ニュースダイジェストの制作業務
Tue, 17 June 2025

第96回 2009年の世界経済 - 変動と安定どっちが好き?

変動は当然の資本主義

あけましておめでとうございます、本年もよろしくお願いいたします。

年頭にあたって、2009年の世界経済を考える視点を提供したい。端的に言うと、皆さんは変動と安定のどちらが好き? ということだ。どちらがいいという普遍的な価値判断はなく、いわば好みの問題とも言えるのだが、生まれた国や住んでいる国がこの問いに対してどう対応するかにより、個人の人生は左右される。英国は歴史的に変動好きだし、日本は小泉総理のときに少し変動好きになったが、今や安定好きに針が戻った。

資本主義、グローバリゼーション、企業はもともと変動好きだ。予測できない未来のリスクを取って商売する。成功も失敗もある。当然、予期せぬ変動で損することも多い。サブプライム問題で企業や金融機関が大きな損を被るという事態は当然予想されたもので、それ自体はあわてるほどのことではない。去年前半は、素材価格上昇の一方、サブプライム問題で景気が悪化し、スタグフレーション(景気悪化と物価の連続的上昇が同時に起こること)がテーマだった。後半は金融危機と景気悪化の深刻化だ。前半は読み通りだったが、後半で発生した金融市場の相場の崩れと景気悪化の速度は筆者の予想を上回るものだった。企業にとっては、世界経済の変動スピードの「速さ」を身をもって学んだことになる。その上で今年、特に春先まで警戒すべきは、米国経済の極端な落ち込みによるニューヨーク株価のハード・クラッシュである。そうなると世界恐慌になり、以下の議論は一時棚上げになることには留意されたい。


予期せぬ変動に耐えられない個人・政府

生身の個人すなわち労働者や、民主主義を前提とする政府、そして公的側面を有する金融機関は予期せぬ変動に耐えられない。ある程度の安定が必要だ。サブプライム問題でトヨタ自動車が減産し、名古屋の中小企業の派遣社員が首を切られて野宿では、本人は何も悪くないのにあまりに可哀想、ということになる。クルーグマン米プリンストン大教授(昨年のノーベル経済学賞受賞者)が言うように、米国はもはや比較優位からみても自動車を作る競争力がないにもかかわらず、オバマ新大統領はビッグ3(米国の3大自動車会社)を救済せざるを得まい。

今年の世界経済の動きを左右するのは、各国政府の動きだ。ポイントは、①景気悪化において財政赤字が拡大・深刻化②規制色の強い政治③自国に有利なように国際政治を動かすブロック経済化④米国が内向きになればテロリストが蠢動(しゅんどう)、と結構難しい年になる。大事なことは、各国政府や中央銀行が企業の経済活動の回復振りをよく見ることと、過度にパターナリスティックにならないことだろう。干渉主義は資本主義のダイナミズムを台無しにして、将来の発展を阻害する。この辺り、変動好きな英国や米国のさじ加減が重要で、過度の財政赤字は将来の大インフレになりかねない。


安定好きな日本の将来

もともと安定好きな日本は、最も困難な状況にある。日本政府はサブプライム問題の打撃は小さいと言っているが、これは間違いだ。去年は、日本の構造問題(ここでは生産性を向上させない企業は倒産制度を通じて退場し、または株主を交替させ、より生産性を上げうる事業主体の下で生産要素を再編すべきなのにできていない問題のこと)がほとんど何も解決していないことを思い知らされた。構造改革のための時間的猶予を与えてくれていた世界経済の好況が終わり輸出が急減した結果、日本の貿易黒字が激減している。貿易立国が難しくなる時代、日本は何で食べていくのかがはっきり問われている。これまでは技術というのがその回答だったが、アジア諸国が猛追してきている。地方経済の構造改革は、中小企業への公的な信用保証、地方銀行に対する資本注入で一段とモラル・ハザードを招くことになろう。総務省と地方公共団体は悪乗りをして、自治体の子会社を税金で救おうとしている。経営責任、株主責任、刑事責任はどこに行ったのか。経営の失敗を、公的資金注入や税金で賄うことに日本国民はもっと厳しく反応すべきだ。

米国や英国の公的資金投入は、もともと自由主義的な国での大きな損失に対する政府の援助なのであって、日本のように非常に政府の力の強い国での大きな損失に対する政府の援助とは、その性質を大いに異にする。変動好きの英米での政府活動の干渉、安定好きの日本での更なる政府の干渉のうち、より深刻なのは後者であろう。


(2008年12月8日脱稿)

 

第94回 ブロック経済の下での日英(その1: 英国)

実体経済のうねり

金融市場の混乱は小康を得ているが、年末にかけて米国経済が一段と冷え込むほか、日本でも中小企業の倒産が増え、もう一波乱が起こることは確実な情勢にある。何より、米国の消費が冷えてしまったことが現在のグローバルな経済では決定的な意味を持つ。20年間続いた世界経済の牽引車が消滅した結果、米国の貿易と財政の2つの赤字が今後縮小に転じる一方で、景気が一段と悪化することは必至だ。大口の買い手が買い控えている以上、供給側では在庫が積み上がり生産を減らす、原材料は買わない、不良在庫は安売りということになる。そして雇用調整になり、経済循環が一巡する。

来年は世界的に失業が大きな問題になる年となろう。そうなると各国政府は、金融危機で揺れた今年のように危機対応で協調するというモードから、自国企業や国民の利益を守る方針を露骨に打ち出す保護主義的な行動に出ることになる。民主党のオバマ次期政権は、そうした政策を打ち出すと彼のブレーンもテレビで言っていたし、日本の外交当局者もそう見ているようだ。そうなるとブロック経済のリスクも想定しておいた方が良いかもしれない。


自由貿易主義と保護主義の使い分け

欧米人の保護主義は今や洗練度を増した。彼らは戦前のように日本への石油の禁輸といった露骨なやり方をもはや取っていないし、取ることもできない。第一の方法は、自国企業に有利なようにグローバルなスタンダードを決める力を握ることである。金融の各種ルール、会計ルール、関税および貿易に関する一般協定(GATT)の取り決め、排出権分配などを通じて「公正価値の会計」、「自由貿易」、「地球環境保護」など正論を表では述べるが、その実、競争条件の相違を考慮に入れず、欧米企業に有利な条件を制度化しようとする。日本は、これにことごとく忠実に対応してきているが、例えば会計ルールでは金融混乱が欧米で起きると、時価会計の一時中断というご都合主義がまかり通る。日本政府や日銀はもっとその点を突くべきであろう。

第二の方法は、旧植民地など勢力圏の国々の囲い込みである。最近、欧州各国によるアフリカへの、または米国による中南米への攻勢が激しさを増している。中国のように援助外交で資源を買い漁るというような、いわば下品なやり方はしていないが、その実は同じだ。例えばドイツ政府はメルケル首相の下、太陽電池の開発販売を国家プロジェクトとしている。その中心はシーメンス社とその周辺の中小企業群だ。アフリカの貧困救済、地球環境保護をスローガンとして、太陽電池をアフリカに売りこむのに躍起になっている。電気スタンドに太陽電池を埋め込み、「アフリカの子供たちが夜勉強できるようにする、エイズ撲滅にも役立つ」という。もちろん日本製でも良いはずなのだが、何千万という数のスタンドをドイツ企業が受注しているという。そして日本政府の援助資金は、そのスタンドを買うのに使われることになる。

第三の方法は言うまでもなく、米国が軍事力を自分で有し、自由貿易と世界秩序のために日本に資金援助を、さらにはサウジアラビアや日本などに武器の中古品の高額での購入を求めることである。米国のアーミテージ元国務副長官が最近になって訪日したのはそのためだと言われている。日本の経済一流、金融二流、政治三流の帰結とも言える。


ウィンブルドン方式の行方

英国は、メガ金融機関や外資サービス業にビジネスの場を提供することでその手数料を得るウィンブルドン方式でサッチャー政権後、繁栄を続けてきたが、このモデルを変えるのだろうか。ロンドン市場には常に世界の一流の金融マンが集まっている。シティでは12月のボーナス期を前にリストラが相次いでいるが、次のイノベーションの種も既に多くまかれている。ヘッジファンドの後期参入組の中には撤退したものも多いが、上がりそうなものを大量に買い、下がりそうなものを大量に売るというビジネス・モデルは間違ってはいない。相場の下げ局面でも儲けているファンドも多い。単に優勝劣敗ということで、経営者たちも「これで当たり前」という風情である。このためウィンブルドン方式に変更はあるまい。

むしろ、英国政府の保護主義と規制強化を予想して儲けようというのがシティの友人たちだ。アフリカへの投資額のみならず、旧宗主国としての英国の政治力は大きい。英語の世界性も強まるばかりだ。クビでも悲観的な人が少ないのはそのためだろう。

(2008年11月24日脱稿)

 

第92回 米国新大統領の重責

新大統領を迎える世界

この原稿が出る頃には、第44代の米国大統領が決定しているであろう。新大統領が直面している課題は、かつてないほど大きい。イラクとアフガニスタンの収拾がついていないこと、米国発の金融危機から世界的な景気悪化へと移行しつつあるのが確実なこと、基軸通貨ドルの信認が揺らいでいること。いずれもパクス・アメリカーナを支える軍事力と経済力の陰りを示している。

もちろん米国のIT関係の新企業群、グーグルやYouTubeなどは好決算を続けている。バイオテクノロジー関連のベンチャー企業数では米国が群を抜いていることからも分かるように、イノベーションは米国主導で進んでいるので、1年や2年でその覇権が大きく揺らぐということにはならない。けれども、ブッシュ政権8年を経て「米国の言うとおりにしていても、良いことばかりではないな」と世界は感じ始めている。共産圏の崩壊で、社会主義が失敗し、レーガン・サッチャーの新自由主義が一段落を迎えた。この間、新自由主義の下での米国民の浪費が新興国の工業的な勃興を促し、その結果エネルギーや食料価格が高騰、新興国の民衆自体も消費を始めることで地球環境問題が焦眉の課題となったのである。

共産主義でも新自由主義でもない、かつグローバルに貿易の利益が享受できて、環境問題に悩み、米主導ではない世界、これが新大統領就任の環境だ。20カ国財務省・中央銀行総裁会議(G20)の金融危機への対処などで済む話では当然ない。


金融市場の見方

今後を金融市場はどう見ているのか。為替は、新興国通貨(アイスランド・クローナ、韓国ウォンなど)<ユーロ≒ポンド<ドル<円という状況にある。ドルが高いのは、米国の金融機関が金利の低い円で資金を調達し、他の通貨に運用していたものを一旦ドルに戻しているからであって、決してドルが信認されているからではない。円高は日本の金融機関の痛みが少ないからであるが、日本の財政状況や景気が良い訳ではないので、長続きはしまい。ユーロ安は現在の金融危機における欧州金融機関の損失の度合いが不明確だから低い値をつけているのだが、いずれ盛り返すだろう。米国や中国経済の減速の影響を受ける新興国の通貨は、経済減速確実なので売られている。

結局、ドルに溜まった巨額の資金が行き場を失っている。金融を緩和したり、財政を投入したり、規制を強化しても、結局この金の行方が迷う限りは解決にはならない。だから市場は、政府や中央銀行の動きに敏感に反応してアップダウンを繰り返す。当面確実な投資は、変動(ボラテリティ)を商品としたオプションを買うことだ。こうした事態は、市場の安定を欠き、それがまた政府や中央銀行による目先の対処策を促してまた市場を揺らす。政府や中央銀行自体がプロシクリカル(景気振動の増幅促進的)な存在だということに、早く気付くべきだ。


新大統領のなすべきこと

政府介入や国際協調を単なる危機対応に終わらせるのではなく、何のためにするのかという哲学を改めて回復することが喫緊の課題と思う。当然、金融取引や金融機関の規制、為替の調整といった目先の取繕い政策では話にならない。第二次大戦後の軸は、米国による欧州と日本の復興のためのマーシャル・プラン、為替をドル本位制としたブレトンウッズ体制、ケインズ政策による経済安定だった。これに対峙する仕組みは何か。

300年前にフランス人政治思想家アレクシス・ド・トクビルが、米国躍進の鍵は、平等と民主主義、そして名実が揃う法の支配と述べている。いずれも今の米国が失ったもので、またその事実がベトナムやイラクで手痛い抵抗にあった理由でもある。軍事力に頼りルールを無視する米国を、もはや誰も信用していない。

所得格差を狭めるための経済政策、国際ルールを名実共に実効性あるものとすること、人々の進取の気風を阻害しないことといった近代そのものの普遍的価値を当たり前に実行するように働きかけることが今の米国には重要で、新大統領には、このことを強く期待する。ただこう書いてきて、経済が悪化すると、どうしても政府頼みになったり、他国に負担を押し付けたりという行為がまかり通るようになり、コスモポリタニズムを新大統領だけに求めるのは酷と思い至った。結局、欲望をコントロールして暮らすような倫理の確立こそ大切で、それは小生を含めた市井の人間たちにとっての課題と肝に銘じるべきであろう。

