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Tue, 17 March 2026

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「英国の女たち」シリーズ 第4回 実業界の女たち

「ガラスの天井」を突き破る実業界の女たち

今や「女ボス」は当たり前の時代。特にここ英国では、世界的なビジネスの頂点に立って指揮を執る女性も珍しくない。そこで今回は、女性らしいしなやかな感性と、転んでもタダでは起きない強靭な精神で成功を手にし、今日の実業界を賑わしている英国のビジネスウーマンたちにスポットを当ててみた。(黒澤里吏)

企業家編

ここでは独自の着眼点で英国に新しいアイデアと流行をもたらした、4人の女性起業家たちをピックアップ。会社創業に踏み切った背景やきっかけ、また成功の秘訣を探ってみよう。


talkbackTHAMES、CEO
思いきりのよさは天下一品
業界に新風を吹き込む女ボス

ロレイン・ヘガシー Lorraine Heggessey

出身地不明 51歳

ロレイン・ヘガシー

「X Factor」「Apprentice」などといった大ヒット番組を次々と生み出し、昨今のテレビ業界をリードしている英国最大の番組制作会社「talkbackTHAMES」。現在、そのCEOとして総指揮を執っているのが、業界のパイオニア的存在とも言われるロレイン・ヘガシーである。2005年に現職に就くまではBBC1に20年間にわたって勤務し、そのうち5年間は辣腕ディレクターとして活躍。いまだ圧倒的な男社会であるテレビ業界、それも天下のBBC1でディレクターに就任した女性は彼女が初とあって、就任当時は大きな話題を呼んだ。そして「教育と娯楽を別物として考えるような人たちは、結局どっちも理解していない」との考えから、出来は良くても商品として成り立っていない、お堅い教育番組を大衆化して視聴率を上昇させるなど、時には物議を醸しながらも、業界内でさまざまな改革をもたらした。

BBCからの転職後はまず、携帯の着メロを、BBCで放映する「EastEnders」から「The Bill」(「talkbackTHAMES」社制作のドラマ)の主題歌に変えたというロレイン。現在、あらゆる種類の番組を制作販売し、経営面も含めて優れた統率力を発揮している。「とにかく仕事を楽しむこと!それと、男と対等にやろうと思わないことね。それよりも、女ならではの能力をもっと活用するべきよ」という言葉に、彼女の成功の鍵が隠れているようだ。


バーミンガムFC、MD
自分の道は自分で切り開く
15年を経た今が正念場

カレン・ブラディ Karren Brady

ロンドン出身 39歳

カレン・ブラディ

23歳という若さで、英国のサッカー・クラブ史上初の女性マネージング・ディレクターの座に就いたカレン。昔から話術に長け、エネルギーに満ち溢れていたという彼女は、放送局の広告営業をしていた頃、スポーツ新聞社オーナーのデビッド・サリバンに気に入られ、そのまま彼の下で働くことになる。そしてバーミンガムFCが管財人管理下にあることを知った際にはサリバンを説得して同FCを買収し、現職に就任。以後、15年にわたってクラブの運営に携わってきた。観客動員数や収益率の増加、さらにはスタジアムの活性化と、あらゆる面において経営改善を図った彼女の貢献度は計り知れない。私生活では同FCのカナダ人選手と結婚して2児をもうけているが、第1子出産後、たった3日で仕事に戻ったという逸話も残されている。また2006年には大脳動脈瘤を患い手術を受けるも、術後1カ月で現場に完全復帰。まさに不死身の仕事人と言えるだろう。

しかしFC運営とはある意味、ギャンブルのようなもの。金銭事情や戦績不振などによるストレスからか、近年ではサリバンがクラブ売却の意向を漏らすようになった。さらに今年4月には経営上の不正を疑われ、カレンとサリバンの2人が警察に事情聴取されるという事態に。固い決意と粘り強さが信条のカレン、この窮地をどう乗り越えるのだろうか。


BP 代替エネルギー部門、CEO
仕事と家庭の両立を実現
冷静沈着な理系の才女

ヴィヴィアン・コックス Vivienne Cox

エクセター出身 48歳

ヴィヴィアン・コックス

英国に本拠地を置く国際石油資本、BPの重役として多忙を極めるヴィヴィアン・コックス。オックスフォード大で化学を学んだ後に同社に入社し、以来26年間BP一筋で働いてきた。1987年に同社が完全民営化を果たした際、折しも財政管理部に異動となった彼女は、政府との関わりの中で石油産業の政治的側面を学ぶ。その後、フランスの名門INSEADに留学してMBAを取得。帰国後は石油貿易に関わる金融取引商品の開発部門の設立をはじめ、中央・東ヨーロッパにおける新事業開発に伴いウィーン駐在を経験した。2004年にはガス、パワー、リニューワブルズ部門のCEOに就任。現在は新たに開設された代替エネルギー部門で、水素や風力などを用いた低炭素排出の発電事業という、10年で約40億ポンド(約8000億円)の投資が行われる一大プロジェクトを牽引している。

そんなバリバリのビジネスウーマンは、イングランド南東部バッキンガムシャーにある16世紀のファームハウスに夫と2人の娘と暮らし、仕事と家庭をうまく両立させていることでも有名だ。最低週3日は早めに帰宅して娘たちを寝かしつけ、週末は自家農園で野菜を育てたり、ケーキやジャムを作ったりして、家族との時間を楽しむ。まさに理想の充実ライフ、働く母のみならず全女性の鑑である。


ロンドン証券取引所、CEO
世界経済を動かす
マルチリンガルな3児の母

クララ・ファース Clara Furse

カナダ出身 51歳

クララ・ファース

200年以上にわたるロンドン証券取引所(LES)の歴史を変えた人物、それがクララ・ファースである。オランダ人の両親を持ち、カナダで生まれ育った彼女は、コロンビア、デンマーク、英国で国際的な教育を受け、名門大学ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで学位を取得。華やかな学歴を引っさげて大手証券会社に就職し、そこでコモディティ市場に携わったことから先物取引の世界に関わるようになる。2年後には世界有数の投資銀行UBSの重役に就任。さらに90年代に入ってLESのディレクター、ロンドン金融先物取引所(LIFFE)の会長代理を務め、2001年、43歳でLES史上初の女性CEOに就任した。前任者がドイツ証券取引所との合併に失敗したことを受け、旧体制に縛られ、内部抗争に明け暮れていたLESの組織変革を図ろうという風潮に乗っての大抜擢だった。

以来、ナスダック、ユーロネクストといった各国の取引所との数多くのタフな交渉にあたり、卓越したビジネス能力を顕示しているクララ。3人の子を持つ母でもあるが、時にクリスマス休暇さえ返上して働く多忙ぶりである。まさに男勝りのリーダーだが、女性としてトップに立つことをどう考えているのだろうか。「性別は仕事には関係ないわね。あえて言うとしたら、他人から覚えてもらいやすいってことかしら。良くも悪くもね」。


起業家編

ここでは独自の着眼点で英国に新しいアイデアと流行をもたらした、4人の女性起業家たちをピックアップ。会社創業に踏み切った背景やきっかけ、また成功の秘訣を探ってみよう。


Colourblind Cards創業
3足以上の草鞋を履く若きシングル・マザー

ジェシカ・フイエ Jessica Huie

ロンドン出身 28歳

ジェシカ・フイエ

アフロ・カリビアンに出生のルーツを持つジェシカは、ある日、娘に送るカードを求めてハイストリートの店を回るが、しっくりくるものが全然見つからないことに気付く。それもそのはず、カードに使われているモデルは白人ばかり。その事実に釈然としないものを感じると同時に、この「欠落」はビジネス・チャンスだと直感、7歳の娘をモデルにしてカード制作を開始し、弟とともにエスニック・グリーティング・カード会社設立に乗り出す。

18歳でシングル・マザーとして出産。娘の将来のためにも、との思いからジャーナリズムのBA取得を決意したジェシカは、大学に通いながらBBCラジオや大手PR会社マックス・クリフォード社でインターンを務め、週7日労働の日々を3年続ける。努力の甲斐あってBA取得後は同PR会社に就職、同時にエスニック系読者を対象とした「Pride」誌やタブロイド紙「サンデー・ミラー」に寄稿するなど多方面で活躍。そして2006年、これら全仕事を続けながら前述の「Colourblind Cards」で念願の起業。以来順調に事業を拡大し、今年5月には米国進出も果たした。面白いことに今や「Colourblind Cards」の顧客の6割は白人だという。単純にデザインやメッセージに惹かれる人が多く、人種や肌の色を超えて広く愛されつつあるのだ。ジェシカいわく「色分けされるべきものは洗濯物だけだと思うわ」。


Coffee Republic / Skinny Candy創業
兄と二人三脚で夢を実現
好きこそものの上手なれ

サハー・ハシェミ Sahar Hashemi

イラン出身 40歳

サハー・ハシェミ

弁護士としてロンドンの法律事務所に5年間勤務していたサハー。仕事は順調だったが、より自分らしく生きるための何かを模索していた。そんな矢先、証券マンの兄を米国ニューヨークに訪ねた彼女は、現地で上質なコーヒーの虜になる。英国にもこんなUSスタイルのコーヒー・バーがあったら……。兄妹の間に閃いたアイデアは、たちまち実現化に向けて動き出した。商売の経験など全くない2人だったが、まずは徹底したリサーチを実施。結果、英国人の多くが実は紅茶よりもコーヒーを飲んでいるという事実を知り、ビジネスの余地を確信する。その後、銀行の融資を断られること19回と資金繰りに苦労しながらも、1995年、ついに「Coffee Republic」第1号店をオープン。以後、着々と店舗数を増やし、6年後には国内に110店舗を展開、年商3000万ポンド(約60億円)を達成するに至った。

2001年、経営から退いた彼女は執筆活動を開始。自らの起業体験とノウハウを綴ったビジネス書「Anyone Can Do It」はベストセラーに。さらにその後も糖分ゼロの菓子ブランド「Skinny Candy」を創業するなど、精力的に活動中。「誰でも起業家になるための素質は持っています。自分が心から熱中できて楽しめるものを見つけ出すこと。成功とはお金でも権力でもなく、自分が好きなことをできているかどうかだと思うのです」。


Lastminute.com創業
大事故から奇跡の生還を果たした
元祖ネット・ビジネスの女王

マーサ・レーン・フォックス Martha Lane Fox

ロンドン出身 35歳

マーサ・レーン・フォックス

マーサの名を一躍有名にしたのは、共同創始者ブレント・ホバーマンと1998年に立ち上げた格安旅行情報サイト「Lastminute.com」だろう。ひと味違った巧みなマーケティング戦略で一人勝ちしていた同社はITバブルの波に乗り、UKネット業界のアイコンとして君臨。なかでも若々しく熱意に溢れたマーサに対するメディアの注目度は高く、サイバー・ビジネスの申し子とでもいうべき存在となった。

2001年、バブル崩壊により株価が暴落、一時は同社も大混乱に陥るが、こういうときこそモノを言うのが女の底力。見事な手腕を発揮して不安定な過渡期を乗り越え、会社の信用度および自身の株もアップさせたのである。しかし2003年に同社を退社後、旅先のモロッコで車を運転中、大事故に遭い瀕死の重傷を負う悲劇に見舞われる。幸い一命を取り留めた彼女は、丸一年にわたる療養期間中も、もともと力を注いでいた刑務所の改善を目指す慈善団体の理事活動や、「Marks & Spencer」、Channel4などのディレクター業務、高級カラオケ店経営など多くの仕事に携わり、健在ぶりを示した。後日、事故を振り返って「私自身は何も変わっていないわ。ただもっと人生を楽しんで、自分にできることをしていかなくちゃという思いを強くしただけ」と語ったマーサ。今後も目が離せない存在だ。


Jimmy Choo創業
前夫に三行半をつきつけた
私生活も忙しいセレブ起業家

タマラ・メロン Tamara Mellon

ロンドン出身 41歳

タマラ・メロン

才色兼備でお金持ち、向かうところ敵なしといった感じのタマラ。父は実業家、母は元シャネルのモデルというだけあって、若い頃からファッションとビジネスの両分野に才覚があったという。大手PR会社を経て、高級ライフスタイル雑誌として名高い「UKヴォーグ」誌の編集者として働いていた90年代初頭、ファッション小物にヒットの可能性を見出していた彼女は、中国系マレーシア人の靴職人、ジミー・チュウに話を持ちかけ、起業のチャンスをつかむ。そして1996年、高級靴ブランド「Jimmy Choo」を創設。以来、同ブランドは世界中のセレブに愛されようになり、ファッション関連では数々の賞を受賞してきた。タマラ個人も「サンデー・タイムズ」紙の英国長者番付に毎年ランクインするようになり、現在ではセレブの称号をほしいままにしている。

お金、地位、ビジネスでの成功、結婚……と、すべてが順風満帆に進んでいるかのように思えた彼女だが、前夫との離婚をめぐり裁判沙汰になったお陰でメディアからは嫌といえるほどの注目を浴びたり、実の母親と相続問題で揉めたりと、私生活はなかなかどうして波乱気味。最近は米俳優のクリスチャン・スレーターと交際中で、写真誌にキャッチされるなど、またしても華やかな話題が多くなっているようだが……。

今はテレビ番組の中にもビジネス・チャンスは転がっている時代。その代表格ともいえるのがBBCで不定期に放送している 「Apprentice」と「Dragon's Den」だ。ここでは、この2つの大人気番組に登場し話題を呼んだ女性たちの今を見てみよう。


Apprentice アプレンティス
Apprentice数千人の中から選ばれた16人の候補者男女が、実業界の大物アラン・シュガー卿が与える課題に挑むBBC1の看板リアリティー・ショー。優勝者には年収10万ポンド(約2000万円)の役職が約束されている。

Dragon's Den ドラゴンズ・デン
Dragon's Den日本発「マネーの虎」の英国版。一般人が持ち込んだ新規事業アイデアを、大物起業家の「ドラゴン」たちが査定し、交渉が成立すれば資金援助や投資が受けられる。2005年からBBC2でシリーズ放映中。

Apprentice
懐の深さが垣間見える お茶の間の人気者

ルース・バッジャー Ruth Badger

ウォルヴァハンプトン出身 30歳

ルース・バッジャー

セカンド・シリーズで最終候補に残ったものの、惜しくも敗退したルースは、豊富な営業経験を生かしてビジネス・コンサルタント事務所を設立。またその際立ったキャラを買われ、ケーブル・テレビ局「Sky One」でのビジネス・リアリティー番組「Badger or Bust」がスタート、さらに多くのファンを獲得している。彼女の魅力は、何と言っても表情豊かで自信に溢れたスピーチ。男顔負けの豪傑さの中に覗くお茶目さも人気の秘密だ。


Apprentice
七転八起の精神を持って
不屈のチャレンジを続ける

ジョー・キャメロン Jo Cameron

コヴェントリー出身 37歳

ジョー・キャメロン

自動車会社「MG Rover」(2005年倒産)の営業などをはじめ多くの職務経験を持つジョーは06年、番組終了後に娘を出産するが、早産だったために、不運なことにその子供は生後数時間で息を引きとってしまう。この悲しい経験を通じて決意を新たにした彼女は、自らを「立ち直りの達人」と称し、ポジティブ・シンキングを唱えるメディア・コメンテーター、ライフ・コーチャーに転身。テレビ出演などをこなしながら、各地で講演やセミナーを開催している。


Dragon's Den
仏頂面もご愛嬌、生まれついての実業家

デボラ・ミーデン Deborah Meaden

出身地不詳 49歳

デボラ・ミーデン

歯に衣着せぬ物言いで知られるドラゴンの紅一点。レジャー・パークを経営する両親のもとに生まれ、物心ついたときから起業を志していたという生粋のビジネスウーマン。 19歳の時に陶磁器輸入販売会社を設立したことに始まり、小売・レジャー産業に携わって財を築き、今や推定資産額4000万ポンド(約80億)の富豪に。夫と暮らすイングランド南西部サマセットのジョージアン・ハウスには、犬や猫に加えて馬、鶏、カルガモ、そして食用に4匹のブタがいるんだとか。


Dragon's Den
初の著書出版を通して
起死回生を図れるか

レイチェル・エルノー Rachel Elnaugh

エセックス出身 43歳

レイチェル・エルノー

レコード制作やエアクラフト飛行といった、心に残る「経験系」ギフトを提供する会社「Red Letter Days」を24歳で創設。第1期ドラゴンの一人だったが、番組出演中の2005年に同社が破綻し、出演辞退を余儀なくされた。後日、同社はその他2人のドラゴンに買収されている。現在はコンサルタントとして中小企業の相談役を務めており、紆余曲折の起業体験を綴った初の著書「Business Nightmares」を今年5月に発刊したばかり。5人の息子の母。


Dragon's Den
夢実現に向けてまっしぐらの若き起業家

レベッカ・フィリップソン Rebecca Philipson

ダラム出身 24歳

レベッカ・フィリップソン

「あなたをタブロイド紙のニュースにします」という一風変わったギフト商品、パーソナライズ新聞を提供する「UR-In The Paper」社を21歳で創設。2005年に事業拡大を目指して番組出演するも出資は得られず。しかしその後もウェブを通して集客率を高め、「Tesco」や「WH Smith」と提携するなどして着々と前進、売上高も年々アップ。今、話題の若き起業家ということで首相との対面も果たしたレベッカ、今後の活動が注目される。


Dragon's Den
人生最大のピンチを
働くママはどう切り抜けるか

ジュリー・ホワイト Julie White

出身地不詳 39歳

ジュリー・ホワイト

2005年、長男出産後3カ月でママ& ベビー用品を扱う委託型ビジネス「Truly Madly Baby」の企画を番組に持ち込み、ドラゴンの一人、ピーター・ジョーンズと交渉成立、7万5000ポンド(約1500万円)の出資を得る。その後、オンライン販売などを通して急成長を遂げるが、今年6月に残念ながら事実上の倒産。起業以来、働くママとしてメディアの注目を浴び、またその業績が認められて数々の賞を受賞しているジュリーだけに、復活を期待したい。

 

上川隆也・斎藤晴彦インタビュー「ウーマン・イン・ブラック」

上川隆也・斎藤晴彦インタビュー
上川隆也、斎藤晴彦

上川隆也
1965年、東京都出身。89年に演劇集団キャラメルボックスに入団。95年、NHKドラマ「大地の子」主演で注目を集める。以降、劇団での舞台出演のみならず、映画、テレビの分野でも活躍する実力派。「ウーマン・イン・ブラック」には1999年、2003年と出演、今回が3度目の参加となる。

斎藤晴彦
1940年、東京都出身。劇団青俳、発見の会を経て、黒テントを設立。現在もメンバーとして活躍する一方で、ミュージカルから新劇まで、ジャンルを問わず何でもこなす柔軟さが持ち味。「ウーマン・イン・ブラック」には1992年の初演以来、全公演に出演している。

5年もの間、同じ役者と一対一で対峙する。次々と新しい波が押し寄せるショー・ビジネス界において、このような機会は稀だ。俳優、上川隆也と斎藤晴彦は、そんな稀有な関係を築き挙げている2人である。ロンドン発のゴシック・ホラー演劇「ウーマン・イン・ブラック」。今回は同作の日本版ロンドン公演に先駆けて行われる日本ツアーを間近に控えた両氏にインタビューを実施。心から信頼し合い、でも馴れ合わない……、長年の共演で培ったその不思議な距離感が心地良く感じられる、そんなひとときとなった。(取材・文: 村上祥子)

ウーマン・イン・ブラック  ─黒い服の女─

ウーマン・イン・ブラックとある劇場の舞台上。老弁護士キップスが、若い俳優相手に覚束ない口調で自らの経験を語っている。キップスは若い頃、誰にも語ることのできない恐怖の体験をし、それゆえに悪夢に悩まされる日々を送っていた。彼は家族らにすべてを語ることでそんな記憶から解放されようと決意する。その練習を行うため、若い俳優を雇ったのだが、話のあまりの長さとキップスの語りのつたなさに、俳優はある提案をする。俳優が若き日のキップスを演じ、そのほかの人々をキップスが演じるという舞台の形で、この話を語ろうというのだ。かくしてキップスの恐怖の体験が芝居という形で明らかにされることになった……。

7月3日、朝9時。英国と日本をテレビ電話で繋ぎ行われた今回のインタビューは、画像が出てこないというトラブルから始まった。耳のイヤフォンからは、「これは問題なさそうだし……」と器材をいじる声。そして数分後、すっと映し出された画面には、まるで子供のように目を輝かせて目の前の器材に手を伸ばす、上川隆也の姿があった。前回、1月に本公演のロンドン記者会見に出席したときとは全く異なる、リラックスした表情。そしてその傍らには、鷹揚に構え、あまり表情を崩さぬままに飄々と語り続ける共演者、斎藤晴彦の姿があった。

稽古の仕上がりは「順調すぎる」

─ いよいよ日本公演の初日間近ということで、現在、どの程度稽古は進んでいますか。

上川:今は連日、通し(稽古)を繰り返しているところです。もう順調すぎますね。
斎藤:順調すぎますね。
上川:もう全体はできあがっている形で、細かいところ を詰めて詰めて、微調整を繰り返している感じです。

─ 今回は2008年版ということで、これまでの作品と、演出、演技の面で意識的に変えた部分はありますか。

上川:この芝居の面白いところの一つに、僕らの変化を鷹揚に受け入れてくれる器を持っているという点があるんですよ。2003年から08年という5年間を経て、僕らが何かを変えようと思わなくても、2003年とは違う自分がそこにいますから。この芝居と向かい合うと、2008年版が不思議と立ち上がってくるような感じを、今は受けています。

─ 具体的に「ここが違う」という点はあるのでしょうか。

上川:ここがこう違う、というのではないんですよ。やっている段取りは、イギリスのプロダクションと変わらないと思うんですね。演出家も一緒ですから。パッケージは同じなんです。でも、前回が果汁100%だったら、今回は120%と、より濃密になっているような感じですかね。
斎藤:ロビンさん(演出家、ロビン・ハーフォード氏)の演出っていうのは、言葉が分からないなかでやっているから、普通はそれが壁になるんですよ。でも壁にならないの(笑)。なぜかって言うと、彼は全部丸ごと台本を覚えているって言っているんですね。ロビンさんが僕らの芝居を演出するときには、ずーっとセリフを追っている。それで感情の動きとか、細かいところを観察した上で指示を出してくるから、言われて納得することばっかりなんですね。ですから不思議な稽古場ですよね。言葉っていうのが気にならない……、すごいことだと思います。

─ 今回、「ウーマン・イン・ブラック」での共演は5年ぶりとなります。その間、連絡を取り合ったりはされたのでしょうか。

上川:一切、取っていません(笑)。でもそれが隔たりとして感じられないんですよね、不思議と。
斎藤:役者っていう職業はね、仲良くしていてもしょうがないんです。もちろん、お互いに舞台上では切磋琢磨するんですけど、フリーなときっていうのは、会ったってせいぜい芝居の情報交換をするくらいじゃないですか。僕はむしろ普段は会わないで舞台で会った方が、濃密な関係ができあがるような気がするんですよね。


「ロック」な斎藤さん、「頑固」な上川さん!?

