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Fri, 29 March 2024

官邸を闊歩する猫たち - 毛皮をまとったダウニング街の4 本足の住人 

欧州連合(EU)離脱を決める国民投票やそれに続く政権交代と、重大ニュースが続いた昨年の英政界。その緊張を和らげるかのように、官邸には次々と「ネズミ捕獲長」の役職に抜擢された猫たちが登場し、その様子が連日メディアをにぎわせている。果たしてこの猫たちは単にマスコットの役割しかないのだろうか。今回は、英国の官邸で活躍している猫たちを紹介するとともに、官邸と猫の長い歴史についても触れる。

官邸猫の歴史

ロンドン中心部のダウニング街10番地は、300年近く歴代英国首相の住む官邸として利用されており、その番地から別名No.10とも呼ばれている。英国の古い建築物はネズミに悩まされることが多く、これは例えエリザベス女王や英国首相の住居であっても変わりはない。17世紀の建築とされる首相官邸では、正式な公務員としてこれまで、「首相官邸ネズミ捕獲長」(Chief Mouser to the Cabinet Office)の名でハンフリー、シビル、ラリー、フレイアの4匹が登録されている。だがそれ以前から首相官邸では猫が飼われており、ヘンリー8世の時代までさかのぼることができるとも。これまで、1924年のトレジャリー・ビルことスモーキー、チャーチル首相の愛猫ネルソン、初のメスのネズミ捕獲長ピーター、史上最高のネズミ捕りの誉れ高いウィルバーフォース、ブレア元首相夫人シェリーさんとの不和説がささやかれたハンフリー、ダーリング元財務相のペットだったシビル、一時期は現捕獲長ラリーとともに官邸に住んだフレイアなどがネズミ捕りの任務を果たしてきた。

根深いネズミ問題

ここでは、ロンドンのネズミ問題がいかに深刻であるかを、ダウニング街にほど近い国会議事堂の例を挙げて紹介しよう。2020年の大改修を目前にするこのゴシック建築もまた、ダウニング街同様、ネズミに悩んでいる。国会はネズミの駆除費を国民の税金から捻出していることもあり、ニュースとして取り沙汰されることも。見かねた議員がネズミ退治のために自分の愛猫を持ち込む例もあるという。下記にその被害の模様を挙げてみる。

  • 2015年のレポートによると、1年間で実に11万ポンド(約1571万円)がネズミ駆除費として使われた。
  • 国会内に設置してあるネズミ取り(毒エサ入り)の箱数は合計で1755個。加えて128個がドブネズミ(Rat)専用。
  • 2015年には最初の4カ月だけで、目撃情報が75件。ケーブルを齧られる問題が悩みの種とか。
  • 下院内のスタッフ向け告知ポスターには、「ネズミの数を減らすためご協力ください」という題で、「食べ物やティーバッグ、コーヒーなどは蓋付きの入れ物へ」「必要のない紙類、ビニールなどは破棄すること」などと、まるで学校の生徒へ向けたようなメッセージが書かれている。なお、そのポスターには「Get Us a Cat」と赤ペンで落書きが加えられており、院内がかなり切実な状況に陥っていることがうかがえる。
官邸猫たちのテリトリー・マップ

官邸で権力をもつ(?)現役の「ネズミ捕獲長」

現在多くのメディアで取り上げられている、性格も気質も異なる各省の猫たちは以下の通り

首相官邸 Number 10 趣味は昼寝と散歩
Larry
ラリー

性別:オス 
年齢:10歳ぐらい
就任:2011年2月15日
https://twitter.com/number10cat

Larry
官邸前でパトロール中(?)のラリー

ふさふさとした毛並みが立派なトラ猫のラリーは、元々は野良猫。ネズミ捕獲長のシビルが2009年に死去したのを受け、2011年に動物保護施設「バタシー・ドッグズ・アンド・キャッツ」からやって来た。官邸に暮らすようになったラリーは「ただ寝ているだけ」なことが多く、「殺し屋としての才能がない」と嘆かれ、キャメロン首相が夕食の最中に、ネズミに向かってフォークを投げつけたという噂もある。2012年にはついにジョージ・オズボーン財務相の愛猫フレイアが新ネズミ捕獲長として就任。フレイアが2014年に官邸を去るまで、ラリーは彼女とその座を分かち合った。2015年7月、キャメロン首相が「ラリーは公務員であり、一家のペットではない。これからも首相官邸で勤務を続ける」という言葉を残して官邸を去った後、ラリーは現首相メイとともにNo.10に暮らしている。「バタシー・ドッグズ・アンド・キャッツ」はラリーのおかげで知名度が上がり、引き取られる猫の数が15%も増えたとし、かつてラリーが住んでいたスペースの脇に、彼のブルー・プラークを掲げている。

