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ロンドンのゲストハウス
Thu, 25 April 2019

ヴィクトリア朝の英国を席巻した悲恋の絵画モデル ミレイの傑作「オフィーリア」の正体とは

英国の美術史における最高傑作の一つとされるミレイ作「オフィーリア」。芸術分野には疎いという人でさえ、歴史の教科書や旅行ガイドブックなどでこの作品を一度は目にしたことがあるだろう。ロンドンの美術館テート・ブリテンで展示されているこの名作には実は様々な物語が隠されている。絵のモデルを務めた女性、エリザベス・シダルの人生に迫る。

ミレイ作「オフィーリア」

「オフィーリア」ジョン・エヴァレット・ミレイ作

英作家ウィリアム・シェイクスピアによる「ハムレット」の一場面を主題とした作品。恋人のハムレットに自身の父親を殺されたショックで発狂した末に溺死したオフィーリアの姿を描いている。作者は、19世紀の英国で結成されたラファエル前派」と呼ばれる芸術グループに属していた英画家ジョン・エヴァレット・ミレイ。夏目漱石の「草枕」に本作品について言及した箇所がある。ロンドンにある国立美術館テート・ブリテンの常設展で展示中。

Tate Britain(Room: 1840)
10:00-18:00
無料
Millbank, London SW1P 4RG
Tel: 020 7887 8888
Pimlico駅
www.tate.org.uk/visit/tate-britain

ジョン・エヴァレット・ミレイ(左)テート・ブリテン

テート・ブリテンのキュレーター、
アリソン・スミスさんが語る「オフィーリア」

「オフィーリア」は、テート・ブリテンに展示されている数々の絵画の中でも一二を争う人気作品です。死という概念を美しく表現したこの絵画が観る者を魅了するからでしょう。ミレイは、胸を打つような束の間の光景を、細部に気を配りつつ、鮮やかに描いています。

長年を経ても色褪せることのない透明感のある緑色も特徴的です。また実際に美術館を訪れ、原画を目にする多くの人々が、オフィーリアの身体の水上に浮かんだ部分と水面下のそれとのコントラスト、画面前景の水草や川岸に生える群葉の綿密な描写に驚きの声を上げます。

ミレイを始めとするラファエル前派の画家たちは、詳細を描き込み、鮮やかな色を用いた上で、背景を含む全体に均等に焦点を当てる傾向があります。「オフィーリア」においても、ミレイは主題となるオフィーリアの姿と周囲にある水草、そして川岸を飾る植物のすべてを同等に描き出しました。この均等な構図が、この作品に強烈な印象を与えていると思います。

帽子屋の看板娘から絵画モデルへの転身

ロンドン中心部のレスター・スクエア駅前。映画館、劇場、カジノ、バーといった娯楽施設が密集するこの一帯は、ときに真っ直ぐ歩くことさえままならないほどに、いつも大勢の人々で賑わっている。

今から百数十年前となる19世紀半ば、この辺りには婦人服の仕立屋が軒を連ねていた。各店は、店の前を行き交う通行人に対して激しい売り込み攻勢を展開していたという。売り込みをかけるのは、店の看板娘たち。彼女らは、店番や服作りの作業に加えて、試着モデルとしても働きながら、通りすがりの紳士や淑女たちを半ば強引に店内へと呼びこんでいた。

そんな売り子たちの一人に、赤毛が特徴的な20歳の女性、エリザベス・シダルが紛れていた。「ジンジャー・ヘア」と呼ばれる赤毛への偏見がまだ強かった時代のこと。長身で細見のプロポーションを持ちながらも、シダルは決して万人受けするタイプの美貌の持ち主ではなかったという。しかし、そのころにちょうど赤毛のモデルを探していたウォルター・デヴェレルという米国生まれの英国人画家がいた。知人の紹介を得てシダルの存在を知ったデヴェレルはこの帽子屋を訪問し、即座に見惚れてしまう。そして自身が描く絵のモデルを務めてもらうよう依頼した。つまりはスカウトだ。