(2008年10月25日脱稿)

 

第90回 9月の市場混乱から その4 ‐ 給料や交際費の妥当性

インベストメント・バンカーの年収

「9月の市場混乱から」と題して、本稿第87回では財政負担や市場への流動性供給に関する国家主権と国際協調との緊張関係について、88回では今後の規制のあり方としてリスクを説明できることの重要性と過度な規制の危険性について、89回では英米の失政について述べた。ただ、いくら国民国家や国際協調が後始末をしても、また金融取引を規制しても、結局は金融機関やその取引相手となる市民が気を付けるほかない。リスクを十分説明できない金融機関とは取引しないというのが自衛策なのだが、プロとアマの間には情報格差があるので、一市民にできることにも限界がある。何か良いリトマス試験紙はないものか。

筆者の経験では、根拠もなく強気になる企業は、社員の給料や交際費がどこかしら普通の感覚を超えているように感じる。そしてそれを普通と思っているか否かが、リトマス試験紙になるような気がする。最近はともかく、ここ数年、ロンドンのインベストメント・バンカーの年収はちょっと異常だった。為替のチーフ・ディーラーのボーナス込みの年収が600万ポンド(約11億円)、巨大金融グループであるHSBCの最高経営責任者で200万ポンド、マネージング・ダイレクター級でも50~100万ポンド位はざらにいた。

筆者もいろいろな催事に誘われたことを記憶している(とても参加などできなかったが)。ヘッジファンドや政府系の外貨準備運用機関を、ゴルフの聖地と呼ばれるセント・アンドリュースに招待してのレッスン・プロ付ゴルフ・ツアー、ウエスト・エンドの劇場を借り切ってのミュージカルへの顧客招待、毎年冬にロンドンのサマセット・ハウスに設置されるスケート場での社員パーティー、チェルシー・フラワー・ショーの会場をこれまた借り切ってのパーティーや、インベストメント・バンクが催したロンドン近郊のスパでの1週間の研修事業など、書けば限がない。極めつけは、ヘッジファンドの若者に2次会の後で、「これからコモ湖(イタリア)に自家用ジェットで行くから来ないか」と誘われたことだった。

どれ位の収入が妥当か

確かにインベストメント・バンクの仕事は、あらゆる情報を入手、咀嚼し、行動するために24時間神経をすり減らす。決してやっかみで言うわけではないことを予め断っておくが、しかし年収20~30K程度の給与が与えられる仕事の30倍や50倍もの社会に対する付加価値を、彼らが生み出しているとは到底思われない。天才的な芸術家、スポーツ選手、作家、世の中を一変させるようなイノベーションある製品を生む企業家といった人々が年収100万ポンドというのであれば納得もできるが、インベストメント・バンクのバンカーの儲けには、世の中の先行きに対する読みの優劣が大きく影響する。もともと先行きは不確実であり、先を本当に読み続けられる天才はそう多くはいない。大多数のインベストメント・バンカーは、美人投票でほんの1カ月程度の先を読んでいるに過ぎない。

そうした仕事にも、もちろん社会的な意義はある。金融市場の指標が、企業活動や個人投資、政府活動のベンチマークになるからだ。しかしながら、1カ月程度の先を市場の流れで読む仕事が、そう付加価値の高い仕事であろうか。それ自体に付加価値がさほどないにも関わらず、金融機関が収益を上げられるとすれば、市場における寡占利潤かまたは規制によるレント(恩恵)があるからなのではな いだろうか。

普通の感覚の取り戻し方

給料や交際費における普通の市民感覚とのズレを正すという役割を担うのは、まず金融機関の株主である。人件費や交際費を株主総会で開示させ、その妥当性を精査すべきであろう。その先はディスクロージャーによって取引相手が確認する必要がある。英国4大銀行やインベストメント・バンクのディスクロージャー誌をみても、最高経営責任者の給与以外は開示されていない。交際費はその費目すら詳(つまび)らかではない。取引相手は、こうしたことについて公開を求めていくべきではなかろうか。逆にこれを公表した企業は信頼性を増すと思うが、どうだろうか。

それでも金融機関に大きな利益が残るようであれば、反トラスト法の活用や規制の恩恵部分に課税することを検討すべきだろう。他人の懐を云々することは趣味に合わないのだが、金融本来の姿を取り戻すためにも、まず普通の感覚を取り戻すことが重要と考える次第なので、本稿を敢えて書いた。

(2008年9月28日脱稿)

 

第88回 9月の市場混乱から その2 ‐ 金融も食品も混ぜ物危険

景気後退と金融クラッシュ

今回の米国での金融クラッシュが、同国に景気後退をもたらすことは確実だ。貴重な税金も、金融機関の損失補填に使われてしまう。日本の不良債権問題のときもそうだったが、金融市場の大きなクラッシュは、金融機能のマヒを通じて経済全体に大きな悪影響を及ぼす。この危機が米国での住宅価格の下落を発端としていることは間違いない。

日本でのバブル崩壊も、地価下落が出発点だった。しかし、金融機関による増幅(レバレッジ)がなかったとしたら、経済全体にそれほど影響があっただろうか。金融機関は値上がりを期待して、土地や住宅を担保に金を貸す。その土地や住宅が値上がりしている限りは、担保価値が上がるのでまた貸金を増すことができる。しかし土地や住宅の収益性が上がるわけではないから、なんらかのきっかけで土地や住宅が値下がり始めると、借り手はこれを返せなくなる。担保権を実行しても元本割れしている状態となり、これが不良債権になるというわけだ。

日本の場合、主役は貸手の銀行とその別働隊、つまり子会社のノンバンクだった。米国のサブプライム・ローン問題では、こうした貸出債権を束にした上でそれを買い取るペーパー会社を作り、その会社の負債=見合いとなる債券をノンバンクや投資家に売っていた仲介者=証券会社(インベストメント・バンク)が主役となった。この手法を証券化といい、証券化した債券を集めてさらに何重にも証券化が行われるという手続きが取られていたのである。こうした増幅効果なくして、経済全体の悪化をもたらすほどの損失は生まれなかったと思われる。

金融の役割とは何か

マネー自身はモノ、サービスのように生活を直接的に向上させるものではなく、そうしたものに携わる生産者と消費者を仲介する道具に過ぎない。ところがその道具だけを目的とした商売で大きな損失が出て、納税者の負担となり、リアルの活動に害を及ぼしている。こうした現状を踏まえて、今後は金融機関のリスクテイクや活動を制約する規制強化論、監督強化論が強くなると思うが、角を矯(た)めて牛を殺さぬように、金融とリアル経済の関係をもっと深く研究する必要がある。

そもそも、どうして大恐慌は、金融機関の根拠なき熱狂を常に前座としているのか。それを中央銀行や政府がなぜ止められないのか。シティバンクを辞めた元頭取はその理由を「ダンス音楽がかかっている最中に、ダンスを止めることができなかった」と表現している。バブルの最中にバブルと認識できなかったか、できたとしても他人に聞いてもらえなかった、という話は日本でも同じである。皆が問題と思わないときに、1人だけ「問題である」と叫べば変人扱いされる、というのはよくある寓話でもある。だが金融機関経営でもそうなのか。株主がそれを許さないのか。

英国の経済学者であるケインズは、金融は美人投票だと言った。美醜判断は主観的なもので、主観の大勢が価値を決めていくという比喩だが、土地の価格も主観によって決められていくものなのであろうか。土地が生み出す収益を算出した価値の総和が経済的な土地の値段だといっても、その収益は将来のもので、必ず不確実性が伴う。強気の予測と弱気の予測の両方があるのだが、強気が一定期間続いたときにある日、バブルとなってしまう。

金融でも混ぜ物は危険

将来予測の不確実性が存在するのは、人間社会ではやむを得ない。とすれば、大事なのは不確実性をしっかり認識することである。証券化した債券をさらに証券化して売却すると、結局その買い手は、元の債券の見合いの資産のリスクも負うことになる。証券化が何重にも続くと、最後の買い手はどういうリスクを取ったのか認識できる情報を持てない。これまで格付会社が安全性を示していたが、金融クラッシュでその信用は裏切られた。自分で情報を吟味してリスクとリターンを判断するという作業を、プロの金融機関がしていなかったという点については、厳しく断罪されるべきだろう。

日本では食品の偽装や中国製原材料に含まれていた有害物質が問題になった。これも外見からは内容を判断できないという問題を抱えている。ほうれん草、サンマ、みかんそのものであれば青さ、目、色などを見れば新鮮さは分かる。金融もリスクとリターンを判断できるような情報開示を行い、自分の頭で判断するという原則に戻ることが、近道と思う。

(2008年9月27日脱稿)

 

第86回 消費税について議論のとき─福田退陣に寄せて

消費税は経済政策論の突破口

福田総理退陣を受けて、自由民主党の総裁選が始まった(この項が出る頃には大勢は決しているかもしれないが)。争点は、経済政策だ。対立軸は、自由主義的な小さな政府か、公共政策を重視する大きな政府か、ということである。そして大前提には、既に大きな財政赤字に今後の人口高齢化が加わり、将来の赤字拡大、下手をすれば国がデフォルトしかねないという事態がある。この前提から見ると、政府の大きさの大小問題以前に増税は必至とも思われる。

1970~80年代の英国におけるポンド急落時のサッチャー元首相の処方箋は、小さな政府であり、また北海油田の採掘開始が経済の回復を支えた。同様に日本政府は、近海でのメタンハイドレード(ゼリー状の液化天然ガス)開発に躍起だが、これを現時点で北海油田のように当てにしてよいかどうかは何とも言えない。幸い、日本の産業競争力は、当時の英国ほど落ち込んでおらず、貿易黒字や大きな外貨準備があるので、円安が急に進むことは、少なくともあと3年くらいはないだろう。しかし、金融市場の取引量とスピードは当時の比ではない。今後、サブプライム問題において、米国がファニーメイやフレディマックを救済する実力を示し、日本の政権党が財政赤字を縮小させる能力なしということになれば、円安が始まり、日本国債が徐々に売り込まれるリスクがある。

財政赤字の大きな日本にとって、もはや大きな政府は選択肢としては難しいと思われる。そこで焦点となるのは、小さな政府で消費税率を現行維持とするか、中くらいの政府で税率を上げるのか、という点ではなかろうか。消費税は、英国ではしばしば大きな政変を引き起こしている。17世紀に起こった清教徒革命は、国王の消費税導入に対する議会の反発がきっかけだったし、18世紀のウォルポール内閣は民衆暴動で消費税増撤回を余儀なくされた。消費税が政治問題化することは避けては通れない。

消費税の特色1: 逆進性

消費税、厳密に言うと付加価値税は、企業が(売上-仕入)×税率の金額を政府に納める仕組みである。この税率を売上に転嫁することができれば、その実質的な負担は最終的には消費者が負う。このため、消費税の第1の特色は、所得の高低に関わらず人間の消費が一定だとすると、低所得者ほど負担が大きくなる、いわゆる逆進的であるということである。政府の基本的な役割が、所得の大きい人から多めに税を取り、人間として最低限の安全や生活の保障をするために所得を再分配することだとすれば、逆進的な税は、小さな政府に相対的にはなじみやすい。大きな政府の最たるものは社会主義や共産主義であるが、そのような国では累進的課税方式を採用していることが多い。日本の場合、財政赤字の大きさから大きな政府は取りえないとすると、やはり消費税を考える余地は大きいと考えられる。

消費税の特色2: 徴税コストの安さ

消費税の第2の特色は、法人税や所得税と比べると、操作余地が小さいことである。法人税や所得税では、課税額の決定に会計的な操作性や裁量性が入り込む余地が大きく、企業の税務担当者や個人の税務申告などで課税コストが嵩む一方で、判断の巧拙に伴う税負担の不公平が生じやすい。政治的にも、租税特別措置など特定の業種を優遇することがやりやすくなる。また、現在では多国籍の企業活動が活発かつ容易になっているため、法人や個人の所在地を基準とする法人税や所得税では、所在地を操作することで課税を回避することも可能となる(タックスヘイブンを想起されたい)。消費税はこのような操作をしにくい税である。こうした点を踏まえ、日本の財政問題の解決策としては、消費税率を上げることで企業の税務担当者や税理士を減らし、税務署職員も減らして、国全体として徴税コストを抑制することを考えるべきであろう。英国でも所得税の自己申告制を導入することで、租税調査官を思い切って減らした歴史がある。

ただ、一つ留意すべきは、消費税は、法人税=(売上-仕入-賃金)×税率と比べると賃金にも課税しているので、雇用に対し抑制効果を持つことである。もし消費税率を上げることになれば、企業は労働よりも資本集約的な投資を行うことになるであろう。しかし、これも人口減少下で、外国人労働者の受け入れが容易ではないなかでは合理的なことではないか。

