumasa Ono

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ロンドンから程近い、「英国の庭」と呼ばれるイングランド南部には、ナショナル・トラストを代表するガーデンがいくつも点在しています。中でもここで紹介する2つのガーデンは、ローズ・ガーデンで大変有名なところです。

モティスフォント・アビーでは350種以上のローズを一度に見ることが出来ます。そのティー・ルームは、かつて修道院だった建物のキッチン部分を利用したもの。高い天井や中世のキッチン用品などが目を引きます。キャロット&ウォールナッツ・ケーキは、このティー・ルームで楽しめ、数あるティー・ブレッドの中でもしっとりとした重量感が人気のケーキです。

モティスフォント・アビーがローズ・ガーデンの西の代表なら、東の代表はナイマンズ・ガーデン。春から初夏にかけて白とピンクに彩られるガーデンは、英国人にとっても憧れの光景。今やイングリッシュ・ガーデンのニュー・スターとして、不動の人気を誇っています。そして花々を堪能した後のティー・ブレイクには、伝統的なサマー・プディングを。ローズの季節に優雅に味わうことが出来る、地元で採れたベリー類をたっぷりと使った甘酸っぱいデザートです。

修道院跡で味わうティー・ブレッド
─ キャロット& ウォールナッツ・ケーキ ─
モティスフォント・アビー

キャロット& ウォールナッツ・ケーキ©Takumasa Ono
手書きのレシピはティー・ルーム直伝!
ただし「卵16個」など、量はティー・ルーム用なのでご注意を
©Takumasa Ono

Mottisfont Abbey Mottisfont Abbey
Mottisfont Abbey Garden,
House and Estate Mottisfont, nr Romsey,
Hampshire SO51 0LP
Tel : 01794 341220 (Infoline)
開園日時 : 10月30日迄の金曜日を除く毎日11:00~17:00 (5月末~6月22日の間のみ20:00迄開園、
イースター時期と5月下旬~6月は無休)

花に囲まれ味わう伝統のプディング
─ サマー・プディング ─
ナイマンズ・ガーデン

サマー・プディング©Takumasa Ono
見た目もかわいいプディング。
ベリー類の甘酸っぱい味がお口いっぱいに広がります
©Takumasa Ono

Nymans Garden Nymans Garden
Handcross, nr Haywards Heath,
West Sussex RH17 6EB
Tel : 01444 405250
開園日時 : 11月8日迄の月・火曜日を除く
毎日10:00~17:00

英北西部リバプールにあるスピーク・ホールは、16世紀に建てられたチューダー様式のマナー・ハウス。ここには紫陽花が咲き誇る、素敵なガーデンがあります。ティー・ルームでのお勧めは「17世紀のサンド・ケーキ」。いわゆるビクトリア・サンドイッチと呼ばれている、シンプルなスポンジ・ケーキです。

ビクトリア・サンドイッチと並び、英国を代表するスイーツのひとつ、スコーン。英国人の間で「アフタヌーン・ ティー」と言えば、スコーンと紅茶というシンプルな組み合わせの「クリーム・ティー」のこと。3段重ねのアフタヌーン・ティーは、高級ホテルやレストランで食する、いわば特別なお茶。カントリー・サイドでの庶民の午後のお茶は、やはりこのクリーム・ティーだと言えるでしょう。このイラストに描かれたフルーツ・スコーンのクリーム・ティーを楽しんだのは、英南西部サマセットにあるモンテキュート・ハウスです。ここは映画「いつか晴れた日に」のロケ地としても知られているところ。ロマンチックな映画さながらの光景に目を奪われます。

英中部ウースターにあるハンブリー・ホールでは、シンメトリックなデザインで有名なサンク・ガーデンを楽しむことができます。こじんまりとしたプロパティですが、周りの景観やハウス内の装飾は素晴らしく、地元ではウェディング会場としても人気です。そしてこのティー・ルーム の特徴は、地元の陶器、ロイヤル・ウースターでサービスされるということ。ちょっと優雅なティー・タイムを過ごすことができます。

マナー・ハウスで味わうビクトリアンなスイーツ
─ ビクトリア・サンドイッチ ─
スピーク・ホール

ビクトリア・サンドイッチ©Takumasa Ono
甘党のビクトリア女王に捧げたことから、
この名が付いたとも言われています。
ミルクたっぷりのアールグレイが良くお似合い
©Takumasa Ono

Speke HallSpeke Hall
The Walk, Liverpool L24 1XD
Tel : 0844 800 4799 (Infoline)
開園日時 : 11月2日迄の月・火曜日を除く毎日
11:00~17:30
(7月15日~9月14日の間のみ月曜日を除く毎日、
11月8日~12月14日ま で週末のみ開園)

映画の舞台で味わう甘味の効いたスコーン
─ フルーツ・スコーン ─
モンテキュート・ハウス

フルーツ・スコーン©Takumasa Ono
英国スイーツの王様、スコーン!
フルーツの甘味が効いているので、バターだけで戴くのもグッドです
©Takumasa Ono

Montacute HouseMontacute House
Montacute, Somerset TA15 6XP
Tel : 01935 823289
開園日時 : 11月2日迄の火曜日を除く毎日11:00~17:00
(ティー・ ルームは15:00迄)

地元の陶器で味わうホームメイド・ケーキ
─ コーヒー・ウォールナッツ・ケーキ ─
ハンブリー・ホール

コーヒー・ウォールナッツ・ケーキ©Takumasa Ono
展覧会で毎日通っていたハンブリー・ホール。
ティー・ルームの厨房からは、
毎朝作りたてのスイーツの薫りが漂っていました
©Takumasa Ono

Hanbury Hall Hanbury Hall
School Road, Hanbury,
Droitwich Spa,
Worcestershire WR9 7EA
Tel : 01527 821214
開園日時 : 10月29日迄の木・金曜日を除く毎日
11:00~17:30 (冬期はガーデン、ティー・ルームのみ開園)

ナショナル・トラストで知る、本物の英国の味

ナショナル・トラストは、持続可能な運動を展開するために、さまざまな努力をしています。例えば、ナショナル・トラストの農地で生産される農産物をプロパティ内のファーム・ショップで販売したり、その食材をレストランやティー・ルームでも活用しているのです。

ハーブ
シシング・ハーストでのガーデン・ボランティア

英国の料理をまずいと思っていらっしゃる方には、ナショナル・トラストでのランチやお茶をお勧めします。地元の安全な環境で育てた食材を用い、プロパティ独自のレシピで作られた、すべて手作りメニューの数々。新鮮な野菜を煮込んだスープ、オーガニックのビーフを使ったコーニッシュ・パイなど、どれも英国本来の家庭の味です。

ランチ以外の時間には、その日の朝に焼いたスコーンに地元のジャムやクリームをたっぷりとつけて食べるか、もしくは今回ご紹介する英国伝統のお菓子を始めとするさまざまなスイーツを、オリジナル・ティーとともにどうぞ。

