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Tue, July 26, 2016

ロイヤル・ファミリー 3世代の子育てと教育

ウィリアム王子とキャサリン妃の第1子が7月22日、誕生した。将来の王位継承者としてこの世に生を受けた「ジョージ・アレクサンダー・ルイ」と名付けられた男児は、今後、どのような人生を生きてゆくことになるのだろう。エリザベス女王、チャールズ皇太子、そしてウィリアム王子――過去・現在・未来の王位継承者たちはどのような子育てを経て、教育を受け、成長していったのか。今回は、かつてのロイヤル・ベビーたちの子育てと教育を、彼らを取り巻く時代の趨勢や人間模様とともにたどってみたい。

イギリス王室

エリザベス女王

エリザベス女王

父: ジョージ6世(ヨーク公アルバート) 
母: エリザベス王太后(ストラスモア伯爵4女)

1926年4月21日、ときの国王ジョージ5世の次男ヨーク公アルバートの長女として誕生したエリザベス(のちのエリザベス女王)。王位継承順位は3位ながら、アルバートの兄エドワード皇太子(のちのエドワード8世)の血筋が王位を継ぐとみられていたため、未来の君主という捉えられ方はしていなかった。

エリザベス女王の子育てと教育は、これまでの王室の慣例通り、主に複数の乳母と家庭教師が担っていた。また、芸術に造詣の深かった祖母のメアリー・オブ・テック(クイーン・メアリー)は孫の教育に熱心で、ロンドン内の美術館に連れて行ったり、フランス語の家庭教師をつけるなどしたという。

エリザベス女王
1926年5月、エリザベス女王の洗礼式にて

そんなエリザベス女王の生活が変わったのは、1936年。伯父のエドワード8世が王位を放棄したことにより父親が王座に就いたときだった。10歳で王位継承者となったエリザベス女王はその後、父親や名門パブリック・スクールであるイートン校の副学長、ヘンリー・マーテンから憲法史や法律を、カンタベリー大主教から宗教を学ぶようになる。

1939年、13歳のときに第二次大戦が勃発。危険を避けるためスコットランドやウィンザーなどを転々とする忙しない生活を送ったエリザベス女王は、その数年後には軍隊に所属し、ほかの学生と同様の訓練を受けた後に、軍用車両の整備や弾薬管理などの軍務をこなすようになる。戦時中という特殊な環境下、エリザベス女王は机上の学問ではなく、実務を通して市井の人々と交流しつつ社会を学び、将来の君主としての素地を養っていたといえるかもしれない。


子育て 〜生活のすべてを管理した乳母たち

生後9カ月のエリザベス女王を置いて、公務でオーストラリア及びニュージーランドに6 カ月にわたり滞在した際、母のエリザベス王太后は「赤ちゃんを置いていかなければならないなんてとてもみじめな気持ちだわ」と語ったとされるが、公務に多忙な両親の下に生まれたエリザベス女王の実質的な子育てを全面的に請け負っていたのは、元はエリザベス王太后の乳母だったクララ・ナイトを筆頭とする乳母たちだった。エリザベス女王が「クララ」と発音できなかったため、「アーラ」と呼ばれていたクララは、エリザベス女王の健康管理から衣服選び、入浴まで生活のすべてを管理していたという。 

乳母という立場から、長年のときを経て友人とも呼べる立場に変わっていったのが、マーガレット・マクドナルド、通称ボーボだ。乳母の後にエリザベス女王付きの衣装係となったボーボは、実に67年にわたり、女王のそば近くに仕えた。女王のいとこであるマーガレット・ローズさんによると、「そのドレスはちっとも似合わないわ」「あなたは緑色(の服)を着ちゃだめ」など、何でも率直に女王に言える間柄だった。女王は、ボーボが体調を崩した際には24時間常駐の看護師を手配、その看護体制は89歳で彼女がバッキンガム宮殿の自室で亡くなるまで続いたという。


