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Wed, 10 December 2025

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第136回 北朝鮮の転換と中国の野心

金正日氏の北京訪問

本欄の第128回「北朝鮮、体制崩壊の足音」(4月8日)で、昨年のデノミ失敗をきっかけとして、北朝鮮は体制崩壊過程に入ったのではないか、国民の不満を逸らすために対外的に冒険に出るリスクがある、と書いた。その後、4月上旬に予定されていた金正日総書記の訪中が延期され、4月22日には、「北朝鮮の魚雷攻撃が原因で韓国の哨戒鑑が沈没し、46人の兵士が死亡した」と韓国政府が報じた。5月8日には金総書記が陸路北京を訪問し、中国首脳と会談をしている。この段階で筆者は、やはり北朝鮮は経済が苦しいために冒険的な行動に出て、韓国や日米を挑発し、その後始末を中国に泣き付きに行ったのだと解釈した。

しかし最近、金総書記の北京訪問はそういう一面もあるが、もっと深い意味もあると考え方を変えた。それは羅津という、日本海に面した北朝鮮の港の埠頭を中国とロシアが相次いで借りたこと、北朝鮮が中国人観光客へのビザ発給を大幅に緩和したことを知ったためである。中国が北朝鮮に対して無料で供与するのは、これまでエネルギーと食料に限っていた。言い換えれば、技術援助や開発援助などは基本的には行ってこなかった。中国自身の経済で手一杯だったということもあろうし、北朝鮮のような冒険的な国家への過度なコミットは、国際社会から批判を浴びる可能性があると思っていたからであろう。

金総書記は、胡錦涛氏や温家宝氏に、デノミによる経済の混乱に対して助けてくれるよう頼んだであろう。再来年は、故金日成主席の生誕100年になる。この時までに、経済面で一流の国にならなければ、政権自体への不満も高まり、息子への権力委譲もうまくいかないと考えられる。金総書記のできることは、中国頼みしかない。

以下は想像に過ぎないが、中国首脳はどのように考えたであろう。これまで北朝鮮は、自国内での他国の経済開発については、主に韓国にしか認めてこなかった。観光客の受け入れも然りである。その北朝鮮が助けを求めている。一方、欧米の景気が芳しくない中、中国企業は内需にその売込み先を求めているが、それだけでは利益が今一つである。朝鮮半島は長らく冊封体制の下で、中国の王朝に朝貢していた。今や中国は米国と並ぶ世界第一の政治経済大国になった。中華思想が頭をもたげるとともに、朝鮮半島、特に北側のレアメタル、石炭などの資源を韓国ばかりに独占させることは適当でない。まして日米には関与させたくない。今の間に中国から大量のヒト、モノ、カネを送り込もうと考えたのではないか。

中国の羅津港埠頭の借款、東シナ海側にある北朝鮮との国境の港である丹東港、北京から両方の港をつなぐ鉄道敷設の計画があるという。中国は東北3省の開発を急いでおり、大連とハルピンの間に第二鉄道=新幹線を通す計画である。それと羅津や丹東を結ぶ鉄道ができれば、北東アジアには大きな経済圏ができる。そのため、北朝鮮の経済に積極的に関与し、北朝鮮から港や土地を借り、観光客も含めてヒトを送り込むことを約束した可能性がある。いつも同じ絶叫調なので違いが分かりにくいが、平壌放送は、今回の中国訪問で北朝鮮が「歴史的な成功を得た」と述べたという。その意味するところは、中国からの経済開発へのコミットメントだったのではないか。北朝鮮では、軍関係ではなく古参の地方経済を知る幹部が復活した人事も行われた。また、開発反対強硬派が交通事故に遭っている。

日本海波高し

北朝鮮は、9月には労働者党代表者会を開き、金総書記から後継者への権力委譲を開始する可能性がある。したたかなのは、羅津の港をロシアには50年、中国には10年しか貸していないことだ。つまり、極めて功利的に両者のバランスを取っているのである。ロシアは、ウラジオストックより南に、日本海へと出る不凍港がどうしても欲しい。このためイルクーツクあたりからシベリア鉄道の南線を通す計画もあるという。これは貿易のためだが、軍事目的にもなりうることは言うまでもない。

北朝鮮の貿易相手国は、以前は日本、韓国、中国で三分していたのに、現在は制裁発動により日本はほぼゼロになっている。朝鮮半島北部の開発は今後、中国企業の手によりどんどん成されるであろう。そうなった時に北朝鮮の体制はどうなるのか。ソフト・ランディング、中国型の改革開放政策もまったくあり得ないとは言いがたい。日本の立ち位置はどこに置くべきか。普天間問題も、こういう位相を含めて考えることが必要ではないか。次回は、こうした清濁併せ飲むということを考えてみたい。

(2010年6月29日脱稿)

 

第135回 菅・ブレア氏の現実路線 その2

ブレア氏の対米追従路線

前回述べたように、ブレア元首相の経済政策は、サッチャー政権の余得の活用という面が強く、「第三の道」も成果が明確でないままに終わった。経済が好調なうちは高い評価を受けていたが、それも結局バブルだったから、という見方が増える中で、ブラウン政権は倒れ、キャメロン氏は全面的な見直しに入っている。具体的には、緊縮財政、消費税増税、イングランド銀行の銀行監督権限の回復などである。

経済面では、英国、ロンドンが過去10年くらいに謳歌した好景気を国民にもたらしたという点で、マイナス点ばかりではないと見る向きも多い。しかし、当時から外交面では強い批判があった。それは、何といってもブッシュ政権への無条件追従である。ブッシュ政権がフセイン元イラク大統領を捕まえ、裁判にかけた後で、戦争の大義となっていた大量破壊兵器がなかったことが判明し、ブレア氏が議会で大批判を浴びたことは記憶に新しい。

