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Sun, 29 June 2025

第8回 ポンドはなぜ高いと感じるか?為替レートの決まり方(1)

1ポンド=100円が実感?

8月15日のロンドン銀行間市場でのポンドの対円為替レート(両通貨の交換比率)は、198円50銭である(歴史的推移は表参照)。1ポンド=100円の方が実感に合うとよく言われる。それならどうして200円前後が8年も続いているのか。今回は、世界一の為替取引量があるロンドンで、為替レートの決まり方について考えてみる。

Mr.City

為替レートはどこで決まるのか

為替相場は、各通貨の交換比率(値段、レート)である。銀行間では、ドル、ユーロ、円の主要三通貨で毎日平均8000億ドル(90兆円、4500億ポンド)もの取引が行われ、毎秒刻々レートが変わる。いわば卸売価格である。一方、銀行や両替屋が個人や企業と売買するレートは、いわば小売価格で1日1回決められる。卸売にせよ小売にせよ、レートは需要と供給で決まるのだが、その需給は売買する銀行、企業、個人のニーズにより決まる。

すなわち、個人や企業は、使うため(個人なら旅行に行くため、企業ならモノやサービスを外国に売った代金を自国通貨に換えるために外国通貨を売り、また原材料購入費や外国人への給与支払のため外国通貨を買うなど)や、貯めるために街の両替屋や銀行で通貨を換える。両替屋は明日の両替に必要な分以外は銀行に預ける。こうして通貨は銀行に集中する。銀行は、企業や個人が取引に使いそうな通貨をあらかじめ買う(これを売って手数料を取る)ほか、将来価値が上がりそうな、またはすでに金利の高い通貨をあらかじめ買って運用する。注意が必要なのは、卸値は銀行だけで決められるわけではなく、背後にある個人や企業の需要もあることである。

銀行、個人、企業からの通貨ニーズは多様であり、どのニーズを重視するかによって為替レートの決まり方の説明は異なってくる。ニーズ毎に想定している期間が異なっていることから、期間毎に為替レートの決まり方を支配している要因を説明する。

為替レートの決まり方──支配的な要因

(1)1秒~1カ月(超短期)──予想銀行の為替
ディーラーの投資期間は、1日、いや1時間、極端な場合には1秒である。最近のディーラーはプレステ世代なので、速射砲のように端末を叩く。また機械取引も飛躍的に増大している。超短期の間に値上がりすると予想するか、否かが支配要因である。値上がり予想は買い、逆は売りである。この予想は、バックにある企業や個人の需要(経済のファンダメンタルズ)を基礎にしつつも、それに影響を与える政治・経済・文化的な出来事など一切合切が瞬時に考慮され、また他の人がどう思うかにも非常に影響される。黒でもみんなが白と思えば、そうなる自己実現的な世界なので、流れを読めるかという理屈を超えた世界である。ただし、短期間だけに、英国株の暴落や当局の合意による誘導(プラザ合意など)など、ディーラーの予想を極端に変える事件でもなければ、1ポンドが1日で300円や100円になることは考えにくい。また1つの要因を巡って、今日の予想と明日の予想が逆になることもありうる。予想という要素が持つ為替相場への影響は、超短期では非常に大きいが、持続性はなく、毎日の振れを説明できる。

(2)1~6カ月(短期)──他国との金利差(英国の金利高)
通貨を持つことは投資の意味を持っている。投資で重要なのは、値上がり予想と金利である。通貨への投資は、その発行国への投資という側面がある。一国の経済は半年未満では金利を除き、そう大きくは変化しない。そこで銀行、企業、個人は短期的に高い金利の通貨を持とうとする。日本の金利がゼロ、英国が4・5%と累積して差が開いてきたのでポンド高となった。日英金利差がポンド高の一因である。ただし、この説明も半年程度の動きを説明するに過ぎない。

3)6カ月~1年(中期)──景気、財政政策
1年経てば国の経済は変動する。英国で企業の投資増加や公共投資の拡大などで景気が良くなれば、通貨に対する需要が増える、このため金利が上がり、ポンド高となる。一方、景気刺激のためイングランド銀行が金利を下げると、ポンド安になる。ポンド高は日本のデフレ、英国の好景気を反映している面がある。

(4)1~10年程度(長期、超長期)──他国との物価格差、経済成長格差
長い期間でみれば、ビッグマックはどの国でも同じ値段であるべきだという考えがある。同じモノやサービスの値段を、円とポンドで表示した場合のその比率に収斂(しゅうれん)していくという考え方(専門用語で購買力平価という)で、ビッグマックが英国で2ポンド、日本で200円なら1ポンド=100円であるべきという考え方である。この考え方は、長期レートを考える基本となるものだが、2つ落とし穴がある。

1つは輸出入できないサービスの値段は、国ごとに異なるということである。英国は、金融商品と情報を人種のるつぼロンドンで取引する。帝国主義時代からその経済力、政治力を背景に長年仕向けてきた結果、他国の競合を許さず、それにより大きな所場代を稼いでいる。すなわちホテル、レストランも含めた、その周辺法人関係サービス(弁護士、会計士、アナリスト、IT、情報メディアなど)は、サービス料金が輸入できるモノよりも極めて高くなる。したがって英国内外で同じ値段に収斂する筋合いの貿易品に比べ、サービス料金も含めると英国内での生活実感は、非常な物価高になる。さらに、そうしたサービス関係は職種の給料が高いため、それらの人が買うモノは英国産、輸入品を問わず、特にロンドンでは値段が上がることになる。このため、輸入品だけで見た購買力平価よりも市場レートはポンド高になる。

もうひとつは、日本の輸出品である工業製品の質が年々良くなっており、図式的に言えば、日本は2倍性能が良い製品を同一価格で売れるようになっている。そうすると従来の製品の価格は半額になることから、そうした進歩がない英国の工業製品との購買力平価は半額の円安になる。これら2つが、特にポンドが高い要因となる。