教育 〜王室との関係を断たれた家庭教師

エリザベス女王
エリザベス女王、5歳のとき

エリザベス女王の父、ジョージ6世は、幼いころ父による厳しい躾を受け、乳母から体をつねるなどの虐待を受けていたためか、エリザベス女王とその妹マーガレット王女の子育てに関しては比較的頓着せず、自由に育てていたとされる。エリザベス女王の教育全般を請け負った家庭教師のマリオン・クロフォード(クローフィー)は、エリザベス女王がこなすべき生活カリキュラムを作り、1947年、21歳でエリザベス女王が結婚するまでの間、文字通り朝から晩まで生活をともにした。歴史や文学、文法などの勉強のみならず、ときにはロンドン動物園へ行ったり、ロンドン地下鉄に乗るなど、エリザベス女王に外の世界を見せることにも熱心で、同世代の子供たちと触れ合う機会のないエリザベス女王のために、ガールスカウトのバッキンガム宮殿支部をつくり、王室の子女や関係者の子供たちと触れ合う機会を設けたという。

38歳にしてマリオンが結婚した年には、ケンジントン宮殿の一角にあるノッティンガム・コテージを生涯使用する権利が与えられたが(ちなみにここは現在、ウィリアム王子とキャサリン妃の住居として使われている)、エリザベス女王との生活の詳細を明らかにする本を出版したため、その後は一切、王室との関係がなくなってしまった。

エリザベス女王
川下りを楽しむエリザベス女王、マーガレット王女姉妹とマリオン


チャールズ皇太子

チャールズ皇太子

父: エディンバラ公フィリップ殿下(ギリシャ及び
デンマークの王家、グリュックスブルク家出身) 
母: エリザベス女王

エリザベス女王の長男、チャールズ皇太子の場合は、母親が君主であるという、ロイヤル・ベビーの中でも特殊な環境下で育った。母親の子供時代同様、チャールズ皇太子が3歳のときに両親は英連邦諸国を6カ月かけて公式訪問。その間、チャールズ皇太子ら子供たちの世話は乳母に委ねられた。若くして王位に就いたエリザベス女王は、子育ての方針決定を夫のフィリップ殿下に委ねたとされるが、革命時代のギリシャの王族の下に生まれ、幼少期から両親とは離れて海外を転々としたフィリップ殿下の教育に対する信念は、生まれついての王位継承者で繊細な性格のチャールズ皇太子には合わないこともあったといわれている。それまでのしきたりを覆し、学校に通い、寮生活を送るなど、王室に新たな教育の地平を広げるきっかけとなったチャールズ皇太子だったが、先駆者ならではの苦労も抱え、同級生とは相容れず、悩んだこともあったようだ。

チャールズ皇太子
生後8カ月のチャールズ王子。両親とともに

多忙を極める両親の代わりに、乳母とともにチャールズ皇太子にとって大きな存在となっていたのが、祖母のエリザベス王太后だった。両親が海外訪問の際には、保護者としての役割も果たしていたエリザベス王太后は、孫の進路においても、遠く離れた学校ではなく、エリザベス女王が週末を過ごすウィンザー城からほど近いイートン校に入学させるべきと女王夫妻に手紙を送るなど、その身を案じた。チャールズ皇太子の伝記を執筆したアンソニー・ホールデン氏によれば、同皇太子はスコットランドの学校に通っていた際、折りを見ては同地にあるエリザベス王太后の邸宅を訪ねていた。


子育て 〜「天国のような安らかさ」を与えた乳母

両親が不在がちという孤独な生活を支えてくれた乳母たちに対するチャールズ皇太子の親愛の情の深さは、世間一般に良く知られたところだ。生後1カ月から乳母となったヘレン・ライトボディは、「ノー・ナンセンス・ライトボディ」とも言われるほど真面目で、チャールズ皇太子と妹のアン王女を厳しく躾けた。とある夕食時にエリザベス女王が特別なデザートを子供たちに供しようとしたところ拒否したため、職を解かれたと言われているが、その後もチャールズ皇太子はスコットランドの彼女の元を訪ね、1969年には立太子式にも招待したという。