ただし、その場ですぐに声をかけることができたわけではない。ヴィクトリア朝の英国においては、絵のモデルは売春婦と同じような存在として見なされていたからだ。ましてやシダルは信心深い家庭の出身。デヴェレルはシダルとその家族に対し、彼女を言わば水商売の世界に引き入れるための承諾を得なければならなかったのだ。まずは自分の母親を同伴した上で帽子屋の主人を説得する。続いて、まだ貧しく不衛生な地域と見なされていたロンドン東部サザークにあるシダルの実家へ。デヴェレルはまたしても母親を同伴した上で説明を行い、シダルの母親から許可をもらうことに成功する。これが、シダルが後に世界中に知られる絵画モデルに転身するきっかけとなった。

クランボーン・ストリート

シダルが働く帽子屋がかつてあったクランボーン・ストリート。レスター・スクエア駅のすぐ目の前にある。彼女はロンドン東部サザークの自宅からこの通りまでの道のりを毎日徒歩で通った。勤務時間は早朝から夜8時までに及び、繁忙期には徹夜作業を行うことも珍しくなかったという

ラファエル前派の間で引っ張りだこに

このころ、英国では「ラファエル前派」なる芸術グループが形成されていた。「ラファエル」とは、ルネサンス期のイタリアを代表する画家ラファエロ・サンティの英語名。それでは「前派」の「前」は何を意味するのか。

ラファエロと言えば、ダ・ヴィンチ、ミケランジェロと並ぶルネサンスの3大巨匠の一人だ。英国の美術界でも長らく、ラファエロとその作品が古典的権威として崇められてきた。17世紀前半にはチャールズ皇太子(後のチャールズ1世)が、「ラファエロのカルトン」と呼ばれる大作を購入。バチカン宮殿のシスティーナ礼拝堂で特別な儀典が行われる際に使うタペストリーの下絵を意味するこの「カルトン」は以来、現在に至るまで英国の王室コレクションとして保存されている。また18世紀に王立芸術院の初代会長を務めたジョシュア・レイノルズが「画家の最高峰」であると述べるなど、ラファエロは英国の美術界における教科書的な存在だった。

一方で、こうした美術界の潮流に反発を示す芸術家たちがいた。当時高く評価されていた絵画作品の多くは主題が聖書の場面などごく狭い範囲に限定され、さらには薄暗い色を多用するため、ときに退屈な印象を与えるという側面があったからだ。彼らは、この潮流の源泉がラファエロの作品にあるとし、彼が登場する以前のイタリア絵画に描かれた豊かな色彩と生き生きとした描写を取り戻すと宣言。「ラファエル前派」を結成し、聖書に加えて、アーサー王物語、シェイクスピア作品といった中世の物語を主題とした絵画を描いた。このグループに属していたのが後にシダルの夫となる画家で詩人のダンテ・ゲイブリエル・ロセッティや「オフィーリア」を描いたジョン・エヴァレット・ミレイであり、また彼らと深い交友を築いていたのがシダルを発掘したデヴェレルだった。

シダルの存在は、ラファエル前派の画家たちの間でたちまち評判を集めるようになり、彼女の元にモデルの仕事の話が次々と舞い込むようになる。とりわけロセッティは、シダルがデヴェレルのモデルを務め始めたその翌日に早くも彼女に接近。間もなくしてロセッティとシダルは周囲から恋人同士と認識されるようになる。

ヴィクトリア&アルバート博物館

ロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館で展示されている「ラファエロのカルトン」。後に清教徒革命を受けて処刑されるチャールズ1世が皇太子時代に購入したことからもうかがい知れるように、不動の地位を築いていたラファエロの絵画は英国でも高く評価されていた

慰謝料請求にまで発展したリアリズム

ところ変わって、ロンドン郊外南西部のオールド・モルデン。韓国人街として知られるニュー・モルデンの南方にあるこの街には、テムズ川の支流となるホグスミル川が流れ、緑豊かな住宅地の風景に彩りを添えている。

百数十年前のある日、ミレイはこのホグスミル川の川岸に画架を置き、ひたすら筆を動かし続けていた。不法侵入によって周囲の自然を破壊しているとの当局からの警告を受けながら、巨大な蚊が辺りを飛び交い、強風が吹きすさぶ川岸で1日11時間、週6日にわたり絵を描く生活を5カ月間続けたという。「オフィーリア」の背景となる水草や木などをつぶさに観察した上でキャンバスに描き込むための準備だった。