ハーブ
ハーブ
コッツウォルズが一望出来るスノーヒル・マナーのティー・ルーム

ナショナル・トラストをもっと知りたい 英国ナショナル・トラストの活動

ナショナル・トラストとは

ピーター・ラビット英国ナショナル・トラスト(The National Trust)は、1895年に設立された民間のチャリティー組織です。イングランド、ウェールズ、北アイルランドに270平方キロを超える美しい田園地帯と、960キロもの長さを誇る、自然のありのままの姿を残す海岸線、300カ所以上の歴史的建造物と230以上の庭園といったプロパティ(保存地)を保有・公開しています。これらはすべて会員や市民の手によるボランティアによって守られています。

約110年以上も前に、たった3人の市民運動家によってスタートしたこのナショナル・トラスト運動の目的は、美しい自然景観や貴重な歴史的建造物が失われていくのを防ぐため、一般の人々からの寄付金を募ってプロパティを買い取り、後世に残していこうというものです。その会員数は今や海外の会員も含め、350万人以上。観光客に人気のある、コッツウォルズ地方の代表的な景観地や、ピーター・ラビットのふるさとである湖水地方も、ナショナル・トラストのプロパティです。

各地プロパティの情報や詳細は、www.nationaltrust.org.uk

ヒル・トップ
小野琢正氏が描いた湖水地方のヒル・トップ ©Takumasa Ono

ナショナル・トラストのショップ

ショップティー・ルームと並んで、ナショナル・トラストの大きなプロパティには必ずショップがあります。店内には、その地方独自の工芸品や、ファームの羊毛で作ったピクニック用のカーペット、センスの良いナショナル・トラストのブランド製品などが並んでいます。それらの商品はどれも観光地の定番土産品とは全く一線を画するもの。その証拠に、地元の人々はバースデーやクリスマスのプレゼントとして、ナショナル・トラストの商品を選ぶ光景がよく見られます。

またプロパティ以外にも、ロンドンやバース、ストラトフォード・アポン・エイボンなどの由緒ある観光都市には、シティ・センター内にショップがあります。オークの葉をあしらったナショナル・トラストのロゴ・マークを見つけたら、ぜひ立ち寄ってみてください。もちろん、ナショナル・トラスト特製のスイーツや紅茶も販売されています。

これらのショップやティー・ルームは、その売り上げをナショナル・トラストへ寄付するという形で、会員費や入場料と共に、ナショナル・トラストの運営資金を補っています。環境保護に最も大切なのは人々の理解と行動ですが、その次に欠かせないのは、そのための運営資金という「お金」だということを、 私たちは学ぶことができます。

ナショナル・トラストの「ジャパニーズ・コレクション・キャンペーン」に参加しませんか?

在英邦人のナショナル・トラスト・メンバーで構成される「英国ナショナル・トラスト日本人会」では、ナショナル・トラストが所有する、日本から伝わった文化遺産の保護・修復のためのキャンペーンを展開しています。英国各地にあるカントリー・ハウスやマナー・ハウスとともに残された、伊万里焼や兜を始めとした貴重な日本の文化遺産を、私たちと一緒に守りませんか。詳細は英国ナショナル・トラスト日本人会事務局までお問い合わせください。

(写真右:ベルトン・ハウスに残されている日本の伊万里焼)

ナショナル・トラスト日本人会英国ナショナル・トラスト日本人会とは

2002年に日本の内閣府の認可を得て設立したNPO法人ナショナル・トラスト・サポート・センターの英国事務局が運営。在英邦人のための日本語による情報提供、現地プロパティの見学会、 また日英のナショナル・トラスト・サポートのためのさまざまな活動を行っている。

連絡先: 英国ナショナル・トラスト日本人会事務局 
Tel: 07951 677 714
E-mail: このメールアドレスは、スパムロボットから保護されています。アドレスを確認するにはJavaScriptを有効にしてください
http://ntscj.org

ナショナル・トラスト関連書籍

 

列車でつなぐ英独仏の小旅行

列車でつなぐ英独仏の小旅行

Photos :
右/ 上段:©News Digest 中段:©News Digest 下段:©Lina Kobayashi
中/ 上段:©News Digest 中段:©collection CRT Champagne-Ardenne 下段:©collection CRT Champagne-Ardenne
左/ 上段:©Römisches bad, Bernd Stuhlmann ©Carolus Thermen Bad Aachen 中段:©Oktogon mit Barbarossaleuchter ©Andreas Herrmann/ats 下段:©Haus Lowenstein mit Laterne ©Andreas Herrmann/ats

地図

島国ニッポンを抜け出して陸続きのヨーロッパに来たのなら、旅行しなけりゃソンソン!鉄道の発達した日本ほどでは無いにしても、うまく計画を立てれば大抵の場所には電車で行けてしまう。空の旅もいいけど、たまにはのんびり景色を眺めながらの小旅行も悪くない。英国、フランス、ドイツ、欧州でも人気の観光地3カ国で展開するニュースダイジェスト編集部がお勧めスポットを紹介します!




ブライトン

どこまでも続く小石の浜、真っ青な空、そして空を翔ける無数のカモメ。ブライトンには、英国と聞いて人々が想像する光景とはかけ離れた別天地が広がっている。ロンドンから列車でわずか1時間の潮騒の街。ここには、昔から英国の人々を惹きつけてやまない、「自由の空気」がある。

ブライトン
写真上:カラフルなヨットが停泊するブライトン・マリーナ(www.britainonview.com) 
写真下:沖にむかって伸びる桟橋ブライトン・ピア© News Digest

突如現れるインド風の丸屋根

伝統と格式に裏打ちされたロンドンの街並みを出て、列車でわずか1時間。ブライトンの駅に降り立てば、鼻をかすめる潮の香りとカモメの鳴き声が出迎えてくれる。駅正面の大通りを真っすぐ行くと、やがて眼下には180度広がる海の姿が。この街では、どこに行っても目や耳で、海の存在を感じることが出来る。

街のシンボルともいえるのが、インドのタージ・マハルを思わせる独特の丸屋根が異彩を放つ、ロイヤル・パビリオン。だが、内部に一歩足を踏み入れれば、竜をかたどった豪華なシャンデリアや、ちょっとグロテスクな大蛇のカーテン止めが姿を現す。そう、インテリアは一転、清朝中国の影響を色濃く残すオリエンタル調なのだ。欧州の海辺の街に突如として現れる異空間。けれど、すっきりした街並みに何となく馴染んで見えるのは、開放感溢れるブライトンの街が持つ、懐の広さ故だろうか。