外務省 Foreign Office 働き者で紅茶好き
Palmerston
パーマストン

性別:オス 
年齢:3歳ぐらい
就任:2016年4月13日
https://twitter.com/DiploMog

パーマストン
物怖じしないパーマストン

ラリーの登場から数年後に外務省へやって来たのがパーマストン。外務省内でラリーのような専属ネズミ捕獲長を、と望まれて就任が決まった。彼もまた「バタシー・ドッグズ・アンド・キャッツ」出身で、「大胆で、社交的」な性格が選ばれた理由だという。その名前は19世紀に外務相や首相を務めた、パーマストン卿にちなんでいる。首相官邸のラリーとは犬猿の仲であり、夜な夜な激しい権力争いをしているところを報道されたことも。公式ツイッターでは常にカメラ目線のりりしい姿や、飼い主である外務省高官のサイモン・マクドナルド氏との仲良しぶりを披露するほか、「日本の皆さん、こんにちは。どこかにネズミはいないかにゃ?」といった流暢な日本語も交えた呟きを発信、官邸猫の中でも高い人気を誇る。好んで紅茶を飲むことでも知られる。チャリティーに対して積極的で、「オープン・ハウス・ロンドン」のイベントで外務省が一般公開された際は、自らの姿を印刷したカップを販売し、その売り上げをバタシーヘ寄付した。パーマストンの生活費はスタッフが支払っているとのこと。

財務省 HM Treasury サービス精神旺盛なハンサム・キャット
Gladstone
グラッドストーン

性別:オス 
年齢:2歳ぐらい
就任:2016年6月28日
https://twitter.com/hmtreasurycat
www.instagram.com/treasury_cat/

グラッドストーン
赤が良く似合うグラッドストーン

ラリーやパーマストンに影響を受けた形で、財務省の元事務次官代理ジョン・キングマン氏が「バタシー・ドッグズ・アンド・キャッツ」から迎えた黒猫のグラッドストーン。施設では「ティミー」という名で呼ばれ、早食いで知られていたそうだが、19世紀に財務相を務め、のちに首相になったウィリアム・ユワート・グラッドストーンにちなんだ立派な名前を持つことになった。グラッドストーンの就任は、英国がEU離脱を決めた国民投票のほんの5日後であったため、就任のニュースは1カ月後に延期されたという。赤と白の水玉蝶ネクタイ姿で赤いカバン(財務相が予算案を国会へ運ぶのに使われる。ちなみに初めて使ったのは、グラッドストーン氏だった)から出て来てみせるなど、メディアへのサービス精神に溢れている。グラッドストーンは財務省の正式なネズミ捕獲長だが、公務員ではなく、生活費は財務省のスタッフたちによってまかなわれているのだとか。

内閣府 Cabinet Office 広い館内を親子でパトロール
Evie & Ossie
イービー&オジー

性別:メス(母)とオス(息子)
年齢:?
就任:2016年12月
https://twitter.com/hmcabinetcat

イービー
白いソックスのイービー

内閣府が親子猫イービーとオジーを迎えたのは、動物保護施設「ザ・シリア・ハモンド・アニマル・トラスト」から。内閣府のオフィス外に出ることはないものの、4階建ての建物の中を親子で走り回っているそう。口元と足の白い白黒猫のイービーの名は、初の女性事務次官エブリン・シャープから、フサフサした毛を持った黒猫の息子オジーは、公務員が特別委員会の証言を行う際などに用いられる規定を策定したエドワード・オズマザリーから取られたものだとか。内閣府が作られてちょうど100年という区切りに、記念の意味を込めて呼び寄せられたとも言われている。彼らもまたパーマストンやグラッドストーン同様、公務員ではなく、スタッフによって養われているのだそう。

番外編 名前は非公開
アサンジの大使館猫

内部告発サイト「ウィキリークス」の創設者で、2012年以来、ロンドンの駐英エクアドル大使館に政治亡命中のインターネット活動家、ジュリアン・アサンジも2016年5月から大使館内でメスの子猫を飼っている。アサンジの子供たちからのプレゼントだという。同11月、事情聴取のためスウェーデンの検察官が大使館を訪れた日、この猫が赤地に水玉のネクタイを着用している姿をメディアがとらえ、話題になった。猫の名前は知られていないが、ツイッターのアカウント(@EmbassyCat)がある。

Battersea Dogs & Cats Home
バタシー・ドッグズ & キャッツ・ホーム

1860年に創設された、ロンドン南部バタシーにある動物保護施設。官邸の猫たちの多くは元野良猫で、この施設に収容されているところを引き取られた。野良犬や野良猫、様々な事情で飼い主と一緒に住めなくなった犬猫が収容されている。保健所などと違い、期限がきても殺処分ということはされず、飼い主や新しい飼い主が現れるまで保護される。現在はバタシーのほかに、ウィンザーとブランズ・ハッチ(ケント)にも施設があり、年間8000匹近い犬猫がシェルターを利用。スタッフ403人、ボランティア1200人がその世話に当たる(2015年時点)。施設の維持費、運営費などはすべて寄付金による。

