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Wed, 10 December 2025

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第86回 消費税について議論のとき─福田退陣に寄せて

消費税は経済政策論の突破口

福田総理退陣を受けて、自由民主党の総裁選が始まった(この項が出る頃には大勢は決しているかもしれないが)。争点は、経済政策だ。対立軸は、自由主義的な小さな政府か、公共政策を重視する大きな政府か、ということである。そして大前提には、既に大きな財政赤字に今後の人口高齢化が加わり、将来の赤字拡大、下手をすれば国がデフォルトしかねないという事態がある。この前提から見ると、政府の大きさの大小問題以前に増税は必至とも思われる。

1970~80年代の英国におけるポンド急落時のサッチャー元首相の処方箋は、小さな政府であり、また北海油田の採掘開始が経済の回復を支えた。同様に日本政府は、近海でのメタンハイドレード(ゼリー状の液化天然ガス)開発に躍起だが、これを現時点で北海油田のように当てにしてよいかどうかは何とも言えない。幸い、日本の産業競争力は、当時の英国ほど落ち込んでおらず、貿易黒字や大きな外貨準備があるので、円安が急に進むことは、少なくともあと3年くらいはないだろう。しかし、金融市場の取引量とスピードは当時の比ではない。今後、サブプライム問題において、米国がファニーメイやフレディマックを救済する実力を示し、日本の政権党が財政赤字を縮小させる能力なしということになれば、円安が始まり、日本国債が徐々に売り込まれるリスクがある。

財政赤字の大きな日本にとって、もはや大きな政府は選択肢としては難しいと思われる。そこで焦点となるのは、小さな政府で消費税率を現行維持とするか、中くらいの政府で税率を上げるのか、という点ではなかろうか。消費税は、英国ではしばしば大きな政変を引き起こしている。17世紀に起こった清教徒革命は、国王の消費税導入に対する議会の反発がきっかけだったし、18世紀のウォルポール内閣は民衆暴動で消費税増撤回を余儀なくされた。消費税が政治問題化することは避けては通れない。

消費税の特色1: 逆進性

消費税、厳密に言うと付加価値税は、企業が(売上-仕入)×税率の金額を政府に納める仕組みである。この税率を売上に転嫁することができれば、その実質的な負担は最終的には消費者が負う。このため、消費税の第1の特色は、所得の高低に関わらず人間の消費が一定だとすると、低所得者ほど負担が大きくなる、いわゆる逆進的であるということである。政府の基本的な役割が、所得の大きい人から多めに税を取り、人間として最低限の安全や生活の保障をするために所得を再分配することだとすれば、逆進的な税は、小さな政府に相対的にはなじみやすい。大きな政府の最たるものは社会主義や共産主義であるが、そのような国では累進的課税方式を採用していることが多い。日本の場合、財政赤字の大きさから大きな政府は取りえないとすると、やはり消費税を考える余地は大きいと考えられる。

消費税の特色2: 徴税コストの安さ

消費税の第2の特色は、法人税や所得税と比べると、操作余地が小さいことである。法人税や所得税では、課税額の決定に会計的な操作性や裁量性が入り込む余地が大きく、企業の税務担当者や個人の税務申告などで課税コストが嵩む一方で、判断の巧拙に伴う税負担の不公平が生じやすい。政治的にも、租税特別措置など特定の業種を優遇することがやりやすくなる。また、現在では多国籍の企業活動が活発かつ容易になっているため、法人や個人の所在地を基準とする法人税や所得税では、所在地を操作することで課税を回避することも可能となる(タックスヘイブンを想起されたい)。消費税はこのような操作をしにくい税である。こうした点を踏まえ、日本の財政問題の解決策としては、消費税率を上げることで企業の税務担当者や税理士を減らし、税務署職員も減らして、国全体として徴税コストを抑制することを考えるべきであろう。英国でも所得税の自己申告制を導入することで、租税調査官を思い切って減らした歴史がある。

ただ、一つ留意すべきは、消費税は、法人税=(売上-仕入-賃金)×税率と比べると賃金にも課税しているので、雇用に対し抑制効果を持つことである。もし消費税率を上げることになれば、企業は労働よりも資本集約的な投資を行うことになるであろう。しかし、これも人口減少下で、外国人労働者の受け入れが容易ではないなかでは合理的なことではないか。

(2008年9月5日脱稿)

 

第85回 英国経済の特色と今後

英国の景気変動の歴史

英国の景気は一段と悪化し、成長率は2%近くまで落ちてきている。一方、物価は5%近い伸びを続けているので、個人の生活水準または企業の実質収益は3%近く下落しているということになる。5%賃上げがあればその負担は全部企業が被るし、賃上げがそれ以下なら個人が被ることになるわけだ。

今知りたいのは、こうした事態がいつ下げ止まるのかということだろう。このような問題を考える際には、経済の構造そのものに立ち返って考えるのが良い。それは経済の悪化に際して、いかに個人や企業が高い所得や好業績を残せるかを考えることにもつながるであろう。

グラフは、英国経済の過去50年位の成長率の変化(四半期毎の前期比をピンク線、その平均的な趨勢を黒線で表示)に、1970年以降における経済協力開発機構(OECD)加盟国の成長率、つまりは世界経済の成長率との近似値変化(前年比を青線で表示)を書き足したものである。見て分かることは次の通り。

