60年前に併合の軍事拠点チャゴス諸島をモーリシャスに返還へ領有権放棄への国際的圧力、高まる
昨年秋以来、労働党政権によるチャゴス諸島(Chagos Islands)をモーリシャスに返還する決定が注目を集めています。チャゴス諸島はかつて英領だったモーリシャスの一部でした。なぜ今になって返還に至ったのか、その背景を見ていきましょう。
さて、「チャゴス諸島」と聞いて世界地図のどこにあるかをすぐに分かった方はいらっしゃいますか。同諸島は太平洋、大西洋に次いで世界で3番目に大きな海となるインド洋の中央に浮かぶ群島です。19世紀以来、英領モーリシャスに含まれ、英国が統治してきたのですが、1965年にモーリシャスから切り離され、新たに設置された「英領インド洋地域」(BIOT)に編入されました。その後、モーリシャスは68年に独立し主権国家となりますが、軍事拠点として重要視されたチャゴス諸島は引き続きBIOTとして英国の統治下に置かれてきました。
第2次世界大戦終結から1960年代末にかけて、英国の植民地は次々と独立していきますが、大戦で同盟国側を主導した米国は英国の撤退によるインド洋地域での軍事的空白を懸念しました。そこで、チャゴス諸島最大の島となるディエゴガルシア島に軍事基地を建設し、英米が共同使用することを両国間で合意します(参考: 木畑洋一・後藤春美氏編「帝国の長い影――20世紀国際秩序の変容」)。将来モーリシャスが独立しても基地運営が継続するよう、チャゴス諸島は英領モーリシャスから切り離されたというわけです。英国はモーリシャスに約300万ポンド(現在の価値で数十億円相当)の補償金を支払い、基地建設のためにチャゴス諸島の全住民約1500人を強制退去させました。住民らは、モーリシャス、セイシェル、英国などに移住し、帰還を許されませんでした。
モーリシャス政府は、チャゴス諸島の領有権はモーリシャスに帰属し、1965年の分離は「植民地の領土は独立前に分割されるべきではない」という国連の原則に反すると主張し、同諸島の返還を求めてきました。2019年、国際司法裁判所(ICJ)がモーリシャス側の主張を支持し、同年には国連総会も早期に統治をやめるよう英国に求める決議を採択。返還に向けての国際的な声の高まりを受けて、昨年10月、英政府はチャゴス諸島をモーリシャスに返還すると発表しました。半世紀以上、島を追われていた元住民たちの帰還を実現する道ができました。
今年5月22日、キア・スターマー首相はチャゴス諸島の主権をモーリシャスに移譲する協定に署名しました。ディエゴガルシア島にある軍事基地については英米が99年間引き続き運用します。この期間、英国はディエゴガルシア島の賃貸料として年間1億100万ポンド(約195億円)をモーリシャスに払います。首相は基地の長期的な維持のためにはこの移譲が「唯一の方法」であり、「英国の安全保障を強化する」と述べています。モーリシャスは英米側が脅威とみなす中国との関係を深めており、チャゴス諸島を返還しても軍事基地を残すことが重要視されたようです。合意は英国とモーリシャスの議会で承認された後、条約化されます。
国内の反応は2手に分かれました。経済紙「フィナンシャル・タイムズ」はチャゴス諸島問題を英国の植民地支配の歴史の中でも「最も恥ずべき展開」ととらえ、主権移譲を前向きにとらえたのに対し、野党・保守党支持の「テレグラフ」紙は移譲をスターマー氏による「降伏」であり、「英国の恥辱である」と社説に書きました。英国の領有権を手放したことに加え、「数十億ポンドもの国税を差し出し」、「英国の国益よりも非常に怪しい国際法の解釈を支持することに執着している」と批判しました。チャゴス諸島から退去せざえるを得なかった元住民の中には、自分たちが返還交渉に関与しなかったことへの怒りを抱く人もいます。英国の植民地化政策の名残を思わせる一件でした。
Chagos Islands(チャゴス諸島)
インド洋の中央にある群島で、約60の島で構成されている。モーリシャス島の北東2000キロ前後に位置。1814年から英領モーリシャスの一部として統治され、1965年にモーリシャスから分離。ディエゴガルシア島にある軍事基地は2001年以降、アフガニスタンへの空爆やイラク戦争における爆撃機の出撃拠点となった。