ニュースダイジェストの制作業務
Wed, 10 December 2025

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「ロンドンの交通機関は世界一」!? from UK

ロンドンの交通機関は世界一!?
これが「世界一」の交通システムです
信号故障やスタッフ不足などによる遅延や運行停止が日常茶飯事のロンドンの地下鉄。まともに動いているときですら、東京の通勤ラッシュ時並みの混み具合で、とても快適とは言えないうえに、初乗り4ポンド(約955円)と、とんでもない運賃を要求することで有名だが、この地下鉄に代表されるロンドンの公共交通機関が、なんと世界各国の旅行者による投票で「世界一の交通システム」の座を得てしまった。念のため、誤解がないように付け加えると、世界で「最悪」ではなく、世界で「最高」である。

ほとんどのロンドナーにとっては悪い冗談としか思えないこの投票は、旅行サイトの「トリップ・アドバイザー」により企画されたもの。その結果を見ると、英国外に暮らす人々は、ロンドンの公共交通システムは世界で最も機能的で安全だと「勘違い」していることが浮き彫りとなった。特にどこへでも連れて行ってくれるタクシー、ブラック・キャブへの評価が高かったようだ(これには納得)。

高評価の原因は、タクシーのほか、街を縦横無尽につなぐ地下鉄網にもあるようで、実際回答者の5人中2人が、公共交通機関で最も重要なポイントはどこへでも行きたいところ に行けることだと挙げている。また約30パーセントの人が安全であることが最も重要だと答えた。「清潔さ」のカテゴリーにおいては、第4位。ホームを闊歩するネズミもびっくり の好成績だ(ちなみに東京は2位)。

このニュースに飛びついたのが、混雑税を導入し、公共交通システムの利用を促しているケン・リビングストン・ロンドン市長。普段から交通システムに対する苦情しか耳にしないであろう彼が、このニュースを満面の笑みで受け止めたのは想像に難くない。同市長は、早速インタビューに応え「第2次大戦後、最大とも言える交通機関への投資が実りつつ ある印である」と自慢げに語った模様だ。

「時間きっかり、清潔、安全」の東京の地下鉄がトップ5にも入らず、ロンドンが1位……。在英邦人としては、今回の調査結果は不思議で仕方がない。旅行者には、我々在住者には見えないロンドン地下鉄の魅力が見えているのだろうか?

「インディペンデント」紙 "London's public transport is world's best (no, really)"



 

アヒルたちの大航海 from UK

お風呂に浮かぶ愛くるしいアヒルのおもちゃを巡る奇妙なニュースが飛び込んできた。なんでもプラスチックでできたアヒルのおもちゃの大群が、15年にも及ぶ航海を経て近々、英国の海岸に到着するというのだ。

この見通しを発表したのは、このアヒル艦隊の行方を追跡している米国の海洋学者。なんでも彼によると、このアヒル大航海の船出は1992年1月にまでさかのぼるとのこと。当時、中国のとある工場で生まれた約3万羽のアヒルたちは、新天地米国での生活を夢見て(?!)香港発のコンテナ船に乗り込んだ。しかし彼らが乗ったコンテナが、太平洋で吹き荒れた嵐にさらわれ海の中へと放り出されてしまったというのだ。

アヒルたちのうち、約2万羽は、数カ月後にインドネシアやオーストラリアの海岸にたどり着いた。しかし、残りの約1万羽はアラスカめがけて北へと進み、その後、いったん西へ押し戻されたものの、北太平洋還流に乗ってアラスカ付近へと戻り、そのまま北極海を漂う憂き目に遭うことに……。

2000年には北大西洋で、2003年には米東海岸でこのアヒルたちの目撃情報が寄せられ、アヒルの引き受け元であったおもちゃ会社ファースト・イヤーズが、アヒル捕獲者に賞金を出すと発表。しかし、結局アヒル艦隊は米大陸には上陸せず、また大西洋を東へ東へと進み続けたのだ。

