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Wed, 23 October 2019
ボートの中で暮らしたい

高い家賃、近所の騒音、プライバシーの欠如など、住むこと関する悩みにはこと欠かないロンドン。そんな「世界の大都市」ならではの住宅事情を嘆く姿を横目に見ながら、喧噪から離れた場所で静かに暮らしている人々がいる。彼らが住家として選んだのは、水の上に浮かぶボート。実は意外と簡単に実現できる、水上での一風変わった生活を覗いてみよう。(本誌編集部:長野雅俊)

高垣亜也子さん水先案内人
高垣亜也子さん(29歳)
渡英歴約1年。ロンドン西部サウスホール地区を通るグランド・ユニオン・カナルの支流にあるメイポール・ドックに停泊するボートで生活している。

「住みたい家がたまたまカナルの上にあった」

今回の取材に協力してくれたのは、ボート生活歴約7カ月の亜也子さん。昼間は英語学校に通い、夜は日本食レストランでバイトするごく普通の日本人留学生である。ボート内で生活を営む人と聞いて、厭世的なタイプを期待していたので正直、拍子抜けしてしまった。「確かに『意外と普通の生活をしていますね』ってよく言われます(笑)。ボートに住むことを求めていたというより、自分の住みたい家がたまたまカナルの上にあったという感覚ですね」と言う。

亜也子さんいわく、昔は現在の住家からそう遠くない場所に位置するフラットに住んでいた。しかし物価の高いロンドンで学生生活を営むとなると、家を他人とシェアしなければならない。そこに不満を感じた亜也子さんは、かねてからの夢であった自分の持ち家が欲しいとの欲求に駆られるようになった。しかし語学学生の身分で、持ち家の購入などとはあまりにも贅沢な話。そんな時に目をつけたのが、カナルの上に浮かぶナロー・ボートだった。

亜也子さんの住家
左)亜也子さんの住家である「フリーダム号」
右)カナルの両岸を結ぶ橋。いたって簡素な作りになっており、
船が通過する時は手で取り外すことになる。

「他人とシェアしないで暮らしたい」

きっかけは、去年の夏。亜也子さんには当時たまたまボート上で生活を営んでいた友人がいたのだが、この友人がしばらく旅行に出ることになり、その間住み込みで犬の世話をすることを任された。ここで初めて水上での暮らしを1週間体験することになり、この際にボートの中でも「意外と普通の」生活を送れるということを知る。当時から付き合っていた彼と相談した結果、自分たちもカナルの上に浮かぶボートに住むことで、「持ち家」を手に入れられるのではないかとの結論に達した。「その頃は、本当に部屋を他人とシェアしないで暮らしたい、という気持ちを強く持っていたんです。ボートに住むっていうのは、悪くない選択肢だなと思いました」。彼女が日本に帰省している間に彼が面倒な手続きを整えてくれたので、今年3月に英国に帰国した際には既に「ボートのおうち」が彼女を待っていた。こうやって亜也子さんは念願の「持ち家」を手に入れることができたのだ。

間取り「風が強い日は、家全体が揺れます」

水上に住むことになった経緯を一通り話してもらってから、今度はその「持ち家」の中を案内してもらう。かつて運河上のボートを引く馬が歩いた牽引路(Tow Path)と呼ばれる川沿いの道に横付けされたボートに潜入すると、まず気付くのがその狭さ。背中を丸めたり、横向きになって歩いたりしなければ船内を移動することはできず、ちょっとした圧迫感さえ感じる。さすがはナロー・ボートと呼ばれるゆえんである。

ただ辺りを見回すと、トイレ、キッチンといった基本的な家庭設備はもちろん、なんとテレビ、電話といった電気機器があるのに加えてインターネット回線まで引いてあり、大概の家庭にあるものはほぼ全て揃っているといっていいだろう。「家がカナルの上にあるということ以外は、いたって普通の生活です。ただ風が強い日には家全体が揺れます(笑)。あとボートの周りに時々クモの巣が張るのがちょっと嫌ですね」。話を伺いながら窓を覗けば、目線のすぐ先には水面がある。やはりここは水上なのだ。