─ それでは役者としてのお互いの印象・魅力を教えていただけますか。

上川:僕はこの芝居を演じるのが3回目で、参加して9年目になるんです。斎藤さんは初演から手掛けていらして、僕が初めてこの作品に関わったときから、すべてご存じなんですよ。なので当時から僕は斎藤さんに頼る、というか、僕の至らない部分を委ねるという形で相対していた部分があったと思うんですね。そしてそれに、ことごとく応えて下さって。ですから僕は安心して舞台に立つことができた。それは今も変わらずにあって、斎藤さんと2人なら大丈夫っていう思いが僕にはとても強くあるんですね。そういう安心感を与えてくれる方です。
斎藤:5年ぶりに会った上川隆也は、著しく大きくなりました。「ああ、僕も頑張ろう」って思いましたよ(笑)。彼にとっての5年間っていうのは本当に大きかったんだなって感じましたね。それは技術的なところも大きいけれども、役者としての人間のスケールの大きさ、それがすごくよく分かりましたね。今回の公演はすごいものになりますよ。上川さんの進化の過程を見られます(笑)。

─ 斎藤さんにとっては、萩原流行さん、西島秀俊さん、そして上川さんと、3人のヤング・キップスをご経験されているわけですが、皆さんそれぞれ、どのような演技をされるのか、ご説明いただけますか。

斎藤:演じている間は、僕自身も変わってきているので、昔のことを今、語るというのは、難しいのね。始めの頃は、僕自身も何も分からず入ってきていますからね。やっぱりその都度の過去の話っていうのは、演劇だとしゃべれないんだよね。映画やテレビと違って、舞台っていうのは消えちゃうじゃないですか。そうするとね、そのことをしゃべるのがすごく不可能だっていう気がするんですね。だから萩原流行さんとやったときのことっていうのはね、忘れてる。変な言い方だけど。忘れてるっていうか、「ない」んですよ。お芝居っていうものはその時間、その場所のものですから。勿論、流行さんも秀俊さんも素敵でした。

─ それでは人間としての互いの魅力というのは?

上川:こうやって回を重ねて思うのは、風貌は穏やかでいらっしゃって、でもその実、内面に持ち合わせているものってロックじゃないかなって僕は思っているんですよ。

─ やはりアングラ出身というだけあって……

上川:ロックなんですよ。それとともに持ち合わせている経験や知識というものがないまぜになって身体の中にあるという感じですかね。

─ どういうところに「ロック」を感じるのでしょう?

上川:今、ロックっていう言葉に押し込めたんですけど……。とにかく、体(てい)の良い収まり方をなさっていないんです。人当たりも良くて、ことさらにそういうことを感じさせる方ではないんですが、物事を捉える時に、一面だけでは決して判断しない。そのものの裏側も絶対見ようとなさっていて……なんていうのかな、言い方を変えると、「やんちゃ」な部分っていうのかな。そういう部分をきちんと裡(うち)に潜ませているような、そんな感じです。

─ それでは斎藤さんから見た、人間、上川隆也の魅力とは?

斎藤:上川さんってこうやって一生懸命、他人のことを考えてくれるでしょう(笑)?自分で一生懸命、言葉を探してね、こうやって語ろうとしているところがいいですね。

─ 確かに上川さんの言葉の選び方にはとても独特なところがありますよね。

斎藤:ね、独特でしょう?ちゃんと自分の言葉でしゃべるんですよ。それはすごい。芝居も、そう。要するにね、自分の芝居をものすごく大切にするんですね。いい意味で、ものすごく頑固な俳優だなと思いますよ。


「役者としての修業ができる」芝居

─ 上川さんは前回のインタビューで、本作ならではの魅力として、「自分が今、どんな状態でいるのかがあぶり出されるような舞台」であると表現されていました。今回はどのような自分があぶり出されている感がありますか。

上川:先程、斎藤さんが評してくれた僕という役者の姿は、「ウーマン・イン・ブラック」っていう土壌の上に置いた時に見えたものだと思うんですね。そして同じようなことを僕自身も感じています。5年間経って、5年前にやった自分の演技が、どこか頭の片隅に残っている。それと比較しても違うことをやっている実感は間違いなくあるんですよ。それをつぶさに説明することはできないんですが、違うことが板の上に今、展開されているんだなって、己の目で己を見ている感覚はありますね。

─ それは自分の成長を実感しているということなのでしょうか。

上川:それを成長と捉えるかどうかっていうのは、なかなか難しいことだと思うんですね。ただ、違いを感じることはできる。感じられている自分が面白いですね。そこに鈍感になっていない自分を発見できるというか。

─ それでは斎藤さんにとって、この作品ならではの魅力とは、何でしょう?

斎藤:役者としての修行ができる芝居だと思うんです。実際にお客さんの前で、稽古しているっていう演技をする作品ですからね。毎回違うことを試すことができて、それでも芝居は崩れない。構造として、とっても役者の勉強になる芝居なんですよ。それが一番楽しい。すごい戯曲だなと思います。

ハーフォード氏(写真右)の指示を受ける上川
真剣な表情で演出家、ハーフォード氏(写真右)の指示を受ける上川(同左)


ロンドンはツアーの「最終地点」

─ 7月10日から日本公演がスタート。そして日本各地での公演が終わるといよいよ英国公演ということで、不安は感じていますか。

上川:稽古すればするほど、不安は薄れていっている感じがありますね。いみじくもロビンさんもおっしゃっていたんですが、「最終地点だと思えばいい」、と。日本でも何カ所か周らせていただくんですが、それと同じように、その先にロンドンがあると。なるほどって思いましたし、そのくらいの気持ちでいようと思っています。
斎藤:ワクワクしてますよ。もちろん、日本語という言葉がイギリスのお客様にちゃんと分かるっていうのはあり得ないことだと思うんです。でもね、やっぱり人間の感情っていうのはそんなに変わらないと思うし。悲しいときには悲しいし、怖いときは怖いわけで。感情っていうものが分かれば、お客様は理解できるだろうっていうのは考え方としてあります。それよりも今は、ロンドンでやるっていうのは楽しいなっていう気持ちが大きいです。

─ 上川さんは前回渡英時に英国版を観劇された上で、自分たちの芝居には「粘り、湿度がある」とおっしゃっていました。斎藤さんはその点についてどう思われますか。

斎藤:さっき、「感情はそんなに変わらない」って言ったけれども、役者の、感情を表現するベースっていうのは当然、違うと思うんです。例えばこの作品はホラーであると謳っていても、僕らの場合には日本人が持っている恐怖感っていうのがあるじゃないですか。霊的なものに対する。やっぱり僕らはホラーというものをシリアスに捉えるんですよね。お彼岸だとかお盆だとか、死んだ人に対する供養の気持ちがある。だから「ウーマン・イン・ブラック」をやっているうちにも、悲しみとか切なさとか辛さといったものが、自ずと出てくるんでしょう。

─ 今回は日本語での海外公演になるわけですが、今後も別の形で、海外公演を続けたいと思われますか。

上川:それはそのときに考えないといけないことですよね。「今回、これができたから、また次ができる」とは考えられないと思うんです、僕は。今回は今回ですね。次のことはそのときに考えたいです。
斎藤:正直でしょ(笑)?上川さんはまた絶対やりますよ。これでなくてもね、やっぱり色々なところでやるのはいいことだと思うんです、僕は。役者にとっては本能的にやりたいことだと思いますよ。

7月10日、大阪のシアター・ドラマシティで、「ウーマン・イン・ブラック」初日の幕が開いた。終演後には、場内総立ちのスタンディング・オベーション。最高の形で、日本版ツアーはスタートしたようだ。この初日を遡ること1週間前に行われたインタビュー、2人は清々しいと形容してもよいほどの気負いのなさで、本作を演じる悦びばかりを語ってくれた。未来も過去も、どうでもいい。海外でやろうが、国内でやろうが、構わない。2人の役者馬鹿は、「ウーマン・イン・ブラック」という無限大の「器」の中で、思う存分に役者としての自分の可能性を試せる今という時間を、何より楽しんでいるのだろう。

演出家、ロビン・ハーフォード氏が語る 日本版「ウーマン・イン・ブラック」
ロビン・ハートフォード氏を真ん中に両脇を上川、斎藤が固める

上川、斎藤両氏のインタビュー終了後には、現在、日本版演出のために来日中の演出家、ロビン・ハーフォード氏に話を伺うことに。ハーフォード氏を真ん中に、両脇を上川、斎藤が固める形でインタビューは行われた。眉間に皺を寄せながらハーフォード氏の一言一言にうなずきながら真剣に聞き入る上川と、相変わらず不動の姿勢で超然と佇む斎藤。そしていつでも楽しくて仕方がないという体(てい)で微笑みを浮かべるハーフォード氏という、実に個性的なトライアングルが、本公演における3人の絶妙な関係を体現していた。

ロビン・ハーフォード
現在、ロンドンで19年というロングランを記録する舞台「ウーマン・イン・ブラック」の制作・演出を手掛ける。以降、海外公演、国内ツアーと本作品すべての演出に携わっている。

─ 稽古は順調に進んでいますか。

ハーフォード(以下、ハ):非常に上手くいっています。予定より早く物事が進んでいるくらい。

─ 上川さんと斎藤さんの調子はいかがでしょう。

ハ:非常に難しいところだね……。
上川、斎藤:(笑)
ハ:というのは冗談として(笑)、彼らに会うのはいつでも本当に嬉しいことだし、今は楽しみながら稽古をしています。

─ 今回のプロダクションは、前回と全く同じものになりますか、それとも意図的にどこか変えようと考えていらっしゃいますか。

ハ:古今東西、すべてのプロダクションには違いがあります。とにかく前回の単なるコピーにならないよう、一生懸命努力しているところです。ただ、具体的にどこをどう変えよう、というわけではないんです。結局我々は、いつも同じ真実を求めているわけですからね。

─ ロビンさんの演出方針について聞かせてください。細かい部分もすべてご自分で決めていくのと、ある程度は役者の自由裁量に任せるのと、ご自身はどちらのタイプの演出家だと思いますか。

ハ:完全に後者ですね。私は自分自身が役者もやっていますから、演出家が一人ですべてを決め、役者を人形のように扱うことには何の意味も見いだせません。役者が自分のアイデアやイマジネーションを取り入れて演技することを、何故否定しなければならないのでしょう?私は役者たちが望む方向性を、さらに膨らませてあげたいのです。その上でもし彼らが、ちょっと違うな、という方向に行ってしまった場合には、軌道修正をしますが。何と言っても毎日、舞台上で作品を演じるのは、役者なんですからね。

─ 斎藤さん、上川さんから見た演出家、ロビンさんというのはどのような方ですか。

上川:僕にとってロビンさんは、所属劇団の演出家以外では、スタッフとして初めて出会った演出家だったんですね。正に大海の広さを初めて知った蛙状態で、その演出方法のあまりの違いに驚いたことを覚えています。ロビンさんは、役者が持ち出してきたものを、まず肯定した上で導いてくれる、それを心地良く感じました。言語が違うのに、しっかり役者を導くことができる、とてつもない方だなあ、と心密かに思っております。
斎藤:ロビンさんってね、テクニカルなことは言わないんですね。彼の演出っていうのは、「人間とは何か」ということをひたすら言ってくれるわけ。現実的な演出をしますね。「芝居ならでは」という演出をなさらないんですよ。普通に生きている人間として役者を捉えている。だから「リアリズムの演出家なんだなあ」と 思いますね。

─ 異なる文化、異なる言語の環境下で演出することに、 苦労されることは?

ハ:私には現場を把握している通訳がついているわけですが、何より、私自身が英語でこの芝居を本当によく知っている……、一言一句全部覚えていますからね。だから彼ら(役者)が今、台本のどこにいるのかが理解できるんですよ。でも外国語でやっているということで、演出家として役者に指示を出す際には、より正確に伝えることを心掛けています。著名演出家のピーター・ブルックは以前、共通言語を持たない多国籍の役者たちを使って芝居をつくったことがあります。外国語でやるときには、舞台上でどうすればもっとドラマチックになるのかということを踏まえて、言葉だけに頼るのではなく、ボディ・ランゲージなどその他の要素を取り入れるようにもしています。だから別の言語でやることは鍛錬でもあるし、刺激的でもあるんです。

─ なぜ今回、上川、斎藤両氏による日本版を英国に持ってこようと考えたのですか。

ハ:私は世界各国、英国国内ツアーも含めて、50組以上ものコンビを演出しています。2人の役者たちの間には、皆それぞれに強いつながりがあるんです。そしてこのサイトウさん、タカヤさんの結束力というのは特に強いので、国際的な舞台に持ってくるには完璧な組み合わせだと思いました。
私は常に文化というものには、国と国を結び付ける力が備わっていると考えているんです。スポーツ交流と同様、文化交流というものは、世界を啓蒙し、人々に国と国の間には共通点だけでなく、違いもあるのだと知ってもらうには非常に有用なのではないでしょうか。今回、この芝居をイギリスに持ってくるということは、日本の文化を英国に持ってくるということにもなります。そういう意味でロンドン公演では、ロンドン在住の日本人の方たちだけでなく、この芝居を既によく知っている英国人にも観てもらいたいですね。

ウーマン・イン・ブラック  ─黒い服の女─

原作: スーザン・ヒル
脚色: スティーブン・マラトレット
演出: ロビン・ハーフォード
出演: 上川隆也、斎藤晴彦
後援: 在英国日本国大使館
企画制作: 株式会社パルコ
制作協力: 株式会社ミーアンドハーコーポレーション

公演日程: 2008年9月9日(火)~ 13日(土)
場所: ロンドン、フォーチュン・シアター
The Fortune Theatre, Russell Street, London WC2B 5HH
www.thewomaninblack.com
最寄駅: Covent Garden
チケット販売: インターネット上(日英)またはBox Officeで 直接購入。上演3週間前からは、The Ambassador Theatre Groupで日本語専用ホットラインを設置予定。

*ロンドン公演では、舞台上部に英語字幕が設置される。
字幕を見る場合には、2階(Dress Circle)、3階(Upper Circle)がお勧め。

 

カミング・アウトしたゲイたち

カミングアウトしたゲイたち

異文化を温かく受け入れると評判の英国。その土壌を生かして、日本ではまだまだ社会的な市民権を得ていない感のある同性愛者も英国社会には溶け込んでいるように思える。ところがこの国においても同性愛者に対する偏見や差別は根強く残っており、各界の第一線で活躍する著名人たちをも悩ませているという。英国で苦闘する同性愛者たちの姿を紹介しよう。(本誌編集部: 長野雅俊)

サイモン・ヒューズ 政治家

ゲイと戦い、ゲイを助ける
Simon Hughes
サイモン・ヒューズ


チェシャー出身、57歳

かつて自身が所属する自由民主党の党首やロンドン市長候補となり、現在も同党の影の下院院内総務を務めるほどの実力者。そして彼ほど、同性愛者としての自分自身を意識させられることになった政治家はいないだろう。

1983年にロンドン南部バーモンジー地区の補欠選挙に立候補。ここで、同性愛者のための権利団体で活動する労働党の候補者と争うことになった。同性愛者への理解が現在よりもずっと浅かった当時の時代を背景として、自身が属する自民党はこの対立候補の性癖を批判的に取り上げるキャンペーンを展開。その結果、ヒューズ氏は見事に当選を果たした。

ところが自民党の党首選に立候補した2006年、彼自身が同性愛者であるとの疑惑が報じられる。当初は否定するも、タブロイド紙の攻勢に屈服してバイセクシャルであることを認め、20年以上前に行われた補欠選挙での選挙活動について謝罪した。

この頃から、彼にはよりリベラルなイメージが定着。同年の暮れには、難民申請が却下された同性愛者のイラン人男性に下された強制送還の決定を覆すために尽力した。この男性の恋人が既に同性愛を理由に本国で死刑執行されており、彼の生命の安全を確保するための措置だったという。現在では1983年の選挙時の対立候補も、彼の政治活動を評価している。

ジョン・アミーチ スポーツ選手

米国のスポーツ界に一石投じる
John Amaechi
ジョン・アミーチ


ストックポート出身、37歳

身長208センチ、体重122キロという恵まれた体格を生かし、英国の出身者としては珍しい、米国におけるバスケットボールのプロ・リーグであるNBAで活躍したアスリート。そして今では、同性愛者であることを認めた初めてのNBA選手としても知られている。

2007年にテレビ番組のインタビューにて、自身が同性愛者であることを公表。ところが欧州よりも同性愛者に対する反発がさらに強い米国、しかも巨漢たちがしのぎを削り合うバスケットボールの世界では、この発言が大きな論議を巻き起こした。現地のメディアでは、元チームメイトやかつてライバルだった現役の一流選手たちが「彼をチームメイトとして信用できるか」「同性愛者の選手と更衣室を共有するべきか」といったことについて、それぞれの見解を述べるという事態にまで至った、一大事件となったのだ。

現役時代の彼が、チーム関係者たちから抜群の信頼を集めていただけに衝撃も大きかったのだろう。優勝候補のチームから1700万ドル(約18億円)の年俸で移籍を打診されるもそれを拒否。その1割に満たない金額60万ドルで契約していた、自分を育ててくれたチームに残って恩返しを誓った日のことは、今でも地元ファンの間で語り草になっていると いう。

現在はスポーツ中継の解説者や、企業コンサルタントとして活動している。

ブライアン・パディック 警察官

悩んだ末に女性と結婚
Brian Paddick
ブライアン・パディック


ロンドン出身、50歳

5月に実施されたロンドン市長選に自民党から出馬したのがいまだ記憶に新しい、元警察官。しかも、かつてはロンドンの全地域を統括する立場に属していた上級警察官であった。

オックスフォード大学で学士、ケンブリッジ大学で修士の学位を取得し、ロンドン警視庁に入った後はまさにとんとん拍子で昇級の階段を駆け上っていった。ところが、2006年のロンドン同時多発テロ事件直後に発生したブラジル人青年誤射事件が人生の分かれ目に。公式見解と異なり、警察側が誤射を事件直後から認識していたとの趣旨の発言をしたために、事実上の左遷を受ける。これがきっかけとなって警察庁を退職した。

