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ロンドンのゲストハウス
Thu, 25 April 2019

第30回 伝統のエールはお袋の味

先日、キャノン・ストリート駅近くのパブに行きました。かつて、ここにはシティ醸造所があり、河向こうのアンカー醸造所とビールの生産量を競い合っていました。18世紀、ロンドンはポーターと呼ばれる黒ビールの名生産地で、このころ、ビール醸造は職人の手仕事から巨大産業へと変貌を遂げます。また、パブの入口や部屋は労働者階級と中産階級に分かれ、片や立ち飲み、片や暖炉と絨毯に包まれた着席飲食が主流になっていきました。

6世紀末。キリスト教布教のため、多くの修道僧が英国に派遣されました。布教の鍵を握ったのが修道院で醸造されたエール。宗教儀式に必須のワインをつくることができない当地では、穀物酒を香草で味付けしたエールが代用されました。中世になると聖地巡礼が奨励され、巡礼道沿いの宿屋や飲食施設で「神の恵み」のエールが大人気に。感染リスクの伴う生水より安全なエールが飲める集会所=パブリック・ハウスが定着します。

シティ醸造所の跡地
シティ醸造所の跡地には、
大手日系証券会社が入居する最新鋭ビルが

1393年にエールを提供する宿や店には看板を出すことが義務付けられますが、識字率が低かったので店側は文字ではなく大きな絵柄を掲げました。これがパブの看板の原点です。また、当時はエールが生活の必需品だったこともあって各家庭に伝統のレシピがあり、嫁入り道具の一つだったそうです。日本ならお袋の味ですかね。そうそう、婚礼を意味するブライダルという言葉は、祝い酒のエールが振る舞われる祝宴(古代ゲルマン語の「bryd-ealo」)に由来するそうです。

パブの看板
シティ沿い1546年創立のパブの看板には文字がない

さて、エールの色は、16世紀まで麦芽の焙煎を木炭で行っていたため、濃い赤茶色でした。ところが17世紀に地球が寒冷化して森林の危機が起こると、木炭ではなく石炭を蒸し焼きにしたコークスを使った焙煎に変わり、淡い琥珀色の「ペール」・エールに生まれ変わりました。また、ペストの流行で家庭の手造りが廃れ、工場制生産に移ります。

1616年創業のアンカー醸造所
シグローブ座に隣接する1616年創業のアンカー醸造所は
演劇関係者の御用達

18世紀終盤、東洋から戻ってくる東インド会社の船内が満杯なのに、往路の船は空っぽという状態を見て、シティ東部にあるボウ醸造所がペール・エールの輸出に乗り出します。長い航海の揺れや暑さで樽の保存状態が劣悪だったことが逆に幸いして、熟成度の高いIPA(インディア・ペール・エール)が誕生しました。IPAが人気を博すころ、黒ビールのポーターはロンドンからアイルランドに移ってギネス社の十八番になり、シティからビール工場が消えていきます。エールの歴史は英国の歴史。まずは一杯飲んでから、復習しましょうか。

IPAとポーター
長い航海で偶然生まれたIPAがポーターをロンドンから追い出した

 
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シティ公認ガイド 寅七

シティ公認ガイド 寅七
『シティを歩けば世界がみえる』を訴え、平日・銀行マン、週末・ガイドをしているうち、シティ・ドラゴンの模様がお腹に出来てしまった寅年7月生まれのトラ猫


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