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Wed, 10 December 2025

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第126回 スーダンと黒猫白猫

スーダンの間隙

エジプトの南、アフリカ大陸で最大の面積を持つ国スーダンの原油の半分以上は、中国向けに輸出されている。一方の中国はスーダンに対して人的、金銭的に多大な投資を行っている。これまでも中国は、石油プラント、パイプライン、レアメタル鉱山などに中国国営企業や数万人の労働者を派遣して、経済面での援助を行いつつ、武器輸出を通して政治的な関与を強めてきた。特に道路、橋梁(きょうりょう)などへの投資に重点を置くスーダンへの関与の方式は、「インフラを握るものは天下を制する」という意味で、アフリカとの関係構築の模範とされているようだ。

石油資源やレアメタルなどの鉱山資源を多く有するスーダンはもともと英国の植民地であり、英国が同地の利権に深く関与していた。しかし、例によって英国は、北部アラブ系住民(主にイスラム教徒)と南部アフリカ系住民(主に黒人で、キリスト教徒または土着宗教の教徒)のどちらにもいい顔をする分割統治を行い、1956年の独立直後から内戦が勃発。イスラム教徒やアラブ系を中心とする政権と、これに対する南部のデインカ人を中心とする反イスラム勢力との反目や実質的な分割統治、さらには政権内部での派閥抗争の2点が内戦の基本構造になっている。西部ダルフール地区での紛争はその応用問題で、政府と政権を握るアラブ系住民らによる、反政府ゲリラや非アラブ系住民への迫害、隣国チャドへの難民が問題となっている。

キリスト教をバックとする西欧諸国や国連は、スーダン政府を人道的見地から非難し、バシール大統領には戦犯容疑で国際刑事裁判所から逮捕状が出ている。西欧メジャーがスーダンに投資しにくくなったこの間隙を、中国は見逃していない。ナイル川の橋梁建設を日本に代わって受注し、ここを橋頭堡(きょうとうほ)として、資源を中心とする開発に食い込んできた。

非人道行為を行おうが、行うまいが、中国にとって役に立つ政府であれば援助するという、鄧小平の「黒い猫でも白い猫でもねずみを取る猫は良い猫だ」という主義を西欧諸国は批判しているのだが、現実のスーダン経済は、中国の独檀場になっている。グローバリゼーションの下、資源囲い込みにかかる欧米と中国の代理戦争となっているアフリカでの陣取り合戦の一例がここにある。

これからのスーダン

ダルフール地域からの難民流入を巡り対立していたスーダンとチャドが、双方の反政府勢力対応で歩み寄りつつあり、ダルフールにつかの間の和平が来る兆しはある。しかし南北の対立は根が深く、いずれ北スーダン、南スーダンに分国し、緩やかな国家連合体になるとの観測が根強い。ここに必ず、石油やレアメタルに関する利権を持つ欧米や中国企業、さらにはその背後にいる政府が介入することは、確実である。北を中国、南を欧米が取るという構図になると思われるが、果たして、それで解決と考えていいのかどうか。

特に中国にとっては、中国製の武器を有してアフリカ最強といわれるスーダン軍が南部を抑えている現況が好都合なはずで、現状維持を狙ってくると考えられる。中米対立の観点からも、スーダンは既に火がついているだけに、パワー・ポリティクスの展開を読むべき局面である。

日本人の活躍と日本政府

さて、わが日本はスーダンで何をしているのか。NPO法人ロシナンテスが一人気を吐いている。代表の川原医師が、無医村に医療センターを展開し、井戸掘り、学校など多面的な活動を展開しておられる。しかも、サービスの提供は無料ではない。小額でも支払いを受けることにより、経済的な自立を促しつつ、スーダン人の信頼を勝ち得ている。

全く姿の見えないのが、日本政府である。パワー・ポリティクスに参加するでもなし、ロシナンテスについて、寄付行為などに税制上の優遇措置を講じるでもなし。川原医師によれば、スーダン人は、本音を言うと、中国の露骨な資源取りを愉快には思っていないらしい。むしろ、中国製に比べてはるかに壊れにくい日本製の車そして電化製品を欲しがり、またそうした日本製品の影響で随分と日本のイメージは良いのだという。トヨタ、日産、ホンダ、SONY、パナソニック、YAMAHAなどの製品と川原医師の活躍は、確かにスーダンの支持を受けているのである。日本政府にとっては、無策による怪我の功名というべきか。

それなら、いっそ何もせず、川原医師や日本企業の活動への減税などの側面支援に徹するのが正解であろう。

(2010年3月1日脱稿)

 

第125回 法人格のそもそも論と徴税コスト

日英両国経済の難しさ

日英ともに、今後どのようにして国を栄えさせていくのかという点について迷いがある。英国では、ウィンブルドン方式で海外から金融機関を誘致し、ロンドンを国際金融の中心地として場貸しすることで、国全体が潤うという方法を取ってきた。しかしサブプライム問題以降、金融が産業として苦しくなると、英国経済全体も振るわない。国際金融におけるロンドンの地位は大きく下がってはいないが、金融依存の経済発展には疑問が出てきている。スコットランドを始めとする自国の製造業が停滞し、産業振興も外国企業の誘致という形でしか事実上行っていないため、海外からの製造業が、英国内から中東欧にシフトしている状況を変えることもできない。

