日本タウン誌・フリーペーパー大賞で英国ニュースダイジェストが最優秀賞を受賞いたしました!
Sat, 16 December 2017

戦時中の英国で日本語を学んだ若者たち
ダリッジ・ボーイズとSOASのブレッチリー・ガールズ

ダリッジ・ボーイズとSOASのブレッチリー・ガールズ

左)戦時中にSOASの日本語特別コースで学んだ生徒たち
右)SOASで日本語を学んだ7人の
ブレッチリー・ガールズ

ロンドン中心部、ブルームズベリー。20世紀初めには作家バージニア・ウルフや経済学者ジョン・メイナード・ケインズら芸術家や学者たちが集ったこの地区に、英国における日本語教育を先導するロンドン大学SOAS(東洋アフリカ研究学院)がある。

昨年、日本研究開始100周年を迎えた同大学は、現在も多くの日本研究者や日本語話者を輩出していることでその名を馳せているが、ここで第二次大戦中に敵国である日本の言語を学んだ若者たちがいたことは、あまり知られていないのではないだろうか。

今回は、ロンドン南東部にあるパブリック・スクール、ダリッジ・カレッジに居を構え、SOAS に通って日本語を習得した若者たち、通称「ダリッジ・ボーイズ」と、同じくSOAS で日本語を短期集中で学んだ後に政府暗号学校ブレッチリー・パークに勤務した「SOASのブレッチリー・ガールズ」を中心に、戦時中の英国における日本語教育と、現在に続く日英交流の萌芽を見ていきたい。

[取材協力]
  • バーバラ・ピッツィコーニさん
  • SOAS, Japan and Korea Section, Department of East Asian Languages and Culture Reader in Applied Japanese Linguistics
    1996年よりSOASで日本語、日本語教授法、日本語学などを教える。2014年〜17年には Head of the Japan & Korea, China & Inner Asia departmentsも務める。
  • Bletchley Park

戦後の日英関係の架け橋に
ダリッジ・ボーイズと
日本語特別コースの若者たち

2016年2月1日、ロンドン大学SOAS(東洋アフリカ研究学院)で日本研究開始100周年を記念し、「ダリッジ・ボーイズとその後」と題したイベントが行われた。1942年から43年にかけてSOASで日本語を学んだ30人の若者たち、通称「ダリッジ・ボーイズ」。彼らから始まった戦時中の日本語特別コースは、日本語を理解する情報将校たちを育成するだけでなく、戦後の日英関係を支える礎となる人材を生み出すこととなった。

火急を要する日本語要員の確保

ダリッジ・ボーイズについて語る前に、まずは戦前の英国における日本語教育について簡単にたどってみよう。1903年、ロンドンに英国初となる日本語学校が設立された。高等教育機関では、1917年、SOAS(当初は東洋研究所(The School of Oriental Studies))に日本学科が開設されたのが始まりである。講師はたったの2人。元々、小規模ではあったが、特に日英同盟が1923年に失効した後は生徒数も減り、1936年から41年にかけては12、17、15、6、5人という有様だった。その風向きが変わったのが1941年の太平洋戦争勃発後。日本を含む枢軸国側と、英米など連合国側が戦ったこの戦争で、日本軍が1941年12月に英領マレー半島北部に上陸、同半島を縦断し、翌年2月にシンガポールを占領するに至って、英国防省は日本語要員の不足を痛感するようになる。

SOASで行われた日本語特訓

1942年5月、それまでも国防省や外務省に日本語教育の必要性を訴え続けてきたSOASに、日本語特別コースが設立された。できるだけ早く日本語要員を前線に送る必要があったため、6カ月~20カ月という短期集中型。1942年から1947年まで続き、計648人が巣立っていった。同コースは主に5つに大別される。

政府給費生コース

シックス・フォーム(高等教育進学準備課程)で学ぶ17~18歳の学生を対象としたもので、期間は20カ月。30人の生徒が日本語の読み書き全般を網羅した後、軍隊用語を学んだ。

訊問官養成コース

戦場における俘虜の取り調べを行う訊問官を養成するためのコースで、聞き取り、会話の特訓が中心。期間は約13~20カ月。大学を卒業し、語学に素養のある軍人の中から選抜された。

翻訳官養成コース

日本軍から接収した文書などを読む翻訳官を養成するためのコースで、読み書きを中心に学ぶ。期間は15カ月。陸・海軍から選抜。

翻訳官短期養成コース

6カ月、または9カ月で文語及び軍隊用語を集中的に学ぶ短期コース。

軍総合コース

訊問官養成コース、翻訳官養成コースがそれぞれ会話と読み書きに特化した内容だったため、前線でもう片方の任務を行うことができないなどの問題が発生。これを受けて1944年に総合コースがつくられた。期間は約18カ月。

