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Fri, 29 May 2020

小林恭子の
英国メディアを読み解く

小林恭子小林恭子 Ginko Kobayashi 在英ジャーナリスト。読売新聞の英字日刊紙「デイリー・ヨミウリ(現ジャパン・ニュース)」の記者・編集者を経て、2002年に来英。英国を始めとした欧州のメディア事情、政治、経済、社会現象を複数の媒体に寄稿。著書に「英国メディア史」(中央公論新社)、共著に「日本人が知らないウィキリークス」(洋泉社)など。

コービン氏再選 ― 労働党は強力な野党になれるか

白髪にひげ、頭にはサイクリング用ヘルメット、ネクタイは締めず、ズボンの裾を靴下に突っ込み自転車にまたがる。一見したところどこにでもいそうな、サイクリング好きの初老の男性ですが、これが英国の最大野党・労働党の党首ジェレミー・コービン下院議員(67歳)の典型的な通勤スタイルです。

コービン氏が党首になったのはほんの1年前なのですが、9月末に2度目の党首選が行われ、ここでも再選。初当選のときの得票率は59.5%でしたが、今回は61.8%に上昇しました。党員数は劇的に増加しており、昨年8月時点では29万人でしたが、現在は50万人を超えているようです。

数字だけ見れば順風満帆ですが、党内最左派のコービン氏は初当選以来、様々なバッシングの対象になってきました。中道左派との間に亀裂を作り、昨年9月に党首に選出されたばかりなのに、また党首選という異例の事態となりました。なぜこのようなことになったのでしょう。

労働者を守る組織として「労働代表委員会」が立ち上げられたのは1900年。1906年以降から「労働党」という名称が採用され、労働者の生活向上を主眼にして成長してきました。第二次大戦後はアトリー労働党政権が中心となって、社会福祉の充実に力を入れてゆきます。国の基幹産業(石炭、鉄道、通信など)も国営化されました。

しかし、1970年代までに充実した福祉政策や基幹産業の国営化が財政の圧迫、経済の悪化につながっていきます。1979年、サッチャー保守党政権が誕生し、国営企業の民営化、大胆な福祉予算の削減を断行。市場主義を優先した構造改革のひずみも目につくようになり、1994年に労働党党首となったトニー・ブレア氏は市場主義経済を重視しつつ福祉政策も充実させる「第3の道」を提唱しました。ブレア氏に賛同する労働党内のグループは「ニュー・レイバー(新しい労働党)」と呼ばれました。

ブレア政権とその後を継いだブラウン政権時代の13年間、労働党は政権を維持しました。その前には18年間、在野でしたが、どの労働党議員もこの時代を忘れていません。選挙に勝てるかどうかが労働党議員にとっては最重要課題。勝って政権を取れなかったら、労働党の政策を実行できなくなるからです。勝つための鍵は何か? それはニュー・レイバーであることでした。

2010年に発足した保守党と第2野党・自由民主党との連立政権を経て、2015年の総選挙ではエド・ミリバンド前党首率いる労働党はスコットランドで大敗し、保守党単独政権が発足。ミリバンド氏が辞任を表明し、党首選が始まりました。このとき、労働党幹部はなぜ選挙に負けたのかを深く議論するよりも次の選挙で勝てる人物を選ぶことに集中し、人選にバランスを取るため、オールド・レイバーのコービン氏が入りました。ほかの候補者よりも20歳は年上で、閣僚経験も全くない議員です。

ふたを開けてみると、びっくり。党員が圧倒的支持をしたのはコービン氏でした。基幹産業の国営化、北大西洋条約機構(NATO)からの離脱、核抑止力システム「トライデント」の撤廃、共和制支持という、筋金入りの左派信奉者です。就任当初から、首相になったら「核兵器のボタンを押さない」と述べるなど、これまでの常識を覆すようなことを発言し、保守的な考えを持つ国民やメディアから大きなバッシングを受けました。

コービン批判とこれを切り返すコービン陣営の対立が深刻化する中、影の内閣が次々と辞任し、172人の下院議員がコービン氏に対する不信任案に賛成。これをコービン氏は拒絶し、党首選の引き金が引かれました。

今後、溝をどうやって埋めてゆくかが党の課題となりそうです。多くの労働党議員は「コービンでは選挙に勝てない」という言葉を一旦ひっこめ、「コービンでどうやって選挙に勝つか」「コービン指揮下の労働党は国民に何を提供できるのか」を十分に考え、アピールするときにきているのではないでしょうか。

 
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