日本は製造業の競争力がまだあるものの、大企業がアジアを中心に海外投資を積極化する一方で、国内投資は極端に抑制する方針にあり、国内の雇用は減り、賃金も上がらない状態だ。また先端分野以外の製造業は、韓国と中国が完全に日本を追い抜きつつある。先端分野でマザー工場を日本国内に残せるのか、それだけで雇用を維持できるのか、そして環境、観光、介護・健康、教育分野等で内需拡大を図れるのか。いずれにせよ、日英両国経済は構造問題に直面している。

法人格の軽さ

両国では、新産業の育成、需要の開拓が政策論として唱えられることが多いが、現実にこれを担うのは企業なので、今回は企業=法人格について、そもそも論の観点から、構造問題を考えてみたい。まず、両国における法人の現状はどうなっているのか。2008年の統計では、英国の総法人数は約179万社あり、うち86万社が赤字法人である。また納税額が500ポンドに満たない企業が約14万社あるので、合計100万社、6割弱の法人はほとんど税金を納めていない。さらに納税額が500~5000ポンドまでの間の企業が約32万社あるので、約4分の3の企業は、1ポンド=150円として、納税額が75万円にも満たないことになる。この状況は日本も同様である。2007年には法人数は約260万社で、うち税金を収めていない欠損法人は174万社、約67%ある。

7割もの企業が赤字ということがあるだろうか。いや、それでは経済は成り立たない。日英ともに必要経費を多くすることで、所得税減らしがなされているのではないか。そもそも法人は、個人より制度として優遇されている。まずは有限責任制度。次に必要経費の大きな控除である。有限責任制度はそもそも法人が法人たる所以なのでやむを得ないが、必要経費の認定には大きな恣意性がある。

昭和20年代の日本では、欠損法人は全体の2割ほどであった。戦後一貫して欠損法人の割合が高まっており、その多くが所得税対策として利用されている。昔で言えば、豆腐屋や針子、八百屋、駄菓子屋といった個人営業が、株式会社となり、小売業における大企業のチェーン店と化した。英国の統計は見当たらないが、法人数は毎年増えており、日本ほどではなくとも、法人格は節税に利用されている。

世界初の株式会社とされている東インド会社は、勅許会社でもあった。特別な優遇を得る代わりに、納税はもちろん、収益を上げようと株主は優れた人を経営者に選び、経営者は従業員と一体となって付加価値を世の中に還元することを使命とした。だからこそ、コーポレート・ガバナンスも意味があった。ところが節税のための法人では、個人との財産分離などが十分ではなく、ガバナンスも十分働かない。法人格の軽さが、株主や経営者に緊張感や世の中に対する使命感を欠かせ、その結果、赤字企業を増加させ、日英経済の将来を曇らせてはいないだろうか。

徴税コストの高さ

法人が合法的な節税のために使われ、必要経費の認定には大きな恣意性があるとなると、その適切な認定のためには大きな徴税コストがかかる。2009年における英国の税務職員数は約7万9000人、日本は5万5000人である。加えて各会社で、源泉徴収などのために税金担当者を置いている。申告納税が原則となっている米国の税務署員は、2008年で約10万1000人に過ぎない。経済規模を考えると、日英の徴税コストは、大きな社会的なコストになっていないだろうか。

経済の将来を考えるときに、環境、観光、介護・健康、教育分野といった分野での需要開拓を考えることも重要だが、足許の、それもこれまで当然と考えられてきた制度そのものが抱える社会的コストを考えてみることも重要と思う次第である。

(2010年2月17日脱稿)

 

第124回 米国の深謀遠慮とアキレス腱

米国が仕掛ける揺さぶり

最近、中国の経済発展や中国企業の活躍、さらには欧州や日本企業による中国進出、合弁提携などについてのニュースを見ない日はない。G7も影薄く、G20が世界の金融・経済を議論する場になっている。米国はG2として中国を持ち上げ、中国も、自分たちは発展途上国、つまりは第三世界のリーダーなのでとてもとてもと謙遜しつつ、欧州連合や日本を越えたことについて、自尊心をくすぐられて満更でもない風である。

こうして中国への注目が高まるにつれて、元々あった大国意識が中国人の中で覚醒した一方、国内では警戒論も強い。「G2などは人民元切上げを狙った米国の陰謀で、その手には乗るまい」「日本の失われた10年の原因は、プラザ合意でうかうかと米国の口車に乗ったためだ」と中国当局者は口を揃えて言う。米国も、そうした為替問題についてあからさまには言及しない。

しかし、最近のニュースを見ていると、米国が為替問題をゴールに置いて、中国に揺さぶりをかけ始めたことは間違いないと思う。1月の一般教書演説で「今後5年で輸出倍増」を打ち出したが、対外競争力のない米国製品に輸出増加という結果を短期間に求めるのは不自然であり、実際のところは、政治力を使って中国に為替調整を要求するというメッセージであるとしか読めない。そして、台湾への武器売却の正式決定と続いている。これも政治的な恫喝の気味がある。

中国の対抗とボルカー提案

当然、中国も黙っていまい。最大の武器は、世界最大の保有量を誇る米国債をこれ以上買わない、場合によっては売却するということをちらつかせることであろう。米国債売却が現実になれば、米国債が暴落し、米国の長期金利が急騰、ドル高になり輸出拡大は難しくなって経済戦争勃発と言うことになる。しかし、米国はもうひとつくせ球を繰り出している。金融業の規制に関するボルカー提案である。

