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ロンドンのゲストハウス
Sun, 22 September 2019
ロンドン・パラリンピックがついに開幕した。
これまではパラリンピックの模様を
それほど熱心に追いかけることはなかったが、
開催国に居合わせた今大会をきっかけとして、
興味を持ち出したという人も多いことだろう。
五輪選手と同じく、パラリンピック出場選手たちの人生にも、
様々なドラマがある。
今大会に参加する注目選手を紹介する。

史上最年少の大英帝国勲章受勲者
エレノア・シモンズ Eleanor Simmonds

エレノア・シモンズ北京パラリンピックで英国中の注目を集めたのが、競泳のエレノア・シモンズ選手だった。当時、まだ13歳。100メートルと400メートル自由形で金メダルを獲得し、国民的な英雄に。その後は、テレビや雑誌に引っ張りだことなり、史上最年少となる14歳で大英帝国勲章(MBE)を授与されるなど、一躍、時の人になった。

生まれながらにして軟骨形成不全症を抱える彼女の身長は、123センチ。障害の度合いに応じてクラス分けされるパラリンピックの競泳において、10段階で6番目の重度とされるS6のグループに出場する。その体を何倍にも大きく見せるレース中の豪快なストロークと、愛嬌のある笑顔のギャップが彼女の魅力だ。

パラリンピック競泳の会場となるアクアティクス・センターで今年3月に開かれた200メートル個人メドレーでは、同会場で初となる世界記録を樹立したばかり。「負けるのが大嫌い」「2位になるという選択肢はない」など、負けず嫌いを公言する彼女が、再び英国の英雄となる可能性は高い。

両足義足のブレードランナー
オスカー・ピストリウス Oscar Pistorius

先天性の障害のために腓骨がない状態で生まれ、生後一年足らずで両足の膝から下を切断。しかし、ラグビー、水球、テニスからレスリングなどの競技を通じて、学生時代からスポーツ万能ぶりを発揮していた。

陸上競技を本格的に開始してからは、怒涛の強さを発揮。両足切断者クラスにおいて、アテネ・パラリンピックの200メートルで金メダルを獲得、北京パラリンピックでは100、200、400メートルで金メダルを獲得するなどの圧倒的な強さと、カーボンファイバーの義足で疾走する姿から、いつしかSF映画「ブレードランナー」の異名で呼ばれるようになった。

ロンドン・パラリンピックを前に、ロンドン五輪にも出場。カーボンファイバーの義足の反発力をコントロールしながら走る彼が健常者に混じって出場することについては懐疑の声もあったが、男子1600メートル・リレー決勝で南アフリカの最終ランナーを務めた際、競技場に響いていたのは、大きな声援だけであった。

義足の反発力を自分の肢の一部としてコントロールするのは、人並みならぬ鍛錬が必要とされるという。世界中の義足ランナーたちの羨望を集める彼には、ロンドン五輪に出場したジャマイカのウサイン・ボルト選手並みの注目が集まることが予想される。

国枝慎吾圧倒的なチェアワーク
国枝慎吾 Shingo Kunieda

いわゆる「フットワーク」に相当する、「チェアワーク」と呼ばれる車いすを使った移動の俊敏さが抜きんでている。車いすテニスにおいては2バウンドまでの返球が認められているが、国枝慎吾選手は1バウンドで返球する割合が圧倒的に高い。そのペースの速さに、ほとんどの対戦相手はついていけない。

かつて野球少年だった彼は、9歳のときに脊髄損傷の影響で車いす生活となる。その2年後にテニス好きの母に連れられて訪れたテニス教室で、車いすテニスに出会った。

それから17年を経て、現在は車いすテニス男子シングルスの世界ランキング第2位に。アテネ・パラリンピックでは齋田悟司選手と組んだ男子ダブルスで、北京パラリンピックでは男子シングルスで金メダル。今年のウィンブルドン選手権男子シングルスを制したあのロジャー・フェデラーによる「自分よりも、国枝選手の方が先に年間グランドスラムを達成するはず」との予言じみた言葉を実現するかのように、2007年には史上初となる全豪、全英、全米、ジャパン・オープンの4大大会を制する年間グランドスラムを達成した。

ロンドンでも、世界中のテニス・ファンたちを魅了する、その華麗なチェアワークを披露してくれるはずだ。

セミヌードのカレンダー発売で話題に
中西麻耶 Maya Nakanishi

中西麻耶「パラリンピック選手がセミヌードのカレンダーを発売」。今年6月、英国各紙を含む世界中のメディアが、このニュースを報じた。その選手の名は、中西麻耶。なぜ彼女は自身の裸体を映したカレンダーを発売するに至ったのか。

高校卒業後に勤務していた塗装屋で事故に遭った中西選手は、右足の膝から下を切断する決意をし、義足を着けての生活が始まる。それまではソフトテニスの選手として日々の練習に明け暮れていた彼女は、陸上競技選手へと転身する。北京パラリンピックでは100メートルと200メートルに出場。今大会は加えて走り幅跳びにも出場する。

その彼女が直面した問題は、各大会に参加するために必要とされる移動費や活動資金であった。2011年に開催された世界選手権は、資金難が理由となって出場を断念。そこで、ロンドン・パラリンピックへの出場に際してセミヌードのカレンダーを発売することになった。

米国を拠点とする過酷なトレーニングで鍛えた引き締まった体とデザイン性に富んだ義足の組み合わせは、それ自体が芸術品のよう。その芸術品は、彼女がパラリンピック競技場を駆け抜け、跳び、着地した際に完成品となる。

日本人初のパラリンピック夏冬金メダリスト
土田和歌子 Wakako Tsuchida

「パラリンピックの父」と呼ばれるグットマン医師が残した「できなくなったことを嘆くよりも、やれることを」の言葉を体現したような選手だ。

日本人初の、夏冬パラリンピックの両大会で金メダルを獲得したアスリート。高校2年生のときに、交通事故で脊髄を損傷してからの車いす生活。東京都教育庁職員などとしての勤務を経て、プロ選手となった。長野パラリンピックのアイススレッジ・スピードスケート競技で2つの金メダルを獲得。さらに夏季ではシドニー・パラリンピックの車いすマラソンで銅メダル、アテネ大会の5000メートルで金メダルを獲得するなどこれまで得たメダルの数は7個を数える。そして結婚と、長男の出産。妻、母、社会人、そして夏冬のアスリートと、彼女はいくつもの顔を持っている。

今回のパラリンピックでは、日本選手団の主将を務める。北京大会では、5000メートルでほかの選手の転倒に巻き込まれてケガを負い、その後の出場種目で棄権を余儀なくされただけに、ロンドンでの雪辱に期待がかかる。

 
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