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Tue, 19 March 2024

第44回 きょうは安心して眠りましょう。

ロンドンは最近、夜になると雨が降る。この原稿を書いている今夜も、雨が窓ガラスを強く叩き始めた。昼間の雨は情緒があり、時にうれしくもあるが、雨の夜はどこか寂しさが消えず、なかなか寝付けない。

昨年12月下旬、私は郷里の高知へ久しぶりに足を運んだ。帰省は5、6年ぶりだろうか。暖かく、穏やかな日が続いた。

その2日目だったと思う。

昭和2年生まれの母と一緒に、近所をぶらぶらと散歩した。自宅周辺は古い街並みと新しい街並みが混在し、細い路地があちこちへと続く。その途中、雑貨店の軒先に立っていた老女が母に話しかけてきた。

「あら、高田さん、こっちの人、あれかね、息子さんかね?」

背丈が私の肩までしかない母が「一番下の子よね」と答えると、相手の老女は、髭面の私を見詰め、やがて「ああ、思い出した。昌幸ちゃんじゃろ。まあ、大きゅうなったねえ」などと気恥ずかしいことを言う。

穏やかな冬の1日。道路は車がやっと通れる幅しかない。そこを時折、自転車が通り過ぎて行く。

母と老女は、私の子供時代がどうだったとか、そんな話を延々と続けていた。こういうとき、子供は何歳であっても「子供」である。

私は高校卒業後、すぐに高知を離れ、その後は数年おきにしか帰省していない。こんなにゆっくり近所を歩いたのは実に久しぶりである。

街は変わった。

野球のボールをぶつけて遊んだ白壁の土蔵があった場所には、賃貸マンションの「レオパレス21」が建設中だった。雑貨店の橋本商店は、店構えを残したまま営業を止めている。小学校時代の同級生がいた寺尾氷店と武田米穀店は、真新しい住宅とアパート。たばこ屋の徳広商店は3台収容の青空駐車場になっている。

子供の頃、徳広商店には父の使いで何度もたばこを買いに行ったことがある。あんなに奥行きがあったのに、店は車3台分の広さしかなかったのだろうか。

私は来年で50歳になる。

50年前の1959年といえば、愛知県挙母(ころも)市が、トヨタ自動車にちなんで「豊田市」に名前を変えた年である。その頃、トヨタは初めて北米に進出し、世界への第一歩を踏み出していた。国民年金関連の法律が国会を通過し、「国民皆年金」制度が整ったのもこの年だ。そのトヨタも年金も誕生から半世紀を経て、大きな曲がり角に立たされている。

当たり前のことだが、世の中は変わる。近所の街並みがそうだったように、古いものは壊され、新しいものができる。

「しかし」とも思う。

ふだんはすっかり見落としているけれども、変わらぬものもたくさんあるはずだ。近所を歩き回った日、私はそれを痛感した。

石黒製菓は子供が店を継ぎ、今も和菓子を作っていた。高校生の時、リーガルの黒いローファーを初めて買った「靴のはしだ」も健在だった。正月用の餅を買い求めた「大金餅」も営業を続けていたし、ずいぶん寂れてはいたが、岡林花店もあった。数台しか営業車がない「朝倉ハイヤー」も昔のままである。

雑貨屋の店先で会った老女のように、地域に根を張り、生き続ける人もたくさんいる。その数はおそらく、私たちの想像以上に違いない。

英国で結婚し、当地に長く住む同年配の日本人女性から以前、「夜ベッドに入り、ラジオの英語放送を聞いているとね、本当に遠くに来たな、って思うことがあるの。どうしてここに住んでいるのかな、って。どの放送も英語ばかりでしょ。そうなると、もう眠れないのよ」と言われたことがある。

私も時折、地理的な意味ではなく、「遠くに来たな」と思う。50歳が近づいてきた、という年齢のせいかもしれない。とくに、今日のように雨が止まない夜は、そうした思いが強くなる。

でも、きっと大丈夫。

どんなに環境が変わっても、人がどんなに変わったように見えても、決して変わらぬものがある。長い年月が流れても、自分を忘れない人が必ずいる。だから、「夜ベッドに……」と言った彼女も、私と同じように時折寂しさが募るあなたも、きょうは安心して眠りましょう。

 
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高田 昌幸:北海道新聞ロンドン駐在記者。1960年、高知県生まれ。86年、北海道新聞入社。2004年、北海道警察の裏金問題を追及した報道の取材班代表として、新聞協会賞、菊池寛賞、日本ジャーナリスト会議大賞を受賞。
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