侍の国、最先端の科学技術が発展している国、マンガやゲームの傑作を次々と生み出していく国・・・・。世界が抱く日本のイメージには様々なものがあるが、中には「(食べてはならぬ)クジラを食べている国」という、日本人にとってはちょっと意外な印象を持っている人々がいる。この傾向は環境保護運動が活発に展開されているここ英国では特に顕著であり、各メディアの報道によって日本の対応が痛烈に批判されることもしばしば。しかし、そもそも「日本=クジラ」といったイメージはどうやって作られたのか、さらには数ある動物の中でなぜクジラだけを食べていけないかという疑問が頭をもたげる。そこで今回の特集企画では、2007年5月28日に開催される国際哺鯨委員会(IWC)総会を前にして、反哺鯨キャンペーンに力を注ぐ環境団体の人々にインタビューを敢行。対話を通じて拾った彼らの日本に対する主張を、元の発言にできるだけ忠実な形でウェブサイト上に再現した。クジラを食うべきか食わざるべきか、最後はあなた自身で判断を下して欲しい。(本誌編集部: 長野雅俊)
捕鯨問題にまつわる4つの基礎知識
まずは予備知識として、クジラにまつわる国際事情を簡単におさらい。以下に示したような状況の中で、一度は禁止された捕鯨の再開を求めている日本は世界の注目を浴びている。
1. クジラって、捕獲してはいけないの?
人類による乱獲のためにクジラの生存数が激減したため、この流れに歯止めをかけようと国際捕鯨委員会(IWC)総会が1982年に商業捕鯨の一時停止(モラトリアム)を採択した。モラトリアムは1985年に施行されてから現在まで継続されており、いくつかの例外を除いて捕鯨活動は禁止されている。
2. IWCとは?
イングランド中部のケンブリッジに本部を置く国際機関。国際捕鯨取締条約に基づき1946年に設立された。年に1回総会を開催し、クジラの生態に関する報告を基に、クジラ資源の活用についての協議を行っている。またIWC加盟国である日本政府は、長年にわたって捕鯨の再開を訴えている。
3. 日本は今、クジラを一切捕獲していないの?
日本はクジラの生態調査を目的とする「調査捕鯨(Scientific Whaling)」という形で一定数のクジラを現在でも捕獲している。これについて日本政府はIWCで取り決められた規約の範囲内であり、クジラの生態を確かめるために必要な措置であるとの見解を示しているが、捕鯨反対派からは「事実上の商業捕鯨」だとして強い批判が向けられている。
4. 日本以外で、クジラを捕獲している国はないの?
グリーンランドやアラスカといった食糧資源に乏しい北極圏などにおける捕鯨活動は、原住民生存捕鯨(Native Whaling)と呼ばれ、各環境団体は例外的な事情として理解を示すことが多い。またIWC加盟国であるノルウェーとアイスランドは商業捕鯨を既に再開しており、国際社会から非難を浴びている。
クジラに関する年表
| 9世紀頃 | ノルウェー、フランス、スペインなどで捕鯨が始まる |
| 12世紀頃 | 日本で手銛(もり)による捕鯨が始まる |
| 1853年 | 米国提督ペリーが捕鯨船の寄港地を求めて黒船で上陸 |
| 1948年 | 国際捕鯨委員会(IWC)設立 |
| 1982年 | IWC総会において商業捕鯨一時停止「モラトリアム」を採択 |
| 1985年 | モラトリアム施行 |
| 1994年 | 南氷洋クジラ保護区の設置を採択 |
| 2001年 | ロンドンで第53回IWC総会が開催 |
| 2002年 | 下関で第54回IWC総会が開催 |
| 2006年1月8日 | 南極海で日本の調査船団とグリーンピースの船の接触事故が発生 |
| 2006年1月25日 | 日本の捕鯨活動に対する抗議として英国の環境団体が日本製品の不買運動を呼び掛け「在英日本大使に抗議文を送れ」と書かれた意見広告が「インディペンデント」紙などに掲載される |
| 2006年1月26日 | ドイツのベルリン中心部にある日本大使館前にグリーンピースがナガスクジラの死骸を置いて捕鯨反対運動を展開 |
| 2007年5月28日 | 米国アラスカ州のアンカレジで第59回IWC総会が開催 |
✔ 捕鯨賛成派日本、ノルウェー、アイスランド、デンマーク、ロシア、モロッコ、カンボジアほか
✘ 捕鯨反対派
英国、米国、ブラジル、オーストラリア、ニュージーランド、フィンランド、フランス、スペイン、ドイツ、イスラエルほか
環境団体が語るクジラを食べたらいけない理由①
グリーンピースUK 海洋キャンペーン担当
ジョン・フリゼルさんの主張
「クジラを絶滅に追いやるから」
「商業捕鯨がクジラを絶滅に追いやることは、歴史が証明しています」
―反捕鯨団体の代表として、まずはグリーンピースの声を聞きたいと思っています。グリーンピースの過激な反捕鯨キャンペーンは今ではすっかり有名になりましたね。
はい。グリーンピース設立直後から商業捕鯨には反対との立場を取っています。今日本などは数種あるクジラのうちいくつかの種の生存数が回復しているとの理由で、商業捕鯨の再開に向けて動いていることに危惧を覚えています。いまだ危険な状態に置かれている種類も多くあるのです。
―捕鯨に反対する主な理由は何ですか。
商業捕鯨がクジラを絶滅に追いやることは、これまでの歴史が証明しているからです。さらには、我々がクジラを食べなければいけない理由というのがそもそもないからです。
―でも実際、IWCの科学委員会は1990年に「ミンククジラは増加している」と報告しています。
その質問に答える前に、これまでの捕鯨の歴史を振り返る必要があります。これまで人類はクジラの生存数が減ると捕鯨を一時停止し、「もう大丈夫」と思って捕鯨を再開すると、すぐにまたクジラが絶滅の危機に瀕する、ということを繰り返してきました。まして現代では海の汚染や騒音など、クジラの生存に対するかつてない脅威がたくさん存在しています。調査によると、ここ50年ほどでマグロを含む大魚が90%も激減したそうです。それだけ海の生態系がひどく乱れていると想像できます。このような状態で捕鯨活動を再開するのは、賢明とは言えません
質問に戻ると、あなたは1990年のデータを引用しましたが、2000年にIWCはクジラ生存数の回復具合は実はよくつかめていないと発表しています。日本は自分たちに都合の良い数字だけを用いて、ごく最近の報告については言及すらしないのです。
―「実態がつかめない」というのはどういうことですか。
クジラの生態調査は、例えば人間が玄関のインターホンを押してアンケートに答えてもらう意識調査のようにはいきません。通常はボートの上から一瞬見えたクジラを記録し、発見した位置や状況から数学的に割り出した生存数を「見積もる」のです。しかしこの方法だと実際の数字と乖離している可能性が非常に高い。同じクジラを2回カウントしている場合もあり得ますからね。豊富な経験を積んだベテランの研究者でも、クジラの生存数に関して確実なデータを取ることはできないのです。
―海洋生物の中で、なぜクジラだけ捕獲しては駄目なのでしょうか。
その他の魚は何十万、何百万という卵を一斉に産むことができます。しかしクジラは哺乳類なので、少しずつしか子どもを産めないのです。だからクジラの子ども世代が親の代の総数を抜くことは非常に稀で、それだけ頭数の維持が難しくなっています。
―ただクジラは体に合わせて魚の消費量も巨大なので、頭数ばかり増えると今度はその他の魚が絶滅の危機にさらされてしまう。そういう状況を防ぐために、クジラを「間引く」必要性があるとの議論についてはどうお考えですか。
第一に、人間が生存する前からクジラは生存していました。だからといって人類の誕生以前に海の魚が絶滅の危機に瀕していたという話は聞いたことがありません。第二に、クジラは例えばマグロのような、人間が食用とする大きな魚を食べません。こういった食用の魚を最も消費するのは実はシーバスなんです。でも誰もシーバスを間引いた方がいいとは言いませんよね。