しかし言語明晰で、頭も良く、北アイルランド和平を粘り強く実現したブレア氏が、なぜやや狂信的なブッシュの米国に対してだけ明確な意見を言わなかったのか疑問が残る。小生の見方を言えば、言語明晰で頭が良く、理性判断に則った現実路線主義者だったからというのがその答えである。「ガリア戦記」を読むと、カエサルは、ブリトン人は小賢しく、ローマが強いとみると擦り寄り、弱いとみると他の民族と組んでローマを攻めてくる、ちょろちょろした人々といったことを書いている。昔から英国人は、勝ち馬に乗っていく民族なのかもしれない。この点は過去2回の世界大戦でも証明済みであるし、対EUでも英国は自国経済が弱いときに擦り寄り、強いときには冷淡である。キャメロン氏も相対的に大陸経済が弱っている今だからこそ、先週のEUとの対談でも強気であった。

ソ連崩壊後、米国は世界で唯一の超大国になった。ブレア氏は頭が良いので、米国=勝ち馬と考えることになる。どうせ勝ち馬に乗るなら、早く無条件な支持が感謝される。この現実追認路線が、ブレア氏の発想だったのだろう。

もう一歩先の想像力

勝ち馬に乗るという考え。これは自らの立身出世と関係するが、政治家としての志とはなりえないものではなかろうか。志は、現実を変える、そして突破する力と考える。確かにテロは無条件に批判されるべき行為である。ロンドンでのテロのときもそう感じた。ただこの場合、なぜテロが起こるのかという問題を掘り下げる、想像することが突破する力となろう。ブッシュ政権にはそれが欠如していたし、ブレア氏にもなぜか対米政策についてだけは欠如していた。そうした処方のない軍事行動が、アフガン、イラクで問題解決が長引き、テロの脅威もなくならない、という結果を招いたのではないか。

テロの問題の根には、貧困がある。貧困を自分の問題として引き受けていくには、やはり経験と年期が必要なのではないか。ここでは政治家の育ち方ということが関係しているように感じる。キャメロン氏にも言えるが、若年で政治家になる場合の、言語明晰か否かという次元とは別次元の志こそ、困難の時代には要請されるものである。

菅氏のリスク

同じリスクを、日本の菅首相に対しても強く感じる。仙石官房長官が、「(彼には目立ちたい、総理になりたいという)私利はあるが、(自分の財産を増やすという)私欲はない。前者はあるが、後者はないのでいいではないか」と言ったとの新聞報道を読むにつけ、退任後に私欲も出たブレア氏との類似性を感じる。対米、対中、いずれも慎重な対応だが、この2国のいずれかが勝ち馬と解れば、躊躇なくそれに乗るであろう。ブレア信奉者というのも肯ける。成功しているときのブレア氏は、かっこいいからである。

菅氏の現在のポジションは、消費税増税である。財政再建のため、ギリシャの轍を踏まないため、そしてその論点をめぐって選挙を堂々戦うということが、かっこいいからであろう。だが、財政再建ということについて、議論が十分ではない。財政再建は抽象的なものではなく、支出をどう使うか、これまでの使い方でいいのかどうか、という議論だったはずである。財政再建は結果であって、目的ではない。どう税金を使うのかの議論=志の議論が欠けている。

普天間基地問題で対米合意を遵守する、沖縄で謝る、難しい問題解決を先送る。勝てるポイントだけで勝とうとする、これでは国民の信はいずれ離れていこう。

(2010年6月24日脱稿)

 

第134回 菅「最小不幸社会」とブレア「第三の道」その1

最小不幸社会と第三の道

菅首相は、「最小不幸社会」を唱えている。市場原理主義と公共事業頼みのいずれでもないという立場から、「第三の道」とも言っている。彼は、英国のブレア元首相の政治手法を熱心に研究していた。

当地では、労働党が下野し、そのブレア体制が一段落した。これから、ブレア氏の行った「第三の道」への評価が歴史的な意味でなされる。ロンドン大学のギデンズ教授らが提唱したこの思想は、サッチャー流の自由主義が掲げる小さな政府ではなく、サッチャー以前の労働党のような何でも国有化する社会主義でもない、「第三の道」を説く。人間の生存に関わる事項や社会的弱者の経済状態などの改善には、社会民主的に政府が積極的に関与する一方、それ以外の分野では、企業、更には市民やNPOとも連帯して社会資本の整備に努めるという考え方だ。具体的には、病院事業、NHS改革が実践された。菅首相は、今後下される、本家英国のブレア評価の影響を受けるだろう。

ブレア氏の第三の道は、あまり評価されていない。その理由は、降板後の英国経済不調の責任である。この欄で何回も書いたように、経済好調はブレアの政策のおかげというよりも、北海油田の恩恵、サッチャー政権の緊縮財政でできた財政の余裕、ユーロは導入せずに金融政策の自由度を保ったサッチャーの判断によるところが大きく、そして何よりも、共産主義崩壊の結果によるグローバリゼーションの下でのロンドンの金融都市としての地位向上のおかげである。