ボルカー提案は、①米国の金融機関のうち、銀行がヘッジファンドや投資ファンドに投資することを禁ずる ②投資銀行(証券業務)を営む銀行は、市場からの借入に上限を設け、レバレッジ拡大を抑止する ③世界の大手30行にも同様の規制を協調してかけることを各国当局に求める、という内容である。要するに、銀行が証券業務を兼営することをバブルの元凶と考え、伝統的な預金と貸金の銀行業務と証券業務を分離し、銀行が市場から資金調達してレバレッジをかけ、ファンド等に資金を無制限に供給することにフタをするものである。G20やBIS(国際決済銀行)で検討中の金融機関の自己資本比率規制を強化するとか、会計ルールを強化するとか、高額報酬を規制するといった、間接的で、チマチマした規制強化よりも、今回のサブプライム問題、証券化の行き過ぎに対してはずっと本質的かつ直接的な対応である。大銀行を持つ日欧も正面きっては反対しにくい内容であろう。

新興国への資金流入反転リスク

現在、ファンド等の投機資金は、中国、東南アジアに大幅に流入している。各国金融当局がこぞって心配しているのは、90年代のアジア危機のときのように、こうした投機資金が一斉に引き上げられ、自国でドル不足となり、国際通貨基金(IMF)のお世話になる事態が再来することである。だからこそ、資本流入・流出規制が各国で真剣に検討され始めている。ボルカー規制により中国からファンド・マネーが逃げ始めればどうなるか。

前回も書いたように、中国は昨年、成長率8%に対し、銀行貸出が30~40%も伸びた。どうみてもバブルである。既に中国当局は、窓口指導強化など軟着陸に乗り出したが、ここでファンド・マネーが一気に引き揚げると、不動産価格暴落になる。バブル崩壊は銀行の不良債権を生み、経済活動は一気に収縮するという、日本人にはお馴染みの話である。ボルカー提案は、内容は傾聴に値するが、世界経済にとって、そして米国経済にとっても諸刃の剣になろう。米国の輸出先が中国なら、ボルカー提案は角を矯めて牛を殺す可能性がある。G7の人民元討議に注目だ。

そうなると、次に米国の輸出先として注目が集まるのはどこか。いうまでもなく日本である。米国は日中両国に緩やかな為替調整や市場開放を求めて来る。普天間問題を抱えた鳩山政権は、靖国問題で中国を敵に回した小泉政権と、同じように不用意に大国を敵にした感がある。経済・軍事で包括的なパワー・ゲームを始めた両大国の狭間で、局所的な難問だけを主張している我が国の政権はあまりにも子供に見える。

(2010年2月1日脱稿)

 

第123回 世界経済の二番底(Double Dip)リスク

二番底リスクの見落とし

英国を除けば、世界の景気は最悪期を脱し、回復過程に入ったと見られている。その原因は、金融市場が安定を取り戻しつつあること、米国の生産や消費がある程度勢いを取り戻し始めたこと、インフラ投資需要などが旺盛な中国を中心とするアジアが世界経済の新たな牽引車となってきたこと、などである。

筆者も、こうした見解に異論はない。ただ、ならば今年1年は順風満帆なのか、というと大きなリスクの見落としがあるように思える。それは、こうした一服感をもたらした原因の中にこそある。すなわち、米国の回復が本物かどうか、中国に過熱リスクがないかどうか、ということだ。

まず、米国の不良債権問題そのものは、まだまだ解決していないという事実を過小評価してはならない。日本の経験からみても、1990年代初頭に不良債権問題が始まり、1996、97年頃に若干景気が回復して問題が解決したかに見えたのだが、98年には山一証券、北海道拓殖銀行が破綻し、再度、景気は落ち込んだ。踊り場は、これから上がるためのものとは限らないのだ。米国の当局者は、今後2、3年間で、これまで以上のペースで金融機関、特に地方銀行の破綻が続くと述べている。金融機関は、自己資本比率の規制強化も意識しつつ、資産の圧縮を進めざるを得ない。そうなると、住宅ローンはもとより、自動車ローンや商業用の資金貸し出しは抑制色が強くなるであろう。その結果、米国人が消費を抑えると、景気の回復は即座に止まってしまう。その場合、海外からの輸入が減り、世界経済に大きな悪影響を与えることは確実であろう。

中国のバブル

中国の経済成長率は年率約9%であるにも関わらず、銀行貸し出しは、昨年約30%以上も伸びた。日本のバブルの経験に照らせば、これは長続きしないと言える。確かに、中国は内陸部へ向けたインフラ投資を行っており、しかも人口千人あたりの車の保有台数は40台(日本は約600台)と、まだまだ投資の余地はある。しかし、沿岸部一級都市での不動産市場の過熱は異常だとすぐに分かる。

中国では「蝸居(うおじゅう)」(かたつむりの家)というT Vドラマが人気だ。田舎出身で今は都会に住む大卒の共働き夫婦が、マンションを買おうと節約を重ね、子供を実家に預け、主人は酒や煙草を規制され、ようやく頭金をためたものの、その間にマンション価格が3、4倍と跳ね上がっていき、そのために奥さんはヒステリックに生活を切り詰める。一方で不動産業者はマンションを転がして、ケタはずれの金を儲けていく。そしてその不動産業者、行政当局に夫婦と奥さんの妹が絡んで……という、悲喜劇ながら温かい視線を持つドラマである。こうしたドラマが流行ること自体、もうバブルだということだ。

