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Tue, 09 August 2022

不登校、引きこもり、少年犯罪……。我々の母国・日本ではいつの頃からか「子供」といえば、暗い話題ばかりが語られるようになった。日本国内で少年教育の在り方が改めて問われる一方、英国ではちょうど1世紀前に「ボーイスカウト」運動という1つの解決案を提示したロバート・べーデン・パウウェルという男がいた。今回の特集では、今年で創始100周年を迎えたこのボーイスカウトの活動に焦点を当ててみたい。(本誌編集部:長野雅俊)

軍隊を起源に持つボーイスカウト

「ボーイスカウト」と呼ばれる組織の存在を耳にしたことがない人はまずいないだろう。カーキ色の制服に身を包み大きなキャンプ道具を抱え歩く少年を誰もが一度は見かけたことがあるだろうし、実際にメンバーとして参加した人も少なくないはずだ。

現在では主にスポーツの世界で若き才能を発掘する行為やその担当者のことを「スカウト」と呼ぶが、このスカウトという言葉はもともと「斥候せっこう」と呼ばれる偵察隊のような役割を担い、軍部本隊との連絡を取り合う係を意味する軍隊用語である。そもそも、ボーイスカウトの創始者ロバート・べーデン・パウウェル(以下BP)が名高い軍人であり、その彼の軍務が「スカウト」養成であった。

1857年にロンドンのパディントン近郊で生まれたBPは、名門パブリック・スクールのチャーターハウスを卒業するも、オックスフォード大学への入学試験に失敗し、陸軍に入隊する。南アフリカ、アイルランド、西アフリカなどでの駐留を経てインドで陸軍中尉に昇進し、この頃から彼は教育者としての才能を如何なく発揮することになる。

BPの指導法は、当時としては画期的なものであった。全体の統率が取りやすいように、陸軍全体を小さなグループに分ける。そのグループでリーダーシップを発揮したものに対してさらなる権限を与えて積極的にグループをまとめさせる。目立った活躍をした者は表彰する。これらの管理法は後にすべて陸軍の常識となると同時に、ボーイスカウト活動の基本となるものであった。

ボーア戦争に勝利し英雄に

1989年7月、BPは陸軍省より、第二次ボーア戦争最中のアフリカに赴く命令を告げられる。豊富な金の鉱脈を巡って南アフリカのトランスバール共和国と争ったこの戦争でBPは、「マフェキングの包囲戦」と呼ばれる戦いに参加。8000人以上の敵軍に、200日以上にわたって包囲されるという事態に見舞われた。

この戦いにおいて、主に少年を中心とした騎馬歩兵隊の教育を担当することになったBPは、9歳以上の少年たちに「スカウト」の仕事を割り当て、軍事情報の伝達や見張りなどをさせた。そしてBPは厳しい戦況下でもたくましく真面目に働く少年たちの姿を見て、さらには非戦闘時の温かな交流を通して、きちんとした形で役割と訓練さえ与えれば、どんな場所においても少年たちが成長するための機会を提供できるとの手ごたえを得るのだ。

英軍はその後戦況を持ち返したために、1900年5月になってそれまで包囲されていたマフェキングは解放。過酷な状況を幼い少年たちとともに切り抜けた彼は英雄となっていた。そして彼が描いた「ボーイスカウト」の思想が軍隊だけでなく、教育界からも評価を得ていることを知る。

ボーイスカウトとは
青少年の健全な育成を目的として1907年に設立された組織。当初は11~16歳の少年のみを主な対象としていたが、今ではさらに若年者を対象とした下部機関や、年長者のリーダー育成組織、さらには女子を対象としたガールスカウトなど多様な形態を持つようになった。スイスのジュネーブに本部を持ち、現在155カ国において参加人数は計2800万人。キャンプやハイキング、地域社会への奉仕活動などを通して少年の教育を行っている。