「クジラを食べたいという日本人は、実は非常に少ないのです」
―先ほど「クジラを食べなければいけない理由はない」と仰りましたね。でも、例えば英国人だって、フィッシュ&チップスを食べなくても生きていけると言われたら、原料となるタラを食べるのを止めますか。
第一に、日本は裕福な国です。その点で、エスキモーやアラスカの原住民など食糧資源に乏しいため捕鯨を行っている人々との違いがあります。またよく捕鯨が日本の伝統文化だと言う人たちがいますが、捕鯨の慣習が根付いていたのは仙台とか勝山とか、日本のごくごく一部の地域だけで、全国規模で広まったのは第二次世界大戦で食糧難に直面してからです。
そしてもっと重要なことは、クジラを食べたいという日本人は、実は非常に少ないのです。グリーンピースなどの調査によると、95%の日本人はクジラの肉を特別食べたいとは思わないと答えています。あまりに需要が低いので、日本政府はクジラを食文化として浸透させることを目的とするマーケティング会社さえ設立しました。そして反捕鯨派の日本人は、まるで非国民であるかのようなメッセージを伝えています。なぜ日本政府がそこまで捕鯨にこだわるのか、私には分かりません。ただ聞いた話によると、国としてのプライドを守る、みたいな感情論が関わっていると指摘する声もあるようです。
「直接行動がなければ、関心さえ払ってくれない」
―グリーンピースといえば、過激な抗議活動で知られていますね。
勘違いしないで欲しいのは、私たちの抗議活動は、過激であっても暴力的ではなく、人間に危害を加えるようなことは決してしないということです。また派手さでいえば、IWC議会の外では、反捕鯨派だけでなく、捕鯨派もかなり騒々しくやっていますよ。
ただ議会の中では、騒ぐと追い出されてしまうので、私も静かにしています。事実を書き連ねた文書を出席者に配布し、私たちの考えを伝える。いわゆるロビー活動ですね。あと、日本を訪れた際に水産庁の漁業交渉官である森下丈二さんとも討論しました。彼は私が意外にも冷静に論理で攻めてきたことに驚いていたみたいです。
―それだけ論理的に説明する能力を持っていながら、なぜクジラの死骸を日本大使館の前に置くような極端な行動に走るのですか。世間の注目を集めることはできても、それだけ非難も受けるでしょう。
少なくとも、日本からは非難を受けやすくなるかもしれませんね。ただ、日本人の方々に捕鯨問題についてメッセージを伝えるのは非常に難しいことなんです。過激な行動を起こせばメディアに取り上げられるが、非難も受ける。でもそういった行動なくしては、日本のメディアは関心さえ払ってくれない。そもそも、日本が捕鯨活動を行わなければ、私たちは抗議活動などする必要もないんですよ。
Photo: Rie Izawa
1971年に設立された国際環境団体の英国支部。「直接行動」と呼ばれる過激な抗議活動で知られており、捕鯨問題に関しては「レインボー・ウォリアー」と名付けられたボートを使って捕鯨船の進行を止める抗議や妨害活動が有名。
環境団体が語るクジラを食べたらいけない理由②
International Fund for Animal Warfare (IFAW)
クジラ生物学者
ヴァシリ・パパスタブルさんの主張
「国際法に違反しているから」
「国際法に照らし合わせた際に重大な懸念があります」
-まず始めに、捕鯨問題に対するIFAWのスタンスを教えてください。
日本の調査捕鯨を含む、あらゆる形態の商業捕鯨活動に反対です。捕鯨を実施すれば人間がクジラを絶滅に追いこんでしまうことは過去の歴史が証明していますし、被弾してからクジラが息絶えるまでに長時間苦しみもがくという殺し方も残酷だと思います。さらに言うと、国際法に照らし合わせた際に重大な懸念があります。
-「国際法」とは、具体的にどんな法律のことを指しますか。
クジラは非常に移動性が高く、海に住む哺乳類であるということから、国際法の見地から見て特別な地位を持っています。ゆえに国連の海洋法条約には、クジラの保存の仕方について、世界各国の話し合いの下に慎重に決定することが定められているのです。
1994年のIWC総会において世界各国が話し合った結果、日本というたった1カ国を除いたその他の23カ国が南氷洋クジラ保護区を設置し同地区での捕鯨を中止することに賛成しました。この時点で世界諸国の見解が一致した以上、日本もこの決定を尊重し、捕鯨を中止すべきというのが理に適った考えだと思います。実際、1982年より実施されたモラトリアム以後は、スペインやブラジルといったかつての捕鯨国もこの決定を尊重し、捕鯨産業から撤退しているのです。
-ただIWCで出された決議の全てが法的拘束力を持つわけではありませんし、既に捕鯨活動を再開しているノルウェーやアイスランドの例もあります。捕鯨しているという理由で日本を罰することはできない以上、「国際法違反である」との主張にはどこまで説得力があるのでしょうか。
国際司法の場で法的に訴える方法はいくらでもあります。ただこういった行動は政府が起こさないと意味をなしません。私たちは政府が動くよう働き掛けているのです。
「研究資金を集めるために動物の肉を売るという仕組みが出来ているのは、恐らく「調査捕鯨」のみでしょう」
-IWCの決定でいえば、IFAWが反対を唱えている日本の調査捕鯨については認められているのではないでしょうか。
国際捕鯨取締条約第8条には「科学的研究のために捕獲したクジラは可能な限り加工して利用しなければならない」ことが定められています。同条約を日本政府はクジラ製品を販売すべき、と解釈しているようですが、これは間違っています。確かにクジラを加工処理してよいし、製品を分配することも許されています。しかし販売することまでは認められていない。IWCで定められた「調査捕鯨」の目的とは、何千頭ものクジラの殺戮を許可することではなくて、最低限必要なサンプルを採取して、そしてそれらのサンプルを決して無駄に扱ってはならない、ということなんです。
-ただクジラの生態調査には、やはり多大な資金が必要となりますよね。研究目的で一度捕獲したクジラの肉をそのまま捨てるのではなくて、必要としている食産業に販売し、その売上をまた研究活動の資金とする、という考え方には一理あるような気がします。
科学者が研究資金を集めるために研究対象となる動物の肉を売って資金を集めるというのは非常に稀なことであり、恐らくこんな仕組みが出来ているのは「調査捕鯨」のみでしょう。だからこそ、科学者たちの間に利益を巡る争いが発生してしまうのではないでしょうか。
「IWCは日本が集めているデータなんて必要としないのです」
-多くの生物学者たちがクジラの生態調査の難しさを述べています。ほとんど海面下に隠れているため、彼らの生活を人間が観察するには色々と不具合があるようなのです。もし日本の調査捕鯨が認められなくなったとしたら、クジラの生態を正確に把握する術はあるのですか。
IFAWはここ20年間にわたって、クジラの生態調査を行うための新たな科学技術開発の第一線に携ってきました。なぜならば、死んだクジラを解剖する「調査捕鯨」で集められる情報量には、限界があるためです。とりあえず倫理的な観点は一切排したとしても、科学者の間では「調査捕鯨」という研究方法は評価が非常に低く、学術誌上で取り上げられることもほとんどありません。
理由の第一として、殺してしまったらデータを取るのは一回きりです。しかし特定の生きている動物を対象とすれば、成長に従って繰り返し調査を行うことができる。第二に、「調査捕鯨」では捕獲しやすいクジラばかりがサンプルとなる傾向があって、データに偏りが出てしまいます。そして最後に、IWCは日本が集めているデータなんて必要としないのです。なぜならば、捕鯨がもし再開されて捕獲数を設定するとなったら、現在の生存数と、過去に人間が捕獲した記録さえ分かればいいのだから。現在の生存数に関しては、クルーズに乗ってホエール・ウォッチングをすれば確認できるのです。実際、IWCは「調査捕鯨は本組織の運営に当たっては必要とされない」と明言しています。
