5月17日発行の本誌では、『「クジラを食べるな」その理由』と題した特集記事を掲載。捕鯨賛成派の日本を非難する英国の各環境団体へのインタビューを敢行したところ、読者の皆様からは記事内容に対する抗議を含めた大きな反響が編集部に寄せられた。中でも「日本政府の立場である捕鯨賛成派の意見も紹介するべき」との声が多かったため編集部ではその後、捕鯨を支持する英国の著名人を探すも、英国ではどの分野においても反捕鯨派が支配的であることが判明。取材を進めれば進めるほど、政府間だけではなく市民レベルにおいても認識の相違が顕著であることが明らかになった。今回は、捕鯨賛成派が多数を占めたニュースダイジェスト読者と、英国のいわば「知の権威」と目される2つの博物館に関係する英国人の意見を提示し、改めて捕鯨問題に関する日英の溝に焦点を当てる。 (本誌編集部: 長野雅俊)

「内容は事実に反することばかり」
5月17日号の捕鯨特集についてですが、ちょっと意見させていただきます。3ページにわたるインタビューの内容は事実に反することばかりです。
まずグリーンピースの「捕鯨再開はクジラを絶滅に追いやる」という主張は、クジラを一括りにすることで議論の対象をぼかしてしまいます。確かにシロナガスクジラは激減していますが、ミンククジラは100年前の10倍にも増えており、増えすぎたクジラがイワシやサンマなどを食い尽くすという事態も起きています。また鯨油だけ採って肉を捨てていたかつての英米の捕鯨ならば乱獲によってクジラが絶滅の危機にさらされることもあるでしょうが、日本のように食用に供する捕鯨では消費量に限りがあります。
次に「国際法に違反しているから」との論拠ですが、国際法に違反しているのは反捕鯨派です。国際捕鯨委員会(IWC)設立の根拠となっている「国際法」は国際捕鯨取締条約ですが、その条文は「捕鯨産業の秩序ある発展」を謳っており、この「国際法」を無視して反捕鯨派が一方的に設置した排他的な保護区に日本が従わなくてはならない必要はありません。さらにこの「国際法」の下で認められた調査捕鯨を、科学的な議論ではなくロビー活動によって妨害しようとするのも、ある意味で「国際法」を蔑ろにしているというべきではないでしょうか。
最後に「捕獲の仕方が残酷だから」とする動物愛護派の意見ですが、これはあくまで人間側の一方的な視点にすぎません。牛や豚は「慎重に管理された方法」で殺しているので問題ないというのは、人間の独りよがりの偽善ではないでしょうか。このような自己基準の押しつけには納得がいきません。
ロンドン在住: 清水健さん(通訳ジャーナリスト)
「捕鯨反対派に反対」
「捕鯨反対派」の主張があまりに不公平、一方的、偽善的であるから「反対派に反対」です。彼らは日本の「ミンククジラ800頭の調査捕鯨」がIWCにおいて賛成過半数を取って民主的に可決されたうえでの「IWC公認捕鯨」なのだ、という事実を隠しています。そもそも、クジラが絶滅寸前の危機に陥ったのは太平洋では米国、北海では英国とノルウェーの乱獲が原因であることは海洋学者の常識です。
1頭で日本の全人口が消費するのと同じくらいの量の魚を食べると言われるクジラが増えすぎれば、魚の量は当然減ります。そうなって得する国の筆頭は、商業捕鯨禁止以来、桁違いに増えてきている日本への牛肉や鶏肉の貿易などで儲ける米国でしょう。また、IWCで日本に味方しているアフリカやカリブ海の小国群が、主要産業であった捕鯨を禁止されてしまったがために、国際通貨基金(IMF)、つまり英米から借金する羽目になっている現状を見れば、捕鯨を禁止して一番利益を得ているのは「捕鯨反対派」の英米などであると分かります。
ロンドン在住: 日本人女性
「キツネ狩りは残酷ではないのか」
王室のキツネ狩りを止められない、闘牛は文化なので牛を剣でじっくり殺す行為は残酷ではないと語っている国々に、残酷であるからという理由で捕鯨禁止とは言って欲しくないです。
(住所、氏名不明)
「英国人と口論になったことも」
ロンドンの美容室で働いているのですが、そこで捕鯨問題やクジラを食べる日本人について実際英国人と口論になった事がありました。捕鯨問題については今まで関心が無かったので、しっかり自分の意見を言う事が出来 ず、今回この記事を読んで勉強が出来ました。
ロンドン在住: 岸田まりこさん(美容師)
*本特集に対してたくさんのお便りをいただき誠にありがとうございました。全て目を通させていただきました。今後とも誌面についてご意見やご感想などございましたら、 このメールアドレスは、スパムロボットから保護されています。アドレスを確認するにはJavaScriptを有効にしてください までご連絡ください。