ロバート・バーデン・パウウェル

1857年2月22日生まれ、パディントン出身。オックスフォード大学で幾何学の教授を務めながら牧師として働いていた父のもとに生まれる。少年時代は学業では目立った成績を残さなかったが、サッカー、射撃、水彩画、演技、ピアノ、バイオリン、トランペット演奏などで多才な能力を発揮していた。その他学校の内報誌に執筆、弁論部、文学部に所属し活躍。1876年に軍隊に入隊し、その時の経験を生かしてボーイスカウトの創始者となる。

ブランシー島での実験キャンプ

1907年8月1日、20人の若者がイングランド南部にあるブランシー島に集まった。教育法としての「ボーイスカウト」に手ごたえを感じ始めていたBPの下で、実験キャンプが行われたのだ。参加者のうち10名はイートンやハロー校といったパブリック・スクールの生徒で、主にBPの友人たちの息子であった。7人はブランシー島近郊の都市ボーンマス在住の少年。残り3名は同じく近郊のプール市から参加していた。この時は、それぞれ異なる参加費を設定することで、このように様々な階級から参加者を集めることを可能にしたという。階級社会が歴然と存在していた当時の英国では極めて珍しい試みであった。

BPは、子供たちを4組のグループに分け、8日間にわたって共同生活を送らせた。キャンプ活動の内容は、テントの張り方や地図の使い方の講習、野生生物の観察、救助法や愛国心の勉強など。それらすべての学習には「体験重視」という方針が貫かれていた。ボーイスカウト運動について述べる際、「すべての子供たちに、彼らの方法でいいから自分で火を起こさせろ。失敗したことが分かったら、今度は正しい方法を教えて、もう1回試させるんだ」と再三にわたって語ったように、BPは子供たちが自分たちで失敗を体験することが重要だと考えていた。そして失敗の中にこそ教育の本質があるというのが、彼の思想であったのだ。

「Scouting for Boys」出版

1908年になると、BPは後に聖書、コーラン、毛沢東語録に続く20世紀のベストセラーとなる「Scouting for Boys」という名の本を出版する。6部構成のこの本においては、まずボーイスカウトの心得とでも言うべきものが、騎士道、アフリカ民族の風習など多彩な例を挙げながら説明されている。そして意外にも日本に関する記述も多い。日本の武士道、柔術の思想を称えながら、寒風摩擦の効用などを説いている。文章中では日本人を「Jap」と呼んでいるところに時代を感じる。

読み進めていくと、スカウトのモットー「備えよ常に」についての説明が登場する。そのモットーの裏には、備えさえあればそれが自信となり、緊急事態に際してもパニックに陥らず、誰かに対して助けの手を差し伸べることができるとの意図がある。「知っているということと、実際に出来るということには大きな開きがある。実行して初めて意味があるものになるのだ」という彼の信念が如実に表れているのだ。

この思想をより具体的に表したものが「スカウトの掟」である。ここには複数の掟が並んでおり、例えば、「スカウトは従順でなければならない」との掟の下には、「たとえリーダーの指示が間違っていても、従わなければならない。そしてすべてを終えた後に反論を述べよ」といった解説が続く。そしてボーイスカウトたちは「三指礼」と呼ばれる、3本の指を天に向ける独特のポーズを取りながらこの掟を唱えることになるのだ。

これらの掟がすべて、スカウト活動に限らず人生の教訓として受け止められたからこそ「Scouting forBoys」はベストセラーとなったのだろう。他にもこの本では森林での生活法や緊急救助法といった具体的な技術の解説から、早起きの勧めといった訓示、さらにはキャンプファイヤーで披露する話や劇の提案まで載っており、ボーイスカウトたちにとってはまさにバイブルであったことは想像に難くない。

ボーイスカウト運動の広がり

当初、ボーイスカウト運動はYMCAなどといった既存の組織で活用されることを前提として考案されたものであった。しかしベストセラーとなった「Scouting for Boys」に啓発を受けた少年たちが英国各地で自発的に組織を立ち上げるようになり、国中でブームといった様相を呈すようになる。ボーイスカウトに関する製品が売り出されるようになり、ユニフォームはもちろん、帽子や旗、バッジなどを求める要望が殺到。製造会社はボーイスカウト関連商品をこぞって作り出した。