1)英国の経済成長率のピークとボトムは、世界経済のそれとほぼ一致している(黒線と青線の山谷がほぼ一致している)
2) 英国の経済成長率の変動は、サッチャー改革が起きた80年代以降安定し、特に90年代後半からは非常に安定している(赤い線の変化が小さくなっている)
3) 90年代以降、英国の経済成長率の変動カーブと世界経済のそれとが相似性を強めている(黒い線と青い線の動き方が、以前と比べ90年代以降はより連動してきている)

つまり英国経済は昔から世界経済の動きと深く関連しており、この点は今でも変化はない。しかしサッチャー改革以前は、そうした世界経済の動きをより増幅させる何らかの要因を抱えていたが(不安定な財政や、第二次産業の衰退を見越したポンド相場の投機的な変動など)、改革以降はそれまでの第二次産業ではなく、ウィンブルドン方式*によって金融や法人に対するサービス(法律、会計、調査など)を産業の主軸に据え、世界経済の変動に同期する形とした。そして世界経済が安定したために、英国経済も同じくその恩恵を受けていたのだ。足許の景気は悪化しているとはいえ、達観すれば英国経済はいまだそうした安定圏内にある。

何も手を打たなければ、今後の英国経済はこのまま世界経済と動きを共にするだろう。だから世界経済が復調するなら何もしなくとも良いということになる。ブラウン政権の鈍い動きも、世界経済の拡大を中期的には信じているからであろう。筆者もそれで良いと思う。

今後と対応策

ただ短期的にはどうか。無策でいる間に政権への政治圧力が高まり、政権は余計なことをせざるを得なくなる確率も高そうだ。中期的に中印や新興国、アフリカの成長はまだまだ期待できるし、IT需要は先進国でも尽きるところはないが、短期的に米中の減速ははっきりしている。特に米国での消費の落ち込みは深刻で、これが中国経済を直撃している。回復に3年はかかりそうだ。その間に政府が財政規律を緩めればポンドの対ドル、対ユーロでの下落は必至で、ここがブラウン政権の頑張りどころとなろう。

一方、個人や企業にとっては、こうした経済構造を踏まえての投資の仕方を考える必要が出てくる。構造を知れば百戦あやうからず、経済が落ち目であってもやることはいくらでもあるというか、落ち目だからこそやれることがある、というのがシティの常識だ。ITの変化に伴い不要となる商品を作っている企業株の先物売、不要となる商品で使われている貴金属(デジカメ発展で不要となった写真感光紙の銀が好例)の売却、新興国への長期間にわたる投資、3年程度のポンドの買戻条件付売却などなど、いろいろと工夫の余地はありそうだ。

* 市場開放し、外国資本を誘致することで自国民を富ます政策

(2008年8月21日脱稿)

 

第84回 オリンピックの後に

北京オリンピックを見て

この稿が掲載されるのは、北京オリンピックの終わり頃であろう。北京の街角やその周辺地域の事情についての報道を通して、その発展ぶりと貧富の差の大きさ、知的財産権の無視のされ方、環境問題のひどさなどを、まざまざと目にしたに違いない。しかし、中国とてこのままの状況を維持しているわけではない。形式的には共産主義の看板を掲げていても実質は資本主義なのだから、こうした不都合は、市場メカニズムにより是正されていく可能性がある。そしてグローバリゼーションの流れにもまれる中で、世界市場からの圧力、インターネットを通じた世界市民、消費者からの監視といった要素は強力な是正圧力になると思う。

足許、中国の経済成長にはブレーキがかかっている。オリンピック需要に対する反動は、既にオリンピック前から始まっていた。東京五輪のときと同じように、公共工事のピークアウトが景気を悪化させつつあるが、一方で批判の矛先が向けられてきた知的財産権への低い意識については、変化の兆しが見られる。中国の大企業が、中小企業の無軌道振りを何とかすべしと政府に申し入れ、全国人民代表大会(国会)で主要議題として取り上げられたことから、法整備が進む可能性は高い。これまで地方裁判所は、中国内の大企業や中小企業を外国企業から守る砦となっていたが、現在では中国の大企業と中小企業間の紛争が急増してきているようだ。

環境問題とて、廃油などの垂れ流しと、その結果生まれてきた障害を持つ子供たちの様子は、日本の4大公害病以前の足尾銅山鉱毒事件を彷彿とさせる。しかしながら、こうした現象は中国でも政治問題になりつつあり、政府は既に実態調査から対応策に乗り出している。

中国が欧米ルールに乗ったら

中国が、欧米ルールに乗るのは意外に早いかもしれない。中国の貧村出身者と話すと、故郷の村の一族郎党の命運が彼の肩にかかっていることが分かる。彼らのハングリー精神や努力に、日本人はついていけていない。共産党幹部の師弟とて、文化大革命で下放された幹部のそれは両親の農村での苦労を見て、共産党のヘゲモニー変遷が静態的でないことを知っている。

中国のエリートに共通するのは、国を信用せず、その代わりに自分の実力や家族を信頼しているということだ。日本人の留学生が、国や家族はもとより、自分すら信頼していないように見えるのとは対照的だ。こうしたエリートのがむしゃらな働きと対応は、次第に社会の富を増し、中間層の富裕化は、猛烈な中国の企業改革に結びつくのではなかろうか。高度成長期の日本企業と異なり、現在の中国企業は、世界の消費者やコーポレート・ガバナンスといった事項に敏感にならざるを得ない環境にある。その理由としてグローバリゼーションの中での世界の消費者の目、そしてインターネットを使った世界レベルでの情報の伝播のスピードが挙げられるであろう。