第三の道の中身であるNHS改革、国有企業の民営化、教育改革は、いずれも成果は明確ではない。国有企業の民営化も海外売却を進めただけであり、売るだけなら誰でもできる。結局、公共部門や準公共部門で働く人のサービス向上への意識改革はまだ十分ではない。またブレアについては、金融分野の規制緩和による金融業の肥大化と、製造業の著しい縮小への批判が強い。金融バブルの崩壊を予防できず、肥大化した金融の痛みが、経済全体の痛みとなり、他の産業による回復が困難となったこと、国有企業売却で政府にはもはや売るものがないことなどが厳しく問われ、労働党は敗北した。本来は公務員の意識改革も含め息の長い話である第三の道が、財政余力の食いつぶしと経済変動で道半ばとなった感がある。

第三の道の生煮え度

ギデンズの「The Third Way」を読むと、抽象的な考え方は分かるが、HOWというところはあまり詳しく書いていない。学者の限界と言うべきだろう。民間が市場を通じては供給できないもの、政府が自ら投資、運営すべき事業は何か、どこまで政府が関与すべきかなど、具体論になると急に難しくなる。人間の生存に関わる問題になるのは、医療介護、教育、その他生活に必要な社会インフラ(交通、電気ガス水道等)である。これらについて、政府はどこまで金と口を出すべきなのか。

米国の政治哲学者ロールズは、格差原理(最も状態の悪い人の改善になる施策であれば正義に叶う)を示しているが、第三の道では、そういう議論も十分でない。人間の生存に関わる事項や社会的弱者の経済状態などの改善に政府は積極的に関与する、と言うだけである。加えて、経済変動に対する財政の処方について、ケインズ流積極財政か、自由主義流の放任・最小介入かについても明確でなく、結局市場の信認維持のために、銀行を一つも潰せず、現実の前に成す術がない。リスク耐性の議論が欠如している。

「最小不幸社会」は、「第三の道」以上に曖昧な概念だ。日本の民主党政権でなされたことは、国労との和解、肝炎訴訟の和解、年越し派遣村への便宜供与など、社会的な弱者への救済促進が目立つ。しかし、いずれも税金で負担するものである。

話題を集めた「事業仕分け」も、実は大変なことをしているという謙虚さ、惧(おそれ)が感じられない。ある行為の社会的意味の詳細な検討・分析は容易な作業ではない。結局、具体的な問題について、想像力を持った具体的な解決とその説明がない中でのスローガン政治は、声の強いものが勝つという腐敗を生む。

リスク耐性はどうか。英国の金融業は、日本では製造業である。まだまだ力があるが、海外志向を強めており、中国バブル崩壊へのリスク耐性は著しく弱まっている。新興国需要を取り込むことにはリスクも伴う。韓国経済のアップ・アンド・ダウンは他山の石である。地道な作業なきパフォーマンスやスローガンのみでリスク耐性を考えない政治、安易な消費税増税の検討開始では、政権は危ういといわざるを得ない。次回はブレア外交の対米依拠と民主党の中国傾斜を比較してみる。

(2010年6月6日脱稿)

 

第133回 具体的な想像力について

問題解決と秩序なき世界

世界経済も政治も混迷している。しかし、皆そう暮らしにくいと感じているわけでもない。なぜか、を考えてみたい。

米ソが対立し、それぞれが資本主義陣営、社会主義陣営に睨みをきかせていたときは、善し悪しは別にして、それなりの秩序があった。ところが、ベルリンの壁の崩壊後、秩序がなくなった。

まず、世界の敵は、資本主義ではなく、社会主義でもなく、テロリストになった。米軍を中心とした多国籍軍によるアフガニスタン、イラクへの侵攻における初期戦は終了したが、両国はもとより、世界中でもテロの危険は減っていない。次に、先進国は、共産主義から解放された安い労働力を武器とする中国はじめ新興国の台頭を警戒し出した。しかし安値品の輸入の恩恵は無視できず、国際機関やG7は、新興国の参加拡大という形で政治的な発言力を許容してきている。しかも最近では、先進国商品の消費市場として、新興国が世界経済の牽引役を果たしている。挙句、先進国における不良債権問題が未解決であることによる経済不振が、新興国に対しては需要減少という形で直接跳ね返るなど、グローバリゼーション化が進んで世界経済の一体性が明確になっている。つまり、世界は一つのショックに非常に弱いというリスクを抱えることになった。

一方、G20など大勢の参加する会議ではリーダー不在のために、実のある政策合意を形成することが難しく、リスクへの対応策は明確に打ち出せていない。合意され実行されているのは、リスクが現実化した事後に、中央銀行が協調してドル資金の流動性を供与するといった後手策だけである。強いて言えば、米中の2強国の存在感が増しているが、両国とも欧州に財政支援するなどして、世界を仕切る力はない。サブプライム問題以降、米英は自国の自由主義的な政策には自信がなくなっている。EUも経済が右肩下がりとなった状況下、通貨統合を維持できるのか、という根本問題に悩んでいる。

哲学よりも具体的な想像力

結局、先進国は喪失した自由主義的または社会主義的な経済モデルの次を見出せていない。中国など新興国も、これまでの日本に似て、先進国の学習=真似をしているだけで、新しい世界秩序を切り開いているとは言えない。先日も、ケンブリッジ大学に集まった経済学者が、自分たちの無力さを自覚したとの記事が「FT」紙に掲載されていた。英米も日本も2大政党の政策に大差ないということには、こうした背景がある。保守とリベラル、自由主義と社会民主主義、そういった対立軸だけでは、現実問題の解決はつかない。