幼い頃から同性愛者としての自覚があったにも関わらず、女性との結婚経験もあり。基本的に同性愛を禁じていると見なされているキリスト教徒としての立場、両親の不理解を恐れる気持ち、そして警察幹部としての責任を鑑みて「正しいことをしたい」と考えた末の苦渋の決断だったという。後になって、「婚姻中は自分の性について大いに悩んだ」と 振り返っている。

結局、結婚は破綻し、現在はリゾート地として有名なイビザ島のバーで出会った男性パートナーと同居中。また国内のビジネス・スクールにて、特別研究員としてリーダーシップなどをテーマにした講義を行っている。

イワン・マッソウ ビジネスマン

ゲイのための保険商品を開発
Ivan Massow
イワン・マッソウ


出身地不明、41歳

起業家、現代芸術協会(ICA)ギャラリーの元会長、保守党員など多彩な顔を持つビジネスマン。

つい10年ほど前まで、同性愛者は「HIVウイルスに感染している恐れがある」などといった偏見を理由として、通常の4~6倍の保険料を納めた上で、これまでのパートナーの数など私生活の詳細を報告しなければ生命保険には加入できなかった。そこで既に保険業界でのキャリアを築いていた彼は、同性愛者も通常の保険料と手続きのみで利用できる保険制度を確立。同業界のシェアの4分の1を占めるまでの成功を収めた。

異文化には比較的厳しい政策を取る傾向のある保守党の党員としても活動し、同性愛者のための権利拡張に尽力。金融街シティでの成功と、生まれつきの甘いマスクも手伝って、その後はテレビや雑誌に登場して一躍時の人になった。ただその裏側では、同性愛者であることを公表後に生みの親から名前の変更を促されたり、自身の恋人である男性が自殺してしまったりするなど、私生活においては大きな精神的負担を受けていた。

2002年にICA本部を批判した発言が問題になって会長職を辞任。2007年には、自身の地位を確立した保険会社が倒産する憂き目に遇った。その後、公的な場には一切登場しなくなったが、現在はスペインのバルセロナで隠居生活を送っていると伝えられている。

ジェフリー・ジョン 聖職者

聖職者のタブーに立ち向かう
Jeffrey John
ジェフリー・ジョン


ウェールズ出身、55歳

同性愛はタブーとの見方が支配的なキリスト教関係者としては極めて稀な、同性愛者として初めて英国国教会の主教に任命された聖職者。

オックスフォード大学卒。外国語や神学を学びながら、若かりし頃から同性愛者のための権利保護運動に携わってきたと言われている。これが教会関係者からの反感を買い、自身が犯した「過ち」を悔い改めるよう再三にわたって説得されたという。

2003年にイングランド中部レディング地区の主教に任命されるも、英国国教会全体から非難が巻き起こった挙句に、この決定を尊重するか否かをめぐって同教会全体が分裂するかもしれないという危機に直面する。結局、最高責任者であるローワン・ウィリアムズ・カンタベリー大主教の意向を受けて、ジョン氏はこのポストへの就任を自ら拒否。ところがこの不透明な経緯に対しても論議が勃発したために、今度はトニー・ブレア首相(当時)が本件に介入することになり、他の教会に対する権限が著しく制限されている、 地方監督の地位に就任することで事態は沈静化した。

強固な反対に遭いながらも、「人間の罪は、既に神によって悔い改められている」と主張し、同性愛者として生きる権利を訴え続けるジョン氏。2006年には同じく聖職者である男性と市民パートナーシップ(同性同士に結婚と同等の権利を与える制度)を結んでいる。

イアン・マッケラン 演劇俳優

最も尊敬される同性愛者
Ian Mackellen
イアン・マッケラン


ランカシャー出身、69歳

映画「ロード・オブ・ザ・リング」に登場する魔法使いガンダルフ役、舞台版「アマデウス」で天才モーツァルトと対峙するサリエリ役など、どの役を演じても強烈な個性が光る英国人役者。アカデミー賞のノミネート2回、全米劇場プロデューサー連盟が主催するトニー賞受賞といった、役者としての輝かしい経歴を誇る。

マッケラン氏は、同性愛者の権利保護を目的とする運動家としての顔も持っている。1988年にBBCのラジオ番組にて、自身が同性愛者であることを初めて告白。そして当時、議論の的となっていた同性愛の喧伝を禁ずる地方議会の条項「セクション28」に反対を表明した。この条項の成立に賛意を示していたマイケル・ハワード保守党議員が、彼の子供のために、とサインを求めたときに「Fuck off, I’m gay(俺はゲイだ、消え失せろ)」と書いた紙を手渡したとの逸話が残っている。

その後も同性愛者の権利を訴える様々な団体の活動に参加。今では国内の代表的な存在となった権利団体「Stonewall」の設立にも関わった。

英国における同性愛者の地位の確立は、マッケラン氏の尽力によるものと評価する声も多い。こういった功績を評価され、2006年に「インディペンデント」紙が発表した英国内の同性愛者の有力者ランキングでは堂々の1位。今、英国で最も尊敬される同性愛者である。

マット・ルーカス コメディアン

市民パートナーシップ破綻第1号
Matt Lucas
マット・ルーカス


ロンドン出身、34歳

BBC1の人気シリーズ「リトル・ブリテン」の出演で有名なコメディアン。自身が同性愛者でありながら、同番組においてはウェールズの小さな村に住む、同性愛者を嫌悪する同性愛者の役を熱演。このキャラクターが着用する過激な衣装に対してはBBCにたくさんの抗議が寄せられる一方で、彼の決め台詞「I am the only gay in the village」が流行語になるほどの注目を集めた。

私生活においては、脱毛症のために6歳ですべての頭髪を失う。さらに同性愛者であるがために、自身と他者との関わり方に悩むなど、深いコンプレックスを抱えながら生きてきたとインタビューで語っている。

2006年には、男性の恋人と市民パートナーシップを結んだ。「アラジンと魔法のランプ」をテーマとした衣装を着ての「結婚式」が話題になったが、今年6月になってからこのパートナーシップを解消したことを発表。同制度が2006年に発足して以来、著名人としては初めての破綻となったために、メディアはこの顛末を大きく報道した。また同パートナーシップ解消をめぐっては、ダイアナ元妃やポール・マッカートニーの元妻、へザー・ミルズさんが利用した顧問弁護士に相談していることが伝えられており、今後も引き続き彼の「離婚騒動」に注目が集まることが予想される。

フレディ・マーキュリー ミュージシャン

伝説の同性愛者
Freddie Mercury
フレディ・マーキュリー


タンザニア出身、故人

70~80年代の英国を席巻したロック・バンド、「クイーン」のボーカル。「We Will Rock You」「Bohemian Rhapsody」といった、後世まで残る名曲を残した。

英国領だったタンザニアのザンジバル島に生まれる。現地で内乱が発生したために、家族揃って渡英。学生時代にロンドンにて本格的なバンド活動を開始し、デビュー後は度々お忍びで来日するなど、日本びいきとしても知られていた。

元々、マーキュリー氏にはメアリー・オースティンという名の女性の存在がファンたちの間では恋人として認知されていたが、いつしか彼とレコード会社で経営陣として働く男性との関係についての噂が流れるようになる。これをきっかけに彼の同性愛者としての側面が取り沙汰されるようになり、この男性との関係を終えた後も、ゲイ・バーやクラブなどのスポットに頻繁に出没する姿が見られるようになった。一方で、メアリーという名の女性との友人関係も長きにわたって継続。彼女に捧げた歌も残していることから、バイセクシャルであった可能性が高いと伝えられている。

80年代後半になり、理髪師として働く当時の男性パートナーと共にエイズに感染し、これが原因となって45歳の若さで病死した。その死に様が衝撃的だったがために、現在でもロック界の金字塔として君臨している。


数字で見る英国のゲイ
6% 英国の全人口の中に同性愛者が占める割合 6%
8728件 市民パートナーシップの登録件数 (2007年度)8728件
25% 同パートナーシップの全登録件数の中でロンドン在住者が占める割合 25%
42歳 同パートナーシップに登録した同性愛者たちの平均年齢 42歳


ショービジネス界のゲイたち

上で紹介した人物たちに限らず、ショー・ビジネスに携わる者の中には同性愛者が数多く存在する。ここでは、そんな彼らが築き上げた「ゲイ・カルチャー」に象徴される華やかな側面とともに、先日ロンドン市内でパレードが開催された「プライド・ロンドン」の一幕をご紹介。

Elton JohnElton John エルトン・ジョン
ミドルセックス出身、61歳

「ユア・ソング」などの歌で知られる。かつてはドイツ人の女性と結婚していたバイセクシャルだが、2005年に男性の恋人と結婚してからは同性愛者たちの間で英雄的な存在となった。

Boy GerogeBoy George ボーイ・ジョージ
ロンドン出身、47歳

「ニュー・ロマンティック」と呼ばれる、80年代の英国で支持を集めた音楽ジャンルの象徴的な存在として君臨したバンド、「カルチャー・クラブ」のボーカリスト。コカイン所持などでの逮捕歴がある。

Geroge MichaelGeorge Michael ジョージ・マイケル
ロンドン出身、45歳

「ラスト・クリスマス」などのヒット曲で有名なポップ・グループの「ワム!」で一世を風靡した歌手。米国ロサンゼルスの公衆便所にて、男性相手に取っていた行動が公衆わいせつ罪と見なされ逮捕されたことがある。

Will YoungWill Young ウィル・ヤング
バークシャー出身、29歳

オーディション番組「Pop Idol」で優勝、歌手デビューを果たした。人気沸騰中に、「自分自身のあり方について誇りを持っている」との言葉と共に同性愛者であることを告白。

Darren BrownDarren Brown ダレン・ブラウン
ロンドン出身、37歳

ロシアン・ルーレットなどのお馴染みのテクニックから目の錯覚を利用した幻覚マジックまでを扱うマジシャン。自身のウェブサイト上で自身が同性愛者であると記述している。

Stephen FryStephen Fry スティーブン・フライ
ロンドン生まれ、50歳

コメディアン、小説家、テレビ司会者と、様々なジャンルで活躍するマルチ・タレント。全寮制のパブリック・スクールに通った青年期には、自身の性向について大いに悩んだという。

Simon AmstellSimon Amstell サイモン・アムステル
ロンドン出身、28歳

BBC2で放映中の人気バラエティ番組「Never Mind the Buzzcock」の司会でお馴染みのコメディアン。シュールなセンスが特徴的な彼にとって、同性愛も得意なネタの一つとなっている。

Graham NortonGraham Norton グラハム・ノートン
ダブリン出身、45歳

BBCやChannel4といった英国のテレビ局の看板番組に頻繁に登場するテレビ司会者。自身が同性愛者であることをよくネタとして使う。かつては「ミスターUK」とも交際していた。


Pride London
同性愛者を対象としたものの中では、英国最大のイベント。アートや音楽、討論会などを通じて、同性愛者たちが平等な機会を確保し、また社会が彼らを受け入れることができるような、多様な文化を築き上げるように促すことを目的としている。世界各地で開催されており、ロンドンでは今年で5回目。7月5日にはその集大成ともなるパレードがロンドン中心部で開かれ、今年は総勢80万人以上が参加した。
Parade
 

若者文化の震源地、60年代のロンドン SWINGING LONDON

若者文化の震源地、60年代のロンドン SWINGING LONDON

ビートルズ、ミニスカート、ツィギー、ジェームズ・ボンド、マリー・クワント、ヴィダル・サスーン、カーナビー・ストリート……。60年代後半のロンドンは光り輝いていた。「スウィンギング・ロンドン」と呼ばれたあの時代は何だったのか。アート、ファッション、ロック、そしてそれらのスピリットは、一体何だったのか。60年代のリバイバルが騒がれる今だからこそ、あの時代の遺産と魅力の核心を探ってみよう。
三上義一(http://homepage3.nifty.com/ymikami


若者の文化大革命

「ヒッピー」という言葉を覚えているだろうか。若い読者のなかには知らない人もいるかもしれないが、現在40~50代の方なら、ヒッピーという言葉に懐かしいレトロな響きを覚えるはずだ。
60年代後半──日本で「ノ―ブラ」や「未婚の母」が流行っていたその頃、ヒッピーと呼ばれる人々は社会から「ドロップアウト」し、バックパックを背負って自分探しの旅にインドへと向かった。合い言葉は「ラブ&ピース」、そして三種の神器は「セックス、ドラッグ&ロックンロール」。しかし黄金期を過ぎると一部の生き残りを除き、彼らは恐竜のように地球上から消滅してしまった。

ところが最近、ヒッピー文化が息を吹き返し、音楽やアート、ファッションなどの分野でリバイバルしつつある。そもそも60年代後半に若者の文化を席巻したヒッピー文化の聖地は、米国のサンフランシスコである。67年、サンフランシスコに10万人以上ものヒッピーが集まり、愛と平和を論じたその夏は「サマー・オブ・ラブ」と呼ばれた。
しかし米国に負けず劣らず、若者の文化大革命の震源地となったのがロンドンだ。「スウィンギング・ロンドン」と謳歌され、ミニスカートやビートルズにサイケデリック・アートなど、ロンドン発の若者文化が一世を風靡。ロンドン発の文化大革命は津波のように世界に波及し、極東の日本ですらその振動に揺れた。当時その洗礼を受けてロンドンに憧れ、後にこの都市を訪れた日本人も多いはずだ。

当時の文化大革命は、ヒッピー・カルチャー、カウンターカルチャー、ユース・カルチャーなど様々な名前で呼ばれたが、それはつまるところ、社会の既成的な価値観を破ろうとする新しい若者文化の爆発であった。それから40年以上が経つが、その影響はいまだに音楽やアート、ファッションのみならず、ライフスタイルにも及んでいる。それがいかに幼稚でユートピア主義に浮かれたものであったにせよ、当時の文化革命には「世界を変えたい」、「女性を解放したい」といった「革命」の精神がその核心にあった。それがいわばロックンロールのスピリット、その「mojo」(魂、魔力)であり、時代は変われど完全に消え去ることはなかった。当時の若者カルチャーが今なお人々を魅了するのは、そのためではないだろうか。


ヒッピーとは誰なのか

そもそもヒッピーとは誰なのか。辞書によると、ヒッピーとは「既成の文化・政治・性秩序からの完全な自由を求めた60年代から70年代の若者」であるという。日本流にいえば「団塊の世代」に属し、欧米流にいうなら戦後のベビー・ブームに生まれた最初の世代である。
ヒッピーは世界中で流行し、日本でも集団発生したが、日本版は「フーテン族」と呼ばれていた。フーテンの由来は漢字の「瘋癲(ふうてん)」で、精神状態が正常でないこと、またその人、そして通常の社会生活からはみ出して、ぶらぶらと日々を送る人を意味する。この定義は、少なくとも常識的な大人の観点からは、ヒッピーにぴたりと当てはまっていた。フーテン族と呼ばれた無気力な若者たちは67年の夏ごろから新宿東口に集まり、長髪にラッパズボンを穿き、定職にも就かずぶらぶらしていた。あの寅さんまでが「フーテンの寅さん」と呼ばれていたことから、いかに「フーテン」が流行していたかが分かるだろう(ちなみに、寅さんはフーテン族ではなかったが)。

さて、ではなぜこの時代にヒッピーやフーテン族が出現したのだろうか。この世代はテレビ、そして必然的にコマーシャルを観て育った最初の世代である。戦後の経済的繁栄、つまり戦後の消費社会にどっぷりと漬かったという点が、前の世代と決定的に違っている。63年ごろには戦後生まれの若者が大学に入学し始め、それがちょうどビートルズの登場やベトナム戦争の過激化などと重なり、新しい若者文化を生み出すきっかけとなったとも考え得る。成長を重ねた戦後文化が反抗期、そして青春期に突入したともいえるだろう。いずれにしろ、若人たちは新しい文化や価値観を模索し始め、若者たちにとってカッコイイことの多くがロンドン発だったのだ。

Swinging London   Caption
1) 60年代のピカデリー・サーカス © www.britainonview.com
2) 日本武道館でライブを行うビートルズ© BBC
3) 弱冠16歳のモデル、ツィギー Topham Picturepoint/Topham Picturepoint/PA Photos
4)女王よりW杯優勝トロフィーを受けとるイングランド主将 AP/AP/PA Photos

フットボールとミニスカート

60年代後半の「スウィンギング・ロンドン」と呼ばれるロンドン文化の爆発が、正確にいつ始まったのか特定するのは難しい。だがその導火線となりロンドン子を勢いづかせたのが、66年のイングランドのサッカー「ワールド・カップ」優勝である。
サッカー発祥の地でありながら、英国はワールド・カップで優勝したことがなかった。なぜ英国人があれほどサッカーに興奮するのか不思議に思う読者もいると思うが、それがワールド・カップ優勝ともなれば、ロンドン中が狂喜乱舞に包まれたことは容易に想像できるだろう。66年の優勝は、40年以上経つ今日でも語り草になっているほどだ。

一方、そんな興奮のるつぼの中で彗星のごとく登場した妖精がいる。ボーイッシュなティーン・エイジャー、その名はツィギー。小枝(twig)のような体形から「Twiggy」と呼ばれた彼女は、66年当時、まだ無名の16歳だった。ショート・ヘアに、たっぷりのマスカラと付けまつげが特徴のアイ・メイク、スレンダーな体形、そしてすらりとした脚に映えるミニスカート。それまでの「グラマラスな女性が美人」という固定観念は、まったく無名だった彼女によってひっくり返された。だがツィギーが元祖スーパー・モデルとして世に躍り出たのは、そのルックスというよりも、細い脚にミニスカートが抜群に似合い、眩しかったからだ。

「ツィギー効果」により爆発的に流行したミニスカートを世界で初めて紹介したのが、ロンドンのファッション・デザイナー、マリー・クワント。「古いルールへの反抗」が作品作りの信条とされる彼女のブランドが発表したミニスカートは飛ぶように売れてブームを巻き起こした。
その流行の中心にあったのが、ソーホー地区のショッピング街、カーナビー・ストリートだ。そこは60年代の若者ファッションのメッカとなり、そこから発信されたファッションは「カーナビー・ルック」と呼ばれ、日本でも大流行。日本で一世を風靡した「グループ・サウンズ」(現代でいうロック・バンド)も、最先端のそれらを真似ていた。
当時、クワントはロンドン出身の美容師、ヴィダル・サスーンと共にファッション・ショーを展開していた。サスーンもロンドンを拠点として成功を収め、世界に進出して女性のヘア・スタイルに革命をもたらした。クワントもサスーンの鋏による「ボブ」という、画期的なヘア・スタイルで新しい女性の美を追求。ボブはまさに、活動的で自立した女性にふさわしい髪型だった。

また、それらと共に「スウィンギング・ロンドン」の象徴となっていたのがユニオン・ジャックで、当時、人気を博していたミニ・クーパーの屋根にもよく描かれていた。それは愛国心からやサッカーの応援としてではなく、ユニオン・ジャックそのものがクールだったからであり、そう思わせるほど英国はあらゆるカッコイイ流行を生み出していたのだ。
さて、ツィギーが67年に来日したことにより、日本にも本格的なミニスカート・ブームが到来。スカート丈が歴史上初めて膝上を越え、どんどん短くなっていった。とはいえ、ミニスカートは単なるファッションでは終わらず、女性の「性の解放」をも意味した。


解放された女性たち

当時の日本では、親が勝手に決めた相手と結婚させられるという古い習慣がすたれ、自由恋愛による結婚が受け入れられ始めたところであった。とはいえ、若い女性の多くは「処女でないと結婚できない」と信じ込んでいた。それが60年代になると「ノ―ブラ」、「未婚の母」、「フリーセックス」が流行語となるほど性の解放が叫ばれるようになる。60年代後半には日本でのブラジャーの売り上げが激減し、また、未婚の母となることは古い因習にとらわれないで、愛する相手と結ばれることを意味していた。
一方、欧米でも50年代はまだまだ保守的な時代であった。女性はある年齢で結婚して専業主婦となり、家で子育てをするのが当たり前とされ、社会進出の機会は限られていた。セックスとなると、これは結婚後の楽しみであり、さらには子孫繁栄のため。婚前交渉はキリスト教的な道徳から逸脱した淫らな行為だった、と言っても過言ではなかったのだ。
だが、60年代に入り避妊薬が販売されると、セックスが以前よりもはるかに手軽なものになっていく。実際にフリーセックスがどれほど実践されたかは疑問だが、60年代の性解放が多くの女性の恋愛やセックス、そして結婚観に決定的な影響を与えたことは否定できない。女性の生き方の変化が60年代のファッションを生み、それらは女性の意識革命と密接に結びつくようにして発展していった。