それから更に数年を経た今年、冒頭で述べたとおり、大海原を乗り越えたくましくなったこのアヒルたちが今度は英国に上陸する見込みとなっている。ファースト・イヤーズ社は再び、アヒル1羽につき50ポンド(約1万2000円)の賞金を出すと発表。一方、その10倍の500ポンド(約12万円)を出してでも、この太陽と海水ですっかり色褪せたアヒルが欲しいというコレクターも数多くいるそうだ。現在のところ、上陸が予想されている場所は、イングランド南西部、アイルランド南部、スコットランド西部だとか。夏のホリデーは、アヒルを探しに、英国海岸を旅してみるのも良いかも?

「The Times」紙
“Plastic duck armada is heading for Britainafter 15-year global voyage ”



 

移民の皆さん、「英国民のように」バス停では並びましょう from UK

移民の皆さん、「英国民のように」バス停では並びましょう
マナー違反は移民にのみにあらず?!
文化の多様性、異文化に対する寛容性を謳っているだけあって、色々な国籍の人が暮らしている英国。しかし、文化的・宗教的バックグラウンドの異なる人々が一緒に生活するとなると、誤解や勘違いから様々な問題が生じがち。最近は英国の慣習に従わない移民も増えている。そんな事情からこの度、移民に向けた英国文化のパンフレットが発行されることになった。

と、ここまでは良いニュースのように聞こえるのだが、その内容が議論を呼んでいる。というのも、そのパンフレットには、「英国民は路上に唾を吐きません」だとか「英国民は、バス停や郵便局で列に割り込むことなく行儀良く並びます」だとか「英国民はむやみに喧嘩をふっかけません」などといった、「もしもし、移民を馬鹿にしていませんか?」と思わず尋ねたくなるような基本的なマナーが列挙されているからだ。読んでいると、無教養でマナーのなっていない移民像が浮き彫りになってくるのです。うーむ、最近の英国でのモラルの崩壊はすべて移民が原因であると濡れ衣を着せている気がするのですが、今朝、地下鉄内で食べたバナナの皮を丁寧に座席に置いていったのは、英国人レディーのようでしたし、地下鉄の扉が開いたとたん、空いてる座席めがけて突進したのも英国人ジェントルマンのようでした。また、むやみに喧嘩をふっかけたり、暴れたりすることで有名なのは、英国産のフーリガンなのでは?

それはさておき、移民統合政策への英国政府の取り組みはかなり真剣な模様。これまで多言語で発行されていた政府資料も英語に統一される見込みだし、ポイント制ビザが導入される頃には、ビザ取得に英語力も問われるようになるらしい。また今年4月からは、英国に関する知識を問う「Life in the UK」テストが永住権申請者に適用されるようになった。移民はますます英国社会への理解を求められるようになりそうだ。

「ロンドンでは、英語を話せなくても生活できる」と当たり前のように言われてきたことが、通用しなくなるのも時間の問題かも。その内日本人同士でも英語で話すようにというお達しが出たりして?!

「BBC Online News」 “Measures urged on migrant 'fears' ”



 

バッキンガム宮殿にキャンピング・カーが集合 from UK

バッキンガム宮殿にキャンピング・カーが集合
人気TVプレゼンテーター、
チェリル・ベイカーもキャラバ ン生活者の
仲間入り!?
去る7月下旬のある日、バッキンガム宮殿の庭でキャラバン居住者7500人を招待し、キャラバン・パーティーが開かれた。 キャラバンとは、日本語でキャンピング・カーのこと。英国を含め欧州諸国では、定住所と定職を持たず、キャンピング・カーで移動生活をする人々が今でも多い。つまりは英国で最も立派な(!?)住居とも言えるバッキンガム宮殿の住人と、最も小さな「スイート・ホー ム」に住むさすらい人が、一同に介したというわけだ。

