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Fri, 20 October 2017

フィリップ殿下、エリザベス女王の伴侶となるまでの人生

6月10日、フィリップ殿下が93回目の誕生日を迎える。英史上2番目の在位期間を誇るエリザベス女王の伴侶として、チャールズ皇太子が激しく反発した厳格な父親として、そしてときに過激なユーモアを発する好々爺(こうこうや)として英国民から愛されてきた彼は、壮絶な人生を歩んできた。彼の人格形成に大きく寄与したと言われる波乱万丈の生い立ちを振り返る。

エリザベス女王とフィリップ殿下

フィリップ殿下とエリザベス女王の
ひいひいおばあさんは同じ

フィリップは1921年6月10日、当時のギリシャ国王の弟の長男として生まれた。フィリップ殿下の父方のひいおじいさんはデンマーク王。このデンマーク王がエリザベス女王のひいおばあさんの父親、つまりはひいひいおじいさんに当たる。2人は遠い親戚関係にあったのだ。

さらに2人は、フィリップの母方の家系を通じても親戚関係にある。フィリップの母親アリスは、エリザベス女王から4代さかのぼった英国の君主であるヴィクトリア女王の血を受け継ぐ王女とドイツ系英貴族の間の子。なんとアリスは現在エリザベス女王とフィリップ殿下が休日を過ごすウィンザー城で生まれている。19世紀後半の大英帝国を率いたヴィクトリア女王は、双方にとってのひいひいおばあさんというわけだ。つまり、父方と母方のいずれの家系においても、4、5代さかのぼれば2人は同じ祖先にたどり着くということになる。

フィリップ殿下とエリザベス女王の親戚関係

生まれてすぐに亡命生活に突入

王位継承順位第6位のギリシャ王族として生まれたフィリップだったが、間もなくして同国でクーデターが発生し、両親と4人の姉とともに亡命生活を余儀なくされる。このとき、フィリップは生後わずか1歳6カ月。親戚関係にあった、エリザベス女王の祖父であるジョージ5世の手助けを受けながらギリシャを抜け出した一家は、フィリップの両親がロンドンでジョージ5世に謁見するなどした後で、パリ市内中心部に程近い、モンマルトルの丘とエッフェル塔が見渡せる場所に居を移した。このころフィリップの家族は、英語、フランス語、ドイツ語が飛び交う家庭環境で暮らしたという。

エリザベス女王とフィリップ殿下
エリザベス女王即位60周年を祝うダイヤモンド・ジュビリーにおける
水上パレードでのエリザベス女王とフィリップ殿下

母親は躁うつ病、父親は愛人と酒で家庭崩壊

亡命生活が始まって以後、フィリップの母親は躁うつ病のような症状に悩むようになる。またオカルトにものめり込み、グラスの上に置いた指が勝手に動いて精神世界が発するメッセージを書き表すという日本の「こっくりさん」に似たような現象に凝ったり、イエス・キリストと結婚した唯一の人間であると信じたりするようになった。日常生活を送るのが困難になったため、フィリップの母親はやがてスイスにある療養所に収容された。

一方の父親は、愛人と暮らすためにモナコへと姿を消してしまう。その不倫相手というのが、ナポレオン3世や印象派画家のマネなどの愛人だった女性のひ孫という言わば愛人のサラブレッド。また父親は、モナコで酒や賭け事にも溺れていたと伝えられている。そして4人いた姉たちは次々と結婚していった。残されたフィリップは、幼くして孤児も同然となってしまったのである。

イングランドの寄宿制学校に転校

家庭崩壊の憂き目にあったフィリップは、母方の家族の勧めを受けて、8歳のときにパリのアメリカン・スクールから、イングランド南部バークシャーにある寄宿制の私立小学校チームに転校する。寄宿制の学校の生徒となったことで、フィリップの面倒を誰がみるかという問題は部分的に解決。学期休みの期間は、祖母が暮らすケンジントン宮殿で過ごすなどしていた。

同校への入学時には英語よりもフランス語を流暢に操ることができたといい、数学やスポーツでは優秀な成績を残した。運動神経は良かったようで、校内大会では、高跳び、水泳、飛び込みなどの種目で入賞。サッカーではゴール・キーパーのポジションを獲得、クリケットでも活躍したという。

2012年、英政権の方針を示すクイーンズ・スピーチにて
2012年、英政権の方針を示すクイーンズ・スピーチにて

ナチスの敬礼で笑い転げる

フィリップが13歳になったとき、ドイツ系貴族の血を受け継ぐ母方の親戚は、フィリップをドイツ南部ボーデン湖の近くにある学校ザーレムに入学させた。当時のドイツと言えば、ナチスが影響力を次第に高めていった時代。校内にはかぎ十字が描かれた旗がはためいていた。フィリップは、ナチス特有の敬礼が、同校の生徒がトイレに行きたいときの決め事となっている手の挙げ方と似ていたことから、その敬礼を見る度に笑い転げていたという。