「さすがに背広を着ている人はいないですね」

近所には合わせて15艘(そう)ぐらいのナロー・ボートが浮かび、それぞれのボート内では同様の生活が営まれている。「ご近所さん」たちは庭師、オペラ歌手など様々な職業に就いている人たちだが、亜也子さんによると、「さすがに背広を着て出社するような人はいないですね」とのこと。今年の夏はこれらのご近所さんが集まり、皆で一緒に川沿いでのバーベキューを楽しんだという。自分の持ち家があり、立派な庭まであり、ご近所付きあいも良好というのは、確かにロンドンにおいてはそうない居住環境かもしれない。そして何といっても、カナルの上という特別な空間に住んでいることに魅力があるのだろう。

ご近所さん左)ご近所に住むオペラ歌手のラッセルさん。「妻と離婚してしばらくしてから、このカナルの上で住むようになりました。歌の練習をしても、周りから文句を言われないのがいいですね」。
右)カナルには川底の掃除をする政府職員もいた。


日本にいる時も「チャレンジャー」として知られていた亜也子さんは、たくさんの友達からボート上での生活を応援されている。今週末は「怖いもの見たさ」で古くから付き合いのある知人が泊まりに来るという。そんな彼女の唯一の悩みが、両親からの理解。「友達は面白がってくれるんですけどね。親には『私たちの知り合いには船に住んでいるとか絶対教えないで』って言われています(笑)」。困ったような顔をしながらそう言ったが、実はそんな反応さえも楽しんでいるようだった。

水上生活
水上生活
1. 体をかがめてやっと入れるほど大きさの玄関口
2. 船内にある小さなベランダ
3. 極端に狭い通路を過ぎると寝室にたどり着く
4. 川岸には素敵な庭がある
5. 亜也子さんが所有するノート・パソコン。電話回線も引いているので、インターネットまで利用できる
6. テレビ。亜也子さんいわく、「船内のスペースが狭いので薄型しか入らないんです」

英国のカナル
カナルとは、日本語でいう運河のこと。英国では紀元前55年に入植したローマ人が、教会建築用の石材を運搬するためのカナルをすでに建設していた。その後国内ではノルウェーなどから輸入した氷を運ぶために利用されるようになる。やがて産業革命の時代となると、石炭の運搬を目的として1761年に開通したブリッジウォーター運河を始めとする近代的なカナルの整備が進んだ。また陶器で有名なウェッジウッドは、馬車での運搬による商品の破損を防ぐために独自の運河を建設している。

ナロー・ボート
運河など狭い水路に適した小型船がカナル・ボート。そのうち、船幅が7フィート(約3.5メートル)未満のものをナロー・ボートと呼ぶ。通常、船内にはシャワーやベッドなどの宿泊施設が揃っている。

カナルでの生活Q&A

1. ボートを動かすことはできるのか

ボート入り口付近に取り付け られたエンジンのメーター 亜也子さんが住んでいるボートは、基本的には住宅専用なのでほぼ常時停泊している。しかしエンジンさえかければ、水上を移動することはいつでも可能。
(写真)ボート入り口付近に取り付けられたエンジンのメーター

 

2. 水上であればどこにでも住めるのか

英国全域にわたって存在する河川のほぼすべてが、政府機関や地方自治体によって管理されている。つまり正式な手続きを踏んでこれら管理機関の許可を得なければ、どんな形であれ水上で暮らすことはできない。また亜也子さんのように一定の場所に長期間住むのか、それとも旅行の最中に一晩だけ停泊するかなどによって許可申請の手続きが異なる。

 

3. カウンシル・タックスの支払いは?