しかしながら、このバブルがいつ弾けるかということは、予想が難しい。中国の地方政府は税収の多くを不動産売却収入で得ている。地方政府が土地を売却し、業者が開発、住宅を建てて高値で取引することが、経済の仕組みにビルトインされてしまっている。中央政府が統制に乗り出しているが、地方政府は、土地売却を止めると財政が破綻する。業者に融資している地方銀行も同様だ。地方銀行の不良債権問題は、中国企業の深刻な経営難につながる。そして中国経済がバブル崩壊によって大きく変調すると、日本の景気を直撃する。今や中国は日本の最大の貿易相手国だからである。

二番底リスクに備えて

こうした二番底リスクについての認識が、政治家、企業家にやや弱いのではないかと感じる。今後、英国にせよ、日本にせよ、世界の工場としてのアジア、特に中国への工場進出、会社設立は著増する予定だが、こうしたリスクがあることを踏まえて、法的に逃げやすいような、保全を利かせた進出を考える方が無難ではないか。

そうした策をとらないならば、中国ととことん付き合う覚悟が必要となろう。中国は長年の友人を大切にする。共産党政権が危機に陥っても付き合うと言うくらいの覚悟がなければ、友人にはなれまい。日本の政権を見ていると、中国に対しても、米国に対しても、他国への理解が浅いのではないかと感じる。特に中国に対しては、2000年近い付き合いがあるにも関わらずである。今後は政治、経済はもとより、文化帝国主義、柵封外交を求めてくる中国に対する構えがさらに必要とされるだろう。これこそ、二番底のときに最も求められる備えであるのだが、今の日本の政権は、その構えをまるで持っていないように見える。

(2010年1月22日脱稿)

 

第122回 2010年の世界経済展望—チャンス/リスクの大きな年

2010年経済の標準予想

あけましておめでとうございます。本年も宜しくお願いします。

2010年は、経済面ではどういう年になるか。先進国では1~2%の低成長が続くものの、BRICS、VISTAなどの新興国の経済成長が著しく、全世界では3~4%程度の経済成長が期待できると考えられる。成長のエンジンは、中国とインドを中心とするアジアと、パイは小さいながらも急成長するアフリカ。そして足を引っ張りそうなのが、東欧という爆弾を抱える欧州という構図になりそうだ。

そうした中、経済回復がもたつく可能性があるのが、不良債権問題が尾を引く米国と、戦後における高度成長の経済モデルから低成長・高齢化社会への脱却が遅れ、構造問題となっている日本ということになる。英国は、欧州のお荷物とならない程度の回復は認められるが、欧州のヘゲモニーを取れるほどの経済力を維持することは困難な情勢となろうし、それが労働党内の分裂の素地になり、逆に保守党のキャメロンの急所になるのではないか。またリスクとして注意を要するのが、前々回、前回に書いた欧州におけるEUの危機と中国のバブル・リスクである。いずれも世界経済にとっては大きな時限爆弾であるように感じる。

こうした変化をもたらした要因は、結局は第一に米国人による過剰消費の終了、第二に共産圏の解放による安価な労働力の資本主義社会への放出と、そうした労働力が購買層に転化しつつあることの2点に集約できる。

結局は自助努力次第


金融サミットの開催など、2009年には世界的な
不況の対応に追われた
Picture by: Stefan Rousseau/PA Wire/PA Photos
以上が標準的な予想だが、あくまで予想であり、平均的な姿に過ぎない。こうした予想を前提にして、企業や個人が自らの強みや弱みを知り、強みを伸ばすように経営を行えば、その会社や個人は、世界経済の良し悪しと関係なく、成長することが当然可能である。その意味では、個人や企業は平均的な経済の動きから逃れることは容易ではないが、自らの行動を変えることで乗り越えられるということを忘れてはならない。そして、そうした高い努力で成果を挙げることのできるαの大きな企業(株式市場では、市場全体の平均と個別企業との収益率の差をαという)の株価は高くなるし、投資家はそうした企業を探すのが投資の醍醐味ということになる。

ではαの高い企業とはどういう企業か。米国人の過剰消費の終了と、共産圏の解放による安価な労働力の資本主義社会への放出及びその労働力の購買層転化は、20年来の大きな構造変化なので、生産体制、ライフスタイル、消費行動の大きな変化を伴わざるを得ない。ところが現在、日本は元より、世界中でもこれらの変化に定見や決まった答えは見出せていない。ということは、経済構造の変化を感じ、中長期で見た強み、弱みを知り、生産やサービス供給体制の抜本的な改革を迅速に行うことが、成功への近道ということになる。こうした根本からの見直しは、成否について不確実性が大きいゆえに、チャンスも大きいが、リスクも大きいことになる。

リスクをチャンスとするために

結局、この社会で相変わらず活動を続けるためには、変わり続ける必要があること、即ち、変わらないために変わることが生き残る早道であり、そのために経営者はお客や従業員との対話を徹底的に行い、ライフスタイルや消費行動の変化を厳密な言葉で具体的に詰めてみることが有効と思う。そしてリスクをチャンスとするためには、確実な変化に対応することである。

アジア諸国の経済成長はほぼ確実であり、アジアでの消費の伸びは金融の伸びにつながる。日本のマスコミは報道しないが、昨年、中国は上海、香港、台北の金融市場一体化構想を発表した。アジアでデファクト・スタンダードを取ること、日本の少子高齢化社会で人口減少による生活変化に対応すること等々、こうした確実な成功の種をみすみすやり過ごさないように迅速に対応すれば、今年はチャンスの年だったと後に振り返ることになると思う。そうすれば、日本に横溢(おういつ)する、経済のみならず政治から文化から、何もかもを含めての精神の「不景気」を克服できると信じる。