-最後に、このいわゆる捕鯨問題は、クジラを食べる習慣を持たない国々による日本に対する文化侵略だとの声があります。こういった意見を聞いてどう思われますか。
英国はかつて、日本よりもずっと強い捕鯨文化を持っていました。今から200年程前、日本が捕鯨を本格的に開始する以前から、英国を含めた欧州諸国は捕鯨活動を行っていたのです。日本にクジラを撃つための大砲の使い方を教えたのもノルウェーです。
さらに言えば、IFAWとグリーンピースが共同して行った調査によると、日本の国民はクジラの肉をほとんど食べず、しかも捕鯨を日本の文化として強く意識しているわけでもない。だから日本の水産庁が一体なぜこれほどまでに捕鯨問題にこだわるのか、理解できません。日本の国際的な評判を落とすだけだと思うのですが。
Photo: IFAW
1969年にカナダで設立された環境保護を目的とするNGO団体。元々はアザラシの子どもの捕獲を阻止するために発足したが、今ではクジラを含め広く野生動物やペット用の動物などの保護運動を展開している。
www.ifaw.org
環境団体が語るクジラを食べたらいけない理由③
World Society for the Protection of Animals (WSPA)
海洋生物担当
クレア・バスさんの主張
「捕獲の仕方が残酷だから」
「痛みは科学的に測定できます」
―捕鯨についての、WSPAのスタンスをお知らせください。
WSPAは、残酷であるという理由で捕鯨活動に反対しています。海上においてクジラが苦しまない形で捕獲する方法は現在のところ存在しません。その結果、2500頭あまりのクジラが残酷な方法で殺されていますが、世界がもっとこの事実に目を向け、ただちに捕鯨を中止することを訴えていくことが私たちの方針です。ゆえに、原住民生存捕鯨にも反対していますが、規模がより大きい日本を始めとする調査捕鯨、または商業捕鯨に強い警戒心を持っています。
-WSPAが「残酷である」と表現するクジラの捕獲方法についてもう少し説明いただけますか。
例えばミンククジラを捕獲する場合を例に取りましょう。まず「ペンスリット」と呼ばれる爆薬を先端に付けた銛を、船の上に設置した大砲から放ちます。この銛が30センチほどの深さで体に突き刺さると爆薬が爆発し、これが脊髄を損傷させてミンククジラは息絶えるという仕組みになっています。しかし2002~03年にかけて日本が南極で行った捕鯨活動の記録を見ると、この方法で即死を遂げた割合はたった4割、全体平均でも銛が撃ち込まれてから死ぬまで2分ほどの時間がかかっており、それだけの間クジラはもがき苦しんでいることになります。
-クジラが苦しんでいるかどうかというのは、客観的に判断することができるのでしょうか。
痛みを科学的に測定することは可能です。科学者たちは動物たちの反応を見て定義付けようとしています。痛みから身を逃れようとしたり、食欲が減退したり、出産をやめたりといった形で反応が表れるからです。
動物は人間と同じような言葉を持っていない。だから言葉で「痛い」と伝えることができないのです。でも彼らの行動を見れば、表現することはできなくても、苦しんでいるのは分かります。彼らが苦痛を受けているのが明らかであるとしたら、またはその疑いがあるとしたら、捕鯨活動を行うべきではないのです。
―捕鯨に限って、特に残酷ということはあるのですか。
クジラはあれだけ巨大で、しかも海に住んでいる動物ですから、鶏や牛、豚と同じような形で飼育することができない。例えば国によっては、規約で家畜を殺す際には動物がもがき苦しまないように即死させることが定められています。こうして家畜である豚や牛は人間の手によって慎重に管理されている。
ところがクジラは射撃で捕獲することになり、人間が痛みをコントロールする領域が限られています。また急所を外すことも多くあるため、二次殺害(Secondary Killing)と呼ばれるいわゆる最後の留めを刺して、必要以上にクジラに痛みと苦しみを与えることもしばしばです。こういった意味で、捕鯨の残酷性は抜きん出ていると思います。
―ただ家畜も狭く暗い小屋に集団で閉じ込められて、野生の生活を享受できないといった点で不幸であると考える人たちもいます。家畜を育てることが、必ずしも理想的な食肉の利用法であるとの考えには正直ちょっと疑問を感じてしまうのですが。
だからWSPAでは、今あなたが仰ったように必要以上に苦しみを与えられている鶏や牛といった家畜についても保護キャンペーンを展開しています。ただ先ほども言ったように、そういった動物は、少なくとも扱う人間側さえ気を付ければ、痛みをなくしたり、苦しみを和らげたりすることができるのです。そういった所に大きな違いがあると思います。
「クジラを即死させる方法が開発されたとしたら、反対キャンペーンは展開しません」
―それでは、クジラを即死させる技術を日本の科学者が開発したとしたら、捕鯨には反対しないのでしょうか。
実際、そのような方法の開発は難しいでしょうね。クジラというのは海面を出たり入ったりしているところを狙いを定めて撃つのです。しかも食用となる部分は残そうとするから、体のごく一部分だけを撃つことになる。だからポイントを外した時にクジラが長時間苦しみもがくことも多いのです。
ただ仮定の話として、もしクジラを即死させる方法が開発されたとして、そして沿岸部のその他の魚への影響がないように処置が取られて、現在捕鯨国が消極的な態度を示しているオブザーバーによる捕鯨活動の観察が許可されるとしたら、決して賛成はしませんが、反対キャンペーンを大規模に展開することはありません。ただこの「もし」はかなり非現実な条件だと思います。
―日本の調査捕鯨についてはどうお考えですか。
もちろん、調査は必要だと思います。ただ日本の「調査捕鯨」は、モラトリアム施行以降に急激に増加しています。研究者でなくても、この「調査捕鯨」に商業的な要素が入っていることが分かると思います。日本政府には、それだけの資金をもっと有益な方法、例えば殺害を含まないクジラの生態調査などの資金に充てることを強く望みます。
「たとえ海にクジラが溢れるようになったとしても、捕獲方法が変わらない限り捕鯨には反対です」
―現在の議論では、クジラは種類によっては絶滅どころか実は増えているとの報告があって、これについてはIWCも認めていますよね。
確かにそういうデータはあります。モラトリアムを施行したのですから、状況が改善されていることを望みます。ただクジラというのは97%の生活時間を海中で過ごす生物なので、実際の生存数を把握することが難しいのです。そして冒頭に話した通り、私たちが捕鯨に反対する最大の理由はクジラの生存数ではなく、その殺され方の残酷性にあります。だからたとえ海にクジラが溢れるようになったとしても、捕獲法が変わらない限り捕鯨には反対です。
Photo: Keita Yasukawa
1981年にロンドンを本部として設立。動物に与える苦痛への緩和などを目的としてクジラのほか、日本熊や過酷な生活を強いられているペット、災害の被害を受けたその他の動物たちへの保護活動を行っている。
wspa.org.uk
あなたは捕鯨派それとも反捕鯨派?次のアンケートにお答えいただき、以下の宛先まであなたのご意見をお寄せください。皆様からのお便りやメールをお待ちしております。
①捕鯨に賛成/反対
②その理由
③その他感想やご意見など
「『クジラを食べるな』その理由」アンケート係
Editorial Department
Eikoku News Digest
6 Southampton Place, Holborn, London WC1A 2DB
E-mail: このメールアドレスは、スパムロボットから保護されています。アドレスを確認するにはJavaScriptを有効にしてください