ミレイが描く「オフィーリア」のモデルはシダルが務めることになっていた。ただし、川岸で背景を描くだけでも困難を伴う状況下において、シダルの身体ごとホグスミル川に浮かべることはさすがにできない。そこで考え出したのが、ロンドン中心部にある自身のアトリエに備え付けられた湯船に水を張り、そこに浸かるシダルを描いた上で背景と重ね合わせるという案だった。ミレイが購入した古着のウェディング・ドレスを着用して、浴槽に浮かぶシダル。浴槽の下には石油ランプを設置し、水温を一定に保つ仕組みにはなっていた。しかし、絵の制作に没頭していたミレイはランプの灯が消えてもこれに気付かず、ひたすら冷たい水の中で我慢を強いられたシダルは肺炎症状を引き起こしてしまったという。この出来事を知って怒りを覚えたシダルの父親が、後にミレイに対して慰謝料を請求する事態にまで発展している。

ともかく、こうして紆余曲折を経て完成した「オフィーリア」は、すぐに売り手が見つかった。翌年には倍額以上の値で転売され、ロンドンの王立芸術院でも一般公開。パリの展覧会で展示された際には、既に交際関係に発展していたシダルとロセッティがそろって渡仏し、「オフィーリア」を鑑賞している。

ラファエル前派が結成された場所

ミレイのアトリエがかつてあった建物。大英博物館の近くに位置する。現在は「ラファエル前派が結成された場所」と記された銘板が掲げられている

現実のオフィーリアが生きた悲劇

「オフィーリア」は、シダルが生きていた時代に既に広い注目を集めていた。シダルに とって、この事実は同時に、売春婦扱いを受けていたモデルとしての姿を世間にさらけ出すことを意味した。絵画モデルとして働き始めた直後から交際を始めたロセッティからも十分な愛を受けないままに、シダルは残りの人生を送ることになる。  

ロセッティはシダルに対し、自分以外の画家たちのモデルを務めないよう求めていた。一方で、彼はほかの女性との交際を重ね続けてもいた。相手は、別の絵画モデルや、同じラファエル前派のメンバーの愛人など。シダルはミレイが描いたオフィーリアを彷彿させるかのように、実生活においても悲恋の運命を生きたのだった。交際期間が10年を経過してもロセッティは結婚しようとしない。彼の一方的な婚約破棄は複数回に及んだ。公然の仲であるにも関わらず、友人や家族に恋人として紹介されることもない。彼の周りには常に自分以外の女性の存在が付きまとう。

やがて健康を害し始めたシダルは、家庭薬として当時使われていた麻薬の一種であるアヘンチンキを多用するようになる。その副作用から摂食障害や鬱症状などを引き起こし、症状を収めるためにまたアヘンチンキを服用。ロセッティとの悲恋を憂うがあまりに心身のバランスを崩し、彼の関心を買うために食事を拒むという悪循環に陥っていた。

ロセッティがようやく結婚に踏み切ったのは1860年。既にシダルの体調が深刻な状態に陥ってからのことだった。結婚直後に妊娠するも死産。2人目を妊娠中だった1862年2月、シダルは一人で自宅にいる際にアヘンチンキを過剰摂取したことが直接的な原因となり、32歳で短い生涯を閉じた。

画家だけでなく、詩人としても活動していたロセッティは、シダルへの想いを綴った詩を彼女の棺桶の中に入れて埋葬した。しかし大切な作品を地中に埋めてしまったことを悔やんだロセッティは、後にロンドン北部ハイゲートにあるシダルの墓を掘り起こさせるという暴挙に出ている。悲しみと美しさを漂わせながら死んでいった悲恋の「オフィーリア」のモデルは、美しい死に姿を保つことさえ許されなかった。

ロンドン中心部ホルボーン駅近くに
今も残るロセッティの旧宅

Sources: Lizzie Siddal The Tragedy of a Pre-Raphaelite Supermodel by Lucinda Hawksley, The Times, The Daily Telegraph, Tate Britain, the Pre-Raphaelite Society Review ほか

 
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