ボンドとビートルズ

開放されたのはなにも女性ばかりではなく、男性も同じであった。映画「007」が登場したのも60年代。英国人スパイであるジェームズ・ボンドの映画シリーズは一世を風靡し、当然のことながら「スウィンギング・ロンドン」の人気と迫力に貢献した。服装からドリンク、車から秘密兵器まで、ボンドはこだわりの人である。なかでも特に目がなかったのが、美しい女性たち。彼はスパイであり、プレイボーイであった。それは単に男の冒険心と欲望を刺激しただけではなかっただろう。60年代の「フリーセックス」時代が到来するまで、男性も禁欲的だったのだ。ボンドは美しい女性と戯れ、そのことに対して罪の意識がまったくなかった。今日ではそのような行動に違和感はないだろうが、当時としては新鮮で、衝撃的であった。ボンドは男性の欲望を解き放ち、後の性革命を準備したとも言えるのである。

だが、何と言っても世界の若者にはかり知れない影響を与えたのはビートルズだった。音楽については指摘するまでもないが、彼らは若者の髪型まで変えてしまった。青年も髪を伸ばすようになり、男性の美意識やファッション感覚も大きく変化し始めたのだ。とはいっても、大人たちにとって男の長髪など不良のすること。そこへエレキ・ギターなど持っていようものなら、完全に不良の烙印を押された。ビートルズが66年に来日した時に大論争の的になったのが、その演奏会場 ── そう、日本武道館である。日本の武道を行う神聖な場所で、長髪のビートルズがエレキ・ギターを弾くなど許されないと、大々的な抗議運動が巻き起こった。そのロックンロールとやらに日本人女性が黄色い悲鳴を上げ「失神」することに、戦後の日本はここまで堕落してしまったのかと嘆いた文化人も多かった。だが、ビートルズは歴史を作った。ビートルズ以降、大物ロック・アーティストは武道館で演奏するようになり、エリック・クラプトンからボブ・ディランまでが、「Budokan Live」を録音している。なぜ、武道館なのか。それはあのビートルズがコンサートを行ったからであり、ビートルズ以降、「ロックといえば武道館」というのが定番になったのだ。

そしてビートルズの名を不動にし、「スウィンギング・ロンドン」を象徴するアルバムとなったのが、67年に発表されたロック史に残る名盤「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」だ。彼らが着ていた軍服からミリタリー・ルックが流行し、またサイケデリック・サウンドの頂点を示すアルバムとして、世界中にサイケ調のファッ ションや音楽が広まった。
また、ビートルズがインドの哲学や宗教、その精神文化に強い関心を抱いたことも、ヒッピー文化に大きな影響を与えた。前作の「リボルバー」からインドの楽器シタールを使用し、サイケデリック・サウンドの実験は始まっていた。なかでもジョージ・ハリソンはインドに強く惹かれていて、現地で瞑想に耽り、ビートルズの音楽に新しい響きを加えることになった。そしてそれはヒッピーたちをインドに向かわせる応援歌になったとも言えるだろう。

Swinging London   Caption
5) 60年代のトラファルガー広場 © www.britainonview.com
6) 最新コレクションを発表するマリー・クワント(前列中央) PA/PA Archive/PA Photos
7) 70年に他界したジミー・ヘンドリックス

イノセンスの終焉

若者に愛と希望を与えたこの時代だが、すべてがバラ色というわけではなかった。セックスとロックンロール、そしてもうひとつ60年代のユース・カルチャーを代表したのがドラッグだった。マリファナだけでなく、LSDなどの麻薬が若者の間で広く使用された。その理由は、意識の幅を広げたいから、音楽をより美しく聴きたいから、セックスの快楽を高めたいからとまちまちであったが、社会からドロップアウトし、大人に反抗することとも密接に関係していたに違いない。
だが、麻薬は魔物、危険な火遊びである。多くが命を落とすか、ジャンキーか廃人となった。ドラッグを使用することで「何でも可能だ」という幻想を抱くことはできても、「ラブ&ピース」な社会を築くことなど不可能であった。戦争を起こす「大人の社会」をドラッグで変革する試みなど、冗談でしかないのだ。しかし、当時「ラブ&ピース」で、そしてロックとフリーセックスに酔いしれることで、この地球に楽園をつくることができるとヒッピーたちは真剣に信じていた。それはある種、宗教的な陶酔にも等しかった。
だがそんな夢は70年ごろから急速にしぼみ始める。「ラブ&ピース」のはずのロック・コンサートで暴力沙汰が多発するなど、若者の夢は徐々に幻滅に変わっていった。そしてロンドンで認められ成功した米国人アーティスト、ジミー・ヘンドリックスの急死が象徴的な出来事となった。60年代後半、ロックが最も元気であった時代を代表しロック・ギターに革命をもたらしたヘンドリックスは、70年、麻薬のオーバードーズで帰らぬ人となる。
そして60年代後半の文化は、マリファナの煙のように消え去った。ヒッピー文化は無邪気であった。それはまさに戦後世界が青春を経験したということであろう。そう、60年代後半はほろ苦く、甘酸っぱい青春のような時代であった。


ロック「mojo」の復活

とはいえ、60年代は単なる幻想ではなかった。確かに彼らの多くはイノセンスを失い、分別のある大人へと成長し、ネクタイを締めて仕事に就き、社会を変える前に「社会の一員」にならなければならないことを悟ったかもしれない。それでもあの時代の核となる最も熱い部分は、現代でも生き続けているのではないだろうか。
米国では今年、ヒラリー・クリントンが女性初の大統領になろうと、民主党候補レースを最後まで戦った。彼女は60年代の息吹の洗礼を受けた一人である。あの時代の女性解放を経験していなければ、大統領を志さすことはなかったかもしれない。また、彼女の夫ビル・クリントン元大統領は、60年代後半にローズ奨学生としてオックスフォード大学へ2年間留学し、ベトナム反戦運動に度々参加していた。「スウィンギング・ロンドン」の体現者が、妻のヒラリーを支えていたのである。
一方、民主党の大統領候補となったバラック・オバマの出現も、キング牧師が先頭に立って始めた60年代の黒人解放運動や公民権運動がなければ、あり得なかったであろう。ヒッピー文化とは、つまるところ消費する物質文明とは異なる、もうひとつの生き方を示したことに価値があった。ヒッピーは消えたかもしれないが、その冒険は無駄な実験ではなかったのだ。

今日、60年代のアートやポスター、それにビートルズやジミー・ヘンドリックスなどのレコードは人気を呼び、米国でも英国でも高値で取引されている。カーナビー・ストリートは、一時はただの観光名所となっていたものの、ここ数年でファッションのメッカとして蘇りつつある。ファッションの世界でも、ヒッピー・ファッションがモダンなアレンジで復活。その代表的なデザイナーの一人が、元ビートルズのポール・マッカートニーの娘、ステラ・マッカートニーである。
ベトナム戦争は終わった。だが、イラクで、アフガニスタンで、戦争はまだ続いている。ロックで世界を変えられると思い込むのは、余りにも幼稚だったかもしれない。しかし、世界を変えられないと考え、諦めてしまうのは余りにも悲しい。

 

野田秀樹「1000年経っても変わらぬ人間の性を描く」

野田秀樹インタビュー

2008年上旬。日本の演劇界が、沸いた。紀伊國屋演劇賞、毎日芸術賞、朝日舞台芸術賞、そして読売演劇大賞。日本演劇の主だった賞を総なめにし、読売演劇大賞に至っては大賞のほか、作品、演出家、男優賞の3賞を受賞するという快挙を成し遂げた一人の男の才能に、改めて皆が注目し、感嘆の声を上げた。劇作家/演出家/役者、野田秀樹が、これらの賞を獲得するきっかけとなった「THE BEE」を、ここロンドンで上演したのは2006年6月のこと。それからちょうど2年が経った今、野田は再びこの地で自作を上演している。新作、「THE DIVER」上演直前の野田に、本作について、そして演劇に対する思いを語ってもらった。
(取材・文: 村上祥子、インタビュー写真: Maiko Akatsuka)

6月12日、ロンドン南部、テムズ河に面したナショナル・シアターに、野田秀樹を訪ねた。芝居中に使われる音声を録音するためにその日一日、この劇場にこもっていたという野田の傍らには、「THE DIVER」の主演女優、キャサリン・ハンター。小柄で華奢な2人が、親密そうに肩を寄せ合いながら小声で話す様子は、まるで二卵性双生児のようだ。前回、「THE BEE」で日英の演劇界を唸らせた2人による再タッグ。互いを尊敬し、理解し合う2人の姿に、否が応にも新作への期待が高まった。

野田秀樹プロフィール

1955年生まれ、長崎県出身。東京大学時に「劇団夢の遊民社」を結成。92年に劇団解散後に文化庁芸術家在外研修員として1年間、ロンドンに留学する。帰国後に企画・製作会社「NODA・MAP」を設立。以降はプロデュース公演形式で数々の作品を発表している。2008年4月、東京芸術劇場の芸術顧問に就任(準備期間を経て芸術監督に就任予定)。多摩美術大学造形表現学部映像演劇学科教授。

英国での上演作品

1987年 エジンバラ国際芸術祭に参加、野獣降臨(のけものきたりて)」を上演。
1990年 同祭に「半神」で参加。
2003年 ロンドンのヤング・ヴィック劇場で「RED DEMON」を上演。
2006年 ロンドンのソーホー劇場で「THE BEE」を上演。

「もうロンドンのことしか考えていなかった」

本当に英国が、演劇が好きなのだろう。前作「THE BEE」上演直前に、海外で作品をつくる大変さを滔々(とうとう)と語った野田は2年後、再びこの地でゼロから新作をつくり上げる道を選んだ。ロンドンで初演、その後は引き続き東京の世田谷パブリック・シアターで上演することが決定している新作、「THE DIVER」。この作品が生まれるきっかけを問うと、「まずはロンドンありきだった」という答えが間髪入れず返ってきた。「もうロンドンのことしか考えていなかった」と続ける言葉は、野田のロ ンドンに対する思いの強さを物語る。

今回の「THE DIVER」誕生は、前作の存在なくしてはあり得なかった。言語の壁、異なる文化背景を持つ役者との解釈の違い。そんなハンディの数々を、じっくりと時間をかけ、2つの文化を共鳴させることで乗り越えた野田には終演後、英国メディアの絶賛と分かり合える仲間たち、そして次回作への足掛かりという財産が残った。次回作も同じメンバーで、そして「日本のうんと古いもの」をテーマにしてみようという話が出たのは、何と前作の公演中だったというのだから驚きだ。

能から古典、そして現代犯罪へ

新作「THE DIVER」は、能の「葵の上」や「海女(あま)*」、世界最古の長編小説と言われる「源氏物語*」と、現代の日本で起こった殺人事件を織り交ぜた作品であるという。能や古典といったテーマは、一見、外国人にアピールするようにも思えるが、その一方でストーリーの奥底にある本来の意図を伝えるのは非常に難しいのではなかろうか。

「難しいですね。『THE BEE』と比べてもはるかに難しい素材でした。始めは能だけでやろうと『葵の上』とか『海女』を読み始めたんだけれども、結局深くは分からない、というのがイギリスの役者さんたちの結論だったんです。で、どこが分からない?っていうことになったら、僕だって分からない(笑)。やっぱりその芝居の原作となる、例えば『葵の上』だったら源氏物語をちゃんと読まないと、六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)が葵に嫉妬する意味が分からないわけです。それで源氏物語を読んでいたら、ふと現代に実際に起こった事件を思い出して……という感じで、結局こういう形になったんですね」。

時空間を超越する芝居と言えば、野田が劇団夢の遊民社時代から十八番とする設定。今回は満を持しての登場かと思いきや、能→原作古典→現代社会という、英国人とともに作品を詰めていく過程で生まれた偶然の産物だったようだ。

今回も前回同様、脚本はアイルランド人作家、コリン・ティーヴァン氏との共同作業によりつくられた。日本と英国、双方でワークショップを行うこと、4、5回。先が見えない状態でスタートし、役者を含めた皆との共同作業を経て徐々に完成させていった。「最終的に全体の構成は僕がやりましたけど。でも途中で、例えばあるシーンで、『雨夜の品定め*』をテレビ番組風にやってみてくれってワークショップに頼んで、彼らがやってみせたのがすごく面白かったんで、これを使おうってなったり。そんな風につくっていきました」。

こんな風につくり上げるのは、英語版ならでは。日本では日本語で書けるので、たいていの場合は一人ですべてを書いてしまう。でも英語だからこそ、ワークショップから得られるヒントというのが多いのだという。言語によるハンディが、逆に脚本に新しい風を入れることにつながったわけだ。

The Diver
扇子や障子など、日本的な道具を効果的に使った幻想的な舞台
源氏物語

平安時代、紫式部によって書かれた長編物語。「THE DIVER」のモチーフとなっているのは全54帖のなかの一つ、「葵」。臣下に下った帝の子供、源氏は葵の上という正妻を持つ一方で、六条御息所という身分の高い愛人との逢瀬も続けている。賀茂祭の日に偶然出会った葵と六条は、牛車の場所をめぐって対立、源氏の正妻として絶大な権力を誇っていた葵が、六条に恥をかかせる結果となった。屈辱と嫉妬に狂った六条は、やがて生霊となり、葵をとり殺してしまう。能の「葵の上」は、この話を題材にしている。

能「海女」

讃岐国房前(現香川県)で海女をしている女が、竜宮に奪われた宝珠を取り返しにやってきた大臣と契りを結び、息子を授かる。宝珠を取り戻せばその息子を大臣にすると言われた海女は、自らの命と引き換えに、宝珠を竜宮から奪い返す。

雨夜の品定め

「源氏物語」第2帖「帚木(ははきぎ)」の一場面。五月雨が降り注ぐ中、源氏の義理の兄である頭中将とその友人たちが、源氏に対し、さまざまな女性の良し悪しを語る。

全幅の信頼を寄せる仲間

「THE DIVER」に出演する役者は4人。うち3人は前回に引き続いての連投となる。もちろん、その中の1人は野田、その人だ。これまで野田は、ほぼすべての自作品に出演している。しかしその役柄はたいてい、物語の主筋からは外れた、言わば「盛り上げ役」担当。それがロンドン公演となると話はがらりと変わる。ロンドン進出第1弾となる「RED DEMON」では、とある村にやって来た異邦人を演じ、前回「THE BEE」では、女役と言いながらもその役柄が背負う運命はあまりに重かった。そして今回は、現代日本で起こった事件の謎を解く、精神分析医の役をやるという。「(盛り上げ役をやらないことに関しては)わざとそうしている部分がありますね。そうするとどうなるかなって。『THE BEE』の時は女役でお客さんにアピールしたから(笑)、今度は意識的にこういう、脇から全体をじーっと見るような役にしました」。ロンドンという舞台は、演出家、脚本家としてだけでなく、役者としての自身の可能性を試す場でもあるのだろう。

そして今回の主演はキャサリン・ハンター。前作で誇張することなく、あくまで自然に、徐々に狂気に蝕まれていく日本人サラリーマン役を演じきり絶賛されたハンターが、今回も引き続き主演を務める。「THE BEE」ロンドン公演の後、野田は日本でロンドン版とともに、新たに日本版をつくり、上演している。その際、日本版では男女の入れ替えがなかったのだが、その理由の一つを彼は、「キャサリンに匹敵する、男性役を演じられる女優がいないわけではないけれど、比較されるのが酷かな、と思って……」と語った。「天才肌だけどすごい努力家」。そう野田が全幅の信頼を寄せる彼女が、今作では放火殺人事件の犯人として精神科医の分析を受ける女性を演じる。時代背景が変わるなか、幾人もの別人格を演じることになるというこの難役、彼女はどう演じてみせるのか。リアリズム重視の英国演劇にあって、リア王や自閉症の少女など、さまざまな役柄を柔軟に演じてきたハンターならではの演技に、注目したいところだ。

1000年経っても変わらない人間の性(さが)

野田秀樹「THE BEE」では、世界全体を覆う恐怖心と報復の連鎖が描かれた。昨年末から今年初めにかけて日本で上演された「ロープ」でも、暴力が芝居の中核を成したという。「ロープ」上演時、野田は、とあるインタビューで、現代社会には「暴力に対するリアリティが欠如している」と指摘した。戦争にしろ、テロにしろ、悲惨な現実がどこか別の次元で繰り広げられているような錯覚を覚える昨今。リアリティを描きつつも、夢世界というオブラートで直接性を包み込んでいた初期のものと比べ、近年の野田作品がストレートに現代社会を見据えるようになったのには、現実そのものにリアリティが欠けているという社会背景があるのかもしれない。シリアスな社会的テーマが全面に押し出されるようになったのでは、と問い掛けると、野田は「それはそうですね」と認める一方で、観客に特定のメッセージを届けようとは思っていないとも語った。「大きな主張が出ているかっていったら、別の問題だと思うんです。それは観客の人たちが自由に受け取るものだから。『THE BEE』にしたって、暴力好きの人の中には、暴力賛美だって受け取る人もいるかもしれない」。

それともう一つ、「イギリスでみせるものだから」ということも、テーマ設定に大きく影響している。「やっぱり観る人間の頭の中を、こっちは知っておかないといけない。日本人の頭の中を知っている、っていうわけじゃないけど、やっぱり同じ土壌で生きてきたから、ある程度のことは分かるんです。でもイギリスの場合は違う土壌、文化だから、観る人間の頭の中を探るのに、随分時間をかけましたね」。

自分の好きな世界を自由に描いている感のあった野田だが、淡々とこう語る姿からは、冷徹な目で社会や人間を分析する劇作家、演出家としての別の顔が見えてくる。観客が変われば、自ずと作品も変わる。「THE BEE」制作の過程では、二者択一を迫られたとき、本当ならば違うことをやりたいと思う場合でも、「この土地の頭の中に従おう」と、「リアリズムの国」英国に合わせ、別の選択肢を取ったことも多かったという。

そしてやはり英国上演が前提となった本作。この作品では、「人間の個人的な、耐え難い復讐心」が焦点になっている。なぜ今、このテーマなのか。

「『THE BEE』だったら、9.11(米同時多発テロ)が起こったときにふと思い出した小説、という言い方ができるんだけど。これはそういうものじゃない。葵と源氏の物語を読んでいて、魂が他の人間にとりつく、というのがありますよね。それを1000年経った今でも、人間は信じていたりするじゃないですか。そういうのって何なのかねっていうところでふと思い出したのが、嫉妬から生まれた犯罪だった。だからなぜ『今』、というよりはむしろ、1000年経ってもいかに人間は変わらないか、という点に着目したということかな」。

どれほど長い年月を経ても変わることのない、人間の性。国や時代といった隔たりを越え、変わることなく存在する人間の本質が炙り出されたとき、観客はそこに何を見るのだろうか。

「正常なことが言える」劇場にしたい

野田秀樹今年2月26日、野田は東京都庁で記者会見の席に着いていた。東京芸術劇場の初代芸術監督、就任決定会見。それは夢の遊民社解散以来、特定の集団に所属せず、公演ごとに異なる俳優を使ってきた野田が、一つの場所に身を定めるということなのだろうか。自由という言葉がぴったりくる彼には、意外ともいえる決断だが、その理由を聞くと、なるほど、とうなずかされるものがあった。

「うーん……。年齢的にかもしれないんだけど。イギリスの友達に、日本の劇場ってどこかないって聞かれるときがあるんだけど、僕は芸術監督とかをやっていないから、『じゃあ、ここにくれば』とか言えないんだよね。でも自分が芸術監督になれば、それまで他人に振っていた、そういう橋渡し的なことができる。そういうことを少しづつやっていきたいですね」。

そのほか、自分の作品を池袋発にして、世界各地で上演してみたいという思いもある。「キャサリンたちと今、話してるのは、『THE BEE』と今回の『THE DIVER』、それともう1本くらいを、東京発にして周ってみたいねって。もちろん、都のお金を使ってね(笑)」。一つの場所に活動場所を定めるのではなく、自分のフィールドを世界に広げるための布石。そして劇場の管理母体である東京都から金銭的サポートを受ける。それは以前から、演劇に対する国の支援姿勢に苦情を呈してきた野田らしい、したたかで鮮やかな発想だ。

そしてもう一つ。日本演劇界全体の体制に対する思いもあった。日本の名だたる演出家たちに話を聞くと、皆、声を揃えて「劇場の確保の困難さ」を嘆く。劇場の予約は数年前に行うのが当たり前。その時には台本も決まっていない。そんな状況を打破したいと野田は言う。