(2008年9月5日脱稿)

 

第84回 オリンピックの後に

北京オリンピックを見て

この稿が掲載されるのは、北京オリンピックの終わり頃であろう。北京の街角やその周辺地域の事情についての報道を通して、その発展ぶりと貧富の差の大きさ、知的財産権の無視のされ方、環境問題のひどさなどを、まざまざと目にしたに違いない。しかし、中国とてこのままの状況を維持しているわけではない。形式的には共産主義の看板を掲げていても実質は資本主義なのだから、こうした不都合は、市場メカニズムにより是正されていく可能性がある。そしてグローバリゼーションの流れにもまれる中で、世界市場からの圧力、インターネットを通じた世界市民、消費者からの監視といった要素は強力な是正圧力になると思う。

足許、中国の経済成長にはブレーキがかかっている。オリンピック需要に対する反動は、既にオリンピック前から始まっていた。東京五輪のときと同じように、公共工事のピークアウトが景気を悪化させつつあるが、一方で批判の矛先が向けられてきた知的財産権への低い意識については、変化の兆しが見られる。中国の大企業が、中小企業の無軌道振りを何とかすべしと政府に申し入れ、全国人民代表大会(国会)で主要議題として取り上げられたことから、法整備が進む可能性は高い。これまで地方裁判所は、中国内の大企業や中小企業を外国企業から守る砦となっていたが、現在では中国の大企業と中小企業間の紛争が急増してきているようだ。

環境問題とて、廃油などの垂れ流しと、その結果生まれてきた障害を持つ子供たちの様子は、日本の4大公害病以前の足尾銅山鉱毒事件を彷彿とさせる。しかしながら、こうした現象は中国でも政治問題になりつつあり、政府は既に実態調査から対応策に乗り出している。

中国が欧米ルールに乗ったら

中国が、欧米ルールに乗るのは意外に早いかもしれない。中国の貧村出身者と話すと、故郷の村の一族郎党の命運が彼の肩にかかっていることが分かる。彼らのハングリー精神や努力に、日本人はついていけていない。共産党幹部の師弟とて、文化大革命で下放された幹部のそれは両親の農村での苦労を見て、共産党のヘゲモニー変遷が静態的でないことを知っている。

中国のエリートに共通するのは、国を信用せず、その代わりに自分の実力や家族を信頼しているということだ。日本人の留学生が、国や家族はもとより、自分すら信頼していないように見えるのとは対照的だ。こうしたエリートのがむしゃらな働きと対応は、次第に社会の富を増し、中間層の富裕化は、猛烈な中国の企業改革に結びつくのではなかろうか。高度成長期の日本企業と異なり、現在の中国企業は、世界の消費者やコーポレート・ガバナンスといった事項に敏感にならざるを得ない環境にある。その理由としてグローバリゼーションの中での世界の消費者の目、そしてインターネットを使った世界レベルでの情報の伝播のスピードが挙げられるであろう。

いよいよわが国は正念場

今後、中国は文字通り世界の先端工場になる可能性もある。日本の産業にとっては正念場だ。中国と日本の製造業は、中国=低付加価値品、日本=高付加価値品という図式を超えたライバルになってきている。日本の製造業が、中国や発展途上国へと100%シフトしないのは、まだ中国の安い賃金+法的・国家的リスク=日本国内の高い賃金、と裁定しているからだ。先に述べたように法整備が進み、左辺のリスクが小さくなれば、生産は一挙に中国シフトすることになろう。

そうなると日本の年金問題や財政問題は、一挙に事態を悪化する。確かに英国のブラウン政権も苦境にあるのだが、英国の産業構造を一挙に悪化させる事態は、住宅バブルの崩壊以外にはなかったという意味で、その仕組みが分かりやすい。しかし福田政権というか日本の政治は、いまや日本経済の構造はがけっぷちにいることを踏まえて行われているのだろうか、と懸念する。中国との産業競争について、過度な楽観は禁物と筆者は考える。

さらに言えば、一段と豊かになった中国人の中には、礼節を知る人が増える可能性が高い。一族郎党の幸福と金銭の追求ばかり考えている連中は、世界では好かれない。もし中国人が世界の貧しい地域で医療ボランティアなど奉仕活動を熱心にやるようになり始めたら、その時こそが、日本人のアイデンティティの危機になろう。こうしたときに備えて我々日本人が考えるべきことは非常に多いと思う。

(2008年8月5日脱稿)

 

第82回 組織の緩慢な死

組織の死とその速度

最近、組織の死について考えることが多い。企業なら倒産、国家なら消滅または革命などによる既存の政治体制の崩壊、市場なら取引の激減による機能不全、日本の地方自治体ならさしずめ赤字団体への転落か。おおよそ永久に続く組織などありえないので、役割を終えれば資源の無駄遣いとならないように、さっさと解体してその資源をほかでより役に立つように再利用するというのが、経済の考え方である。そしてその解体作業は、市場に委ねるのが一番効率的であることが証明されている。市場価格によって組織の構成要素を売買し、その要素が購入価格以上の価値を上げられるように努力することで、社会全体としての効率性を高められるというわけだ。

このような考え方を具現化した企業のM&Aは、確かにここ数年にわたって非常に盛んに行われてきた。しかしそれでも全体から見ると、M&Aの対象となる組織はごくわずかである。まず国家や地方自治体では、倒産や部分売却は行われない。北朝鮮の延命、イラクやソ連の崩壊の例は、結局、内部革命か戦争でもないと、国家は簡単には崩壊しないとの事実を示している。90年代の中南米の債務危機でも国際通貨基金(IMF)が緊縮財政などで内政干渉したものの、政治体制が変革したわけではなく、結局は先進国の借金返済繰延が解決策となっている。大阪府の橋下知事の仕事振りを見ても、職員の生首を切ることはなかなかできないということが分かる。民主主義においては、時間をかけて少しずつ痛みを分けていくという方法が取られるのだ。

大き過ぎてつぶせない

サブプライム問題で大きな損失を被った金融機関も例外ではない。大きな金融機関をつぶすと、金融市場ではそれぞれの取引相手方の経営状況に対して疑心暗鬼が生じ、取引が極端に細ってまともな価格がつかなくなる。そうするとますます取引が細り、市場自身が機能を止めてしまう。こうなると元も子もないので、当局は大きな金融機関をつぶせない。

スイスに拠点を置く多国籍企業であるUBS証券やクレディ・スイス証券の資産は、合計で同国の国民総生産(GDP)の約7%をも占めるため、倒産するとスイス一国や世界の金融市場に大きな混乱が起こる。このためスイス当局は両社に厚い自己資本を持つよう要請したようだが、この方針もいわゆる小国における多国籍企業の監督問題で、結局「大き過ぎて管理できない、つぶせない(too big to manage, and fail)」という事態になっている。日本の不良債権問題のときも結局、ペイオフされた金融機関はなく、国の資金を注入しながら時間をかけた解体が行われた。都銀が11行から3行になったのも、こうした過程を経ていた。

資本主義と組織

中小企業は実際につぶれているではないか、という意見もあろう。しかし、バブル崩壊期に倒産手続によって処理された企業数は、銀行救済により延命した企業数の1割以下という統計がある。経済成長が著しいときは、V字型回復を狙って優勝劣敗で倒産企業が増えても経済全体が死ぬことはない。しかし景気下降期に大改革をすると、経済全体が衰えてしまうことがある。

組織の死のあり方とそれに至るまでのスピードは経済環境、政治環境、組織の性格によって一様ではない。ただ忘れてはならないのは、組織の解体は早く行えば良いとも限らず、一方で時間をかけて解体を行えば回復もそれだけゆっくりになるということだ。日本がバブル崩壊期に漸進的処理を選んだコストは、日本経済が未だに抱える構造改革問題という形となって表れている。サブプライム問題が発生した際、大きな金融機関をつぶさなかったことが、モラルハザードになることは確実と思える。

北朝鮮や、無駄遣いにまみれた自治体の延命コストは明白であろう。企業については倒産前後で価値の急激な変化が起こらないような倒産法整備や独占禁止法の強化による「大き過ぎてつぶせない」現象の回避、多国籍金融機関については国際倒産や国際独占禁止法の仕組みの検討、自治体については自治体倒産に関連した法制の強化、国家については国際的な制裁を含む市場メカニズムを阻害する要因の排除が真剣に議論されているのは、こういう文脈だと解する。

資本主義と組織の消長との関係とは結局のところ、国家や会社は何のためにあるのか、ネットワークという組織はどう位置付けられるのかといった社会哲学の大問題となろう。ホッブス、マルクスのようなスケールの大きな哲学者の再来が待たれる。

(2008年7月15日脱稿)

 

第80回 ウルトラマンとサンダーバード

ウルトラマンとサンダーバード

80回記念にちょっと変わった視点から。ウルトラマンとサンダーバードを知っていることが以下の話の前提になるので、まずはその説明をしたい。ウルトラマンは日本の円谷プロが1966年から製作した子供向けヒーローもののテレビ・ドラマの傑作で、筆者も子供の頃夢中で見ていた。まず怪獣が出現し、科学特捜隊(自衛隊よりだいぶ強い)がミサイル攻撃などで何とか退治を試みるがうまくいかず、日本がピンチに陥る。その時、同隊員の1人ハヤタがウルトラマンに変身し、怪獣を退治する、という30分番組だ。

一方、サンダーバードはロンドン、ハムステッド生まれのジェリー・アンダーソン氏率いるAPフィルムズが1965年に製作した子供向けのテレビ人形劇で、時代設定は西暦2065年となっている。米国の世界的な大富豪、ジェフ・トレーシーが、一つの国や救助組織では対応できない大惨事から人々を救出するため国際救助隊を設立。南海の孤島から、トレーシーが指示を出しつつ、5人の息子スコット、ジョン、バージル、ゴードン、アランが超音速ロケット機サンダーバード1~5号に乗り込み、事件を解決したり、悪者を懲らしめたりする。ウルトラマンのような超人は出てこない。ロンドンには従姉妹できれいなクイーンズ・イングリッシュを話すペネロープ嬢がいて、スパイ活動をしている。

いずれも60~70年代の子供が夢中になった番組で、最近ではリバイバルもなされている。

日英番組の違い

さて、ここからが本論だ。両者共に子供番組ではあるのだが、それぞれ問題解決のパターンが異なっている。ウルトラマンでは、科学特捜隊は問題解決に直接役立ってはいない。同隊は、怪獣から逃げる人々の避難誘導などはするのだが、怪獣そのものに対しては無力だし、怪獣を操る宇宙人をやっつけたりすることはない。結局ウルトラマンが出てこないと問題解決はできない。

一方サンダーバードでは、まず長兄スコットはいつも真っ先に現場に駆けつける。問題に直接手を下すことはなく、周りの関係者に事情を聞いたり、現場検証をしたりして徹底的に問題点を洗い出す調査を行い、その調査結果を南海にいる父親に報告する。すると父親は、いろいろなものを運搬できるサンダーバード2号(次兄バージル搭乗)に必要な機器を積み込ませ出動を命じる。2号は現場で適切な機材(地底車、深海艇=4号、クレーンなど)を使い、ロケット=3号、宇宙ステーション=5号などとも連絡を取り、問題を解決する。

鍵は、1号に乗り込む長兄のスコットの調査と父親が務める司令塔にある。ヒーローが問題をすべて解決する水戸黄門のようなウルトラマンと、①現場での調査②リーダーシップに基づく問題解決、を重視するサンダーバードは、日英の違いを表していないだろうか。

英国の調査癖

英国の調査癖が始まったのは、古物の収集が盛んに行われるようになった16~18世紀からではないか。特に17世紀の海外貿易や植民地政策は、海外から希少な動植物や珍品を英国にもたらした。そして上流階級のコレクションが、当時の社交場として機能していたコーヒー・ハウスの陳列室に展開。1759年になると大英博物館が開館し、産業革命を経て、中産、労働者階級の教育を主な目的としたその他の博物館が相次いで作られた。

今でもオックスフォードやケンブリッジでは、非常にマイナーだがユニークで、何の役に立つのかと思われる調査を行う学者も多い。筆者は英国人の学者から、ケンブリッジで三島由紀夫、谷崎潤一郎、丸谷才一の文章読本の違いを、王立国際問題研究所チャタム・ハウスでは京都の町の構造を、いずれも日本語で説明されて面食らったことがある。子供の通っていた小学校でも3年生でローマ帝国が現代英国に与えた影響という題でリサーチ、発表させ、その後激しい討論が生徒間で行われた。「調査分析とその批判的討議」に意味があるというのが先生の説明だった。ロンドンの金融業も世界的な情報収集や調査が土台である。この点で日本、東京の金融業は、まだローカル色を脱していないように思われる。