いよいよわが国は正念場

今後、中国は文字通り世界の先端工場になる可能性もある。日本の産業にとっては正念場だ。中国と日本の製造業は、中国=低付加価値品、日本=高付加価値品という図式を超えたライバルになってきている。日本の製造業が、中国や発展途上国へと100%シフトしないのは、まだ中国の安い賃金+法的・国家的リスク=日本国内の高い賃金、と裁定しているからだ。先に述べたように法整備が進み、左辺のリスクが小さくなれば、生産は一挙に中国シフトすることになろう。

そうなると日本の年金問題や財政問題は、一挙に事態を悪化する。確かに英国のブラウン政権も苦境にあるのだが、英国の産業構造を一挙に悪化させる事態は、住宅バブルの崩壊以外にはなかったという意味で、その仕組みが分かりやすい。しかし福田政権というか日本の政治は、いまや日本経済の構造はがけっぷちにいることを踏まえて行われているのだろうか、と懸念する。中国との産業競争について、過度な楽観は禁物と筆者は考える。

さらに言えば、一段と豊かになった中国人の中には、礼節を知る人が増える可能性が高い。一族郎党の幸福と金銭の追求ばかり考えている連中は、世界では好かれない。もし中国人が世界の貧しい地域で医療ボランティアなど奉仕活動を熱心にやるようになり始めたら、その時こそが、日本人のアイデンティティの危機になろう。こうしたときに備えて我々日本人が考えるべきことは非常に多いと思う。

(2008年8月5日脱稿)

 

第83回 iPhoneとC to Cの時代

iPhoneの特徴

以下アップル社の宣伝ではないことをご了解のうえ、お読み頂きたい。iPhoneのすごさというか、画期性はどこにあるのか。アップル社が宣伝しているように、世間では「マルチタッチ・スクリーン、加速度センサー、GPS、リアルタイム3Dグラフィックス、3Dオーディオなど、これまでの携帯電話にはなかった機能、さらにはApple Storeから500を超えるアプリケーションを選んでダウンロードできること」と言っている。

何のことかさっぱり理解できないという人は、完全にデジタルデバイドされている。だが先月に開発元のアップル社のプロモーションで、同社のCEOであるスティーブ・ジョブズ氏が強調したかったのは、これらの機能ではない。一番重要なことは、「無料ソフトを活用して、誰でもすぐにiPhoneで使えるアプリケーションの開発を始めることができる。さらに、アップル社のiPhone開発プログラムに申し込むと、iPhone実機上でコードを検証したり、Apple Store経由でフリーウェアや商用アプリケーションを配布したり、Ad Hoc配布チャンネル経由で友人、家族、同僚に配布したりすることができる」ということだ。

C to Cの時代

つまり、誰でもiPhoneで使えるアプリケーションの開発をして、それを他人に売れるということだ。ここがWindowsやMac、そしてもちろん日本の携帯電話などとは発想が違っている。これらのいわば基盤上で動くソフトを扱う企業は、ライセンス料を支払って互換性のあるソフトを開発し売っている。Wiiとかプレイステーションのゲームソフトもそうだ。

一方でコンピューターの世界では、特定の業者に依存しないオープン・ソース化が非常に進んでいる分野がある。基盤そのものを公開して、インターネットを通じて皆で知恵を出し合ってより良いものを作って共有する、という開発手法である。そこでの動機は金儲けではなく、「楽しい」という気持ちだ。その形式がモバイルまで来たということだろう。

これまで家電メーカーは、目的を特定した外枠に専用に動くソフトを乗せ、その内容は企業秘密にして先行開発利潤を得てきたが、このモデルは崩壊しつつある。iPhoneによって不要になりそうなものを挙げると、電話、手帳、カメラ、パソコン、ラジオ、テレビ、CDプレーヤー、DVDプレーヤー、時計、電子辞書、GPS、メトロノーム、メモ帳、ゲームなどに加えて、他にももっとあるだろう。

今後個人がアプリケーションを自由に開発するとなると、どんなことができるのか。その答えを探るのがジョブズ氏の狙いだろう。これは消費者に消費者がオープン・ソースを通じて対峙する「Customer to Customer(C to C)」という図式である。もちろんアプリケーションの開発はプログラミングの知識を要するので、誰でもできる訳ではないが。

この時代で残っていくもの

C to C時代に残るのものとは何か。やはり本物の作り手と、彼らの技術を求める消費者のニーズとなろう。オーダーメイドのiPhoneの発想は、それこそバイオ・ベンチャーが目指す個人の遺伝子に対応した個人薬、無農薬栽培農家からの野菜の購入、個人のためのオーダーメイドの靴などと同様、本物の職人や作り手に富をもたらし、中間搾取する、中途半端で消費者のニーズに応えられない大企業を淘汰していくであろう。日本ではiPhoneと競合する企業が、嫌がらせのためか同機種へのバッテリー供給を停止していると聞くが、もうそんなことをしている場合ではないと思う。

コミュニケーション・ツールの変革は、ここまで大きな経済変動、構造変動をもたらし得るものである。一方で食欲、睡眠欲、性欲など肉体に関わるもの、直接体験(植物の栽培、旅行、陶芸など)や手触りといったものに関しては、ITのみでは実現できないため、引き続き残ることになる。

