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ロンドンのゲストハウス
Mon, 17 June 2019

マイルズ・ヒルトン・バーバーさん - 世界で最も勇敢な全盲の冒険家

目に障害を抱えながら、偉大な功績を残した偉人はたくさんいる。教育家のヘレン・ケラー、歌手のレイ・チャ-ルズ。英国人だと「失楽園」を残した、18世紀の詩人ジョン・ミルトン。でも「冒険家」という肩書きを持つ者は、そう多くはないだろう。さらに50歳で冒険家デビューを果たす人は、もっと少ないのではなかろうか。そんな人が、ここ英国にいた。今年4月に目の不自由な人としては世界最長、地球半周に相当する約2万1000キロの飛行を成し遂げた英国人冒険家のマイルズ・ヒルトン・バーバーさんが、本誌との電話インタビューに応えてくれた。
(本誌編集部: 長野雅俊)

数百通のEメールをすべて読む

「視力を失ったのは、30歳になってからなんです」。低音でよく響く声が受話器の向こう側から聞こえてくる。声の主は、マイルズ・ヒルトン・バーバーさん、58歳。職業、冒険家。BBCはかつて彼を「世界で最も勇敢な全盲の冒険家」として取り上げたことがある。実際、その経歴たるやすごい。イギリス海峡を横断飛行した初めての全盲パイロット、視覚障害者として初めて2万フィートの高度を突破、さらには南極大陸をソリで横断、ウルトラ・マラソンと呼ばれる過酷な砂漠レースに出場、そしてアフリカ大陸の最高峰キリマンジャロ征服などなど。「目が不自由な」という枕詞なくしても、聞く人が十分感嘆してしまうだけの冒険を重ねてきた人物だ。

そんなマイルズさんの存在が、今春改めて脚光を浴びた。3月7日にロンドンを出発し、約2万1000キロの飛行を無事終えた彼が、オーストラリアのシドニーに降り立ったのが4月30日。当然、この偉業は英各紙の記事に掲載され、日本の通信社も大きく報道していた。お陰で彼の元には、世界中から数百件に上るEメールが一気に寄せられたという。さらにビジネス・コンサルタントとしての講演の依頼も殺到した。

マイルズさんは、これら大量のEメールを一つ一つ必ず読む。メールの文面が自動的に音声に変換される機能(スペルを間違えるとそのまま発音されるという)を使って読んでいるのだ。だからこちらがインタビュー取材を何回もお願いしても、彼の予定はなかなか空かない。別に何か悪いことをしているわけではないのに、彼が「ごめん。本当にごめん。予定を合わせられなくて」と言って電話を切る、というやりとりを何回か繰り返しながらスケジュール調整を試みてくれた結果、ついに電話取材を引き受けてくれることになった。インタビューを始める前から、彼の優しい人柄が何となく分かったような気がした。

視力を失う運命を否定していた頃<

まずは簡単に、彼の生い立ちを追ってみよう。マイルズさんは英国人として既に帰化しているが、生まれた国はアフリカのジンバブエ。父は民間航空機の製造会社で重役を務めていた。その時はまだ目が見えていたマイルズさん、飛行機を颯爽と操縦する父親の姿を見ながら空への憧れを膨らませ、18歳の時に空軍に入ろうと心を決める。ところが入隊検査の段階で視力が足りないと診断され、パイロットになる夢をあきらめた。

そして20歳の時に突然、医者からやがて視力を失う運命が告げられる。遺伝性のもので、1歳上の兄も同じ道を歩むことが同時に判明。21歳から本当に視力が弱まり始めて、ついには30歳の時、失明した。

「視力が少しずつ弱まっていったからですかね。失明する、という事実から一切目と耳を塞いで、決して認めようとはしなかった。だから、当時は目の不自由な人の象徴だと思っていた白い杖や盲導犬を使うことにも非常に抵抗感がありました。まだその頃は車も運転できたぐらいでしたからね。でも視力は時間と共に、少しずつ確実に悪くなっていく。そのうちもう誰かの助けを借りなければ、普通の生活さえ営めない状態になってしまったんです。付き添いなしでは、道を歩くことさえできないのですから。どうしていいのか分からなくなりました」。目が見える生活を30年にわたってずっと続けてきたからこそ、目が見えない新しい生活を受け入れられない。話を聞く限り、20代から40代にかけてのマイルズさんには「世界で最も勇敢な冒険家」としての資質など、かけらも感じられない。

人生を変えた兄の姿

マイルズさんの冒険家デビューは、50歳と遅咲きである。それまでは、英国に留学したり、故郷ジンバブエに戻って化学薬品会社の営業部で働いていたりしていた。一般の社会人がそろそろ定年を意識し始める年齢で、なにゆえに冒険家になったのか。その理由は時を同じくして視力を失った、兄のジェフリーさんが大きく関係している。