上述したように、国内の河川のほぼすべてが政府機関もしくは地方団体の管轄下にある。よって居住用の係留権を有し、一定の場所に停泊するボートを主な生活の拠点とする場合は、その地域で決められたカウンシル・タックスを支払わなければならない。ただしボートを別荘代わりに利用したり、水上を絶え間なく移動したりする長期旅行者には支払いの義務はない。

 

4. 郵便物はどうやって届くのか

郵便受けそれぞれのナロー・ボートにはしっかりと住所がある。その宛先に送れば、川岸に設置された郵便受けにちゃんと手紙が届くのだ。
(写真)川岸に設置された郵便受け

 

5. 下水はどう処理するのか

「下水」として処理するのはトイレの水のみ。まずはボート内の下水タンクに溜め込み、その後エンジンをかけてカナルの各地点に設置されている下水処理ポイントまで移動しこの下水を廃棄することになる。シャワーの水などその他の生活水は垂れ流しなので、例えばキッチンで洗い物をする際は植物性の洗剤のみ使用可などの決まりがある。

 

6. 飲み水はどうやって汲み込むのか

川岸に設置されたホースを通じて、水道の蛇口からナロー・ボートの船底にある貯水タンクに注入。船内では浄水システムも整っている。
(写真)水道水を入れる穴。ドライバーでこじ開ける。

 

7. ガスは使えるのか

ストーブキッチンでの料理には、川岸に常備しているガス・ボンベから定期的に吸入して利用。部屋の暖房は、昔ながらの石炭ストーブを利用する。
(写真)今時珍しい石炭の暖房。

 

8. 施錠はどうするのか

施錠ボートの入り口に設置された扉には、頑丈な鍵をかけることができる。すぐ側に外界があるので、戸締りは重要。
(写真)鍵がかけられた状態のボート。まるで手品に登場する仕掛け箱のようだ。

 

9. でも船ごと持っていかれそう……

カナル岸への扉実はボートが停泊している川岸へ入るまでの道にも大きな扉があり、カナルの住人たちはこの扉にも鍵をかけている。
(写真)この扉を抜けるとボートが停泊するカナル岸に辿り着く。

 

10. ボート生活を送る人は英国にどれだけいるのか

公式機関から発表された統計デー タが存在しないためあくまで推測値に過ぎないが、「約1万5000人」 という数字が目安とされている。この数字には英国内にあるカナルなどの河川上だけでなく、国内周辺の海洋地域に停泊、または移動し続けるボートも含まれているという。しかしながら正式な手続きを踏まずにボート内での暮らしを送っているケースもかなり多いと見込まれているため、その実態を把握するのは大変難しい。


水上生活を営むまでの手続き

憧れの「水上生活」は誰でも営むことができる。ただ前述したように、国内にあるほぼすべての河ß川は政府機関の管理下にあるため、許可を得るための一定の手続きを踏むことが必要となる。以下に主な要項を並べたが、何よりも必要なのは入念な事前のリサーチ。興味のある方には、下のウェブサイトを参照することをお勧めする。 www.waterscape.com

■ ナロー・ボートの購入
ナロー・ボートの上で暮らすためには、必ずそのボートを自分で購入しなければならない(値段はピンキリだが、数千ポンドぐらいから売りに出ている)。物件情報誌の広告欄などに時折「空きナロー・ボート貸します」などといった告知が掲載されていることがあるが、これには要注意。現在の時点ではある程度は黙認されてはいるものの、厳密には居住用ナロー・ボートに関して賃貸契約を結ぶことは法律上認められていないという。

■ ライセンスの取得
政府によって決められている一定の料金を払えば、誰でもライセンスを取得することができる。

■ 係留権(Mooring)の取得
ライセンスに加えて、係留権の取得の際にも一定のコストが発生する。居住用、旅行用などそれぞれの目的に即した係留権が必要となり、また申請する地域によっても料金が大きく異なる。概して都市部で金額が高くなるのは、水上も同じ。

■ 保険への加入
ボートに対しての保険にも加入することになる。

■ 安全検査(Boat Safety Certificate)の通過
自動車でいうところの車検(MOT)に相当する。4年ごとに更新。

■ ナロー・ボート操作方法の取得
誰でもすぐに覚えられるものだということで、こちらはご安心を。


カナルの生活についてもっと知りたいのなら

ロンドン・カナル博物館 London Canal Museum

London Canal Museumロンドン中心を流れるリージェンツ・カナルに臨む博物館。ここでは、かつて英国経済の基盤となっていたカナルに関する歴史や文化を振り返る展示を見ることができる。