こうした事態を鑑みると、需要サイドで個人の好みがはっきりと出されていくのに対して、供給サイドはこれにどんどん応え得る状態になっていくと思う。こだわる人がこだわって楽しめる時代が来たということであり、筆者のように戦後の集団で何でも画一的にやるということに慣れた世代こそ、まさにデジタルデバイドに陥りやすいのではないか。いやもう陥っているかもしれない、と自問自答する今日この頃である。

(2008年7月23日脱稿)

 

第82回 組織の緩慢な死

組織の死とその速度

最近、組織の死について考えることが多い。企業なら倒産、国家なら消滅または革命などによる既存の政治体制の崩壊、市場なら取引の激減による機能不全、日本の地方自治体ならさしずめ赤字団体への転落か。おおよそ永久に続く組織などありえないので、役割を終えれば資源の無駄遣いとならないように、さっさと解体してその資源をほかでより役に立つように再利用するというのが、経済の考え方である。そしてその解体作業は、市場に委ねるのが一番効率的であることが証明されている。市場価格によって組織の構成要素を売買し、その要素が購入価格以上の価値を上げられるように努力することで、社会全体としての効率性を高められるというわけだ。

このような考え方を具現化した企業のM&Aは、確かにここ数年にわたって非常に盛んに行われてきた。しかしそれでも全体から見ると、M&Aの対象となる組織はごくわずかである。まず国家や地方自治体では、倒産や部分売却は行われない。北朝鮮の延命、イラクやソ連の崩壊の例は、結局、内部革命か戦争でもないと、国家は簡単には崩壊しないとの事実を示している。90年代の中南米の債務危機でも国際通貨基金(IMF)が緊縮財政などで内政干渉したものの、政治体制が変革したわけではなく、結局は先進国の借金返済繰延が解決策となっている。大阪府の橋下知事の仕事振りを見ても、職員の生首を切ることはなかなかできないということが分かる。民主主義においては、時間をかけて少しずつ痛みを分けていくという方法が取られるのだ。

大き過ぎてつぶせない

サブプライム問題で大きな損失を被った金融機関も例外ではない。大きな金融機関をつぶすと、金融市場ではそれぞれの取引相手方の経営状況に対して疑心暗鬼が生じ、取引が極端に細ってまともな価格がつかなくなる。そうするとますます取引が細り、市場自身が機能を止めてしまう。こうなると元も子もないので、当局は大きな金融機関をつぶせない。

スイスに拠点を置く多国籍企業であるUBS証券やクレディ・スイス証券の資産は、合計で同国の国民総生産(GDP)の約7%をも占めるため、倒産するとスイス一国や世界の金融市場に大きな混乱が起こる。このためスイス当局は両社に厚い自己資本を持つよう要請したようだが、この方針もいわゆる小国における多国籍企業の監督問題で、結局「大き過ぎて管理できない、つぶせない(too big to manage, and fail)」という事態になっている。日本の不良債権問題のときも結局、ペイオフされた金融機関はなく、国の資金を注入しながら時間をかけた解体が行われた。都銀が11行から3行になったのも、こうした過程を経ていた。

資本主義と組織

中小企業は実際につぶれているではないか、という意見もあろう。しかし、バブル崩壊期に倒産手続によって処理された企業数は、銀行救済により延命した企業数の1割以下という統計がある。経済成長が著しいときは、V字型回復を狙って優勝劣敗で倒産企業が増えても経済全体が死ぬことはない。しかし景気下降期に大改革をすると、経済全体が衰えてしまうことがある。

組織の死のあり方とそれに至るまでのスピードは経済環境、政治環境、組織の性格によって一様ではない。ただ忘れてはならないのは、組織の解体は早く行えば良いとも限らず、一方で時間をかけて解体を行えば回復もそれだけゆっくりになるということだ。日本がバブル崩壊期に漸進的処理を選んだコストは、日本経済が未だに抱える構造改革問題という形となって表れている。サブプライム問題が発生した際、大きな金融機関をつぶさなかったことが、モラルハザードになることは確実と思える。

北朝鮮や、無駄遣いにまみれた自治体の延命コストは明白であろう。企業については倒産前後で価値の急激な変化が起こらないような倒産法整備や独占禁止法の強化による「大き過ぎてつぶせない」現象の回避、多国籍金融機関については国際倒産や国際独占禁止法の仕組みの検討、自治体については自治体倒産に関連した法制の強化、国家については国際的な制裁を含む市場メカニズムを阻害する要因の排除が真剣に議論されているのは、こういう文脈だと解する。

資本主義と組織の消長との関係とは結局のところ、国家や会社は何のためにあるのか、ネットワークという組織はどう位置付けられるのかといった社会哲学の大問題となろう。ホッブス、マルクスのようなスケールの大きな哲学者の再来が待たれる。

(2008年7月15日脱稿)

 

第81回 インフレの次に来るもの

インフレの先に

物価上昇が止まず、それが賃金上昇に跳ねる可能性が高いとき、人々は来年も物価が上がると思い、買いだめをする。さらにお金を儲けようとする人は、値上がりしそうなモノを当面必要がなくても買う……。金融市場は、ここまでの動きはもう織り込んでいる。迷いがあるのは、物価上昇からインフレへの突入に際して、政府や中央銀行がどう行動するのかについてだ。以下のように大づかみに言って三説ある。

(A説)総需要を増やして(財政拡大、金利引下げ)、高い物価水準を許容する。
(B説)何もせず(財政中立、金利不変)、高い物価水準が人々の消費や投資意欲を冷やして、総需要が減少するのを気長に待つ。
(C説)総需要を抑制して(財政縮小、金利引上げ)、断固としてインフレ期待を抑制し、物価を下げる。