ブライトンの人々は、健康志向の食いしん坊。レストランの数はロンドンに次ぐ国内2番目の多さを誇り、数年前には英国ベジタリアン協会が選定する「Best Destination for Vegetarian」にも選ばれた。そんな街でなら、きっと美味しくて体に良い食事を楽しめるはず。地元の人にお勧めのレストランを聞いたところ、皆が口をそろえたのが「テール・ア・テール (terre á terre)」。繊細で美しい盛り付けとボリュームが自慢のベジタリアン・レストランだ。今回ランチで注文したのは、スープとサラダのセット9.20ポンド(12ユーロ)。日替わりのスープは、濃厚なフェタ・チーズが程良いアクセントになったホウレン草のスープ。ドライ・トマトがふんだんに盛られたルッコラ・サラダと自家製のカリカリ&ふわふわハーブ・パンを味わえば、身も心も満たされる。

郷愁漂よう桟橋の遊園地

日本人には「ビーチ=砂浜」というイメージがあるが、ここブライトンの浜辺は、ごろごろした小石の浜。始めはちょっと歩きづらいけれど、慣れてくると足の裏を刺す軽い刺激が心地良い。日の光が水面に煌めく中、沖に向かって真っすぐに伸びているのは、水面から突き出した鉄柱が印象的な桟橋、ブライトン・ピア。橋上には、屋台やレストラン、ゲームセンターが立ち並ぶ。そして最奥には、郷愁をほのかに漂わせる遊園地が。先端に位置するジェット・コースターに乗り込めば、まるで海に飛び込んでいくかのようなスリルを味わうことが出来る。

ピアの入り口付近には、小さな小さな駅がひとつ。この駅は、世界初の電気鉄道、フォルクス・エレクトリック・レイルウェイの発着駅で、海岸沿いを走るその線路は、色とりどりのヨットが停泊するブライトン・マリーナまで伸びている。おもちゃみたいなキュートな列車に乗って、海風を体いっぱいに浴びてみよう。

漁村の名残

もともとは漁村だったブライトンは16世紀、英仏戦争の戦火により街のほとんどが焼失してしまった。そんななか、唯一残ったのが「ザ・レーン」と呼ばれる海岸近くの一角。まるで迷路のように狭く入り組んだ小道には、アンティーク・ショップやカフェ、レストランなどがひしめき、そぞろ歩きするだけでワクワクしてくる。

もし時間に余裕があるのなら、是非足を伸ばしてもらいたいのがセブン・シスターズ。ブライトンから列車かバスで東へ約1時間、羊が草を食むなだらかな草原が、突如切り落とされたかのように姿を消す。柵ひとつないその崖の下には、真っ白な白亜質の絶壁。ドーバー海峡に臨むこの岸壁は、見る者に自然の織り成す神秘の造形美を感じさせてくれるだろう。


アクセス

ロンドン・ブリッジ駅もしくは、ヴィクトリア駅からおよそ1時間
料金:16.40ポンド

ブライトン関連情報

テール・ア・テール
テール・ア・テール味、ボリューム、店の雰囲気。どれをとっても大満足のベジタリアン・レストラン

Terre à Terre
71 East Street, Brighton,
East Sussex BN1 1HQ
TEL: +44(0)1273 729051
www.terreaterre.co.uk
フード・フォー・フレンズ
フード・フォー・フレンズ ティー・タイムもお薦めな、ブライトン生まれのベジタリアン・レストラン

Food for Friends
17-18 Prince Albert Street,
The Lanes Brighton and Hove,
Sussex BN1 1HF
TEL: +44(0)871 426 5447
www.foodforfriends.com
イングリッシュ・シーフード・レストラン&
オイスター・バー

English's Seafood Restaurant & Oyster Bar海辺の街で本格的なシーフードを味わいたいならここ!

English's Seafood Restaurant &
Oyster Bar

29-31 East Street, Brighton, BN1 1HL
TEL: +44(0)1273 327980
ベジタリアン・シューズ
ベジタリアン・シューズ動物皮革不使用が自慢のシューズ・ ショップ。値段も50~80ポンドとお手頃

Vegetarian Shoes
12 Gardner Street, Brighton
East Sussex BN1 1UP
TEL: +44(0)1273 685685
www.vegetarian-shoes.co.uk
ブライトン観光局
ブライトン観光局まずはここで情報収集を。電話でブライトン行きの格安列車チケットも購入可能。

Visitor Information Centre
Royal Pavilion Shop
Royal Pavilion 4-5 Pavilion Buildings Brighton BN1 1EE
TEL: +44(0)906 711 2255
www.visitbrighton.com

シャンパーニュ地方3都市

パリからTGVでおよそ1時間、シャンパンの産地シャンパーニュ地方。ご存じの通り、シャンパンとはこの地方で生産されるワインにのみ与えられた呼び名で、それ以外の地域で生産されるものは「スパークリング・ワイン」と呼ばれる。つまり、世界に名立たる高級シャンパンの蔵元が密集するのもこのシャンパーニュ地方。赤いタスキで有名な「マム」や、日本でも有名なドンペリの蔵元「モエ・シャンドン」などを見学することが出来る。

シャンパーニュ
ランス・エペルネー間に広がるブドウ畑 ©OTER

フランスの古都ランス

ランスは498年にメロヴィング朝フランク王国のクロヴィス1世が聖別戴冠式(せいべつたいかんしき)を行った地。フランスという名の由来はこの「フランク王国」から来ているといわれている。

歴代国王の戴冠式が行われてきたことから、ランスはフランス王家の聖なる都市とされていた。街の中心に位置し、戴冠式が行われたノートルダム寺院は12世紀の建造物だが、第一次大戦時に大半が破壊されてしまう。そのため、現在寺院で見学出来るステンドグラスなどの内装はレプリカではあるが、ランスや歴代の王の歴史を見ることが出来る。中でもお勧めは、シャンパンの製造工程を説明するステンドグラスと寺院奥にあるシャガール制作のステンドグラスだ。

ここランスで見学出来るシャンパンの蔵元は、ラベルに「レジオンドヌール(フランスの勲章)」のシンボルでもある「コルドン・ルージュ(赤いタスキ)」がトレードマークのG.H.マム(G.H.Mumm)。19世紀から20世紀初頭には冒険家や政治家などが祝い事の際にマムのシャンパンを用いたことで、コルドン・ルージュの通り名はシャンパンの代名詞として世界中に知れ渡った程有名なシャンパンだ。ちなみに、現在でもF1グランプリの表彰台で使われるシャンパンはマム社のもの。

シャンパン蔵元
セラー見学では、シャンパンの詳しい作り方を聞くことが出来る
©News Digest

その他忘れてはならないのが、日本人画家、藤田嗣治が設計したチャペル。シーズンオフには予約を入れないと見学が出来ないが、マム社の近くにあるので、シャンパン・セラー見学後に足を伸ばしてみるのも悪くない。