しかし、筆者は、この状態をとても健全であると考える。どの国民も平等な立場で、何が良いかを議論できるようになったからである。インターネットは、政治家やマスコミが独占していた公開での議論を一般市民にまで広げ、国民は、哲学よりも具体的な問題の解決能力を世界的な視野で見ている。オバマ米大統領の「核兵器なき世界」は確かに理想としては良いが、具体策では緒に就いたばかりだ。キャメロン新首相も具体的な問題解決提案は弱いように思う。結局、世界が戦後からサブプライム問題までに学んだことは、何か一つの哲学や思想で世の中を仕切ることは難しいということである。そうなると、具体的な問題解決の個々の積み重ねこそ重要ということになる。そのためにもっとも要求されるのは、具体的にイメージできるという想像力だ。

具体的な想像力とは

試行錯誤と検証によって、問題解決を可能にする真理に近付くことができるというのが、英国のプラグマティズムである。簡単に言えば、今のベストの知識経験を生かして、いろいろやって見よ、ということだ。ただ、重要なことはやみくもにトライするのではなく、あたりをつける、すなわち具体的な問題について、それが現実化する前に具体的で詳細なイメージを持つということである。例えば日本の高齢化社会をイメージするとき、長生きするのは女性である→ロンドンではお婆さんの2人連れをよく見る→彼女らの居場所はベンチなどだが、溜まれる場所として日本の病院や銭湯の機能が英国にないのはなぜか→それに代替する施設はできないか、という具合である。

現場に出掛け、現場でヒントを得て、徹底的に調べる、その上で、過去に捕らわれず、人間の動きを自由に発想して具体的なイメージをイマジンすること。どの国も、いや人も、今の時代は、そうした想像力を働かせることができるチャンスがあるので、暮らしにくさも幾分軽くなっているのではないか。

(2010年5月26日脱稿)

 

第132回 43歳の若い2人

キャメロン首相とクレッグ副首相

新しい首相にキャメロン保守党党首、 副首相にクレッグ自由民主党党首が就いた。2人とも43歳。若いなあ、という嘆息が出る。ただ、チャーチルのような老ろうかい獪さは望むべくもないが、サッチャーやブレアと比べても、政治哲学や理想を語る部分があまりに少ない。40歳台後半以降の読者諸兄姉は、自分が43歳のときに何が解っていただろうかと自問されているのではないか。筆者だけかもしれないが、僭越ながら二人とも、まだ世の中を知らないというか、幼い印象を受ける。不誠実ではないのだが、特にキャメロンは自分の言葉で語っていないように感じる。

サッチャー、ブレアは自分の言葉で、英国病の克服のための自由主義、または自由主義の行き過ぎへの反省としての第三の道や金融財政改革を熱く語っていた。いずれの政策も、英国の政治経済状況に対する明確な哲学と処方箋に裏付けられており、経済・社会学者の思想的バック・グラウンドがあった。サッチャーの場合はシカゴ学派、ブレアの場合はロンドン・スクール・オブ・エコノミクスのギデンズ教授である。

ただこうした経済・社会学者たちが、サッチャー、ブレア政治を総括して次の哲学を語っていないので、キャメロン、クレッグらに自分で考えろというのも気の毒かもしれない。だが、全体哲学を持たない自民党の主張は野党の議論であって、与党のそれではない。もちろん彼らだけが政権を動かすわけではないが、重要な決定はやはり彼らによる最後の判断がものを言う。日本の鳩山総理の言葉や存在感の軽さはあきれる程だが、リーダーに想力、言語力、決断力がなければ国は迷走し、国民は大きな迷惑を被る。彼らの誠実さには、痛々しささえ感じる。老獪な市場は、当面ポンドを売るだろう。

サッチャー、ブレア総括の鍵

保守党と自民党の差異は財政政策とEU政策の不一致において顕著に見られると言われるが、経済に対する深い歴史的理解と認識なくしての政治は不可能で、政権を取るために足して二で割るような調整は政治家がすることではない。サッチャーの光は、労働組合に対する強硬姿勢により怠惰と賃金インフレを退治したこと、また公共支出削減により財政赤字を減らしたことである。影は、貧富の差の拡大と、英国に外国投資(特に金融機関)を呼ぶためのポンド下落(即ちユーロ非加盟)、つまりは英国国有財産の売却である。北海油田の採掘とこれらの政策によって、英国には財政余力と自国の金融政策が残り、またベルリンの壁崩壊によるグローバリゼーションは、金融業をロンドンに集中させて英国に経済的な成功をもたらした。

サッチャー政権の影である格差を是正し、イングランド銀行の金融政策を政府から独立させる代償として、金融監督業務を金融庁(FSA)の管轄へと分離するというブレア政策は、こうした背景があって成功した。しかし、世の中、何でもいいことばかりというわけにはいかなく、一つのことには必ず光と影がある。格差是正は再度非効率を生んでおり、財政も悪化した。イングランド銀行は統計と金融市場でしか金融機関をチェックしておらず、金融庁は金融機関の重箱の隅をつついていただけで、結局誰もバブルのリスクをコントロールできなかった。その結果が2008年に国有化されたノーザン・ロックであり、バブル崩壊である。

検証と哲学なき公約修正

保守党は、FSAを廃止してイングランド銀行と統合するという公約を、自民党と妥協して修正、FSAの機能の一部のみを移す模様だ。何が失敗だったのか、責任も含めて明確な検証をしない態度は、言葉の軽さの裏返しであろう。英国の金融ビジネスはそう簡単にはなくならないが、世界が競争を繰り広げる中、決して楽観できまい。

その上で金融の復活を待つ間をどうつなぐか。英国には、もう売るものはない。北海油田は枯れそうだ。サッチャー、ブレアで潤った国民から金を取る、即ち財政抑制が基本になるが、国民の危機感が70年代程強くない現状で、2人が自分の言葉で語れるだろうか。運が良ければ金融業復活によって国民負担を持ち出さなくとも済むが、欧米ではバブルの傷がまだまだ癒えない。ギリシャの財政危機がスペインに飛び火して欧州全体が動揺したときのショック療法として、ポンド防衛のための財政赤字削減案を閣僚たちは考えているかもしれない。いずれにせよ、若い2人は自分の哲学を身に付けないと、老獪な市場に翻弄されることになる。