それぞれの特徴をいうと、A説では、短期的には物価は大きく上昇する可能性がある。一番得をするのは借金している人で、つまりは政府、経営の苦しい企業である。世界最大の借金王は日米政府だということを覚えておこう。その逆に一番損するのは、そうした人に国債などの形で貸金をしている人、すなわち日本国民と日本の金融機関ということになる。

B説は、当局が無為無策に見えるほか、総需要が冷えるまでにどれ位時間がかかるか読めない点で不確実性が残る。ITの発達で、世界中の情報が極めて短期間に周知される現状で、この策を取ると噂が増幅し、市場は混乱するだろう。当局者がよほどのカリスマを持つか、逆に国民や政治家が冷静を保つ必要がある。実施はちょっと無理そうに思う。

C説は、長い目で見れば需要抑制を通じて物価が下がり、インフレ継続の予測も弱まることで、結局金利も下がってくるので(フィッシャー効果という)問題解決の早道なのだが、短期的には需要が急激に冷えるので、大きな痛みを伴い企業倒産が続出しかねない。

何が政策選択を決めてきたか

どのような政策が取られるかを考えるときには、歴史を振り返るのが一番良い。英国のサッチャー元首相や米国の中央銀行にあたるボルカー元連邦準備制度(FRB)議長が70年代にC説を取れたのは、インフレ率が10%を超え、英国病に象徴されるように、もはや選択の余地がないところまで経済や国家が追い込まれていたからだ。企業は倒産しないと、人間はギリギリに追い込まれないと底力は出ないように思う。今はまだ世界の危機感はそこまでない。しかし、金融市場のプロがいずれそういった事態が起こると考えれば、それまでの時間を計算し、大きな賭けを張ってくる。

B説では、グリーンスパン前FRB議長が、のらくらして市場に言質を与えず、結局カリスマ性を身につけていった過程が思い出される。「金融政策はアート」などと言われる所以だ。しかし公的機関の行動には何でも透明性が求められる時代、そして説明責任が流行する昨今、言語明瞭・意味不明瞭は通るまい。直球勝負で「いずれ物価は下がるんだから何もしない」といった政治家や中央銀行総裁はいない。それは自己否定みたいなものだから。

現代が直面する難しさ

歴史は常に繰り返しているのだが、今起きている物価上昇に対する政策対応決定には、かつてないほどの難しさがある。英国や米国がC説を取った時には、日本経済がバブルとなっていたので、輸入を増やすことで英国や米国の景気が極端に悪化することは避けられた。C説のような不況策を取っても、外国に強力な需要があれば、ソフト・ランディングできる。ところが今はグローバリゼーションで世界中の国の景気が同期しているので、外国というか、資本主義の外側=フロンティアが少なくなっていることが困難さを生み出している。だからこそシティでは、新しいフロンティアとしてのアフリカに注目しているし、各国中央銀行や国際通貨基金(IMF)は、アフリカ経済や中国の賃金消費動向などの分析を急いでいる。

ただこうしたフロンティアは、時間の問題で消滅する。90年代には、ネット革命により第三次産業のサービス水準が変化したことでまた新たなフロンティアが生まれた。今はバイオ産業に投資が集中している。

そして何よりも大切なのは、市民が冷静さを保つことができるかどうかであろう。市民社会の成熟が、当局の態度を決める最大要因だということを忘れてはならない。

(2008年6月28日脱稿)

 

第80回 ウルトラマンとサンダーバード

ウルトラマンとサンダーバード

80回記念にちょっと変わった視点から。ウルトラマンとサンダーバードを知っていることが以下の話の前提になるので、まずはその説明をしたい。ウルトラマンは日本の円谷プロが1966年から製作した子供向けヒーローもののテレビ・ドラマの傑作で、筆者も子供の頃夢中で見ていた。まず怪獣が出現し、科学特捜隊(自衛隊よりだいぶ強い)がミサイル攻撃などで何とか退治を試みるがうまくいかず、日本がピンチに陥る。その時、同隊員の1人ハヤタがウルトラマンに変身し、怪獣を退治する、という30分番組だ。

一方、サンダーバードはロンドン、ハムステッド生まれのジェリー・アンダーソン氏率いるAPフィルムズが1965年に製作した子供向けのテレビ人形劇で、時代設定は西暦2065年となっている。米国の世界的な大富豪、ジェフ・トレーシーが、一つの国や救助組織では対応できない大惨事から人々を救出するため国際救助隊を設立。南海の孤島から、トレーシーが指示を出しつつ、5人の息子スコット、ジョン、バージル、ゴードン、アランが超音速ロケット機サンダーバード1~5号に乗り込み、事件を解決したり、悪者を懲らしめたりする。ウルトラマンのような超人は出てこない。ロンドンには従姉妹できれいなクイーンズ・イングリッシュを話すペネロープ嬢がいて、スパイ活動をしている。

いずれも60~70年代の子供が夢中になった番組で、最近ではリバイバルもなされている。

日英番組の違い

さて、ここからが本論だ。両者共に子供番組ではあるのだが、それぞれ問題解決のパターンが異なっている。ウルトラマンでは、科学特捜隊は問題解決に直接役立ってはいない。同隊は、怪獣から逃げる人々の避難誘導などはするのだが、怪獣そのものに対しては無力だし、怪獣を操る宇宙人をやっつけたりすることはない。結局ウルトラマンが出てこないと問題解決はできない。