(2010年1月7日脱稿)

 

第121回 MISSING証券化商品とEUの箍(たが)

ユーロの独歩安

12月8日に実施されたギリシャ国債の格下げを受けて、ユーロ安となっている。また南欧のPIGS(ポルトガル、イタリア、ギリシャ、スペイン)諸国の経済は、失業率が2けた台、最大のイタリアで20%と停滞色が強い。

さらにヨーロッパは、他に東欧という不良債権の大きな火種を抱えている。昨年来、米国では不良債権の処理と公的資本を含めた資本増強といった措置が矢継ぎ早に取られたのに対して、欧州では金融機関の国有化などの措置が取られたものの、不良債権を時価で評価した上での償却や引当が十分なされたとは言い難いと市場では見られている。

どうして時価評価ができないのか。まず、市場ではサブプライム問題の発火点となった証券化商品の不良在庫がまだまだ出尽くしていないのではないかという見方が根強い。証券化商品を扱う欧州の金融機関は、その証券化商品を記録する勘定を置く拠点を、ニューヨークやアジアの子会社との間で頻繁に移動させている。これは顧客との売買の都合もあるが、各国の金融当局が行うチェックへの対応という面も持っている。当局が検査を実施する際、他国にある金融機関のオフィスに長期間にわたって滞在するということは難しい。このため、検査中は他国のオフィスに勘定を移転することがあるとされており、このようにして時価評価を免れている「MISSING証券化商品」がまだ相当規模で残っている可能性があると言われている。不良債権を時価評価するとなると、こうした「MISSING証券化商品」も再評価することが必要になる。その結果、金融機関の経営が破綻しかねない状況に陥ることを恐れ、時価評価を行わない。欧州の金融機関は不良債権処理を十分に行っていないと市場が懸念する所以である。

欧州の不良債権問題

11月にEUは、国際会計基準委員会が出した「企業が金融商品の市場価格評価をオプションとしてできる範囲を拡大する提案」に対し、反対意見を提出した。金融商品の市場価格評価を行える範囲が拡大し、金融商品の価格の振れが大きくなると、金融機関の経営が安定しなくなるという理由である。

上記のように、EUでは、証券化商品の時価評価による損失処理が遅れている。こうした現状において証券化商品を市場価格評価すると、金融機関に大きな損失が出ることになるので、これらを救おうとすると、EU各国の財政が持たない、と言っているようにしか聞こえない。日本の不良債権問題のときに不良債権を時価評価すべきだとさんざん言ってきたあのEUはどこに行ったのか、と尋ねたくなる。欧州人のご都合主義、自分の都合のいいように世界基準を作りかえる厚顔には、腹立ちさえ覚える。

それにしても、こうしたEUの動きを見ていると、欧州における金融機関の不良債権処理がまだまだ峠を越えていないことが分かる。その上での問題は、今後、財政余力のないPIGS諸国の金融機関から経営危機が顕在化してくる可能性が高いということである。

幸い一つの政府で対処するには荷が重過ぎるほど大きな金融機関は、スペインのサンタンデールとビルバオビスカヤ以外はないが、中小金融機関の破綻が、大手に伝染するリスクには注意が必要である。アジア通貨危機の最大の教訓は、コンテイジョン(経済状況の悪影響)だった。同じようなことが起きれば、ユーロは暴落するリスクがある。

EUの箍

結局、この問題は、南欧や東欧まで拡大したEUの在り方そのものを問うということになると思う。再々度の大戦を回避することを目的とした独仏枢軸から始まったECから、欧州各国が対米交渉力強化を狙って相乗りした壮大な社会実験へと発展したEUは、これまで基本的には成長期しか経験していない。

不況期に、大国がどこまで経済回復の遅れる国を支援できるのか。域内での為替調整や金利差設定を行うわけにはいかないことから、国家間の経済格差が開いた場合、財政による所得移転(補助)か、労働者が国を移動するほか、格差を是正する方法がない。

ただ移民が多くなったといっても、ギリシャ人の半分が英国に来ることができるわけではない。結局、財政規律を守るためにも、大国独仏が東欧、南欧を援助するしかないが、その余力は小さい。そうなると2010年は、EUの箍が問題になる年になろう。

(2009年12月17日脱稿)

 

第120回 中国とインドへの企業進出考

世界経済のエンジンとの関係

世界経済の成長を担うエンジンが、これから中国とインドになることはほぼ確実である。最近の経済レポートで、「200年前は中国とインドが世界の国内総生産(GDP)の半分を占めていた」というものがあったが、今世紀末にはそうした状態に戻る可能性がある。日本の企業も両国への進出で色々な失敗を経てきているが、好き嫌いにかかわらず、これら成長力のある国と関係を結ぶことなくしては、日本の成長も望めない。

このため最近では、日本の製造業は大企業のみならず、中小企業までもが、相当の割合で両国と如何に付き合うかということを念頭において生産計画を考えるようになっている。今後は中印で日本の大企業の工場建設が相次ぎ、その敷地内や近隣に中小企業が自ら工場を建てたり、合弁会社を作ったり、現地企業への技術供与をするといった話題が急増すると見られる。