『「クジラを食べるな」その理由』と題した特集の掲載後となる5月29日から3日間にわたって、国際捕鯨委員会(IWC)総会が開催された。同会において日本を始めとする捕鯨推進派は国内4地域での沿岸捕鯨を含む商業捕鯨の再開を提案したが、英国などの反捕鯨国による非難を浴びるなどして会議は紛糾。日本政府は、会議終了後にIWCを脱退する可能性をも表明した。
写真)IWC総会を前に、商業捕鯨反対を訴えデモ行進する環境保護団体のメンバー
英国の「知の権威」が語る捕鯨問題 ①
ロンドン博物館グループ 社会・労働・港史統括責任者
アレックス・ワーナーさんの主張
英国は、ハワイと日本の中間点となる海域で捕鯨を行っていました
―現在は反捕鯨国として日本を始めとする捕鯨国を非難している英国ですが、かつては英国も捕鯨活動を大規模に展開していましたよね。英国における捕鯨の歴史はどれくらい古いのですか。
研究者たちの間では、イングランドやスコットランドを侵略したヴァイキングたちが9世紀から10世紀にかけて既に捕鯨活動を行っていたと考えられています。また少なくとも1598年の時点で捕鯨活動を円滑に行うために船を改造したとの記録が国内に残っていて、18世紀になると英国の主要産業になりました。だから英国は、捕鯨に関しては非常に長い歴 史を持っていると言えるでしょうね。元々はオランダから伝わった習慣ではないか、というのが有力な説です。
―英国における捕鯨活動は、どのように行われていたのでしょうか。
捕鯨活動が最も活発に行われた18世紀には、当時英国の主要港であった英国北部の都市ハルとロンドンが2大拠点となっていました。この2地点から年間何百という単位で捕鯨船が出航し、大きく分けて2カ所に向けて旅立っていったのです。1つはグリーンランドや、カナダ沖のデービス海峡といった北方の海。もう1つは南方の海で、太平洋や南米の海岸部、そしてハワイと日本の中間点となる海域でも捕鯨を行っていました。
今でもロンドン東部のドックランズ地域には 「Greenland Dock」と名付けられた船渠(せんきょ)があります。 この場所から多くの捕鯨船がグリーンランドに向けて出発していたので、その名残ですね。
写真右)ロンドン東部には「Greenland Quay」と名付けられた道もある
鯨油は産業革命期の英国において非常に重要な役割を果たしていました
―捕獲したクジラは、どのように利用していたのでしょうか。
当時の英国人が使ったのは、クジラの皮や骨から採取される鯨油です。捕獲したクジラの脂肪を船上や波止場の縁で煮沸して鯨油を抜き取り利用していました。
採られた鯨油は、主に屋内や街頭を照らすランプの燃料として使われていました。また繊維産業で利用する織機に塗る潤滑油としても重宝されたようです。そういった意味で鯨油は、産業革命期の英国において非常に重要な役割を果たしていたと言っていいでしょう。
ただ日本人のようにクジラの肉を食するという習慣はありませんでした。食用として利用した唯一の例外が、パンなどに塗るマーガリンですね。今や世界的なブランドとなった家庭用品メーカーのユニリーバ社は1930年代、販売製品であったマーガリンの原料として鯨油を使っていたようです。
かつて捕鯨産業に携る者は勇者として賞賛さえ受けていました
―それではなぜ、英国は捕鯨を止めたのでしょうか。
様々な理由が挙げられるでしょう。1つは、乱獲によってクジラの生存数が激減し、絶滅の危機にさらされてしまったこと。それからランプの燃料にしてもマーガリンにしても、鯨油に代わる材料が開発されたこと。ホエール・ウォッチングが人気を集め出したこと。英国人が動物好きであることも大いに関係していると思います。またテレビのドキュメンタリー番組などの影響で、自然環境が危険に脅かされている実態が知られるようになったり、実はクジラが可愛くて、そして知能が高い動物であるとの認識が広まってきたりしたことも一因です。英国人が捕鯨活動を残酷に思うようになったというのも大きな理由の一つだと思います。
―それまで捕鯨活動を大規模に行っていた英国人が 「捕鯨は残酷である」と思うようになったのはいつ頃のことでしょうか。
20世紀の中頃だと思います。19世紀の米国人作家ハーマン・メルヴィルが「白鯨」という作品を残していますが、ここで描かれているのは、危険に溢れた状況に立ち向かう勇敢な行為としての捕鯨活動です。このように、かつて捕鯨産業に携る者は勇者として賞賛さえ受けていました。ただ当時の一般市民はクジラの生態や、捕鯨活動が残酷であるという実態を知らなかったのです。近年になってこういった残酷な部分がテレビなどで放映されるようになり、そうした映像にショックを受けた人が多くいるのではないかと想像します。

ドックランズ博物館に展示されて
いる捕鯨の記録帳
© Museum in Docklands
1802年にロンドンで初めて作られた船荷専用倉庫の跡地に出来た博物館。捕鯨活動を始めとするロンドン近隣の海洋史やテムズ河周辺で生きた人々の生活を、膨大な資料と貴重な展示物を使って紹介している。