「芸術劇場が、みんながやりたいって思える劇場になってくれさえすれば、1年先くらいまでしか決めない。いいものだけ。台本が書き上がってからだけ、と。こういう正常なことが言えるようになりたい。本当はこういうことをやるのが芸術監督の仕事だと思うんですよね。それをこれまでちゃんとやってきていなかった。現実には僕も何年か先の劇場を予約しているわけで、そういうわけでは日本の流れに組み込まれていますけど。それが分かっているのに動かないのは、いけない。芸術監督になるっていうことは、そういうことも含めて、こういう形もできるんじゃないかって提示ができるんじゃないかと思いますね」。

自分自身の作品を自由につくるという立場から、国全体の演劇を見据えた立場へ……、そう言い掛けると、野田は「国じゃなくて都ですけどね(笑)」という彼らしい軽妙な切り替えしの後に、こう続けた。

「都を背負う。……まあ背負うっていうわけじゃないけど。現実にはここ10数年、NODA・MAPって言っても、劇団員がいるわけじゃなかった。その意味では、何か形をつくらないと。1人でやっていると、日本の芝居の流れっていうのはなかなか動きにくいところがある。例えば単身、ロンドンに乗り込んで、『THE BEE』をやって、今回の新作もやって……っていうのも、1人でやっているからすごい時間もお金もかかってるんです。自分の年齢を考えると、時間もお金も少し節約しないと。人生には限りがあるんで」。「まあ、そろそろ助けてって言ってもいいのかな、と」と軽く笑って締め括ったその言葉には、自由な演劇人、野田秀樹と、日本の演劇界を背負って立つ第一人者、野田秀樹、双方の思いがあった。

「世界のニナガワ」蜷川幸雄、狂言界の若手実力派、野村萬斎、そして野田秀樹……。今、演劇界の実力者たちが次々と公の劇場の芸術監督に就任している。蜷川とは旧知の間柄である野田は、蜷川から芸術監督がいかに大変な仕事かを聞かされているという。「蜷川さんなんかさ、2 つ( 彩の国さいたま芸術劇場とBunkamuraシアター・コクーン)も芸術監督やってるんだから、やりゃいいんだよ(笑)。蜷川さんと一緒に手を組めば……。俺らの劇場は1年先しか決めないってさ」。冗談めかして言いつつも、その言葉には野田が本気で日本演劇の在り方を憂い、変えようとしていることが伺える。日本の演劇界は今、ようやく国とい うレベルで発展しようとしているのかもしれない。

「THE DIVER」主演女優、キャサリン・ハンターさんに聞く

キャサリン・ハンター日本という国には、子供の頃から興味を持っていました。幼い頃、父親に連れられて日本に行ったことがあって、すぐに日本という国と、その文化に魅了されたんです。だからずっと後になって、日本と別の形で関わりができることにはさほど驚きませんでした。

ヒデキの作品を初めて観劇したのは、「RED DEMON」上演のとき。パートナーがこの作品に出演していたことがきっかけでした。「RED DEMON」は、違う文化における赤鬼の存在とは何なのかが描かれた作品。この作品を観て、異文化間における違いと繋がりに着目した作り手に興味を持ったんです。

前回の「THE BEE」は本当に楽しくて、夢中になって演じました。非常に強烈で、「ひどい」と表現しても過言ではないストーリー。でもその根底には、なぜ人は暴力という手段に訴えてしまうのかというテーマがあった。そしてヒデキは、ナチュラルな演出ではなく、デフォルメさせることによって、より「リアル」な芝居をつくり出したんです。素晴らしいアプローチだったと思います。

今回はそんな彼とまた引き続き一緒にやることができて、すごく嬉しく感じています。新作では能と源氏物語がテーマ。この話が出たとき、私は源氏物語がどういうストーリーか知りませんでしたが、実際に読んでみて驚嘆しました。こういう物語を女性が書いたというのも素晴らしいですよね。これは、源氏の人生の旅の物語。ある意味、リア王に通じるものも感じます。

今回演じるのは多重人格の役です。とてもチャレンジングですが、同時にすごく楽しみながら演じています。人間はそもそも、誰もが違う一面を持っている。多重人格というのは、それがさらに進んでしまった状態だと言えるので はないでしょうか。そしてこれはアイデンティティの問題にもつながると思います。突如、別の人格に入れ替わって、その間、自分がどこにいたのかも分からなくなる。「リアリティ」とは一体何なのか、「私」とは一体誰なのか、それ を問う芝居でもあると思っています。

THE DIVER

野田秀樹 / コリン・ティーヴァン
演出 野田秀樹
出演 野田秀樹、キャサリン・ハンター、グリン・プリチャード、ハリー・ゴストロウ
日時 7月19日まで。19:30~ (マチネ: 土曜日及び7月3・17日の15:00~)
住所 Soho Theatre, 21 Dean Street London W1D 3NE
Tel 0870 429 6883(Box Office)
The Diver世界最古の長編小説とも言われる「源氏物語」と、能「海女」「葵の上」、そして現代の日本で実際に起こった放火殺人事件を織り交ぜたストーリー。放火殺人の罪で逮捕された女。自分が誰なのか分からず、支離滅裂なことばかり言う彼女に対し、精神分析医の精神鑑定が行われる。あるときは海女、あるときは六条御息所と自らを主張する彼女の心の奥底には、一体何があるのか。
 

Old Wives' Tale どこまでホント?

Old Wives' Tale どこまでホント?

母から子へ、そして子から孫へ──いくつもの世代を経て語り継がれる「おばあちゃんの知恵」が、実は英国にも存在するってご存知?とはいえ、国が違えば語られる内容も全く別のもの。さて、英国人の誰もが聞かされて育った「Old Wives' Tale」と呼ばれるこの知恵の数かず、その真相に迫ってみよう。(本誌編集部: 國近絵美)

これを知れば英国通?! 「Old Wives' Tale」とは

そもそも「Old Wives」とは、文字通り「年とった妻たち」という意味ではなく、「老年の女性=おばあちゃん」のこと。人生経験が豊富なおばあちゃんたちの口から語り継がれてきたからこそ、驚くような話でも説得力があり、全国的に広まったに違いない。とはいえ、「Old Wives' Tale」(以下OWT)は、日本でいう「おばあちゃんの知恵」よりも迷信に近く、「うさん臭い」ものが多いのが特徴だ。

医療が発達しメディアが普及している現代社会では、害は無いけど明らかに間違ったOWTがほとんど。しかし最近では、以前は間違っていると解釈されていた迷信が、新たな研究結果によって再び正しいと証明されたものもある。また、文化を吸収しつつ、時代によって変化しながら語り継がれてきたOWTには英国の「お国柄」がたっぷり。信じる信じないは別として、摩訶不思議な英国風おばあちゃんの知恵を知ることで、英国をより理解できるかもしれない。

ウソ?ホント? ドクターが答えるOWTの謎

「絶対にウソ」と思っていた迷信が実は本当だったり、「そんなの常識」と思っていたことが迷信であったりと、私たちが普段信じている情報の信憑性は意外とあやふやなもの。そこで、実際にOWTを聞いて育った英国人のアダム先生に、 医学の視点からずばり答えてもらった。

アダム・アスガー(25)
現在、イングランド中部ノッティンガムの病院に勤務する新米医師。自称「迷信もおばあちゃんも大好き」っ子

日常編

立ち食いすれば脂肪分ゼロ
ウソ。とはいっても、立ち食いすることによって、消化器官ではなく足の筋肉に血液が送られてしまうので、食べ物がきちんと消化されない(=栄養が吸収されにくい)ことはあります。脂肪分も栄養ですが、「脂肪分ゼロ」と言えるほど吸収されないわけではありません。

ガムを飲み込んだら消化に7年かかる
ウソ。確かにガムには消化しにくい成分が含まれていますが、ということは、そのまま消化されずに消化器官を通り過ぎるということです。

男性が熱い風呂に入ると生殖不能になる
(ある程度は)ホント。これは熱によって精子の運動性が減少することが原因と考えられています。同じように、男性がひざの上で長時間ノート型パソコンを使用することによって、パソコンから放出される熱で生殖能力が低下するという研究結果も。ただ、それよりも喫煙など、他の生活習慣のほうが影響力が強いですよ。

妊娠・出産編

汚い便座に座ると妊娠する
妊娠中にすね毛が濃くなったら男の子が生まれる
朝にひどいつわりを経験すれば女の子が生まれる
妊娠中にどうしても食べたい物を食べられなかったら、赤ちゃんに その食べ物の形をしたPort Wine Stain(ぶどう酒洋血管腫。以下PWS)ができる

どれもウソ。OWTには、妊娠や出産にまつわる迷信が数多くあります。それはきっと、まだ医療技術が現代ほど発達していなかった時代には出産が母親の生死に深く関わっていたこと、そして生まれるまで子どもの性別を知る方法が全くなかったことに由来しているからでしょう。そして「人間を造る」という神秘的な過程を、おばあちゃんたちが理論的に理解しようと頑張ったことから、こんなにも多くの迷信が生まれたのではないでしょうか。妊娠と出産の際に女性の体に起こる変化はとても複雑で、だからこそ産科学という専門分野まであるのですが、実はこの分野における研究はまだ発展途中の段階にあります。ただ、まだ全てが解明されていなくても、上記のように明らかにウソだと分かる迷信はたくさんあります。一方で、なぜ一定の人々に生まれつきPWSと呼ばれる薄茶色のシミがあるのかは現在も解明されていません。食べ物への執着がPWSを引き起こすというのは明らかに間違いですが、妊娠初期に激しい驚きや恐怖といった「感情的なストレス」を経験することが、PWSや口唇裂などを引き起こす要因となるという研究結果も出ています。

妊娠中に胸焼けがひどいと毛深い子どもが生まれる
ホント。耳を疑う人も多いでしょうが、実は、この言い伝えがあながち間違いではないことが最近判明したのです。しかし「胸焼けするから毛深い子が生まれる」という因果関係があるわけではなく、どちらの状況もホルモンの影響によるものなので、同時に起こりやすいのです。

赤ちゃん編

オムツかぶれは肌に卵の白身を塗れば治る
ホント。白身に含まれるアルブミンというたんぱく質は乾くと薄い皮状になるため、それが包帯のように幼児の肌を保護し、かぶれをより早く直す助けになります。しかし現代ではもっと良い治療法がありますし、そもそもどうやってオムツかぶれを防ぐかを考えるべきでしょう。


いくら科学や医学で証明されたとしても、迷信は占いと同じで、本当かどうか、やっぱり気になるものは気になる……。というわけで、勇気ある5人のお試し隊と、本誌編集部が実際にOWTにチャレンジ!

Playing music, sing or talk to plants help to grow plants.
植物に音楽を聴かせる、歌う、話しかけるとよく育つ

ニュースダイジェスト
筆者ならび本誌編集部

鉢植えに話しかけたり音楽を聴かせたりし、普通に育てている鉢植えと成長の違いを比較

DAY 1
DAY 2
DAY 3
DAY 4
DAY 5

オフィスの外に置かれていた鉢植えを拝借して始めたこの実験。黄色い花が愛情を注ぐほうで、紫色の花が放置するほう。話しかけたりする以外は2つとも全く同じ条件で、 しかも日が当たるようバルコニーに置いたにも関わらず、 黄色いほうがみるみる枯れるという切ない結果になった。

クラシック音楽は植物の成長を促進させ、ロック系の音楽は逆に成長を妨げるという記事を読んだので試しにロックを聴かせたら、偶然かもしれないが花びらが散るという惨事に。4日目には新しい蕾ができたが成長せず、しかも2つとも外にある鉢植えよりもパサパサになってしまった。

Dr.アダムから一言
医学的な実験ではないので個人的な意見になりますが、いくらバルコニーとはいっても、外に置かれていた時よりも日の当たりが悪くなったのが枯れた原因なのではないでしょうか。気温も湿度も違うでしょうし……。まだ手遅れではないと思うので、できるだけ早く外に返してあげて下さい。

Fish is a brain food.
魚を食べると頭が良くなる

藤田佳世(21歳) 学生
タラの肝油の錠剤を毎日飲み、15個の数字とアルファベットを30秒で覚える記憶テストを実施

DAY 1
テスト結果: 9問正解
普通のビタミン剤みたいなのに、すっごく臭い!! でも、これで頭が良くなるならお安い御用
DAY 2
テスト結果: 10問正解
昨日よりテスト結果が少しだけ良い。ま、日常生活で頭が良くなったと感じることはないけど
DAY 3
テスト結果: 6問正解
疲れてたから、テストの結果は最悪。さすがの魚エキスも、疲労には効き目がないみたい
DAY 4
テスト結果: 11問正解
今日は元気なうちにテストを実施。結果は転じて過去最高!臭い錠剤を飲んだ甲斐があった
DAY 5
テスト結果: 9問正解
最終日なのに、テストの結果は微妙。いくら魚パワーを持ってしても、5日間は短かすぎたみたい

魚が頭の働きを良くするというのは、日本では一般常識みたいなもの。効果がすでに科学で証明されているこの知恵を試して、どれぐらい結果が出るのかかなり楽しみにしていた。

で、なんで魚が頭に良いか調べてみると、亜鉛とオメガ3という、脳の発達を助ける脂肪分の高い酸がたくさん含まれているからなのだそう。それに、魚にたくさん含まれているビタミンBには、知的能力や記憶を助ける働きもあるのだとか。

Dr.アダムから一言
どんな食事療法にも言えることですが、すぐに効果を期待してはいけませんよ。サバなどの魚に含まれるオメガ3には、脳の機能低下や注意力低下を予防し、集中力を高める効果があるのは確かです。でも悲しいことに、脂肪分の高い魚は海水に含まれる化学物質も吸収しやすいので、魚を過剰に摂取することで体にどのような影響が及ぶか、現在研究が進んでいるところです。

MCアキンヤミEating carrots help you to see in the dark.
ニンジンを食べると夜間視力が良くなる

M.C.アキンヤミ(24歳) 法務省勤務
毎日ニンジンを食べて、真っ暗な部屋で視力検査を行う

DAY 1
消費量: 1本
結果: 全く見えない

実はニンジンは好きじゃないんだけど、このサラダは大成功。視力検査は予想どおり全滅
DAY 2
消費量: 小袋1つ、スープ2杯
結果: 全く見えない

ニンジン・スープを2杯飲んで、おやつもニンジン。飽きる……
DAY 3
消費量: 3本、ジュース1杯
結果: 全く見えない

もう一生分のニンジンを食べた気分なのに、視力には効果なし
DAY 4
消費量: カレー、ジュース
結果: 全く見えない

オレンジとニンジンのミックス・ジュースはかなりおすすめ
DAY 5
消費量: キャロット・ケーキ、 スープ
結果: 全く見えない

左のまぶたが腫れてる。目の健康にすら効いてない……

この迷信を母親から聞かされて育った身としては真相を確かめたかったし、ニンジンを好きになる機会だと思って喜んで実験台になったけど、やっぱり途中で後悔。しかも皮肉なことに、5日目に左目が充血して、まぶたが腫れてしまった。あと、パソコンの画面を暗くして、暗闇の中で夜間視力の検査をするのはおすすめしません。検査が終わっても部屋の電気の位置もわからず、悲しいだけ……。

ちなみに母いわく、この迷信の由来は、第二次大戦中に米国で「英国軍のパイロットはニンジンをたくさん食べるから夜間視力が素晴らしい」っていう話が広まったことらしい。暗視レーダーを使っていることをドイツ軍に知られないために、英国人が流した噂なのだそう。

Dr.アダムから一言
ビタミンAが不足していると夜間視力が低下することがあります。なので、ビタミンAが豊富なニンジンを食べることで夜間視力が改善されるというのは、可能性はとても少ないですが、あり得ないことではありません。また、ニンジンに含まれるベータ・カロチンには網膜の一部が変形してしまう病気にかかる危険性を減らす働きがありますし、ビタミンAには健康的な視力を保つ役割もあります。

福田テツヲEating your crusts will make your hair curly.
パンの耳を食べると髪がカールする

福田テツヲ(29歳) グラフィック・デザイナー
食パンの耳を毎日食べて、髪がカールするかどうかお試し

DAY 1
消費量: 2枚分 自慢の直毛がすでにパサパサ。たぶん寝グセだと思うけど。なにもつけずに、そのまま食べる
DAY 2
消費量: 2枚分 2日目にして、もう飽きてきた。気軽に引き受けてちょっと後悔。ジュースでむりやり流し込む
DAY 3
消費量: 4枚分 「もっと食べてください!」と編集者に怒られたので、ジャムで飽きをごまかしつつがんばる
DAY 4
消費量: 5枚分 朝は友人宅で失笑され、昼は公園で1人寂しく食べ、夜も無心で食べる。なんだか虚しい
DAY 5
消費量: 5枚分 普通にパンから耳だけ切っている自分に気付いて、少し怖い。今日が最後で良かった……

生まれてこのかた、科学で証明されていないものなんて信じていないし、もちろん、迷信や「おばあちゃんの知恵」 的な類いも同じ。だから今回は、バリバリ直毛のおれが体を張って証明してやる!と意気込んだものの、パンの耳だけ食べるのが意外とつらいことに気がついた。

職場でも常に食パンの袋を持ち歩き、上司からも失笑される始末。でも編集者から「食パンの耳には、ガン対策になる酸化防止剤がたっぷり入ってるんです。しかも、白い部分の8倍も」と説得されて頑張ること5日間。なんと、定規でひいたかのような真っ直ぐなおれの髪が、聖子ちゃんもびっくりのクルクルに……はならなかった、やっぱり。もう当分パンを見たくない。

Dr.アダムから一言
予想通りの結果で安心しました。この迷信の由来は、パンの耳を食べない子どもを説得するために、母親たちが「耳を食べると髪がかわいくカールするわよ」と教えたこと。食生活が髪質に直接影響を与えるとしたら、一番多い原因は栄養不足だと考えられます。例えば「クワシオルコル」と呼ばれるタンパク質欠乏性の栄養失調にかかると、髪が薄くなり、赤毛に変色してしまうんですよ。

マイク・サマセットWrap up warm to stave off a cold.
上着を着ないと風邪をひく

マイク・サマセット(26歳) ソニー勤務
天候・気温に関わらず、Tシャツと短パンを着用して風邪を引くか挑戦

実験4
DAY 1
天気: 晴れ いったん日が暮れるとべらぼうに寒く、ビーチで数時間過ごしたら、震えが止まらなくなった
実験4
DAY 2
天気: 曇り、ときどき晴れ 濡れ髪で外へ出てもへっちゃら。でも海に入ったら寒くて息が止まりそうになり、すぐに退散
実験4
DAY 3
天気: 曇り、強風 強風と戦いながらビーチへ。寒さで頭痛がするけど風邪じゃない。脳みそが凍ってるだけ……
DAY 4
天気: 曇り 髪を切ったら、さらに無防備になった気分。鼻水が止まらないけど、花粉症だと言い聞かせる
DAY 5
天気: 曇り めちゃくちゃ寒いけど友人宅でBBQ。唇がかじかんで上手く話せなくなるが体はいたって健康

これまでこの迷信は信じていなかったけど、日が経つにつれ、体が弱っていった気がする。「体温を上げるために体力を使うから、その間に免疫力が落ちて、ウィルスに敏感になる」と、もっともらしい説を友人が教えてくれた。いくら太陽が自慢のブライトンでも、「絶対風邪を引かない」という自信が吹き飛ぶほど、特に夜は寒くてつらかった。でも、「朝起きたらぜったい風邪引いてるよ……」と 思いながら寝ても、不思議と体調は変わらないまま。

とにかくこの実験をして、1つ気がついた。おばあちゃんたちがこの迷信で言いたかったのは、「風邪を引かないように気をつけな」ってことじゃなくて、「寒いより温かい方が人生は楽しいよ」ってことなんじゃないかな。

Dr.アダムから一言
実は、皆さんが信じている「寒いと風邪を引く」説は、いまだにきちんと解明されていないのです。気温が低いとウィルスが蔓延しやすいのは本当ですが、それと風邪を引くことはまた別の問題です。また、鼻水は必ずしも風邪の症状ではありません。鼻が冷えると周囲の血液の循環が滞ります。それにより免疫細胞の活動が鈍りウィルスが倍増するため、それを駆除しようと鼻水が出やすくなるのです。

内山ひさえChocolate causes acne.
チョコレートはニキビのもと

内山ひさえ(22歳) 学生
毎日チョコレートを食べて、肌の調子をチェック

DAY 1
消費量:チョコのパン2個、チョコ菓子2つ、板チョコ入りカレー 単なる迷信であって!と願う。とりあえずチョコ菓子を大量購入
実験5
DAY 2
消費量:チョコ菓子6つ 朝も夕方も、ご飯がてら職場でもぐもぐ。前からあったニキビが悪化したような気がする
DAY 3
消費量:ココア1杯、チョコ菓子4つ、チョコ・マフィン1つ お肌の調子は良好!でも、だんだんチョコが苦痛になってきた
DAY 4
消費量:チョコのパン1つ、ココア1杯、チョコ菓子4つ おでこに極小のニキビができた!やっぱりこの迷信は本当?
DAY 5
消費量:ココア、チョコ菓子4つ、チョコ・マフィン1つ なんと、足にニキビが3つも!!それにしても、足にできるとは

5日間の実験で食べたチョコレートの総数26個とココア3杯。顔には「ザ・ニキビ」っていう主張の強いものはできなかったけど、左足3カ所に誕生するという奇跡が起きた。これまでも「チョコを食べるとニキビができる」っていうのは事実として信じていたけど、やっぱり単なる迷信ではないみたい。でも、こんなに大量に食べたわりには、それほど顔に目立つニキビができなかったことは正直驚き。それに体型もそんなに変わってない(たぶん)。

それにしても、ニキビって体のどこにでもできるのが恐しい!この迷信は「チョコを食べると足にもニキビができる」となるべきなのでは?この1週間で相当なカロリーを摂取したので、これから少しダイエットに励もうかな。

Dr.アダムから一言
残念ながら、この迷信はウソです。ただ、偏った食生活はニキビのもとになります。ですから、もし「チョコが主食」という食生活を送れば、もちろんニキビができるわけです。もし栄養が豊富な食事を摂れば、たとえ合間にチョコを大量に食べたところで、ニキビの原因にはならないと思いますよ。「たくさんチョコを食べたいから食事を抜く」が、一番お肌と体に悪影響を及ぼすのです。
 

ロンドン・パブリック・アート散策

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ロンドン・パブリック・アート散策

世界有数の物価高を誇る一方で、入場無料の美術館やギャラリーが多い街、ロンドン。アートが市民の日常生活の一部となっているこの街で、最も親しみやすいアートと言えば、パブリック・アート、すなわち、誰もが集う公共空間に設置されている芸術作品ではないだろうか。日光が燦燦と降り注ぐ、散歩日和な今日この頃。ぶらり街を散策しながら、太陽の下輝くアートを堪能してみては!?
(本紙編集部: 村上祥子)

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パブリック・アートってなに?