それにしても、日本の企業からは「両国はもう懲り懲り」という話をよく聞く一方で、英国の企業からはそうした声があまり聞かれない。インドは英国の植民地であったので、英国人はインドのことをよく知っていて馴染みも深い一方、日本は中国と戦争したためにどうしても感情的なしこりが残っているとの見方もあるが、インドは旧宗主国の英国に必ずしも好感情を抱いてばかりいるわけではないので、この議論には必ずしも賛成しない。

中国とインドの難しさ

どうしてこうした日英の差が生まれるのだろうか。まずインドに関しては、植民地時代を含めて金融業などを中心に非常に長い付き合いがある英国に比べ、日本は土地など大型投資を要する製造業が進出する機会が多いため、開業に当たっての調整コストが大きい上に、さらには付き合いの時間が歴史的に短いからではないだろうか。

インドでよく聞く日本企業の失敗は、土地の権利が入り組んでいて、用地買収から工場建設まであまりに時間がかかりすぎるということである。インド政府は資本主義国でありながら、大企業を抑制し、中小企業を優遇する社会主義的な政策を徹底して行っている。このため土地関係の規制は多く、土地は基本的に個人や中小企業が有している。民主主義国であるため、強権的に地権者に土地を放棄させることもできない。このため、一つの工場を建てるだけで大変な時間と労力が必要になる。製造業にとっては、この時間が致命的である。しかし、インドでは時間が必要なのだ。

中国での失敗は、合弁企業などで中国人がノウハウを吸収すると、会社を辞めてライバル会社を設立し、元の会社は当局からいろいろな規制違反などで難癖をつけられて、契約が守られずに撤退を余儀なくされるという例が多い。よって、技術だけ取られて終わったという感じが残ってしまう。中国は土地が国有の社会主義国なので、役所の決定により用地買収が強権的に即時実施されるため、非常に早くことが済む。一方で、契約が守られないという問題がある。

この点を中国法の先生に聞いてみると、中国では、契約関係は人間関係の一部として捉えられているとのことだった。すなわち、契約が人間関係を上回るわけではないので、人間関係が悪くなるようなら、契約は無視する、修正して都合よく解釈するということが平気で起こるようになる。これは日本で明治維新後に行われた、フランスやドイツなどの国で顕著に見られるローマ法を起源に持つ法律の継受が、中国では行われていないことを意味する。ローマ法は、人間関係と契約関係を峻別するところにその特色があるのだが、ローマ法が継受されていない中国では、両者の分別が出来ていないため、人間関係>契約関係となる。そうであれば、中国進出の鍵は、信頼できる現地の人を見つけることが第一条件になろう。

インドと中国の悠久の時間

考えてみれば、両国はインダス文明と黄河文明の発祥の地であり、4000~5000年の歴史を持つ。中国の為政者は100年先の目標を考えているという。そうであるならば、インドでは長期化を覚悟で、現地のスピードで進出するほかあるまい。また中国でも紹介などを通じて、信頼に足る人間関係を構築することがビジネスにとって重要になる。

日本の銀行の海外進出で唯一成功と言えるのは、旧大和銀行がインドネシアに作ったプルダニア銀行である。現地と徹底して付き合い、昨年50周年を迎えている。

(2009年12月2日脱稿)

 

第119回 外国資本の企業で働くということ

英国における外国資本

英国では、英国人が外国資本の企業で働くことは当たり前で、少数派ですらない。銀行業界だけでも、米国の証券会社やフランス、ドイツの会社、さらには日本の会社がしのぎを削っていて、多くの英国人が外国資本の会社で働いている。また英国に住む日本人の中には英国企業で働く人も多いが、彼らにとって、外国資本の企業で働くことに別段、抵抗はあるまい。

しかしながら、日本で働く日本人にとっては、外国資本の企業で働くことは例外に属する。就職戦線でも、合コンでも、外国資本の企業で働いている場合には、「外資系の○○」という枕詞が付される。ちなみに、この「外資系の」という言葉が含むニュアンスは、英語では伝わらない。英語圏では、そういうことを取り立てて問題とする感覚がないからであろう。

実際のところ、資本がどこの国かということを問題にすることにはあまり実質的な意味がないようだ。例えば、資本家がアラブの王様であったり、ロシアの富豪であったりする場合がある。彼らは、国籍はともかくとして、実際にはロンドンに住んでいたりする。また彼らが経営する企業は、CEOなどの経営陣の人材選びに際して、世界中から優秀者を集めている。一体、企業の国籍をうんぬんすることにどういう意味があるのだろうか。英国人はそうした「資本の国籍問わず」の感覚を持っていると感じることが多い。

インフラ企業とナショナリズム

ただ英国でも、外国資本によるBBA買収は問題になった。空港運営会社をスペインの会社が買収することに対して、安全保障上の問題が絡むとの議論が新聞に出た。米国の港湾運営会社を中国の企業が買収しようとして、米国政府が待ったをかけたことも記憶に新しい。一方で、英国航空とイベリア航空の経営統合にはそう異論もない。

雇用が生まれることを見越しての外国企業の誘致は、どの国の政府も行っている。サッチャー政権時代に民営化が徹底して行われた英国では、電力会社にまで外国資本が入っている。90年代からの電力自由化によって、業界1、2位の座を得た電力会社は、ドイツの電力会社に買収された。空港がだめで、電力はOKという理屈はそう明快ではない。結局、徴税対象という観点を除いては、国籍概念とは企業にとって非常に馴染みにくいものなのであろう。