West India Quay, Canary Wharf
London E14 4AL
Tel: 0870 444 3855
入場料: £5
www.museumindocklands.org.uk
英国の「知の権威」が語る捕鯨問題 ②
自然史博物館出版 「Troubled Waters」著者
サラ・ラザラスさんの主張
80種類に及ぶクジラのうち、ほとんどの生態がいまだ明らかになっていません
クジラの生態研究を行うのは難しいのです
―商業捕鯨が禁止されてから、クジラの生息数が回復したという説、一方ではいまだに絶滅の危機にあるという説があります。一体どちらの言い分が正しいので しょうか。
現在全部で80種類ほどのクジラ目に属する動物が確認されていますが、それらのうちほとんどの生態がいまだ明らかになっていません。ただ数は少ないですが、科学的な調査記録として残っているものもあります。
例えばタイセイヨウセミクジラは、人間が頻繁に利用する航路の近くに生息しているので、漁船の網にかかってしまったり、船に衝突するなどの事故に遭ったりした結果、生存数は300ほどまで落ち込み、現在は絶滅の危機にさらされています。コククジラは東太平洋では急激な回復を見せて生息数は2万1000頭まで回復、一方で西太平洋では海底油田開発などの影響を受けてその生態系は危険にさらされています。
議論が真っ二つに分かれているのが、ミンククジラです。日本鯨類研究所が南氷洋に76万頭のミンククジラが生息していると発表している一方で、国際捕鯨委員会はその半分程ではないかと見積もっています。*1
*1: 1990年のIWC科学委員会では1982/83~88/89年におけるミンククジラの推計生息数を76万1000頭として合意。しかし近年になってこの数字に疑問を呈す英国人科学者たちが現れ始めたため、クジラの生態に関する議論の混乱に拍車を掛けている。
―科学者の間でもクジラの生息数を巡っては議論が分かれているようですが、これはなぜでしょうか。難しいというのが一番の理由だと思います。クジラは沖合いで生活していますし、行動範囲も広く、またほとんどの時間を水面下で過ごしています。ただ最近になって衛星システムを使った追跡調査や、深海でも使用できるビデオ・カメラ、特製の針を使って皮膚や脂肪のサンプルを抽出する方法、DNA鑑定法なども出ているの で、研究は確実に進歩していると思います。
そういった意味で、日本のように必ずしもクジラを捕獲せずとも多種の科学的調査を行うことは可能です。例えばクジラが何を食べているかを知るには、クジラの胃を開かなくても排泄物を調べることで分かるはずです。
クジラと人間が同じ魚を食い合うということはないというのが、私の考えです
―クジラの生息数が増加していることにより、人間が食用とするその他の魚の数が減っているとの議論がありますが、これに関してご意見をいただけますか。
日本の捕鯨活動の対象となってきたミンククジラやザトウクジラは、オキアミなど甲殻類を食べています。その他の種類のクジラにしても、人間が食用とする魚を食べるということはない、ゆえにクジラが増えたから食用の魚が減るという図式は成り立たないというのが私の考えです。*2
*2: ラザラス氏は「クジラはまだ人類がまだ誕生していない約5000万年前から存在している生物。人間が捕鯨活動を行わないとの理由で、生態系が乱れることはない」とする。この主張はクジラの生息数増加が原因となり人間が食用とする魚の数が近年減っているとする捕鯨賛成派の意見と真っ向から対立することになる。
―捕鯨が残酷であるとの意見もよく聞きます。捕鯨に限って残酷な面があるとお考えですか。また痛みや残酷性を科学的に計測する方法はありますか。
少なくとも現在のところ、科学的に痛みを測定する方法は存在しません。ただ捕鯨は残酷だと思います。捕獲するまで長時間にわたって追い掛け回してクジラに多大なストレスを与えますし、銛が打ち込まれてから死を遂げるまでに1時間以上もがく時もあります。また鹿のように敵対する捕獲動物の存在に慣れていないという面もあります。ただ一方で促成養鶏舎に代表される近代的農業も残酷であるとも思いますし、どちらがより残酷であるか、というのを判断するのは非常に難しいと思います。
クジラの知能が高いかどうか、という質問に答えるのは非常に難しいです
―クジラは知能が高いという意見も時々耳にしますが、科学的に見てどうですか。
人間とクジラの棲む環境は異なり、知能の構造も全 く違うものなのでその質問に答えるのは難しいです。そもそも人類においても特定の人間が果たして知能が高いかどうか、という質問に答えるのさえ非常に難しいですよね。ただ例えばクジラはエサを探す時に仲間同士で協力し合ったり、複雑なコミュニケーションを取ることが可能だったり、社会的な関係を構築したり自意識を持つなど「知能が高い」と示唆できるだけの能力を持ち合わせていることは確かです。
―賛成するにしても反対するにしても、捕鯨問題はなぜここまで議論が分かれてしまうのでしょうか。
過去、実際に絶滅の危機にさらされたことがあるというのが一番大きいのでしょうね。また牛や鶏のように家畜動物ではないので、食用にすることに対して見解が分かれるという面もあるのだと思います。
サラ・ラザラス
ロンドン中心部に立つ自然史博物館、科学博物館所属の自然科学ジャーナリスト。オーストラリアのメルボルン大学名誉客員教授。著書に「Troubled Waters~The Changing Fortunes of Whales and Dolphins~」など。
右写真)サラ・ラザラス氏著書の 「Troubled Waters」。 クジラの生態や捕鯨の歴史などについて著した
www.britainonview.com
17~18世紀にかけて陸軍軍医総監として活躍した ハンス・スローン卿のコレクションをもとに、大英 博物館の一部門として出来た博物館。館内には4億 点に上る動植物の標本が存在しており、クジラに関 する展示もある。
Natural History MuseumCromwell Road London SW7 5BD
Tel: 020 7942 5000
入場料: 無料
www.nhm.ac.uk



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ゴードン・ブラウン首相(56)

ジャッキー・スミス内務相(44)
アリスター・ダーリング財務相(53)
デービッド・ミリバンド外務相(42)
エド・ボールズ児童・学校・家族相(40)
ダグラス・アレキサンダー国際開発相(39)
ジェームズ・パーネル 文化・メディア・スポーツ相(37)
ジョン・ デナム 革新・大学・ 職業技術相(54)
ショーン・ウッドウォード 北アイルランド相(49)
ハリエット・ハーマン下院院内総務(57)
ヘーゼル・ ブリアーズ コミュニティー・地方自治相(51)



5月末から自然史博物館で始まったこのスペシャル・エキシビションは、入場者全員が南極探検隊の一員となって、いろんなチャレンジをこなしていくというもの。-10℃というレアな世界を体験できたり、実際に南極探検で使われていた道具を見学したり、知っているようで知らない極地に関するクイズやゲームに挑戦したり、始めから終わりまで興味津津!テレビや映画でしか見たことのない南極の世界、果たして何人がサバイバルできるのでしょうか!?
凍ったバナナで釘も打てる
かわいいあの子の離乳食は? 
寒い&怖いは当たり前……?

乗りこなせれば天下無敵!
ここで展示されているのは、実際に南極で使われていたスノー・モービル。しっかりしたシートで、乗り心地バツグンです。運転に特別な免許はいらないそうなので、この機会にコツを覚えてしまっても良いのでは?ちなみに、深く積もった新雪の中を運転するのが一番難しいそう。
リサーチ・ステーションでは、体験隊が実際にどんな部屋で生活し、仕事をするのかが学べます。お店も、テレビも、車も、病院もない、地球で最も孤独な大陸、南極。若き隊員見習いたちは、ここで無事に1年を過ごせるのでしょうか? 
実際に英国陸軍で支給される非常食をもとにつくられたサバイバル・パック。アルミニウムの袋は、直接火にかけることもできる。中身は栄養価の高いエナジ ー・フード、コーヒー・セットなど
アデリー・ペンギンの白と黒を強調したかったのだろうけど……。大胆な発色のこの飴は、クロスグリのフレーバー。もちろん舌や唇にも着色するので、舐める時は気をつけて
ロンドン中心部からさほど遠くない場所に、本格的な遊園地があるのはご存知ですか?500エーカーもの広大な敷地に、25以上もの乗り物やアトラクションがぎっしり詰まったソープ・パーク。ここでは、絶叫系アトラクションを制覇しなくては気がすまない「上級者」や、恐いもの見たさでマイペースに楽しみたい「中級者」、そして小さなキッズたち「初級者」が、皆それぞれ満足できること間違いなし。日ごろのストレスや「なぜ夏が来なかったんだ……」という憤りを、アウトドアで思う存分発散しちゃいましょう!
ほぼ90度!を時速130キロで急降下!