シャンパン大通り、エペルネー

エペルネーはランスと肩を並べるシャンパンの蔵元 が多く点在するシャンパーニュ地方の街のひとつ。通称「シャンパン大通り」。シャンパン製造に生涯を捧げた修道士ドン・ペリニヨンの名前で有名な「モエ・シャンドン(Moët & Chandon)」を始め「メルシエ(Mercier)」「カステランヌ(Castellane)」など……。

街の地下には白亜質の洞窟を利用した総延長100キロメートル以上ともいわれる巨大なセラーが広がり、数百万本のシャンパンがエペルネーの地下に眠っている。中でも「モエ・シャンドン」社のセラーは一番広く、主要箇所の見学だけでも最低1時間半は掛かってしまうほどだ。ランスもエペルネーもTGV・エスト(東方面)が開通してからはパリから1時間で着いてしまうが、まずはランスを見学することを勧める。その後、車でブドウ畑の広がるランス山を抜けてエペルネーに向かえば、シャンパーニュ地方のブドウ畑を堪能することが出来るからだ。残念ながらランス・エペルネー間を運行するバスは無いが、タクシーで移動してもおよそ50ユーロ(38.5ポンド)以内で移動可能。電車の場合は約25分で運賃もひとり5.70ユーロ(4.4ポンド)とお手頃価格だ。

アウトレットの街、トロワ

シャンパンもいいけど、ショッピングも楽しみたいという人にお勧めなのがシャンパーニュ地方南部の街トロワ。この街には、アウトレット専門の大型ショッピング・アーケードがあり、有名ブランド品などを格安で買うことが出来る。なかでも有名なのが「マーク・アベニュー(Marques Avenue)」と「マック・アルチュール・グレン(Mc Arthur Glen)」。

この2店で200以上ものブランド品を格安で購入することが出来る。他にも日本で話題のパティシエ、パスカル・カフェのチョコレート屋さんもある。彼はフランス最高の職人(MOF)の資格を持つパティシエで、彼の自慢のデコレーション・チョコはこれまでに数々の賞を受賞している。そして忘れてならないのが、シャンパーニュ地方の郷土料理「アンドゥイエット」。豚モツの腸詰め料理なので独特の味わいだが、シャンパンとの相性は抜群!

アクセス

ランス
パリ東駅からTGVでおよそ50分
正規料金:38.90ユーロ
ローカル線でエペルネー乗り換え、およそ1時間50分
料金:22.70ユーロ

エペルネー
パリ東駅からTERで1時間10分
料金:19.40ユーロ

トロワ
パリ東駅からCorailで1時間20分
料金:22.20ユーロ

シャンパーニュ地方関連情報

ランス
G.H.マム
G.H.マム赤タスキが目印、シャンパンの 代名詞

G.H.Mumm
29, rue du Champ de Mars 51100 Reims
TEL:+33(0)3 26 49 59 69
www.mumm.com

11月~2月:9:00-11:00 14:00-17:00 要予約 日休
3月~10月:9:00-11:00 14:00-17:00 無休
入場料:通常8€、ミレジム14€、ミレジム・トリロジ19€
(団体割引20名から)

ランス
チャペル・ド・フジタ
チャペル・ド・フジタ藤田嗣治が設計のかわいらしいチャペル

Chapelle de Foujita
33, rue du Champ de Mars 51100 Reims
TEL:+33(0)3 26 47 28 44

5月2日~10月31日 14:00-18:00
休:水、7月14日
上記期間以外でも予約にて見学可能
入場料:1日券3€、1カ月券8€、1年券30€

ランス
ノートルダム寺院
ランスの歴史も分かるノートルダム寺院

Cathérale Notre Dame
Place du Cardinal Lugon 51100 Reims
www.cathedrale-reims.com

7:30-19:30 無休

エペルネー
モエ・シャンドン
モエ・シャンドンドンペリで有名なモエ・シャンドン社

Moët & Chandon
20, av de Champagne 51200 Epernay
TEL:+33(0)3 26 51 20 20
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www.moet.com

1月1日~3月21日、11月12日~12月 31日 土日祝休
3月22日~11月11日 9:30-11:30 14:00-16:30 無休
入場料:通常13€、インペリアル20€、グラン・ヴィンテージ25€

トロワ
マック・アルチュール・グレン
アウトレットなら、この2カ所で決定

Mc Arthur Glen
Zone des Magasins d'Usine Nord,
Voie du bois 10150 Pont Sainte Marie
TEL:+33(0)3 25 70 47 10
www.mcarthurglen.fr

月~金 10:00-19:00 土 9:30-19:00

トロワ
マークアベニュー
アウトレットがひしめく巨大アーケード

Marques Avenue
114, bd de Dijon 10800
Saint Julien les Villas
TEL:+33(0)3 25 82 80 80
www.marquesavenue.com

月~金 10:00-19:00 土 9:30-19:00

トロワ
パスカル・カフェ
パスカル・カフェフランス最高職人のチョコ!

Pascal Caffet
2, rue de la monnaie 10000 Troyes
TEL:+33(0)3 25 73 35 73
www.pascal-caffet.com


温泉の街、アーヘン

中央ヨーロッパで最も熱い温泉が湧く街アーヘンは、古くから温泉保養地として発展してきた。オランダとベルギーと国境を接したドイツ最西部の古都を、フランク国王カール大帝は心から愛し、この地で終焉を迎えた。その後、936年から1531年までドイツ王が戴冠式を執り行った大聖堂は、ドイツで初めて登録された世界遺産でもある。ローマ人やカール大帝が足しげく通った2000年以上の歴史を持つ湯に浸かり、大帝が飲んだ水で体と心を癒す、そんな旅に出かけてみよう。

アーヘン
左)Elisenbrunnen bei Nacht © Andreas Herrmann/ats
右)Badehalle, Bernd Stuhlmann © Carolus Thermen Bad Aachen

カール大帝が飲んだ水

円形天井が美しい中央駅を出て、街の中心地までは徒歩でおよそ10分。白亜の神殿のような建物が突如として目の前に現れる。それがエリーゼンブルンネン(Elisenbrunnen)だ。1827年に完成したパビリオンへ一歩足を踏み入れると、硫黄の匂いが漂ってくる。街全体の雰囲気からは感じられないが、「ここは本当に温泉街なんだな」と、どことなく懐かしい気持ちにさせてくれる。

中央には温泉水を飲める噴泉がふたつあり、旅行者や地元っ子を癒す憩いの場となっている。コップを忘れたので手ですくって飲もうとしたが、水温はなんと52.8度。かなり熱いので、すくうのにひと苦労である。1ユーロ払えば、同じ建物内にある観光案内所でコップを入手出来ると聞いたので行ってみると、残念ながら売り切れとのことだった。