とは言え、この日のパーティーで展示されたキャラバンは、1885年に英国海軍軍医が特注したというマホガニー製の豪華キャラバンや、伝統あるキャンプ愛好団体「キャラバン・クラブ」のコンペティションに入賞したソーラー・パネル付きの未来型キャラバンなど、いわゆる「キャンピング・カー」のイメージとはほど遠いものばかり。またパーティーの参加者たちは、宮殿内に自らのキャラバンを持ち込むことは許されず、公共交通機関を使って来ることを義務付けられたのだという。

さて、ここで不思議に思うのが、豪奢な宮殿から離れて寝泊りすることなどなさそうな英国王室と、スナフキンのごとく自由気ままな生き方を好むキャラバン移住者の関係。実は、エリザベス女王2世の夫であるエジンバラ公フィリップ殿下は1952年から半世紀以上にわたりキャラバン・クラブの長を務めており、今回のパーティーはこのクラブの創立100周年を祝うためのものだったのだ。

ところでフィリップ殿下と言えば、「失言王」としても有名。1984年のケニア訪問時には現地の女性に「あなたは女ですよね?」と尋ねたり、2001年には将来宇宙飛行士になりたいと言う12歳の少年に向かって、「きみは太りすぎているから無理だろう」と言い放ったりと、その失言には枚挙がない。今回、「実のところ、キャラバンで一晩を過ごしたことがあるのか」と際どい質問を投げ掛けられたフィリップ殿下、「ノーコメント」と無難な答えで乗り切ったそうな。今年で御歳86歳。亀の甲より年の功で、さすがの失言王も少しは学んだか!?

「The Times」紙 “A tailback from history as caravanners party at Palace”



 

母乳育児ブームの行方は…… from France

母乳育児ブームの行方は……
パリのシャルルティ・スタジアムで行われた
イベントには、パパたちも参加
フランスの母乳率はヨーロッパで最下位だ。母親の就業率が高いという理由以外にも、胸の形が崩れるという美容上の問題を気にしている女性もいるという。また、貴族の地位にあった女性が子育ての一切を乳母に任せて社交に明け暮れていた、という歴史的事情の名残か、母乳育児を「野蛮」と見る一部の風潮も多少この結果に影響を与えているようだ。ところが、最近この傾向に少し変化が出始めている。2000年には産院から退院する時に母乳育児をしている女性が56パーセントのみだったのが、2005年には62パーセントになったというのだ。

母乳育児には、さまざまな利点が挙げられる。まず、子供は粉ミルクで育つよりも病気になりにくくなるといういくつかの調査結果が出ている。下痢やアレルギー症、感染症や突然死の割合が下がる上、成長してからも肥満になりにくくなるという。また、母親にとっても、母乳で育てることで子宮収縮ホルモンが分泌されて能率的に動けるようになるという効果がある。しかし、現実はなかなか厳しい。母乳が母子の健康に良いとは分かっていても、赤ん坊が生まれてから2カ月後に母乳育児をしている女性は5~10パーセントのみになってしまうのが現状なのだ。罪悪感に駆られつつ、結局は便利な粉ミルクへと移行する母親が圧倒的多数だという。

ただ、哺乳瓶全盛の時期から比べると、今は授乳が一種のブーム。10月中旬に設けられた「母乳推進週間」の際には、パリを始め全国34の都市で「授乳大会」なるイベントが開かれた。全国で約3000人の母親たちが参加し、母乳育児に関する講演に耳を傾けたこのイベント、なかには「革命が進行中である!」と勇ましく叫ぶお母さんたちの姿も。

夜は子供をベビーシッターに預けてカップルで外出したり、早い時期から母と子が別々の寝室で寝たりと、フランスでは親と子の境界線がはっきりしている。個人主義が尊重されるこの国で、母乳率はこれからどうなっていくのだろうか。一過性のブームで終わってしまうのか、それとも定着していくのか注目していきたい。それにしても、授乳まで「革命」になってしまうとは、これもやっぱりお国柄!?