10:30-17:00 入場料: £2
4 Battersea Park Road, London SW8 4AA
Tel: 0843 509 4444
最寄駅: Battersea Park
www.battersea.org.uk

英国史に残る猫たち

官邸猫のみならず、英国の著名な人々に愛されたことで、現代にも様々な形でその名を残す猫たちがいる。気が向いたら私たちも、彼らに会いに行くことができる。

チャーチルのジョック

1940~45年、1951~55年に英国首相として活躍したウィンストン・チャーチル(1874〜1965)は、猫好きとして知られている。首相官邸にはネルソンと呼ばれる愛猫を住まわせており、官邸別館にはスモーキーという猫もいた。だが、チャーチルと家族にとりわけ愛されたのが、チャーチルが88歳の誕生日に、秘書官の一人ジョン・ジョック・コルビルからもらった猫。送り主の名を取ってジョックと名付けられたその猫は、マーマレードやジンジャーなどと呼ばれる茶トラ系で、胸と足元は白かった。ジョックはチャーチルが1924年から住んでいたケント州のカントリー・ハウス、チャートウェル・ハウスに暮らすようになる。

チャーチルが1965年に死去し、チャートウェル・ハウスは歴史的建築物の保護団体「ナショナル・トラスト」が管理することになったが、ジョックがこれからもずっとチャートウェルで暮らせるようチャーチルと遺族の希望があったことから、ジャックはトラストのスタッフの世話を受けながら、その後も10年間この邸宅に住んだ。更にジョックの死後、チャーチルの遺族の希望で2代目ジョックが邸宅に住むことに。この慣習は今も続けられ、現在のジョックは6代目。ロンドン南部の動物保護施設「クロイドン・アニマル・サマリタンズ」出身で、代々のジョック同様、胸元と足の白い茶トラのいたずらっ子だという。

Jock
チャートウェル・ハウスの入り口で日向ぼっこをする6代目ジョック
Chartwell House, Mapleton Road, Westerham, Kent TN16 1PS
www.nationaltrust.org.uk/chartwell/features/jock-vi-of-chartwell

サミュエル・ジョンソンのホッジ

猫を愛するのは、政治家ばかりとは限らない。ロンドンの中心部、フリート・ストリートに近い小さなスクエアの一角に、黒い猫の銅像が建っているが、これは 「ロンドンに飽きた者は人生に飽きた者だ」の言葉で知られる、「英語辞典」の編集者サミュエル・ジョンソン(1709~1784)の愛猫ホッジ。銅像が見つめるのはかつてのジョンソンの自宅で、現在「ドクター・ジョンソンズ・ハウス」という博物館になり、一般公開されている。

ジョンソンは独力では無理と言われながらも、9年で辞書を完成させたが、その傍らには常に忠実な愛猫ホッジがいたという。伝記作家ジェームズ・ボズウェルの「サミュエル・ジョンソン伝」には、ジョンソンは何匹も飼っていた猫の中でも特にホッジを愛し、ホッジが死の間際に苦しんでいたとき、痛み止めの薬であるセイヨウカノコソウを買いに走ったと記されている。

Hodge「英語辞典」の上に座るホッジの像
Dr Johnson's House, 17 Gough Square, London EC4A 3DE
www.drjohnsonshouse.org

ディック・ウィッティントンの猫

最後に紹介するのは、英国人なら誰もが知っている童話に出てくる架空の猫。グロスタシャーの商人からロンドン市長になったリチャード・ウィッティントン(1354~1784)をモデルにした17世紀の童話「ディック・ウィッティントンとねこ」は、今でも家族向けの芝居などで人気の高い、立身出世の物語だが、この話の中にも、猫が登場する。

ロンドンで一旗揚げようと地方から出て来たウィッティントンが、困難にくじけて故郷へ帰ろうとすると、ロンドン東部ボウ教会の鐘の音が「ディック・ウィッティントン、ロンドンの市長さん」と鳴ったように聞こえ、気を取り直す。一文無しのウィッティントンには相棒の猫しかいなかったが、この猫の見事なネズミの捕りっぷりを偶然見ていた外国の王様が、自分の宮殿でネズミを捕らせようと大金を払って猫を買い取ったことから、ウィッティントンは政界へ進むきっかけをつかむ……*。ウィッティントンがボウ教会の鐘の音を聞いたと言われる場所には、猫の像が載ったウィッティントン・ストーンが設置されている。

*童話にはいくつか展開の異なるパターンもあり

ウィッティントンの猫 教会の方角を向くウィッティントンの猫
Whittington Stone, Highgate Hill, London N19 5NF

 

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