温泉水は硫黄の匂いが少しきついものの、ミネラルが豊富に含まれ飲料治癒に適しているそうだ。大理石の壁には、これまでに訪れたVIPの名前が刻まれており、カロリング朝を開いたピピン王や息子のカール大帝の名もある。何世紀も前から人々の体を癒してきた温泉水を飲むと、体の奥から疲れが除かれた気がした。

老舗カフェで名物菓子を

喉を潤した後は、裏手に回って旧市街へ。伝統的な民家が軒を並べる石畳の路地をそぞろ歩けば、中世へ時代をさかのぼったかのような錯覚を覚える。

歩き疲れたときに立ち寄りたいのが、街で最古の歴史を誇るカフェ「アルト・アーヘナー・カフェーシュトゥーベン(Alt Aachener Kaffeestuben~Leo Van den Daele)」だ。およそ350年前に建てられた4軒の家屋がつながっており、入り組んだ室内は心地良い薄暗さで、ゆったりとくつろげる。ここの名物は、アーヘン銘菓プリンテン(Printen)。これは、さまざまな形をした焼き菓子のことで、硬いものや柔らかいもの、ハーブ入りやチョコレートでコーティングされたものなど、味も食感も多種多様。日本の「お袋の味」のように、各家庭でプリンテンのレシピが代々受け継がれていくという郷土菓子だ。

もうひとつ試して欲しいのが、ベルギーに由来する菓子、米のパンケーキ、ライスフラーデン(Reisfladen)。甘さの中のもちもちとした食感が、異国情緒を感じさせる。そしてコーヒーには、カップにフィルターがかぶさって差し出されるオリジナルのフィルターコーヒーをどうぞ。3国の国境という地の利のおかげか、朝食ではドイツ、ベルギー、マーストリヒト、フランス風から選べるというのも一興である。

ローマ人ゆかりの温泉

旅の最後には、ローマ人が2000年前から利用していたという温泉にゆったり浸かって帰ろう。なんといっても、74度というアルプス以北で最も熱い温泉が湧いているのだ。

市街地からバスで約5分、徒歩でも20分程のところにある「カロルス・テルメン(Carolus Thermen)」は、気軽に利用出来る公衆浴場である。ただし、サウナ以外は要水着着用なので忘れずに。タオルやバスローブは借りることも可能。ビーチサンダルもあった方が良いとのアドバイスを受けたが、無くても問題はない。

室内には約10のプール(浴場)があるが、残念ながらどれも水温35度程度に調整されており、日本人の感覚からすると少しぬるい。浴槽の深さが1メートル以上あるので、座ってくつろぐことも難しい。「20分浸かったら休憩を」と注意書きされているが、20分で上がると湯冷めしてしまうので、歩いたり、浮かんだりして、ゆっくり長く体をリラックスさせたい。

混浴のため、家族や恋人、友達、みんなで一緒に楽しめるのがうれしい。ただ注意したいのは、湯はぬるいが恋人同士は湯の中でもアツアツなので、間違ってもひとりで行かないこと。心身治癒ならぬ、心身消耗になってしまっては元も子もない。

湯から上がったら、「アーヘナー・カイザーブルンネン(アーヘンの皇帝の泉)」社のミネラルウォーター「グラヌス(Granus)」をググッと一杯。さっぱりして外へ出ると、空はすでに深い群青色。身も心もアーヘンに浸った1日が、終わりを告げようとしていた。

アクセス

ケルン中央駅からアーヘン中央駅まで1時間
料金:13.80ユーロ

アーヘン関連情報

エリーゼンブルンネンエリーゼンブルンネン
アーヘンのエンブレムともいわれる噴泉

Elisenbrunnen
Friedrich-Wilhelm-Platz, 52062 Aachen

アルト・アーヘナー・カフェーシュトゥーベン
アルト・アーヘナー・カフェーシュトゥーベン創業1890年の老舗カフェ。さまざまな形のプリンテンが楽しめる

Alt Aachener Kaffeestuben
~Leo Van den Daele

Bühel 18, 52062 Aachen
TEL: +49(0)241 35724
www.van-den-daele.de

月~土9:00-18:30、日祝11:00-18:30
プリンテン3種 2€
米のケーキ 2.7€
オリジナルフィルターコーヒー 2.9€
カルロス・テルメン
カルロス・テルメン
Orientalische Badewelt, Bernd
Stuhlmann © Carolus Thermen
Bad Aachen
色々な温泉が楽しめる、入浴には水着が必要なのでお忘れ無く

Carolus Thermen Bad Aachen
Stadtgarten/Passstraße 79, 52070 Aachen
TEL : +49(0)241 182740
www.carolus-thermen.de

営業時間:9:00-23:00
料金:2.5時間まで20€ 3.5時間まで23€ 4.5時間まで26€ 1日29€
※サウナを利用せず温泉だけの場合は各 半額料金となる
アーヘン大聖堂
アルト・アーヘナー・カフェーシュトゥーベンドイツで初めて世界遺産に登録された大聖堂

Aachener Dom
Müsterplatz, 52062 Aachen
TEL: +49(0)241 477090
www.aachendom.de

開館時間:4月~12月:火~日10:00- 18:00(月13:00、木21:00まで)
ガイドツアー:3€
月 11:00、12:00
火~金 11:00、12:00、14:30、15:30、16:30
土日 13:00、14:00、15:00、16:00
グラヌスグラヌス(Granus)
アーヘンでしか手に入らない水。
湯上がりに、ググッと一杯
アーヘン観光局
Friedrich-Wilhelm-Platz 52062 Aachen
TEL: +49(0)241 1802960
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www.aachen.de
 

英国ロックで見る社会情勢

英国ロックで見る社会情勢

紅茶のない英国生活が考えられないように、ロック音楽のない英国は考えられない。今や世の現状を謳う社会派アーティストは世界中に存在するとはいえ、ここまで音楽が政治や社会情勢に密着し、影響を与え合う国は少ないのではないだろうか。英国文化に深く根付いた「ロック」という思想と歴史、その大まかな流れを紹介しよう。

(本誌編集部:國近絵美)

音楽界の流れ
英国内の動き
1
9
5
0

  52年


58年
エリザベス2世即位


ノッティングヒル暴動
1
9
6
0


モッズ

62年

ビートルズがデビュー
ブリティッシュ・インベージョン
スウィンギング・ロンドン
プログレッシブ・ロック、
アート・ロック、
サイケデリック・ロック、
グラム・ロック
1
9
7
0

70年
72年
76年
78年

79年
ビートルズ解散
北アイルランド紛争
ノッティングヒル・カーニバル暴動
ロック・アゲインスト・レイシズム10万人による行進
マーガレット・サッチャー首相就任
パンク・ロック
ニュー・ロマンティック
第二次ブリティッシュ・インベージョン
1
9
8
0