結局、ドイツでの通学は一年で終了。ユダヤ系であったザーレムの校長が、ナチスから逃れてスコットランドに新設したゴードンストウン校に転校した。強靭な人格を形成することを主眼とする規律の厳しい男子校で、同校では航海技術の訓練が必修となっていた。ここで航海技術を習得したフィリップは、卒業後、イングランド南東部端にあるダートマス海軍兵学校に入学。ここが、エリザベス女王との出会いの場所になる。

エリザベス女王の公式誕生日祝賀パレードでバッキンガム宮殿前に集まった人々に手を振る
エリザベス女王の公式誕生日祝賀パレードでバッキンガム宮殿前に集まった人々に手を振る

テニス・コートで高跳びを披露して
エリザベスを魅了

同じ祖先の血を分けた王家の親戚付き合いの一環として、フィリップとエリザベスまたその家族は、2人の結婚前から数度にわたり同じ場に居合わせたことがある。例えば幼少時のフィリップは、両親とともにエリザベスの祖母であるメアリー王太后とバッキンガム宮殿でお茶をともにしたことがあり、またウェストミンスター寺院で執り行われた親戚の結婚式にはフィリップとエリザベスがともに出席している。

しかし、2人が本当の意味で出会ったのは、フィリップが18歳、エリザベスが13歳のとき。当時の英国王ジョージ6世がダートマス海軍兵学校を訪問した際に、長女のエリザベスのお世話役を、同校に通っていたフィリップが務めることになった。容姿端麗かつ子供の扱いも上手だったフィリップは、しばらく電車のおもちゃで遊んだ後で、テニス・コートへエリザベスを誘い、そのコートに張られていたネットの高跳びを披露したと伝えられている。その間、エリザベスはフィリップから目を離すことがなく、その場でお付きの人々にフィリップの素晴らしさを語り続けたり、翌日になっても自ら積極的にフィリップに話し掛けにいったという。以後、フィリップが親戚付き合いなどを兼ねて王室関連行事に出席する度に、エリザベスは彼への関心を高めていった。やがて周囲では2人の結婚についての可能性がちらほらとささやかれるようになる。

フィリップ殿下 左)英海軍に所属していたころのフィリップ
右)パリのアメリカン・スクールに通っていたころのフィリップ

日本の降伏文書調印を目撃

ダートマス海軍兵学校を卒業したフィリップは、士官候補生として英海軍に入隊。第二次大戦に従軍した。戦争中は着実に昇進を重ね、その間、既に恋仲となっていたフィリップとエリザベスは遠距離恋愛を続ける。フィリップはエリザベスの写真を航海中の船室内に掲げ、またエリザベスは宮殿内の一室にフィリップの写真を置いていた。変な噂を立てられてはいけないからとお付きの人間に自重を求められると、エリザベスは顔中に髭をたくわえたフィリップの写真に差し替えて「これでも誰の写真か分かるという人がいたら無視する」と言い放ったという。

当時の日本と英国は敵国同士。フィリップが乗艦していた駆逐艦は日本との戦闘に関わる作戦にも参加し、1945年に日本が降伏文書を調印する場となった米国の戦艦ミズーリ号の警護も担当した。また日本が香港総督府で英軍への降伏文書に調印する際には、フィリップもその場に居合わせたという。

1947年、新婚旅行において、エリザベス女王と散歩を楽しむフィリップ殿下
1947年、新婚旅行において、エリザベス女王と散歩を楽しむフィリップ殿下

何もかも捨てて様々な障害を乗り越える

終戦後間もない1946年の夏、フィリップはエリザベスの母親に誘われて、バルモラル城で3週間の休暇をともに過ごした。このときにエリザベスに求婚したとされている。

2人が結婚に向けて本格的に動き出したときに周囲から問題視されたのが、彼の粗野な振る舞いと、ギリシャ生まれでドイツ系の家系という出自だった。とりわけ後者に関しては、戦時中のナチス・ドイツの行いについての印象が英国内でまだ根強く残っており、また王室関係者の間では妬みややっかみからフィリップの悪評を広めようとする者たちがいたという。当時行われた世論調査でも、2人の結婚に対する賛否がほぼ真っ二つに分かれ、反対意見の中には外国の王家との結婚に異を唱える声が含まれていた。

こうした声に応えるかのように、フィリップはこの年の冬、戦時中に英軍に従軍した外国人枠を利用して英国に帰化を申請。翌年の春にはこの申請が認められたと発表された。またギリシャ及びデンマーク王子の称号を捨て、ギリシャ正教から英国国教会に改宗、ナチス関係者と結婚した者も含まれていたという4人の姉妹は、エリザベスとの結婚式に招待さえされなかった。こうした困難を経て、フィリップが26歳、エリザベスが21歳のときに、2人は晴れて結婚。1952年にエリザベスが女王となってからは、フィリップも女王を支える良き伴侶として、現在に至るまでの人生を歩み続けているのである。

Sources:
Young Prince Philip: His Turbulent Early Life by Philip Eade, the Independent「A strange life: profile of Prince Philip」, Daily Mail「Extraordinary picture which captures the moment Prince Philip met the Queen for first time when she was just 13」, BBC「Prince Philip: The Iron Duke」 , 英王室公式ウェブサイト、戦艦ミズーリ記念館ほか

 
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