チャールズ皇太子が「天国のような安らかさ」を与えてくれると称えたのが、メイベル・アンダーソンだ。乳母のアシスタントとしてチャールズ誕生とともに働き始めたメイベルは、その後アン、アンドルー、エドワードと、エリザベス女王のすべての子供たちの乳母を務める。その期間、実に32年。生涯独身を貫き、退職した際には、ウィンザー城からほど近い邸宅フログモア・ハウスの一角が与えられた。なお、部屋の改装においてはチャールズ皇太子自らが指揮を執ったといわれる。数十年にわたり築かれた王室とメイベルの確固たる絆はその後も消えることなく、2010年、83歳のときには、エリザベス女王の私的なクルーズ旅行に招待されている。

チャールズ皇太子
2歳の誕生日にセント・ジェームズ・パークを
散歩するチャールズ皇太子とメイベル


教育 〜先駆者ならではの苦悩

王室の慣習を打ち破り、一般生徒とともに学校に通ったチャールズ皇太子だったが、その目前に広がっていたのは、楽な道ではなかったようだ。ロンドン西部の私立幼稚園、ヒル・ハウス・スクールを経て、バークシャー州にある私立小学校、チームへ。父親も通ったこの学校では寄宿生として学び、クリケットやラグビーなどの集団スポーツや演劇にも興じた。

チャールズ皇太子自らが後に「懲役判決だ」と表現したのが、スコットランドにあるゴードンストウン校での日々。規律の厳しい男子校(現在は男女共学)で、こちらも父フィリップ殿下の母校だった。エリザベス王太后の伝記を執筆したヒューゴ・ビッカース氏によると、フィリップ殿下は繊細な息子に自信を与えようと同校への入学を決めたというが、他生徒との関係は良好とは言い難かったようで、家族に向けて宛てた手紙には「私の寮の生徒たちは粗暴です。本当に彼らはひどい」などと書き綴っている。

在学中には王位継承者としては初めてAレベルなどの統一試験を受け、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジへ進学。考古学及び人類学を専攻した(後に歴史学に変更)。途中、ウェールズの大学でウェールズの言語と歴史を学ぶという王室ならではの過程を踏みつつ、上位から3番目の2:2の成績で無事卒業。大学の学位を取得したのも、王位継承者としては初めてである。


ウィリアム王子

ウィリアム王子

父: チャールズ皇太子
母: 故ダイアナ元皇太子妃(第8代スペンサー伯爵3女)

息子を「普通」に育てたい――そんなダイアナ元皇太子妃の意向に沿って、これまでの王室にはない現代的なアプローチで育てられたのがウィリアム王子だ。祖母のエリザベス女王、父のチャールズ皇太子とは異なり、ウィリアム王子が誕生して間もなくチャールズ皇太子とダイアナ元妃がオーストラリア及びニュージーランドを公式訪問した際にはウィリアム王子を同行させ、メディアに好意的に受け止められた。ウィリアム王子がロンドン内の学校に通っていた際、可能な限りダイアナ元妃が自ら送り迎えを行ったことはとみに有名。そのほかにも、子供たちをマクドナルドに連れて行ったり、ロンドンのデパート、セルフリッジズでサンタクロースに会えるというイベントが行われたときには特別扱いさせず、ほかの子供と一緒に列に並ばせるなど、ウィリアム王子とその弟ヘンリー王子が一般市民の感覚を身に付けることができるよう努めたという。貴族出身ではあるものの、王族出身者ではないダイアナ元妃のそうした子育てに対する国民の評価は高かったが、夫チャールズ皇太子との不和から離婚に至るまでの過程、そしてその後のダイアナ元妃の突然の交通事故死は、まだ10代だったウィリアム王子の心に大きな黒い影を落とした。そうした時期に、ウィリアム王子が心の寄りどころとしたのは、やはり乳母だった。両親が積極的に子育てに携わり、早い段階から学校で学んではいたものの、乳母たちは子育てという本来の役目を終えたずっと後まで、ウィリアム王子の人生における様々なページに顔をのぞかせている。