84年
85年
12カ月にわたる炭鉱スト開始
ライブ・エイド開催
オルタナティブ・ロック

マッドチェスター
1
9
9
0

グランジ・ロック

91年
92年
94年
94年
96年

97年
97年

98年
首相官邸でIRA爆弾テロ
ジョン・メイジャー首相就任
IRAが停戦宣言
ユーロスター運行開始
チャールズ皇太子とダイアナ皇太子妃の離婚発表
トニー・ブレア首相就任
ダイアナ元皇太子妃がパリで自動車事故死
英国・北アイルランド紛争の和平合意
ブリットポップ

クール・ブリタニア
2
0
0
0

第三次ブリティッシュ・インベージョン? 01年
02年

03年

05年
総選挙で労働党圧勝
エリザベス女王即位50周年記念コンサート開催
米国に続き、英国もイラク侵攻に参加
ロンドン同時爆破事件
LIVE8



60年代

戦前の困窮した生活から抜け出したことにより、10代の若者たちが酒を飲み、自由思想を謳った新しい音楽を聴きダンスすることができるようになった、まさに「開放」の時代。ミニ・スカートが大流行し、ピルが出回り始めた時期と重なったこともあり、性的にも開放された。そして、そんな若者たちの思想を体現するロックン・ロールの時代が、満を持して到来したのだ。


この時代のこのバンドThe Beatles ビートルズ
(1963~70年)

The Beatles
64年には米国だけで約 3000万枚もの売上を 記録し、熱狂的な
ファンを指す「ビートルマニア」という俗語まで誕生した

「『英国らしさ』をつくりあげた」と評されるほど音楽、そして文化にも影響を及ぼした、世界で最も有名な英国人4人組。彼らはヒッピーや「愛と平和」を説いたフラワー・パワー・ジェネレーション全盛期の米国でも、ベトナム反戦運動やユートピア思想などに影響を与え、文化的にも社会的にも革命を起こした。どちらの国にとっても、若者たちが独自の価値観を模索していたムーブメントにおいて、ビートルズが新しい思想の媒体となったことは確かだろう。

また、1965年にはアレック・ダグラス=ヒューム首相が「今やビートルズは英国の秘密兵器である」と発言し、外貨獲得に貢献する彼らの活躍を称えた。同年6月、国家への多大な経済的貢献を理由に、バンドとして初めてM.B.E.(大英勲章第5位)を授与された(ジョン・レノンは4年後に抗議のために送り返している)。

キーワード1
ブリティッシュ・インベージョン  British Invasion

1964年から66年までの間、英国産バンドが全米チャートを独占した時期を指す。「英国の侵略」という仰々しい呼び名から、それまで米国が想像したこともなかった英国ロックの勢いを測ることができる。米国でのビートルズの爆発的な人気をきっかけに、おびただしい数のバンドが後を追って米国に進出し、当時ロックン・ロールが全盛だった米国へ、新たに「ブリティッシュ・ロック」という新風を送り込んだ。ローリング・ストーンズ、ザ・フー、キンクスが「ビッグ・フォー」と呼ばれている。

キーワード
スウィンギング・ロンドン Swinging London

60年代後半の英国における、若者が中心となって創り上げた革新的な文化の傾向を表す。戦後からの経済の回復とともに、楽観主義と快楽主義が全面に押し出されたこの時代は「文化革命期」とも称された。「モッズの女王」と呼ばれたモデルのツィギーとそのファッションが各国でユース・カルチャーの象徴となり、また66年にサッカーW杯でイングランド代表が優勝し、ユニオン・ジャックのデザインが巷に溢れたことも、世界に「旬」の英国を認識させるに至った。

70年代

暗い未来を象徴したかのように、ダークなサウンドへと移行。計算されつくした3分間のポップ・ソングではなく、よりサイケデリックなものや、この頃に発生したプログレッシブ・ロックが主流になる。その後、技術や構成力を強調したプログレッシブ・ロックの対極ともいえる、原始的でキャッチーなグラム・ロックも参入。しかし、そのけばけばしさや中産階級に向けた音楽は、次第に若者たちの心から離れていく。
1970年代半ばには、英国の不景気が加速。失業率の増加は人々を扇動的にし、人種差別や警察の暴力が日常的に取りざたされるようになった。社会への反逆を提唱していたロック・ミュージックでさえも、この頃にはメッセージ性を失い、それまで非難していた名声や富そのものによって堕落した状態。そんな時、怒りや孤独を抱える若者たちは、突如現れたパンク・ロックに心のはけ口を見出すようになった。

この時代のこのバンドThe Clash クラッシュ
(1976~85年)

The Clash
最も成功したパンク・バンドであるクラッシュは、レゲエやダブなどを
取り入れた楽曲も多く発表し、音楽界にも強い影響を与えた

当時無名であったセックス・ピストルズのライブに感化されたクラッシュは、1976年にレコード会社と契約。この年、失業者は120万人を数え、翌年には150万人を突破、欧州の工業国で最高値を記録した。労働者階級の怒りや失望を「パンク」という音楽に変えたのがセックス・ピストルズであれば、その憤りを紐解く哲学や生き様を説き、政治活動に参加するように働きかけたのがクラッシュであった。彼らは社会の腐敗や階級主義、人種差別や警察の横暴さを批判し、「アンチ・ナチ・リーグ」や「ロック・アゲインスト・レイシズム」といった活動にも第一線で参加。なかでも02年に他界したボーカルのジョー・ストラマーは左翼の政治活動家であり、彼の音楽業界や社会への貢献を称える者は後を絶たない。

この時代のこの1曲White Riot (1977)
アルバム「The Clash」収録

ノッティングヒル・カーニバルで起きた暴動の翌年に発表された「White Riot(白い暴動)」は、歌詞を文字通り聴けば、人種間での争いを煽っているようにとれる。しかしこの曲には、白人の若者に対し「黒人たちのように、自分たちも暴動を起こす正当な理由を見付けろ」と、両者が力を合わせ、階級や政府などの抑圧に反抗するようにと促すメッセージが隠されている。白人として人種的な正義を訴えた、英音楽史上でも重要な1曲である。
The Clash / The Clash (1977)

キーワード1
ノッティングヒル暴動 Notting Hill Riots

元英国植民地からの移民と白人の労働者階級の人々の間に対立が深まり、58年8月28日、イングランド中部の街、ノッティンガムで黒人の青年が白人男性を刺殺する事件が起こる。それをきっかけに、カリブ系移民移住区であるロンドンのノッティングヒル地区に数千人もの白人が集まり黒人を襲撃。黒人5人の犠牲者を出した暴動は、約1週間続いた。それから7年後の65年、同地で移民の祭典として、「ノッティングヒル・カーニバル」が開催される運びとなった。しかし、カーニバルが開始された当初から人種的な争いは絶えなかった。そして、70年代に入り失業率が増加すると人種対立が深刻化し、76年のカーニバルで100人以上もの警察官と約60人の参加者が病院に運ばれ、66人が拘束されるという暴動が起きた。