バンジ-&逆バンジ-に挑む 


⑦ Ribena Rumba Rapids
⑧ Mr. Monkey's Banana Ride
⑨ Sea Snakes And Ladders
世界中で愛される人気キャラクター、機関車トーマスとその仲間たち。チビッコなら誰もが、あの青い列車に乗って、シュッポ、シュッポと風を切って走るシーンを心の中に抱いているはず。そんな子供たちのイマジネーションを実際に叶えてくれるのが、このイベント。英国各地のヘリテージ・レールウェイに、サー・トーマス・ハットやファット・コントローラーをはじめ、おなじみの機関車たちが勢ぞろい。トーマスとディーゼルのレースやさまざまなアトラクションが繰り広げられるほか、もちろん、実際に乗り込むのもOK! 本物の蒸気機関車に乗れるなんて、大人もワクワクの新鮮な感動に出会えるはずですよ。
ブロックと言えばレゴ! 何百個、何千個、何万個もの小さなブロックを組み立てて、実にさまざまなモノを造りだしてしまうあのレゴ・ワールドは、お見事!うちの子も、こんな無限の想像力があったらなぁ……。それなら実物に触れるのが一番ということで、ここレゴランドで1日たっぷり遊びましょう。まず、目を見張るのが、約4000万個のレゴを使って再現されたロンドン。ビッグ・ベンもロンドン・アイも実によくできていて、思わずじーーっと見入ってしまう完成度の高さです。ほかにも、レゴでできた電動自動車やローラー・コースターなど「乗って楽しむレゴ」あり、レゴのスタッフの指導に沿って「作って楽し むレゴ」ありの充実ぶりです!
普段は都会の雑踏の中を走らせているマイカーに乗って、そのまま、さまざまな動物たちが暮らすサファリ・パークへ!窓の外、背の高~いキリンに手を振ったかと思いきや、ふと気づけば、あわやライオンが大接近!?はたまた、クマやオオカミが走ってついてきたりして、まさに野生の王国にワープしたかのような感動を味わえます。飼育スタッフの話を聞いたり、実際に動物たちと触れ合ったりできるほか、鳥のフライング・ショーなどさまざまなアトラクションもお楽しみ。また、このサファリ、実はWoburn Abbeyという美しいカントリー・ハウスの付属施設で、他にもゴルフ場や豪華なアコモデーションなども。せっかくなら、泊りがけで出かけたい一大スポットです。
普数あるプラネタリウムの中でも、グリニッジ天文台で繰り広げられるそれは、世界でも随一!最新のデジタル・レーザーでドームいっぱいに映し出される満点の星空は、本物を凌ぐ迫力で、思わずため息ものの美しさ。そこへ現役の天文学者が星の誕生からその死まで、ドラマティックなストーリーの語り部となって、宇宙探検の旅へ連れて行ってくれます。さらに、メイン・プログラムの後には、さまざまな疑問・質問に分かりやすく答えてくれるというおまけつき。キッズの知的好奇心が満たされるのはもちろん、大人にとっても、小さな悩みなんて吹き飛ぶほどの壮大な世界に夢がふくらみそう。
映画に出てくるクールなスパイを見ては、私もスパイになりたい!な~んて憧れてた子はいない?はい、なってくださいスパイに!というのが、サイエンス・ミュージアムで行われているこのエキシビション。まずはスパイ・メーカーに雇われ、暗号の解読法や変装の仕方、嘘の見極め方など、スパイに必須のスキルを修得。そして、本格的なスパイ道具を持たされ、闇の組織の実態を暴くために、いざ出陣!しかし、敵もなかなか手強くて、最新のセキュリティ・ガードをはじめ、あの手この手でスパイの侵入を防ごうとする……。さあ、あなたは無事ミッションを成し遂げ、ファイナル・ステージまで進めるか!?
ガーデンハットやサングラス、プリントTシャツなどのオリジナル・ウェアを作ったり、顔にペインティングをしておちゃめな昆虫に変身したり、顔はガードして 蜂の巣を見学したり、併設のガーデンで採れたハーブでパンやビスケットを焼いたり……。夏休みのキッズたちに、とっておきのお楽しみとなりそうなのが、ここGEFFRYE MUSEUMで開かれている「サマー・ホリデー・アクティビティ」。下は3歳から上は15歳まで、年齢別に考えられたワークショップは、実にさまざま。なかでもアート・クラフト系は充実で、世界でたったひとつのモノをつくれ ば、夏休みの課題にもぴったり。
爽やかな風に吹かれて、パッカ、パッカ、パッカ……。大人でも一度は挑戦してみたいと思う、上品で優雅な乗馬。でもご存知ですか?実はこれ、普段は使わない筋肉を使うので、見た目よりも意外にハードでいい運動になるんです。今年の夏は、天気もパッとしなくて気分も晴れないという人たち、親子そろって挑戦してみませんか?しかも、ロンドンのど真ん中、ハイド・パークでトライできるというのだから、お手軽さも満点。未経験でも、スタッフの丁寧なレッスン(有料)があるので大丈夫。無邪気で純粋なキッズたちは、大人より案外すんなり乗りこなしそうですね。
ロンドンのテムズ河東部から、エセックス、フォートフォードシャーまで50キロ以上にも延びる広大な公園が、ここリー・バリー・パーク。豊かな自然の中、魚 釣りやボートなど、水辺のアクティビティが充実。また、敷地内の散策に出かけたいなら、便利なレンタサイクルがおすすめです。都心の真ん中とは違う新鮮な 空気に、大人の方が気分すっきり癒されそう。また、グリルの貸し出しもあるので、食材を準備していけば、緑に囲まれた公園の中でバーベキューを楽しむこと も可能。大自然の中、思い切り体を動かして、おいしいものを食べて遊べば、親子のコミュニケーションもぐっと深まりそうですね。
1989年7月、BPは陸軍省より、第二次ボーア戦争最中のアフリカに赴く命令を告げられる。豊富な金の鉱脈を巡って南アフリカのトランスバール共和国と争ったこの戦争でBPは、「マフェキングの包囲戦」と呼ばれる戦いに参加。8000人以上の敵軍に、200日以上にわたって包囲されるという事態に見舞われた。