為替レートの予想

こうした考え方は、どれか1つだけが正しいわけではなく、想定している期間内にどの要素が重視されるか、という問題である。その意味で、為替レートの将来予測をすることは際めて難しい。なぜなら、どれくらいの人がどの期間、いくら投資するのかは事前にはわからない、途中で気が変わるかもしれないなど不確定なことが多すぎる。これで「将来はわからない」ということがわかっていただけただろうか。

なお、為替相場制度の問題は、今後ますます重要性を増す。先進国間での変動相場制と途上国の対米ドル固定相場制(ペッグ)という70年代以来続いている現在の世界通貨の枠組みに今後大きな変化が生まれることもありうる。7月21日には中国が人民元の通貨バスケット制移行を表明した。なぜ、かつてのように1ドル=8・27~8人民元の固定相場ではいけないのか、次回は為替相場における応用問題を取り上げたい。

(2005年8月15日脱稿)

 

第6回 米国の光と影(3)

気になる政治経済現象

世界経済や政治の行方という観点から進行中の、気になる出来事を下の表1に挙げてみる。

これらの出来事は、一見しただけではそれぞれ関係なさそうでもあるし、結局は歴史の審判を待つほかない。しかし自分なりになぜこうした事象が生じているのか、原因を考えてみるといくつか思いあたる(表2)。

世界秩序は、その骨格となる思想と、それを実現する強大な政治・経済力によって構築される。第二次大戦後の秩序、例えばブレトンウッズ体制は、英国の経済学者ケインズの構想と米国の力により実現できた。共産主義崩壊後の秩序は、資本主義の貫徹というレーガン、サッチャーの思想(そもそも思想といえるかどうかの議論もあるが)による英米の秩序である。こうして生まれた貧富の差が拡大し抑圧が極限化した状態は、それ以前にもなかったわけではない。昔はもっと極端であったとも言える。今昔の相違は、現在では軍事技術の「民生化」により、また交通手段やコミュニケーションのネットワーク拡大により、貧しい者でも容易に社会システムを攻撃できるという点である。貧しい者の抵抗はテロという形になり(自爆という点まで行くには、宗教的な触媒によるジャンプが必要と思うが)、社会に対して大きなコストになる(諸兄姉も、忘れ物一つで毎日地下鉄が30分も止まるこのごろにはいい加減うんざりしているのではないだろうか)。ロボットやバイオが民生化されればテロはもっと容易になるであろう。こうした状態に多くの人が何か行き詰まりを感じているのではないか。

米国のリーダーシップ不在と今後の展開

これまでのところ、超大国米国のリーダーシップは、軍事力という形でしか発揮されていない。経済や秩序構築の思想ではブッシュ政権は見るべきものがない。例えば、人民元切り上げ後の通貨システムについてケインズのような構想を米国が発表しているわけではないし、G7でもリーダーシップをとった節はない。ブッシュ氏は、テロの因果が米国側にもあることに思いを致さない。では、ブッシュ氏の次に期待できるのか?(クリントン氏は結構世界ビジョンについて語っていたが)。

多分、もう米国だけに期待することはできない時代がそこに来ていると思う。一方で、ブレア氏はG8で環境問題やアフリカを取り上げるなど非凡なセンスを持っていると思うが、英国も一国で世界秩序を作る力はない。コモンウエルスは隠然たる力を持つし、EUも大きな力を持つが単独で力を持ってはいない。

前回も述べたがパクスアメリカーナの終わりが始まっている。インターネットほか、民生化された高度のコミュニケーション手段、商売、取引の手段が一段と拡大すれば個人個人のネットワークがますます重みを増す。国家や企業の存在や役割は、もちろんなくならないが、役割は相対的には小さくなる。いま一度、18世紀以来の国民国家を基軸とした世界秩序を考え直す時ではないか。一国家ではなくて、国家同士の取り決めや国際機関、それによって立つ国際世論が世界秩序を作る重要な源泉になる時代が来ている。その時、世論はマスコミのみによって形成されるのではなく、自分の頭で考えた個人とそのネットワークにより形成されねばならない。100年単位の話ではあるが、これができなければ、ホッブスのいう「万人の万人に対する競争状態」が生じてしまい、それは国家の名の下の全体主義の再現につながりかねない。

そう考えると、米国が、英国が、中国が、という議論が生産的でなくなることも増えてこよう。そういうときに英国人の歴史、国際感覚、常識のセンスには学ぶべきものが多い。英国は、米国やフランスが批判するようにテロリストやイスラム過激派の言説に甘い国だと思う。しかし、自由な言説こそ世論形成の肝であり、そうした世論が一国の民主主義的な過程を通じて(世界政府がない以上、ここに国家の役割が残る)、国家の役割を限定する一方、世界世論を形成してゆく。その意味で、ロンドンテロ後のブッシュ氏とブレア氏の演説は好対照をなす。ブッシュ氏は、民主主義は日独ファシズムと共産主義を破り、秩序を乱すテロも必ず息の根を止めるとする。一方ブレア氏は、テロは認めないが、人種の坩堝ロンドンを例に民主主義においてイスラムも含む多様性とその力を強調している。米国流の星条旗と大統領に象徴される民主主義「国家」に忠誠を誓う民主主義にしっくり来ないものを感じ始めているのは僕だけであろうか。

中東、イラク、アフガニスタン全部もともと英国帝国主義のまいた種であり、ちょっとずるいと思うのだが、英国人における民主主義の歴史的深さ、法の支配などの定着やイスラム社会自身にも解決を求める実務的な巧さは、ますます今後世界で光を増すと思う。もちろん、平均的な資質の高さ、勤勉さは日本人が世界に誇れる資質であるが、英国の国家やマスコミ、そして何より英国人に学ぶべき点は、まだまだ多い。

(2007年7月18日脱稿)

 

第4回 米国の光と影(1)