パブリック・アートとは、美術館やギャラリーに展示されるのではなく、公共の空間に置かれるアート作品のこと。銅像や記念碑はもちろんのこと、公園内に設置される噴水やインスタレーション、パフォーミング・アートに至るまで、公共のスペースで展開されるありとあらゆるアート形態がこれに当てはまる。

誰もが気軽に鑑賞することのできるスペースに作品を置くことで、アートを人々の日常生活に近しい存在とする、公園や道路、企業スペースの美的景観を演出し、都市全体のイメージ向上を図る、などの目的を持つパブリック・アートは、自治体や企業との結び付きも強い。フランスや米国など、公共の新築建造物の建設予算から一定金額をアートに割り当てる「パーセント・プログラム」を実施している国もある。

落書きとバンクシー
(左写真)テムズ河沿い、スケーターたちの溜まり場となっている一角の落書き。これもアート!?(右写真)「落書き」も立派なアート。グラフィティ・アーティスト、バンクシーの作品は、時に何千万円もの値が付く

マップはこちら


Jubilee Fountain(2005)
Zemran(1972)
Aquabar(2003)
William Pye

「もう一つの自然界をつくり出すアーティスト」。ウィリアム・パイを一言で表わすならば、こうなるだろうか。ロンドン出身ながら、家族の別宅のある自然豊かなロンドン近郊サリー州で過ごすことの多かったパイは、幼い頃から「水」に対する並々ならぬ関心を持つようになる。静かな水面に力を加えることで波紋が広がる様や、水の流れをせき止めることで生まれる新しい動きをカメラに収め、自らの作品づくりに生かす彼のインスピレーションの源は、常に自然界、ひいては「水」なのである。

人口滝から抽象的なステンレス彫刻にいたるまで、国内外で多くの「水」作品を生み出しているパイ。ここロンドンでもいくつかの作品を鑑賞することができる。ビジネス街、ホルボーンのリンカーンズ・インにある人口噴水、「Jubilee Fountain」。ここでは「ラミナー・フロー」と呼ばれる、高低さまざまな線状の水が、ぶつかり合ったり途切れることなく美しい放物線を描く様を堪能できる。

また、テムズ河沿いのロイヤル・フェスティバル・ホール前には、水の流れを抽象化し、ミニマルな形で表わしたステンレス作品、「Zemran」が展示されている。そのほか、ガトウィック空港の北ターミナルには「Aquabar」が。これは、水がお風呂などの排水溝から流れ出る際には渦を巻くという現象に着目した「Vortex」シリーズの一作品である。

自然界のありのままを写し取るのではなく、ほんの少し、力を加えた際に生まれるもう一つの自然。パイのつくり出す水の世界は、アート化することによって生まれる独特の魅力に満ちている。

AquabarとZemran
左写真)渦をダイナミックに表現した「Aquabar」
右写真)コミカルさも漂うミニマムなステンレス作品「Zemran」

Jubilee Fountain
派手さはないが、水の繊細な美しさを楽しめる「Jubilee Fountain」


Boiler Suit (2007)
Thomas Heatherwick

「アートと科学、そしてエンジニアリングは、もっと関わり合いを持たなければならない……そう、結婚するようにね」。こう語る英国人アーティスト、トーマス・ヘザウィックの作品に共通するもの、それは発想の斬新さとスケールの大きさだ。しかし、彼の創作者としての偉大さは、それだけに留まらない。彼の手掛けたさまざまな作品は、素材や細部に至る細やかなこだわりと、アートをアートとして終わらせない実用性をも兼ね備えている。

ロンドン東部、パディントンの再開発地域にある可動式の橋「Rolling Bridge」や、金融街シティの一角にある、排気ダクトを兼ねたステンレス作品「Vents」。そして何より道行く人の度肝を抜く作品が、ロンドン・ブリッジ近くに位置する老舗病院、ガイズ病院の外壁「Boiler Suit」だ。

同病院を訪れる人の誰もが、その正面玄関を見たときに、その「異形」とも言える外観に息を飲むだろう。まるで病院が摩訶不思議な生物に寄生されてしまったかのように、波型のパネルで覆われている。ステンレス製のワイヤーが 編み込まれたパネルが108枚。これは病院を訪れる人々の目からボイラー設備を隠す役割も果たしている。夜にはライトアップもされ、そのうねるように起伏する曲面が、さらに豊かな表情を帯びる。

実用性と発想力、そして芸術性。そのすべてを網羅することが可能なのだと思わせてくれるのが、ヘザウィックの作品なのだ。

Boiler Suit
左写真)波上のパネルが外壁を覆う様は圧巻だ
右写真)パネルを開けると、中にはボイラー設備が


Poured Lines Southwark Street (2006)
Ian Davenport

テート・モダンやシェークスピア・グローブ座が連なる、テムズ河沿いのサザーク地区。河岸から歩いて数分の薄暗い地下道の片側に広がるのは、目にも鮮やかな色とりどりの直線が連なる絵画だ。液体エナメルをスチール・パネルに垂らし、その後、高温で乾燥させたという絵柄には、エナメルならではの艶やかな美しさがある。

英南東部ケントに生まれたイアン・ダベンポートは、本作品以外にも数多くの「Poured」シリーズを生み出している。大きな注射器のような器具を使い、一色一色をキャンバスに流し込む作業を経て完成する本シリーズは、直線のみという究極の構図が視覚に与える明快なインパクトが魅力な作品群だ。

Poured Lines
まるで薄暗い地下道に、色鮮やかな雨が降っているかのよう


Traffic Light Tree (1998)
Pierre Vivant

Traffic Light Tree一見、ゴツゴツとしたクリスマス・ツリーとも見紛う、信号機が連なる木。これもフランス生まれのアーティスト、ピエール・ヴァイヴァントがつくり出した、立派なアート作品だ。ヴァイヴァントの作品づくりのコンセプトは、「公園や道端など、どこででも簡単に入手できる材料を利用する」こと。作品の置かれる場所を意識し、その意味を問うアーティストとしても知られる。

近代的なオフィス・ビルが立ち並ぶロンドン東部の再開発地域、カナリー・ワーフのランダバウトに位置するこの作品は、75個の信号機から成り、ランダムにその色を変える。色の変化は、慌しいビジネス街の生活テンポを反映させているのだとか。
写真)カチカチ色を変える信号に、自分の多忙な生活を顧みる


Acrobat (1993)
Allen Jones

Acrobat (1993)病院の吹き抜けに、抜群の存在感を持って佇む巨大な抽象アート。チェルシー・アンド・ウェストミンスター病院に置かれている「Acrobat」は、高さ約18.3メートル、世界最大の屋内彫刻としてその名を馳せる。作者のアレン・ジョーンズは、1960年代の英国ポップ・アート・ムーブメントを牽引した一人。女性の体の持つ曲線美を強調するなど、エロティックな表現を得意とする。

ポップ・アーティストと病院という組み合わせは何とも斬新だが、この作品を委託したチェルシー・アンド・ウェストミンスター・ホスピタル・アートは、病院とは独立した機関。アートの持つ力が医療に及ぼす重要性に着目し、病室や廊下などに、数多くのアート作品を展示 している。
写真)女性の体の持つ柔らかさを、シンプルなラインで表現


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ロンドン東部、ブロードゲート散歩

ロンドン東部、リバプール・ストリート駅のすぐ側に位置するブロードゲート地域。現代的なオフィス・ビルが立ち並ぶこの地域は、実はパブリック・アートの宝庫でもある。コンクリートに囲まれたオフィス街に点在するアート作品。この一見ミスマッチに思える組み合わせこそが、ロンドンという街の懐の深さを体現しているとも言えよう。

ブロードゲート地図


Fulcrum (1987)
Richard Serra

リバプール・ストリート駅構内から、ブロードゲート方面の出口に近付くにつれ徐々にその全貌を見せる、無機的で雄大な彫刻、「Fulcrum」。巨大な鉄板から成るそのミニマムな姿は、見る者に有無を言わさぬ威圧感を与える。中に入れば、板の合間から差し込む光。木漏れ日のような明るさが、鉄の塊に別の表情を与えている。

米サン・フランシスコ生まれのリチャード・セラは、鉄鋼工場で働いていた経験を生かし、産業鉄を使ってアートを生み出す手法を編み出した。「Fulcrum」では、溶接されているかのように見える鉄板の一枚一枚が実は独立しているなど、シンプルなデザインの中にキラリと光る工夫が、無機質で味気ない鉄をアートへと変貌させている。

Fulcrum
左写真)駅の目の前に威風堂々とそびえるFulcrum
右写真)天から差し込む光が眩い内部


Leaping Hare on Crescent & Bell (1988)
Barry Flanagan

Leaping Hare on Crescent & Bellブロードゲート・エステイトの一角。何もない、まっ平らなコンクリートの地面から飛び出してきたかのような、躍動感溢れるウサギの姿が見える。

「Leaping Hare on Crescent & Bell」は、鐘と三日月、そしてウサギを組み合わせた銅像だ。鐘と三日月の織り成す流線型のフォルムと、生き生きとしたウサギの有機的な姿が、均整の取れた美しさと微笑ましさを感じさせる。

北ウェールズ出身のバリー・フラナガンは、さまざまなマテリアルを使った有機的な表現方法を見出した。本作品以外にも、異なるポーズのウサギをモチーフにした作品を数多くつくっている。
写真)妙に手足の長いウサギが何ともユーモラス


Ganapathi & Devi (1988)
Stephen Cox

Ganapathi & Deviブロードゲート・エステイトを出てすぐ、サン・ストリートのランダバウトに位置する二対の像、「Ganapathi & Devi」。インド南部で、古代の彫刻技術を学んだスティーブン・コックスがつくり出したこのアートは、見た瞬間に強い衝撃を受ける、センセーショナルな作品だ。

聞き慣れない作品名は、ともにインドの古代神話に登場する神の名前から来ている。ゾウの顔を持つ神、ガナパチ(ガネーシャ)と、母、女神を意味するデヴィ。この二対の像を置くことでコックスは、男性と女性、陰と陽、生と死など、二つの対照的な概念を表したかったのだという。
写真)男性器を思わせるデザインに道行く人も歩を止める


Bellerophon Taming Pegasus (1966)
Jacques Lipchitz

Bellerophon Taming Pegasusデフォルメされた形態、醜悪とも言える豊かな表情が特徴のペガサス像、「Bellerophon Taming Pegasus」。これらの特徴が示す通り、作者のジャック・リプシッツは、立体的な物質を平面的に表現するキュビズムの彫刻家として名を馳せた、リトアニア出身のアーティストである。

10代でフランスに移住したリプシッツは、当時ピカソやモディリアニといった美の巨匠が出入りしていた、モンマルトルやモンパルナスの芸術家コミュニティに顔を出すようになる。そんな環境下、リプシッツはキュビズムに傾倒。数々の印象的な作品を残した。
写真)まるで絵画を見ているかのようなキュビズム彫刻


Rush Hour (1983)
George Segal

Ganapathi & Deviブロードゲート・エステイト内、まるで仕事を終え、ビルから出てきた人々がそのまま固められたかのような彫刻が「Rush Hour」だ。少し俯き加減に、同じ方向を向いて黙々と歩みを進める人々からは、変わることのない日常生活に対する倦怠感と侘びしさが漂ってくる。オフィス街ならではのアートと言えよう。

作者のジョージ・シーガルは、1924年、米ニューヨーク生まれの彫刻家。 自分自身の石膏模型像「Man at a Table」(1961)を始め、家族や友人をモデルにした石膏像で知られた。デフォルメのない等身大の作品の数々は、モデルとなった人物の内面すらも写し取ったようなリアリティを内包している。
写真)リアルな姿につい自分の姿を重ね合わせる


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地方に

Angel of the North (1998)
Antony Gormley

英国の現代アート界を代表する彫刻家、アントニー・ゴームリー。インドで仏教を学んだことのあるゴームリーの作品づくりの核となるのは「人体」。人体と空間・社会の関係性を模索する彼は、自らの体の型を取った人体像を、しばしばその作品に登場させている。

そんな彼の代表作とも言えるのが、英北東部のゲーツヘッドにそびえる 巨大な彫刻、「Angel of the North」。炭鉱跡地に位置する、高さ20メートル、幅54メートルのこの鋼鉄製の「天使」は、暗闇のなか作業を続けた炭鉱夫らの活動を、後世に語り継ぐためにつくられたという。まっすぐに立つ人物が翼を水平に伸ばすという、飾り気のない構図ながら、雨の日も風の日も、静かに眼下を見下ろし続けるその姿に、威圧感だけでなく、人々の営みを見守る包容力をも感じるのは、決して気のせいではないだろう。

Angel of the North
大空を抱擁するかのごとく翼を広げる「Angel of the North」


Murals
The Bogside Artists

アートは時に、政治的意味合いを帯びる。声高に政策を叫ぶより、アートが語りかける無言の訴えが、何より人々の心に強く響くことがあると思わせるのが、北アイルランドのロンドンデリーやベルファストにある「murals」と呼ばれる壁画群だ。

独立を目指すカトリック派と、英国との連合維持を支持するプロテスタント派が長年争いを続ける北アイルランド。同地方第2の都市であるロンドンデリーのボグサイド地区は、1972年、市民14人が英軍に射殺された「血の日曜日事件」が発生した場所だ。この地区の建物の壁には、至るところに風刺画やプロパガンダ絵画が描かれている。精緻とはいえない筆致、時に薄暗く時に毒々しい色彩。しかしこれらの絵画は、美的価値を超え、この地区に歴史を刻む役割を担っている。

美とは異なる、アートの持つもう一つの力を感じずにはいられないパブリック・アートである。

Murals
左写真)「血の日曜日事件」の被害者たち
右写真)暗青の色調が不気味さを醸し出す www.bogsideartists.com


 

映画、バイク、猫、節税、鉄道……知られざるマン島

知られざるマン島
島の名前を耳にしたことはあるが、メジャーな観光地というわけでもなく、実際にどんな場所なのかはよく分からない。大半の在英邦人にとって、マン島の存在とは、「知っているようで知らない場所」といったところではないだろうか。今回の特集では、英国とは実はかなり縁の深い、マン島の隠された魅力に迫ってみよう。 (取材・執筆: 三上義一)
地図

秘境知られざる秘境

マン島(Isle of Man)は、ロンドンの三分の一ほどの小さな島で、首都はダグラス。英国は日本と同じく島国だが、日本同様、本土の周辺にはいくつかの島があり、夏の旅行地としては最適である。中でもマン島は単なる海と山の避暑地ではなく、映画、バイク、鉄道、マンクス猫、そして税金を軽減できるオフショアとしてなど、魅力は尽きない。またあまり知られていないことだが、この島は英国よりも長きにわたって景気拡大を続けていて、今、金融関係者以外からも注目を集めつつある。実際、この島はいかなる旅人にも、楽しさと驚きを提供できる、英国本土とは一味違った別天地なのである。

一方で、日本人にとっては馴染みが薄い場所であることも確かだ。名は聞いたことはあるが、訪れたことはない・・・・・・ほとんどの日本人にとってマン島とは、そんな知られざる秘境といってもいいだろう。

交通ロンドンから1時間半

さて、そのマン島はいったいどこにあるのかというと、英国本土とアイルランドを隔てるアイリッシュ海のちょうど真ん中に位置している。人口約8万人で、淡路島ほどの小さな島。マン島へは、ロンドン中心に近いシティー空港から飛行機を利用するのが一番便利であろう。約1時間半でマン島に着くはずだ。

ロンドン以外からも飛行機が出ているし、フェリーで行くことも可能である。もし自転車・バイク・自家用車などでのツーリングを計画されているなら、フェリーが便利だろう。

英国?英国のようで英国でない

この島はいわば英国であって、英国ではない。つまり、英国の一部ではないが、自治権を持った英国の属国であり、外交・軍事は英国政府に委任している。ちなみに、欧州連合(EU)には加盟していない。またマンクス・ポンドと呼ばれる独自の通貨があるが、英国ポンドも問題なく利用できる。英語以外にも、マンクスという独自の言語が話されている。

とりあえず、ここまでくればマン島に関する基礎的な知識は得たといっていいだろう。それではさっそく、現地の見所を探ってみよう。

マン島関連の便利なウェブサイト

● マン島観光局
www.gov.im/tourism/guide
オフィシャル・ガイドブック閲覧も可能。メールでの問合せも受け付けている。
● マン島に関する日本語の便利なサイト
www.visitbritain.jp/destinations/Isle-of-Man
● レストラン検索
www.isleofmanrestaurants.com
● フェリー情報
www.steam-packet.com/SteamPacket/search

レストラン旅する前にまずは腹ごしらえ
現地のおすすめレストラン

 
Millennium Saager東西の味を融合させた
Millennium Saagar

本場のスパイスと地元の食材を融合させたオリジナル料理が自慢のインド料理レストラン。
Broadway House, Sherwood Terrace, Douglas
TEL: 01624 679871 www.millenniumsaagar.co.uk
 
Ciappelli's現地のビジネスマン御用達
Ciappelli's

良質のモダン・ヨーロピアンを提供するレストラン。地元のビジネスマンで賑わっている。
12 Loch Promenade Douglas, Isle of Man IM1 2LX
TEL: 01624 677442 www.aperitivo.co.uk
 
La Cucina見ても食べても美味しい
La Cucina

ダグラス市内中心に位置する、イタリアン・シーフード店。料理のプレゼンテーションが見事。
54 Bucks Road, Douglas, Isle of Man IM1 3AD
TEL: 01624 623959 www.lacucina-iom.com
 

Peel Castle
マン島の西側に位置するピール地区にある古城Peel Castleは、11世紀に建てられた


映画ジョニー・デップも好きな島

マン島と言ってもなかなかイメージしにくいだろうが、実はここ10年ほど、その美しい景色を映画で目にする機会が増えてきている。例えば、「ミス・ポター」だ。世界で一番愛されているうさぎ「ピーターラビット」の女性作家、ビアトリクス・ポターの恋と半生を描いた映画だが、その中に登場する美しい田園風景の一部がこのマン島で撮影されている。レニー・ゼルウィガーやユアン・マクレガーといったスターが主演し、日本でもヒットしたので、観た方も多いのではないだろうか。

また、ハリウッドの大スター、ジョニー・デップが主演した映画「リバティーン」は中世に実在した放蕩の詩人ジョン・ウィルモットの波乱の生涯を扱ったものだが、このロケ地もマン島。そして昨年ヒットした14歳の少年スパイ、アレックスを主人公にした痛快アクション映画、「ストームブレイカー」もこの島で大々的にロケを行った作品である。