「Le Parisien」紙 "Allaiter, c'est bien... mais pas si facile"



 

アンディとともに過激イスラムに立ち向かえ from Germany

アンディとともに過激イスラムに立ち向かえ
マンガで宗教問題をお勉強
大人も子どももこぞってマンガを読むマンガ大国日本ならば、マニュアルはもちろん、政府が発行する白書にまでマンガを使って「分かりやすく」説明するのは当たり前。一方、「マンガ後進国」を自負するドイツでも、昨今では日本のマンガが若者を中心にじわじわと人気を集めており、それにあやかろうと青少年を過激イスラムの手から守る手段として、お役所が日本風コミック仕立てのパンフレットを作成し、話題を集めている。

ノルトライン=ヴェストファーレン(NRW)州の内務省が生んだ正義のヒーロー、その名もアンディ。15歳の、バスケットボール好きで、どこにでもいそうなドイツの現代っ子だ。アンディは、友人のムラトが外国人であるがゆえに職業訓練先を見付けられず、彼をテロの手先として使おうとたくらむ過激イスラムの指導者に洗脳されて変貌していく様子を目の当たりにする。

友人のそんな姿が心配になるというだけでなく、ムラトの妹、アイシェに恋しちゃったからにはますますムラトを放ってはおけない。仲間から遠ざかろうとするムラトを引き戻すべく、手を尽くすアンディ。そんなアンディに暴力で対抗する過激イスラム組織の考え方にムラトも疑問を抱くようになり、最後はめでたく悪の手から逃れる、という筋書きだ。

ドイツ人のペーター・シャーフ氏によるマンガで、若者が手にとりやすいよう親しみやすいデザインになっているうえ、イスラム教と過激イスラムの違いやジハード(聖戦)など日頃よく耳にする言葉も詳しく解説されている。

製作にあたってNRW州は5人のイスラム専門家とストーリーのコンセプトを練ったという。インゴ・ヴォルフ内務相は「アンディは反イスラムなのではなく、逆にファナティズムの恐ろしさを説く存在」と説明している。

過激イスラムといえばインターネットなど「西洋の技」を駆使した扇動的なプロパガンダで社会からはみ出した人々を取り込んでいくことで知られるが、今回のNRW州の試みは、マンガという「東洋の技」で対抗しようというもの。果たしてどちらが若者の心を捉えるか。

「Westdeutsche Zeitung」紙 "Andi kaempft gegen Islamisten"



 

ヌーベル・ヴァーグも今は昔 from France

ヌーベル・ヴァーグも今は昔
18禁指定を受けた
「胎児が密猟するとき」
Zootrope films
若松孝二監督作品の「胎児が密猟するとき」(1966年)が今、フランスの映画界を騒がせている。10月に監督作品としては初めてフランスで公開になったこの映画が、18歳未満禁止に指定されたためだ。検閲委員会の判断を受け、文化大臣クリスティーヌ・ アルバネル氏が決定した。

フランスで18歳未満禁止指定が導入されたのは、2000年に公開された「ベーゼ・モワ」がきっかけ。現在までに「シミュレーションではない性描写、または過激な暴力シーン」 のために18歳未満禁止に指定された映画は、 ラリー・クラーク監督の「ケンパーク」やホラー映画の「Saw 3」などがある。「胎児が密猟するとき」は6本目の指定映画になる。

検閲委員会によると、「精神的な暴力」や「女性のイメージを損なう」ことなどが今回の判断の原因とされているが、41年前に日本で公開された映画が、2007年にフランスで18禁指定を受けたという事実は、映画人に少なからぬショックを与えている。作品は、一晩の間に男女間で繰り広げられる密室劇。確かに暴力や性を扱ってはいるが、その描写は「過激」という基準からは程遠い。映画監督協会は、作品がピンク映画を代表する名作であることや、若松監督が「愛のコリーダ」の製作などでも知られている世界的な映画人だということなどを挙げ、検閲に抗議していた。