BPは、子供たちを4組のグループに分け、8日間にわたって共同生活を送らせた。キャンプ活動の内容は、テントの張り方や地図の使い方の講習、野生生物の観察、救助法や愛国心の勉強など。それらすべての学習には「体験重視」という方針が貫かれていた。ボーイスカウト運動について述べる際、「すべての子供たちに、彼らの方法でいいから自分で火を起こさせろ。失敗したことが分かったら、今度は正しい方法を教えて、もう1回試させるんだ」と再三にわたって語ったように、BPは子供たちが自分たちで失敗を体験することが重要だと考えていた。そして失敗の中にこそ教育の本質があるというのが、彼の思想であったのだ。
1908年になると、BPは後に聖書、コーラン、毛沢東語録に続く20世紀のベストセラーとなる「Scouting for Boys」という名の本を出版する。6部構成のこの本においては、まずボーイスカウトの心得とでも言うべきものが、騎士道、アフリカ民族の風習など多彩な例を挙げながら説明されている。そして意外にも日本に関する記述も多い。日本の武士道、柔術の思想を称えながら、寒風摩擦の効用などを説いている。文章中では日本人を「Jap」と呼んでいるところに時代を感じる。

エディンバラを訪れた多くの人が知らないうちに通り過ぎている、グレーフライアーズ・カークヤード(Greyfriars Kirkyard)のすぐそばに立つ犬の銅像。グレーフライアーズ・ボビーと呼ばれるこの犬は、実はエディンバラ版の「忠犬ハチ公」なのである。
エディンバラの街の喧騒に疲れたら、ちょっと足を伸ばしてウォーキングに出かけるのはどうだろう。そこでお勧めなのがウォーター・オブ・リース・ウォークウェイと呼ばれる川沿いの遊歩道。エディンバラを経由して海まで続いている長い道になっている。今回取り上げるのは、エディンバラ市街からスコットランド国立近代美術館とディーン・ギャラリーへと向かうルートだ。 ウォーキングはニュー・タウンの北西から始めるのが良いだろう。この遊歩道に足を踏み入れると、石造りの街並みが続くエディンバラ市街とはうって変わり、自然の息吹が感じられる。そして上流に向かって進んでいくと、川沿いに立ち並ぶ古い建物群が視界に入ってくる。ここはディーン・ビレッジ(Dean Village)と呼ばれる、穀物製粉の村として800年以上も続いた由緒ある歴史的な集落。絵のように美しい光景は、格好の写真撮影スポットだ。さらに川のせせらぎを聞きながらのんびり先へと歩いていくと、スコットランド国立近代美術館にたどり着く。川沿いのウォーキングはここで終了。
ハート・オブ・ミドロジアンは、ロイヤル・マイルにあるセント・ジャイルズ教会(St GilesCathedral)の西側のドアのそばにある舗道に施されたハート型のモザイク模様。この場所にはかつてTolbooth of Edinburghと呼ばれる建物があった。ここはかつてエディンバラの政治の中心であった一方で、牢獄もあり、公開処刑が行われたいわくつき場所でもある。
エディンバラというと英国を代表する古都だけに、どうしてもホリールード宮殿やエディンバラ城といった歴史的なスポットに足が向きがちになるのはやむを得ないところ。しかし今、エディンバラは大きく変わりつつある。その変化の一番の象徴として挙げられるのが、スコットランド議事堂だ。この建物は、1997年にスコットランド自治の象徴として議会の開設が認められたことにより建設されることになった。そういう意味では、スコットランドの人々にとって最も重要な建物といえるのではないだろうか。
エレファント・ハウスは、エディンバラにあるカフェ。このカフェを特に有名にしたのは、ハリー・ポッターの作者として知られるJ・K・ローリングが、シリーズの第1作「ハリー・ポッターと賢者の石」の原稿をこのカフェで書いたと言われているからである。
映画「ダ・ヴィンチ・コード」の舞台の一つともなったロスリン・チャペル(Rosslyn Chapel)。500年以上にも及ぶ歴史を持つこのチャペルは、他の教会とは全く異なる雰囲気を醸し出している。バラ十字団のシンボルであるバラと十字架で装飾されたこのチャペルで、特筆すべきは、内外に施された彫刻である。キリスト教から異教に至るまで、その彫刻の精巧さ、多様さは見るものを圧倒する。
1861年11月24日、ロイヤル・マイルに面していた築250年の長屋が突然崩れた。その長屋に住んでいた35人の住人が死んでしまうという悲劇だった。ところが、建物の残骸を片付けていたところに崩壊した建物の間から、少年の叫び声が聞こえた。「Heave awa' chaps, I'm no'dead yet".」彼は無事に救出され、崩壊した場所にあたるペイズリー・クロース(Paisley Close)には少年の胸像と言葉が残された。
シャーロック・ホームズの作者コナン・ドイルがエディンバラ出身で、エディンバラ大学で医学を学んだことはよく知られるところ。さて、ロンドンのベーカー・ストリートと同様に、ここエディンバラにもシャーロック・ホームズの銅像が建っている。実はその銅像の建っている場所は、ドイルの出生地のすぐそば。近くには「コナン・ドイル」と名づけられたパブもあり、地元出身の名士を称えている。
例えば、エディンバラ城は、3億年以上前に火山の爆発によってできた丘の上に建てられている。またロイヤル・マイルから見える、標高250メートルのアーサーズ・シート(Arthur's Seat)と呼ばれるこの丘もかつては火山だった。
ツアー観光客が知らない、エディンバラの奥深さを紹介してきた今回の特集。でも夏のエディンバラといったら、誰もが知っているエディンバラ国際フェスティバルはやっぱり外せない。フェスティバルが開催されている期間には、人口が約2倍に膨れ上がるとか。今年も世界中から一流のアーティストがこの街に大集結。約3週間にわたってオペラ、ダンス、クラシック・ミュージックそして演劇などの様々なイベントが目白押しだ。
オーガニックを選ぶ理由
オーガニックを選ばない理由
1946年に創設された英国で最も古い認証団体。EUの規定を上回る独自の厳しい基準を設定しており、国内のオーガニック製品のおよそ80%を管理している。公認チャリティー団体として、個人の寄付や団体の負担金で賄われており、オーガニック農法への転換のサポートや、農場検査、学校給食の見直しプログラムを考案するなど、オーガニックの普及に大きく貢献している。