南アフリカ在住のジェフリーさんは、51歳の時に突然、ヨットで同地からオーストラリアへの単独航海に出掛けた。さすが、この人にしてこの兄あり。「そりゃ周りの人は、兄のことをクレイジー、って言いましたよ。目が全く見えないわけですし、年も取っていますからね。でも彼が立派に自分の目標を成し遂げたことで、私の中で変化が生まれました」。ちなみにこのエピソードには、こぼれ話がある。「航海の途中、オーストラリア近海で、兄が溺れかけたんです。助けてくれたのが、日本の漁船だったんですよ。今でも、本当に感謝しています」。その後、この漁船はオーストラリア政府から表彰まで受けている。

ともかく、この事件がマイルズさんの人生を変えた。視力を失って以来、否定的に捉えていた自分の人生を「チャレンジできる機会」だと捉えるようになった。

実際、この時点を境にマイルズさんの怒涛のチャレンジ人生が始まるのだ。1999年にはサハラ砂漠で240キロのウルトラ・マラソン完走。2000年にはヒマラヤ、キリマンジャロ、モンブラン登頂。さらには目の不自由な人としては初めて南極大陸をソリで400キロ横断。2001年になると、今度は中国でウルトラ・マラソンを敢行後に、英国最高峰のベン・ネヴィス山を制覇。こうやって並べて見ると思わず苦笑してしまうくらい、極端にスケールの大きなチャレンジが続く。今まで内省的だった性格が、一気にハジけてしまったのだ。そして「目の不自由なマイルズさん」は「目の不自由な子供のために働く冒険家のマイルズさん」に変わっていったのだった。

そう、マイルズさんの冒険は、チャリティ基金を集めることを目的としている。遺伝性の理由を持つ自分の目は、多分もう見えるようにはならない。でも現在目に障害を抱えている子供たちの中には、治すことができるケースが少なからずある。しかしながらそれらは多くの場合、お金がなくそして社会の関心が低いことが理由で、治療の機会に恵まれない。それならば彼らの分まで私がお金と注目を集めてやろう、そんな気概が過激なチャレンジへと彼を駆り立てているのだ。

空を飛びたいという思い

いくつもの冒険を成功させているうちに、やがてパイロットになりたいという、幼い頃の夢が甦ってくる。そもそも、日本などで利用されている最新航空機の運転は、その大部分がコンピューター管理によって行われている。彼がEメールを読むように高度や燃料メーターなどの記録を音声化し、航空機の運転を管理できる機能さえあれば、目が見えなくても空を飛べるはずだと思った。

思い付いたらすぐ実行してしまうのが、マイルズさんのすごいところだ。既に生活の拠点を英国に移していた彼は、さっそく現地のシステム・エンジニア会社に目の不自由な人でも飛行機を運転できるためのコンピューター・プログラムを作ってもらうようお願いした。視覚障害者用PCソフトウェア制作の経験はあっても、飛行機の運転メカニズムなど全く分からないその会社の担当者は驚きつつも、不思議と乗り気になってくれた。続いて飛行計画へのスポンサー集めでも、大手銀行の協力を取り付けてしまう。

話だけを聞いていると、余りにトントン拍子にことが進んでいるように思える。でも、実際彼と話していると、何となくその理由が想像できてしまう。例えば、インタビューの途中で「次にやりたい冒険は何ですか」と聞いてみた時のことだ。彼は間髪入れずに「音速で飛行すること」と、真面目な口調で言う。あまりのスケールの大きさにこちらは思わず笑ってしまったが、電話の向こうにいる彼は沈黙のまま。信じきっているのだ。自分が近い将来に音速で飛行している可能性を、微塵も疑っていない。聞く相手がたじろごうが笑おうが、彼にとっては大して関係ない。周囲の人は、その真摯さに心を打たれ、催眠術にかかったように、協力の手を差し延ばしてしまうのだろう。

冒険家マイルズとして

約2万1000キロに及ぶ今回の飛行旅行についての思い出話が始まると、口調が極端に早くなる。冒険家特有の武勇伝の数々が、非常に爽快に流れていく。「マレーシアで暴風雨に吹かれて、地上数百メートルまで急降下したことがあったんです。肝心の視覚障害者用コンピューター・プログラムが雨でびしょびしょになってしまい動かなくなってしまった。雨が顔に激しく打ち付けて、そりゃもう大変でしたよ」。声のトーンで判断する限り、大変そうというよりはとっても楽しそうである。

いくつも訪れた都市の中では、ドバイが一番印象に残っているという。理由を尋ねると、「海岸と空が本当に美しかったから」と答えた。30歳までは目が見えていた彼の頭の中には、様々な視覚的記憶が残っている。新しい地を訪れる度に、まずはその記憶を呼び起こす。想像力も働かせる。そして、同乗者に風景を描写してもらう。