また1995年以降、80作以上の映画やテレビ・ドラマが、この島で撮影されている。というのも、マン島政府が産業として映画事業の育成に力を入れ、積極的に共同製作・出資してきたからである。この島はそれだけ風光明媚で、観光資源が豊富だということでもあろう。映画ファンがこの島を訪れたなら、どこかで観たことがある景色に出会い、嬉しい既視感を覚えるかもしれない。あのジョニー・デップも、すっかりこの島が気に入っていたという。

マンクス・コテージ
マンクス・コテージと呼ばれる伝統的な一戸建て小家屋

プロムナード
海に面したプロムナード。ダグラス地区近郊は現在、「化粧直し」の最中だが、
このプロムナードは散歩に最適。是非歩いてみたい。


バイクバイク・レースの聖地

多くの人がマン島と聞いて、まずピンとくるのが、5月末から6月上旬にかけて行われるバイク・レース(TTレース)ではないだろうか。事実、このマン島は、バイク・レースのファンにとっては「聖地」とまで呼ばれている。

同レースは世界で最も歴史が長いレースであり、今年で101回目を迎える。期間中の約2週間は、花火や野外コンサートなどのイベントが目白押しで、島中がお祭り騒ぎになる。第1週が練習で、第2週が本戦となり、その中にはバイクにサイド・カーを付けた一風変わったレースなどもある。また公道を使って行われるため、パブでビールを一杯やりながら観戦することもできて、たっぷりと臨場感を楽しめるはずだ。

レース開催中にマン島を訪れたい方は、早目にホテル や交通機関を予約することが必須となる。何しろ世界中からレース関係者や観光客が訪れるだけあって、1年前からの予約もザラだという。またホンダの創設者、本田宗一郎氏もこのレースで優勝することを夢見ていたと伝えられており、毎年日本のファンも多く詰めかけている。

TTレース公式サイト: www.iomtt.com

バイクレース 世界的に有名なTTレース

 


鉄道鉄道ファンが泣いて喜ぶ

バイク・ファンではない方のためには、鉄道の旅はいかがだろうか。現在でもマン島では保存鉄道が走っていて、鉄道ファンでなくとも必見。まず乗りたいのが、Isle of Man Steam Railway と呼ばれる蒸気機関車だ。1874年に開通し、今日でも首都ダグラスからポート・エリン(Port Erin)を結ぶ15.5マイル(約25キロ)を走っている。その間、美しい田園と海辺の風景を満喫でき、蒸気機関車の旅が楽しめる。冬は運行していないので要注意。

また、かわいい路面電車、Manx Electric Railwayも見逃せない。1893年に開通、ダグラスからラムジー(Ramsey)までを1時間15分程で走る。

それに1895年から走っている登山鉄道、Snaefell Mountain Railway にも是非乗ってみたい。ラクシーから標高2036フィート(約621メートル)のスネーフェル山へと登り、30分程で山頂に着く。晴天の日、ここからは7つの王国──つまり、イングランド、スコットランド、ウェールズ、アイルランド、マン島、そして天空と大海を見渡すことができるという。

Isle of Man Steam Railway 公式サイト www.iombusandrail.info

左写真)世界最大の木製水車、レディ・イサベラ。ダグラスからManx Electric Railwayに乗り、ラクシー駅から徒歩で行ける。
上写真)1893年に開通したManx Electric Railway

The Gaiety Theatre
ダグラスにあるThe Gaiety Theatre。こけら落としは1900年というから、すでに1世紀以上の歴史を持つ


猫ノアの箱舟でしっぽを失った猫

マン島といえば、日本の猫愛好家の間でもよく知られているマンクス猫が有名だ。マン島固有の猫で、しっぽのない、うさぎのような歩き方をする猫である。

ある伝説によると、マンクス猫はノアの箱舟に乗ろうとした最後の動物であったが、慌てて箱舟に駆け込もうとすると、ドアが閉まり、しっぽがちぎれしまったのだという。また、箱舟の中で犬がマンクス猫のしっぽを噛み切ったので、マンクス猫は箱舟の窓から逃げ出し、海を泳いでマン島にたどり着いたという神話もある。

他にもマンクス猫は猫とうさぎのあいだにできた子で、その結果、しっぽがなくなり、後ろ足が長くうさぎのような歩き方をするようになったという、もっともらしい説明もある。これほど伝説が多い猫も少ないのではないかと思えるほど、他にも諸説紛々。ちなみに実際のマンクスは人なつっこい性格の、かわいい猫である。

マンクス猫
マンクス猫。しっぽのない、うさぎのような歩き方するこの島原産の猫。
なぜ、しっぽのない猫がこの島にいるのかは謎であり、数々の伝説を生んできた。


タックスヘイブン税率0%の島

マン島は英国であって英国ではないという、まさにオフショア=沖合いの利点を生かし、英国本土よりも税率を低く設定している。つまりマン島に資金を移せば、資産や投資にかかる税金が節約できるのだ。巨額な資産を持つ投資家や、財テクをしたい企業などは、こういうオフショアのタックス・ヘイブン(税金回避地)を利用することで節税できるというわけである。今日、本社はロンドンにあるが、節税目的で子会社をマン島に置き、工場はベトナムにあるというような経営体制は決して珍しくない。

具体的には、マン島では相続税(遺産税)はなく、キャピタル・ゲイン税もない。法人税も0%か10%という2段階区分しかなく、個人の所得に対する税も0%、10%、18%と3段階に分けられているが、最高税率が18%というのは英国よりもはるかに低く、あらゆる面において税制優遇措置が設けられている。

マン島風景
左写真)船が転覆した際の避難所として建てられたという「refugehills」。
右写真)マン島の最南端に位置する「The Sound Visitor Centre and Restaurant」。
ガラス張りのレストランからは、小島が見渡せる。


成功物語「隠された成功物語」

マン島最大の産業はやはり金融業であり、銀行や保険などの金融サービス業が経済の柱となっている。しかし、最近では経済の多角化を積極的に進めていて、eビジネス・映画・ハイテク産業の育成などにも力を入れている。その努力は報われているようで、なんと景気は、過去25年間連続して拡大。好景気を誇っているアイルランドの影に甘んじてきたため、「フィナンシャル・タイムズ」紙はマン島を「隠された成功物語」と呼んだほどだ。

いずれにしろ、英国に住んでいる日本人にとってすら、マン島はまだまだ馴染みが薄い、知られざる秘境であることは確かであろう。もちろん、既にマン島の金融機能を利用している日本企業もあり、当政府としてはさらに日本からの客──観光客はもちろんのこと、企業、投資家、そしてスーパーリッチな日本の方々の訪問を待ち焦がれているのである。

マン島風景
左写真)マン島の北部に位置する古都、キャッスル・タウンの風景。
右写真)マン島の浜辺と小さな灯台。マン島ではシーカヤックや、ヨット・セイリングなどの
マリーン・スポーツも盛んである。


英国周辺にあるその他の島々

ワイト島  Isle of Wight

英国本土の南岸に浮かぶ小島。夏のロック・フェスティバル、「ワイト島ロック・フェスティバル」で世界的に有名な島。1970年、ジミ・ヘンドリックスがこの島のロック・フェスティバルに出演したのはもはや伝説、というよりは神話か。この島が世界的に知られるようになった一因は、このときのジミヘンの名演が余りにも凄まじく、またこのコンサートの3週間後に彼がこの世を去ったからでもある。

この年のコンサートの衝撃が余りにも強烈だったのか、次にロック・コンサートが開かれたのは32年後の2002年。実際には70年のコンサートが膨大な赤字を出したことが主因だとも言われている。

ロック・フェスティバル以外にも、この島は変化に富んだ海岸線や海水浴に適した砂浜がある。また内陸には緑が多い森やなだらかな丘陵地帯が広がり、夏のプチ旅行には最適。さらにワイト島は、世界的なヨット・レース「アメリカス・カップ」の発祥の地としても知られており、ヨット遊びが盛んな島でもある。

ワイト島に行くには、フェリーが便利。いくつかの港からフェリーが出ているが、ポーツマスからフェリーで30分ほどで行くことができる。

ワイト島観光局サイト   www.iwight.com
ワイト島ロック・フェスティバル公式サイト   www.isleofwightfestival.com

チャネル諸島  Channel Islands

Channel Islands英国とフランス間の英仏海峡にあるチャネル諸島。英国でありながら、距離的にはフランスに近く、フランス的な雰囲気が漂っている。その中でも代表的なのが、ジャージー島とガーンジー島。両島ともマン島と同じく、オフショアのタックス・ヘイブンで、税金の優遇処置を提供している地としても知られている。

同諸島で最大の島がジャージー島。冬は温暖、夏は涼しく、ビーチも豊富で、サイクリングやウォーキングには最適。ショッピングも、VAT(付加価値税)がないためロンドンなどよりも割安。レストランも多く、金融関係者やリッチな人々が多いせいか、世界からトップ・クラスのシェフが集まり、グルメも充実している。

ガーンジー島はジャージー島の北にあり、ハーム島、サーク島、アルダーニー島の小島からなっていて、英国とフランスの双方の影響を受けているが、第二次大戦中はナチス・ドイツが島を占領していた。その後はヨーロッパのリゾート地として発展し、ジャージー島同様、英国本土のVATが適用されないため、ショッピングを楽しめる。また、小さな島なので自転車で島をのんびりと散策するのも妙案であろう。

チャネル諸島観光局サイト   www.visitchannelislands.com

 

英国人はなぜ結婚しないのか

英国人はなぜ結婚しないのか

暦はついに6月。英国を始めとする欧州では、「ジューン・ブライド」の伝承にちなんだ結婚シーズンに入った……が、近年の英国における結婚件数は過去最低。その一方で、結婚せずとも、子供を育てながら同棲生活を営む人々が増え続けているという。事実婚カップルと呼ばれる彼らはなぜ、結婚することを拒むのだろうか。

(本誌編集部: 長野雅俊)

結婚しない英国人

結婚皆さんの周りにいる若い世代の英国人で現在、結婚生活を営んでいる人は果たして何人いるだろうか。きっと、思いのほか少ないことに気付くはずだ。英国統計局が今年発表したデータによると、国内における2006年度の結婚件数は約23万7000件。この結果、結婚率は16歳以上の男性1000人に対して22.8人、同じく女性は20.5人と、調査が始まって以来、過去最低の数字となった。

一方で、離婚件数は増加中。同じく英国統計局の調べによると、10年以上にわたって結婚生活を続ける夫婦は全体の約半数。残りの半数にあたる夫婦は、その10年を待たずに関係を破綻させ、離婚に至るという。つまりその確率、5割。英国における結婚は、まさにイチかバチかの賭け事になりつつある。

そしてさらにもう一つ、結婚率の低下に拍車をかけている、重大な事実がある。それが、結婚の申請を行わずとも長きにわたって共同生活を営む、いわゆる「事実婚(Cohabiting)」だ。この事実婚カップルが近年になって急激に増えてきており、現在では全国で約230万組も存在すると推定されている。

英国で減少する結婚件数

子供ができても結婚せず

最近では日本でも、結婚前の男女が同棲生活を送ることは珍しくなくなった。ただこの日本における同棲生活と英国人たちによる事実婚は、どうも意味合いが違うようだ。というのも日本のそれは、結婚前の準備段階か、または「内縁の夫・妻」と言う言葉の響きが連想させるように、既存社会の仕組みからは少し外れた関係と見なされがち。これに対して英国の未婚カップルは、既に公的な夫婦と同じように機能している場合が少なくない。

その最たる例が、子供の存在だろう。英国では、何十年にもわたって共同生活を営み、さらにはその過程で子供を生んで育てながらも、結婚していない人たちが大勢いる。これは「できちゃった結婚」という言葉に象徴されるように、いまだ子供=結婚が当然視されがちな日本においては、なかなか受け入れられにくい現象のように思える。

統計局の調べによると、英国内においてこの事実婚カップルに育てられている子供の数は約141万人。この数字にシングル・ペアレンツも含めれば、実に全体の4割が結婚外で生まれた子供ということになる。事実婚カップルは、もはや新しい家族の形態の一つとして認められつつあるといっても良いだろう。

変化する英国の家族形態

彼らはなぜ結婚しないのか

ではなぜ、彼ら事実婚カップルは結婚しないのだろう。その理由としては「お互いの自由を尊重するため」「結婚は制度ではなく気持ちの問題だから」「面倒くさい」など様々な意見が聞かれるが、その中でちょっと気になるのが、「結婚するだけの法律的・経済的なメリットがほとんどない」との理由だ。

まず子供の養育に関する権利や責任についていえば、下記の表にある通り、両親のどちらかが死亡しない限り、結婚と事実婚の間にはさして大きな法的な違いはない。むしろ結婚した夫婦の約半数が10年以内に離婚する中で、若くして子供を設けたカップルが、お互いの死後まで思いを馳せることの方が難しいかもしれない。また日本と最も大きく異なるのが、子供に対する法的な扱い。日本であれば、未婚の親の間に生まれた子供は「婚外子」として親の死に際しての相続において制限がつくなどの区別が生まれるが、英国では摘出・非摘出という法的概念そのものがないため、子供にとっての不都合も起きない。

また近年になって、結婚した夫婦に対する手当が削減された結果、シングル・ペアレンツの方が手当を多くもらえる例も出てくるようになった。つまり場合によっては、結婚した方が経済的に損をする、ということにもなりかねないというのだ。

英国における子供の養育に関しての法的な結婚と事実婚の違い

結婚した夫婦
権利の種類
事実婚カップル
両親ともに保有 離別後の親権 登録を行なっていない場合、父親が保有できないことがある
同じ 離別後に子供を養育する権利 同じ
同じ 離別後に子供と面会できる権利 同じ
同じ 養育費を離別した相手もしくは福祉機関からもらえる権利 同じ
相手と子供が分割して相続 遺言なしで片方が死亡したときの遺産 子供がすべて相続し、相手にはなし
相手が自動的に得る 片方が死亡した際の子供の保護者としての権利 相手が既に親権を保有しているという条件の下に得る

結婚するのもお金次第?

結婚しない理由がお金や諸々の権利をめぐるものであれば、結婚する理由もまた然り。実は英国には、事実婚として数十年も同棲生活を送り子供を育て上げた後に、結婚を果たすカップルが少なからず存在する。彼らは熟年期を迎え、お互いの死後のことを考慮した際に、結婚した夫婦でなければ得られない遺産相続や相手方の年金を授与する権利を念頭に置いて、結婚に踏み切るに至ることが多いのだという。

また事実上の「同性婚」として話題をさらった市民パートナーシップ制度の設立にあたっても、法的には同性カップル同士の遺産の配分などを認めることに焦点が置かれていた。このパートナーシップ制度もまた、結婚という従来の枠組みとはまた違った形で長期的な家族関係を営む試みの一つである。

「ジューン・ブライド」という言葉が持つロマンティックな響きとは裏腹に、「英国人はなぜ結婚しないのか」という疑問を見た際に見えてきた、「法律的・経済的メリット」というシビアな現実。結婚に関する社会のしがらみや宗教的な要素が薄れてきた現代では、結婚とは結局、お金や権利の譲渡関係を確保するためだけの手段に成り下がってしまったということであろうか。

 

家族について - 結婚って、一体なんのためにするのでしょうか?

事実婚やシングル・ペアレンツなど、新しい家族の形態が社会に認められるにつれて、結婚に対する考え方にも各個人によってかなり差が出てきたのではないだろうか。そこで実際に事実婚を営んでいる人、家族問題のカウンセラー、同性愛者の権利保護団体、そして教会の牧師さんと、異なる背景を持つ4人の方々から結婚に関して意見を聞いてみました。

サム・ロビンソンさん「逆に結婚しない理由が、もうなくなったんです」

4年の「事実婚」を経て、近日中に子供が誕生する

サム・ロビンソンさん
語学教師、29歳

パートナーの方と、これまで結婚しなかったのはなぜですか。

頭の片隅で「もしかしたらいつか彼女と別れることがあるかも」という極々小さな可能性がポツンと浮かぶことがあったからでしょうね。あと私たちがお互いにまだ結婚するには若過ぎる、と思っていたということもあります。

そのパートナーの方が現在妊娠しているとうかがいましたが、それでもまだ結婚しない理由は何でしょうか。

そもそもパートナーの妊娠が、予定外の出来事だったんです。だから私たちは何も結婚を断固として拒否しているわけではなくて、「きちんと結婚してから子供を作る」という順序を守れなかっただけなんですよ。結婚した夫婦と事実婚カップルの手当の違いといった込み入った事情については、正直考えが及びませんでした。

日本では「できちゃった結婚」といって、恋人が妊娠した直後に結婚する人も多いのですが。

彼女のお腹が大きいままでウェディング・ドレスを着せることはできないので、結婚するなら今すぐか、出産を無事終えてからという選択肢しかありませんでした。でも大急ぎで結婚するのは、嫌だったんです。結婚とは、一生のうちでそう何度も訪れるイベントではありません。だから、きちんとお互いの両親や親友の予定も合わせられるように、1年位かけてしっかりと準備を整えた上で結婚式を挙げたかった。つまり結婚しないというよりも、しそびれてしまったのでちょっと延期した、というような感覚です。

逆に子供が生まれてもそのまま結婚せずに暮らす英国人たちも多くいる中で、準備さえ整えば結婚したいと思うのはなぜですか。

やっぱり、ちゃんとした形でお祝いしたいんでしょうね。ありふれたパーティーじゃなくて、きちんとした結婚式という形で。特にパートナーの方は、結婚式を挙げることで幼い頃から抱いていたロマンティックな願望を叶えたいという気持ちもきっと持っているはずです。そういった意味では、僕よりも、彼女の方が結婚を楽しみにしているんじゃないかな。また子供ができたことで、パートナーと残りの人生を一緒に過ごす、ということが確定したようなものなので。逆に結婚しない理由が、もうなくなったんです。

家族にとって、子供は大切な要素だと思いますか。

サムさんもちろん、「子供がいない家族」というのもたくさん存在すると思います。でも、誰かと家族を構成するようになれば、少なくとも子供を欲しいと思ってしまう人が大多数なのではないでしょうか。自分の人生だけに留まらず、自分の両親の人生までを振り返って、「僕は自分の子供に一体何を伝えればいいのだろう」と考えることは、とても貴重で幸福な体験なのではないかと思います。(写真:現在は妊娠中のパートナーの女性と旅行に出掛けた際の記念写真)

 

キャサリン・アレンさん「結婚はいまや余生の嗜好品となりました」

家族問題を始めとするカウンセリングを行うチャリティ団体

キャサリン・アレンさん
「リレイト」PRマネージャー

英国人はなぜ結婚しなくなったのでしょうか。

最近では結婚率の低下だけでなく、晩婚化も著しいです。これは結婚が、あたかも余生で楽しむ嗜好品のような社会的意味を帯びるようになってきたことの表れだと思います。つまり今でも一定の需要はあるのですが、人生の後半までその楽しみを享受するのを待って、お金が貯まってから手を延ばすというスタンスを取る人が多くなってきたということです。まずは自分の持ち家を購入し、仕事でも一定のキャリアを残した後で、ようやく結婚生活を楽しもうという人生設計を描く人は、実際に多く存在します。

結婚生活を敬遠する一方で、事実婚カップルは増えてきているようです。なぜだと思いますか。

もちろん様々な理由があるでしょうが、コミットメントすることに対する躊躇というのがあるのかもしれません。また私たちの調べによると、多くの人たちが親の離婚を通して経験した辛い思いから、自身の結婚にまで抵抗感を持つ人が多いようですね。

それでは、離婚はなぜ増えたのだと思いますか。

英国社会が離婚を一つの現実として受け入れて、離婚者に対しての偏見を持たなくなったからだと思います。離婚は確かに当事者にとっても、また子供にとっても精神的に非常に辛い経験となりますが、それで人生の終わりというわけでもありません。いずれその辛さを克服し、次の人生へと歩み出す人も多いのは事実ですから。

そのような環境の中で、あえて結婚する人たちの理由とは何だと思いますか。

いわゆるごく一般的な英国人にとっては、確かに結婚と事実婚の意味合いの違いはあまりなくなってきているのだと思います。一方で、移民を中心とした異なる人種または宗教的な背景を持つ人たちにとっては、結婚は今でも非常に大切な制度として機能しているのではないでしょうか。

「家族」「夫婦」「パートナー」「恋人」と様々な関係がありますが、それぞれの違いは何だと思いますか。

それぞれ個人によって意味合いが違うので、社会的な定義を出すのは難しいです。むしろそういった定義よりも、結局はお互いにコミットメントし、信頼し合える平等な関係を構築できるかどうか、ということの方が大切でしょう。ただ一つ言えるとすれば、多くの人々にとって、親になるということ、つまり子供ができた瞬間にこれまでの関係性を見直す結果、2人の関係に変化が訪れたと感じる人は多いようです。また生まれた子供のために、できるだけ良好な関係を維持しようと努力する親が多く存在するのも事実です。