英国を始め欧米では、オーガニックの概念が普及していて、体や環境に良いものを求めていますが、日本では、オーガニックに対する知識がまだまだ浅く、全体的に品質よりも価格が重視される傾向がありますね。個人主義と集団主義の違いもあるのかもしれません。欧米人は良いと思えば1人でも始めるけれど、日本人はみんながやらないと、なかなか始めないところがありますから。
私は、いつの日か一般の食卓にオーガニック食品が当然のように並べば良いなと思っているんです。需要が増えれば、オーガニック農場も拡大しますし、子孫に美しい自然環境を残すことにつながりますからね
英国では、80年代後半の狂牛病(BSE)、さらには2001年の口蹄病の流行により、食の安全性に対する関心が一気に高まった。2006年の売上高は前年比30%の成長。値段よりも質を重視する消費者の最近の傾向を受け、年々オーガニック専門店が増えている。
英国人歌手スティングの邸宅「Lake House」の約60エーカー(24万平方メートル)の敷地では、オーガニック野菜や果物の栽培のみならず、豚や魚などを飼育し、チーズや蜂蜜も作られているという。約半年は、家族6人が自給自足で生活できるほどだとか。スティング夫妻は、農薬が自然環境に悪影響を及ぼしていること、またその毒性が消費者にほとんど知らされていないことを懸念してオーガニックに興味を持ち始めたという。妻のトルーディー・スタイラーさんは「Cooking from Lake HouseOrganic Farm」という本を出して、自らのオーガニック生活と様々なレシピを紹介している。

1981年に当社が、英国初のオーガニック成分を配合したコスメ商品を販売し始めました。まだその時代は、オーガニックという言葉ほとんど知られておらず、周囲の反応は薄かったですね。1992年に、ソイル・アソシエーションが初めてオーガニックの認定基準を設けましたが、対象となったのはエッセンシャル・オイル(精油)のみ。その後、2002年にようやくクリームなどのコスメも対象とした基準が作られ、商品が認証されると一気に知られるようになりました。他社に関しては、ここ5年以内くらいにできた新しい会社が多いです。
合成の化学薬品には発ガン性物質が含まれているものもあり、実際に見た目には分からない有害性があります。化学調味料と人工添加物だらけの食事と無農薬で作られた安全な食事、どちらを選ぶかということと同じだと思うんです。また、1つ1つのコスメに関しては実験が行われていても、複数を同時に使用した時に人体にどのような影響がでるかは、分かっていないのです。
オーガニック・コスメのお店は、女性客が大半を占めるが、よくよく見てみると、シェイビング・クリームやビタミンを配合した石けんなど所狭しと男性コスメもしっかり並んでいる。何でも、最初は彼女や奥さんに連れられて来店する男性が多いようだが、そのうち1人でも買いに来る人が結構いるそう。ハリウッド・スターたちの間でもオーガニック・コスメは愛用されていて、ジョニー・デップやロビー・ウィリアムズなどがニールズ・ヤードレメディーズのお得意様だとか。

綿花栽培は多くの途上国で、人々の重要な収入源となっています。しかし、一般の綿花の栽培には、大量の農薬が使われ、そのため年々土壌が弱ってしまうんです。収穫量を減らさないためには、さらに多くの農薬を購入せねばならず、そのせいで借金地獄に陥いり、地域によっては多数の自殺者が出ているのです。オーガニック農法を促すことは、そういった人々を救えると同時に、水質汚染なども防いで環境保全にも役立ちます。
日本には、ものを粗末にすることに罪悪感を抱く「もったいない」という概念が根付いていますし、健康や環境に良いライフ・スタイルに移行しつつありますね。一方英国では、この数年、特に環境問題への意識が強く、企業はそうした問題への配慮なくしてビジネスを行うのが難しいほどです。
一般のコットン栽培には、大量の農薬が必要とされると言われているが、それでは農薬を使わず、代わりにどのような手法によってオーガニック・コットンが作られるのか左記の図で比較してみた。
少し前まで、パジャマや肌着、ベビー服と商品があまり選べなかったオーガニック・コットンだが、有名デザイナーとのコラボレーションで発売されたTシャツなどが話題を集め、一般に知られるようになった。例えば、ピープル・ツリーでは、東京、原宿とロンドンのオックスフォード・ストリートにあるTOPSHOPなどで、機能性だけでなくデザインも優れた商品を展開するなど、オーガニック・コットンは新しいファッション・トレンドになりつつある。