18禁指定は映画館での上映を困難にするだけでなく、その後のテレビ放映やDVD販売にまでに影響を及ぼしてしまう。配給会社は、この指定を18歳から16歳未満禁止に変えるように、最高行政裁判所である参事院にかけあっているという。

個人プロダクションによってつくられている「胎児が密猟するとき」などのような低予算映画は、巷に溢れる商業的な映画とは一線を画している。作家性の高いオリジナリティーのある作品の未来のためにも、この騒動の成り行きは気になるところだ。今や、ヌーベル・ヴァーグ(新しい波)も遥か遠い昔。新しい表現を求める映画作家たちにとって、現代のフランスは決して理想の地ではなさそうだ。

「Le Monde」紙 "≪Quand l'embryon…≫ est interdit aux moins de 18 ans"



 

ビクトリア・ベッカムの祖先はドイツ人 from Germany

ビクトリア・ベッカムの祖先はドイツ人
 そう言われれば、ドイツ系な顔つき?
 Evan Agostini/AP/PA Photos
甘いマスクを持つ人気サッカー選手デービッド・ベッカムの夫人として、一世を風靡した元スパイス・ガールズの「ポッシュ・スパイス」として、世界的に有名な英国人タレントのビクトリア・ベッカムさんが、なんとドイツ人の血を引いていることが明らかになった。しかもそのご先祖となるドイツ生まれの人物は、ロンドンに集う知識人たちと交遊を持つ文化人だったらしい。

この事実を発見したのは、バーデン=ヴュルテンベルク州シュヴァーベン地方のハイルブロンに住むハンス・ミュラーさん(71)。歴史に興味を持ち、地元市民の家系について何十年も前から調査を行っていたという。ビクトリアさんの家系に結び付いたのは全くの偶然で、調べた本人が一番びっくりしている。

さて肝心のビクトリアさんの祖先とは、1844年に英国に渡ったカール・ハインツ・プフェンダー氏。共産主義の革命家であった彼は、同じくロンドンに亡命していたカール・マルクスやフリードリヒ・エンゲルスなどと交流を深めていたという。プフェンダー氏の職業は装飾画家、そして彼の息子も画家だったというから、ビクトリアさんもアーティストとしてはなかなか良い血筋を引いているといったところか。

先のミュラーさんは、プフェンダー氏の調査のために3度英国に赴き彼の出生届などを調査していた際、同氏の孫リリアンさんの死亡広告から、アダムズと呼ばれる一家が彼の子孫に当たることを発見する。そう、ビクトリアさんの旧姓はアダムズ。プフェンダー氏はビクトリアさんの、ひいひいひいおじいさんだったのだ!

ミュラーさんはこの大発見にご満悦のようで、「機会があれば是非ビクトリアさんとお知り合いになりたい」と興奮気味。ハイルブロン市も「ベッカム夫人をハイルブロン市に招待したい」と大歓迎する意向を示している。血のつながりがあると分かった途端、地元市民の誰もがビクトリアさんに急に親近感を抱いてしまうのだから面白い。

ビクトリアさんの訪問は、果たして実現するのか。

「Die Welt」紙 "Ex-Spice-Girl Victoria Beckham ist eine Schwäbin"



 

ベルサイユ宮殿の「鏡の間」が一般公開 from France

パリ郊外にあるベルサイユ宮殿の見所のひとつ「鏡の間」が、約3年の修復作業を終えて6月27日から一般公開されている。ベルサイユ宮殿は1682年、民衆の反乱に苦しんだルイ14世が、パリから南西22キロに位置するイヴリーヌ県ヴェルサイユに遷都し、建設した宮殿だ。かつてはフランス絶対王政の象徴的な建造物であった同宮殿だが、いまではルーブル宮殿、エッフェル塔に次ぐ人気の観光スポットとなっており、ここ最近では、ソフィア・コッポラ監督の映画「マリーアントワネット」の影響もあってか、連日長蛇の列ができている。

「鏡の間」は、庭園に面する17枚の大窓から差し込む光を、357枚の鏡が巧妙に反射させて回廊全体を照らす、宮殿の目玉スポット。6月25日付の新聞には「3年の修復工事を終え、27日よりついに甦る!」などと報道されたが、実は今年の2月からすでに「鏡の間」には一般客がアクセス可能だったというのはご存じだろうか?