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チェルシー・フラワーショー
造園建築のプロたちが、自らのオリジナル・アイデアを展示するガーデン部門。お城の中庭のような豪華なものから、「こんな庭が自宅にあったら」と思わせる素朴なものまで、アーティストたちが独自のコンセプトを盛り込んで生み出す空間は、とても刺激的だ。ガーデン部門は、「庭園」と呼ぶにふさわしい豪華なショー・ガーデン部門と、限られた空間の中で展開される4種のスモール・ガーデン部門に分かれている。






ランドスケープ・アーキテクト
日本で9年間景観設計の仕事に関わり、1997年渡英。2001年グリニッジ大学ランドスケープ・アーキテクチャー修士課程を卒業後、ロンドンのランドスケープ事務所に勤務。2006年自らのスタジオSTUDIO LASSOを設立。国内外のデザイナー、アーティスト、建築家とのコラボレーションを数多く手がけ、空間デザイナーとして幅広く活躍している。
The Regent's Park
St James's Park

Colombia Road Flower Market




ニューヨークの摩天楼のように、超高層ビルが立ち並ぶカナリー・ワーフ。地図で見るとくぼむように折れ曲がったテムズ川に加えて、この辺りで多く見られる波止場(Dock)が水辺の景色となる。この界隈で働くビジネスマンの中には、自転車やジョギング通勤する人たちが多くいて、彼らと一緒に近代的なデザインの中を颯爽と走る感覚を味わえるのが醍醐味だろう。
この辺りはまだテムズ川の上流なので、水面も穏やかで美しい。また川辺には草が生い茂っているので、野原の中をかき分け走っていく感覚を楽しめるはずだ。

いわゆるロンドンの下町風情を味わえる区域。ここで紹介したコースでは市道を走り抜けることになるので、目まぐるしく変わる街の景色が一番のお勧めポイントとなるだろう。そして水辺の景色となると、見えるのはやっぱりテムズ川。この辺まで来ると河口にも近いので、川からは海の匂いを嗅ぎ取れるはずだ。
かつて荷物の運搬に使われたという運河の中で、ロンドンの代表的なものがリージェント・カナル。テムズ川と大きく異なるのは、細く穏やかな流れと人通りの少なさが生む静けさ。また近くにはプリムローズ・ヒルもあるので、そこまで足を延ばせばロンドンではちょっと珍しい丘の上の景色を楽しむこともできるだろう。
ロンドンにもう1つある運河がこのグランド・ユニオン・カナル。周回コースではないが、信号機がほぼ皆無という、地元ランナーお勧めのコース。

「The Office」や「Extras」といったコメディー番組のヒットで今や時の人となったリッキー・ジャベイス。これらの番組では典型的な中年太りの体型と豊かな表情を生かしたコミカルな演技が評判だったが、スタンダップ・コメディアンとしての彼はかなり硬派。聖書や百科事典、政治思想といった知的権威を徹底的にこきおろすネタを得意としている。
英国人が持つ外国人に対する偏見を元にしたネタを、ほぼ専門的に扱うコメディアン。イラン人の両親を持つことから自らを笑いの対象とすることが得意で、肥満体型、濃い顔、大きな声を合わせて出来た暑苦しい存在感を売りにしている。「アルカイダ」「テロ」「ホーム・オフィス」といった言葉から連想されるネガティブなイメージを利用しての笑いを十八番にしている。
アイルランド生まれのコメディアン。かつては石油会社大手の「シェル」でマーケティング・エクゼキュティブとして働いていたが、リストラにあったためにお笑い芸人になった。とぼけた顔とうつむき加減の上目遣いでシュールな雰囲気を醸し出しながら、短く過激なジョークを1つずつ連ねていくパフォーマンスで人気を集めている。
前職は精神科の看護婦という特異なキャリアを持つ女性芸人。ステージ上では早口でまくしたてるコメディアンが多い中、彼女の膨れっ面、退屈気でのってりとした口調は際立っている。英国コメディー界随一のおばさんキャラであり、下積み時代には伝説的な海の生物を意味する「シー・モンスター」という芸名が付けられていたほどの個性が光る。
眉間に皺を寄せて鋭い目つきで観客を睨みつけながら低い声で話す様は、お笑い芸人というよりやくざそのもの。アドリブに滅法強く、ステージ終了後のアンコールで観客からの意見や感想に1つずつ答えていくパフォーマンスが好評を得ている。渋く険しい顔と温かなファン・サービスとのギャップがおかしい、英コメディー界の大ベテラン。
音楽に合わせながら巨体を動かして笑いを取るのを得意としており、2005年には"Is This the Way to Amerillo"というシングル曲を販売して大ヒットを記録した。しかし彼が真価を発揮するのは、過激なブラック・ジョーク。どんな残酷な発言も、北部訛りと満面の笑みが醸し出す「良い人キャラ」がまろやかな笑いに仕立て上げる。
ゲイであることを売り物にするコメディアン。厚化粧とゴージャスな衣装に身を包んで話すお姉言葉が武器。ネタは様々なものを扱うが、結局は「性」のことをほのめかしてばかりの、下ネタを婉曲的に伝えるプロ。隠喩の度合いが強すぎて誰もジョークであることさえ気付かない場合もある、外国人が理解に苦しむブリティッシュ・コメディアンの代表。
いつでもどこでもギネス・ビールばかりを飲んでいる酔っ払いコメディアン。若き頃は牧師になるため神学校に通ったり、陶器の製作では超一流の腕を持つなどの横顔を持つが、ステージ上ではいつも千鳥足。タバコの吸い過ぎ、酒の飲み過ぎですっかりしゃがれた声を振り絞るように、俗物さを前面に出した粗野で下品な発言で観客を煙に巻く。
自ら「モンキー・ボーイ」と呼ぶほどのサル顔と、奇怪で激しい動き、そして次々と繰り出す奇想天外な発言を生かした変態キャラで聴衆を魅惑する、英国では異色のスタイルを持つコメディアン。日常の些細な出来事を大袈裟なホラ話に変えるのが得意で、ステージ上ではいつも全力投球。汗でびしょびしょのスーツ姿がトレード・マークになっている。
プロフィール: 27歳、マンチェスター出身、ギルドフォード・スクール・オブ・アクティング卒。TVドラマ、劇場などでの仕事を経て、2002年よりスタンダップ・コメディアンに。現在ではロンドンのレスター・スクエア駅近くに位置するコメディー・クラブでのパフォーマンスを中心に活動を行っている。


