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三味線リサイタル 本條秀慈郎
Tue, 18 June 2019
石田淡朗さん役者
石田淡朗さん

[ 後編 ] 日本と英国が敵味方に分かれ争っていた時代を、英兵捕虜の視点で描き出した映画「The Railway Man」に出演した石田さん。わだかまりなく、日英を中心とした多国籍のキャストとともにこの作品を作り上げた過程を支える一助となったのは、ロンドンの名門演劇学校でもまれた3年間だった。全2回の後編。
プロフィール
いしだたんろう - 1987年、東京都文京区生まれ。父は狂言師の石田幸雄。3歳より狂言や能の舞台に立つ。2001年、ロンドンのグローブ座で上演された「まちがいの狂言」に参加。03年に渡英し、サリー州のパブリック・スクールへ入学。在学時にエディンバラ・フェスティバル・フリンジで狂言をテーマにした一人芝居「Kyogen-Raw and Uncooked」を上演し、好評を博す。卒業後にはロンドンの名門演劇学校、ギルドホール音楽演劇学校演劇学科へ。09年に卒業後はロンドンを拠点に映画出演や声優業をこなしつつ、近年では映画の製作/脚本、米サンフランシスコで劇団の芸術監修も行う。1月10日より英国各地で映画「The Railway Man」が公開予定。

 

演技は「らせん」

映画「The Railway Man」で、日本軍通訳永瀬役、真田広之の青年期を演じた石田淡朗さん。演劇が盛んな高校で学び、さあ帰国というときに、石田さんの実力を買う講師から、ロンドンの名門演劇学校、ギルドホール音楽演劇学校の受験を勧められた。結果、3000~4000人もの受験者の中から25人程度しか合格できないという狭き門を日本人としては初めて突破。英国生活の延長を決めた。

演劇大国である英国では、プロの役者の大半は大学で演劇の専門教育を受けている。なぜ役者になるのに大学教育が必要なのか。その答えの一端が、「The Railway Man」の撮影現場のエピソードに垣間見えた。作品の軸となるのは、英兵捕虜と、彼を虐待していた日本軍の通訳2人の関係。時代を経ているとはいっても、役者間で気まずい思いを抱くことはなかったのか。そんな質問に対し、「問題はなかった」とさらり。「イギリスの役者は概して、スイッチのオン・オフの入れ替えがうまいんです。カメラが回ればすっと役に入り、カットがかかればすぐ戻る。アメリカだと感情的に自分を投影する演技法を採ることが多いのですが、イギリスの場合は基本が劇場芝居だからでしょう。スキルとクラフトが重要。毎日舞台に立っていれば、役者も人間なので、体調が悪かったり、精神的に落ち込むときだってある。そんなときもくずれないで対処できるよう、多くの技術という『道具』をそろえるのがイギリスの演劇教育なんです」。

石田淡朗さん
狂言師時代の石田さん

入学時に先輩に言われた言葉が今も心に残っている。演技とは「らせん」。演劇学校では、今までその身に持っていたものをすべてはぎとられるのだという。癖や感性、良いところも悪いところも、一度全部捨てる。そしてゼロになった上でできる限り多くの「道具」を道具入れに入れる。「自分がいた場所から意図的に離れる。そしてまた戻ってくるのですが、らせんなので、もといたところより高みにいる。演技ってその繰り返しなんですよね」。

狂言という世界に身を浸した幼き日々に培った経験と、一旦すべてを捨てて蓄えた技術。そしてもう一つ、演劇学校で身に付けたものが石田さんを支えている。演劇学校の3年間を一言で表すならば、という問いに対し、長い沈黙のあとポツリとつぶやいたのが、「人間形成の場」。演技の勉強だけでなく、文学の歴史や人生における精神論も学ぶ。そうすることで、演技を技術面だけでなく、社会的、文化的コンテクストから捉えられる「教養」も得ることができた。

石田淡朗さん
自身が主宰・運営する劇団「The Improsarios」の公演

まずは「知ること」から

「The Railway Man」で語られる、一人の英兵捕虜の視点から見た日本の負の歴史。「日本人としては受け止められない部分もあるかもしれない」、そう認めつつ、出演に迷いがなかったのは、海外在住の日本人役者としての確固たる信念があったからだ。「歴史を知らない、ということこそが良くないと思うんです。海外に住み、現地の人と交流を深めた後で、当事者としての歴史に触れられたときにそれを知らなければショックを受けます。かといって、罪悪感を覚えなければならないということでもない。ただ、歴史を知った上で他国の人々と付き合っていくことが、真のコミュニケーションなのではないでしょうか」。

人が語る歴史に、たった一つの真実というのはないのかもしれない。語る人の数と同じだけのストーリーがある。だからこそ、「まずは知ってもらうことが大切」だと石田さんは考える。「そして何より、多国籍の人たちが和気藹々(わきあいあい)と一つの作品を作り上げた、その事実が一番大事だと思うんです」。日々共演者と語り合い、演じたその過程が、また一歩、石田さんの「らせん」を高みに上げた。

 
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