これに対して、日本では、英国のファンドがJパワー(旧電源開発)を買収しようとして大問題になり、日本政府がこの動きを阻止した。ルノーによる日産自動車買収は問題にならなかったが、デルタとアメリカン航空によるJAL出資は政治的な議論になる可能性がある。日本人の中には、それがたとえ現在はマイナス評価であったとしても、日本人が苦労して築き上げた会社財産を外国資本に売り渡すのは何か損、といったような感覚が残っている。まして電力会社や航空会社といったインフラ企業なら尚更である。

一方で現在、中国企業が日本の中小企業の技術力に眼をつけ、その買収を進めようとする動きは既に相当数ある。時間の問題として、日本に住む日本人は、自分の勤める企業が中国系になりうることを覚悟する必要がある。

中国系企業で働く覚悟

外資系企業に対して、日英の間に意識の差が生まれるのはなぜか。ナショナリズムは英国でも決して弱いとは言えない。やはり、日本人は外国人、外国の企業文化に慣れていないということが、真因であろう。英語という国際語を第一言語とするか否かの違いもある。島国でかつ鎖国が長かったという歴史も関係しているのかもしれない。

問題は、外国企業に買収されること自体の善悪ではない。例えば、中国企業が日本の中小企業を買収した際に、その企業で働き続けるためにはどうあるべきか、ということであろう。仕事・会議のスタイル、文章の表現など、個人が学習すべきことは山のようにある。しかし、より重要なのは、多国籍企業や外国企業におけるトラブルに対する紛争解決の制度、もしくは法を適用する上での明確性といった、日本人従業員の権利を守るための制度及び中国国内での制度整備を要求することであろう。

いずれも日本政府の仕事である。民主党政権のマニフェストには目先の問題が非常に多く、中期展望に弱い。しかし、世界経済のグローバリゼーションはどんどん進んでいる。生煮えな政策論ばかりでは、国民に余計な心配を与える。

(2009年11月19日脱稿)

 

第118回 欧州大統領のいす

本命のブレア元首相

欧州大統領のいすを巡る報道が増えてきた。これまでは英国のトニー・ブレア前首相がその候補として評判が高かったが、ここへきて、独仏首脳が「英国はユーロに入っていない」「最初は中小国から選ぶのが良い」といった発言を繰り返し、スペイン、ポルトガルもブレア氏を支持しないと発言するなど、黄信号が灯っている状況にある。ただ他に有力な候補がいるわけでもなく、依然としてブレア氏が最右翼だ。

当のブレア氏は現在、外国の要人訪問を繰り返しては、外交問題の仲介あっせんと、自らの投資会社のPRなどを積極的に行っている。「F T」紙の記事によれば、9月11日から10月10日までの1カ月間に14回と、ほぼ2日に1回のペースで講演を行っており、行先はシカゴ、ニューヨーク、エジプト、シンガポール、ロサンゼルス、バンクーバー、ワシントン、ニュー・ヘブンとまさに世界を股にかけている。FTは、「本当に『前』首相?」 と皮肉を投げ掛けているほどだ。

投資会社の代表というビジネスの顔と、前首相や中東特使としての公的な側面が一体となっていることにやや危なっかしさを感じる人も多いだろう。その点は一応置いておくとして、現状でも実質的に外交官としての役割を果たすことができること、関係会社への収益も莫大なものがあることを鑑みると、ブレア氏が欧州大統領になることは、必ずしも彼にとって得とは言えないという見方も出るほどである。

EUで何が問題か

EUの課題は、第一には経済危機、なかでも東欧や南欧の経済規模の小さい国の経済状態の悪化への対処、第二にそうした悪化を食い止めるための財政援助のあり方(独仏などがそうした国に援助することが良いかどうか)、第三に金融機関経営悪化への対処、第四にリスボン条約を始めとする域内の諸制度の標準化、第五にそうしたプロセスの民主化の促進であろう。

このうち第一から第三までは一連の話である。米国と異なり、欧州の金融機関は、サブプライム問題以降に大きく価格が下がった、またはもはや市場で値段がつかなくなった証券化商品を処理しきれていない状態にあると見られている。こうした証券化商品は、米国の監督当局の影響が及ばない海外子会社で塩漬けにされている。リーマン・ブラザーズ破たんのときも、元々は米国で売買されていた証券化商品を英国の子会社に移したことでその子会社が破たんしたことから、その損失は英米どちらの会社が負うべきかという争いがある。グローバルな金融機関はこうした「飛ばし」を行うことがあるが、欧州ではその損失処理を十分行っていない可能性が高い。そしてその処理を行えば、金融機関の経営問題に直結し、景気悪化につながるため、財政支援が問題となる。

当面のところ、欧州各国は金融機関の不良債権は処理せずに、証券化されたローンの借り手であった東欧や南欧諸国自体を救済することで会計処理も含め損失処理を先送りし、あわよくば、証券化商品に値段が再度つくことを狙っているかのように見える。しかし世界的な需要がアジアを除いて冷え込む中で、その戦略には危ういものがある。

アイスランドほどではないものの、国の経済を支えていくだけの産業を持たない東欧の危機は、近い将来に現前するであろう。その処理を担い、独仏に金を出させるのが新大統領の仕事になる。当然、人々に対するアピール力があり、決して意のままにはならないだろうブレア氏では、独仏はやりにくいことになる。ならば、第四、第五の問題を担える実務家を期待するということになろう。