(2010年5月12日脱稿)

 

第131回 日本へのガラパゴス批判

日本製品ガラパゴス論

数年前に流行った、「日本製品ガラパゴス論」とは何か。ガラパゴス諸島は南海の孤島であったために、ダーウィンの進化論の研究において、生物進化を観察するのに意義のあった島である。周りの島や大陸との接触がなかったため、独自の進化を遂げた生物がたくさんいる。その代わり、その生物たちは、島の外では生きられない。島に外来品種が入ってくると絶滅の危機に瀕する。

日本製品は、主なユーザーである日本人の細部へのこだわりや美意識を反映して、独自の凝った仕様や非常に精密な作りを有しており、同時に正確で故障しにくいという特徴を持っている。しかし、こうした巧みな工業技術は必ずしも普遍性を有しないので、日本以外で通用せず、世界制覇できないという。これが、日本製品ガラパゴス論である。

特に携帯電話、DVD、新幹線、銀行のATMなどを指して言われることが多い。トヨタ自動車のブレーキ問題も然り。高速道路で急ブレーキを掛けた場合にタイヤが急に止まってスリップすることがないようにブレーキの効き目を制御するためのプログラムが、説明なく従来よりも長い距離で効く仕様になっていたというのだから、一種の凝りすぎの例とも言えるのではないか。

ガラパゴス論の陰り

最近になって、ガラパゴス論は事実により否定されつつある。例えば、携帯電話を見てみると、iPhoneなどのスマートフォンで実現していることは、アプリの流通を除けば、もともとドコモがiモードで実現したことに近い。新幹線も台湾のほか、色々な国で導入が検討されている。またDVDやブルーレイ・ディスクは、日本の仕様が世界標準の一角になっている。確かに欧州は、会計基準や国際標準化機構(ISO)に象徴される工業の分野では世界標準作りが上手で、ドイツなどそうした規格作りで食べているのではないかと思えるほどだが、ともかく、日本製品の精巧さ、丈夫さについて、世界の評価が追いついてきた感がある。

一方で気になるのは、日本政府や日本の企業がそうした事実をはっきり認識しているかどうかということだ。経済産業省は、値段の高い高付加価値品も良いが、日本企業はアジアの大衆市場=ボリューム・ゾーンへ食い込むため、適当な値段の中付加価値品も作るべきだと言うのである。確かに、インドにおいてスズキの軽自動車は大成功した。しかしながら、軽自動車は普通自動車の低付加価値品と捉えることはできないと思う。そもそも、インド人の生活に根ざしたニーズの掘り起こしに十数年かかっている。中級品や低付加価値品は、インド企業や東南アジアの企業が作ることが必至であることからも、日本企業にはユーザー・ニーズに合う高付加価値品を提供することこそ求められていると思う。

先日、JR東海の会長が、中国による高速鉄道の売り込みについて、新幹線の技術を利用しながら、安全性を犠牲にしていると批判したと報道されていた。日本では人命を守るためのコストは絶対であり、逆に言えば、中国はそうでないと言っている。専門家ではないので、安全性の如何について事実関係の確認はできないが、もし事実なら、中国を批判する必要などないのではないか。要するに、新幹線と中国の高速鉄道は、安全面で品質が違うということである。自社製品の優れた点を述べることで足りると思う。

日本製品の質の維持

以上の事情を鑑みた場合、日本製品の質を落とすことは、決して得策ではない。全部ではないにせよ、世界で売れるのは、消費者がその国や企業の主張や考え方に共感し、モノやサービスを受け取りたいと感じる製品に限られている。ユーザーのニーズを聞くことは当然必要だが、ユーザーに妥協した製品は売れていない。日本は、もはやガラパゴスではあり得ない。誇るべき製品の精巧さ、丈夫さ、最近では効率性をさらに追求することが、成功の近道だと思う。

また日本国内の観光産業について言えば、これから中国人などアジアの観光客がどっと日本を訪れる時代が来るであろう。その時に中国人のニーズに妥協して、日本の自然を壊してリゾートを作るようなことをすれば、社会的な損失になる。日本が観光で売るべきものは、日本の山河と日本人のホスピタリティーだろう。どこの国でも、こうした大切にしなければいけないものというのは同じと思う。日本の行く末を心配する論調が、日本は元より、欧米メディアでも目立つので考えてみた。

(2010年4月11日脱稿)

 

第130回 5月6日の総選挙を前に考える その2

ユーロ問題と英国

英国内ではあまり選挙と結び付けて取り上げられていないように思うが、総選挙とその後の英国を考えるときに避けて通れないのが、ユーロ問題である。ギリシャ財政危機とその救済が問題となる中、英国民としては、ユーロに加盟していなくて良かったと改めて感じたことだろう。独仏のように、ユーロを守るためにギリシャなどへの援助を求められることがなく助かった、やはり通貨政策の独立性が必要であると、かねてからの主張の正しさを誇らしく思っているに違いない。

実際、英国経済が不調になると、ポンドが安くなることで、英国の輸出競争力がある程度高くなる一方、輸入品は高くなり、国民生活は切り詰めを求められる。その一方で海外からの投資は増え、徐々に金利が上昇し、景気回復につながっていく、というのが政府の描く景気回復のシナリオである。