入館料:3ポンド
12-13 New Wharf Road, London N1 9RT MAP
Tel: 020 7713 0836
www.canalmuseum.org.uk


ロック・キーパーのお仕事

水上で暮らしを営むという目的に加えて、船やボートをまさに交通手段として利用しながら世界を旅し続ける冒険者たちも多くいる。いまや世界的な観光地と化したロンドン中心部を通るリージェンツ・カナルとテムズ河は、そういった水上の旅人たちにとっての観光名所。ここではこの2つの「水の名所」をつなぐポイントで働く、いわば水上の管理人とでも言うべきロック・キーパーたちの1日を追う。

ロック・キーパーの仕事

地図荷物運搬のルート整備を目的とした人工川であるカナルには、水位調節のためのロック(閘門)と呼ばれるポイントがいくつか設けられている。このロックの建設によって、段差のあるポイントにも水の通路を敷くことができるようになったのだ。ポイントを通過するにあたって通常は船やボートの乗組員が自分でロックを開閉するが、複雑な仕組みになっていたり、管理が必要なポイントではロック・キーパーが開閉を行う。また今回取材したライムハウス・マリーナでは、大型船を受け入れる係留所も兼務している。

ザ・リージェンツ・カナル

1820年に開通。当時のジョージ6世と親交のあった有名建築家のジョン・ナッシュが設計を手掛けた。リー ジェンツ・パークやマーブル・アーチも設計した実績を 持つ彼が描く設計図は完璧なまでに計算しつくされていたため、技師との間で誤解や間違いが生じる余地が全くなかったという。テムズ河と交わるライムハウス地区を始点として北上し、その後カムデン・タウンを通過しリトル・ベニス付近でグランド・ジャンクション・カナルと合流する。

連絡を受ける通過予定の連絡を受ける
ロックを通過する予定になっている船やボートは、まずは事前に連絡を入れることになっている。ロック・キーパーはその予定をノートに記帳して管理を行う。この日はオランダから海を渡ってきた大型船がロックを通過し、さらには係留所で一晩停泊する予定とのこと。
船の到着時間10分前には「予定通り進行中」との連絡を無線で受け取る。
安全確認橋の近辺を安全点検
いよいよ本格的に船の受け入れ準備開始。大型船のため、ロックの手前に設けられた橋を撤去する必要があるので、橋近辺の安全確認は入念に行う。
「橋の下には誰もいないか~!」と叫ぶロック・キーパーのジェレミーさん。双眼鏡で眺めて、テムズ河上を進行してくる大型船の位置も合わせて確認する。
橋を動かして水路を開く
テムズ河をまたいでいた橋はボタン1つで90度転回。
水路を開く

これで大型船も楽々通ることができる「水の道」を作った。
船が進行船が進行
開いた水路を船が進行。船上の乗組員からの「サンキュー」が大きく響く。
ロックを開くロックを開く
橋の次に待ち構えるロックを開いて、水位を調整。水位の高低差がある場所でも船はなんなく進行することができた。
施設の確認施設の確認
ロックを通過すると基本的な宿泊施設が整っている係留所がある。船のバッテリー充電などに使う、電気スタンドの状態を確認するのもロック・キーパーの仕事。
お出迎え 温かくお出迎え
水上の旅人を温かく受け入れ、周辺を簡単に案内する。長旅を終えた者を労わるかのような温かな対応が印象に残った。

ロックの仕組み

水位に高低差があるポイントは、ロックと呼ばれる2つの大きな扉で両側が挟まれている。この両側の扉の開閉により大量の水を短時間に移動させることで水位を調整し、船がスムーズに移動することを可能にしている。

ロックの仕組み1
ロックの仕組み2
ロックの仕組み3

 
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