やがてこの運動はオーストラリア、カナダ、ニュージーランド、インド、南アフリカといった大英帝国の影響下にある各国に飛び火し、さらにその影響が周りの国に広まって世界的な運動となっていった。その後、女子を対象としたガールスカウトが設立されるなど、運動は益々拡張していく。

帝国戦争下の日本にも上陸

ここで少し、ボーイスカウト運動に関する日本の動きを追ってみたい。「Scouting for Boys」が出版された1908年といえば、日本では日露戦争直後。西欧諸国の動向を追うには余念がなかった政府はスカウト運動研究の命を下し、英国への派遣使節を送っている。1911年には既に日露戦争の英雄となっていた乃木希典大将がBPと会見。これを受けて乃木大将は日本の片瀬海岸でボーイスカウト式キャンプを実施している。1912年には世界一周旅行中のBPが日本に初来日。直後に日本のボーイスカウト組織となる少年団日本連盟が発足した。

1921年には、当時まだ皇太子だった昭和天皇がロンドンでBPと謁見。関東大震災の際の救援活動では目覚しい活躍を遂げたことで広く存在が認知されるようになり、日本にもボーイスカウト運動が根付いた。

2つの世界大戦をくぐりぬけ現在に

1920年にはジャンボリーと呼ばれるボーイスカウトの世界大会がロンドンで開催。1万5000人をロンドン西部のオリンピアに集め、その存在を確固なものとした。また2つの世界大戦では、徴兵制下で人員不足に陥った郵便局や鉄道での補助勤務を担ったり、空襲を受けた地区の後片付けなどに積極的に関わることになる。中には陸軍省内での出入りを許される例もあり、皮肉にも戦争で大きな役割を果たしたがためにイメージが悪化した向きもあり、後に平和運動へと傾くきっかけとなった。

ただBP自身、ボーイスカウト運動の成長にはいたく満足していたようで、「私はこの仕事が本当に好きなんだなあと実感する」と友人に綴った手紙が残っている。実際、今やボーイスカウトの参加者は世界中で2800万人。英国だけに限ってもサッカー選手のデービッド・ベッカム、生物学者のデービッド・アッテンボロー、作家のジェフリー・アーチャー、元ビートルズのポール・マッカートニーなどボーイスカウト出身者には総々たる面々が並んでいる。そしていよいよ創始100周年を祝う世界ジャンボリーが7月27日から開催。「人種、宗教に関わらず運動を広げる」という信念の下で、BPの思想は今も生きているのだ。

When you undertake a big thing don't go asking a string ofquestions, but go on and the job, if you always do this youwill succeed in life.
何か大きなことを成し遂げようとする時には、揚げ足ばかりとっているのではなくて実行しなければならない。それが人生における成功への道なのだから。


We learned to face danger without fear, to obey everyorder from the skipper without the slightest hesitation, tokeep our heads and use our wits in the most upsettingsituations. It helped to make men of us.
私たちは、どんな苦境にあっても智恵を働かせて前をしっかりと見据えながら隊長の命令にためらうことなく従い、危険から逃げずにいることの大切さを既に学んだ。それは、私たちが立派な人間になるために必要なことなのだ。


Wake up! Get busy! You have only the one life- day to live,so make the best of every minute of it.
目を覚ましなさい。一生懸命働きなさい。人生は一度きりしかないのだから、一瞬一瞬を精一杯生きなさい


You can only command others if you have their confi-dence, and you can only have their confidence if you haveconfidence in yourself; you can only have confidence inyourself by knowing your work thoroughly and well.
信頼を得なければ、誰かを指揮することなんてできない。そして自分を信じなければ、誰かの信頼を得ることなんてできないのだ。では自分を信じるためにどうすればいいかといえば、自分の仕事をよく把握するのが大事なのである。


写真1:「何事も経験を通じて学ばせる」という思想を実施したのが
ボーイスカウト運動であった。
写真2:BPは55歳の時に当時23歳だったオレブ・セントクレア・
ソームズと結婚し、幸せな家庭を築いた。
写真3:1920年に第1回大会が開催された世界ジャンボリーには、
今でも世界中のボーイスカウト機関のメンバーが集まる。

 

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