①から⑤のうち、最初に始まった政府給費生コースは、他のコースが軍人対象だったのに比べて学生対象だったこともあり、カリキュラムも比較的余裕があり、長期休暇もあったという。彼らはロンドン南東部にあるパブリック・スクール「ダリッジ・カレッジ」を寄宿舎として使用していたため、「ダリッジ・ボーイズ」と呼ばれるようになった。次は、このダリッジ・ボーイズがどのような日々を送っていたのか、見てみよう。

現在のダリッジ・カレッジ現在のダリッジ・カレッジ

ダリッジ・ボーイズの生活

ダリッジ・ボーイズは、語学に才のあるシックス・フォーマーたちだった。パブリック・スクール(名門私立校)やグラマー・スクール(公立選抜校)に通う、比較的裕福な家庭出身で、ラテン語やギリシャ語、ドイツ語など、別の言語を習得していた若者が集められた。ボーイズの一人、ロナルド・ドーアによると、クラスはいわゆるエリートが集うパブリック・スクール出身の生徒たちと、グラマー・スクールで学んだ生徒たちというように自然と二分されたという。英国の階級制度が、わずか30人のクラスにも反映されていたわけだ。

当然のことながら、カリキュラムはかなり厳しいものだった。生徒たちは、ダリッジ・カレッジから列車とバスを乗り継いで、当初はバッキンガム宮殿近くに位置していたSOASへ通学(コース途中でブルームズベリー地区へ移転したと見られる)。授業は月曜日から金曜日の間、午前が9時から12時まで、午後が2時から5時までで、宿題もあった。ただし、週2回は日本関連の講演に出席したり、日本映画を鑑賞する機会も設けられるなど、言語学習のみに限定せず、日本全般の知識を得られるよう、工夫がなされていたようだ。

それでは日本語学習はどのように行われたのだろう。大まかに区切ると、①ローマ字を使って日本語の初期会話を学び、簡単な翻訳や、蓄音機を使った発音練習などを行う、②話し方や書き方の実践的な訓練を受け、基本的な単語や重要な漢字を覚える、③「ナリ調」と呼ばれた軍隊特有の文体を習得する、④日本軍が実際に使用した公文書などを教材とし、集大成とする、という流れだったらしい。

日本語の辞書
日本語教材
日本語教材1945年から1947年にかけてSOASで日本語を学んだレズリー・フィリップスさんが使用していた日本語教材の数々

当時の教材を見てみると、我々日本人にとっても難解な漢字がずらりと並び、草書まで学んでいたことが分かる。いかに語学力に秀でた若者たちだったとはいえ、これだけの知識を身に着けるのは、並大抵の努力では成し得なかっただろう。そしてその目標達成のために大きな支えとなったのが、個性豊かな教官陣の存在だったのである。

個性豊かな教官たち

この戦時中の日本語特別コースが始まるまで、講師がわずか2人しかいなかったというSOASだったが、コースが開始されてから終了するまで、若者たちを教えた教官の数は合計39人。その中には英国人のみならず、在英邦人やカナダ軍から派遣された日系二世、そしてコースで学んだ後に教官として戻ってきた者などがいた。

教官陣の中心的存在だったのが、日本語主任講師だったフランク・ダニエルズ。駐日英国大使館で海軍武官として勤務した後に、日本の学校で英語講師として働いた経歴を持つダニエルズは、日本人の妻おとめとともに、熱心に生徒たちを教えた。そしてコースの精神的支柱だったと考えられるのが、ピゴット少将(フランシス・スチュワート・ギルデロイ・ピゴット)である。弁護士の父とともに日本に滞在したことのあるピゴットは、陸軍将校時代には日本陸軍との交換留学制度で日本に滞在し、その後も駐日武官としてたびたび訪日。日英同盟の終焉時には日本の立場を慮る発言を行うなど親日家だったピゴットは、引退後に軍とSOASから要請を受け、翻訳コースの主任として活動した。

蓄音機を使った発音練習などを行う上で大切なのは、正確な発音で日本語を話す人材。聞く、話す上で大きな力となったと思われるのが、在英邦人や二世たちだった。松川梅賢と簗田銓次(やなだせんじ)という2人の日本人新聞記者や、戦後はBBC日本語放送のアナウンサーとして活躍した伊藤愛子(愛子クラーク)、英国駐留カナダ軍の二世4人など、教職以外の様々な バックグラウンドを持つ人々が、この特別コースを支えた。母国や愛する国が敵となり、そんな中で英国人に日本語を教えるという複雑な環境下、悩むこともあったようだが、そんな彼らが言語のみならず、日本人の精神性や日本文化を真摯に伝えたことが、若き生徒たちの後々の将来を左右することになる。