政治分野でも、筆者の専門である経済分野でも、グローバルなスタグフレーションの下で行き詰まり感があるが、従来と異なる発想は地道な調査からしか生まれ得まい。さて、ウルトラマンとサンダーバードを両方見て育った筆者も含め、日本の40歳代から地道な調査を踏まえた新発想が生まれるだろうか。

*本稿は、大垣尚司氏の本からヒントを得ている

(2008年6月15日脱稿)

 

第78回 政治行政情報の偏りと投票行動の限界

最大の経済問題は政治

この欄で年初に書いたように、今年の最大の経済問題は政治だ。米国のサブプライム問題も、結局は新大統領が公的資金をどれだけ入れるかの決断に依存するだろうし、チベットを前哨戦とした中国周辺部(飢える北朝鮮、対中輸出減速の台湾、軍事政権がハリケーンに対する援助を拒否し、鎖国するミャンマー)の政治的安定と中国本体のオリンピック前後からの景気減速も、人民解放軍と農民の格差拡大に対する不満を胡錦濤氏が注意深く処理できるか否かに大きく依存する。欧州ではブラウンとサルコジ政権の失速、日本は言うまでもなく総選挙が近い。

ただ政権党や権力側に対する対抗側にも、実は政治経済問題に妙案があるわけではない。まず米国ではオバマ、クリントンいずれも経済政策に特色がない。中国も共産党が政権を失ったら、次の政権は分裂か群雄割拠しかあるまい。英国のキャメロン保守党党首やフランス社会党も経済政策では新味がない。日本も民主党と自民党との大きな政策の差を指摘することは難しい。むしろ高齢化に伴う年金財政の破綻と若年失業問題には、共通して解がない。

マルクス主義の実践がソ連、東欧、中国で絶え、その配当を謳歌したネオコン、新自由主義の行き過ぎもサブプライムによる景気減速で傾きつつある。この間、ブレアの新自由主義の下での第三の道も、財政赤字が徐々に拡大していった。結局はサッチャー元首相の作った財政ポケットを活用した住宅建設など単なるばら撒きだったのか、整然とサッチャー政権の行き過ぎを是正したと評価されるのかどうかが今後、ブラウン政権終了後、はっきり歴史に問われることになろう。結局、選挙でどの政党に投票しても大差ないので、有権者は気まぐれで目先や気分を変える。先日のロンドン市長選挙も同類と見たがどうか。


政治行政情報の偏り

しかし政治はトータル、全般的なものだ。だから、全論点についてバランスよく考えていくことが市民に求められている。それを可能にするための最低条件としては、第一には政治や行政の情報をもっと広く、かつ分かりやすく公開することだと思う。今では日英とも情報公開法があり、公開請求はできる。また各省や議会のHPが充実していて、探そうと思えばある程度の情報は探せる。それでも忙しい生活の中で、全体像を進行形で把握するのは容易ではない。テレビやネットのニュースは論点と事件とゴシップを追うのに精一杯だ。サッカー・ボールを追うのでなく、後衛の位置から球技場=政治全体を見渡し、その鳥瞰を与えるのは新聞の役割のはずなのだが、果たして英国の新聞ですらそれが十分なのか。

米国にコングレショナル・クオータリー(www.cq.com)というHPがあり、米国議会の動きを論点ごとに分けて、各省や民間の調査、議会での議論の進捗状況、各委員会を構成する議員の背景と金の動きまでカレンダーつきで踏み込んで情報を与えている。主に圧力団体の人が、どの議員をシンパにすべきかを考える材料提供をしているのだが、それがそのまま政治過程の「見える化」になっている。しかも一部無料で、その部分だけでもある程度のことは分かる。また全体像を1秒で知りたい人は1秒で、1時間の人は1時間で論点がつかめる。そうした情報を市民が得て、初めて日本の民主党のつまみ食い的な主張の一貫性を問題にできるのだろう。一貫性や全体的な整合性こそ市民は選挙や公開討論で問うべきだし、それでこそ真の2大政党制が実現できる。

1票の妥当性

第2の論点は、1人1票で十分かどうかだ。複雑な論点をジグザグに包含した党議拘束のある政党所属議員を、1票で1人選ぶ仕組みの是非から問われてしかるべきだと思う。ITを使えば、政治上の論点50個に対して候補者は50の考え方と理由を提示し、それに有権者は賛否を投じるような仕組みを容易に構築することができる。それで各論点についての得票数の総和が多い人が当選すると、候補者はどの論点が自分の当選に寄与したのかよく分かり、投票行動にその民意の制約を受けることになるだろう。

代議制は市民の中から選良された議員による自由な議論の中から方向性を決めていくことに価値を見出したのだが、IT技術によりこれを直接民主制的に運用することが可能となりうる。自由な議論を代表レベルで行うのか、国民レベルで行うのかといった憲法学上の論争を現実の政治に生かすためにも、まずは第一の条件である政治経済にかかる基礎情報の提示がなされれば、より議論が深まる余地があるのではないか。これこそ英国にせよ、日本にせよ、政治経済建て直しの鍵となるであろう。

(2008年5月14日脱稿)

 

第76回 移民同化問題の歴史と保守党の立場

国民国家と移民

英国におけるイスラム系・インド系住民、フランスにおけるマグレバン(北アフリカの元フランス植民地出身者)、ドイツにおけるトルコ人、南欧諸国における東欧の若者と、欧州では移民が今住んでいる社会に「同化」できないことが大きな社会問題になっている。言い換えれば低賃金労働への従事、生活水準の低さ、言語の違い、教育水準の低さ、宗教の違い、これらを原因とする犯罪の多さが問題視されている。

一方で移民からみれば旧宗主国に対する劣等感を底流に、低賃金で働かせた上に景気が悪化すると移民制限とは虫が良すぎる、と大きな不満がある。これが英国にイスラム原理主義が入り込む余地であったし、パリ郊外での暴動の原因であり、逆に大陸などで移民排斥を掲げる右翼、国粋主義が躍進する土壌となっている。

歴史的に見れば、欧州では神聖ローマなどの各帝国内でのユダヤ人問題も同根と思う。現在に繋がる起源としては、帝国主義が崩壊した後に国民国家が国民をまとめ上げるに際し、民族アイデンティティーを確立していく過程で少数民族を慰撫と敵視で利用したことにある。つまり言文一致運動、マスメディアの誕生、義務教育等々によって国語と歴史を国民に共有させ、金融と貿易により経済圏を統一した。その過程でついて来られなかった少数民族を追い出し、ついて来られた層を国民として取り込んだ。この問題を歴史的に正面から受け止め、社会的な努力を続けてきた国は米国である。


米国の公民権運動

若い移民の国である米国の国内史は、アングロサクソンや他の欧州移民そして黒人の同化、最近では原住民インディアンについての評価の見直しなど移民問題を軸にうねっている。中でも鉄道内での白人・黒人分離車両を「分離すれど平等として合憲」と判断した1896年の最高裁判決を覆し、白人・黒人を分離した学校を違憲とした1954年のブラウン対教育委員会裁判をきっかけとして盛り上がったキング牧師の公民権運動は、他国に例がない。法的権利の平等から、経済的に恵まれない黒人に一定の大学入学枠を優先的に認めるなど、州や国家が積極的な配慮(affirmative action)を取るようになったことは画期的であった。

ただ配慮にも限界がある。結局、混血が進めば一定の同化はあるものの、資本主義の下では所得格差、教育格差は容易に埋まらないし、法の下の実質的な平等の確保による行き過ぎた積極的配慮には反動もみられる。保守が区別、分住を肯定する一方、自由を支持するリベラル派は区別を禁止し、混住とさらには一定の積極的配慮を支持する。

米国の共和、民主両党に保守とリベラルの立場の人がいる。黒人オバマ候補の「米国は1つ」という訴えも、その出自のみならず、米国の経済的苦境に対して具体的、そして積極的に不平等を是正する政策を語れば失点になりかねないという状況から生まれたのであろう。


英国の場合とカンタベリー大主教

英国は帝国主義時代に多数の植民地を持ったが、常に植民者であり、多数の英国人が現地に同化することはなかった。英国内でも植民地エリートを中心に留学を認めたのみで、米国のような規模での移民流入はない。植民地における独立の混乱で亡命したインド系と一部アフリカ系の2代目、3代目が教育を受け中産階級に進出しているが、分住しており、米国のような激しい法律、政治闘争もない。しかし、いまやグローバリゼーション、言い換えれば国民国家から帝国主義の復活への新展開が、英国に史上初めての経験を強いているのではないか。イスラム原理主義が入るに及び、問題は政治社会化した。カンタベリー大主教が、英国でイスラム法(シャリーア)のイスラム社会への部分的適用を主張したことは記憶に新しい。

こうした分住の固定化は、米国ではヒスパニックで問題になっている。これは法の下の平等、法の支配という権利章典以来の英国法史と真っ向から衝突する。大主教や労働党が支持してきたマイノリティの社会参加のための分住支持は、米国なら保守の主張に当たる。英国保守党のキャメロン党首は区別禁止という、極めてリベラルな主張の持ち主だ。英国が植民地でしてきたこと、パレスチナやアフガニスタンでしてきたことを考えると、歴史は移民同化という古い問題を逆に英国本国で問い返してきた。キャメロン党首は経済政策ではブラウン首相と差異を出すことは難しいが、こういう分野でこそ真骨頂が問われる。政権奪取の契機とさえなるべき問題だと思うが、さてイートン、オックスフォード卒のエリートにそれができるか。

(2008年4月13日脱稿)

 

第74回 中央銀行総裁の仕事

シティのオールドレディ*

地下鉄セントラル線バンク駅の真上に、英国の中央銀行であるイングランド銀行(BOE)がある。モアゲイト駅方向の塀の高さは30~40メートルもあろうか。王の圧制に対し、暴徒が王の資金の面倒をみていたBOEを襲ったことからこの高塀は生まれた。建て増しを繰り返したため迷路のようになった内部の1階には、マーヴィン・キング総裁の執務室がある。彼が好きなクリケットのラケットとサッカー・クラブ「アストンビラ」の旗が置いてある執務机からの中庭の眺めは美しい。

2期目の初年を迎えた総裁は各方面に難題を抱えている。今にして思えばバブルだった金融市場は、彼がサブプライム問題について楽観的な発言を議会でした後で資金供給を余儀なくされ、ノーザン・ロック破綻では日銀の山一証券特融を上回る約5兆円もの融資を行った。ロンドン市場では各国債を担保にした安全なレポ取引ですら取引相手の信用リスクが問題となり取引量は著しく縮小している。1999年に労働党政権の下で政府から独立して以降、BOEの中心的な仕事はエコノミストによる経済調査を前提に、金融市場への資金提供と回収(債券を売戻条件付で購入する)により資金需給を調節して金利を決めることで物価安定を図ることだとされてきた。

しかしノーザン・ロックの破綻以降、その不十分性がはっきり認識された。問題はA)市場時代における金融庁検査の非タイムリー性、B)市場と取引を通じて接している中央銀行BOEと検査当局FSAの情報共有連絡の悪さの2点だ。BOEはFSAから肝心な情報が来なかったと述べているようだ。それにもかかわらず、英国財務省の2月の金融システム監督制度改善に関する報告には、BOEの金融システム安定にかかる権限を法律上明記することとBOEとFSAとの連絡を良くする、ということしか書かれていない。これでは99年当時と比べ労働党政権は精彩を欠くといわざるを得ない。中央銀行の武器はオペ、外貨準備運用、資金取引、決済システムを通じた金融機関との日常的な取引における接触、懇談、人材交流という「インザマーケット」にある。BOEの実力は、FSAとの情報共有のみでは生かされまい。


イングランド銀行小史

17世紀末に発生した英仏戦争のための資金を政府=王室に貸付けるために金持ちが作ったイングランド銀行は、その後、政府の資金繰りを請け負い、政府の債券、国債発行事務を担うようになる。その国債を担保に銀行券を発行し、その銀行券は安全だということで決済手段になっていった。高塀も安全のためというわけだ。

安全な銀行ゆえに、イングランド・スコットランド間、大陸への資金送金用の為替取組を請け負うようになり、取引先が全銀行へと拡大。その過程でシティの村長になり、村民である市中銀行の経営状態にもパターナルにチェックをいれるようになった。これが金融システムとBOEの関わりだ。そして最後に経済が拡大し、市中銀行間の資金融通で金利が決まるようになると、最後まで金を出し続け得る銀行としてBOEが金利を決めるようになった。無尽蔵に銀行券を印刷して金を供給できる胴元の意向には逆らえない。つまりBOE=金利政策がメインの仕事というのは戦後の理解に過ぎず、歴史は政府の資金繰り、銀行券の発行、金融システムの安定化、金融政策という順に進んできた。

中央銀行の仕事の第一は決済手段である銀行券供給と金融市場での取引を安定して行うこと、第二はそこからの知見(マーケット・インテリジェンス)を用いて、安定を損なう取引に強い警告を出すこと、そして金融システムや市場を守るために必要なことは何でもやるということだ。戦後BOEはシェルを救うために石油まで担保に取って融資した。いざというときには何でもやるという気概がシティを守ってきた。金利政策は最後である。


