ロンドンのゲストハウス
Thu, 15 November 2018
渡辺 謙

ミュージカル「王様と私」ロンドン公演 王の孤独とジレンマを表現したい 渡辺 謙

世界中で繰り返し上演されている人気ミュージカル「王様と私」。2015年、米ブロードウェイで上演されたこの作品は、気は短いが進取の気性に富むシャム王を演じた渡辺謙と、英国人の家庭教師アンナ役を務めたケリー・オハラのコンビで大好評を博した。同年の米トニー賞では計9部門の演劇賞を受賞。そんな本作の公演が、いよいよロンドンのウエスト・エンドでスタートした。初日を控えリハーサル中の渡辺謙さんに、ロンドン公演にかける意気込みのほどを伺った。
(取材・文:ニュースダイジェスト編集部 / 写真:富岡秀次)

Ken Watanabe 1959年10月21日、新潟県生まれ。演劇集団「円」に入団。「独眼竜政宗」や「仕掛け人・藤枝梅安」などのTVシリーズを始め、映画「タンポポ」「明日の記憶」ほか、出演作は多数。2003年の「ラストサムライ」でハリウッド・デビュー。以降、「バットマン ビギンズ」や「インセプション」など多数のハリウッド作品に出演。2015年、ミュージカル「王様と私」で主演に抜擢され、初めてブロードウェイの舞台に立つ。

英国の観客はインテリジェント

英国の演劇については、どのようなイメージをお持ちですか。また、現在ロンドンでリハーサルをされていて、米ブロードウェイと違うと感じられたことはありますか。

まだ実際にお客さまを前にしていないので、確実に「こうなんだ」ということを、肌で感じているわけではないのです。ただここ数年、何度か英国に来て観劇をした経験からすると――、まあ、どういうところで比較しているのかと言われると困りますが、英国の方がちょっと(観客が)インテリジェントですね。ですから今回は、あまりウケを狙うということではなく、本質的なストーリー・テリングの部分でお客さまに楽しんでいただけるのではないかな、と思っています。ブロードウェイ版とは少し表現法を変えて、あまり大袈裟にせずに抑えめにしようなど、現在、部分的な話し合いもしています。

英国の観客はインテリジェントとのことですが、それは例えば、シェイクスピアなどの演劇の歴史が育んだものでしょうか。

そうですね。そういった歴史や伝統がお客さまの中に培われているのだと思います。

これまで映画やお芝居にしても、日本人、というよりアジア人が主役になることは、世界的に見てもあまりなかったと思いますが、本作に渡辺さんが選ばれたのはなぜだとお考えですか。

バート(本作の演出家、バートレット・シャー)が言うには、彼は「キングが欲しかった」のだと。自分で言うのもなんだか恥ずかしいのですが、彼には、「技術やテクニックは教えたりトレーニングを受けてもらったりできるけれども、役者としてのスケール感や、その人の持っているオーラやパワーは人が教えられるものではない」と言われました。そして、「だから、あなたにキングを演じて欲しい」と言われたのです。ありがたいお話ですし、うれしいことです。

国外で、外国語で演じるというのは、日本人だけでなく、どんな役者にとっても大変なことだと思います。最初に、「王様と私」を引き受けられたとき、どのように考えていましたか。

ここ十数年、映画においては、自分の母国語ではない言語で芝居をするという経験を重ねてきましたが、映像は失敗しても直すことができる。極端に言えば、最終的にアフレコでも直せるのです。しかし舞台の場合は、ステージに出たらもう全部その場で自分が責任を取らなきゃいけない。もちろん僕は舞台の出身なので、その怖さも知っていますが、それを知った上で、そういう状況にトライしたわけです。まあ、僕は無謀なのかもしれません(笑) あまり、怖いとか大変とかそういうことに尻込みをするタイプではないのかもしれない。ですが、本当に何にも縛られず自分の役を楽しむことや、色々な瞬間をうまくジャグリングできるようになるまでには、結構時間がかかりました。