米国で気になる点

これまで3回で日中、英国、EUについて取りあげてきた。次は米国を取り上げたい。唯一の経済、軍事大国それゆえに政治大国である米国の問題を突き詰めて考えていくと、結局世界の問題を考えることになり、ひいては祖国日本のことを考えることになる。パクスアメリカーナの問題はあまりにも大きいのでテーマを次の3回に分けて書く。

初回は米国経済、政治の現状認識とリスク、中でもブッシュ政権の特異性について。

2回目は米国民主主義の変貌。経済政治リスクが具体化したときに機能するのか、インターネットなど技術進歩の影響などについて。最後に米国とは似て非なる英国流の可能性を取り上げる。

米国経済の現状

米国経済は現在も力強い成長を続けていると専門家の間では見られている(経済というものは、真実は後からしかわからないことも多く、みんなが「まだ」問題ないと思っているときには、「もう」すでに問題は起こってしまっていることも多いことに注意!これを株の世界では、「まだはもうなり」といっている)。牽引車は、これまでのイラクなどの戦争のための財政支出とここ数年の米国人の消費(買物)意欲、これを受けた住宅、ビル建設ラッシュである(グラフ参照)。シティに勤めている英国人エコノミストは、ここ3年ほどいつも予想を裏切られているのは米国人のあまりにも我慢強い消費意欲だ、とジョークを言っていた。

世界景気の好循環は、達観すれば以下のメカニズムで成立している。①米国人が消費する、中国などアジア諸国が安い品物を輸出する(中国の米国向け輸出の2割は家具など木製品であり、米国内での住宅投資の強さが窺われる)②日本がそうした品物を作る機械や鉄を中国に輸出する③日本や中国は機械を動かす燃料となる原油や原材料を中東、豪、ブラジルなどの南米から輸入する④元に戻って米国の借金は日本や中国などが米国債を買うことでファイナンスする、という形になっている。

一方、第2回で述べた英国同様またはそれ以上に、米国内部では知的労働者の賃金が急上昇、単純労働に不法も含めて移民が大量に流入し貧富の差が拡大。自由主義的なブッシュ政権は、戦争はするが社会保障など所得再配分には熱心ではなく(最近も年金を民営移管する方向で、財政赤字拡大是正に乗り出している)、社会の不平等は拡大している。

米国経済のリスク

こうした世界経済循環と米国内不平等拡大がいつまで続くのか。現在はマグマが溜まっている状態だと思う。バイオテクノロジーの特許件数をみると米国が日欧と比べてダントツに多い。IT革命も米国発だった。こうした米国の強さが続く限り、経済のパイは大きくなるので、マグマは深く溜まるものの、噴出は抑えられる。しかし、いずれは環の弱いところから噴出し、社会の不平等がそれを増幅する。

噴出口となるリスクがあるのは、まず住宅バブル崩壊による個人消費の停滞である。これは日本の例をみれば明らかであろう。住宅や土地の価格が永久に上がり続けるというのはあり得ないことである。次に何らかの企業や金融機関の不正や損失発覚による、金融市場の混乱に伴うリスクプレミアム急拡大と長期金利上昇である。金融の世界では、不安があれば、金を貸すのに通常より高い金利を要求する(プレミアムという)。高金利は住宅価格を下げ、また経済取引そのものに抑制効果を持つ。しかし、最大の不安の種は、ブッシュ政権ではないか。

米国政治のリスク——ブッシュ政権の特異性

金融の世界では、低い確率(例えば1%程度)ながら万が一発生すればダメージが大きい損失をストレスといい、これに備えるためにシミュレーションを行い(ストレステスト)、これが現実に起こった場合への対応を考えておくというのが常識化しつつある。ブッシュ政権が北朝鮮やイランを攻撃する、ちょっと現実的ではないかもしれないが、ストレスとしては認識しておく必要があるという見方もあながち否定できない。

ブッシュ政権は、9/11を奇貨として、米国を攻撃する可能性がある国や組織に対する予防戦争を、国連や国際世論と関係なく、自ら正当化している点で、これまでの政権と性格を大いに異にしている。イラクでは、フセインは大量破壊兵器の存在を否定していたし、また実際事後にもそうした兵器が発見されなかったにもかかわらず、米国は先制攻撃を行なった。そうであれば、大量破壊兵器である核兵器を持っている、または平和利用にせよ核を開発していると公言してはばからない北朝鮮に対する先制攻撃は、予防戦争の論理的帰結である。これに対する反論は2つある。ひとつは、たとえ米国でも、本当に核兵器を持っている国は危なくて攻撃できないというもの。しかし、そうだとすると、開発前の段階での粉砕が逆に重要になる。その意味で北朝鮮の核実験間近という報道が本当なら現状には危機感を持たざるを得ない。今ひとつの反論は、中国の政治経済力が、米国の北朝鮮への介入を抑止する力になるのではないかという意見(米国も中国とことを構えたくはない)。しかし将来はともかく現段階では、中国はまだ国力で米国にかなわないし、民族が異なることから、最後は北朝鮮を捨石にするのではないか。

一方で、イランシーア派は、レバノンの原理主義組織でテロを行なうといわれているヒズボラを支えるなどフセインなき後、現在のイスラエルにとって最大の脅威である。政府関係機関債券を保証してまでイスラエルを唯一支える超大国アメリカにとって、イランは北朝鮮以上に大きな問題である。

国連や国際世論を無視する米国の単独行動主義(京都議定書からの脱退もその例)により、米国を嫌う世界の人々は、相当数に上っていると思われる。こうした状況に聞く耳を持たないブッシュ政権は、世界の平和とそれを前提とする経済活動や貿易にとり今や最大のリスクとなっていると思う。

