![]() ビートルズ、ミニスカート、ツィギー、ジェームズ・ボンド、マリー・クワント、ヴィダル・サスーン、カーナビー・ストリート……。60年代後半のロンドンは光り輝いていた。「スウィンギング・ロンドン」と呼ばれたあの時代は何だったのか。アート、ファッション、ロック、そしてそれらのスピリットは、一体何だったのか。60年代のリバイバルが騒がれる今だからこそ、あの時代の遺産と魅力の核心を探ってみよう。 若者の文化大革命 「ヒッピー」という言葉を覚えているだろうか。若い読者のなかには知らない人もいるかもしれないが、現在40~50代の方なら、ヒッピーという言葉に懐かしいレトロな響きを覚えるはずだ。 ところが最近、ヒッピー文化が息を吹き返し、音楽やアート、ファッションなどの分野でリバイバルしつつある。そもそも60年代後半に若者の文化を席巻したヒッピー文化の聖地は、米国のサンフランシスコである。67年、サンフランシスコに10万人以上ものヒッピーが集まり、愛と平和を論じたその夏は「サマー・オブ・ラブ」と呼ばれた。 当時の文化大革命は、ヒッピー・カルチャー、カウンターカルチャー、ユース・カルチャーなど様々な名前で呼ばれたが、それはつまるところ、社会の既成的な価値観を破ろうとする新しい若者文化の爆発であった。それから40年以上が経つが、その影響はいまだに音楽やアート、ファッションのみならず、ライフスタイルにも及んでいる。それがいかに幼稚でユートピア主義に浮かれたものであったにせよ、当時の文化革命には「世界を変えたい」、「女性を解放したい」といった「革命」の精神がその核心にあった。それがいわばロックンロールのスピリット、その「mojo」(魂、魔力)であり、時代は変われど完全に消え去ることはなかった。当時の若者カルチャーが今なお人々を魅了するのは、そのためではないだろうか。 ヒッピーとは誰なのか
そもそもヒッピーとは誰なのか。辞書によると、ヒッピーとは「既成の文化・政治・性秩序からの完全な自由を求めた60年代から70年代の若者」であるという。日本流にいえば「団塊の世代」に属し、欧米流にいうなら戦後のベビー・ブームに生まれた最初の世代である。 さて、ではなぜこの時代にヒッピーやフーテン族が出現したのだろうか。この世代はテレビ、そして必然的にコマーシャルを観て育った最初の世代である。戦後の経済的繁栄、つまり戦後の消費社会にどっぷりと漬かったという点が、前の世代と決定的に違っている。63年ごろには戦後生まれの若者が大学に入学し始め、それがちょうどビートルズの登場やベトナム戦争の過激化などと重なり、新しい若者文化を生み出すきっかけとなったとも考え得る。成長を重ねた戦後文化が反抗期、そして青春期に突入したともいえるだろう。いずれにしろ、若人たちは新しい文化や価値観を模索し始め、若者たちにとってカッコイイことの多くがロンドン発だったのだ。 ![]() 1) 60年代のピカデリー・サーカス © www.britainonview.com
2) 日本武道館でライブを行うビートルズ© BBC 3) 弱冠16歳のモデル、ツィギー Topham Picturepoint/Topham Picturepoint/PA Photos 4) 女王よりW杯優勝トロフィーを受けとるイングランド主将 AP/AP/PA Photos
フットボールとミニスカート
60年代後半の「スウィンギング・ロンドン」と呼ばれるロンドン文化の爆発が、正確にいつ始まったのか特定するのは難しい。だがその導火線となりロンドン子を勢いづかせたのが、66年のイングランドのサッカー「ワールド・カップ」優勝である。 一方、そんな興奮のるつぼの中で彗星のごとく登場した妖精がいる。ボーイッシュなティーン・エイジャー、その名はツィギー。小枝(twig)のような体形から「Twiggy」と呼ばれた彼女は、66年当時、まだ無名の16歳だった。ショート・ヘアに、たっぷりのマスカラと付けまつげが特徴のアイ・メイク、スレンダーな体形、そしてすらりとした脚に映えるミニスカート。それまでの「グラマラスな女性が美人」という固定観念は、まったく無名だった彼女によってひっくり返された。だがツィギーが元祖スーパー・モデルとして世に躍り出たのは、そのルックスというよりも、細い脚にミニスカートが抜群に似合い、眩しかったからだ。 「ツィギー効果」により爆発的に流行したミニスカートを世界で初めて紹介したのが、ロンドンのファッション・デザイナー、マリー・クワント。「古いルールへの反抗」が作品作りの信条とされる彼女のブランドが発表したミニスカートは飛ぶように売れてブームを巻き起こした。 また、それらと共に「スウィンギング・ロンドン」の象徴となっていたのがユニオン・ジャックで、当時、人気を博していたミニ・クーパーの屋根にもよく描かれていた。それは愛国心からやサッカーの応援としてではなく、ユニオン・ジャックそのものがクールだったからであり、そう思わせるほど英国はあらゆるカッコイイ流行を生み出していたのだ。 解放された女性たち