キーワード
ロック・アゲンスト・レイシズム Rock Against Racism

エリック・クラプトンが「英国を『黒人の植民地』にしないためにも、イノック・パウウェル(極右で有名な保守党党員)に投票するべきだ」と発言したり、デービッド・ボウイが「英国はファシストを指導者に迎える用意ができた」と語ったりしたため、蔓延する人種差別的な思想に警告を発するために発足された団体。78年4月、極右組織「ナショナル・フロント(国民戦線)」が集まるハックニー地区で野外コンサートを行った際には記録的な支持を集め、トラファルガー広場から開催地まで、約10万人もの市民が行進したという。

80年代

「ニュー・ロマンティック」と呼ばれる、ファンタジーや空想など、現実逃避のきらいがある楽曲が主流になった80年代初頭。しかもミュージック・ビデオの放映を専門としたMTVが81年に米国で登場すると、音楽界とクリエイティブ界は新時代に突入し、アーティストが産業的に成功するには話題性のあるプロモーション・ビデオが必要になる。英国はデュラン・デュランやカルチャークラブなどといった、ヴィジュアル効果を最大限に利用したアーティストたちを米国に送り込み大成功を収め、「第二次ブリティッシュ・インベージョン」と称された。
一方で、80年代中期にはハード・ロック寄りでリアリズムを説くバンド、そしてサッチャー政権を厳しく非難する左翼バンドなどが加わった。それは84年に毎晩のようにテレビで放映された炭鉱者たちによるストライキや、それを取り締まる警察との衝突による衝撃に影響するところが大きい。そしてロック・ミュージシャンたちが新しい表現法を模索するなか、「オルタナティブ・ロック」という新しいジャンルが誕生した。


この時代のこのバンドThe Smiths スミス
(1982~87年)

Morrissey
スミス解散後にソロ・アーティストとして活動を開始して以来、
現在も第一線で活躍しているモリッシー

サッチャー政権による時代の変動を要約し、社会や体制を声高に批判したスミスは、80年代で最も重要なバンドと称される。キャッチーでポップなメロディーと、それに相反するような重い内容の歌詞は、政府に不信感を持つ若者たちに洞察を与えた。

この時代のこの1曲Meat Is Murder (1986)
アルバム「Meat is Murder」収録

学校や家庭での体罰に対する批判など、政治的メッセージが全面に打ち出されたこのアルバム。タイトルともなった曲「Meat Is Murder」は肉食を動物虐待であると訴え、ベジタリアンであるフロントマン、モリッシーの意見を色濃く反映している。このアルバム発売当時には、メンバーに肉を食べているところを写真に撮られないように要請していたという。モリッシーはインタビューでも議論を呼ぶコメントを多く残している。サッチャー政権に対する不満を述べ、さらにチャリティー・イベント「ライブ・エイド」を「独善的」と称した彼は、同イベントはアフリカの貧困をサッチャーや女王に訴えることなく、無職の音楽ファンから金を巻き上げているだけだと非難した。
Meat Is Murder / The Smoths (1986)

キーワード1
ライブ・エイド Live Aid

「1億人の飢餓を救う」というスローガンのもと、1985年、エチオピアにおける飢饉救済の資金集めのために開催された20世紀最大規模のチャリティー・コンサート。世界約100カ国で15億人以上がこのイベントの模様を見たといい、1億5000万ポンド(約345億円)の資金が集められ、「音楽が世界を救った日」と絶賛された。2005年7月には、貿易障壁とエイズ問題などの認識を高める目的で「LIVE8」として復活した。

live Aid04年には約20年の時を経てDVD化された。ダイアナ妃(当時)やフレディ・マーキュリーなど、今はなき人々の姿も記録されている
Live Aid [1985]

キーワード
レッド・ウェッジ Red Wedge

1985年、音楽を通して政治活動を続けるビリー・ブラッグによる主導のもと、ポール・ウェラーなどの人気英国人ミュージシャンたちが集まり発足。若者たちに政治に興味を持たせることを目的にコンサート活動をし、86年のライブではスミスも参加している。正確には労働党に属してはいなかったが、同党本部に事務所を構えていた。マーガレット・サッチャー率いる保守党政権を破り、労働党の勝利を目指したが、87年の総選挙でサッチャーが3期目の当選を果たすと自然消滅し始め、90年には正式に解散した。

90年代

80年代後半から続いていたダンス・ミュージックとロックが融合した「マッドチェスター」の動きは終息に向かい、ニルヴァーナを筆頭とするグランジ・ロックが流行し、米国出身のバンドがチャートを独占し始める。しかし94年にロック界のカリスマ的存在であったニルヴァーナのフロントマン、カート・コバーンが自殺すると、グランジ・ブームは一気に影をひそめた。開放的なロックへの回帰が渇望され、ブラーの3rdアルバムとオアシスの鮮烈なデビューが決定打となって音楽シーンが急変する。


この時代のこのバンドRadiohead レディオヘッド
(1992~)

97年に発表されたアルバム「OK Computer」は、ブリットポップが衰退し始め、政治情勢が変動し始めた頃に発売された。工場方式の農場経営やグローバル化、そして過去20年間にわたる保守党政権についての本に影響されたというこの作品には、労働党政権に移行しても、現状はそれほど改善されないだろうという懸念が滲んでいる。ブリットポップの「楽しいロック」ではなく「考えさせる」楽曲を発表し成功したことにより、このアルバムがブリットポップを「殺した」と称する批評家もいたほどだ。そして実際、これをきっかけに、それまで英国を支配していた「ギター・ポップ」のスタイルはどんどんスローに、そしてメランコリックに変化していった。


Oasis   Thom Yorke
写真左)デビュー・アルバムが英国で初登場1位を獲得し、当時の最速売上記録を更新したオアシス。
2ndアルバムではビートルズの持っていた英国アルバム売り上げ記録を約30年ぶりに更新した
写真右)ボーカル・ギター を務めるフロント マンのトム・ヨーク。先進国にとって有利な貿易法の
改正を呼びかける運動にも積極的に参加している

キーワード1 ブリットポップ Britpop

キャッチーでさえあれば、アート・ロックからハードなものまで、なんでもあり。それがブリットポップと呼ばれ、社会現象にまでなったロックの形だった。中流階級出身のブラーと、労働者階級のオアシス。人気を二分した両バンドの音楽性、階級、出身地の違いが雑誌などで大きく取り上げられ、そして95年にシングル同日発売が決定すると、どちらが1位を獲得するかメディアが激しく煽った。この様子はBBCのニュースでも報道されるなど異様な盛り上がりを見せ、ロックが世間の「お茶の間レベル」にまで浸透。こうしてブリットポップは英国中を巻き込んだ一大ムーブメントとなった。

