対外情報機関MI6次期長官は初の女性116年間続いた「トップは男性のみ」から大転換
ロンドンのヴォクスホール駅を電車が通るたびに、窓から外を眺める乗客の目を引き付けるのが対外情報組織「MI6」こと「秘密情報部」(Secret Intelligence Service=SIS)の本部ビルです。クリーム色と深緑色のブロックを積み上げたような建物は、プラスチック製ブロックを組み合わせて遊ぶ玩具にそっくりで、「レゴ」というニックネームがついています。こんなモダンな本部を持つMI6は116年前に海外で情報活動を行うために設置されたのですが、そのトップとなる長官はこれまで男性だけでした。英国では女性の首相が3人出ていますし、政党・党首が女性であることは珍しくありません。また、経済界、メディア界でも女性が指導的地位に就くことは日常的になりました。でも、MI6は例外だったのです。ところが2020年に就任したリチャード・ムーア長官の後任として、6月15日に初めて女性が任命され、男性が独占してきた長官職の牙城が崩れることになりました。
今秋から18代目のMI6長官になるのは、1999年に情報提供者の管理を担う情報官「ケースオフィサー」としてMI6でのキャリアをスタートさせたブレイズ・メトレウェリ氏(47)です。「メトレウェリ」は欧州の南コーカサス地方にある、ジョージア系の名前によくあるようです。同氏はケンブリッジ大学で人類学を学び、卒業後は外交官を目指していましたが、実は子ども時代からスパイになりたいと願っていました。自称「テック・オタク」で、現在はMI6の技術・イノベーション部門の責任者「Q」を務めています。最初の任務は大量破壊兵器などの拡散阻止業務でした。核技術について調べるなかで科学の深さを知ると同時に、命を懸けても機密情報を取ってくる海外にいる工作員たちとの関係を築く機会になったそうです。アラビア語に堪能で、中東諸国の紛争地でも働いてきました。一時は国内の情報活動を担当するMI5こと保安局に所属も。このときは政府が「敵対的国家」と位置付けるロシア、中国、イランなどの脅威に対応する「K部門」の幹部でした。中東および欧州での作戦業務に長く携わってきたメトレウェリ氏はウクライナ戦争、イランとイスラエルの紛争などが発生する今、最適の人材といえそうです。トランプ米政権が欧州離れの言動を明確にするなか、米国のMI6に相当するCIAとの緊密な関係維持も重要事項になるでしょう。MI6は秘密情報部ですので、職員の中でその名前と最低限の経歴が公開されるのは長官だけとなっています。政府がMI6の存在を公式に認めたのは1990年代半ばでした。
スパイ映画のボンド・シリーズではMI6の女性長官「M」が登場しますが、MI6長官の通称は「C」。初代長官のマンスフィールド・スミス=カミング海軍大佐が署名にイニシャルのCを使ったことに由来します。女優ジュディ・デンチが演じたMは1995年公開のボンド映画で初お目見えしましたので、現実は映画よりも30年も遅かったことになります。国内の情報活動を担当するMI5の方は1992年にステラ・リミントン氏が初の女性長官に就任し、2人目は2002年就任のイライザ・マニンガム=ブラー氏でした。一方、CIA初の女性長官は2018年就任のジーナ・ハスペル氏です。
映画と現実の違いに補足すると、Mの上司は首相でしたが、Cの上司はデービッド・ラミー外相です。また、Cには部下に「殺しのライセンス」を与える権限はありません。権限を持つのは外相なのです。Cはまた他省庁のトップや政府高官と共に、政府の合同情報委員会(JIC)のメンバーになります。JICは機密情報を受け取り、進行中の状況を分析し、首相に助言する役割を担っています。高級官僚の中でCだけが許されているのが、緑色のインクで文書をしたためること。これはカミング大佐が文書署名時に緑色のインクを使ったからです。どこまでも伝統にこだわるMI6のイメージにぴったりですね。
秘密情報部(MI6)
正式名は「Secret Intelligence Service=SIS」。1909年、ドイツのスパイ活動に対抗するための防諜機関として設置された「シークレット・サービス・ビューロー」の海外部門として誕生。軍の公式記録や連絡文書で使われた識別名「Military Intelligence Section 6=MI6」が今でも通称として使われている。職員数約3500人。