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Sun, 21 July 2019

第12回 トーマス・フラー

よほど恵まれた人か、ノーテンキな人でもない限り、人生に不幸はつきものである。 自我というものが近代人の宿業であれば、世が進めば進むほど、おのれの不幸に自覚的 であらざるを得ない。傍目には何ひとつ不満もなく暮らしているかに見える人が、人知 れず、意外なことで悩んでいるものだ。

不幸に学べ、逆境を肥やしとせよ、という類の言葉は多い。功成り名を遂げた人がそ う語れば、いくら自分自身が不幸をくぐり抜けた人だとしても、どこか胡散 うさん 臭く響く。 ローレックスの金時計をはめた太鼓腹の御仁ほど、この手の人生訓を口にしたがるよう だが、自慢話に素直には肯けない。不幸を売り物にするなと反発したくもなるし、不幸 の対極に置かれた「幸福」が見えすいていて、うんざりもする。

この名言のポイントは「refine」=「磨く」にある。トーマス・フラーという人は、英国 国教会の牧師であった人だが、著名人でない割には、残した名言が多い。聖職者らしく、 なかには説教臭がたつ場合もあるが、この言葉では人生の真実を客観的に見つめ捉えた 分、説得力がある。単純な成功への手引きとなっていないところが、厳しくも、尊い。

磨いた玉は、美しく輝く。不幸のなかでも自分を磨いた人は、おのずと輝き出す。そ の容姿、態度、言葉遣い、思想など、どこかしら美しいのである。

逆に、成功者は往々にして美しくない。はっきり言って、醜い場合が多い。不幸をく ぐり抜けて尚、自分を磨き得ず、真の幸福に達していない人は少なくないものなのだ。 幸せと不幸と、秤 はかり にかければ、どうしたって後者の方が主張が強い。日々感謝して生き よと、宗教は教え諭すのかもしれないが、情報ネットワークの只中に身を置く現代人は、 おのれも他人も映し出すいくつもの鏡に囲まれているようなものだから、中世の人のよ うな単純さに生きるわけにはいかない。

不幸を離れ得ぬのが人生なら、私は、いささかなりともそこからおのれを磨きたい。 無論、磨いたからといって、成功が転がり込むわけではなかろう。だが、不幸の反対は、 必ずしも成功ではない。幸福とは、究極的にはおのれ自身の充足にあるはずだ。

不幸につぶされてはいけない。自堕落もやけっぱちも、人生に二日酔いは禁物だ。不 幸の反対を成功と考えると、あくせくして落ちつかない。運よく成功を得たとしても、 尚、充足は訪れない。だが、「磨く」ことを本分とするなら、尻が据わる気がする。

私は世間がイメージするような幸福からは遠い。だが、成功に憧れるより、自分を磨 いた先に輝くであろう何がしかの光に、魅せられてならないのだ。

 
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