当時の日本では、親が勝手に決めた相手と結婚させられるという古い習慣がすたれ、自由恋愛による結婚が受け入れられ始めたところであった。とはいえ、若い女性の多くは「処女でないと結婚できない」と信じ込んでいた。それが60年代になると「ノ―ブラ」、「未婚の母」、「フリーセックス」が流行語となるほど性の解放が叫ばれるようになる。60年代後半には日本でのブラジャーの売り上げが激減し、また、未婚の母となることは古い因習にとらわれないで、愛する相手と結ばれることを意味していた。 ボンドとビートルズ
開放されたのはなにも女性ばかりではなく、男性も同じであった。映画「007」が登場したのも60年代。英国人スパイであるジェームズ・ボンドの映画シリーズは一世を風靡し、当然のことながら「スウィンギング・ロンドン」の人気と迫力に貢献した。服装からドリンク、車から秘密兵器まで、ボンドはこだわりの人である。なかでも特に目がなかったのが、美しい女性たち。彼はスパイであり、プレイボーイであった。それは単に男の冒険心と欲望を刺激しただけではなかっただろう。60年代の「フリーセックス」時代が到来するまで、男性も禁欲的だったのだ。ボンドは美しい女性と戯れ、そのことに対して罪の意識がまったくなかった。今日ではそのような行動に違和感はないだろうが、当時としては新鮮で、衝撃的であった。ボンドは男性の欲望を解き放ち、後の性革命を準備したとも言えるのである。 だが、何と言っても世界の若者にはかり知れない影響を与えたのはビートルズだった。音楽については指摘するまでもないが、彼らは若者の髪型まで変えてしまった。青年も髪を伸ばすようになり、男性の美意識やファッション感覚も大きく変化し始めたのだ。とはいっても、大人たちにとって男の長髪など不良のすること。そこへエレキ・ギターなど持っていようものなら、完全に不良の烙印を押された。ビートルズが66年に来日した時に大論争の的になったのが、その演奏会場 ── そう、日本武道館である。日本の武道を行う神聖な場所で、長髪のビートルズがエレキ・ギターを弾くなど許されないと、大々的な抗議運動が巻き起こった。そのロックンロールとやらに日本人女性が黄色い悲鳴を上げ「失神」することに、戦後の日本はここまで堕落してしまったのかと嘆いた文化人も多かった。だが、ビートルズは歴史を作った。ビートルズ以降、大物ロック・アーティストは武道館で演奏するようになり、エリック・クラプトンからボブ・ディランまでが、「Budokan Live」を録音している。なぜ、武道館なのか。それはあのビートルズがコンサートを行ったからであり、ビートルズ以降、「ロックといえば武道館」というのが定番になったのだ。 そしてビートルズの名を不動にし、「スウィンギング・ロンドン」を象徴するアルバムとなったのが、67年に発表されたロック史に残る名盤「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」だ。彼らが着ていた軍服からミリタリー・ルックが流行し、またサイケデリック・サウンドの頂点を示すアルバムとして、世界中にサイケ調のファッ ションや音楽が広まった。 ![]() 5) 60年代のトラファルガー広場 © www.britainonview.com
6) 最新コレクションを発表するマリー・クワント(前列中央) PA/PA Archive/PA Photos 7) 70年に他界したジミー・ヘンドリックス
イノセンスの終焉
若者に愛と希望を与えたこの時代だが、すべてがバラ色というわけではなかった。セックスとロックンロール、そしてもうひとつ60年代のユース・カルチャーを代表したのがドラッグだった。マリファナだけでなく、LSDなどの麻薬が若者の間で広く使用された。その理由は、意識の幅を広げたいから、音楽をより美しく聴きたいから、セックスの快楽を高めたいからとまちまちであったが、社会からドロップアウトし、大人に反抗することとも密接に関係していたに違いない。 ロック「mojo」の復活
とはいえ、60年代は単なる幻想ではなかった。確かに彼らの多くはイノセンスを失い、分別のある大人へと成長し、ネクタイを締めて仕事に就き、社会を変える前に「社会の一員」にならなければならないことを悟ったかもしれない。それでもあの時代の核となる最も熱い部分は、現代でも生き続けているのではないだろうか。 今日、60年代のアートやポスター、それにビートルズやジミー・ヘンドリックスなどのレコードは人気を呼び、米国でも英国でも高値で取引されている。カーナビー・ストリートは、一時はただの観光名所となっていたものの、ここ数年でファッションのメッカとして蘇りつつある。ファッションの世界でも、ヒッピー・ファッションがモダンなアレンジで復活。その代表的なデザイナーの一人が、元ビートルズのポール・マッカートニーの娘、ステラ・マッカートニーである。 |
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