日銀総裁選びで欠けたもの

キング総裁の困難の原因は、前職がロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)教授だったこともあって、金融政策一辺倒でしか中央銀行を理解しないマクロ経済学のドグマから抜け切れていないことにあるのではないか。もちろん英国政府も、ブレア政権以来というかケインズ以来そういうドグマから脱していない。そもそも、中央銀行の仕事は極めて専門的だ。経済分析はもとより、取引は法律と契約と会計とITの束だ。そうした専門知識と、それを国民のために使う公共心なくしては務まらない。こういった議論を日銀総裁選びで行えば、BOE310年、日銀125年という歴史の差があっても先輩に負けまい。

* イングランド銀行の愛称

(2008年3月17日脱稿)

 

第95回 東南アジアの怒りと世界的な財政拡大の帰結

世界的な財政拡大

担保としての不動産価格が下がり、過大な借入をしていた住宅ローンや消費者ローンの返済が難しくなった米国の消費者が、お金を使わなくなった。これが原因で、米国は中国からの輸入を減らしたので、中国は製品の生産を抑え、原材料の輸入も減らしている。このため世界中で生産が落ち、景気の悪化がはっきりしてきた。すると世界中の消費者は一段と節約に励むようになるため、景気がより悪くなる。つまり、モノが売れないという見通しが立つ。

このため先進国政府は、財政拡大に走って景気の悪化を食い止めようとしている。景気悪化の程度が甚だしいので、ある程度は財政を拡大することはやむを得ない、というのがそうした国々のマスコミの論調でもある。この状況に対して、東南アジアの政府関係者や中央銀行などは三重の意味で怒っている。


先進国の監督責任

第一には、英米の金融監督当局や中央銀行が、行政権限などに基づいてきちんとインベストメント・バンクを監視していなかったために世界が不景気になったという、言い換えれば監督責任を果たしていないという怒りである。

この点は、先月ブラジルで開催された財務相・中央銀行総裁会議(G20)でも新興国から米国や英国当局の責任が厳しく問われ、その結果G7もG20へ、また国際通貨基金(IMF)や国際決済銀行(BIS)といった国際機関の枠組みも、欧米主導から新興国が参加するものに変えていくことが合意された。


アジア危機との比較時の怒り

第二は、90年代末のアジア通貨危機のときにタイ、韓国、インドネシアなどで自国の通貨が売られ外資が引き揚げる中で、金融機関経営が悪化し、自国の景気がどん底になったときに、IMFが資金を貸し付ける条件(コンディショナリティ)として財政の拡大をするな、と言ったことに対してである。

そのときこうした国々は、財政を拡大することができなかったために国民に耐乏を強いることになり、いくつかの政権が倒れる原因となった。しかるに英米や欧州諸国は、自分の国の金融機関経営が悪化し、景気が悪くなったときには規律なく財政拡大するのか、という無節操への怒りである。

新興国の政府には、金を借りるために、米国の経済学徒であるIMFの官僚たちによる学識だけの財政規律優先主義を受け入れざるを得なかったという気持ちが強く残っている。規律なき財政拡大は、国民の自助努力を損ない、長い目で見てその国における不採算企業の温存を招くので、するべきでないというのが当時のIMFの考え方であった。ところが今回に至って米国は規律なく財政を拡大する上に、今後為替の調整を行う選択肢まで持ち出して、すなわちドル安新興国通貨高を容認して、自国の競争力や景気回復に乗り出す可能性もある。


インフレの種

第三に、最も深刻な問題として、規律なき財政拡大はインフレの種を蒔くということだ。

共産圏の解放、グローバリゼーションの拡大、アフリカや東欧などの開発といった、世界中が先進国のように豊かになりたいという運動は、基本的には止むことはあるまい。サブプライム問題に端を発する景気の悪化は、1つの踊り場、もしくはグローバリゼーション劇場の幕間劇に過ぎない。世界中が豊かになろうとすれば当然、食料が必要だし、エネルギーも食うのだ。そうだとすれば、一次資源の価格上昇は中長期では不可避だろう。ヘッジファンドは、商品相場の二番底(価格下落が一服して再度急落した状態)での買い上がりを虎視眈々と待っている。そこへきて財政拡大である。バラまきをする日本などは語るにも足りないが(本当に情けない)、英国政府による住宅ローンの2年期限延長もモラル・ハザードを起こす害があるばかりか、財政による次世代へのインフラ作りに役立つとは到底思えない。

これから1~2年のうちに再度資源価格が高騰することは必至であろう。そうすれば、確実に世界中がインフレになる。そのとき本当に困るのは、産業競争力や資本蓄積が十分ではない、つまりバッファーが小さい東南アジア諸国なのだ。先進国ええかげんにせんか、こうした怒りを最近つくづく感じる。

(2008年12月7日脱稿)

 

第93回 不況時に起こること―サッチャー・ブレアの歴史的評価

ウィンブルドン方式の結果

11月6日に英国の中央銀行であるイングランド銀行は政策金利を1.5%下げ、3%とした。ここ数週間で年初来のインフレの懸念が大きく弱まった一方、実体経済の悪化と銀行貸出の縮小(信用収縮)により、インフレ率が大きく目標(0~2%)を下回るダウンサイド・リスクが発生していることをその理由として述べている。つまり、インフレと不況が同時に起こるスタグフレーションから、デフレと不況の対処へと懸念が移ったことを示している。

こうした経済状況の急激な変化は、第一に英国経済がウィンブルドン方式において「メガ金融機関や外資サービス業にビジネスの場を提供することでその手数料を得る」という構造を土台としているため、金融動向に振られやすいこと、そして第二にその金融が実際に大きく振れたことの2点の組み合わせから生じている。金融市場の変化は、実体経済よりも非常に早いスピードで動くことが特徴なので、この変化はインフレ懸念で抑制されつつあった国民の消費や、ピークアウト感が出ていた住宅投資をソフト・ランディングではなく、ハード・クラッシュに導きつつあるということを意味する。


これから起こるであろうこと
(既に起こっていることも多そうだ)
<企業>
交際費・寄付などの削減、給与抑制またはカット、臨時雇用者などの解雇、解雇促進、賃金の安い外国人労働力の活用、従業員のストライキ、プロジェクトなど新規事業凍結、借金返済の延期(手形のサイト延長)、破産(再生)
<家計>
旅行・外食などの支出抑制、買い物抑制、不動産売却、破産、ホームレス化、若年失業、移民排斥、デモ、精神的な病気の増加
<政府>
移民制限、財政支出または減税、金利引下げ、雇用訓練拡大、生活保護増額、財政赤字拡大、将来の増税またはインフレ・リスク、外国への投資要請(先日ブラウン首相がサウジアラビアに行ったのもその一環か)、EUとの協調色

不況による変化

それでは、今後2年間の英国経済をどうみておくべきか。上表の通り、需要減退を予想すると企業はリスクを取らず、コスト削減を図る。給料が上がらないとみると消費者は家計を節約する。そうした総需要の減少に対して政府は財政を出動し、また中央銀行は金利を下げ何とかそうした減少をマイルドなものに留めようとする。

一方で、直接損を被った金融機関は資本を減らしているので、政府の公的資本を入れてもらっても、自己資本比率を維持しようと思えば、貸出は慎重にならざるを得ない。よって資金を借りる側である企業もリスクを取りにくくなるという点が重しになり、景気はすぐには回復しないということになる。


悲観する必要なし

だからといって今後の英国での生活を必ずしも悲観する必要はない。上表のような事態が見越せるのなら、そのような状況をチャンスにすることも可能だ。ヒトの点について言えば、企業は優秀な労働者を安く雇えるチャンスだし、リダンダンシー(仕事がなくなったことによる解雇)に遭った労働者は自らの人生展開を改めて考えることもできよう。マクロ経済的には、こうした不況期において設備や労働などの資源をより最適な形で再配分することこそ、次なる成長の源泉と言える。倒産法制やM & Aが鍵になるのはそのためである。

そしてサッチャー政権末期から続いた英国経済の好調の終焉と到来した不況の今後のなりゆきこそ、サッチャー政権とそれを引き継いだブレア政権、さらにはブラウン現政権に対する歴史的な評価が定めてゆくことになる。好不況を1サイクル経た結果として国民生活が豊かになったのかどうか、これが判断基準である。

どこかで見たような不況が今後どういう形をとってくるのかを見守りながら、2000年代の不況とそれへの対応において、資源再配分を円滑に行えるのかどうかに注目したい。この処置が出来なければ、人類はいつまでたっても賢くならないということであろう。諸行無常という言葉を噛みしめる日々が続く。

(2008年11月9日脱稿)

 

第91回 9月の市場混乱から その5 ‐ ハーケンクロイツの足音

事態進展のスピード

9月入り後の金融市場の混乱は、市場関係者である我々の予想すらはるかに超えるスピードで進んでいる。サブプライム問題がくすぶり始めた去年の今頃からたったの1年で、主要株式市場の株価は半値。懸案だった米国の公的住宅ローン会社フレディ・マックやファニー・メイの破綻救済の後に投資銀行の整理が行われ、今や主要7カ国財務相・中央銀行総裁会議(G7)において、大銀行への公的資本注入を各国が確約する事態となった。

これからは金融から実体経済、つまり金融以外で特に消費の冷え込みの影響を受ける企業の経営危機が問題になってくる。本欄で最初にサブプライム・ローンの影響が世界経済に及ぶと警告したのが昨年4月(第51回参照)だったが、1年半でそれが実現するとは、筆者の予想よりもやや半年早いペースだ。日本の不良債権問題発生から公的資本注入の枠組み作りまで10年かかったことを鑑みると、5倍以上のスピードで事態は進んでいることになる。

言うまでもなく、その理由はグローバリゼーションの下で資本が自由に世界中を移動できることと、ITの発展による情報、不安心理の世界的な均一伝播(ホモジニティー)である。自分の頭でリスクを考えず、格付機関の言うことを鵜呑みにした結果がこれでは金融のプロの名が泣くが、その責任も公的資本の注入でうやむやになる可能性が高い。


実体経済悪化の影響

今後は1929年の大恐慌に迫るほど、実体経済が悪化する可能性がある。またそこまで行かなくとも倒産が増え、景気は悪くなるので、各国政府が財政出動を余儀なくされることは確実である。

景気が悪化すると失業者が増加する。英国ではまず派遣従業員、移民層などから整理解雇が行われることになる。大陸と異なり、英米では労働市場も自由主義的なので、雇用調整は比較的容易である。ブラウン政権はこの動きに対して、雇用保険や失業対策の拡充を余儀なくされつつある。財政再建を棚上げする理由にはなるだろうが、財政についてのゴールデン・ルール(公的部門の借入を投資目的に限定すること)とサステナビリティ-・ルール(公的部門のネット債務残高の対GDP比を40%以下で推移させること)を定めた本人であるブラウン氏が、思いきった財政拡張策を取れるかどうかが注目される。9~10月にかけての保守党党大会でもそうした危機感が示されていたが、キャメロン党首の政策にも新味や大胆さがあったとは言いがたい。

またこの現象は、来るべき米国の大統領選や日本での総選挙においても論点となるのではないか。さらに欧州では財政政策と金融監督ともに各国頼みである現状から、EUの枠組みが問題視されることは確実である。アイルランド政府が預金の全額保護をしたことにより英国の預金がアイルランドにシフトしたように、各国の財政政策に対してEU全体のコントロールは現状難しい面があるので、EU自体の影響力は確実に弱まる。


市民社会が試されるとき

失業と政治不信が広がる中で何より筆者が懸念するのが、過激な政治的主張が多くなる可能性があることだ。大恐慌を背景に、ハーケンクロイツと呼ばれる鈎十字を紋章としたナチスが出現したことを想起されたい。ITの発展による情報、不安心理の世界的な均一伝播の下、自分の頭でリスクを考えていないのは、何も金融機関に限った話ではない。市民社会全体や各個人も例外ではないとしたら、どうなるか。

失業不安から生まれる治安悪化は必ず移民排斥の主張へとつながり、金融機関の国有化や財政出動拡大は国家の力を強化し、統制色を強める。また産業資本や金融資本に対する社会的弱者からのテロを正当化していく契機にもなる。欧州各国の極右、極左政治勢力が勢いづくのは間違いなく、現政権や中央銀行の失政を厳しく難詰することになるであろう。

今、グローバリゼーションの下で市民社会の成熟が試されている。米国とEUの政治経済力が弱まる中で、米大統領選挙が実施される。パクス・アメリカーナの終わりにあたってモンロー主義(不干渉主義)に米国が回帰すれば、極右、アルカイダなどがうごめくだろう。国家統制色を強めないで、金融機関経営者や政策当局の責任を問いつつ、金融秩序と景気を回復するという難事業に、市民社会がどう立ち向かうのか、ちょっとわくわくする問題ではないか。