一方サンダーバードでは、まず長兄スコットはいつも真っ先に現場に駆けつける。問題に直接手を下すことはなく、周りの関係者に事情を聞いたり、現場検証をしたりして徹底的に問題点を洗い出す調査を行い、その調査結果を南海にいる父親に報告する。すると父親は、いろいろなものを運搬できるサンダーバード2号(次兄バージル搭乗)に必要な機器を積み込ませ出動を命じる。2号は現場で適切な機材(地底車、深海艇=4号、クレーンなど)を使い、ロケット=3号、宇宙ステーション=5号などとも連絡を取り、問題を解決する。

鍵は、1号に乗り込む長兄のスコットの調査と父親が務める司令塔にある。ヒーローが問題をすべて解決する水戸黄門のようなウルトラマンと、①現場での調査②リーダーシップに基づく問題解決、を重視するサンダーバードは、日英の違いを表していないだろうか。

英国の調査癖

英国の調査癖が始まったのは、古物の収集が盛んに行われるようになった16~18世紀からではないか。特に17世紀の海外貿易や植民地政策は、海外から希少な動植物や珍品を英国にもたらした。そして上流階級のコレクションが、当時の社交場として機能していたコーヒー・ハウスの陳列室に展開。1759年になると大英博物館が開館し、産業革命を経て、中産、労働者階級の教育を主な目的としたその他の博物館が相次いで作られた。

今でもオックスフォードやケンブリッジでは、非常にマイナーだがユニークで、何の役に立つのかと思われる調査を行う学者も多い。筆者は英国人の学者から、ケンブリッジで三島由紀夫、谷崎潤一郎、丸谷才一の文章読本の違いを、王立国際問題研究所チャタム・ハウスでは京都の町の構造を、いずれも日本語で説明されて面食らったことがある。子供の通っていた小学校でも3年生でローマ帝国が現代英国に与えた影響という題でリサーチ、発表させ、その後激しい討論が生徒間で行われた。「調査分析とその批判的討議」に意味があるというのが先生の説明だった。ロンドンの金融業も世界的な情報収集や調査が土台である。この点で日本、東京の金融業は、まだローカル色を脱していないように思われる。

政治分野でも、筆者の専門である経済分野でも、グローバルなスタグフレーションの下で行き詰まり感があるが、従来と異なる発想は地道な調査からしか生まれ得まい。さて、ウルトラマンとサンダーバードを両方見て育った筆者も含め、日本の40歳代から地道な調査を踏まえた新発想が生まれるだろうか。

*本稿は、大垣尚司氏の本からヒントを得ている

(2008年6月15日脱稿)

 

第79回 インフレーション来たりなば

インフレーションが来るか

今年最大の経済問題は「政治」、そして最大の政策テーマは「スタグフレーション」と年初に書いて半年。その確信は深まっている。各国の政治問題への解決能力の低下と、政党間の政策の無差別化は予想通り進捗(しんちょく)している。また原油や商品作物価格の高騰と米国の景気減速は、はっきりスタグフレーションの形を示している。先日の「エコノミスト」誌も「インフレが戻ってきた」をテーマとしていた。日本はまだしも、ロンドンでは値上げラッシュだ。また中国、インドネシア、サウジアラビアで年率8~10%、ロシアで14%、アルゼンチンで23%、ベネズエラで29%の物価上昇と聞けば、一過性の現象とは断言できないだろう。

「フィナンシャル・タイムズ」紙をはじめ、経済論壇では70年代のオイル・ショックと比較する議論も多くなってきた。共産圏崩壊による低賃金労働者の解放を原因とする世界的なデフレの後なので、人々のインフレ期待(物価が連続して上昇すると期待して、行動すること)はまだ高いとは言えないが、しかし警戒すべきというのが先進7カ国(G7)の公式見解となっている。

それでは、どのように警戒すればいいのか。今回の値上げラッシュは、産油国の石油国有化運動としての供給サイドのショックが問題ではなく、BRICs*1、VISTA*2各国の生産拡大からの需要ショックに加えて、低賃金を原因とした低い物価上昇率ゆえに金利を低く据え置いた金融政策を背景として、流動性の高いマネーが不動産から商品に流れ込んだことが原因である。そうなら、元を叩くためには原油や商品の生産増加と合わせて、総需要抑制を行うしかないと思う。

白川新日銀総裁のコメント

この点、日銀の白川新総裁は、4月に行われた会見でこう説明している。供給ショックに対する金融政策対応がどうあるべきかについては、昔から考え方は比較的整理されている。まず純粋に供給サイドの問題であれば、これは消費国からみると景気減退要因だ。この物価上昇が一時的な要因の場合、つまり期待インフレ率上昇を通じた物価上昇をもたらさないのであれば、金利を上げて、これに対応することは適切でないと考える。一方、期待インフレ率上昇をもたらすのなら、金融政策で対応すべしというのが、オーソドックスな考え方だ。

だが現在起きているショックは、実は単純な供給ショックだけではなく、新興国の成長が拡大し、その結果資源価格が上がっているという需要面の動きが背後にある。そうなると、需要要因が既に働いているので、単純に生産を増やすだけでは適切でないということになる。

基本的には、日銀は物価安定の下での持続的成長を目指すから、少し長い時間的視野の中でデータに則して判断してい く。要するに統計が揃わないので即断できないが、生産増を図ったり、インフレ期待を金利のみで抑えても限界があるので、合わせて総需要抑制が必要ということだろう。筆者も同感である。