戦場でのコース修了生たち

日本語特別コース修了後、ダリッジ・ボーイズは陸・海・空軍のいずれかに配属され、他コース出身者は所属する部隊へと戻った。彼らは情報将校としての訓練を受けてインドへ。その後、インドやビルマ(ミャンマー)などで訊問官や翻訳官としての任務を遂行した。

戦場では訊問官は日本軍の俘虜に訊問を行って情報を収集し、翻訳官は俘虜から得た作戦命令や訓示、メモや日記などを翻訳する日々を送った。訊問官養成コースまたは翻訳官養成コースで学んだ者は、日本語能力に偏りがあったため、臨機応変な対応が求められる現場に混乱が生じることもあったという。しかし、戦時中の情報収集に加え、終戦直後には東南アジア各地における日本軍との連絡業務や日本人の内地送還などに従事。日本で進駐軍に参加する者も多く、日本語の知識を生かして任務にまい進していた様がうかがえる。

連合国側の勝利に貢献した彼らの真価はしかし、戦後に発揮されることになった。彼らの多くが戦後も日本語、そして日本への興味と愛着を持ち続け、言語や文化、歴史の専門家として活躍。また、学界にとどまらず、官界や財界にも活動の場を広げていったのである。

学界や官界、財界で大活躍

ピーター・パーカー
ピーター・パーカー

毎年、ロンドンで開催されている「ビジネス日本語スピーチ・コンテスト」と言えば、英国で日本語を学ぶビジネスマンたちの目標の一つ。コンテストの正式名称「Sir Peter Parker Awards for Spoken Business Japanese」にその名が冠されているピーター・パーカーは、ダリッジ・ボーイズのリーダー的存在だった。陸軍で少佐にまで昇進。除隊後はオックスフォード大学で学び、いくつかの企業や組織を経て、英国国鉄の総裁となった。欧州三菱電機の会長としても活躍。日本関連のプロジェクトに多数か かわり、1986年には調査報告書「未来に向けて-アジア・アフリカ言語及び地域研究に対する英国外交・通商上の要請に関する一考察」、通称パーカー・レポートを作成、日本研究及び日本語教育の拡大を訴えた。

もう一人のダリッジ・ボーイズ、ロナルド・ドーアはコース修了後、軍で基礎訓練を受けているときに病気になり、そのままSOASに残って講師となった。終戦後にロンドン大学を優秀な成績で卒業。SOASやロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)で社会学の教授を務めたほか、国内外の様々な大学で客員教授やフェローとして研究を続け、日本経済を専門とする社会学者として高い知名度を誇っている。

ヒュー・コータッツィは、訊問官養成コースでドーアに日本語を学んだ。外務省入省後、複数回の東京赴任を経て、駐日英国大使に就任。長年にわたる日本滞在時に、英国と日本各地の関係を研究し、複数の著作を発表した。また、随筆や論文なども数多く手掛けている。

このほかにも、能研究で知られるパトリック・オニールや、「宇治拾遺物語」の翻訳などを行った日本中世文学の研究者ダグラス・ミルズなど、日本と英国の架け橋となるべく将来を捧げた人物は枚挙にいとまがない。

冒頭で紹介した、2016年にSOASで行われたイベント、「ダリッジ・ボーイズとその後」には、当日91歳の誕生日を迎えたロナルド・ドーアと、その教え子ヒュー・コータッツィの姿があった。戦時中、敵国の言葉を学んでいたのに、なぜ日本に対する敬意を持っているのかと聞かれたドーアは、「簡単だ、なぜなら私たちは女性から日本語を学んだからね」と冗談を挟みつつ、こう答えた。「教師たちの使命は我々に日本語を教えることだった、だが同時に彼らは自分たちの文化に誇りを持っており、自信にあふれていた。彼らが持っていた敬意が私たちにも伝わっていったのだ」と。教材にも事欠く戦時中、敵国に打ち勝つために短期間で集中的に組まれた日本語特別 コースで学ぶ毎日。しかし、教師たちの日本に対する愛情と敬意の糸は、縒り合わされ、太い絆となって生徒たちへとつながり、やがて戦後、そして現在の日本と英国を結ぶようになったのだ。


[参考文献]
  • 「戦中ロンドン日本語学校」(中公新書)大庭 定男著
  • 「The Debs of Bletchley Park and Other Stories」Michael Smith著
  • The Bletchley Park Trust Reports「Japanese Codes」Sue Jarvis著
  • Dulwich Boys and Beyond: 100 Years of Japanese Studies at SOAS (Recording)
  • Bletchley Park, Podcast 56: Enter Japan など
 
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*本文および情報欄の情報は、掲載当時の情報です。

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