以上、米国政治経済の抱えるリスクを要約すると、①消費、住宅バブルの崩壊リスク(10年前の日本に類似)と金融からの混乱リスク、そして何より②ブッシュ政権そのものが世界から遊離しているため起こる戦争リスク、である。これを前提に次回はそうした国家を作り上げている土台である米国民主主義が、特にブッシュ政権をチェックする機能を果たし得ているのか、インターネットなどコミュニケーション技術の飛躍的な進歩の下での民主主義の変貌を考えてみたい。

(2007年6月13日脱稿)

 

第2回 英国経済の構造問題と社会民主主義の行方

盛り上がりを欠いた英国総選挙

英国総選挙は、ブレア首相の色褪せ感を印象づけただけで、盛り上がりを欠いたまま終わった。イラク情勢が落ちついているため戦争自体の是非は問題視されなかったし、経済も好調ゆえに議論が少なかった。

しかし、本当にそれで良かったのか? 経済好調なら政権選択が起こらないというなら、二大政党制の看板が泣く。イラクは別の機会に取りあげるとして、経済については、好調をもたらしている経済構造それ自体にこそ、好調持続を阻む落とし穴があるのではないか。さらにこの問題を掘り下げると、サッチャー改革以来の悩み深い社会民主主義の問題に行きあたる。このことを今回書いてみたい。経済でも、個人の生きかたでも、ある道を選べばそこには必ず光と影があり、因果はめぐる。

英国経済の構造問題

英国経済の構造問題は、お金持ちと貧しい人の格差を拡大する仕組みが持続可能か、という問題である。英国社会では、ここ数年、金融資産や家を持てるかどうかで人々の資産格差は大きく拡大している(市場主義を尊重してきた保守党のマニフェストが、下位10%の貧しい人はこの10年でもっと貧しくなったと鋭く指摘していたのは皮肉であった)。政府はこうした不平等を意図的にすすめているわけではない。経済構造そのものに不平等を助長する仕組みが組み込まれている。

英国の主な輸出産業は、金融や法務、会計など英語による知的労働によるサービス業であり、もの作りではない。こうした国では知的労働に対する給料が単純労働に対する給料より他国以上に高くなりやすい。なぜなら、単純労働で作る製品は中国など外国から安く輸入できるので、単純労働に対する国内での需要、ひいてはそうした労働に支払われる給料が下がるからである。単純労働しかできない人は、輸入できない対人サービス業(接客など)に流れることになるが、安い給料で働く移民が多いとそうした仕事のペイはあがらず、この循環が続けば知的労働者と単純労働者の給与格差は大きくなる。それでも経済が拡大するのは、お金持ちや中産階級が金を使うからで、そのため単純労働者にも余得が出る。しかし、住宅価格や株が下がって、彼らが金を使わなくなれば、経済成長が止まるだけでなく貧しい人に大きな皺がより、それが国民全体のコスト増になる。

今回の選挙での保守党は、住宅バブルはないのか、金持ちや中間層の消費を増税で抑えて経済が持つのか、といった現在の経済の仕組み自体に内在するリスクを突かずに、医療、教育分野での税金の無駄遣い、非効率の指摘に終わっており、迫力を欠いたと思う。

英国の移民による人口増と経済成長

移民問題の経済的意味

こうした立場で見ると、特に論戦が深まるべきであったのは、移民を制限して経済が持つのかどうかという点である。ここもとの英国経済の安定と物価安定の一因は移民による人口増加にある(グラフ参照)。労働党、保守党いずれのマニフェストでも、手に職がある移民を歓迎するが、単純労働者はそうではないとの主張しか書いておらず、単純労働をする移民が減り、単純労働者の給料が上がれば、知的労働の生産性や賃金が相対的に下がり、経済の足を引っぱるという議論はなされていない。

社会民主主義の行方

以上の考え方にたてば、貧富の差が広がっているのは、ブレア政権が自由主義的な政策をとっているからということになる。そうだとすると社会民主主義とは何なのかが問題となってくる。経済が悪くなれば、必ず労働党内部で路線対立が起きるに違いない。

対照的にドイツでは、経済不調の中で進む構造改革(労働時間延長など労働強化)のもと、大手企業によるリストラについて、政治家が、われわれはアングロサクソンではない、市場万能主義ではなく、「社会」市場主義によるべきだ、といった議論がなされるなど、経済が政治問題となっている。ドイツの抱える問題は、あまりにも強い労働者の権利、硬直化した公的機関銀行部門など25年前にサッチャー政権が直面した問題と酷似している。ドイツ社会民主党は労働市場に自由主義的な要素をどこまで広げるという問題に直面している。

サッチャー改革以来、政府が直接社会の不平等を是正しようとする政策は評判が良くない。そうした意味での社会民主主義は役割を終えたと思う。しかし、医療、教育、年金などの生活分野で、民間ではカバーできないほど大きなリスクが現実のものとなったとき(災害、バブル崩壊、年金制度の急激な悪化など)、もっとも弱い立場の人々をどこまで守るべきか、どのように予防すべきか、究極のリスクマネジャーとしての政府の役割について、その時代々々や国ごとに議論を深めることはできると思う。例えば、公立小学校の給食費が一食70ペンス程度というのは、長く続けば児童の成長に悪影響を及ぼすなど、取り返しのつかない問題になりかねない。

こうした議論において、民間では解決できない社会全体への打撃を用心深く洞察し、危機に備える慎重論者、それが装いを変えた新社会民主主義ではないか。総選挙では、そうした危機が何かについてもっと議論を深めるべきではなかったのか。世界の一流会社トップは好調なときこそ自らを疑っている、国ならそれは宰相の仕事である。

なお、ドイツの悩みは、日本で小泉首相が進める自由主義的な構造改革に対峙している最大野党、民主党にあてはまる。同党は、構造改革に対し「まだ不足」というのか、「ここまで」という線を引くのか、経済政策で対立軸を打ち出せていない。英独にくらべ人口高齢化が急速に進む日本では、早晩、外交防衛軸と経済政策軸の組み合わせにより政党再編は必至ではないか。

