ロンドンのゲストハウス
Sat, 17 November 2018

2年後の福島警戒区域 ここは「世界の終わり」ではない

雑草に覆われた道路で、まるで瀕死の病人の心臓のように、
信号機だけが点滅を続けている。
音のない無人の街を、目に見えぬ放射線が異常な数値で
覆っている。原発から20km圏内の警戒区域。
あの日、避難令は人間にだけ出され、動物は避難できなかった。
置き去りにされた動物たちは、その後どうなったのだろうか。
(Text : Miwa ARAI)

彼らは、そのままだった。つながれたまま餓え、渇き、悲鳴をあげながら死んでいった。その叫びのほとんどは人間には届かないままに。原子力という、自らがつくりだしたものから、私たちは逃げた。あらゆるほかの命を放り出して。しかし、2年が経つ今日もそこには、人間の帰りを信じて待っている命がある。
そしてその命を救おうと戻った人間も、いる。

彼らは確かにここにいた 
~ 太田康介さんの場合 ~

「あ、これはいかん」。それは無人の街を、首輪を付けた犬たちがうつろに放浪しているネットの画像だった。とにかくドッグフードと水を持って警戒区域へ駆け付けた。カメラマンの太田さんは、世界各地の戦場、被災地を幾度も取材してきた。しかしそんな彼でさえ、感情を抑えられなくなるほどの惨状があった。

「震災から1カ月弱、牛は水も餌もなく牛舎につながれていました。約40頭のうち10頭ほどは既に息絶え、残った子たちもやせ細り、立ち上がれなくなっている子もいました。彼らが私に向かって鳴くのです。柵の中で追うようについてきては私を見つめ必死に鳴き続ける。地獄でした。3、4時間かけて私は川から水を運び、餌になりそうなものを与えられるだけ与えました。その場しのぎでしかないのですが、牛たちは鳴き止み、ようやく私は牛舎を後にできた。あの声が止むまでそこを去ることはできなかった。あれほどの無力感を感じたことは、ありませんでした」

牛舎
・・・・・(中略)
もおおおおおおおおおお!
私は生きたい!そう聞こえました
できるだけのことをしたけれど何もできていない

次に訪れたときにはいったい何頭になっているだろうか
私は罪悪感を持ったまま牛舎をあとにしました
ごめんよ・・・ 

太田さんのブログ(2011年4月)より写真・文章抜粋

太田さんは、以来2年間現地へ通い、立ち入り禁止区域での猫や犬の給餌、保護活動と同時に、写真で、目撃した現実を伝え続けている。

「生き残った動物たち、ボランティアの人たち、どちらにとっても2年間は長すぎる時間です。彼らは、ただの個人なのに、動物の苦しむ姿を見てしまった。見てしまった以上、『今日自分が行かない限り、あの子は死んでしまうかもしれない』という自らの責任感で通っている。達成感より罪悪感のほうが強く、いつまで、というゴールもない。今、私は、動物だけでなく、そこに関わる人々の状況にも危機感を持っています」。太田さんの文章には何度も、「ごめん」という言葉が出てくる。警戒区域に通い出してから肉類を全く食べられなくなった。彼自身も苦しみながら、やり続けている。

「こんなに伝えたいと思ったことは今までにない、ということです。動物は人間の決める運命を黙って受け入れる、人間次第なのです。私はこの現実を最後の最後まで、見届けます」

太田さんの撮る写真からは、モノを言えぬ動物の声が、鮮烈に伝わってくる。

太田康介 東京都在住 カメラマン
著書「のこされた動物たち」、「待ちつづける動物たち」(飛鳥新社刊)
ブログ: http://ameblo.jp/uchino-toramaru

今でも待っている
~ 佐々木ちはるさんの場合 ~

猫の救出都内の会社員だった佐々木さんは、2011年夏に飼い主から猫の救出依頼を受けたボランティアに同行し、警戒区域内の家へ行った。当時は飼い主がペットを直接持ち出すことは禁止されていた。「依頼の猫は見つかりませんでしたが、玄関に赤い首輪をした別の猫の遺体がありました。餌を求めてその家に迷い込み餓死したのか、骨も見える無残な状態で干からび始めていました。障子は猫がもがいて内側から引き裂かれた状態で、残された動物たちの長い苦しみを思い知らされ、大変な衝撃を受けました」

以来佐々木さんは警戒区域へ通い続け、連れ帰れる犬猫は保護し、そうでない場合は給餌やケアをし、遺体を見つければ毛布で包み埋葬をする。

居住制限区域(立ち入り自由だが宿泊不可)の飯館村にも、多くの動物が残されたままだ。犬たちは鎖につながれたまま(係留は義務)無人の家を守り、たまにしか戻ってこられない飼い主をひたすら待っている。