アテネの古代劇場を舞台に、狂言師の野村萬斎を主役に据えた「オイディプス王」では地元ギリシャの観客から喝采を浴びた
今回のインタビュー中、蜷川は何度も「普遍性」「世界性」という言葉を口にした。蜷川は、シェークスピアが生まれた国でシェークスピアをやること、それもあえて日本人が日本語でやるということ、これこそが世界に共通する「普遍性」を世界の人々と「共有する」ことだと信じている。本場、英国で圧倒的な支持を得る蜷川の舞台、その秘訣はこの「普遍性」「世界性」にありそうだ。蜷川はこれまで何度か英国人を使ったシェークスピア劇を上演したことがある。
ローマの将軍、ガイアス・マーシャス(後のコリオレイナス)は、歴戦の勇者でありながら民衆に対して傲慢な態度を取り、反感を集めていた。オーフィディアス率いるヴォルサイ人との戦いに勝利し、一躍英雄となったコリオレイナス。やがて執政官に推薦されるが、当時ローマでは執政官になるには謙虚な態度を民衆に示さなければならないという慣習があった。自尊心の高いコリオレイナスは、それを受け入れられず民衆を侮辱、ローマの地を追放されることに。復讐の念に燃える彼はかつての敵、オーフィディアスと手を組み、ローマに攻め入る。
1800年、英国外交官のエルギン卿は、ギリシャの古代遺跡「アクロポリスの丘」にそびえるパルテノン神殿の彫刻に魅せられた。当時のギリシャを支配していたオスマン・トルコの指導者スルタンから了承を得て、神殿の彫刻の模写や型取りをしていたエルギン卿は、やがて模造品では満足できなくなり、トルコ政府に賄賂を払い、神殿から彫刻を剥ぎ取って英国へ持ち帰ってしまった。さすがに当時のスルタンも、こんなにしっかりお持ち帰りされるとは思っていなかったのでは……?
大英博物館で最も日本人に人気の高い部屋といえば、やはりミイラの部屋だろう。これらのミイラが初めて大英博物館にやってきたのは、1756年。一儲けしようとエジプトへ渡った商人、ウィリアム・レシュリヤーのコレクションが、彼の死後、大英博物館へ贈られた。
18 世紀末、ナポレオンによる遠征でフランスの手に落ちたエジプト。ところが1801年、アレキサンドリアの戦いで英国軍はそのナポレオンを打ち負かしてしまう。古代文字が刻まれたロゼッタ・ストーンは、その戦利品のひとつとしてフランスから奪った品だ。つまり、略奪品の横取り品ということ。大英博物館に1802年から展示されている。
エジプト最後の王、ラムセス2世の堂々たる姿は、エジプト・コレクションの目玉でもある。1815年にカイロに着任した在エジプト英国領事、ヘンリー・ソルトは、就任中に多くの芸術品を収集したが、この胸像もそのひとつ。王を祀る聖堂から持ち出し、1818年に大英博物館へ寄贈した。
アフリカでは、17世紀からヨーロッパの商人による奴隷貿易が行われ、ベニン王国(現在のナイジェリア)でも、その海岸部が「奴隷海岸」と呼ばれるほど、盛んな取引が行われていた。19世紀に入ると、英国は奴隷貿易を禁止、物品貿易に乗り出すが、1897年、英国人外交官殺害事件をきっかけに英国軍がベニン王国を攻撃し、滅亡に追いやってしまう。その際、戦利品として持ち帰ったのが、この見事な真鍮プラークだ。この他にも多くの象牙や青銅が戦利品として英国へ持ち込まれた。
太古の文明メソポタミアで栄えた遺産は、1845年から51年にかけ、発掘家のオースティン・ヘンリー・レヤード卿により発掘された。巨大な都市遺跡、ニムルードの宮殿を飾ったレリーフには、当時の支配者、アッシュールパニパル王の狩りの様子や、戦争風景、鷲頭の精霊の姿が描かれている。長さ、高さともに3メートル以上ある有翼人頭像は、宮殿の守護神として、2対が門を守っていた。
スリランカの北東部で発見されたブロンズのタラの仏像は、セイロンの総督だった英国人ロバート・ブラウンリッグによって、1812~13年頃に持ち出された。その後彼は、1830年に大英博物館にこの仏像を寄贈。頭部の被り物部分には、かつて宝石が埋め込まれていたそう。本家スリランカのコロンボ国立博物館には、この仏像のコピーが展示されているというから、皮肉な話である。
現在のチェンナイ近郊にある村、アマラバティーは、南インドの仏教芸術の中心地。ここから持ち帰ったのが、この大ストゥーパだ。ストゥーパ(仏舎利塔)とは、インド仏教の僧たちのお墓である。ムガル帝国を滅ぼし、完全にインドの覇権を手にした英国は、宝石や香辛料などのお宝以外にも、多くの文化遺産をいただいた。この大ストゥーパは、1845年にチェンナイ(当時のマドラス)総督であったウォルター・エリオットにより発掘され、その後大英博物館に寄贈された。
アヘン戦争(1840年)に勝利して清朝を支配する以前から、インドと中国を結ぶ三角貿易を行っていた英国。茶、陶磁器やシルクなどの物品が行き交う中、仏教画など、重要文化財も多く英国へ渡った。中国北部で8体見つかった仏教僧侶の像は、そのうち7体が西洋の博物館に保管されているとか。また、地獄の審判像、笑う僧侶像などは、善と悪、天国と地獄という仏教の教えを反映した石像遺産。ナショナル・アート・コレクション・ファンドなどによる寄贈で、大英博物館入りした。
アステカ帝国時代に作られたとされるクリスタルのドクロは、ニューヨークの宝石商を経て1898年から大英博物館に保管されている。ところがこの品、後にヨーロッパで製造されたレプリカであることが判明。大英博物館の威信が、ちょっと傷ついた出来事だった。現在は、クリスタルの特徴やヨーロッパのクリスタル製造技術を紹介する形で展示している。
米国の押しの強さに巻かれることもある英国だが、そもそも米国人のルーツは英国にある。現在のヴァージニア州に植民地を開いて以降、英国人たちは米国大陸を西へ、北へ、南へと開拓するとともに、多くの北米探検を行った。1775年には、英国人探検家のキャプテン・クックが北米航海へ出発。この時、先住民たちが制作した木彫りのマスクなどを持ち帰っている。以後も、木彫りのトーテムポールや民族衣装など、多くの遺産が大英博物館へ寄贈、売却された。
太古の文明メソポタミアで栄えた遺産は、1845年から51年にかけ、発掘家のオースティン・ヘンリー・レヤード卿により発掘された。巨大な都市遺跡、ニムルードの宮殿を飾ったレリーフには、当時の支配者、アッシュールパニパル王の狩りの様子や、戦争風景、鷲頭の精霊の姿が描かれている。長さ、高さともに3メートル以上ある有翼人頭像は、宮殿の守護神として、2対が門を守っていた。
当時のギリシャを支配していたオスマン・トルコから「正式な許可を得て持ち出したもの」というのが大英博物館側の主張。ギリシャでは1830年の建国以来、国民の間で返還を求める声が出ていたが、特に、1981年に女優で政治活動家のメリナ・メルクーリが文化大臣に就任すると、返還の重要性を強く認識し、要求を強め始める。2001年には、アテネ・オリンピックを機に返還するよう求めたが、大英博物館がそれに応じることはなかった。
1802年に大英博物館へ運ばれて以来、多くの学者たちを魅了してきたロゼッタ・ストーン。その中でも、この石に刻まれている文字に魅せられたのが、フランス人学者、ジャン・フランソワ・シャンポリオンだった。大英博物館でロゼッタ・ストーンと出会ったシャンポリオンは、研究を重ね、1822年にこの文字の解読に成功する。こうして、古代エジプトの文字「ヒエログリフ」の研究に大きく貢献することになる。
ローマの陶磁器技術の髄が込められたポートランドの壺。大英博物館には1810年から展示されているが、1845年、この壺が酔っ払った来館者によって壊されてしまった。すぐに修復作業が始まるが、この時、37片の小さなピースが失われた。1945年、大英博物館はこの壺を正式に購入。その際に欠けていた破片が発見され、再修復が試みられるも、3ピース分しか修復できなかったという。1987年、次世代の修復者たちによって再び修復が試みられ、微細な破片をのぞき全てのピースが元通りにされた。100年以上の時をかけた、まさに執念の修復作業といえる。
ピューリタン革命で活躍し、1649年に英国に共和制を敷いたオリバー・クロムウェル。彼が英国北部への侵攻を進めたことから、以降、アイルランドは英国の植民地的な色合いが濃くなった。彼が亡くなったのは1658年。死因は何と、インフルエンザだったという。ワックス製のこのデスマスクは、大英博物館の生みの親であるハンス・スローン卿のコレクションとして、1753年、博物館設立と同時に展示された。
英国東部、イースト・アングリアで発見された船のお墓跡。アングロ・サクソン時代の古墳が多く残されていると言われるこの地方で、第1号として出土したのがサットン・フーの船墓場だ。発掘は1939年。武器具や金銀の装飾品など、多くの副葬品が発見され、大英博物館に展示されている。中世英国の暮らしぶりを知る上でも、非常に貴重な遺跡だ。
現在開催中の特別展
「演劇学」ではなく、俳優育成としての「演劇」という科目が学校教育で確固たる地位を確立している英国。ジュディ・デンチやユアン・マクレガーなど演劇/映画界で活躍している人たちの多くが、大学やその他高等教育機関で演劇を学び、学位を取得している。「演じること」が教育として認められている国だからこそ、世界に羽ばたく実力派俳優たちが続々生まれているというわけ。
テレビや映画で活躍している若手俳優/タレントが舞台へ出たがるというのも英国演劇の一つのトレンド。現在では、「Treats」出演に対する過度の緊張でドタキャン→初日延期などあれこれメディアに叩かれた末に何とか初日を務め上げたテレビ・ドラマ「ドクター・フー」出身の人気女優、ビリー・パイパーや、「EastEnders」出演後に舞台進出、今回不条理劇「The Caretaker」の大成功で「若手実力派」の仲間入りを果たしたナイジェル・ハーマンなどを舞台で観ることができる。旬の俳優を観るならまずは舞台! なのだ。