今回、ケリー・オハラさんを含むブロードウェイのキャストは何人くらい参加しているのですか。

いや、ブロードウェイから来たのは僕とケリーの2人だけ。あとは皆ロンドン・キャストですよ。面白いのは、ブロードウェイで演じていたアジア人たちは、皆アジア系米国人でしたが、今回は、本当に国際色豊かなんです。例えば、アジア系のベルギー人やオランダ人、アイルランド人だったりと、ヨーロッパの色々なところから、生まれも育ちも異なるバックグラウンドを持った役者たちが来ている。それでも彼らは、皆アジアの血を引くという共通部分を持っているのです。そういう意味では、ブロードウェイよりも今回の方がむしろ、「王様と私」の背景となっている、「19世紀に西洋列強の影響や圧迫を受けながらも、自分たちのアイデンティティーや習慣、文化を守ろうとしているアジア」と言う歴史的感覚を表現するのに、面白いキャストなのではないかと思います。ある意味、原作のテイストを感じることができるキャストだ、と言った方が良いかもしれません。

作品の中にアジアらしさを持ち込みたい、ということでしたが。

例えば、椅子よりも床に座ろうとか、お香をたく場面があったらそのセレモニーにふさわしい動きをしようなど、アジア人にとっては、ある程度自然な動作をどんどん劇中に取り入れています。それは決して、この時代はこうだったああだったという歴史的な分析ではなく、ロンドン・パラディアムのステージを観ているお客さまたちに感覚的に分かってもらえるような、アジアの空気を演出したいということです。結局、何かを表現するということは、そういうことなのではないでしょうか。お客さまが、プログラムを見ながらロジカルに考える以前に、幕が上がったらそこにあるもので全部表現したいじゃないですか。そういう意味で、体の使い方や動き、キングの衣装の着こなしや、そのさばき方など、そういう一つひとつの小さな積み重ねを、お客さまの網膜の中に重ねていくことで、「王様と私」の世界観が生み出されるのだと思います。これは皆とも話し合っていますし、自分の中でも、いかにエレガントに、西洋化していないアジアの雰囲気が出せるかを考えています。

渡辺謙「自分で言うのも恥ずかしいのですが」と前置きし、主役を引き受けた経緯を語る渡辺さん

王の孤独とジレンマを表現したい

3月にロンドンで行われた記者会見で、「王の孤独とジレンマ」を表現したいとおっしゃっていました。また、「俳優の孤独」という言葉も口にされました。この孤独は王様の孤独と同じようなものなのでしょうか。

どんなに稽古を積んで、カンパニーの中で皆で頑張ろうと思っていても、最終的に舞台の袖から舞台上へ結界を切っていくためには、自分の力で進まなくてはいけないですよね。もちろん仲間もいるけれど、舞台に上がると、全責任を自分で背負わなければならない。そういう意味では孤独というか、自分の責任に押しつぶされそうなプレッシャーが、舞台に立っていないときに、あるものなのですよ。それはどの芝居でもあるし、あればある程、いい舞台に臨んでいるということだと僕は思っています。

プレッシャーが嫌だとかダメだとかいうのではなく、責任を負わざるを得ない環境に常に身を置きたい、ということです。

では、役者はいつもそういうプレッシャーを感じているし、求めているということですか。

求めているし、それに負けないように稽古を積んだりしているわけです。それが最終的には、自分ですべてを背負って、決断して乗り越えていかないといけない、そしてすべて受け入れて次の世代に渡していかなければならない、と言う王様の抱えている責任ある立場に似ているのではないかと思います。

もちろん僕らが背負うのは、王様とは違い、国とか社会とかそんな大きいものではありませんが、しかし、その孤独感やプレッシャーは、ある種リンクするものかなと思います。

渡辺謙常にプレッシャーを感じる環境に身を置きたい

互いの違いを認め合う思いやりと、
違いを乗り越えて理解し合う努力

また、記者会見で、異なる文化圏の人々が分かり会うには、「compassionとunderstanding」(思いやりと理解)が必要だとおっしゃいました。今回の「王様と私」のテーマに繋がると思われますか。

はい、まさにこの作品の肝ですね。単に異なる文化間だけではなく、世代、社会的な環境、学歴、男女など、色々なものに違いがあるということから始まって、お互いをきちんと認め合う。今、違いを排除して全部をイコールにしてしまおうという、世界的な風潮がとてもあると僕は思うのですが、そうではなくて、こういった違いをどうやって乗り越えて、最終的には理解しあって、認め合うことができるのか。ただ単に妥協したり同意したりすれば良いということではなく、あるときは闘うことも、意見をぶつけ合うことも必要でしょう。自分を表現することも含めて、努力も必要だと思います。そして、認め合い、人として尊敬し合うということが、この芝居の肝だと思います。これは、まさに「今」の話ですよね。今、現代に生きている我々が最も必要としていることだと思うので、このテーマは全く古くならない、という気がしますね。