賃金インフレ

「エコノミスト」誌の処方箋は、BRICsなど新興国の金利引上げと為替切上げだ。これも総需要抑制策だが、おいおいと思わないだろうか。アングロ・サクソンはまたも自分らの問題を棚に上げて新興国サイドだけ調整を求めるのか。「フィナンシャル・タイムズ」紙においてのマーチン・ウルフ氏の論調もいつもそうだ。次回秋のG7の方針もミエミエで、中国、ロ シアに金融引締めと為替切上げをドル暴落にならない程度に迫るだろう。では、この間の英米の狂った不動産投資や低貯蓄率、さらには投資銀行やヘッジファンドの行動には問題はないのか。世界インフレの碇(いかり)だった中国など新興国の賃金も、先進国が物を買わなければ上がらない。でも中国製品やインドのITサービスがなければ英米企業は経営が成り立たない。結局、筆者の考えでは総需要抑制といっても気休めで、短期的には北京オリンピック前後に踊り場があっても、中期的にインフレは不可避だ。

またインフレで最も苦しむのは、世界の半分の人口を占める新興国未満の国々の国民だ。今こそ世界レベルでの政治の構想力が必要となるだろう。ベネズエラなど新興成金国の無駄遣いを一刻も早くやめさせるべきだ。また7月のサミットでは日本がリーダーシップを取れるのか。福田首相は「大きいことに、どんと挑戦」と言っている由だが、温暖化問題だけで十分か、はてさて。

*1 経済発展著しい、ブラジル、ロシア、インド、中国の4カ国を指す
*2 同じく、ベトナム、インドネシア、南アフリカ共和国、トルコ、アルゼンチンのこと

(2008年5月25日脱稿)

 

第78回 政治行政情報の偏りと投票行動の限界

最大の経済問題は政治

この欄で年初に書いたように、今年の最大の経済問題は政治だ。米国のサブプライム問題も、結局は新大統領が公的資金をどれだけ入れるかの決断に依存するだろうし、チベットを前哨戦とした中国周辺部(飢える北朝鮮、対中輸出減速の台湾、軍事政権がハリケーンに対する援助を拒否し、鎖国するミャンマー)の政治的安定と中国本体のオリンピック前後からの景気減速も、人民解放軍と農民の格差拡大に対する不満を胡錦濤氏が注意深く処理できるか否かに大きく依存する。欧州ではブラウンとサルコジ政権の失速、日本は言うまでもなく総選挙が近い。

ただ政権党や権力側に対する対抗側にも、実は政治経済問題に妙案があるわけではない。まず米国ではオバマ、クリントンいずれも経済政策に特色がない。中国も共産党が政権を失ったら、次の政権は分裂か群雄割拠しかあるまい。英国のキャメロン保守党党首やフランス社会党も経済政策では新味がない。日本も民主党と自民党との大きな政策の差を指摘することは難しい。むしろ高齢化に伴う年金財政の破綻と若年失業問題には、共通して解がない。

マルクス主義の実践がソ連、東欧、中国で絶え、その配当を謳歌したネオコン、新自由主義の行き過ぎもサブプライムによる景気減速で傾きつつある。この間、ブレアの新自由主義の下での第三の道も、財政赤字が徐々に拡大していった。結局はサッチャー元首相の作った財政ポケットを活用した住宅建設など単なるばら撒きだったのか、整然とサッチャー政権の行き過ぎを是正したと評価されるのかどうかが今後、ブラウン政権終了後、はっきり歴史に問われることになろう。結局、選挙でどの政党に投票しても大差ないので、有権者は気まぐれで目先や気分を変える。先日のロンドン市長選挙も同類と見たがどうか。


政治行政情報の偏り

しかし政治はトータル、全般的なものだ。だから、全論点についてバランスよく考えていくことが市民に求められている。それを可能にするための最低条件としては、第一には政治や行政の情報をもっと広く、かつ分かりやすく公開することだと思う。今では日英とも情報公開法があり、公開請求はできる。また各省や議会のHPが充実していて、探そうと思えばある程度の情報は探せる。それでも忙しい生活の中で、全体像を進行形で把握するのは容易ではない。テレビやネットのニュースは論点と事件とゴシップを追うのに精一杯だ。サッカー・ボールを追うのでなく、後衛の位置から球技場=政治全体を見渡し、その鳥瞰を与えるのは新聞の役割のはずなのだが、果たして英国の新聞ですらそれが十分なのか。

米国にコングレショナル・クオータリー(www.cq.com)というHPがあり、米国議会の動きを論点ごとに分けて、各省や民間の調査、議会での議論の進捗状況、各委員会を構成する議員の背景と金の動きまでカレンダーつきで踏み込んで情報を与えている。主に圧力団体の人が、どの議員をシンパにすべきかを考える材料提供をしているのだが、それがそのまま政治過程の「見える化」になっている。しかも一部無料で、その部分だけでもある程度のことは分かる。また全体像を1秒で知りたい人は1秒で、1時間の人は1時間で論点がつかめる。そうした情報を市民が得て、初めて日本の民主党のつまみ食い的な主張の一貫性を問題にできるのだろう。一貫性や全体的な整合性こそ市民は選挙や公開討論で問うべきだし、それでこそ真の2大政党制が実現できる。