佐々木さんは、昨年末に勤めていた会社を辞め、現地での活動と、横浜市内の被災動物預かり施設でのボランティアに専念することを決めた。


マック先週に続き飯舘村へ。
今回は私がマックを散歩に連れて行った。
自由に歩ける機会がほとんど 無い彼ら。
散歩ではどの子も大はしゃぎだ。
・・・・・(中略)

ところが、折り返して岐路へ向かおうとした途端、1歩も進まなくなった。
「どうしたの?ほらほら、走ろうよ!」 こちらが小走りに誘い水を向ける。
普段なら喜んで走り出すのに、動かない。
綱を引き、ようやく歩いたかと思えば、私の前方に回り込んでしがみつく。
振り払っても少し歩くとまた同じ。 何度も繰り返し、そんな仕草を見せるのだ。
鳴きもせず、ただ静かにじっと、まっすぐな瞳で私を見つめ
まるで行く手を阻むように、抱きついて離れない。
また置いて行かれるって、分かるのかな。行っちゃ嫌だって、言いたいのかな。

犬を飼ったことなんて無い。そもそも別に、犬好きでもない。
だから彼らの言葉なんてわからない。
それでも、わかるよ。 こんな強い気持ち、どうしたって、伝わるよ。

今まで福島の活動をしてきて、慌しい現地で泣いたことなんて一度も無い。
だけど、またこの子を残して行くのだと思うと、
たまらない気持ちになって私を見つめる静かな瞳を見ながら泣いた。

佐々木さんのブログ(2013年1月)より写真・文章抜粋

佐々木ちはる 横浜市在住 被災動物救済ボランティア
※ 人恋しいマックは里親様を募集中です。終生、責任を持って飼ってくださる方。愛情を持ってかわいがってくださる方。どうかご連絡ください。お待ちしております。
ブログ: animaldemo.blog.fc2.com/blog-category-7.html

命への責任
~ 吉沢正巳さんの場合 ~

吉沢正巳さんの場合原発から14kmの浪江町にある畜産農場長だった吉沢さんは、避難指示の数日後には牛舎に戻った。近隣農家の牛や弱った放浪牛も引き受け、今も牧場に残って300頭の牛を世話し、殺処分令に断固反対し続けている。

「希望の牧場」というが、彼が実際に目にして感じてきたことは、希望なんかではない。事故以来の行政の指示は、牛の命と、牛とともに生きてきた人々の魂とを、あまりにも軽んじてきた。農家にとって故郷の放射能汚染とは、人生の喪失に等しい大変な状況だが、それでも牛の命の重みは変わらないのだ。自然の恵みとともに生きてきた彼らには、ほかの命への深い敬意と責任感がある。

「残りの人生20年間、私は牛とともに乗り越える覚悟を決めたのです。人生を台無しにされた浪江の農家の人間が、牛の命を守る。私が問いかけているのは、人間の生き方の根源にかかわる問題です」。だから本気でやるしかないのだと、静かに語る彼の気持ちは、どれだけの人々に届いているのだろうか。「希望の牧場」に命がある限り、彼が口を閉ざさない限り、警戒区域の家畜問題は現在進行形になる。「過去形」にはできなくなる。

吉沢さんは、自分の命をかけて牛の命を守り、「人間とは何か」と、問い続ける覚悟を決めている。

吉沢正巳 福島県在住  「希望の牧場・ふくしま」代表
ウェブサイト: fukushima-farmsanctuary.blogzine.jp

「世界の終わり」に見えるのに、まだ、命がある。「助けて」と呼んでいる。自らの生活も顧みずにその世界に引き返し、弱い小さな命たちとともに、出口を求めて闘っている人々がいる。

人はほかの命とどう向き合って生きていくのか。ここは、「世界の終わり」ではなく、始まりでなくてはならないのだ。2年が経っても必死に生き残り、待っている。救える命を諦めない。私たちはそこからまた、始められるのではないか。