(2008年10月11日脱稿)

 

第89回 9月の市場混乱から その3 ‐ 英米政府、FRB、BOEの失政

金融監督の失敗

今、金融市場ではアラン・グリーンスパン前米連邦準備制度(FRB)議長の評判が地に落ちている。後任のベン・バーナンキ議長なども論外という感じだ。英国金融庁(FSA)のカラム・マッカーシー議長は、ノーザン・ロックの破綻について責任を問われる形で9月に交替させられたし、このままでは、イングランド銀行(BOE)のキング総裁の評判が落ちるのも時間の問題だろう。

彼らの経歴に共通しているのは、金融で商売をしたことがないか、あったとしてもその期間がごく短いということだ。グリーンスパン氏はエコノミスト、バーナンキ、キング両氏は学者、唯一マッカーシー氏だけが英大手バークレイズ銀行の東京支店で勤務した経験があるが、元々は役人である。その経験不足が金融危機の一因となったとの感は、拭い切れない。FSA、FRB、米国政府(SEC=証券取引委員会、州監督局)は金融検査や監督権限を有していたし、BOEやFRBといった中央銀行は、預金や債券売買を金融市場と行っていた。行政権限により、または預金や債券売買の取引制限を通じて彼らは経営が悪化した証券会社や銀行の市場からの退場を命じることができたのに、それを行使せず、今日の事態を招いた不作為責任は重い。

例えば、FRBや他の5カ国の中央銀行のドル資金の市場への放出(流動性供給)を考えてみよう。FRBが監督や検査権限、またはオペレーション取引の制限を用いて、経営の悪化した金融機関を金融市場から早めに退場させていれば、金融市場の麻痺やドルの流動性供給は起こらなかった。ポールソン米財務長官やバーナンキ議長、キング総裁の発言を聞いていると、自分たちの不作為責任を棚に上げて流動性を供給したり、銀行救済をしたりする必要性を説いている。その必要性を否定するものではないが、その事態を招いた責任の一旦は自分にあることをまずもって述べ、その責任を取らなければ、到底公的資金について国民の納得は得られまい。

日本の不良債権問題時の英米の態度

思い出すのは、日本の不良債権問題で邦銀が苦しんでいるときのニューヨーク(NY)連銀やFSAの態度だ。NY連銀は、邦銀は不良債権の認識が不十分で資本不足だとして、担保積み増しや資本増強を要請、それができないのであれば取引をやめるとして、実際に取引から外してきた。FSAもつい最近まで、日本の銀行にだけ不利な流動性の規制をかけていた。現在なら、英国の銀行に対して資本増強や厚い流動性を持つように求め、逆に日本の銀行や証券会社は優遇されるべきときだ。さらに言えば、日本の金融庁や日銀は資本増強や担保において、英米の金融機関に対して区別した取り扱いをすべきときである。

しかし、こうした措置が取られたとの話は聞かない。やられっぱなしでいいのか。こういうときは、不良債権額をきっちり認識し、資本を積むのが必要だと我々は欧米人から何回言われたことか。SECは、時価会計を一時棚上げするという。これに対して日本の金融庁は真意を確認中だという。真意は決まっているではないか。損失先送りしかない。

こうした場当たり主義に、日本政府は当時言われたことをそっくりお返しし、厳しく英米政府に対応を求める必要があるのに、この日本の政治の機能不全や行政の実情は情けない。米国の不良債権買取法案の議会通過を歓迎するのは結構だが、資本増強をもっと踏み込んで求めるべきだろう。

日本の悲しさとチャンス

日本はどうして米英の金融機関に対してこうした要求ができないのか。1つの理由は、ドルと円の国際通貨としての重要性の差だと考えられる。これは国力そのものの問題であり、日本人としては悔しく、悲しいことである。ただ日本の金融機関は今、積極的に欧米金融機関に出資を行っている。さて、シティ勤務の日本のサラリーマンたちに、欧米の名うてのインベストメント・バンクや銀行の経営ができるのか。終身雇用を前提とした日本のサラリーマンが経営者として真の実力があるのか。チャンスであると同時に、これからが正念場となろう。

実務や金融を知らない人を金融監督や中央銀行の長にしたことについて、米国民や英国民の怒りが今後出てくる。EUと各国財政政策の緊張関係も問題になる。特に英金融機関の経営問題は表面化しつつあり、これからが本番と予想される。シティと英国経済は一段と大きく揺れることになろう。

(2008年10月4日脱稿)

 

第87回 9月の市場混乱から その1 ‐ 国家主権と国際協調

世界経済の行方

この9月のリーマンブラザーズ証券の破綻、AIGの救済、6中央銀行の協調ドル供給、米国政府の75兆円の不良債権買取の議会提案という一連の金融市場における出来事は、第一に世界経済の行方について人々を不安にさせ、第二に国家主権(財政負担)と国際強調の相克について考える契機を与えたと思う。そしてこの2つは今後互いに密接に関連してくるし、その関連を見極めることは先を読む上で重要と思う。第一の問題については、住宅価格の下降によってこれまで旺盛だった米国民の消費意欲が減退したことを理由に米国経済全体が失速し、これにつれて米国向け輸出を成長エンジンとしてきたBRICS諸国の減速もはっきりしてきた。ロシアは市場の信頼を失い市場自体が機能停止に追い込まれている。

これからは各国の内需、特に財政出動の可能性が問題になる。新興国の内需は強いために、3年単位では経済の強さに不安はない。しかし、グローバリゼーションで金融市場は我慢強さを欠いている上に、そうした市場の圧力に各国政府は極めて弱い。このため財政出動、金利引き下げ圧力がかかることになる。米国は不良債権処理というロス埋めに負担を抱え、日欧は財政赤字が大きいということになると、新興国と産油国に期待するほかない。

今後G7で当該国の通貨切り上げ(元高、ルピア高など)とともに「経済の牽引役になってくれ」という要請が強まることは必至であろう。しかし中印ロシアは、これまでの牽引役であった日独に比べ、欧米にそう忠実ではない。ここに短期的に政治をもって強引に経済が歪められていくリスクがある。個人は、その程度を見極めることが重要だし、当局はその妥当性を説明すべきだ。

金融市場救済の大義名分と本音

第二の論点に移ろう。もともとサブプライム・ローン問題は米国発のものである。しかし米国政府によるAIG救済の理屈は、AIGがクレジット・デフォルト・スワップという信用デリバティブ市場で信用の売り手となって市場形成に大きな役割を果たしており、これが破綻すると世界の金融市場に悪い影響があるため、ということのようだ。また米連邦準備理事会(FRB)、イングランド銀行、日銀など6中央銀行のドル供給も、金融機関同士が相互の信用リスクを非常に大きなものとみて相互に貸借できないという短期金融市場の機能不全に対して行われた、という理屈になっている。さらに言えば、国際的な為替スワップ市場(外国為替の現先市場)を守るためというのが理屈だ。事実その通りの面はあるが、結局は、これは基軸通貨ドルの市場を守り、その暴落を防ぐために他あるまい。

基軸通貨を有することで最も恩恵を受けているのは米国である。日本の不良債権問題のときに円は続落したが、その防衛のための協調体制はついぞ取られなかったし、日本政府もそうした働きかけを行ってはいない。ドルを人質として、世界のためという理屈で他国を付き合わせるという論法でよいのか。日銀の白川総裁は、通貨の流動性だけでは問題は解決しないと述べ、米国の公的資本注入を促し、米国政府も75兆円の不良債権買取を議会提案した。これ以上の不良債権拡大の損失は米国民が被るということだが、これまで生じたロスをどう埋めるかが明確でない。そこを曖昧にして、世界経済の牽引役を他国に押し付けるために、欧米がアジアや新興国に財政拡大や為替調整を求めてくるのは見え透いている。だが、米国の軍事支配下にない中印やロシアへ圧力をかけるのは簡単ではないように思う。

国家と国際協調の相克

確かに基軸通貨、世界的な金融市場は今や世界の共通資本である。だがそうした国際協調を前提に、これら一連の問題の責任関係と金銭的な分担についての大まかな合意がなくて流動性だけを出して良いのかどうか。米国政府や議会は、現時点でもなお、ロスをすべて被る覚悟と約束をしていない。日銀のドル供給も担保を取っているとはいえ、借手が破産すれば米国破産法11章と日本の民事再生法の双方で担保権行使が制約されるリスクがあり、債権保全は万全とは言えない。

また一旦ドルを守ると決めた以上、とことん付き合うことにもなる。待ったなしの市場の混乱と中央銀行同士の信頼関係、日米軍事同盟の下で止むを得ない判断だったと思うが、日本政府や日銀の政策は今後、歴史的に厳しく検証されると予想するし、またその過程で国家主権(財政)と国際強調の相克について考えざるを得まい。

(2008年9月21日脱稿)

 

第85回 英国経済の特色と今後

英国の景気変動の歴史

英国の景気は一段と悪化し、成長率は2%近くまで落ちてきている。一方、物価は5%近い伸びを続けているので、個人の生活水準または企業の実質収益は3%近く下落しているということになる。5%賃上げがあればその負担は全部企業が被るし、賃上げがそれ以下なら個人が被ることになるわけだ。

今知りたいのは、こうした事態がいつ下げ止まるのかということだろう。このような問題を考える際には、経済の構造そのものに立ち返って考えるのが良い。それは経済の悪化に際して、いかに個人や企業が高い所得や好業績を残せるかを考えることにもつながるであろう。

グラフは、英国経済の過去50年位の成長率の変化(四半期毎の前期比をピンク線、その平均的な趨勢を黒線で表示)に、1970年以降における経済協力開発機構(OECD)加盟国の成長率、つまりは世界経済の成長率との近似値変化(前年比を青線で表示)を書き足したものである。見て分かることは次の通り。

1)英国の経済成長率のピークとボトムは、世界経済のそれとほぼ一致している(黒線と青線の山谷がほぼ一致している)
2) 英国の経済成長率の変動は、サッチャー改革が起きた80年代以降安定し、特に90年代後半からは非常に安定している(赤い線の変化が小さくなっている)
3) 90年代以降、英国の経済成長率の変動カーブと世界経済のそれとが相似性を強めている(黒い線と青い線の動き方が、以前と比べ90年代以降はより連動してきている)

つまり英国経済は昔から世界経済の動きと深く関連しており、この点は今でも変化はない。しかしサッチャー改革以前は、そうした世界経済の動きをより増幅させる何らかの要因を抱えていたが(不安定な財政や、第二次産業の衰退を見越したポンド相場の投機的な変動など)、改革以降はそれまでの第二次産業ではなく、ウィンブルドン方式*によって金融や法人に対するサービス(法律、会計、調査など)を産業の主軸に据え、世界経済の変動に同期する形とした。そして世界経済が安定したために、英国経済も同じくその恩恵を受けていたのだ。足許の景気は悪化しているとはいえ、達観すれば英国経済はいまだそうした安定圏内にある。

何も手を打たなければ、今後の英国経済はこのまま世界経済と動きを共にするだろう。だから世界経済が復調するなら何もしなくとも良いということになる。ブラウン政権の鈍い動きも、世界経済の拡大を中期的には信じているからであろう。筆者もそれで良いと思う。

今後と対応策

ただ短期的にはどうか。無策でいる間に政権への政治圧力が高まり、政権は余計なことをせざるを得なくなる確率も高そうだ。中期的に中印や新興国、アフリカの成長はまだまだ期待できるし、IT需要は先進国でも尽きるところはないが、短期的に米中の減速ははっきりしている。特に米国での消費の落ち込みは深刻で、これが中国経済を直撃している。回復に3年はかかりそうだ。その間に政府が財政規律を緩めればポンドの対ドル、対ユーロでの下落は必至で、ここがブラウン政権の頑張りどころとなろう。

一方、個人や企業にとっては、こうした経済構造を踏まえての投資の仕方を考える必要が出てくる。構造を知れば百戦あやうからず、経済が落ち目であってもやることはいくらでもあるというか、落ち目だからこそやれることがある、というのがシティの常識だ。ITの変化に伴い不要となる商品を作っている企業株の先物売、不要となる商品で使われている貴金属(デジカメ発展で不要となった写真感光紙の銀が好例)の売却、新興国への長期間にわたる投資、3年程度のポンドの買戻条件付売却などなど、いろいろと工夫の余地はありそうだ。

* 市場開放し、外国資本を誘致することで自国民を富ます政策

(2008年8月21日脱稿)

 

第83回 iPhoneとC to Cの時代

iPhoneの特徴

以下アップル社の宣伝ではないことをご了解のうえ、お読み頂きたい。iPhoneのすごさというか、画期性はどこにあるのか。アップル社が宣伝しているように、世間では「マルチタッチ・スクリーン、加速度センサー、GPS、リアルタイム3Dグラフィックス、3Dオーディオなど、これまでの携帯電話にはなかった機能、さらにはApple Storeから500を超えるアプリケーションを選んでダウンロードできること」と言っている。