今回の旅には、機内の音声機能が故障した場合に備えて、文字通り自分の目となってくれる仲間が同乗していた。ロンドンからキプロスまでと、そしてキプロスからオーストラリアまでそれぞれ1名。彼らが、コックピットから何が見えるかをマイルズさんに教えてくれた。どんな風景が見えて何を感じるかを、空の上で仲間と話し合う。そんな毎日を過ごしたマイルズさんを、空の下では子供たちが待っていた。「インド、パキスタン、バングラディッシュでは、目の不自由な子供たちがたくさん私のことを待ち受けていました。まるで空から降りてくるサンタクロースになったような気分でしたね」と、照れるように言った。

障害者としての生き方

さて、マイルズさんは冒険家としてだけでなく、ビジネス・コンサルタントとして企業向けに講演活動も行っている。そこで彼は「Never give up」「Think big to achieve big」といった言葉を使って、聴衆を鼓舞している。正直なところ、ちょっと気恥ずかしい言葉だと思う。でも、こちらが気後れするぐらい前向きで、しかも強い意志を持つ彼のことだ。自分の信念について、ちっとも疑いを持っていないのだろう。

マイルズさんは言う。「確かに誰もが恵まれた環境で暮らしているわけではない。むしろほとんどの人にとって人生とは問題の連続で、必ずしも改善できるものばかりではないでしょう。別に目の障害だけでなくて、地下鉄の遅れ、バスの遅れ、休日のトラブル……。不平不満を言い出したら、キリがないですよね。そして環境の悪さを嘆いて、悩んで、ついにはキレる人がいる。でもあなた1人が怒ったぐらいじゃ、世の中は変わらないのです。しかしながら人間は、事実の受け止め方を変えることができて、それだけで見える世界が変わることがあります。人生に対する態度といった意味では、確かに生まれつき前向きな人と、後ろ向きな性格の人がいるでしょう。でも物事を前向きに捉える、という態度は、実は誰もが学んで身に付けることができるものなのです」。大きく一息吸い込む音が、聞こえた。「人生を航海に例えるならば、いい風が吹く時があれば、向かい風や突風が吹く時だってある。でも船は、そこで帆を張ってコントロールするわけです。あなたを取り囲む環境が風だとすれば、それを受け止めるあなたの態度が、帆。その帆を上手く使うことで、目的地に達することができるのだと思います」。

言っていることは、よく分かる。でも、本当に「誰もが」前向きに生きていくことなどできるのか。例えばよく言われることだが、英国では障害者が社会に溶け込んでいる。通勤の途中で見かける。彼らはパブで飲み明かす。ナイトクラブに行けば、踊っている。それでも、仕事相手として接することは、やっぱり少ない。引きこもりになる人だっているのだろう。誰もが、冒険家になれるわけではない。「それは、自分もかつてすごく悩んだからよく分かります。目が見えないということが、自分の欠点であると思ってしまうのです。恥ずかしいって思う。それでも、受け止め方さえ変えれば、人は幸せにはなれるのです」。でもどうやって?「障害者にとって一番必要なのは、障害を持った人のロールモデルなんです。私が兄に感化されたように、人々を前向きな気持ちにさせることができる人が必要なんです」。謙虚なマイルズさんは、そのロールモデルが自分であるとは決して言わない。でも少なくとも、そんなモデルになれるのなら、と心の中で願いながら冒険を続けているはずだ。

愚問だと分かっていて、最後にどうしても聞きたいことがあった。もし目がまた見えるようになったら、何を見たいか。彼の答えは、「奥さんの目」。奥さんが話をする時、最も感情が伝わる目を見られないことが非常に残念だと言っていた。そう、彼には素敵な家族がいる。「世界で一番大切な人」と恥じらいもなく言い切る、31年間連れ添った奥さんのステファニーさん。コンピューター・プログラマーとして働く長女のデビーさん、小学校の先生になった次女アビゲイルさんに、マイルズさんの仕事のマネージメントを行う長男のデービッドさん。旅の途中では、毎日家族に電話をしていたという。「今の人生に、非常に満足感を覚えています」という彼の勇気の源泉は、ここにもあった。

クリスチャンだという彼は、良いことがあったら、神様のお陰。悪いことは、自分のせい。そう自分に言い聞かせてきたという。聞いているこちらが罪悪感を覚えてしまうほど、信じられないくらい純粋なマイルズさん。頭の中は、既に次の挑戦のことでいっぱいになっている。音速飛行で空を横切っている姿が、もう目に浮かぶようだ。


マイルズさんのこれまでの冒険の軌跡や、チャリティ活動についての詳細に興味を持たれた方は、以下のウェブサイトをご覧ください。
www.mileshilton-barber.com (英語)

 
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