しかし、ギリシャ経済の破綻を契機とするユーロの動揺は、この回復シナリオに大きな影を投げかけている。まず、英国民の投資が、ユーロ圏において非常に多くなされている。スペインの別荘を持つ英国人の何と多いことか。つまり、ユーロの下落は、大きなマイナスの資産効果として英国経済に打撃を与える。欧州との貿易関係に与える影響も大きく、何よりも欧州連合(EU)の一員である英国にとって、ポンド自体の信認問題にも及びかねない。そしてユーロ、ポンドの危機は、世界経済の二番底へと直結する。

ユーロ暴落、ポンド連れのリスク

ユーロが暴落するリスクはどこにあるのか。それは、スペインにある。ご承知のように、ギリシャは国債の償還資金を得るために(デフォルトを避けるために)、7%もの高金利での国債発行を余儀なくされている。その他の国々の長期金利が2%程度のときに、これほど高いプレミアムを付けたままギリシャ経済が持つとは到底思えない。そしてギリシャに方が付いた(デフォルトした)後、市場の目が向くのは、ポルトガル、アイルランドであるが、この状況を市場は既に織り込み始めている。

だからこそ、今後の注目はスペインとなる。スペインの経済規模、不動産の上がり方、下がり方はギリシャの比ではない。スペインの大手銀行は中南米での儲けがあるものの、同国の中小金融機関は不良債権処理をまだ終えていない。独仏もギリシャ程度は財政援助できても、スペインを助ける余裕は到底ない。そもそもドイツの世論調査では、ギリシャを助けることにすら非常に強い批判が向けられているのだ。55歳での定年や、高い年金といったギリシャの諸制度は、いずれもドイツのそれよりも手厚い。働き者のドイツ人は、なぜ遊んでいるギリシャ人を助ける必要があるのか、と言っている。

これは、ユーロを崩壊へと導く論理だ。ユーロが単一通貨であるがゆえに、ドイツ経済に相応しい低い金利水準は、南欧諸国にはどうしても低過ぎる設定となり、バブルとなった。そしてサブプライム以後のバブルの破裂や、ユーロを守るための財政規律復活を求める独仏の動き、それに合わせた金利上昇は、いずれも南欧諸国に耐乏生活を強いるものとなる。その生活に耐えることができなければ、単一通貨の条件が崩れ、ユーロは暴落する。この状況を避けるために独仏はギリシャに援助を行うことを求められているのだが、スペインを助けるほどの余裕は両国にない。その時点で、ユーロは枠組みが崩壊しかねない。

政権党の最初の仕事

ユーロ危機に対する英政権党の最初の仕事は、ポンド防衛になると思う。英国の財政負担を避けるためにはEU離脱が有効だが、果たしてそこまで行くかどうか。ウィンブルドン方式によるロンドンの繁栄には、EU加盟によって欧州金融の核となったからこそという側面もあるので、難しいだろう。そうなると、ポンド防衛のためにはイングランド銀行の金利引き上げ、財政引き締めが有効だ。しかし、それは景気回復の芽を摘むことになる。

結局、この問題の根っこは欧州、英国において、金融機関の不良債権処理が米国ほど進んでいないことにある。それほどバブル崩壊の傷が深いということだろう。日本の経験でもそれは明らかだ。循環的な景気回復だけではどうにもならないのが、不動産価格の大きな下落による不良債権問題なのである。そうなると、労働党であれ、保守党であれ、欧州と英国の関係についての立場を明確化することが求められる。この点の哲学なしに選挙を勝って政権に就いても、すぐに難問に直面することになるだろう。

(2010年4月20日脱稿)

 

第129回 5月6日の総選挙を前に考える その1

総選挙の焦点

5月6日に、英国総選挙が行われる。最大の論点は経済政策だ。特に財政での手の打ち方が問題になる。まず、サッチャー、ブレア政権の経済運営が大きな蹉跌(さてつ)をきたした後に行われるこの選挙は、これらの政権の評価にも関わる歴史的な意味を持っている。また中規模の先進大国が抱える問題が象徴的に表れた英国の悩みは、将来の日本の悩みとも重なる部分があるので、日本人にとっても注目する価値があろう。

サッチャー政権は、北海油田の余得を享受しつつ、規制緩和と歳出削減で英国病克服を果たした。そのお陰でできた財政的な余裕から、ブレアは社会福祉と教育にある程度お金をかけることができた。この間、強いて言えば金融業と深い関連のある大学等における研究開発費の増強以外については、労働党の産業政策は特になかったと言える。製造業は規模を大きく縮小する一方、ロンドンの金融市場には海外からの進出が相次ぎ、ノーザン・ロックの破綻までは非常に景気が良かった。当時のブラウン蔵相が、ロンドンでのG7記者会見で、「英国はウィンブルドン方式で外国金融機関を誘致して栄える。グローバリゼーションを最も享受できる国は英国だ」と豪語したことを思い出す。金融関係者の給料が非常に高く、すし屋での食事に法外な値段がついていたのは記憶に新しい。

ところが英国内の不動産価格のピークアウトによるノーザン・ロックの破綻、証券化商品の下落に伴う投資銀行の喫損(きっそん)により金融が冷え切った。ウィンブルドン方式の帰結で、グローバリゼーションによる世界経済の変動の影響を最も受けたのも英国であった。そこで各党とも目を付けているのが、金融のみに依存しない産業政策である。