ハリー・ポッターでお馴染みのダニエル・ラドクリフと、ハリーの叔父、バーノン役のリチャード・グリフィスばかりが注目されがちな本作品。確かにダニエル君は時には全裸、時にはタバコを吹かしながらの大熱演を日々見せてくれている。でも観劇の際にもう一つ注目してほしいのが舞台美術と衣装。ミニマルな舞台は俳優の演技一つでその場所を次々と変え、シンプルな衣装が幻想的な馬たちを創り出す。観ている者の想像力を掻き立てる、これぞ演劇という作品だ。
18年間という超ロング・ランを続けるゴシック・ホラーの決定版。小さな舞台とシンプルな装置の中、2人の役者が演技力で観客たちを恐怖の世界へ誘ってくれる。顔の表情、声音を使い分けて数人の役柄を見事に演じる役者に、演劇ならではの良さを実感できるはず。より恐怖感を味わいたいのなら、ちょっとした仕掛けが楽しめる1階席がお勧め。
オープニング・ナイトは1952年11月25日。以来50年以上にわたってロンドンの劇場で上演され続けている驚異的な作品だ。元は推理小説の女王、アガサ・クリスティのラジオ劇用の短編ミステリー。クリスティが生前、ウエスト・エンドで本作が上演されている限りは出版しないよう言っていたために、いまだに英国内で本は出版されていない(ただし台本は出版)。
BBCの人気レポーター、ジェームス・モスマンが謎のメモを残して自殺した。彼の自殺の裏には何が隠されているのだろうか。
エンターテイナー一家の3代にわたる人生を通じて英国の戦後を描き出す。
2007年度シーズンは5月4日~10月7日。今年のテーマは「Renaissance and Revolution」、上演される作品は「オセロ」、「ヴェニスの商人」など。
劇作家、ブレヒトの戯曲を2作同時に上演するシリーズ、第1回目となる今回は「A Respectable Wedding」と「The Jewish Wife」の2作品。
ハロルド・ピンターの不条理劇。アストンはある日、浮浪者のデービスを家に連れてくる。同居している兄弟のミックは始めのうち嫌がっていたが……。
普通の人々が異常な状況に置かれた時に巻き起こる出来事を描いた、ミュージカル仕立ての人間ドラマ。
プロフィール=1958年生まれ。早稲田大学在学中に劇団「第三舞台」を旗上げする。80年代の小劇場ブームの牽引役として熱狂的な人気を誇るが2001年、同劇団の活動休止を発表。以降、自身の演劇プロデュース・ユニット「KOKAMI@network」を中心に活躍中。
ー今回は前回と異なり、演出を自ら手掛けられるそうですが、新しい演出プランは考えていらっしゃいますか。
ロンドン、バービカン劇場が、毎年様々な海外の作品を招致して上演するプロデュース企画、BITE(Barbican International Theatre Events)。記念すべき10周年を迎える今年は、日本のシェークスピア演出家として、英国でも絶大な知名度を誇る蜷川幸雄が公式招待を受け、日本人によるシェークスピア作品を上演することになった。演じられるのは「コリオレイナス」。古代ローマの悲劇の将軍、コリオレイナスの生涯を描いたこの作品を演じるのは、唐沢寿明はじめ、白石加代子、勝村政信ら人気、実力を兼ね備えた俳優陣。40人以上ものキャストが出演予定というから、スケール感溢れる芝居を期待できそうだ。
プロフィール=島根県出身。演劇ネットワーク「Office 59」に参加後、渡英。現在は舞台やテレビ、映画などで活躍している。2005年には演劇の枠に留まらないアート・プロジェクト・ユニット「Crop」を妻と2人で結成、昨年はリトアニアの国際演劇祭にも参加した。作曲家、ピアニスト、アコーディオニストとしても活動中。

