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Fri, 28 April 2017

知って楽しい建築ウンチク
藍谷鋼一郎

ルネサンス建築

15世紀、イタリアのフィレンツェで興った文化革命、ルネサンス。「文芸復興」とも呼ばれ、再生というキーワードのもと、ギリシャやローマなど古典文化の再発見に情熱が注がれた。建築では、特に古代ローマ建築の研究が盛んに行われ、古典的オーダーの復活、美しい比例に則った建築様式が確立する。

イタリアで華咲いた文芸復興

 

ルネサンス建築
天井画が美しい
バンケティング・ハウスの内部

ルネサンスが発祥したのは、イタリア中部に位置する街フィレンツェである。当時、神を崇めたゴシック建築に批判的な論調が起きるなか、古代ギリシャ人やローマ人の築いた建築文化が再評価されはじめた。メディチ家など、巨万の富を築いた人びとが競って芸術に莫大な費用を投じたことが功を奏し、芸術文化の華が咲く。フィレンツェから発信されたルネサンスはイタリアを中心に当時の西欧諸国に多大な影響を及ぼした。

そのフィレンツェで、一際目立つドームがある。この天高くそびえ立つドームこそが、ルネサンスを代表するイタリア人建築家、ブルネルスキが手掛けたサンタ・マリア・デル・フィオーレ聖堂のドームだ。1461年に完成したこのドームの特徴は、八角形の二重殻構造となっていること。二重殻とは、文字通りドームが二重構造になっていることで、外殻と内殻の間には、ドーム頂上部へと繋がる階段が設置されている。

また、ルネサンス期のイタリアで活躍したのが、レオナルド・ダ・ビンチやミケランジェロといった天才たちだ。彼らは画家であり、彫刻家、そして建築家でもあった。一方、後期ルネサンスに大活躍したアンドレア・パラディオも忘れてはならない。古典建築の代表格である柱のオーダーや、切妻屋根の神殿風の屋敷を手掛け、貿易で富を蓄積した大商人たちから絶大な支持を受けたパラディオ。彼はその後舞台を北部のベネチアへと移し、その近郊都市であるヴィチェンツィアには、今もパラディオ・ワールドと呼ばれる街並みが残っている。

ルネサンス建築
(左)ブルネルスキのドームが際立つフィレンツェの街並み(右)バーリントン公が手掛けたチズィック・ハウス

英国への飛び火

英国に伝わった建築様式は、古代ギリシャやローマ建築よりもむしろイタリア・ルネサンスの方が色濃く表れている。そんな中でも、パラディオの与えた影響は特に大きい。パラディオの名作「ヴィラ・ロトンダ」を模したバーリントン公のチズィック・ハウスに始まり、イニゴ・ジョーンズ設計のクイーンズ・ハウス(グリニッジ)やホワイトホール宮殿のバンケティング・ハウスは、まさにイタリア・ルネサンスが英国へ飛び火した形となっている。

そして極めつけは、英建築家のジョン・ナッシュによる一連の宮廷建築だ。時の国王ジョージ4世のお抱え建築家でもあったナッシュは、イタリア風のリージェント・ストリートを設計している。ナッシュ建築の真髄は、建物の表層だけを化粧した偽石造風の建築ではあるが、ルネサンス風の都市空間を演出するには最適だった。一説には、バッキンガム宮殿の改装が完成した暁には、国王から英国建築界では最高位となる男爵の称号を授与されるはずだったという。ところが完成前に国王が他界。状況が一転し、ナッシュは男爵はおろか爵士の称号も与えられずにこの世を去る。その後ザ・モールからバッキンガム宮殿へ続く凱旋門をイメージしてナッシュの手により作られたマーブル・アーチは、現在のオックスフォード・ストリートの西端にと移築されてしまった。

ルネサンス建築
(左)ナッシュが設計したリージェント・ストリート(右)イニゴ・ジョーンズ設計のバンケティング・ハウス

 
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藍谷鋼一郎:九州大学大学院特任准教授、建築家。1968年徳島県生まれ。九州大学卒、バージニア工科大学大学院修了。ボストンのTDG, Skidmore, Owings & Merrill, LLP(SOM)のサンフランシスコ事務所及びロンドン事務所で勤務後、13年ぶりに日本に帰国。写真撮影を趣味とし、世界中の街や建築物を記録し、新聞・雑誌に寄稿している。
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