決め手に欠く3党の政策

労働党のマンデルソン企業相は、戦略的に競争力ある企業に積極的に投資し保護を講じるという、産業積極関与主義(Industrial Activism)者である。一方の保守党は、投資減税、法人税減税を行い、過度な規制を減らして、政府の関与を抑えることで経済を活性化させる方針を掲げている。また第三党の自由民主党は、金融への過度な依存を生みだしたサッチャー、ブレアを批判しつつ、銀行による責任ある融資、地域ファンドや地域証券取引所による地域企業の活性化、過度な規制の削減、郵便貯金再国営化などを訴えているが、規制緩和はともかく、金融への関与だけで英国の産業が活性化するかどうか、そのメカニズムの説明が十分ではない。

経済界が保守党に傾いているのは報道の通りであるが、いずれの政党もどうも決め手を欠いているというのが大多数の国民の印象ではないか。各党とも他党批判は立派なのだが、いずれも、そもそもいったん衰退した製造業が本当に競争力を取り戻せるのかという根本問題に対する自らの答えがない。「ビッグバン」と呼ばれた金融制度改革を実現したサッチャー女史や「第三の道」と名付けた中道政治を目指したブレアのような哲学が見られないということである。

あるべき政策論とは

この点、米国や日本、ドイツでは、概念の詰めこそ十分ではないが、「環境を産業とする」「アジアなど新興国需要を取り込む」という考えを経済モデルにしようとしている。英国の製造業に、有力な企業 があることは否定しない。だがやはり対外競争力があるのは金融業であり、研究機関であり、英語を中心とする教育産業、そして何より英国のライフスタイルに関わる生活産業であろう。

こうした産業は他国が真似しようとモデルにしているものであり、中流以上の英国人はそれで十分食べていけるものである。そうなると結局は、非正規や移民などの労働者の生活が焦点となるべきではないか。その場合、労働党は、失業者など社会的弱者の救済をもっと訴えていいし、保守党も移民の是非や移民の母国であるアフリカ諸国との経済関係強化を訴える余地がある。こうした主張を政治家が十分PRしていないように思う。

このままでは、各党とも過半数は取れまい。第一党が保守党となる可能性が高いと報道されているが、政権を取っても単独では政策を通せない。そうなると、単独政党で弱い政治になるか、連立を組むかが選択肢となり、現実的には自由民主党へ保守・労働党からラブコールが送られることになろう。いずれにせよ哲学のない政治には期待できないと思う。

(2010年4月13日脱稿)

 

第128回 北朝鮮、体制崩壊の足音

100対1のデノミ政策

北朝鮮が、昨年11月末に、旧ウォン対新ウォンを100対1で交換するデノミ政策を実施したと報道されている。このニュースには、重要な意味があると思う。最後に新通貨発行を実施した1992年時の交換比率は、1対1であった。100対1という極端な比率は、1959年の朝鮮戦争インフレへの対処時以来である。2002年の市場原理導入により拡大した、特権階級や商人と一般労働者との貧富の格差の解消を目的としたもので、加えて10万ウォン(約半年分の生活費)以上の財産の新ウォンへの引き換えが禁止された。同時に外貨取引は禁止、自由市場が閉鎖。その結果、急激なインフレになり、庶民の座り込みなど抗議行動が続いているという。物価の価格調整機能が破壊され、経済が混乱しているようだ。

デノミは通貨単位の置き換えなので、それ自体で物価変動などが起きるものではない。混乱の真の原因は、第一にモノが不足していること、第二に北朝鮮通貨を北朝鮮の人々すら信用していないことにある。まず、自由市場を閉鎖し、金持ちから10万ウォン以上を事実上没収するとなると、代わって配給経済の原則を守ることが基本になるが、共産圏の崩壊以降続く援助不足及び農業生産の不調からモノ不足が解消できていないため、配給制が機能していない。このため結局、闇市場が残る。そこでは、配給制も守れない政府のウォンは到底信用されず、ドルや人民元が使われている。外貨市場も禁止となると、闇外貨市場でドルや人民元が急騰する。こうなるとウォン安となり、ウォン・ベースでのモノの値段が急騰する。これがインフレである。

一旦インフレが起こると、インフレ期待が生じ、売り惜しみが生じ、インフレがインフレを呼び、誰も物価を信じられなくなる。ケインズが言ったとおり、国家を堕落させるには、通貨を堕落させるのが早道である。

北朝鮮の崩壊の足音

極端なデノミだけではない。北朝鮮政府は、偽ドルを印刷することで、外貨不足を補い、また米国通貨を堕落させようとしたと報道されている。社会主義国においては、通貨の常識がいまだ整理できていないのであろう。この点はマルクスの責任と言うべきか。

気の毒なのは、北朝鮮の人々である。しかもインフレで困るのは、所得の低い底辺の人々だ。外貨を闇レートで交換できる特権階級や商人は困らない。つまり、金持ちからの財産没収、格差是正という政府の意図とは、全く逆の事態になっていると想像する。さらにウォン安は、中国からの購買力を落とし、物資不足に拍車をかける。一旦、平等社会の構築を標榜する共産主義的な経済システムを修正し、一部に市場原理を導入して自分の食料は自分で稼げというシステムに変更した挙句にモノ不足に陥った後でのデノミは、今後、北朝鮮経済を一段と疲弊させることは確実である。

いずれにせよ、北朝鮮の体制崩壊は時間の問題になったのではないか。今後、同国の情勢には注意を要する。特に食えなくなる人々が増えてくると、役所や商店を襲う暴動が発生し、難民の南への流出が始まりかねない。

そうなる前に考えることは、対外的に冒険的な行動によって、国民の不満をそらそうとすることである。北朝鮮が今後、対米、対日で外交や軍事的なパフォーマンスを一段と強くする可能性がある。