一方では、タイという国の描き方が実際と違うなどと言ってくる人もいるのではないですか。

そういうことを言う人は、いつもいる。でも、じゃあどうすれば満足するの、描かなきゃいいの? という話ですよね。日本を題材にした作品でも色々言う人がいますが、要は、その作品に(描かれる国に対する)リスペクトがあるかどうか。僕らは、タイを貶おとしめたくてこの芝居をやっているんじゃない。僕は自分でキングをやっていて、タイの王様が馬鹿で間抜けで変な奴だということを見せているわけでは全くない。文句を言う人たちというのは、何でも否定から入ってしまう。彼らこそ、compassionとunderstandingをしてくれよ、と思います。この作品をちゃんと見たら、そんな風には絶対見えないはずだから。

それで思い出しましたが、ユル(ユル・ブリンナー)の演じたバージョンには入っていなかったけれど、本作には元々、「Western People Funny」という曲があります。ウェストをぎゅっと絞ったドレスや、キツキツの靴なんか履いちゃって、西洋人は変だよね、というような、白人の人が聴いたら馬鹿にするなと怒るようなナンバーです。(森尚子の演じる第一夫人・チャン王妃が、To prove we're not barbarians, They dress us up like savages! To prove we're not barbarians, We wear a funny skirt! と歌う)実は、この曲は今までずっとカットされ歌われていませんでした。今回のプロダクションで久々に挿入されたのですが、ブロードウェイ公演では、お客さんたちは失笑していましたよ。つまり、そんな曲がある今回の「王様と私」は、単なる「西洋から見たアジア」とは、全く違う観点から描かれているということです。

渡辺謙

内包されていた本来の物語が引き出される

英国に住む人たちに、どのように作品を観てほしいですか。

はっきり言っちゃっていいのかな。今までの「王様と私」とは全く別の作品だと思ってほしいです。例えば1956年の映画版などは、ある意味、表層的というか、あの時代の持っていた「イースト・ミーツ・ウエスト」のイメージに、ちょっとしたロマンスをまぶしたもの、ですよね。しかし、この作品はそんなレベルの話じゃない。もっと激しいし、人としての痛みとか苦しみ、悩みをどうやって乗り越えていくか、そういう非常に深いものになっていると思います。更に言うと、元々、本来はそういう物語だったのですよ、ロジャース&ハマースタインの原作は。だから、そこに内包されていたものが、今、引き出されたということだと思うのです。

公演情報

The King and I 「王様と私」

作曲家リチャード・ロジャースと、劇作家オスカー・ハマースタイン2世が手掛けたブロードウェイ・ミュージカル「王様と私」は、1860年代初頭のシャム(現タイ王国)を舞台に、国王と、子供たちのために家庭教師として雇われた英国人女性アンナの交流を描いたミュージカル。王とアンナは互いの文化の違いに戸惑いながらも、理解を深め惹かれあっていく。1951年のブロードウェイ初演以来、世界中で繰り返し上演されている人気ミュージカルの一つで、「Shall We Dance?」「Something Wonderful」などおなじみの曲が並ぶ。初演から1985年までシャム王を演じ続けたユル・ブリンナーのスキンヘッド姿は、見るものに鮮烈な印象を与え、56年にはウォルター・ラング監督により映画化もされた。

ブロードウェイで2015年に上演された、ベテラン演出家バートレット・シャーによる「王様と私」は、シャム王を演じた渡辺謙が同年のトニー賞ミュージカル部門主演男優賞にノミネート、英国人の家庭教師アンナ役を務めたケリー・オハラが同賞主演女優賞を獲得するなど大好評を博し、2015年の計9部門のトニー賞を受賞した。2018年6月から9月にかけてロンドンのウエスト・エンドで上演された後、アジア各国へもトランスファーされるという。

出演:ケリー・オハラ(家庭教師アンナ)、渡辺謙(シャム王)、森尚子(チャン王妃)、大沢たかお(クララホム首相)、ナヨン・チョン(奴隷のタプティム)ほか

2018年9月29日(土)まで
月~土 19:00(水・土、8月30日以降の木は14:00もあり)
£29.50~175

London Palladium
Argyll Street, London W1F 7TE
Tel: 020 7087 7755
最寄駅: Oxford Circus
https://kingandimusical.co.uk

 
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