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Tue, 19 March 2024

第13回 日経新聞のこれまで

喜多恒雄
今年4月、ロンドンのメディア会議にて。中央が日経の喜多会長

これまでは日本経済新聞社が買収した英経済・金融専門紙「フィナンシャル・タイムズ」(FT)について書いてきましたが、今回は逆に日経の方に目を移してみましょう。

日経新聞誕生の歴史を手繰ると、益田孝氏(1848-1938年)という人物に行き当たります。新潟県佐渡市で生まれましたが、幕臣の父が函館そして江戸(東京)勤務を命じられ、一家も引っ越すことになります。江戸では父が外交事務を担当する役に就き、息子の益田氏は12歳で外国語研修見習い生となりました。試験に合格して通訳官として任命されたときには14歳と言いますから、すごいものですね! 麻布の善福寺にあった米領事館に勤務し、仕事で英語を使うようになります。1863年には幕府のフランス使節団に参加し、パリに50日間滞在しました。日本に戻ると今度はフランス語と馬術を学んだそうです。

1868年には20歳で騎兵隊隊長にまで上り詰めましたが、間もなくして徳川幕府は崩壊してしまいます。これが大きな転機になりました。髷(まげ)をバッサリ切って洋風スタイルに変身し、実業界で生きることに決めたのです。

国際経験が豊かで出世も超高速だった益田氏は1876年、日本橋・兜町に貿易ビジネスのために旧三井物産(現在の三井物産は戦後に設立されたため、法的には別組織)を立ち上げます。27歳の青年社長の誕生です。創業後間もなくして、益田氏が創刊させたのが後に日経新聞となる「中外物価新報」でした。週刊で4ページ建て。米、塩などの商品相場や貿易概況の情報が掲載されていました。益田氏は自分で解説記事を書くほど、入れ込んでいたそうです。

中外物価新報は日刊化(1885年)、題号の変更(1889年、「中外商業新報」に)を経て、幅広いトピックを取り上げる経済総合紙に変化してゆきます。日本経済新聞と名称を変えたのは第二次大戦後の1946年でした。

現在の日経には約3000人が働いています。売上高は2015年末で1806億円。これは日経がFTグループを買った価格にほぼ相当します。国内には支局54カ所、海外拠点は37カ所です。日経の「媒体資料 2015」によると、購読数は約317万。電子版有料購読数は約43万になっています。

どんな人が読んでいるのでしょう? 同資料によると、年齢構成はトップが40代で、これに60代、50代、30代が続きます。職業別に見ると会社員が54.7%。次が主婦(14.1%)、無職(9.4%)、学生(6.3%)、専門職・自由業(6.3%)、商工・自営業(3.5%)、そのほか(5.7%)でした。かなり幅広い層が読んでいるようですね。

経済専門紙の日経ですが、読みもの的記事もたくさん掲載されています。著名人の半生をつづる「私の履歴書」や、1990年代半ばには渡辺淳一の恋愛小説「失楽園」が人気となった新聞小説を楽しみにしている人も多いのではないでしょうか。

経営陣のトップは2015年春に会長職に就任した喜多恒雄氏と社長の岡田直敏氏です。喜多氏が前職・社長だったころの副社長が岡田氏でした。

喜多氏の口癖は「FTはFT。日経は日経」。日経がFTを買収してもFTを変えたりはしない、編集権の独立を維持する、と宣言しています。次回最終回は、日経とFTとのシナジー効果を見てみましょう。

 
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