(2007年5月23日脱稿)

 

第7回 米国の光と影(4)

8月が来るたびに

小学校3年生のときの夏休み課題図書が、「8月が来るたびに」だった。広島と長崎の原爆投下を近郊に住んでいるという子供の目で描いた物語と記憶している。小学生のための本であり難しい主張があるわけではない。ただ、昭和20年8月6日と9日の事実が書かれている。今年は被爆、戦後60年ながら、僕は、最近日本において戦争は本当には終わっていないと強く感じる一方で、これを終わらせるときにこそ、日本はもっと良い国になるという気持ちが一段と強くなってきた。そして、その原点は、「8月が来るたびに」である。

戦争は終わっていない

戦争は終わっていないと感じる事象を下の表に挙げてみた。

いずれも、60年前の戦争に問題の起点がある。日本は、戦後、経済中心、安全保障は米国頼み、政治は拡大する経済のパイの分配だけを行うという国の形をとった。このため、これらの問題に対しては、その場その場での対応策はとられたものの、根本的な解決は先送りされてきた。安保闘争、三島由紀夫の割腹自殺(自衛隊問題)、沖縄返還、ベトナム戦争など解決の契機がなかったわけではないが、国民全体の問題とはならなかった。その後、将来を担う若い学生の関心は、生活のエンジョイに向かった(それ自身は悪いことではない)。思うにこれらの問題の根は一つ、「日本がどういう考えで世界と付き合うか」、である。その元に帰らなければ、各論的な解決では、問題は先送りされ将来世代の負担が増えるだけである。現在、日本が今年目指している国連安全保障理事会常任理事国入りは、中国などの反対で危ういと言われている。日本人自身がこの問題について、西洋や中国、インドとは異なる回答を持たないのでは、世界から支持されるとは思えない。日本が常任理事国になることで、他の国にどういうメリットがあるのかが見えないからである。国連への金銭的なコミットが一段と増えるというだけでは日本国民の支持すらおぼつかない。まして、表1の問題解決にもつながらない。

世界とどういう考えで付き合うか:理念

今こそ、この問題を考える機は熟してきたと思う。戦後の経済専一、政治、軍事は米国頼りでは、経済力がここまで大きくなるとやってはいけない。一方で、エネルギーと食糧を自給できない日本の経済繁栄の土台は、モノとサービスの貿易であり、他国との人の往来である。そのためには戦争やブロック経済は致命的となる。このため平和主義が出発点になる。

日本の平和主義には西洋や中国、インドにはない大きな特色がある。戦争放棄と軍隊の不保持、即ち憲法第9条である。僕は、いろいろ意見もあると思うが、戦後60年これを守り民主主義と経済発展を遂げた事実こそもっと語られて良いと思う。もちろん米国の核の傘の下にいたから守れたという面はある。自衛隊は軍隊そのものということもできる。しかし、自ら戦争を1度もしなかった、核武装もしなかった、国民を軍隊で鎮圧することもなかった。軍隊では究極の平和と繁栄は来ないことは、9・11やロンドンテロで明らかである。犯人が捕まってもロンドン在住者はまったく安心していない。元が断たれていないからである。

僕なりに整理すると、日本は、(A)軍隊なき平和……憲法9条、(B)非核三原則、(C)国連、国際機関による法の支配、(D)個人のネットワーク、市民社会と政府との共存、(E)これらを支える環境と技術への貢献、という理念を掲げることができると思う。

実務的な裏付け:法の支配、アジアの安全保障枠組み、日本人自身の語り

その上でより重要なことはこれを貫徹する地道な営為である。これが今の日本には決定的に欠けている。理念が固まっていない以上当然なのだが。現実の国際政治や経済は、駆け引きもあり、上記の理念だけではことは済まない。外交が必要な所以である。理念を現実化する手続、実務的な営為の第1は「法の支配」への貢献である。国内では、国会で議決しても特定人の人権を奪うことはできない。テロリストでも裁判なしに罰せられない。ところが、ブッシュ大統領は、テロリストに民主主義の法廷は利用させないとして、グアンタナモベイに外国人テロリスト容疑者を裁判を経ずに拘留している。こうしたことのない「法の支配」こそ平和主義を実務レベルで実行するために必要である。国連を始め国際機関への人的貢献がもっとあって良い。第2は、欧州で戦争を再度起こさぬことを理念としているEUに、アジアも習うための議論の開始である。この観点から来年2月マレーシアで開かれる予定の初の東アジアサミットは注目される。ここに米国とロシアも巻き込まないと真の対話は難しい。いずれにせよ安保条約についての議論は必須である。第3は、日本人一人一人の問題意識の深化である。家族でも、飲み屋でも、インターネットでも良い。日本人や外国人と語ることである。

日本の被爆、敗戦の経験は、被植民地国、人種差別された側、テロ被害者などの痛みに通じる面がある。もっと日本は理念を語ってほしいとの期待を僕に話したのは、ユダヤ人、パレスチナ人、クウェート人、インドネシア人、台湾人、南アフリカ人の友人たちである。多分日本製品の優秀性と日本人の律儀さのみからの判断であろうし、世辞も入っていよう。しかし、平和と交易を主軸とする勤勉経済大国日本に、ある種西洋でもない、中華思想でもないユニークネスを感じている人がいるということは、大事にすべきである。

今年の夏は、郵政公社民営化法案で日本の国内政治は混乱必至である、しかし、8月6日、9日そして15日と60年後の日々は、日本人にはより重く、軽々とは過ごせない日々である。100年前に夏目漱石が「私の個人主義」と題した講演で提唱した「自己本位」を日本人が確立する機が来ていると信じる。自己本位確立は生半かではないと覚悟しつつも、逆にそうでなければ、現在のアジアの構図は、日本自身にとって相当危ういものになってきている。

(2007年8月5日脱稿)

 