1票の妥当性

第2の論点は、1人1票で十分かどうかだ。複雑な論点をジグザグに包含した党議拘束のある政党所属議員を、1票で1人選ぶ仕組みの是非から問われてしかるべきだと思う。ITを使えば、政治上の論点50個に対して候補者は50の考え方と理由を提示し、それに有権者は賛否を投じるような仕組みを容易に構築することができる。それで各論点についての得票数の総和が多い人が当選すると、候補者はどの論点が自分の当選に寄与したのかよく分かり、投票行動にその民意の制約を受けることになるだろう。

代議制は市民の中から選良された議員による自由な議論の中から方向性を決めていくことに価値を見出したのだが、IT技術によりこれを直接民主制的に運用することが可能となりうる。自由な議論を代表レベルで行うのか、国民レベルで行うのかといった憲法学上の論争を現実の政治に生かすためにも、まずは第一の条件である政治経済にかかる基礎情報の提示がなされれば、より議論が深まる余地があるのではないか。これこそ英国にせよ、日本にせよ、政治経済建て直しの鍵となるであろう。

(2008年5月14日脱稿)

 

第77回 証券化の真実と角を矯(た)めるG7金融当局

証券化の真実

証券化という金融手法がある。サブプライム・ローンで問題になったものだ。銀行や住宅金融会社は、低所得者向けの住宅ローンをいつまでも資産として保有していると、大きな貸倒(信用)リスクを抱えたままになる。これでは、資本÷総資産で計算される自己資本比率が低下し、銀行の信用問題に関わる。そこで銀行は、住宅ローンをまとめて売却し資産から切り離す。ただ住宅ローンを1本ずつ売るのは手間だし、買う方もまとめ買いしたい。このため税金の安いケイマン島などいわゆるタックス・ヘイブンに、ペーパー会社(特別目的会社)を作り、その会社が各住宅ローンを買って、投資家にはこの会社の株式や出資証券を売る。

この株式や出資証券は「有価証券」なので、これを資産の「証券化」と呼んでいる。銀行にとってはリスクのある資産が減り、自己資本比率が上がるので、次のビジネスがやりやすくなる。投資家にとっては、税金支払いや上場企業株などを持つ際に必要な情報開示を回避して資産を持つことができる。しかもそのリスクは格付会社などが目安を示してくれるし、さらには範囲が住宅ローンなどに限定されるのでリスクを測りやすい。

もちろんこれは物事の一面で、世の中には一方的に良いこともなければ、悪いこともない。証券化への投資はいろいろな事業を営む株式会社への投資と異なり、リスクが明快であるため、リスクが実現すると(サブプライム・ローンなら貸し倒れが増えると)一気に投資家が損をする。ペーパー会社は銀行借入をしないため、銀行が面倒を見ることもない。このため資金繰りが行き詰まって倒産してしまう。つまり証券化が良いとか悪いという話ではなく、そういう金融手段と合致した投資態度を持つ投資家のための1つの仕組みに過ぎない、ということになる。


G7の処方箋

4月に米国ワシントンで財務相・中央銀行総裁会議(G7)が開かれた。そこで示された証券化に対する処方箋は下表の通り。

G7で示された証券化に対する処方箋
1. 100日以内に実行すべき施策
・金融機関は、複雑で売却できない金融商品のリスク、引当、市場価値をすぐに公表すること
・国際会計基準委員会は、急いで特別目的会社の情報開示や市場下落時の金融商品の市場価値評価の基準を作ること
・金融機関は当局の助けも借りて、リスク管理の実務を強化すること
・7月までにバーゼル銀行監督委員会(BIS)は流動性管理のガイドラインを、証券監督者国際機構(IOSCO)は、格付会社の行動規範を(より厳しく)改正すること
2. 今年中に実施すること
・資本、流動性、リスク管理についての監督強化: 自己資本比率規制強化
・透明性と価値評価の強化: 当局による金融機関の自己評価チェック強化
・投資家による格付会社の格付利用方法の変更: あくまで参考資料であることの確認
・国際的な監督当局と中央銀行の協力との情報交換を強化

いずれの施策も規制や管理強化だ。だが証券化を行ったのは金融のプロたちである。格付会社を丸々信頼し、その信用リスク・モデルが完璧と思っていた金融機関がいたとしたら、それはプロではない。特別目的会社では投資家が少なく、少数の株主が全体のリスクを知りうる状況にあるので情報開示になじみにくいし、だからこそプロがこの仕組みを好んで作った。このため市場価値はその閉鎖的な性質上、客観的には測りにくい。それを無理に測る基準を作れとは無理難題、会計士受難時代が続く。証券化のプラスマイナスを無視して、プラスのみを規制するような処方箋を市場取引が細っているときに講じると、一段と取引は細る。

今後、世界的に金融機関は取引や貸出を減らし、そのバランス・シートは縮小していく。投機資金と実需資金を区別なく圧縮すると、景気には確実に悪材料になるので、縮小の加減が課題になる。サブプライムの影響はまだ続くと見たほうがよい。

同じ問題は日本の不良債権問題でも起こった。当局が貸出のチェックを厳しくしたことで、資本のない日本の金融機関は急激に貸出を回収して、景気が悪化した。そして規制のコストは結局国民、いや今や世界中の人々が払うことになる。さらにこうした問題の構造をまったく説明せず、「G7でサブプライム問題の特効薬はなかった」と、あたかも対症療法のみを求めるような日本のマスコミの大政翼賛、大衆迎合体質は、意義が薄いと見てほとんどG7に関する報道をしなかった英国のマスコミと比べて、罪が一段と重い。

(2008年4月28日脱稿)

 
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