日米中韓が考えておくべきこと

日米中韓が考えておくべきことは、もはや、いかにスムーズに現体制を崩壊させるか、崩壊後の南北統一の経済パフォーマンスをどうするか、ということであろう。軍事外交の出番であるし、米国の中央情報局(CIA)などが活躍する局面である。普天間基地の問題も、基地をどうするかを抽象的に考えても生産的ではない。台湾有事、北朝鮮有事、さらに米中関係という文脈で考える必要がある。

南北統一となると、内需が盛り上がらない構造不況状況の中にある日本経済にとっては、外需拡大のチャンスかもしれない。政治の構想力が試されるときであろうと考えるのは筆者だけであろうか。当然、米国や中国はそう考えているだろう。

ある自衛隊関係者は、鳩山政権になってから米軍関係の情報が入らなくなったと漏らしている。政権のパフォーマンスがあまりに悪いので、参議院選挙では苦戦するかもしれない。そうなると結局、改革も中途半端なものになるだろう。政治的な不能は、日本経済が抱える構造問題の解決への道を、一段と遠いものにする可能性がある。

(2010年3月31日脱稿)

 

第127回 ブラック・キャブでおしゃべり

ブラック・キャブの研修

独特のコックニー訛りがきつくて、話していることの半分以上が分からないことも多いが、ブラック・キャブでのおしゃべりは楽しい。筆者は、キャブに乗るといつもドライバーと話をして、景気とかその街のことを聞く。英語のよい勉強になるし、経済について、そうか! と思うヒントもあるからだ。例えば、3、4年前、スペインに別荘を買ったと自慢し、さらにもう1軒買うと豪語していたドライバーがいた。しかも平日も週末も、必ずゴルフに出掛けるという。ブラック・キャブのドライバーになるための資格試験が難関であるとはいえ、彼らはそんなにも儲かっているのかと思った記憶がある。今となっては、やはりバブルだったのかと思う。

ところで、キャブの新人ドライバーが、「客が好まない場合にはおしゃべりをしない」ことを学ぶ研修を受けることになると新聞に出ていた。ミニ・キャブとの競争が激化しているブラック・キャブでは、ロンドンの通りやビル名をよく知っているだけでは足りず、他の接客業同様のホスピタリティーを学んで、競争力を高めるとのこと。確かに、ドライバーとのおしゃべりを喜ぶ人もいれば、そうでない人もいる。ロンドン市当局は、ほかにもドライバーたちに、客への対応の改善を求めていくそうだ。

思うに、客がNOと言っているのに話し掛けるドライバーはまずいないだろうから、研修の主眼は、おしゃべりのみならず、万般にわたって、ホスピタリティーをドライバーに心掛けさせるということであろう。しかし、果たしてその試みは成功するだろうか。

研修は成功するか

ブラック・キャブとミニ・キャブが競合する分野はどこか。ブラック・キャブのドライバーは、通りやビルの知識が豊富、料金をごまかさない、だまさない、悪いことを客にしないなどの理由から、流しでは圧倒的に強い。一方、大きな荷物を持ってヒースロー空港に行く場合、または格安航空券で真夜中に戻ってきたスタンステッド空港から帰途につく場合は、ミニ・キャブの方が安い(そうでないと、ミニ・キャブの意味がない)。つまり、予め決まった長距離を行く場合は、信頼できるミニ・キャブを利用する方が合理的となる。

両者が競合するのは、短中距離ハイヤーだ。信頼できるが料金は高いブラック・キャブか、値段が安い、顔なじみのミニ・キャブか。ミニ・キャブ自体が顔なじみによる信頼と人間関係を既に売り物にしているとすれば、ブラック・キャブがコストをかけてホスピタリティーを向上させても、ミニ・キャブとの競争力強化という点では、その効果が大きいのかどうか疑問がある。さらに流しでは、どのキャブがそうしたホスピタリティーを持っているのかが識別できない。そうだとすると、研修の実を上げるためのアイデアは、識別のためのブラック・キャブのランク分けである。この点、東京の個人タクシーには3ツ星がついているものがあるが、これは任意申請ということでランク分けのための制度として成功してはいない。

根本問題は独占的な料金設定

もっとも、今回のロンドン市の試みが全く無意味という訳ではない。ドライバーのマナーやホスピタリティーの向上自体が、ミニ・キャブではなく、バスや地下鉄、マイカーなどの利用者を奪うような何か別の商品性を生む場合や、それが無理でもロンドン市の観光地としてのイメージが一 段と向上し、観光客が増えて流しの収入が増えるケースもあり得る。

ただ根本問題は、やはり料金であろう。ブラック・キャブの料金は毎年、市がコスト増加部分を計算し、ほぼフルに料金に反映させている。公表されている2010年のコンサルテーションでは、原価率39%に対して、粗利61%である。ブラック・キャブの運転手が個人事業主ばかりだとはいっても、粗利6割はかなり高いのではないか。

ブラック・キャブが独占的な価格設定をしているからこそ、ミニ・キャブがハイヤーを通じてシェアを拡大している。サッチャー政権なら自由化を進めた分野であろう。日本では小泉政権が実施したタクシーの運賃自由化の針が逆に戻りつつあるが、英国ではそもそも、ブラック・キャブの独占価格に対する批判があまり聞かれないのが不思議である。結局、今回の研修は、じわじわとミニ・キャブがシェアを拡大する中で、ごく若干の価格調整だけで、ブラック・キャブ側の独占価格を守るための批判予防策と考えるべきだろう。穿(うが)ってみれば、独占ももはや安泰とは言えまい。

(2010年3月17日脱稿)

 
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