大統領に相応しい人物とは

EUも経済が低成長期を迎え、その存立基盤が怪しくなりつつある。経済が順調であるときには、制度によって各国調整ができる、いわゆる能吏(のうり)型の進め方が有効であった。しかし低成長期に他国を援助することに対して、独仏は簡単にはYESとは言わないであろう。政治的メリットが要求されることになる。

金融機関の処理をこなせる市場はロンドンにしかなく、他は国家が処理するほかない。処理できる力がある国家は独仏のみであろう。こういう政治力学を乗り越えて、EUを再建できる人となるとブレア氏で十分かどうか。サッチャー政権の継承は上手だったが、革命を起こした人ではない。一方で小国の候補に力量はない。

そもそも、有名政治家がなるほかないという選考過程の非民主制も目につく。結局、欧州大統領とはお飾り程度の存在であり、誰がなっても大差ない、というのが結論のようだ。

(2009年11月2日脱稿)

 

第117回 キャメロンとオズボーンの政権―保守党と自民党

保守党の政策

保守党は、ここ数カ月、労働党を2桁上回る支持率を得ている。英国ではサブプライム以降の景気回復が見えていない。政策効果や中国の回復を受け、世界が製造業を中心に回復を見ているのに対して、英国とりわけロンドンの稼ぎ頭である金融は芳しくない。米国ではサブプライム住宅ローンから商業用不動産向け貸出へと不良債権の中心が移行する一方、欧州では住宅ローンにおける不良債権の処理さえ十分ではない状態が続いている。マーケットにはいまだ活気が戻らない。この状態でポンドは一人負けの状態にあり、ポンド安が続いている。

英国民が感じるブラウン首相への苛立ちは、日増しに大きくなっている。12年間に及ぶ労働党政権への飽きも支持率に見られ始めた。来年5月6日に実施と目される総選挙へ向けて、保守党には追い風が吹いている。

こうした中、オズボーン影の財務相は先々週、政権奪取後の財政政策の骨子を発表した。70億ポンド(1兆円以上)の歳出削減、国民年金支給年齢引き上げ、中間層への減税の取りやめ、50%の最高所得税率の維持、公務員の給与削減などである。選挙前にも関わらず、受益者に取って厳しい施策をはっきりと公約するのは異例とも言える。

またキャメロン党首は、マンチェスターでの党大会で「大きな政府」の失敗を厳しく批判した。これだけだと、歳出を切り詰め、耐乏を強いた80年代のサッチャー政権の再来とのイメージが強くなり過ぎる。そこでキャメロン氏は、「Family, Community, Country」を支援していくと言い、環境や同性愛者にも配慮して、保守党は「Modern Conservative Party」になると言った。

問題は4大銀行の寡占

その方向性は、労働党に対する対立軸として良いであろう。キャメロン氏は保守党大会で、戦後最悪の不況、財政赤字、政治への幻滅、社会崩壊の危機といった諸問題の解決は難しいという厳しい現状認識を示し、歳出削減の必要性を説いた。しかし、歳出削減のみでは選挙は勝てまい。もちろん「Family, Community, Country」だけでは中身が不明だ。前向きな経済回復への動きについて具体的に語る必要があるが、それがない。サブプライム直前からのブラウン政権の経済失策を検証した上で、どう金融を立て直すのかについての具体策が、総選挙で圧勝するためには是非とも必要だ。低成長でも暮らしていけるために何をすべきなのか。保守党が掲げる小さな政府は、結局は民間に頼むということなのだが、民間の誰に頼むのか。

今、4大銀行は寡占にあぐらをかいている。各銀のサービスは悪い。結局、サッチャーの敵が肥大化した政府、公共部門であったのに対し、キャメロンの敵は寡占化された銀行ではないのか。英国には国際的に開かれたロンドン証券取引場と同時に、銀行の国内的な寡占が存在しているのである。そうした寡占利益に依存する不動産業、サービス業の数々。ここが改革の本丸だと思う。

イングランド銀行のキング総裁は、輸出促進のためポンド安容認とも取れる発言をしたが、危険なことではないか。ロンドンはウィンブルドン方式で発展してきた。ポンドの価値が下がれば、英国への投資にブレーキがかかる。ウィンブルドン方式が瓦解することは英国にとってプラスにはなるまい。寡占の金融を解体しつつ、ポンド相場を維持するための具体策を練る必要があるのではないか。

重なる保守党と自民党の姿

大きな政府を批判し、歳出削減以外に具体策がない保守党は、日本の自民党のイメージに重なる。自民党も大きな政府を批判するが、経済状況を好転させるための具体的な提案がない。

一方の民主党の政治は、結局のところ、金融と財政による景気の梃子入れである。自民党の言う通り、国債は増発となり、大きな政府になる。金融機関が不良債権を抱え込めば、これは結局財政負担、つまり銀行そして預金者の負担になる。人口が減少する日本で、そんなに大きな政府が必要なのか。自民党はそこを突くべきであるが、同党総裁に就任した谷垣氏とそのブレインは、それができるのか。

このままだと、まるで大政奉還・王政復古後の戊辰戦争で行われた残党狩りのように、地方の建設業者に自民党から民主党への鞍替えを迫る小沢氏の勝ちとなる。だとすれば、来年7月の参議院選挙でも自民党復活の目はまずないと考えるが、どうであろうか。

(2009年10月17日脱稿)

 
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