ジェレミー・パックスマン
「視力を失ったのは、30歳になってからなんです」。低音でよく響く声が受話器の向こう側から聞こえてくる。声の主は、マイルズ・ヒルトン・バーバーさん、58歳。職業、冒険家。BBCはかつて彼を「世界で最も勇敢な全盲の冒険家」として取り上げたことがある。実際、その経歴たるやすごい。イギリス海峡を横断飛行した初めての全盲パイロット、視覚障害者として初めて2万フィートの高度を突破、さらには南極大陸をソリで横断、ウルトラ・マラソンと呼ばれる過酷な砂漠レースに出場、そしてアフリカ大陸の最高峰キリマンジャロ征服などなど。「目が不自由な」という枕詞なくしても、聞く人が十分感嘆してしまうだけの冒険を重ねてきた人物だ。
マイルズさんの冒険家デビューは、50歳と遅咲きである。それまでは、英国に留学したり、故郷ジンバブエに戻って化学薬品会社の営業部で働いていたりしていた。一般の社会人がそろそろ定年を意識し始める年齢で、なにゆえに冒険家になったのか。その理由は時を同じくして視力を失った、兄のジェフリーさんが大きく関係している。
いくつもの冒険を成功させているうちに、やがてパイロットになりたいという、幼い頃の夢が甦ってくる。そもそも、日本などで利用されている最新航空機の運転は、その大部分がコンピューター管理によって行われている。彼がEメールを読むように高度や燃料メーターなどの記録を音声化し、航空機の運転を管理できる機能さえあれば、目が見えなくても空を飛べるはずだと思った。
約2万1000キロに及ぶ今回の飛行旅行についての思い出話が始まると、口調が極端に早くなる。冒険家特有の武勇伝の数々が、非常に爽快に流れていく。「マレーシアで暴風雨に吹かれて、地上数百メートルまで急降下したことがあったんです。肝心の視覚障害者用コンピューター・プログラムが雨でびしょびしょになってしまい動かなくなってしまった。雨が顔に激しく打ち付けて、そりゃもう大変でしたよ」。声のトーンで判断する限り、大変そうというよりはとっても楽しそうである。
今回の旅には、機内の音声機能が故障した場合に備えて、文字通り自分の目となってくれる仲間が同乗していた。ロンドンからキプロスまでと、そしてキプロスからオーストラリアまでそれぞれ1名。彼らが、コックピットから何が見えるかをマイルズさんに教えてくれた。どんな風景が見えて何を感じるかを、空の上で仲間と話し合う。そんな毎日を過ごしたマイルズさんを、空の下では子供たちが待っていた。「インド、パキスタン、バングラディッシュでは、目の不自由な子供たちがたくさん私のことを待ち受けていました。まるで空から降りてくるサンタクロースになったような気分でしたね」と、照れるように言った。
さて、マイルズさんは冒険家としてだけでなく、ビジネス・コンサルタントとして企業向けに講演活動も行っている。そこで彼は「Never give up」「Think big to achieve big」といった言葉を使って、聴衆を鼓舞している。正直なところ、ちょっと気恥ずかしい言葉だと思う。でも、こちらが気後れするぐらい前向きで、しかも強い意志を持つ彼のことだ。自分の信念について、ちっとも疑いを持っていないのだろう。
東京に本社を置く日系電気メーカーで欧州担当を務めている高田さんは、今年4月から英国支社に赴任。現在は専業主婦の妻と地元の小学校に通う娘2人と共に、ロンドン西部イーリングに在住している。正式な駐在期間は未定だが、恐らく3~5年となる予定。日本では株売買などをしたこともあり、英国の金融商品に興味あり。また日本には預金が2000万円ほどある。
日本の大学を卒業してすぐに、英語とモダン・アートを学ぶために渡英した山口さん。日本で大学生だった時に一生懸命貯めた100万円の留学資金と、実家から入金される毎月10万円の仕送りを使ってロンドンでの限られた時間を精一杯満喫しようとしている。少なくともビザが切れるまでの1年間は英国に滞在する予定。
日本からのポンド建て送金は、円からポンドへの為替レートと手数料によりコストが決定されます。為替レートは公示仲値
日本で数年のキャリアを積んだ後にロンドンに渡英し、半年間のバイト期間を経てついにフルタイム採用となった田口さん。労働者ビザを取得したため、最低5年間は英国に滞在する予定で、場合によっては永住者ビザに切り替えて今後の人生を英国で過ごすことも検討している。英国と日本に貯金が少々あり、日本で加入した生命保険にまだ入っている。
当初は大学院生として渡英した信子さんは、その後ロンドンの証券会社で数年のキャリアを積んだ後、20年前に職場で出会った英国人と結婚。現在はフリーランスの通訳として活躍する一方、18歳の息子と15歳の娘を持つ主婦の役目もこなしている。在英25年、持ち家に住んでおりその住宅ローンは夫が毎月返済している。今後は英国に永住する予定。