なんてことはない、当初は今年の2月には修復作業が終了する予定だったのだが、結局間に合わず、修復機材が山積みとなったままの状態で公開を始めたのだ。でも、それでは具合が悪いので、2月の報道では「5月に一般公開予定」としていた。だが、実際に修復が完了したのはそれからさらに1カ月も遅れたつい先日のことだったというわけ。まるで修復工事の遅れなどなかったかのように報道されるあたり、まさにフランス流といったところだろう。

ルイ14世時代には、「鏡の間」にはたくさんの銀製品が飾られていたらしいが、これらはスペインとの王位継承争いが続いた晩年には、戦費捻出のために全て売られてしまったという。今回、「鏡の間」の修復にかかった費用は、およそ1200万ユーロ(約20億円)。60人の技術者が鏡や大理石、ブロンズの修復に当たったほか、アーチ型天井に描かれた絵画などは赤外線写真を用いて後代の修復部分を取り除き、元の作品に近い状態まで修復したという。ユーロ高が続くこの時期、修復費の回収が追いつかなくなって、せっかく甦らせた「鏡の間」の美術品を売る羽目にでもならなければ良いのだが。

「Figaro」紙など
“Pleins feux sur la galerie des Glaces”



 

パリのホームレスはひと味違う! from France

パリのホームレスはひと味違う!
パリ、サンマルタン運河に住む
ホームレスたち
パリ15区、リノア通りのアーケード下に、ドゥニーズという65歳のホームレスの女性が住んでいる。彼女は、時折こぎれいにお化粧などして散歩していることから、住民からは「プリンセス」という愛称で呼ばれていた。しかしこのたび、その「プリンセス」の意外な事実が明らかになった。

「プリンセス」が15区の路上を住処にするようになって25年。特に交通の妨げになるわけでもなく、住民に迷惑をかけているわけでもないため、市も警察も立ち退きを強制せず、彼女は放置状態だった。

だがそんな「プリンセス」の身辺に変化が訪れた。15区に道路補修工事の計画が持ち上がり、区のホームレス担当職員が彼女の住処を移動することになったのだ。しかし職員がその際、彼女の持ち物整理を行ったところ、なんと小銭や少額紙幣など合わせておよそ4万ユーロが見つかったそうだ。いかに路上生活者が、家賃も税金も納める必要のないその日暮らしをしているとしても、単純計算で彼女は、15区に住み始めて以降、毎年およそ1600ユーロも貯金していたことになる。また今回の「家宅捜索」によって、「プリンセス」はブルターニュ地方出身であることもわかり、関係者は、この「タンス貯金」は彼女がいつか故郷に帰るために貯めていたものだったのではないかと考えている。

現在「プリンセス」はナンテールにあるホームレス専用施設を仮住まいとしているが、パリ市は彼女への今後の対応に頭を悩ませている。なぜなら、今回の騒動で彼女のことが新聞やテレビで大きく報道されたため、万が一、彼女が路上生活者に戻った場合、巨額の貯金を狙った暴漢に襲われる可能性が高くなったからだ。

長年ホームレスとして生活してきた人の多くは社会復帰が難しく、区などがお膳立てをしても、数カ月もたたないうちに路上生活に逆戻りするのが通例とか。現在、区職員はブルターニュにいる彼女の親族に連絡を取り、今後の対応を相談しているという。果たして 「プリンセス」は、これからどんな人生を歩んでいくのだろう。

「Le Parisien」紙 “La folle histoire de la SDF aux 40000€”



 
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