Relate
英国で、家族関係を主とする悩みに関するカウンセリングを提供するチャリティ団体。年間15万人に対して無料でサービスを提供している。Tel: 0300 100 1234 www.relate.org.uk

カルム・ハワード・ロイドさん「結婚にはそれに伴う特有の権利と責任があります」

同性愛者のための権利団体

カルム・ハワード・ロイドさん
「プライド・ロンドン」ダイレクター

同性愛者にも異性間夫婦に準じる権利を与える「市民パートナーシップ制度」が施行されてから2年以上経ちましたね。

同制度が施行される前までは、納税の手続き、さらには保険金や遺産の受け取りに苦労する同性愛者カップルがたくさん存在しました。パートナーが死亡した途端に、それまで一緒に暮らしていた家に住む権利を奪われるといった事例もあったほどです。

だからこのような問題の解決を目指した同制度を高く評価すると同時に、結婚とは違う真新しい仕組みを作ることで誤魔化した事実に対しては困惑しています。例えばある特定の人種が、英国では結婚の真似事はできるけれども結婚そのものはできない、ということになったらきっと大きな反発が起こるでしょう。同性愛者にも、彼らが望んで築いた特別な関係を法的に認知してもらい、さらには相応の権利と義務を担うことが許されるべきではないでしょうか。

なぜ、同性愛者の結婚に対する抵抗が生まれるのだと思いますか。

主に宗教的な理由からでしょう。英国では、宗教指導者が立法過程に関わることが多く、彼らの反対に政府が屈したというのが私の理解です。現に2003年に英国のキリスト教研究所が「市民パートナーシップ制度は従来の結婚制度に害を及ぼす」との意見書を政府に提出しています。ただ私は一部の人たちの占有物にしてしまうことの方が、結婚制度を侮辱することになると思います。

同性愛者同士が子供を育てることに反対する人もいますが、これについてはどのようにお考えですか。

養子に関する法律は英国内の地域によって多少異なりますが、概して地方政府が個々のケースを調べて認可するかどうかの判断を行っているようです。現代においては、家族の形態も様々です。シングル・ペアレンツがいれば、継母や祖父母、そして同性愛者に育てられる子供というのもいるでしょう。子供の養育にとって最も大切なのは、この中でどのタイプが好ましいかというよりも、彼らが安定し、かつ愛に溢れた家庭を築けるのかどうかということではないでしょうか。そして大部分の同性愛者たちには、その他の人々と同様に、そういった家庭を築く能力があると私は信じています。

事実婚カップルのように、結婚を重要視しない人も増えているようですが。

結婚しないという選択肢を取る人が多くなっていることを鑑みると、結婚の意味合いは確かにかつてと比べて薄れてきているのでしょう。ただそれでもいまだ結婚には、それに伴う特有の権利と責任が付随していることも事実です。もしその恩恵を受けたいという人がいるのであれば、法律によってその願いを禁止するべきではないと思います。

プライド・ロンドン
同性愛者の権利を訴える団体。年に1回行われる、団体名が冠されたイベントは毎年50万人を集めている。今年度における同イベントは、7月5日に開催予定。www.pridelondon.org

チャールズ・へドリーさん「結婚の本質は、内面の決意を公的な場で誓うこと」

聖職者として結婚式を執り行う

チャールズ・へドリーさん
セント・ジェームズ教会 牧師

英国人の結婚件数が減少しているのはなぜだと思いますか。

やはり結婚した夫婦に対する税の優遇措置がなくなったことが大きな影響を及ぼしていると思います。あとは一般的に他者との関係の捉え方に変化が訪れたのでしょう。地元の会合や、さらには教会に行く人も減ってきていますから。

教会では結婚をどのようにお祝いしていますか。

英国国教会の牧師は、これから夫婦になる2人が神の前で誓いを行う際の証人となります。そして2人の幸せを称えながら、婚姻関係を結ぶことの意味について語るのです。「コレリ大尉のマンダリン」という文学作品を読んだことはありますか。その中で「恋が焼け尽くした後に、本当の愛が残る」という表現が出てくるのです。この言葉が意味するように、人間の関係というのは常に変化そして進化し、さらにより深まる可能性を持っている。そういったようなことを伝えることが多いです。

結婚について、聖書はどんな教えを示しているのでしょう。

聖書には、結婚に関する様々な記述が見受けられます。例えば旧約聖書においては、司教は複数の妻を娶(めと)っていました。イエス・キリストは結婚そのものについてはあまり言及していませんが、当時の時代背景から、離婚には反対を唱えています。世界の終末が近付いていることに危機感を覚えていたパウロは、人間には結婚よりももっと重要な なすべきことがあると考えていました。

事実婚カップルと結婚した夫婦を隔てるものは、法律以外にあるのでしょうか。

「同棲」や「事実婚」は、意味する範囲が非常に広い言葉だと思います。結婚した夫婦と同じくらいコミットメントして、協力し合える関係を築く事実婚カップルというのは存在します。一方でただ一緒に住むだけなら、結婚の本質である「内面の決意を公的な場で誓う」という過程を経た夫婦とは大きな隔たりが生まれることになります。

良き恋人は、必ずしも良き伴侶になるわけではないということなのでしょうか。

非常に難しい質問ですね。ただ何となく同棲生活を送っているだけなら全く問題ないのに、結婚した途端に関係が不安定になるカップルというのは驚くほど多いという印象を持っています。結婚相手に何を求めるか、そしてその願いがどのように達成されるか、ということをはっきりさせていないケースが多いようです。

セント・ジェームズ教会
ロンドン中心部ピカデリー・サーカス駅付近に位置する教会。英国国教会に属している。異なる宗教を信仰する人や同性愛者も積極的に受け入れるなど、リベラルな信仰を持つ人々が集まる教会として知られている。
St James's Church
197 Piccadilly London W1J 9LL
Tel: 020 7734 4511
www.st-james-piccadilly.org

 

 

英国一周、野外フェスの旅

英国一周、野外フェスの旅 拡大地図

「英国の夏=野外フェス」といっても過言ではないほど、ありとあらゆる種類の野外音楽フェスティバルが開催されるここ英国。とはいえ、逆にどこへ行ってよいのか分からない人や、名前も知らないような街が開催地であるため諦める人も多いのでは?そこで用意したのが、このおすすめフェス満載のマップ。これを使って英国の夏を満喫しよう!

(本誌編集部: 國近絵美)

★チケットは見つけたら即買いが◎
日本でも名が知られるほどの大型フェスは、チケット販売開始後に数時間で完売してしまうことも珍しくない。とはいえ、まだ認知度の低い新しいフェスは、質が高いわりにチケットが残っているものが多い。通常は割安の通し券から売れていくので、1日券を探してみよう。また、参加アーティストのフル・ラインナップが決定していないフェスも多いので、気になるアーティストがいる人はこまめにチェックを。

★駅から遠くても大丈夫!
地方で行われるフェスは、最寄り駅から遠かったり行きづらかったりするのが難点。とはいえ、たいていは駅からシャトルバスが運行されているし、主要都市から直行の特別コーチが用意されるので安心だ。一方、どのフェスも近年は環境問題に気を使っていて、車の利用者を減らすために駐車場の値段が高く設定されていることが多い。最近ではコーチ・長距離電車の往復券と組み合わせたお得なチケットも販売されているので、フェス参加者で溢れるバスや電車を利用して、開催前から気分を盛り上げよう!

AColoursfest
6月7日(土)

スコットランドで最大のダンス・ミュージック・フェス。6つあるベニューは、それぞれテイストごとに分かれている。スコットランドで初夏を熱く迎えるなら、ここ!

Web
http://www.colours.co.uk
出演
Paul Van Dyk、Marcel Woods、Woody van Eyden、Alex Morph、Dave Seamanなど
チケット
£42.50
最寄り駅
Glasgow駅 
*18歳以下は入場禁止

T in the ParkT in the Park
7月12日(土)~13日(日)

こっちは毎年180人近くのアーティストが参加する、スコットラ ンド最大のロック・フェス。参加型のイベントも多数あり。

Web
http://www.tinthepark.com
出演
The Verve、Rage Against The Machine、The Fratellis、Kaiser Chiefs、Kings of Leonなど
チケット
すでに完売。
キャンプ付き通し券£160、通し券 £137、1日券£68.50
最寄り駅
Perth/Edinburgh/Glasgow駅
* 主要駅から出発するシャトルバスは要予約。チケット保有者のみ乗車可
* 一眼レフや録音機能を搭載した音楽プレーヤーは持ち込み禁止

CCreamfields
8月23日(土)、24日(日)

世界13カ国でも開催されている、ダンス・ミュージックの祭典。旬のDJやアーティストたちが集まり、約4万人もの観客を日夜踊らせる。今後の活躍が期待される英国人アーティストによるイベントなども開催。

Web
http://www.creamfields.com
出演
Kasabian、Underworld、Fatboy Slim、Ian Brown、 Pendulum、Gossip など
チケット
キャンプ付通し券£115、通し券£105、
1日券土曜日 £57.50、日曜日£53.50
最寄り駅
Lime Street駅

DReading & Leeds Festival
8月22日(金)~24日(日)

「グラストンベリーが人を楽しむお祭りなら、こっちは音楽を楽しむフェスだ」。ロック好きの英国人がそう口を揃えていうほど、旬で質の高い「ロック」にこだわったアクトが150以上並ぶ。レディングとリーズの2都市で3日間同時開催されるため、同じ出演者が日にちをずらしてパフォーマンスを行う。

Web
www.readingfestival.com  www.leedsfestival.com
出演
Rage Against The Machine、The Killers、Metallica、The Fratellis、The Cribsなど
チケット
すでに完売。毎年4月上旬にチケットが発売開始される。
3日間通し券(キャンプ付き)£155
1日券£65(12歳以下は無料)
最寄り駅
レディング: Reading駅 リーズ: Leeds City駅

EPorthcawl Elvis Festival
9月26日(金)~28日(日)

「キング・オブ・ロック」ことエルビス・プレスリーにぞっこんな人々が集まる欧州最大のフェス。見渡す限りエルビスになりきった人たちが集まるコアな光景を、ぜひ一度生で見てみよう。

Web
http://www.elvies.co.uk
チケット
値段は上記ウェブサイトを参照
最寄り駅
Pyle駅、Bridgend駅

FThe Big Chill
8月1日(金)~3日(日)

大自然に囲まれたお城で開催されるこのフェスは、人々をリラックスさせることに専念した、いわば「デトックス・フェス」。バンドやDJはもちろん、マイティー・ブーシュなど人気コメディアンも登場し、キッズ用のイベントも多彩だ。

Web
http://www.bigchill.net
出演
Leonard Cohen、Fujiya & Miyagi、Roisin Murphy、Buzzcocksなど
チケット
£129、学生£110、13~19歳£60、12歳以下無料
最寄り駅
Great Malvern駅

GV Festival
8月16日(土)、17日(日)

チェルムスフォードとスタッフォードシャーの2都市にて同時開催される、大人気のフェス。

Web
http://www.vfestival.com
出演
Muse、The Verve、Kings Of Leon、Amy Winehouse、The Kooks、Maximo Parkなど
チケット
すでに完売。
通し券(キャンプ付き)£145、通し券£125、1日券£70
最寄り駅
スタッフォードシャー: Stafford and Wolverhampton駅、Telford駅 チェルムスフォード: Chelmsford駅

HDownload Festival
6月13日(金)~15日(日)

ハード・コア、メタル、エモなど、他のロック・フェスの中でも一番ダークでゴリゴリした音が楽しめる。8歳以下の子どもは入場禁止。

Web
http://www.downloadfestival.co.uk
出演
Kiss、The Offspring、Lostprophets、Jimmy Eat World、Pendulum, Incubusなど
チケット
通し券£130(キャンプは+£20)、1日券£60
金曜日のみ£65
最寄り駅
Loughborough駅、Derby駅
*一眼レフは持ち込み禁止

IThe Secret Garden Party
7月24日(木)~27日(日)

川と湖に挟まれた敷地にツリー・ハウスや巨大ハンモックが出現。生演奏やアートが楽しめる。

Web
http://www.secretgardenparty.com
出演
Grace Jones、Sons & Daughters、Glasvegas、Envy & Other Sinsなど
チケット
キャンプ付通し券£125、14~17歳£100、13歳以下は無料
最寄り駅
ケンブリッジシャー州。詳細はチケット購入者にのみ公開

JLatitude
7月17日(木)~20日(日)

ライブ以外のエンタメも大充実で、アートに映画、キャバレーやコメディーなどが楽しめる。

Web
http://www.latitudefestival.co.uk
出演
Franz Ferdinand、Sigur Ros、Death Cab For Cutie、Mars Voltaなど
チケット
キャンプ付き通し券£130、1日券£55、13歳以下は無料

K46664 2008
6月27日(金)

ネルソン・マンデラ元大統領の90歳の誕生日を祝い、またエイズ予防を呼びかけるためのチャリティー・フェス。

Web
http://www.46664.com
出演
Queen + Paul Rodgers、Leona Lewis、Razorlight、Jameliaなど
チケット
£65 *チケット購入時にレジスターが必要
最寄り駅
Hyde Park Corner駅

LSt Ives Festival
9月6日(土)~20日(土)

芸術家が集まる海辺の街一帯が会場となって開催される、音楽とアートのフェス。

Web
http://www.stivesseptemberfestival.co.uk
チケット
£12~24
最寄り駅
St Ives駅

MGlastonbury Festival
6月27日(金)~29日(日)

毎年20万人近くもの人が押し寄せる、世界最大のロック・フェス。ライブ以外にもキャバレー、劇、サーカスなど2000以上ものパフォーマンスやイベントが行われ、キッズ・エリアもかなり充実。

Web
http://www.glastonburyfestivals.co.uk
出演
Kings of Leon、The Fratellis、Jay-Z、Amy Winehouse、The Verveなど
チケット キャンプ付き通し券£155、12歳以下の子どもは無料
最寄り駅
Castle Cary 駅、Bristol Templemeas駅
*チケット購入にはレジスターが必要

NBestival
9月5日(金)~7日(日)

小規模ならではの親しみ易さと一体感が持ち味で、ありとあらゆるジャンルの音楽やDJが楽しめる。

Web
http://www.bestival.net
出演
My Bloody Valentine、Amy Winehouse、Underworld、Aphex Twin、CSS、Pendulumなど 
チケット £130、13~15歳£65、12歳以下無料(チケットは必要)
最寄り駅
フェリー乗り場から先はシャトルバスが運行

アーティスト
アーティスト
アーティスト
アーティスト

サイン会アーティストと夢の対面!

サイン会大型フェスでは、大物アーティストたちのサイン会が行われることも少なくない。日本では規制が厳しくめったに写真撮影させてくれないが、ここ英国では肩を組んで写真を撮ることも、好きなものにサインを頼むことも可能だ。参加するアーティストと時間は当日サイン会場に張り出されるので、お目当てのアーティストに会うチャンスを見逃さないためにも、早めにチェックすることがおすすめ。人数制限があり1時間ほど前から列ができ始めるので、気長に並ぼう。

(写真上)2時間前から長蛇の列が できた「ロストプロフェッツ」(写真中)「ハイブス」のペレ・アームク ヴィスト(写真下)ファン・サービ スに努める「レイザーライト」のフロ ントマン、ジョニー・ボレル

フェス・トイレ事情今から心の準備を

熱気ムンムンのテントや長時間にわたる日差しの下でのフェス鑑賞では、水分補給が何よりも大事。いつも以上にビールも進んで、いい気分でライブを楽しむ……まではいいが、ここで頭をよぎるのが、フェス名物ともいえる「汚いトイレ」の恐怖。便座に触れなくても小用を足せる男性諸君には我慢してもらうとして、英国フェスならではのトイレを紹介するので、大和撫子の皆さま、ぜひ心の準備を!

簡易トイレ運に身を任せる「簡易トイレ」
工事現場でよく見かける洋式の簡易型トイレ。ここで挙げるなかで唯一手洗い場とトイレットペーパーが用意されている。しかし列は長く、汚さ加減は運によるとしかいいようがない。人気のあるバンドやトリのプレー中は待ち時間も少ないのでねらい目。

野放し系「紙コップ」
紙コップ柵で仕切られた一角に通されると、そこがトイレのスペー スになっている。しかし外からの視線は遮断されていても中はただの広場であることが多く、みんな思い思いにしゃがみ込んで、入り口で手渡された紙コップに用を足す。スカートの方が抵抗感はないだろうが、人目が気になる人や「こんなコップで足りるのか」と心配な人は、普通のトイレに並ぶのがベター。手を消毒するためのジェルが置いてあることもある。

みんなですれば怖くない「シンク型」
シンク型収容人数40人ほどのプレハブ小屋の両壁に沿って、小学校にあるトイレの手洗い場のような長い「シンク」が設置されている。たいていの人は壁に背を向けてシンクの上で「空気イス」の体勢で用を足す。また、スカート着用の人のなかには、壁に向かって「立ちション」するつわものもいる。足の筋肉に自信が無い人や、知らない人と隣同士で用を足す自信のない人は避けたほうが無難かもしれない。疑問が沸くほど無臭。

フェス体験談気になるホントを聞きました

なんといっても、やっぱり経験者に話を聞くのが一番!というわけで、人気フェスの洗礼を受けた彼女たちの体験談、お祭り騒ぎを最大限に楽しむ参考にしてみよう。

古谷さん名前:古谷知子
好きなジャンル:ファンク、ソウル、ジャズ
日本でよく行くフェス:ライジング・サンなど

去年と一昨年、ロンドンのフィンズベリー・パークで開催されたライズ・フェスティバルに行ってきました。このフェスは人種差別反対運動の一環で開催されているのですが、全部で7ステージ、それに移動遊園地などが揃っているのに無料!英国、特にロンドンでは、日本と違って無料ライブが多いのが嬉しいですね。
わたしは敷物を敷いて、お酒を飲みながらのんびり鑑賞するのが好きなのですが、好きなジャンルの時はステージ近くに移動したりと、やはり自分のペースでのんびり参加できるのがフェスの醍醐味。ゴロゴロ寝っ転がって鑑賞するも良し、ステージ前に行ってダイブするも良し。あのユルい感じが気に入っています。
あと、どのフェスもそうですが、日本に比べて年齢層がとても幅広いですね。家族連れも多いですし、日本よりもリラックスした雰囲気が漂っていると思います。いろんなジャンルのアーティストが一度に集まるからこそ老若男女を惹きつけるのだと思いますが、今まで知らなかった音楽に出会えるのでお得感もたっぷり。
世界各国の料理に音楽、酒、友だちとの時間、そんな全てがうまく融合されるのが英国のフェス。敷物、雨具、そして仲間がいれば、最高に楽しいひとときが過ごせますよ!

Rise Festival
7月13日(日) 無料 Finsbury Park駅
www.risefestival.org
林さん名前:林佳世
好きなジャンル:パンク、ロック
日本でよく行くフェス:サマー・ソニック

レディング・フェスティバルは前売り券が数カ月前に完売していたけど、運良く当日券がありました。念のためにニット帽とマフラーを持って行ったのですが、これが大正解。8月末でもやはり朝晩は冷え込むので、英国のフェスに防寒具は必需品です。
あと、英国のフェスはとにかくラインナップが多くて豪華。見たいアーティストたちが多すぎて移動に大変、という嬉しい悩みがよくあります。ま、そのわりに「音楽聴きに来てる?」と疑問に思うほど、まったりとビールを飲んで寝転がっている人が多いですけど。出演アーティストたちも、同じようにリラックスして会場をふらついているのも、日本のフェスとは大違いですね。
田中さん名前:田中智美
好きなジャンル:ロック
日本でよく行くフェス:サマー・ソニック

グラストンベリーに行ったのですが、まず感動したのは、赤ちゃんからおじさんまで、みんな思い思いに楽しんでいること。さすがヒッピーの聖地(?)というだけあって、日本のフェスとは違ってガッついた雰囲気もなし。見たいバンドを見た後は、マッサージを受けたり、開催地のご当地名物「スパイシー・ホット・サイダー」を飲んだりして、かなりリラックスして過ごしました。「これぞ英国フェス!」と思った体験は、キャンプを張ったフィールドの隣に、なんと「レディオヘッド」のトム・ヨークのティピ(インディアン式のテント)があったこと。挨拶する練習までしたのに、結局会えなかったことが唯一の心残りかな。
 
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