英国並びに英連邦の元首にして、英軍、英国国教会の長。国会の開会や新たな法律を裁可する権限も(形式上とは言え)持っているし、クリスマスだって、あの毎年恒例のメッセージがなければとりあえず英国のクリスマスとは言えない(?)。そう、無表情で冷たい印象だとか、声が素っ頓狂とか洋服と帽子の色がまぶし過ぎるだとか何だかんだ言われつつも、英国のトップの座に君臨し、今でも多くの国民にとって心の支えになっているのがエリザベス女王なのだ。「ストイック」と形容できるほどの仕事に対する強い義務感と、その存在が醸し出す風格で、「エリザベス女王がいたからこそ、チャールズ皇太子やアンドリュー王子の離婚などでスキャンダルまみれだった時期も王室は威厳を保つことができた」と言われるほど。高齢のため公務はチャールズ皇太子とカミラ夫人にかなり任せるようになっているものの、周囲のスタッフによると、「生存中の退位は全く考えていない」という。そんな女王が若き日に恋に落ち、わずか21歳で恋愛結婚したのがフィリップ殿下。ギリシャ及びデンマークの王家であるグリュックスブルク家出身で、女王のはとこに当たる。「失言殿下」の異名を取り、中国訪問時に英国人留学生に向かって「これ以上長く滞在していると、目が細くなっちゃうよ」と言ったのを始め、オーストラリアのアボリジニの人たちに「まだ、槍投げてるの?」と質問するなど、世界各地で放言しまくっていることでつとに有名。数年前マンチェスターに行った際は、宇宙飛行士になりたいというちょっと太めの13歳の少年に対し、「痩せればなれるよ」と言って泣かせたとか。横で赤くなっていた女王の顔が目に浮かぶようだ。
不倫、離婚、元妻の死で奈落の底に落ちたイメージも近年はかなり改善した感のある還暦間近の王子様。環境、有機農業、代替医療、建築、若者の教育などに強い関心を持ち、様々な形で活動。自然食品ブランド「ダッチー・オリジナルズ」や、若者の起業を支援する財団「プリンスズ・トラスト」などは高く評価されている。ダイアナ元妃死亡時は毛虫のように嫌われていたカミラ夫人(コーンウォール公爵夫人)も最近はすっかり国民に受け入れられているが、この2人に関する(恐らく)最も有名なエピソードは、皇太子がその昔、カミラさんに電話で「タンポンになって君のパンティの中に住みたい」と言ったというもの。次の英国王とその妻としてはちょっと悲しい。
ティーンの頃は母・故ダイアナ元妃の面影を残すキュートなルックスで世界中の女の子のハートを鷲づかみにしていたものの、近頃は頭頂部を含め容貌が全体にオッサンじみてきたと評判の未来の国王。ケイト・ミドルトンさんとの破局を巡っては、「王子が関係にコミットするのを嫌がった」「4年間付き合ったあげく携帯電話で別れを告げた」「破局の直前、ナイトクラブで女性の胸をもんでいた」など良からぬ噂が飛び交い、少々株を下げた模様。現在は英南西部ドーセットにある陸軍の基地で訓練を受けているが、英軍の長でもある王になるための準備として、今後空軍、海軍にもかかわると考えられている。身長191センチと体格は立派。私服のファッション・センスはヤバい。
飲酒、淫行当たり前、未成年時から大麻は吸うわ、パーティーにはナチスの制服姿で現れちゃうわ、王族ながらもう何でもアリの醜聞の百貨店。Aレベルの課題を先生が手伝ったなんて疑惑もあったっけ。最近は軍隊や慈善活動で頑張っているけれど、先日も確か、ナイトクラブから出てきたところを撮ろうとしたパパラッチに襲いかかって、「サン」紙のカメラマンから「ヘンリー王子は英国にとって当惑の種になっている」なんて言われてたはず。交際歴3年のチェルシー・デイビー嬢は、兄ウィリアムの気取った元カノとは対照的なビッチ風で超お似合い。実は本当の父親は故ダイアナ元妃の元愛人、ジェームス・ヒューイット氏じゃないかってずっと言われてるけれど、真相は闇の中だ。
ヨット好き、ゴルフ好き、女好きと、道楽息子ぶりがしばしば非難の的となる女王の次男坊。1996年の離婚以来、付き合った女性は少なくとも15人に上るそうで、タブロイド紙が付けたあだ名は「RandyAndy(好色アンディ)」。どこへ行くにも飛行機を使い、その費用が年間32万ポンド(約7651万円)にも上ることが判明した際には、「Air Mile Andy(エア・マイル・アンディ)」とのニックネームを頂戴した。海軍で22年間務め、フォークランド紛争にも従軍し、現在は英国貿易・投資局(UKTI)の広告塔として世界各地を飛び回っているが、こうした活躍ぶりが話題になることは殆どない。元妻のセーラ・ファーガソンさんとは今でもとっても仲良しなんだとか。
「エリザベス女王の子供の中で唯一のスキャンダル未経験者」と言われる、地味で大人しい末っ子。兄アンドリュー王子に苛いじめられ続ける幼少期を過ごし、大学卒業後は海軍に入隊するも、訓練の厳しさに耐えられず除隊、「弱虫」とのそしりを受ける。演劇、メディアへの関心が強く、1993年に自身のテレビ番組制作会社を設立するが、めぼしいヒットを生み出せず、多額の借金も抱えて経営不振に。同社スタッフがマスコミと王室の協定を無視して大学入学直後のウィリアム王子を大学敷地内で撮影しようと試み、大ひんしゅくを買ったこともある(2002年、公務に専念するため同社社長職を辞任)。結婚は35歳と遅めだったため、同性愛の噂も耐えなかった。
女教師のごときルックスが醸し出すお堅い印象は単なるイメージにあらず。毎年何百もの公務をこなすエリザベス女王の長女にして唯一の娘は、その勤勉ぶりから「最も働き者の王族」と賞賛されつつも、時に「厳格過ぎる」との批判も受けている。モントリオール・オリンピックに馬術の英国代表として出場したという実績も、その真面目ぶりの賜物と言えよう。23歳で結婚するも、夫の浮気などが原因で19年後の1992年4月に離婚、8カ月後に海軍中佐ティモシー・ローレンス氏と再婚。凶暴な飼い犬(ブルテリア)が何度か事件を起こしており、2003年には、女王の犬(コーギー)に噛み付き、重症を負った女王の犬が安楽死させられたこともある。
舌ピアスや大胆なドレスをまとってのパーティー通い、ボーイフレンドと公衆の面前で殴り合いのケンカと、ロイヤル・ファミリーにあるまじき振る舞いで「王室の反逆娘」との異名を取ったのも今は昔。母アン王女と同じく乗馬の道に進み、昨年は馬術の欧州選手権と世界選手権で共に個人優勝という快挙を達成。BBCのスポーツ・パーソナリティー・オブ・イヤーに続いてMBE(大英帝国5等勲章)まで授与され、反逆児どころかすっかり世界的な一流スポーツ選手の仲間入りを果たした。2008年北京オリンピック出場と共に、恋人のラグビー選手マイク・ティンドールさんとの結婚の可能性も囁かれており、実は今、最も注目の王族メンバーと言えるかも?
エリザベス女王の本当の誕生日は4月21日。しかし毎年、6月の第1、2、3土曜日のいずれかに「公式誕生日」が設けられる。この伝統は、誕生日が11月だったエドワード7世(1841~1910)が、寒さや悪天候に野外の祝賀行事が影響される恐れがあるとして、温暖な5月か6月に「公式誕生日」を設定、パレードなどを行うようになったのが始まり。当日は、ロンドンのホースガーズ・パレードで軍旗敬礼分列式が行われるほか、42発の礼砲が鳴らされ、政府関係の建物には英国国旗が掲げられる。また叙勲者リストもこの日に発表される。
イングランドの再拡大を狙い、周辺諸地域への侵攻を積極的に試みていたエドワード1世(1239~1307)は1301年、ウェールズ大公ルウェリン・アプ・グリフィズを倒し、ウェールズを制圧。この際、イングランド王家がウェールズを支配することを明確に示すため、息子エドワード(後のエドワード2世)に「プリンス・オブ・ウェールズ」の称号を与えた。これが、英国皇太子に「プリンス・オブ・ウェールズ」の称号を授与する慣わしの始まりで、被征服者にとっては屈辱的な習慣であるが、今日まで伝統として残っている。
愛する女性のため王位を捨てたのがエドワード8世(1894~1972)。名うてのプレイボーイだった彼は、30代後半で米国人シンプソン夫人と出会い、恋に落ちる。しかし夫人は外国人で平民である上に、離婚歴があり、2度目の夫とまだ結婚している身。このため、エドワードは1936年1月に41歳で独身のまま即位したものの、夫人を王妃として迎え入れることには、王室、政府のみならず、世論も猛反発した。王冠か恋かの選択を迫られたエドワードは、即位からわずか1年で退位し、1937年6月に結婚(この時点までにシンプソン夫人の離婚手続きは終わっていた)。王位は弟ジョージに譲られ、エドワード夫妻は英国を逃れてフランスへ移った。
ヨーク朝(1461-1485)
テューダー朝(1485-1603)
スチュアート朝(1603-1714)
ハノーヴァー朝(1714-1901)