第5回 米国の光と影(2)

ブッシュ政権の支持基盤

まず、前回大統領選挙の投票結果を見ていただきたい(図)。ブッシュ政権の支持基盤が、比較的豊かで税金を気にしている一方、宗教や道徳を重視し、テロを恐れる保守層であることわかる。人種では白人が多い。一方対立候補であったケリー氏の方は、経済雇用問題を重視する中堅以下の層で、福祉や教育などの拡充を求める一方、イラク攻撃に納得していない層であることがわかる。

米国経済が好調といっても、その恩恵は豊かな層に多く分配されている。ブッシュ支持層が求めている中堅以上の所得層に対する減税、福祉の拡充よりも政府支出のカットへの強い要求。そうした政策の遂行はますます不平等を拡大する。そして、所得が低いために宗教心や道徳心を持つ余裕のない人々が生まれ(もちろん全員ではないが)、それに伴いテロのリスクや社会的な不安も拡大する。所得の分布が、上位4分の1の所得が下位4分の1の所得の4倍を超える状態になると社会は不安定化するという説があるが、米国はもはやそういう社会であると思われる。そして、共和党の政策をとればとるほど、所得、資産格差は広がり、ますますセキュリティにコストをかける社会となる。ここに保守主義ジレンマがある。

米国経済の最悪シナリオと民主主義不能の場合の帰結

建国直後に米国に行き、その印象記「アメリカの民主主義」(米国の高校生の必読文献とされている)を書いたフランス人アレクシス・ド・トクビルは、同書の中で、米国には欧州と比べて際立つ人間の平等性があり、それが米国民主主義の基盤であると説いた。しかし、もはや米国社会にはそうした平等性は存在しない。不平等もアメリカンドリーム、すなわち社会や経済のフロンティアがあるうちはいいが、前回指摘したように、米国経済は、大きなリスクを抱えている。

敢えて最悪のシナリオを書いてみると、以下のとおりである。

米国の住宅バブルは、英国のように供給が少ない中での価格高騰ではなく、供給が十分ある中での高騰だけに投機の色彩が強い。日本の例を挙げるまでもなく、その破裂は時間の問題ではないかと金融市場では真剣に心配されている。バブルの発生と破裂は資本主義の病理の部分で、こうした例は歴史上例がないわけではないが、米国バブルの破裂は、これが仮に生じると中国からの輸出減退を通じて世界を不況に陥らせるリスクがある点で、日本のバブル以上に深刻であり、1930年代の大恐慌のデジャ・ヴになっている。とすれば、より深刻な問題は、そうした事態となったときの政治的な不安定に対する民主主義の保障機能が、米国で十分かどうかということである。すなわち、所得、資産の不平等の進む中でバブルがはじけると、低所得層の生活が苦しくなり不満が爆発しかねない。その時に宗教、道徳重視、テロを恐れる、という支持層と単独行動主義の大統領の組み合わせがどういう作用を持つのか。民主主義が健全な形で機能しなければ、時の政権は外敵を人為的に誇大に作り、国民の不満を外へそらせて、民主主義の形を変えた全体主義が出現するというのが歴史の教えるところである。その民主主義は、拍手と喝采による民主主義であり、民主主義が衆愚政治に陥ることを意味する。その過程で封殺されるのは、自由な言論とそれに基づく議論であり、反対意見をいうものは臆病者とされ、少数意見は尊重されない。現在のドイツの憲法(ボン基本法)がレファレンダム(国民投票)を禁止しているのは、ドイツのこうした過去の苦い経験に鑑み、議会の議論を封殺することを嫌っているのである。

米国民主主義の機能度

米国の民主主義は、そこまでひどくはないと信じる。大統領選挙での支持率は、ブッシュ51%、ケリー48%と政権に対する批判票が相当出た。現時点で、米国に全体主義のリスクがある、政権の批判ができない状態にあるというのは言い過ぎである。過去米国が似たような状況に陥ったのは、1950年代のマッカーシズムの時代のみである。米国に対する信頼は、その民主主義の健全性に依拠している面が大きい。

もっとも、注意を要する点がまったくないとは言い切れない。前々回の選挙ではブッシュ氏はゴア氏と接戦となり、最後は最高裁判所の判断で辛勝したが、その後は、反対意見はあるにせよ米国民や米議会と大きな緊張関係を生まずにイラク攻撃を遂行した。しかも、事前に議会であまり議論があったとも思えない。批判票が沈黙しているのは、なぜであろうか。確かに9・11事件は異常な事態であったが、それ以上にブッシュ大統領は、中々の役者だという面がある。CNNではブッシュ大統領は格好のターゲットであり、そのカウボーイぶり、能天気ぶりが毎日のようにコメディアンによる突っ込みの対象になっている。こうしたCNNの揶揄も計算のうちとすれば、相当のものである。

マスコミとインターネットの功罪

より重要なのは、民主主義の出発点が「議論」にあるとすれば、議論の現場がどうであるのかということだ。現場からの臨場感ある報道のみが映画やゲーム感覚で優先される、CNN的なマスコミとインターネットには功罪がある。功は、人々に考える材料を提供し、人々に感覚を共有させ、議論の前提をつくることである。罪は、第一は人々の関心の大半をそうした感覚的娯楽が占拠してしまい、考える時間を奪うことである。第二は、人々がマスコミが取り上げない問題は、現実にも存在しないと錯覚することである。第三は、そうした現実を補うのがインターネットだが、前回大統領選挙で大きく躍進したブログは、まだ同好の人々以外にも参加を広げる場にはなっていない。感覚を共有するが、議論に至らず、その感覚も熱しやすく醒めやすい。