何のことかさっぱり理解できないという人は、完全にデジタルデバイドされている。だが先月に開発元のアップル社のプロモーションで、同社のCEOであるスティーブ・ジョブズ氏が強調したかったのは、これらの機能ではない。一番重要なことは、「無料ソフトを活用して、誰でもすぐにiPhoneで使えるアプリケーションの開発を始めることができる。さらに、アップル社のiPhone開発プログラムに申し込むと、iPhone実機上でコードを検証したり、Apple Store経由でフリーウェアや商用アプリケーションを配布したり、Ad Hoc配布チャンネル経由で友人、家族、同僚に配布したりすることができる」ということだ。

C to Cの時代

つまり、誰でもiPhoneで使えるアプリケーションの開発をして、それを他人に売れるということだ。ここがWindowsやMac、そしてもちろん日本の携帯電話などとは発想が違っている。これらのいわば基盤上で動くソフトを扱う企業は、ライセンス料を支払って互換性のあるソフトを開発し売っている。Wiiとかプレイステーションのゲームソフトもそうだ。

一方でコンピューターの世界では、特定の業者に依存しないオープン・ソース化が非常に進んでいる分野がある。基盤そのものを公開して、インターネットを通じて皆で知恵を出し合ってより良いものを作って共有する、という開発手法である。そこでの動機は金儲けではなく、「楽しい」という気持ちだ。その形式がモバイルまで来たということだろう。

これまで家電メーカーは、目的を特定した外枠に専用に動くソフトを乗せ、その内容は企業秘密にして先行開発利潤を得てきたが、このモデルは崩壊しつつある。iPhoneによって不要になりそうなものを挙げると、電話、手帳、カメラ、パソコン、ラジオ、テレビ、CDプレーヤー、DVDプレーヤー、時計、電子辞書、GPS、メトロノーム、メモ帳、ゲームなどに加えて、他にももっとあるだろう。

今後個人がアプリケーションを自由に開発するとなると、どんなことができるのか。その答えを探るのがジョブズ氏の狙いだろう。これは消費者に消費者がオープン・ソースを通じて対峙する「Customer to Customer(C to C)」という図式である。もちろんアプリケーションの開発はプログラミングの知識を要するので、誰でもできる訳ではないが。

この時代で残っていくもの

C to C時代に残るのものとは何か。やはり本物の作り手と、彼らの技術を求める消費者のニーズとなろう。オーダーメイドのiPhoneの発想は、それこそバイオ・ベンチャーが目指す個人の遺伝子に対応した個人薬、無農薬栽培農家からの野菜の購入、個人のためのオーダーメイドの靴などと同様、本物の職人や作り手に富をもたらし、中間搾取する、中途半端で消費者のニーズに応えられない大企業を淘汰していくであろう。日本ではiPhoneと競合する企業が、嫌がらせのためか同機種へのバッテリー供給を停止していると聞くが、もうそんなことをしている場合ではないと思う。

コミュニケーション・ツールの変革は、ここまで大きな経済変動、構造変動をもたらし得るものである。一方で食欲、睡眠欲、性欲など肉体に関わるもの、直接体験(植物の栽培、旅行、陶芸など)や手触りといったものに関しては、ITのみでは実現できないため、引き続き残ることになる。

こうした事態を鑑みると、需要サイドで個人の好みがはっきりと出されていくのに対して、供給サイドはこれにどんどん応え得る状態になっていくと思う。こだわる人がこだわって楽しめる時代が来たということであり、筆者のように戦後の集団で何でも画一的にやるということに慣れた世代こそ、まさにデジタルデバイドに陥りやすいのではないか。いやもう陥っているかもしれない、と自問自答する今日この頃である。

(2008年7月23日脱稿)

 

第81回 インフレの次に来るもの

インフレの先に

物価上昇が止まず、それが賃金上昇に跳ねる可能性が高いとき、人々は来年も物価が上がると思い、買いだめをする。さらにお金を儲けようとする人は、値上がりしそうなモノを当面必要がなくても買う……。金融市場は、ここまでの動きはもう織り込んでいる。迷いがあるのは、物価上昇からインフレへの突入に際して、政府や中央銀行がどう行動するのかについてだ。以下のように大づかみに言って三説ある。

(A説)総需要を増やして(財政拡大、金利引下げ)、高い物価水準を許容する。
(B説)何もせず(財政中立、金利不変)、高い物価水準が人々の消費や投資意欲を冷やして、総需要が減少するのを気長に待つ。
(C説)総需要を抑制して(財政縮小、金利引上げ)、断固としてインフレ期待を抑制し、物価を下げる。

それぞれの特徴をいうと、A説では、短期的には物価は大きく上昇する可能性がある。一番得をするのは借金している人で、つまりは政府、経営の苦しい企業である。世界最大の借金王は日米政府だということを覚えておこう。その逆に一番損するのは、そうした人に国債などの形で貸金をしている人、すなわち日本国民と日本の金融機関ということになる。

B説は、当局が無為無策に見えるほか、総需要が冷えるまでにどれ位時間がかかるか読めない点で不確実性が残る。ITの発達で、世界中の情報が極めて短期間に周知される現状で、この策を取ると噂が増幅し、市場は混乱するだろう。当局者がよほどのカリスマを持つか、逆に国民や政治家が冷静を保つ必要がある。実施はちょっと無理そうに思う。

C説は、長い目で見れば需要抑制を通じて物価が下がり、インフレ継続の予測も弱まることで、結局金利も下がってくるので(フィッシャー効果という)問題解決の早道なのだが、短期的には需要が急激に冷えるので、大きな痛みを伴い企業倒産が続出しかねない。

何が政策選択を決めてきたか

どのような政策が取られるかを考えるときには、歴史を振り返るのが一番良い。英国のサッチャー元首相や米国の中央銀行にあたるボルカー元連邦準備制度(FRB)議長が70年代にC説を取れたのは、インフレ率が10%を超え、英国病に象徴されるように、もはや選択の余地がないところまで経済や国家が追い込まれていたからだ。企業は倒産しないと、人間はギリギリに追い込まれないと底力は出ないように思う。今はまだ世界の危機感はそこまでない。しかし、金融市場のプロがいずれそういった事態が起こると考えれば、それまでの時間を計算し、大きな賭けを張ってくる。

B説では、グリーンスパン前FRB議長が、のらくらして市場に言質を与えず、結局カリスマ性を身につけていった過程が思い出される。「金融政策はアート」などと言われる所以だ。しかし公的機関の行動には何でも透明性が求められる時代、そして説明責任が流行する昨今、言語明瞭・意味不明瞭は通るまい。直球勝負で「いずれ物価は下がるんだから何もしない」といった政治家や中央銀行総裁はいない。それは自己否定みたいなものだから。

現代が直面する難しさ

歴史は常に繰り返しているのだが、今起きている物価上昇に対する政策対応決定には、かつてないほどの難しさがある。英国や米国がC説を取った時には、日本経済がバブルとなっていたので、輸入を増やすことで英国や米国の景気が極端に悪化することは避けられた。C説のような不況策を取っても、外国に強力な需要があれば、ソフト・ランディングできる。ところが今はグローバリゼーションで世界中の国の景気が同期しているので、外国というか、資本主義の外側=フロンティアが少なくなっていることが困難さを生み出している。だからこそシティでは、新しいフロンティアとしてのアフリカに注目しているし、各国中央銀行や国際通貨基金(IMF)は、アフリカ経済や中国の賃金消費動向などの分析を急いでいる。

ただこうしたフロンティアは、時間の問題で消滅する。90年代には、ネット革命により第三次産業のサービス水準が変化したことでまた新たなフロンティアが生まれた。今はバイオ産業に投資が集中している。

そして何よりも大切なのは、市民が冷静さを保つことができるかどうかであろう。市民社会の成熟が、当局の態度を決める最大要因だということを忘れてはならない。

(2008年6月28日脱稿)

 

第79回 インフレーション来たりなば

インフレーションが来るか

今年最大の経済問題は「政治」、そして最大の政策テーマは「スタグフレーション」と年初に書いて半年。その確信は深まっている。各国の政治問題への解決能力の低下と、政党間の政策の無差別化は予想通り進捗(しんちょく)している。また原油や商品作物価格の高騰と米国の景気減速は、はっきりスタグフレーションの形を示している。先日の「エコノミスト」誌も「インフレが戻ってきた」をテーマとしていた。日本はまだしも、ロンドンでは値上げラッシュだ。また中国、インドネシア、サウジアラビアで年率8~10%、ロシアで14%、アルゼンチンで23%、ベネズエラで29%の物価上昇と聞けば、一過性の現象とは断言できないだろう。

「フィナンシャル・タイムズ」紙をはじめ、経済論壇では70年代のオイル・ショックと比較する議論も多くなってきた。共産圏崩壊による低賃金労働者の解放を原因とする世界的なデフレの後なので、人々のインフレ期待(物価が連続して上昇すると期待して、行動すること)はまだ高いとは言えないが、しかし警戒すべきというのが先進7カ国(G7)の公式見解となっている。

それでは、どのように警戒すればいいのか。今回の値上げラッシュは、産油国の石油国有化運動としての供給サイドのショックが問題ではなく、BRICs*1、VISTA*2各国の生産拡大からの需要ショックに加えて、低賃金を原因とした低い物価上昇率ゆえに金利を低く据え置いた金融政策を背景として、流動性の高いマネーが不動産から商品に流れ込んだことが原因である。そうなら、元を叩くためには原油や商品の生産増加と合わせて、総需要抑制を行うしかないと思う。

白川新日銀総裁のコメント

この点、日銀の白川新総裁は、4月に行われた会見でこう説明している。供給ショックに対する金融政策対応がどうあるべきかについては、昔から考え方は比較的整理されている。まず純粋に供給サイドの問題であれば、これは消費国からみると景気減退要因だ。この物価上昇が一時的な要因の場合、つまり期待インフレ率上昇を通じた物価上昇をもたらさないのであれば、金利を上げて、これに対応することは適切でないと考える。一方、期待インフレ率上昇をもたらすのなら、金融政策で対応すべしというのが、オーソドックスな考え方だ。

だが現在起きているショックは、実は単純な供給ショックだけではなく、新興国の成長が拡大し、その結果資源価格が上がっているという需要面の動きが背後にある。そうなると、需要要因が既に働いているので、単純に生産を増やすだけでは適切でないということになる。

基本的には、日銀は物価安定の下での持続的成長を目指すから、少し長い時間的視野の中でデータに則して判断してい く。要するに統計が揃わないので即断できないが、生産増を図ったり、インフレ期待を金利のみで抑えても限界があるので、合わせて総需要抑制が必要ということだろう。筆者も同感である。

賃金インフレ

「エコノミスト」誌の処方箋は、BRICsなど新興国の金利引上げと為替切上げだ。これも総需要抑制策だが、おいおいと思わないだろうか。アングロ・サクソンはまたも自分らの問題を棚に上げて新興国サイドだけ調整を求めるのか。「フィナンシャル・タイムズ」紙においてのマーチン・ウルフ氏の論調もいつもそうだ。次回秋のG7の方針もミエミエで、中国、ロ シアに金融引締めと為替切上げをドル暴落にならない程度に迫るだろう。では、この間の英米の狂った不動産投資や低貯蓄率、さらには投資銀行やヘッジファンドの行動には問題はないのか。世界インフレの碇(いかり)だった中国など新興国の賃金も、先進国が物を買わなければ上がらない。でも中国製品やインドのITサービスがなければ英米企業は経営が成り立たない。結局、筆者の考えでは総需要抑制といっても気休めで、短期的には北京オリンピック前後に踊り場があっても、中期的にインフレは不可避だ。

またインフレで最も苦しむのは、世界の半分の人口を占める新興国未満の国々の国民だ。今こそ世界レベルでの政治の構想力が必要となるだろう。ベネズエラなど新興成金国の無駄遣いを一刻も早くやめさせるべきだ。また7月のサミットでは日本がリーダーシップを取れるのか。福田首相は「大きいことに、どんと挑戦」と言っている由だが、温暖化問題だけで十分か、はてさて。

*1 経済発展著しい、ブラジル、ロシア、インド、中国の4カ国を指す
*2 同じく、ベトナム、インドネシア、南アフリカ共和国、トルコ、アルゼンチンのこと

(2008年5月25日脱稿)

 

第77回 証券化の真実と角を矯(た)めるG7金融当局

証券化の真実

証券化という金融手法がある。サブプライム・ローンで問題になったものだ。銀行や住宅金融会社は、低所得者向けの住宅ローンをいつまでも資産として保有していると、大きな貸倒(信用)リスクを抱えたままになる。これでは、資本÷総資産で計算される自己資本比率が低下し、銀行の信用問題に関わる。そこで銀行は、住宅ローンをまとめて売却し資産から切り離す。ただ住宅ローンを1本ずつ売るのは手間だし、買う方もまとめ買いしたい。このため税金の安いケイマン島などいわゆるタックス・ヘイブンに、ペーパー会社(特別目的会社)を作り、その会社が各住宅ローンを買って、投資家にはこの会社の株式や出資証券を売る。