ハリー・ベリー
粉屋
騎士
バースの女房
尼僧付の僧
免罪符売り
ジェフリー・チョーサー
日本の「お伊勢参り」に相当する、イングランドにおけるキリスト教徒にとっての宗教的なイベント。主に英国国教会の総本山であるカンタベリー大聖堂への巡礼を意味する。中世時代のカンタベリーはイスラエルのエルサレム、イタリアのローマ、スペインのサンティエゴ・デ・コンポステラと並ぶ4大巡礼地として認知され、また大量の巡礼者たちが殺到したため、近隣の宿屋や飲食店の収入にも大きく貢献し、街全体の発展にもつながった。ちなみにカンタベリー物語の主人公たちが歩んだロンドンからカンタベリーまでの道のりは、距離にしておよそ100キロ。片道を2、3日間の日程で歩ける距離だと想定されている。
カンタベリー物語の世界を再現した、テーマパークを彷彿とさせるアトラクション。かつて教会だった建物の内部を作り変えて建設された。ろう人形で作られた登場人物たちが物語を次々と披露し、入場者はまるで共に巡礼の旅に参加しているかのように楽しめる仕掛けとなっている。日本語の音声コントローラーあり。
巡礼地としてのカンタベリーの歴史は、トーマス・ベケットの殺害事件から始まった。ロンドンの商人の息子として生まれたベケットは1155年、イングランド国王の側近である大法官という地位に任命される。彼はローマ教皇からの独立を掲げ、イングランド王による教会の直接統治を説いたために、支配権の拡大を目論む当時の国王ヘンリー2世から寵愛された。
英国国教会の総本山。7世紀に修道院として建設され、以来改築を繰り返しながら1400年以上にわたって毎日この場所で礼拝が行われてきた。内部に設置されている殉教者トーマス・ベケットの墓を目にすれば、キリスト教の信者でなくても深い感慨を覚えてしまうだろう。遠景からでもはっきりと見えるほど高くそびえ立つ建物は、圧倒的な存在感を放っている。
ローマのグレゴリウス教皇から使命を与えられた聖アウグスティヌスが、イングランドへのキリスト教伝道のために海を渡ってたどり着いた場所の跡地。彼の尽力によって597年、ケント州のエルバート王が洗礼を受け、イングランドで初めてキリスト教信仰が正式に受け入れられるに至った。庭から覗く廃墟のような荒涼とした風景が、その偉大な歴史を醸し出している。
有史以前の様子からローマ人の入植時代、さらには中世に宗教都市として花開いて現代に至るまでのカンタベリーの歴史を網羅した博物館。またカンタベリーで生まれた英国が誇る劇作家、クリストファー・マーロウについての展示も充実している。英国の子供たちの間で人気がある、かわいいクマのキャラクター「ルパート・ベア」をテーマとした博物館も併設されている。
1世紀頃から侵攻し、イングランドを支配したローマ人たちの歴史を追った博物館。ローマ人たちは、カンタベリーを始めとするイングランドの各地域に巨大な都市を形成して勢力を大きく繁栄させていった。同博物館では、現存するモザイク模様のタイルほか、当時のローマ人たちがカンタベリーに建設した住宅施設や青空市場などを復元して展示している。
マーケットの周辺地域で育った旬の食材が、その生産者によって産地直送で販売される、それがファーマーズ・マーケット。しかし、どんな生産者でもそこに出店できるというわけではない。英国では、The National Farmers' Retail & Markets Association(FARMA)らによる商品の生産場所や加工方法などの厳しい諸条件(右参照)をクリアした選ばれし者のみが、ファーマーズ・マーケットへのストール(売店)出店を許されるのだ。つまり、安心して消費できる高品質の商品のみで構成されるのが、本物のファーマーズ・マーケット。そこここの路地で開かれる普通のマーケットとの違いはココだ。


まだ人気の少ない朝のカムデン・タウン駅を出て歩くこと約10分、バス通りを少し入ったところに建つ学校の駐車場に、15店ほどのストールが並ぶ。こぢんまりとしながらも粒揃いといった印象で、昼に近付くにつれ周辺に住む子供連れやお年寄りで賑わいを見せる。買い物帰りは、カムデン・マーケットに向かって人混みに消えて行くも良し、リージェンツ・パークに寄ってマーケットでの収穫を頬張るもまた良し。