ウィリアム王子
ロンドンのセント・メアリーズ病院にて
ウィリアム王子の初お披露目


子育て 〜心の隙間を埋めた存在

ウィリアム王子が4歳のとき、乳母のアシスタントの立場から昇格したオルガ・パウウェルは、ダイアナ元妃の母親をして「彼女は乳母ではなくおばあちゃん」と言わしめたほど、ウィリアム王子にとっては大きな存在だった。ダイアナ元妃から必要とあれば息子たちを叩いても良い、と言われるほど全幅の信頼を置かれていたオルガは、ときに王子の耳をつねることもあったが、厳しくも情の深いオルガに、幼い王子たちもよくなついたといわれている。皇太子夫妻の離婚後、ダイアナ元妃とともに王子たちの元を去ったオルガは、同元妃の死後、ハートフォードシャー州に移ったものの、ウィリアム王子の人生の節目となる行事には必ずといっていいほど彼女の姿があった。2012年、82歳で世を去ったとき、ウィリアム王子は公務をキャンセルし、ダイアナ元妃の姉たちとともに葬儀に参列している。

オルガの後を継いだのは、チャールズ皇太子の私的秘書のアシスタントとして勤務していたティギー・レッグ=バーグ。ダイアナ元妃との確執が伝えられたこともあったが、ウィリアム王子は13歳のとき、イートン校の行事に両親ではなくティギーを招待するなど、その関係は単なる雇用者と被雇用者の枠を超えたものだった。ウィリアム王子の結婚式でページボーイを務めた少年2人のうち一人は、ティギーの次男トムである。

ウィリアム王子
テーマ・パークで遊ぶウィリアム・ヘンリー両王子とダイアナ元妃


教育 〜「普通」の学生生活を満喫

ダイアナ元妃が、制服を着込んだ2人の幼い息子を連れて、ロンドン西部にある男子のみの私立幼稚園、ウェザービー・スクールに向かう姿は、今も多くの英国民の記憶に残っているだろう。その後、ウィリアム王子はバークシャー州にある全寮制の私立男子校、ラドグローブ・スクールを経てイートン校へ。名門イートン校の中でもさらに少数のエリートが属するサークル「ポップ」の一員として、贔屓のサッカー・チームのシャツをカスタマイズしたベストを着込み、将来国を担うことになる若者たちとリラックスした笑顔で写真に収まるその姿からは、父のチャールズ皇太子とは対照的に、伸び伸びと学生生活を謳歌していた様子がうかがえる。

大学入学前には、ギャップ・イヤーを利用して約10週間、世界各国の若者が集いボランティア活動などを行う「オペレーション・ローリー」に参加。チリでテント生活を送ったり、現地の小学生に英語を教えるなどした。スコットランドのセント・アンドルーズ大学では、同じ寮だった将来の妻、キャサリン妃を含む数人の学生と共同生活をして、料理やパーティーを楽しむなど、「普通」の大学生活を送ったという。学業面では悩みを抱え、退学を考えたこともあったようだが、美術史から地理学へ専攻を変えて学業を継続。最終的には父の成績を超える、上位から2番目の2:1で卒業した。

ジョージ王子の育児と教育はどうなる?

ウィリアム王子とキャサリン妃ウィリアム王子とキャサリン妃の第1子が誕生した翌日、同妃が入院していた病院から住居であるケンジントン宮殿へと向かう際に、父であるウィリアム王子がベビー・シートを車に取り付け、自ら運転する姿に、王室がまた一つ、新しい扉を開いたと感じた人も多かったのではないだろうか。できる限り自分たちの手で子育てをしたいという意向を持っているとされる2人は、子供に専属の乳母をつけず、子育てを含む身の回りの世話を担当するパートタイムの家政婦を雇った。夫妻は新生児とともに数週間をキャサリン妃の実家で過ごす予定となっており、今後は同妃の両親であるマイケルさんとキャロルさんが子育てに深く関与することになるともいわれている。いずれにしても、英国空軍パイロットとして多忙な日々を送るウィリアム王子と、王室メンバーの一員として海外訪問を含む公務をこなしていくことになるキャサリン妃の子育てには、当人以外の人々の存在が不可欠となることは想像に難くない。ある世論調査では、大多数の国民が、ロイヤル・ベビーは一般的な育児・教育を受けるべきとする一方で、実際のところ実現させるのは難しいだろうと考えていることが明らかになっている。

参照
The Official Website of The British Monarchy、「Fifty Years the Queen: A Tribute to Elizabeth II on Her Golden Jubilee」、BBC(以下オンライン)、Daily Telegraph、Daily Mail、Daily Expressなど

 
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