この株式や出資証券は「有価証券」なので、これを資産の「証券化」と呼んでいる。銀行にとってはリスクのある資産が減り、自己資本比率が上がるので、次のビジネスがやりやすくなる。投資家にとっては、税金支払いや上場企業株などを持つ際に必要な情報開示を回避して資産を持つことができる。しかもそのリスクは格付会社などが目安を示してくれるし、さらには範囲が住宅ローンなどに限定されるのでリスクを測りやすい。

もちろんこれは物事の一面で、世の中には一方的に良いこともなければ、悪いこともない。証券化への投資はいろいろな事業を営む株式会社への投資と異なり、リスクが明快であるため、リスクが実現すると(サブプライム・ローンなら貸し倒れが増えると)一気に投資家が損をする。ペーパー会社は銀行借入をしないため、銀行が面倒を見ることもない。このため資金繰りが行き詰まって倒産してしまう。つまり証券化が良いとか悪いという話ではなく、そういう金融手段と合致した投資態度を持つ投資家のための1つの仕組みに過ぎない、ということになる。


G7の処方箋

4月に米国ワシントンで財務相・中央銀行総裁会議(G7)が開かれた。そこで示された証券化に対する処方箋は下表の通り。

G7で示された証券化に対する処方箋
1. 100日以内に実行すべき施策
・金融機関は、複雑で売却できない金融商品のリスク、引当、市場価値をすぐに公表すること
・国際会計基準委員会は、急いで特別目的会社の情報開示や市場下落時の金融商品の市場価値評価の基準を作ること
・金融機関は当局の助けも借りて、リスク管理の実務を強化すること
・7月までにバーゼル銀行監督委員会(BIS)は流動性管理のガイドラインを、証券監督者国際機構(IOSCO)は、格付会社の行動規範を(より厳しく)改正すること
2. 今年中に実施すること
・資本、流動性、リスク管理についての監督強化: 自己資本比率規制強化
・透明性と価値評価の強化: 当局による金融機関の自己評価チェック強化
・投資家による格付会社の格付利用方法の変更: あくまで参考資料であることの確認
・国際的な監督当局と中央銀行の協力との情報交換を強化

いずれの施策も規制や管理強化だ。だが証券化を行ったのは金融のプロたちである。格付会社を丸々信頼し、その信用リスク・モデルが完璧と思っていた金融機関がいたとしたら、それはプロではない。特別目的会社では投資家が少なく、少数の株主が全体のリスクを知りうる状況にあるので情報開示になじみにくいし、だからこそプロがこの仕組みを好んで作った。このため市場価値はその閉鎖的な性質上、客観的には測りにくい。それを無理に測る基準を作れとは無理難題、会計士受難時代が続く。証券化のプラスマイナスを無視して、プラスのみを規制するような処方箋を市場取引が細っているときに講じると、一段と取引は細る。

今後、世界的に金融機関は取引や貸出を減らし、そのバランス・シートは縮小していく。投機資金と実需資金を区別なく圧縮すると、景気には確実に悪材料になるので、縮小の加減が課題になる。サブプライムの影響はまだ続くと見たほうがよい。

同じ問題は日本の不良債権問題でも起こった。当局が貸出のチェックを厳しくしたことで、資本のない日本の金融機関は急激に貸出を回収して、景気が悪化した。そして規制のコストは結局国民、いや今や世界中の人々が払うことになる。さらにこうした問題の構造をまったく説明せず、「G7でサブプライム問題の特効薬はなかった」と、あたかも対症療法のみを求めるような日本のマスコミの大政翼賛、大衆迎合体質は、意義が薄いと見てほとんどG7に関する報道をしなかった英国のマスコミと比べて、罪が一段と重い。

(2008年4月28日脱稿)

 

第75回 気になるドイツ

ドイツ国債の一人勝ち

サブプライム問題以降、ドル安ユーロ高が続いている。この問題の欧州金融機関への影響がいまだ顕在化していないとの意見もあるが、もともとは米国の住宅ローンと証券化商品の信用格付が問題であって、欧州への影響は二次的であることを示している、との見方が有力だ。一方でドイツを中心として欧州経済は比較的好調で、これがユーロ高の主因となっている。

金融市場では、プレイヤーである金融機関の信用力が十分かどうかについて疑心暗鬼が広がり、昨年秋から全体の取引量が減る一方で安全な商品に取引が集中した。安全な商品とは各国債であり、中でもブンズ=ドイツ国債は一人勝ちとなった。その他の欧州主要国の国債の流通利回りとの差が開き、それほど社債市場の発達していない欧州ではドイツ国債こそが本当の国債で、その他の国の国債がスプレッド商品*1 という位置づけが西ドイツ時代以来20年ぶりにはっきり出てきた。イタリア国債、スペイン国債に至ってはドイツ国債との利回り格差が60bp*2 から一時は100bp(=1%)近くまで開いた。G7の中で財政黒字国はドイツとカナダだけで、米国経済悪化の影響を比較的受けず、経済力が安定しているのはドイツしかない。

ドイツ経済は、①約20年前の東ドイツ併合に伴う東側への補助、②強い労働組合や規制が原因で解雇や賃下げを弾力的に行うことが出来ないこと、が重石となって英米に遅れたとされてきた。それでも世界第3位の経済力を維持してきたということは、潜在力は大きいということである。②の問題は、制度自体にはあまり大きな変化はないのだが、東欧やトルコからの移民が、制度外の労働者として実質賃下げに大きな貢献を果たした。移民排斥を極右が声高に言うということは、将来はともかく現時点ではそうした考え方が一般にはいまだ広がってはいないということを意味している。

さらに金融市場では、ドイツはいよいよ①を乗り切りつつあるのではないかという見方が有力だ。もちろん東側地域での失業率は西側に比べて高いが、より東の東欧、ロシアの経済発展を受けて、ドイツ製品の消費市場は大きく広がっている。よってこれまでの東側への投資、特にインフラ工事や教育が開花する材料や場所が拡大したことの意味は大きいとの論者が多いように思う。


ドイツの外交攻勢

こうした状況を受けて、メルケル首相の外交姿勢は最近大変に強気だ。ダボス会議での「環境技術はドイツが担う」という、日本をしのぐかのような自信。就任後3回もイスラエルを訪問し、ドイツは米国に次ぐイスラエルの友好国と言わせることにより、日本と異なり第二次世界大戦に関する政治問題を解決すると同時に、ITベンチャーの発展著しい同国の貿易主要相手国となる一石二鳥の動き。そして同時にイランとも友好関係を築き、中東和平の交渉において、米国がEUを招かざるを得ない状況を作り上げた戦略。いずれも経済力をバックに発言力を強化している。

また実権はドイツが握りつつも、表面はあくまでEUとしてロシアの人権問題や民族問題にリベラルな顔を作っている。そうすることでロシアとの経済関係を強化し、さらには東欧市場をロシアと席巻しようという戦略だと言われている。


ヨーロッパの都

ロシア、東欧との関係で、都市としてのベルリンの発展が著しい。欧州帝国の都は、金融や人材はロンドンに、芸術やグルメはパリに決したように思うが、アバンギャルドはベルリンではないかと感じる。廃墟に近かったポツダム広場が、ソニー・センターを中心に高層ビル街に生まれ変わりつつある。お恥ずかしいことに最近まで知らなかったのだが、テクノのメッカはベルリンで、日本からの多数のバンドが年に1回この地に集まる。一方で、第三帝国と東ドイツ崩壊という2度の「敗戦」を経て、いまだに「戦後」を感じさせ、都市と人間という観点からはまだ解答を出せていないベルリンは今後要注目だ。

万が一かもしれないが、ロシア帝国と欧州帝国が密接な関係を結ぶとしたら、その時はベルリンが中心になる。またドイツの力が強くなると、英国は歴史的にみて必ずフランスと接近する。パッとしないブラウン首相とブレア崇拝者のサルコジ大統領による昨月のロンドンでの何か可笑味のある2ショットは、暗示的だと思った。

*1 最も安全な国債との安全性の程度の差で値段が決まる商品のこと
*2 利回りを示す尺度。1bpは0.01%

(2008年4月2日脱稿)

 

第73回 「濡れ手に粟」の資源国の末路と人材争奪

債券市場と商品市場の違い

サブプライム問題は金融市場の問題から、住宅ローンの不良債権問題、格付問題、ひいては公的資金注入の是非など政治問題にその中心を移した。昨今の金融市場では、いつ原油、商品、農産物などの商品市場がピークアウトするかが次の最大のリスクとして話されている。

世界の金融市場の残高規模は大体、株式市場が7000兆円、債券市場(国債と社債)が5000兆円なのに対して、金や原油の商品市場は50兆円程度である。もちろん株式や債券で取引される金額はその中の一部であるし、商品市場の外では原油やメタルなどの実需ベースでの取引が大規模に行われている。しかし、指標として金融市場を動かすのは市場残高への需要と供給である。

最近の商品市場では、プロの業者のみならず投資銀行のほか、保険や投資信託などの機関投資家が定期的に投資を始めるなどして需要が膨らみつつあるが、それでも株式や債券に比べると規模ははるかに小さい。小さいということは、少しのお金で価格が変動するということだ。このため中国など新興国の需要が米国経済の鈍化に伴って一服すると、原油など商品の価格も同じく一服する。その価格一服を見て市場が弱気に転じ、利益を確定する売り(利食いという)が大量に出て、価格が下がるのではないかと言われている。1バレル109ドルという史上最高値をみた今こそ、「まだ(価格が上がると皆が思っているときは)はもう(上がらない)なり」という格言を思い出すべきだろう。もちろん市場のこと、そのタイミングは神のみぞ知るなのだが。


資源価格が下がったら

当面のところ小麦、大豆は投機的な動きが続くため、商品市場における焦点は原油にある。原油価格が下がれば、これまで人材育成と技術改善を伴うことなく濡れ手に粟で所得を増やしてきた資源のみの国は真っ先に経済力と政治力を失い、権力者は職を失う。

典型はベネズエラのチャベス大統領であろう。ベネズエラでは原油による収入増加を原資に、「ミシオン(任務)」という社会開発計画を次々と実行、貧困層の生活水準のかさ上げを図ってきた。人材と技術を育てることが経済成長を続けるコツなのだが、国家資産の私的流用と国民への大盤振る舞いばかりが目立ち、有益な投資が行われているのかどうかについて市場では疑問を呈する声が上がっている。

任期満了後に今度は実務を担う首相に就任することが予定されているロシアのプーチン大統領にとって最も大切なことは、原油価格の恩恵を帝国主義的な勢力拡張に使うのではなく、ロシアの生産性向上にどのように転化していけるかどうかである。収入増加による国民の消費増加だけでは経済は長続きしない。この点は、まったく文脈は異なるが日本で「上げ潮政策」を唱導している人々についても当てはまる。インフレにより名目の収入が一時的に増えても、その拡大が長い目でみて持続するためには実質の所得を増やす必要があるため、技術革新やそれを生む人材育成が不可欠である。

これが最大の産油国であるサウジアラビアのサウド家の悩みであった。サウジアラビアは現在、日本の化学会社からの投資、技術提携を進めている。人口の大半を占め、失業問題に悩む若年労働者に高度な技術を身につけさせるべく一生懸命であるが、逆に国民が政府を頼むようになるとモラルハザードが生じてしまうので、バランスを取るのが容易ではないのだ。


人材争奪のグローバル化

こう考えると、前回申し上げた帝国主義の復活についても、米国や中国は息の長い成長が望めそうである一方、ロシア、イスラムは危うい。結局、濡れ手で粟はなく、経済原理は冷徹に貫徹されている。

現在米国のシリコンバレーで起業した中国人やインド人が、どんどん母国に帰り起業している。いまや米国に次ぐベンチャー・キャピタル国は台湾とイスラエルである。共通するキーワードはIT、英語または中国語、人材争奪のグローバリゼーションだ。英国はウィンブルドン方式で他国の優秀者によるフォーラムを作った。日本の東大の危機意識はこの競争力の差にあるが、子供の受験勉強をみていて、「こんな勉強は意味ないよなあ、でも日本の社会では必要か」と慨嘆する父親が多いのではないだろうか。「ゆで蛙・日本」* はどうなるのか、日本の経済力についてのぼんやりした危機意識がはっきり見えてきたように最近強く思う。

* 蛙は、水に入れてじわじわ加熱すると熱湯になっても出られなくなりゆで上がってしまうと言われていることから、危機もじわじわ来ると問題を先送りしてしまい、危機感が薄れてしまうことの例え。

(2008年3月11日脱稿)

 

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