パクスアメリカーナの終わりの始まり

米国の民主主義は、これまでその機能度の高さゆえ世界の手本であったし、現在でもそうである。しかし、その理想主義的な性格は、多分にその圧倒的な政治、経済力が前提にあることを忘れてはならない。経済が不安定化したとき、中国、インドの台頭により唯一の政治大国ではなくなったとき、その民主主義は試練を迎えるに違いないし、それは世界にとっても大きな試練になる。そのタイミングは、ITやバイオが、経済のパイを膨らませ続ける限り、そうすぐには来ない。

しかし、最近米国人に会うと自国だけが、その負担で世界の安全を支えていること、無償で世界をリードしていることへの不満がよく聞かれる。EUや日本にも相応の負担を求めたいというニュアンスが感じられるときがある。米国のいらつきが肌で感じられ、その寛容性がいつまでも続かないかも知れないと思うのは僕だけであろうか。最近のブッシュ大統領は、国内政策がうまくいかず、どことなくさびしげに見える。こういうときに派手に海外でぶちあげるのが、政治の常道なのだが、やはり米国の動きはいつも要注意である。次回は、G8の結果やロンドンでのテロも踏まえ、英国という視点から米国の問題を考えたい。

(2007年7月1日脱稿)

 

第3回 仏蘭レファンダムと今後のEU

ユーロ紙幣の裏

ユーロ紙幣の裏側にはヨーロッパの地図が印刷されている。国境はもちろん、EUの境界も画されていない自然の地形図だ(ロシアの西端とトルコ、北アフリカが含まれているのは意味深だが)。今回は、人間が作った国境や国というものを、戦争でなく話合いで取払おうとしているEUの試みの難しさと将来について考えてみたい。

EU憲法案(囲み参照)の賛否についての国民投票(レファレンダム)で、5月29日フランスはNON、6月1日オランダもNEEという答えを出した。

これを受け、ドイツ、イタリアなど不調の経済に加え、政治面でもEUの将来について慎重論が広がり、金融市場でもユーロは一時1ユーロ=1・22ドル近くまで売られた(去年のピークは約1・37ドル)。果たしてEUの将来は悲観すべきものだろうか。この問題を考える際には、EUという取組みの難しさを考えてみるのがよいと思う。

EUの本質的な難しさ

なぜ難しいのか。言うまでもないが、英、仏、独を含め25加盟国は、ローマ帝国の前から2500年以上の長い戦争の歴史を経て、民族や宗教をキーに近代国家となった。さらに2度の大戦と共産主義の台頭、そして崩壊をくぐり抜けており、程度の差はあれ大きな憎しみと悲しみを負って今日存在する。国家が、戦争せずに話し合いでまとまって一つの大きな国になったことは例がなく、例がない以上、社会実験なのだ。

具体的に言えば、経済政治面から難しい点は3つ。第一は、金持国(例えばフランス)の貧しい人が、貧しい他国(例えば南欧)や他の金持国(例えばドイツ)と関係の深い国(例えば東欧)に補助金を出すために税金を払うことに納得していないこと。EUでは、補助金の必要額を小さくするために、それぞれの国の生産性に応じた賃金・物価の調整メカニズムを働かせるべく、各国の経済社会制度(最低賃金、労働時間など)の差を10年で最小限とする運動を2000年から行なっている(リスボンアジェンダ)。しかし、制度は国民性そのものの体現であり、調整は遅々として到底できそうもない(常識で考えて10年は、はなから無理だが)。

さらに、そもそも前提の共通通貨ユーロも大きな波乱を迎えるかも知れない。通貨を1つにすることは金融政策の担い手である中央銀行を1つにすることを意味しているが、ドイツ経済の低迷と財政赤字拡大、フランス、スペインなどの住宅価格高騰、といったバラバラの各国経済の動きに、欧州中央銀行(ECB)が持っている武器はユーロ金利しかなく、身動きできない状態になっている。

第二は、経済政策について、アングロサクソン流の市場主義と大陸の社会民主主義の対立軸がある中で、ブリュッセルの政策はいずれの立場からも満足されていない。大農業国フランスでは、ミッテランの例をあげるまでもなく社会主義的な政策への支持が根強くある。これにアンチアメリカのセンチメントが重なって、自由主義的な政策への反発がある。しかし、前回述べたように社会民主主義の側も国家がどこまで関与すべきなのか、どこまでが民間の自主性に任せるべきかについて明確な議論がなされているとは言いがたい。NOというだけなら簡単だが、どうするのかについて議論が深まる必要がある。この点、5月26日に行われたブレア首相による「リスクと国家」と題する過剰な公的規制撲滅への訴えには凄みがあったが、議論はこれからである。

第三は、ブリュッセルの官僚群が非民主的に計画を立て、各国政府に施行を求める傾向があることである。EU内4・5億人近くに影響のある金融規制を、EU委員会事務局ではたった2人で原案を書いて、それが欧州議会の審査なしにほぼそのままEU規則になったのを見て、その非民主性に驚いたことがある。

今回のフランスのNONは、第一の点(トルコ加盟など)、第二、三の点(ブリュッセル官僚のアングロサクソン的な政策の是非)が表に出た結果であったと思う。それが、シラク大統領の信任投票という形で総括されていったのであろう。

これまでのEUの成果と今後

これからのEUを考えるときに長期と短期を区別する必要がある。

長期をみると、ジグサグする過程は当然予想されるが、僕は、時計が後戻りしてユーロがなくなり、EUが解体することは決してないと思う。EUの原点は、2度と欧州内で大戦を起こさないことにあった。戦後60年間この点は達成されている。また共通通貨ユーロは便利で、金融市場でも取引量が大きく拡大、基軸通貨ドルをいずれ脅かすであろう。また、何よりも、ヨーロッパの人々はEU加盟国間を頻繁に行き来し、自らの制度の差を論じ、学び、調整を重ねている。このプロセスこそ、EUの本質である。そこで得られる信頼感と一体感は、決して後戻りしない。時間(300年単位ではないか)の中で国の垣根は取り払われていくであろう。先月英国政府は50年国債を発行した。ロンドンの金融マーケットは世の中の先を見通す目利きの世界一の賭場だが、せいぜい50年までで、300年先の議論はいまだ聞いたことがない。長い投資家は直近のユーロ安に慌てる必要はない。EUの母体となったEC(ヨーロッパ共同体)発足以来たった40年弱、今回は「stop to think」しただけではないか。