原発周辺区域における被災家畜・ペットへの政府の対応

2011年3月11日 震災
2011年3月12日 福島第一原発から20km圏内の住民に避難指示。ペット、家畜の避難不許可。残された動物には、避難を拒否する住民、ボランティア、動物愛護団体などが自発的に行う給餌・給水のみ。
2011年4月22日 20km圏内を警戒区域指定、住民も立ち入り禁止。一切の給餌、給水は禁止に。ボランティア、住民が違法立ち入りを決行し活動続行。
2011年5月10日 初めての住民の一時帰宅許可を村ごとに開始。ただし数カ月に1度のバスでの一斉帰村、ペットの持ち出し不可。住民の要請があれば政府がペットを保護。このときの帰宅で、多くの飼い主がペット、家畜の死骸に対面。
2011年5月 圏内に生き残る家畜について、所有者の了承後に殺処分するよう政府が指示。(2012年12月までに1395頭処分。農林水産省によると、警戒区域内の震災前家畜数は、牛約3400頭、豚約3万1500頭、鶏約63万羽がいたが、殺処分指示前にそのほとんどは餓死)
2011年10月24日 政府による警戒区域内のペットの一斉保護開始。
2011年12月 動物愛護団体に圏内保護活動を初めて認める。(3週間のみ)
2012年1月 住民のペット持ち出し許可開始。しかし、福島県内の仮設住宅のペット入居は禁止。
2013年2月 区域内に生き残る牛は約700頭、犬猫の数は不明。
浪江町の崩壊したショッピングセンターにいた猫 浪江町の崩壊したショッピング・センターで。10月中旬、痩せ細りミイラ化した遺体となって発見された。(2011年9月 太田康介氏撮影)
ミニチュアダックスフンドのくるみ 飼い主は津波で家を流され、2011年3月にヘリコプター救助されたが、ともに丘に避難していたミニチュア・ダックスフンドのくるみは同乗を許されず、そこに残された。以後、跡形もない元自宅近辺をトボトボと歩く姿を何度か目撃されるが、警戒心が強く保護できない。9月中旬、ようやく人を見ても逃げなかったくるみは瀕死の状態で、抱きかかえたボランティアの人の腕の中で息絶えた。捜索願を出していた飼い主の元へ戻ったのは、6カ月間がれきの中をさまよい、やせ細ったくるみの亡骸だった。(2011年7月 太田康介氏撮影)
双葉町の道の猫 双葉町の道で猫が死んでいた。凍っていた体が日差しで少し柔らかくなってきていた。道路脇にずらしてあげると跡が残り、影のようだった。申し訳ない気持ちでいっぱいになり、「彼が確かにここにいた」証を、その跡が消えてしまう前に、写真に残した。(2012年1月太田康介氏撮影)
他の牧場から迷い込んできた子牛 ほかの牧場から迷い込んできた子牛。保護された当時は鼻から頭に回っているタテゴ(成長に伴って、大きいサイズに替えていくもの)が肉に食い込み口が開けられず、よだれを垂らし苦しんでいた。吉沢さんがそれを外し手当てし、今も元気に生きている。外したタテゴの傷口がまだ残っている。(2012年7月 希望の牧場撮影)

 

ロンドンで行われた主な東日本大震災2周年関連イベント

追悼礼拝式

追悼礼拝式
追悼礼拝式 追悼礼拝式 追悼礼拝式
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10日、ロンドン東部のセント・ジョンズ・ブラックヒース教会にて東日本大震災追悼礼拝式が実施。日本に滞在経験のあるロンドン東部ウールウィッチ教区のマイケル・イプグレイブ主教らが礼拝を行った。

マイケル・イプグレイブ主教「彼らと私たちはつながっている」
イプグレイブ主教が語る震災2周年

「昨年7月に被災地で5日間を過ごしました。震災によって一変した、かつては「さながら極楽浄土のごとし」と形容されたという岩手県宮古市の浄土ヶ浜の景色が印象に残っています。私は、希望を与え、人々が集いそして助け合うための場となることに加えて、悲しみを表現し、祈る機会を提供することが宗教の役割であると考えています。最も大切なのは、被災者の方々に、私たちが彼らのことを忘れていないと知ってもらうこと。英国に暮らしながらでも、被災地の人々や関連機関とE メールやフェイスブックを通じて連絡を取り合うことで、彼らと私たちの世界はつながっている、と感じてもらうことが必要だと思います」

「福島庭園」にて石碑の除幕式

福島庭園
「福島庭園」にて石碑の除幕式 「福島庭園」にて石碑の除幕式 石碑
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11日には、ロンドン西部ホランド・パーク内にある日本庭園「福島庭園」にて2012年に訪英された際の天皇陛下のお言葉が刻まれた石碑の除幕式が開催。林景一駐英大使(上写真左)などが出席した。

報道写真展

報道写真展

3月5日から約2週にわたり、テムズ河岸に立つOXOタワーにて、朝日新聞社と三菱商事株式会社が東日本大震災報道写真展を共同開催。会場には復興への願いを記した短冊も飾られた。


 
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