この2バンドの爆発的な人気にあやかり、レコード会社は新人バンドを次々とデビューさせ、戦略的なマーケティングを武器に米国にも進出。英国出身というだけでバンドが持てはやされるようになる。しかしブリットポップの生みの親であるブラーのフロントマン、デーモン・アルバーンは、ブームが肥大化しすぎたその現状を嘆いた。97年にブリットポップに相反する曲調のアルバムを発表した後、「ブリットポップは死んだ」と宣言。この発言を機にブームは失速し、終焉を迎えた。この頃にデビューし人気を博した多くのバンドは、ごく一部を除き、2000年頃までには姿を消してしまった。

ちなみに、05年9月より、GCSEレベルの音楽の授業では、ブリットポップをコースの一環として学ぶことができるという。

キーワード
クールブリタニア Cool Britania

90年代前半から、英国で発祥した若い世代による文化が世界的に認められつつあった。ブリットポップやレイブはもとより、アート界やファッション界のアーティストたちも、次々と「英国の独自性」を発信しブームを作り始めていたのだ。

そんななか、96年末に米「ニューズウィーク」誌がロンドンを「地球上で最もクールな首都」と紹介。これが「クール・ブリタニア」という用語が生まれるきっかけになったともいわれ、メディアや広告業界がこのフレーズを広く使い始めた。

一方、95年頃には100年ぶりともいわれる好景気が英国に到来。そして97年の総選挙で44歳のトニー・ブレアが首相に選出されると、オアシスのフロントマン、ノエル・ギャラガーや各界の若手アーティストたちが新首相を訪れ祝意を表した。ブレアは彼らと対面することで、政治とアートを近づけようと考えたのだ。「クール・ブリタニア」のフレーズはブレアの新鮮なイメージと共に世間に広まり、さっそく同首相は国の主要産業として「国家ブランド戦略」を開始。そして96年にブリットポップ系のバンドが多数参加した映画「トレイン・スポッティング」が公開されると、英国のエンターテインメント界が絶頂期であることを世界が認知することとなった。

しかしブリットポップが収束すると、「クール・ブリタニア」も死語へと変わっていく。ブレア政権の人気も低落し始めたころで、この政策の成果に疑問の声が挙がった。しかし「古い」英国のイメージが「伝統とモダンが溶け合う国」という認識に変わり、英国が世界で一番「クール」であった時期があったのもまた事実だ。

2000年以降

ミレニアム前後にはお祭り騒ぎのなかでクラブ・シーンが一気に花開いたが、2001年にニューヨーク出身のバンド、ストロークスが英国でデビューするや否や「ロックの救世主」と称されるほどの人気となり、ロックのリバイバルのきっかけとなった。また、ブリットポップを聞いて育った世代の若手バンドが次々とデビューし、英国ロック・シーンが再び活気を取り戻している。
BPI(英国レコード工業会)が06年に発表したレポートによると、国内のアルバム・セールスにおいて、ブリットポップ期の96年でさえポップがロックに約8パーセントの差をつけて1位であったのに対し、04年にはわずかながらもロックが逆転、そして05年には10.4パーセントもの大差でロックが首位を守った。この勢いに、60年代、80年代に続き、第三次ブリティッシュ・インベージョンが起こる可能性すら噂されている。

この時代のこのバンド Arctic Monkeys アークティック・モンキーズ (2005~)

Arctic Monkeys
1st、2ndアルバムともに全英1位に輝き、07年に日本の音楽フェスティバル
「サマーソニック」では史上最年少(21歳)で大トリを務めた

05年にデモ音源がインターネットで公開され話題を呼び、半年後にはインディー・レーベルと契約。その3カ月後に発表したシングルが全英初登場1位、1週間で4万枚を売り上げるという異例のデビューを飾った。デビュー・アルバム発表前からライブのチケットを完売させるなど、前代未聞だらけのこのバンドは、出身地であるシェフィールド訛りで歌う歌詞に反映された、若者のリアルな生活感が共感を呼ん でいる。

これを聞かなくちゃ、ただのもぐり──そう断言できるほど英国人気質や社会情勢を体現した曲は、それこそ星の数ほどある。そんな中から、英国ロックに惚れこんだ人たちに、「英国らしさ」が詰まった1曲を無理やり選んでもらいました。

スミス京子スミス京子 
本誌コラム 「セレブの部屋」 ライター

「Lazy Sunday」(1968)
by Small Faces(スモール・フェイセズ)

60年代ロックを代表するアルバムのひとつ「オグデンス・ナット・ゴーン・フレイク」(全英1位)からのシングル・カット。ザ・フーが西ロンドンのモッズ・ヒーローなら、メンバー全員がイーストエンド出身のスモール・フェイセズは東ロンドンのそれ。キンクスのように社会的関心の高いバンドではないけど、だからこそ普遍的な英国のユース・カルチャーを体現しているように思う(アメリカに受けなかった理由かな)。曲は、日曜の午後に大音量でレコードをかけていたら、隣人に壁を叩かれてムカつくぜといった他愛ないもの。飲んで踊っての定番「サタデー・ナイト・フィーバー」翌日のことでしょう。サイケデリックなカラッとしたサウンドと、スティーブ・マリオットがコックニー訛でやけくそ気味にがなり立てて歌うのが、乾いたユーモアと若者の苛立ちを表現していて、実に英国ロックの味わい。最近の生真面目なアーティストに見習ってほしいものね。余談だけど、マリオット脱退後はロッド・スチュワートが加入、バンド名もファイセズに。
The Essential Collection / Small Faces

エスペン・クルカグエスペン・クルカグ
フリーランス・ミュージック・フォトグラファー

「Street of Sorrow/ Birmingham Six」
(1988)By The Pogues(ザ・ポーグス)

僕が政治に興味を持つきっかけになったのが、このアイリッシュ・ フォークとパンクをミックスさせたバンド「ザ・ポーグス」。オリジナル・メンバーは皆アイルランド系英国人だ。政治とか国の指導者とかについて何の疑問も持たない家庭で育った僕にとって、彼らの「Street of Sorrows / Birmingham Six」という曲は、強力な目覚まし みたいだった。この曲は2部構成で、前半は北アイルランドでの抗争による恐怖と痛みについて、そして後半は74年に起こった冤罪事件について歌っている。タイトルの「Birmingham Six」というのは、IRA暫定派がバーミンガムで起こしたパブの爆発テロ事件のことで、この時逮捕された6人は無理やり書類にサインさせられ、終身刑を下された。ポーグスは彼らの無実をこの曲で訴えたけど、当時はまだ冤罪が確定されていなかったから、放送協会なんかが放送を禁止した。それでも僕みたいに情報を鵜呑みにしていたリスナーは、「事実を知る」ってことがどれだけ重要か考えさせられたんだ。
If I Should Fall From Grace With God (Remastered & Expanded) / The Pogues

 
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