では短期的に何を考えるのか。もともと難しい経済統合プロセスは、長い時間の中でしか解決できない。短期に改善可能なのは、各国民の民意をもっと反映する仕組みを作ることだ。フランス革命以来の一国レベルでの間接民主制と権力分立を超えた国家連合体の統治構造論の新境地を開けるかどうかが焦点だ。それこそが憲法の名にふさわしい(政策決定の迅速を重視し、民意反映度を何ら改善しない憲法が、レファレンダムにより否定されるのは単なる符合ではあるまい)。何とブレア首相は強運か、彼は次のEU議長として、うまくいけば英国総選挙での色褪せ感を克服し、歴史に名を残すチャンスを手に入れたではないか。アジアでEUは可能か、日本人も参考にすべき点があるのではないか。

(2007年6月1日脱稿)

 

第1回 経済で読む中国の反日デモ

中国の反日運動団体が、尖閣諸島や日本の教科書記述問題を理由に、インターネットやモバイルで反日運動を呼びかけている。4月16日には上海で大規模デモがあり、日本総領事館や商店に投石。日中外相首脳会談でも、謝罪と賠償を求める日本政府と日本の歴史認識こそ問題とする中国政府のミゾがうまらず、日本が国連安保理の常任理事国入りを目指す戦後60年の今年、抗日戦争記念日などを中心に今後も混乱が続く恐れがある。

この出来事は、日本人に対して「経済一流政治二流の戦後、更にいえば明治以来の脱亜入欧を今一度振り返れ、今後世界とどう付き合い、ひいてはどう生きていくのか、をもっと真剣に考えよ」という神の啓示だと思う。こうしたことは、今後もっと増えるだろう。「もっと真剣に」と言ったのは、経済面において日本人は、既にバブル崩壊以降、生活水準を如何に保つかについて悩んでいるからで、その問いに対して今般、政治面でも答えを出せとはっきり言われたということではないか。

政治、経済大国中国

答えを考える前提として、両国の置かれている政治経済状況を確認しておきたい。言うまでもなく、政治的には中国は既に大国である。経済面でも、早ければ、目の子で計算して、後7年程で日本は抜かれる(グラフ参照)。中国の国内総生産(名目GDP)は、現在は日本の3分の1程度ながら(2004年:日本約4・8兆ドル〈約504兆円〉、中国約1・6兆ドル)、前年対比の成長率では、日本が中国経済拡大のおかげでやっと2%強、中国は13・4%。この成長率が両国で続き、金融市場でうわさされる人民元の対ドル2割切上げがあれば、2012年にはドルベース名目GDPは逆転する。4割切上げなら2010年、切上げなしでも(考えにくいが)2015年。

さらに現実はそれまで待ってくれないかも知れない。日本いや世界経済は今や中国抜きではやっていけない。今日本の最大の輸出入相手は中国(含む香港)、中国の最大の輸出相手は米国である。そして、日中は米国債を買って、ドルを支えている。日本の景気回復も中国への輸出増加のおかげ、日本の観光地も中国人旅行客で生き残りという先も多い。中国のサミット加盟は時間の問題である。

一方、日本経済は小泉構造改革のためここ10年位は高成長は期待できない(サッチャー政権前期と同じ)。このため最近の日本には悲観的な人が多い。ただ、それでも中国の人口は、日本の10倍いるため、GDPが並んでも国民一人あたりは日本人の10分の1程度しかリッチでない(もちろん中国人の中には、すごい金持ちも増えているが)。ここが問題である。国としては日本と同程度かそれ以上の金持国で、かつ政治大国ながら、国民1人1人は日本人より貧しく、過去の日本侵略に恨みをもって、欧米にあこがれている隣人。こういう人とどう付き合うか。

日本人の生き方、世界との付き合い方

食料とエネルギーを自給できない日本が(それ自体を考え直す手もあるが)、中国と商売しない、仲良くしないという選択肢はない。ただ、バイでは勝ち目はないし、心理的な問題は簡単には解決しない。そうであれば、グループ交際しかない。中国の脅威に対応して作られたASEANやインドとも協力して、戦争をしないという一点で結集しているEUのようなAUができるかどうか。その触媒となるべき、今の日本人の旗印は、何事にも誠実、勤勉(これは日本人女性がイギリス人男性にもてている最大要因では?)で、戦争を放棄した「Japan as it is」しかないのではないかと思う。僕は、アメリカに対するイギリスに、日本は対中でなれるのかどうか、イギリス人の賢さとずるさを思うことがある。

中国の政治経済リスクが表に出る前に日本人は答えを用意しておく必要がある。一つ目の危機は、過熱する経済が一回こけそうな北京オリンピックや上海万博前後(5年以内)、今一つは、北朝鮮か台湾がゴタゴタする中国共産党の試練のとき(10年以内か)。

この問題は、究極的には政府の問題ではなく、日本人一人一人の問題だと思う。BBCニュースで見た反日デモ行進の若者の顔は、イラクの反米デモとちがい、本当に怒っているのか? とつっこみたくなるような真剣味に欠けるものだった。デモには、インターネットの呼びかけで、物見遊山で参加した人も多かったのではないか。ヒトラーなくして大衆動員できるインターネットの怖さを痛感したが、インターネットは使いようだ。中国政府がインターネットの情報統制をしているなら、普通の日本人が中国の普通の人々と対話しようではないか。ただ、その上で、日中両国で、大人の対応ができる周恩来のような政治家が是非とも出て欲しい。

(2005年5月12日)

 

*本文および情報欄の情報は、掲載当時の情報です。

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