FARM 2 KITCHEN

Sloane Square駅からPimlico Road に出てしばらく進んだところにあるOrange Square。この小さな広場が、土曜日だけは所狭しと並ぶストールと人で埋まる。ロンドンの大きなファーマーズ・マーケットの一つとして数えられるようになってきたこの会場は、心なしか他会場以上に落ち着いた雰囲気。ベルグレービアやチェルシー、バタシー地区の住民もよく利用するという。
臭いを……否、異彩を放つこのストールに並ぶのは、ニンニク、ニンニク、そしてニンニク。がっしりとした見事なニンニクの中でも、黄金色に輝くOAK-SMOKED GARLIC BULBSがお勧め。やはりニンニクをベースにしたペーストやチャツネのほか、ニンニクの苗まで売っているところが、なんとなくチャーミング。
牡蠣をその場で殻剥ぎして食べさせてくれるストールを発見! 見過ごしてしまいそうな小さな同店には、英国南東部エセックスのウェスト・マーシーの湾にほぼ毎日出て採ってくるという、新鮮な食べ頃の牡蠣が数種類並ぶ。ただし、出店は牡蠣のシーズンである9月から4月の間のみ。
サマーセットにある農場で飼われているバッファローの肉、ミルク、チーズ、ヨーグルトを扱う。バッファローの乳製品は、牛のものに比べて低脂肪・低コレステロールで、ヨーグルトは特にあっさりしている。牛の乳製品も置いているが、やっぱりバッファローのものを試したい。
日時: 日曜 10〜14時
この道30年のジェンナーさん夫妻が切り盛りする、ゴート・チーズ専門店。農場で飼育されている450頭のヤギのミルクからできたチーズに、お客が次々と惹き付けられる。毎週売り切れてしまうものもあると言い、最近の一番人気はガーリックとハーブが香る「Little Garlic」。
CHILTERN FARM FOOD
KUSHCUISINE

現在ロンドン最大規模を誇るのがココ。多くのストール主がこのファーマーズ・マーケットへの出店を希望し、また他会場との出店掛け持ちをするのに当会場を選ぶとのこと。市内中心部で主要駅やオックスフォード・ストリートに近いこともあり、出店数だけでなく人出の多さもダントツ。取材当日はあいにくの雨だったが、常連客に加えてセルフリッジの袋を提げた人や観光客らで賑わい、列のできるストールがいくつもあった。
小さな子供にも安心して食べさせられる、低糖・低脂肪の手作りケーキとスープを売る。一番人気は、パッション・フルーツのピューレを使った、冷凍保存可能なカップ・チーズケーキ。スープの種類は、旬の素材へのこだわりから週毎に替わるそう。スープもケーキも、素材の旨味がぎっしりと詰まった濃厚な味わいが特長。
ケントから野菜を運ぶ当ストールの自慢はリンゴ。常連客と思しき女性陣が、しっかりと品定めをした上で1袋、2袋と買っていく。野菜や果物を売るストールの中でも特に親切で、ここで素材の調理法を尋ねるお客が多い。そのうちお客同士で情報交換が始まるなど、親しみやすい雰囲気が魅力。

英国トイレ協会(BTA)が発起したLOO OF THE YEAR AWARDSという賞をご存知でしょうか? 毎年、英国中の美しいトイレを表彰、公衆トイレもホテルのように星の数で格付けされるわけです。そして昨年の英国内総合2位という栄誉に輝いたのが、ロンドン中心街の多くを管理下に置くウエストミンスター地区のカウンシル。30万ポンド(約7000万円)もの費用をかけて改装されたオックスフォード・サーカスの公衆トイレは最高ランクの5つ星が与えられました。また、ナショナル・レールのチャリング・クロス駅構内にあるトイレも「公共交通機関」部門での受賞をしています(ただしこちらは有料)
Barrett Street

やはりトイレ選びの基本は清潔さ? 洋式トイレでは必ず腰掛けなければいけない女性陣は特に敏感なよう。デパート、美術館・シアターを選んだ女性の大多数が、国籍問わずに「きれい、使いやすい」という意見で一致。逆に道端で見かける公衆トイレは最終手段のようです。また、「デパートやチェーンのカフェではトイレットペーパーが比較的やわらかいので」(Nさん、英国出身)というこだわりの男性意見もありました。
また、無料かどうかも大きなポイント。「金なんか払ってられるか!」(Tさん、日本出身)という意見が大多数を占めました。「多国籍企業が嫌いなので、チェーンのカフェやファーストフードのトイレをタダで使ってやります」(Dさん、ギリシャ出身)「国際展開しているお店は、たくさん儲けてるんだからいいじゃない」(Mさん、デンマーク出身)という個性的な理由も。また、男性の回答には「道端でしょう!」という意見もちらほら見受けられましたが、ウエストミンスター地区での行為は50ポンドの罰金なのでご注意あれ!
しかし、緊急事態には場所を選んでいられないものまた事実。パブ、チェーンのカフェ、ファストフードが3大駆け込みトイレとして男女を問わず人気です。理由はやはり「どこにでもあるから」というもの。ただし、トイレだと思ったドアがスタッフ・ルームだったりする可能性もあるので、注文してから使う派の人は注意が必要。また「利用客の層が広いから、どんな服でも入れる」(Kさん、男性、日本出身)という声もありました。確かに高級デパートのトイレに汚い格好で駆け込むのはやや気がひけてしまうのかも。

まずは肝心のトイレ設備。奥の自動ドアの向こうにあるホールに案内されると目に飛び込むのは、花が飾られピンクと白の色使いがとても可愛らしい個室の数々。もちろん塵1つなく、便器は「清掃済み」というカバーもついています。紙もふかふか!! 高級ホテルのような豪華な内装に、思わず必要以上に長く居座ってしまいたくなる……。使用後はすぐさまスタッフが個室を清掃するという徹底振り。
メイン・ホールに戻ってみれば「こちらへどうぞ」と美しい女性スタッフに案内され、ずらりと並ぶミラーの前へ。そしてハンド・マッサージが始まります。ブラジル出身だという彼女と世間話をしながらくつろいでいると、ここがロンドン随一のショッピング・ストリートだということを忘れてしまいそう。ちなみにハンド・マッサージの時間は10分と聞いていましたが、個人差があるようで私の場合は6分くらいだったかも? その後は、備え付けのコスメで好きにメイク直しをしてもいいし、スタッフによるメイク・アドバイスも受けられます。オリジナルのコスメやグッズは購入も出来ますが、押し売りのような雰囲気はまったくないので安心。ちなみに個人的なお薦めはリップ・バーム(1ポンド)。使いやすいサイズと柔らかいバラの香りが癖になる一品です。
買い物をしている時に、トイレが見つからなくて大変な思いをしたことがあって。それがこのコンセプトを思いついたきっかけです。でも、ここはただのトイレ以上の場所。地下のトリートメント・ルームを使って、今後はヘッド・マッサージや背中のマッサージも取り入れていこうと検討中なの。女の子って、たくさんのショッピング・バッグを抱えているから疲れるでしょう? パーティーの準備、待ち合わせ、休憩にメイク直しと様々な用途があるけれど、すべての女性に利用してもらえればって思うわ。

コンラン卿プロデュースによる現代プロダクト・デザインの宝庫、デザイン・ミュージアム。ここのトイレは他と一味違うんです。何と言ってもトイレの壁には、歴代の有名デザイナーの顔、顔、顔。女性トイレではミッドセンチュリー時代を代表するファニチャー・デザイナーのイームズ夫妻が、男性トイレでは「ボビーワゴン」のデザインで知られたイタリアの天才デザイナーであるジョエ・コロンボが出迎えてくれます。他にも英国出身の建築家アイリーン・グレイなど、知っていれば思わずニヤリとしそうな似顔絵が。トイレは1階のカフェ・スペースにあるので入場無料。人気のバトラーズ・ワーフを散歩する際にはぜひお立ち寄りを。






